わかめのしゃぶしゃぶ

昨年の春、寒山拾得美術館のある集落の漁師さんに「生わかめ」をいただいた。
「なにも足さずに、しゃぶしゃぶにしてみて」といわれ、そのようにやったら、
海の味がした。能登では、寒い春にわかめを収穫して、少し長い笊に干して保存する。

能登に「真脇遺跡」がある。これまでの学説では、縄文人は「稲」を後期に手に入れるまでは、
狩猟が中心で、一か所に定住しない、が有力だった。しかし真脇遺跡を調査するにつれ、長いこと「定住していた」
ことが判明。どうして定住できたか?それは海に近く、萩の花がさくころ、そこにイルカがくる、ということを
知っていたかららしい。

狩猟中心から定住になる時、食べ物の「保存」を考えた。「発酵」といえば、大豆を味噌や納豆や醤油にすることを
まず考えるけど、どうも縄文人たちの足取りを見ていくと、「海の近くに住んで、魚をとって、塩で保存する」
が原点だったようだ。そうすると、魚から塩分を含んだ「液体」がとれる。能登に「いしる」という魚醤が
誕生したのは、そうゆうことだ。真脇遺跡にいき、珠洲あたりで塩つくりを体験し、「いしる鍋」を居酒屋で
酒肴にしながら能登の地酒を飲むと、この国で何千年も生き暮らしてきた先人たちの歴が五臓六腑に染みわたる。

昨日は「ダメ中」だった。311の年に仕事で地方にいっていた女子が8年ぶりに東京勤務になった。
その女子の「おかえりなさい会」みたいに、昨日は7人の女子で「ダメ中」。
ちょうど能登から「生わかめ」が届いたので、おでんの鍋で、「これから食べて」と、まず生わかめのしゃぶしゃぶ
を食べた。みんな縄文人みたいになって必死に食べた。続いておでんを食べつくし、そこにそばを投入する。
縄文時代にはまだなかった「縄文そば鍋」だ。

真脇遺跡には、縄文人の住居が再現している。縁あって、そこの柱のひとつは、何年か前にいったときに、
その当時使われていた石斧で掘るお手伝いをした。その時は、「能登で生きる」ということを考えて
もいなかったけど、地縛霊に誘われたか?そうゆうことにあいなった。
天真庵のHPの「遊山」という部屋に、その時の写真がある。その後完成した住居で、三輪福さん
とお茶会をやった写真もある。悠久の自然の流れによりそうような茶会やった。天恩感謝だ。