達磨には手足がないけれど・・・

今日から2月。
掛け軸を変えようと思って、いろいろ見ていたら、「隠元」
と書いた箱が見つかった。黄檗禅とインゲン豆を中心にした普茶料理と書を
ひろめた人。普茶料理は「普(あまね)く大衆に茶を施す」という意味で煎茶を飲んだ
後に大皿にのせた料理をみんなで分けて食べる形式で、精進料理の原点みたいなものだ。

かかった隠元和尚の軸には、達磨の絵に、賛が揮毫されている。黄檗三筆というのは、隠元・木庵・即非のことをいう。
三人とも中国人なので、漢字が微妙に日本のものとは違う。でも源流はそっちだ。

今みたいにブーム(中国人や台湾だけ?)になる前に、銀座の骨董屋から買ったものだ。中小企業の経営者の
月給くらいの値段だったけど、今では上場会社の平社員の年収くらいするらしい・・・???

時々知り合いの骨董屋などがきて、「売ってくんない」などといわれるけど、達磨のような顔して「いやだ」と答えている。
でもときどき凡夫の欲ばり精神がでて、売って旅でもしようかな、なんて気持ちになることもある。
まったく西鶴がのたまったように「人間は欲に手足がはえたようなものだ」と思う。

今朝はお香を焚き、煎茶を手向け、しばらく座って達磨の顔とにらめっこ。
手も足も自ら切って、禅の修行をした人の「すごみ」みたいなもんがある。

能登の「寒山拾得美術館」には、木庵の書をかけてある。
「初祖達磨大師」と揮毫している。

今、宅急便でまた「寒ブリ」が届いた。8kのブリがまるごと入った発泡スチロールに
「山城・三輪福より愛をこめて」と書いてある。
能登に先に移住した「そばのお弟子様夫婦」。ふたりとも能登の顔になりつつある。
今年も梅林ガールズたちの出番を、梅たちが華憐な花を咲かせながら待っている。

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