すしのことを「江戸前」という。
東京湾がきれいで、おいしい魚介類が豊富だったころの話。
昨日は八百万の神々をテーマにしたイベントにいってきたが、まさに
江戸前の魚ですしがにぎれるのは、神話みたいな遠い過去。
今では世界中から冷凍された魚が飛行機にのってやってくる。
それを解凍して、切り身にしたり、加工したりしたものが流通され、消費者の
わたくしたちが対価をはらう。当たり前だけど、魚の航空機代や冷凍器具や電気代なども
その中に含まれる。すしやのカウンターに座ると、そこに技術料やそのお店の家賃などの経費も
のせられ、銀座あたりにいくと「おひとりさま」で、何万円ものお勘定になる。
バブルのころは、盛り場の寿司屋などは接待族であふれていた。みな領収書がきれるし、
ぼくのまわりの社長連中は、ずけなどをたらふく食べたりしたあと、お勘定も「つけ」にして、
一ケ月づつ会社の経費で落とす、というのも普通だった。今考えると、普通ではない。
みんな「ただ酒を飲んだ時代」。帰りのタクシーも、「タクシーチケット」をパスモみたいに
日常使いにしていた時代でもある。
能登で暮らすようになり、海で釣りをしたり、漁師さんと話をしたり、港町で魚屋さん
と話をするようになり、「魚の危機」を身近に感じる。東京のスーパーに並ぶ魚は、パスポート
があるわけでもないけど、ほとんどが外国さんだ。
今年はブリも捕れなかったが、イワシやイカや鯵など、庶民の食卓にあがる魚も不漁らしい。
昨日の新聞には「海苔のダメだ」ということだ。
今日は「能登前鮨を自分でにぎるかい」をやる。今年7回目になる。
秋田杉のおひつも、3日前から米のとぎ汁でなじませ、今日がおひろめの日になる。
「江戸前」というおおざっぱな言葉で、すしややスーパーや回転ずしでも「すし」は食べれるけど、
顔の見える漁師からゆずってもらった魚を、顔の見える知人がつくったお米を「20分の法則」で
焚き、酢飯をつくり、おひつにいれ、自分たちでのぎり、久保さんの器にのせて食べる。
今日は信楽の有名な陶芸家も参加するので、彼女のぐいのみで酒を飲もう。いい会になってきた。
明日は「書をしようかい」だ。