ぶくろの骨董屋

今日は「歯医者の日」。錦糸町から大塚駅行きのバスにのっていく。
始発から終点まで、約一時間の旅。通勤電車時間は、押上からも満席で
インフルも心配なので、バスを使った。

久しぶりにバスにのったら、「次は本所・・・」というアナウンスの後に
「やわらかい肉ならデンジャー」みたいな宣伝が流れるんやね、大阪みたいになったね。
「総入れ歯ならなんとか歯科」とか「乳歯から入れ歯までおまかせのだぼはぜ歯科」とか
聞いているだけで、「今」が垣間見れておもしろかった。

大塚駅から歯医者まで、歩きなれた道を歯医者まで歩く。「上池袋」に20年くらい住んだ。
歩いてデパート(池袋に西武・東武・当時は三越も)にいけ、夜池袋や大塚で飲んでも歩いてかえれるし、
目白にあったヨネクラボクシングジムも歩いて往復した。
JRなら板橋か大塚、メトロなら西巣鴨、とても便利なところ。
まだぜんぶ自分の歯だが、あぶないところもあるので、毎月掃除にいっている。
先生もスタッフも20年近くお世話になっていて、気ごころが知れている。

帰りに、池袋の骨董屋(以前の経営者は煎茶道具専門だった)の後を継いだ中国人のやっているお店にいく。
ここで話(もちろん日本語)をすると、中国の骨董事情などが聞けて勉強になる。
「魯山人の小福茶碗があるんやけど・・・」というと、「売ってくれない」ときた。
日本の煎茶道具、黄檗山の隠元・木庵・即非など中国人の書・魯山人とか著名の陶芸家の作品は、
日本でも高いけど、向こうにもっていくと大化けするらしい。斉白石の軸なんか、ひと昔前だったら数十万で
買えたけど、今は1500万くらいで売れるらしい。
「あきるまで自分で楽しんで、あきたら売りますね」といったら、「中国の骨董バブルもかげってきたよ」
とのこと。どこの国も、バブルが10年と続いたためしはない。もうそろそろ・・・か?

前のオーナーが残してくれているお茶道具が入っている桐のタンスを勝手知ったるなんじゃらであけたら、
小福茶碗を入れる籠があった。小さな茶杓と茶筅、棗(なつめ)つき。「これ魯山人の茶碗にいいや」といって、少し値切ってゲット。
その桐の茶箪笥とお店の中にある蹲(つくばい)・・・実は密かに「店たたむ時、売ってくれない」
といいかけては、じっとこらえている。もうすぐバブルがはじめたら、譲ってもらう予定。
お金が大化けしなくとも、身の丈をこさない生活の中に、風流な一時が共有できればいい。

日本はバブルがはじけ、震災を経験し、未曽有の災害が毎年どこかにくるそんな昨今、生き方
をかえようと思っている若者もまわりにはいっぱい増えてきた。

特徴として
@組織や国に頼るのではなく、自分の足でたっていく そして知足
@温故知新 先人の残してくれた古くも新しくもないホンモノにふれる
@時間がかかっても自分でやれることは 自分の手仕事としてやっていく
@お金よりも 友達や家族と過ごす「つながり」のほうが大事
@都会の便利さよりも 自然とふれあう生活がいい
@一生は一度きり 好きなことをして死のう

そんな価値観をもった人が増えてきているように思う。

これから「おんなかっぽれ」

論語とそろばん

渋沢栄一翁が唱えた言葉。思想も大事だし、背反するようなそろばんも大事。
やはり「バランス」というか「中庸」が大事、ちゅうことか。
原理原則に縛られると窮屈だし、金銭感覚のこわれたのはアカンし、
けっこう「生きていく」は難しい。

昨日は24年くらい続く「論語の会」 今年は「孝経」を勉強する。
「論語読みの論語知らず」という名言があるけど、24年もやっていると、
それが「けだし名言」であることが、体でわかる。一種「さとり」に近い?。

「孝経」いうのは、とある儒者が孔子の言動をしるしたという中国の経書七経のひとつらしい。 儒教の根本理念である「孝」に
ついて書いてある。「親孝行」の孝。昨日は「親を啓するこころ」の大切さを勉強した。ぼくはいつものように、机には座らず、
厨房の中で典座(てんぞ  お寺のまかない係 寒山拾得の拾得(じゅっとく))のように、蕎麦会の準備をしながら、蕎麦焼酎の
「花」を片手に講義を左耳で聞いていた。

