かっぽれ、の取材

10年くらい、かっぽれ、をやっている。
最初は男子のみがやっていた。幇間芸(ほうかんげい)のひとつ、かっぽれ、
はもともと花街で、お客さんが芸者を待つ間に、ちょいっと間をつなぐ「お座敷芸」
として自然発症したものだ。まぬかれざる芸、であり、女を座敷で待つ男たちの高ぶった苛立ちを
やわらげる高尚な芸であり、優秀な幇間は、お客とお客を「むすぶ」役割もはたしていた、らしい。
はじめて取材をうける。芸を磨かないといけない。

あいかわらず、天真庵には取材の申し込みが多い。あまり新鮮味のない雑誌の企画やノル機にならないものは、
最近はやんわりお断りすることにしている。「能登の天真庵」のほうも、取材の申し込みがふたつほどあった。
でも「能登でいきる」以外、何も特別なことを考えていないので、あちらのほうは「発信材料」がない、に等しい。
あえていえば、ぼくが釣って調理したフグにあたって、お客が死んだ・・・なんてことがあると、地元の新聞に
のる可能性はなきにしもあらず。でもくわばらくわばら、だ。フグ料理を食べたい時は、輪島の「泳ぐ」
にいって食べるのが賢明だ。

いよいよ、「味噌作り」(菌活の会)の季節になってきた。今年は天真庵で産湯をつかって、いやそば湯を飲んだTくん
がつくった大豆が登場する。5年?以上前に東京から大分の耶馬渓(やばけい)に移住して、自給自足の生活を
している。奇しくも、旅立ちの挨拶にきた日は、「お花の会」で、山口の宇部から花を教えにきてくれていた原田先生
とも縁があった。Tのつくる自然農の米も、秀逸なうまさの米である。大豆も期待している。

先週は、能登の「梅茶翁」の梅林の剪定をしてきた。雪のつもる梅の枝に小さな蕾が生きづいていた。
平成が終わり、世の中ががらがらぽん、と、大きく様変わりしそうな感じの昨今だが、自然の営みという
のは、さらさらとたださらさらと悠久の流れの中にある。年年歳歳、正月を迎え、春夏秋冬がめぐり、干支
が12回ごと移り変わり、5回転すると還暦を迎え、それからは「おまけ」みたいに人生の終盤を迎える。
今日と同じ明日がこない日が必ずあるし、「死」を迎えない人生なんてありえない。みんな100%死ぬのだ。
しかも、あっという間に、人生はおわる。「どう生きた」というと重いけど、「どう生きようとしたか」が肝心かもなんばん。

これから「卵かけごはん」