眠る香炉

志賀直哉の「暗夜行路」から、線香を寝かす香炉を「安夜香炉」にした。
そもそも平成が終わり、新しい時代がくる時に、志賀直哉も暗夜行路も、知らない人
が多く、平成最後の「おじさんギャグ」が横滑りしていたので、名前を改め、「眠る香炉」にした。

名前はともかく、その安全性と、京都のお香のここちよさ、久保さんの志野と黄瀬戸の土味がうけて、
いろいろなところに嫁ぎはじめた。「香りを聞く」、と昔からいわれるとおり、日本人は五感をきかせながら
「香りを嗅ぐ」のではなく「聞いて」きた。「満つまめの会」の時は、二階でそれでお香を焚いているので、全身で聞いてほしい。
かわいらしい「供養塔」と灰付き。お茶やお花をする人、整体とかヨガやセラピストたちにとっては
「お香」は日常だけど、一般の人には非日常。でも、あの世にいかれた肉親の人たちに感謝したり、無意識の世界で
再会するには、必需品のような気がする。仏壇や畳の文化は、絶滅危惧種のようになってきたけど、
人間の営みは、これからも自然とおなじで悠久の流れの中にある。

志野の香炉には、絵志野のように、ふわっとした文様がある。「雲」だ。
昔から禅の修行僧のことを「雲水」という。「雲行流水」とは、行く雲の流れ、さらさらと流れる水のように、
自然にまかせろ、運も人生もなりゆきにまかせなさい、といった意味か。
「うんこを水に流す」といった友人のピアニストがいる。大石学さん。そのタイトルのアルバムがある。
もちろん「雲行流水」で、「うんこ・・」ではない。

若いころ、とある財界の大先輩がいわれた。
「野村くん、同じような実力の社長がふたりいる。借りにAとBとしよう。
Aは順調に業績をあげ、Bは不運なことに倒産する。よくある話だが、
Aのようなタイプは、先祖の墓参りをかかさず、毎日先祖さんに線香をたむけるような人が多い。そんな気がする。」
成功するために、「そうする」というのは不自然ではあるが、日常茶飯に「先祖を敬う」というのは大事なことのような気がする。
「坐禅」そもそも人間にはふたりの人が土の上に坐っている。ひとりは「凡夫な自分」でもうひとりは「修行しようとしてる自分」
または「自我」と「自己」ともいう。

世の中に「開運グッズ」なるものもあふれている。そんなものを買う前に「墓参り」と「毎日の線香」。
「満つまめの会」のまーくんは、「線香を横にねかせてトイレにおくと、運気があがりますよ」
と教えてくれた。うんこを水に流す場。確かに「運」がよくなりそうだ!日々是好日。