この会のメンバーはアラカンいうより、団塊の世代に近い世代。まだ親が存命だったり、子供が巣立ちしたりする
「中間」というか触媒みたいな役割の世代だ。親が自分を育てたようにしか、子供を育てることができないけど、
はたしてそこに「敬」が存在するやいなや・・・・それぞれが胸に手をあてながら内観する、そんな一刻だった。

昨日は、「能登ぶり」のアラと大根で「ぶりだいこん」をつくった。
少し食も酒も弱くなった仲間たちが、ひさしぶりに健啖家よろしく、ぶりだいこん、投じ蕎麦、の鍋を
空にした。「論語とぶり」か?この一週間で8kのぶりをアラまで食べつくした。寒ブリのうまいのは、
寒い冬の海を泳ぐブリの生命力にふれるからだ。「ぶりかい」をやると、春が待ち遠しくなる。

今日は今年最後の「深谷ネギ」が届く。親友のM(一度聞くと、ぜったいわすれない名前)。
残りのブリ大根に、深谷ネギを刻んで投げ入れる。海と大地の生命力がしみる。
MはIT企業と農業法人の社長を兼務する。昨日メールがきて、「今晩、魯山人の夢を見たら、
小福茶碗を買わせていただきます」とのこと。

お茶の味、うまさ、というのも実は「生命力」だ。お点前とか、お茶の歴史云々・・・など
ある意味形式も大事だけど、根底にはこの幽玄なる力がないと、砂上の楼閣みたいなものだ。
朝まずめに起きて茶を飲み、土を耕し、陽が沈むころ家にかえり、酒を飲む。幸せな一刻を
知る人間の自由さに敬服。

今日は「書の会」
明日は「おんなかっぽれ」

おおかたなおみ

昨日の夕方は、蕎麦打ちふたりと、味噌作り3人。
ひとりは、こどものインフルエンザで欠席。
味噌作りの時は、インフルエンザが流行る時でもある。
100人いると、毎年何人かは影響を受ける。こればかりはどうしようもない。

12月に「国貞雅子」のライブをやった。発表してすぐに満席になり、これまでの
ファンでこれない人が多かったので、4月にリベンジしようときめたら、またすぐに満席になった。

テニスの大阪なおみ選手が全米オープンに引き続き全豪オープンでも初優勝を飾り、四大大会連覇と世界ランキング1位を同時に成し遂げた。
国貞まさこからメールで「大阪なおみさんに似てますね、とよくいわれる」らしい。確かに、顔の相は、同じ部類に入る。
昨年は世界的な音楽家とツアーをしたり、確かにステージが変わりつつある。友人で深谷ネギをつくって成功しているMとも
握手をしたので、「カーネギホール」に立つ日も近い?
「では、おおかたなおみ、に改名する?」と返信した。

今日はこれから「卵かけごはん」
寒い冬の間は、みそ汁の中に酒かすを少し入れると、体もこころもポカポカになる。

夜は「順受の会」今年で24年?そのくらい続いている「論語の会」
論語読みの論語知らず、でも、継続は何かの力なり、だ。

明日は貞本先生の「書の会」
今アビアントで個展をやっている生井厳さん。そこでは、正月に「墨だ!」
みたいな書の展覧会をやる。昨年まで貞本先生も生井さんといっしょに参加していた。
ふつか前?のブログに、生井さんが脳梗塞とガンを克服したことを記した。

昔から文人たちは、書や絵を描くと同時に武道などにも通じていた。
だから「経絡」(気の通り道)などを知っていて、「イザ」という時に、気を
使って自分の体を調整できるみたいだ。結局医学がどんなに発達しても、病気を
直すのは、医者や薬でなく「自分」の問題みたい。

ぼくも骨董病と合併症みたいに金欠病が不治の病のように全身にまわっている。
そろそろ克服したい、と思いながらリハビリよろしく銀座の骨董屋なんかを歩く。人から見ると、徘徊老人?
「隠れ脳梗塞」なんていう言葉もある。ぼくの場合は「脳拘束」だ。ひとつのこと、好きな
ことに脳が拘束される傾向があるみたいだ。みんな先天的か?ある種、発達障害?

