論語の会

昨日は「順受の会」という25年くらい続く会。通称、「論語の会」をやった。
一番長老は、79歳。数えで「傘寿」。詩吟の先生で、ハレの時には、大きな声で吟じてもらったりする。
「大きな声をだす」というのは、健康的なことやと思う。
この会の先生は、かごんまのよかにせどん(鹿児島産でよい男)で、還暦と古希の真ん中くらい。
一番若いのは、40前後。一時間勉強して、後は蕎麦会。このジェネレーションギャップが酩酊すると、
不思議なハーモニーを醸し出す。長老が大学をでて、初任給が2万円だったらしい。古希あたり人が
大学をでた初任給が8万円。先生あたりのころ、10万円を超えたらしい。
ぼくは、よそんちで働いたことがほぼんばいけど、ソフトバンクの創業当時は、20万くらいだったと思う。
そのような変遷を語っていると、平成になってからの30年というのは、あまり給与があがっていないかも。

昨日は能登からつれてきた「まぐろ」のアラで、ブリ大根もどきの「まぐだいこん」をつくった。
昼間、金継ぎ教室にきた若い女子に試食してもらったら「オリ・・・(近くのスーパー)の魚とぜんぜん違う」
と、まぐろのように大きな目をして叫んだ。
だいこんも、能登の家の隣のおばあちゃんが、珈琲豆と「原始的ぶつぶつ交換」でゲットした「自然農野菜」。
だから皮をむいたら、それを「きんぴら」にしても安全で健康的な逸品ができあがる。

三輪福さんといっしょに摘んだ「ふきのとう」は「フキ味噌」にした。ごはんによし、酒によしの「おかず」。
冬眠から目覚めた熊が、最初に食べる「春のめざめの草」。薬は、草を食べたら楽になるよ、という漢字。
理屈ではなくよくわかる。

しめのそばは、その大根でつくった「切り干し大根」ともやしのスープに、「そばどん」(そば切りの後に残ったそばを、
もう一度こねて、うどんの太さのそばをつくる。うどんとそばのあいの子で、そう命名)を投じる。
長野の「とうじそば」をアレンジしたもの。
ごはんは「豚めし」。先生の郷土鹿児島の郷土料理。黒豆茶を入れてごはんをたくと、なんともいえない「うまかめし」になる。

最近、「フリーズド味噌汁」とか「飲むおにぎり」やら「飲むカレー」・・・など、調理も咀嚼も
簡素化したものが、お店にあふれている。
「かもす」とか「噛む」とか「こころのこもった」をはぶいたものを、口にいれても、「元気」とは程遠くなるように思うけどな~!

気のおけない仲間たち、同じ道を歩む友が、遠方より来る、うれしからずや、だ。

今日はえりちゃんのシャンソンライブがあるので16時閉店。