幸福をよぶ映像

昨日は味噌作りの二日目。フクちゃんがやってきた。
ぼくのそばのお弟子様。英語が堪能で、外国からアーティストなんかが
やってきた時に、通訳にかりだされる。天真庵のHPに「普茶料理」を
食べている外人さんの写真がある。ホテルのイベントでアトランタあたりのスーパーシェフ
たちが来日した時、彼が通訳をし、下でそば打ちを伝授し、その後二階で打ち上げをした時の写真。

ほかにも「養蜂」をやったり、各地でケータリングの仕事をしたり、映画の評論や字幕の訳、おまけに
「安来節」まで踊れるマルチタレントでもある。
彼がなぜ「フクちゃん」か?

石川県の人ならだれでも知っているテレビのCMに「フクちゃんフクマサもってきて」というのがある。
昭和37年から昭和の終わりくらいまでやっていた福光屋のTVCMだ。
「福光屋」「福正宗」「フクちゃん」で検索すると、YouTubeで観られると思う。
そのフクちゃんにうりふたつなのだ。

ネット21が赤坂に事務所があったころ、近くに福光屋さんの直営店があったので、よくいった。
漆の角伊三郎先生とも彼が召される一年くらい前にそこで偶然お会いし、楽しく飲んだこともあった。
彼のアトリエは輪島にあり、奇しくも寒山拾得美術館から車で10分くらいのところだ。
今は和倉温泉の加賀屋の別館に「角伊三郎美術館」があり作品を展示してある。そこにいった時、彼の合鹿碗に
そばを入れてみたかった、と痛感。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」「味噌つくり」
二階は「満つまめの会」

隕石直売所の主人がつぶやくとそばやが儲かる?

昨日のお昼に、スカイツリーの足元にある「隕石直売所」の主人から電話・・
「これから若いふたりが、うどんをもって、そばを食べにいきます」とのこと。

まるで狐につままれているような気分の電話だけど、彼はいつも、いろいろなお客さまを
紹介してくれる。「うめ星」プロジェクトで共同開発した提携先でもあり、田舎の住所が
「宗像市日の里・・・」までいっしょという、稀有な縁でつながっていることもあり、また
この「うめ星」をお互いに身につけてから、「無駄のない縁のつながり」が流星のごとくでもある。

そして、10分後にうどんをもった青年が蕎麦を手繰りにきた。
「さぬきうどんの修行をして、無店舗で全国を巡り、うどん打ちのパフォーマンスをやっています」とのこと。
うどん二袋を挨拶変わりにいただいたので、珈琲をぶつぶつ交換よろしくだした。
隕石やの主人がツイッターで「うどんが食べたい」とるぶやいた縁らしい。不思議な時代だ。

夕方に「まいこさん」(ダメ中の先生)が味噌をつくりにきた。京都では、お店の開店日の最初のお客さん
は「女性」がいい、という縁起をかつぐ。とくに「舞妓さん」が最初にくるとそのお店は
繁盛する、という言い伝えがある。味噌作りの最初が「まいこさん」。なかなかいいスタートだ。
しかもはじめてつかう大分の耶馬渓のTくんの自然農の大豆。これが煮たときの味が滋味ゆたかで、期待に豆ふくらむ。
仕込んだ味噌を「甕」(かめ)に入れ、名古屋のそばの名店に発送。彼女は2年前に名古屋のそばやの主人と結婚したのだ。
その「甕」は、その店でずっと「かえし」を仕込んでいた甕。「甕の恩返し」よろしく、味噌がそばやに帰っていった。感謝。

かっぽれ

昨日は「おとこかっぽれ」だった。10年やっているけど、初めて
取材を受けた。「かっぽれ」「深川」「ずぼらん」「なすとかぼちゃ」
を踊った。
最近「かっぽれ」とは?とかよく聞かれる。岡惚れ(おかぼれ・・おかっぽれ)が語源らしい・・
「あんたに惚れた!」っていうこちゃね。密かに恋してる・・・好きで好きでしょうがない・・

本気で人を恋する、ということもあまり見かけなくなったけど、それより「バカになりきれない」
ようなグズグズ半端に生きているような輩が多い気がする。
「ほどく」「解放される」ことがないと、生きているのか死んでいるのかもわからないような人生になる。
「かっぽれ」は、「ええじゃないか踊り」と同じ時期に、発症した。
♪死ぬほど好きになっても、ええじゃないか
♪一度しかない人生 バカになってもええじゃないか

今日からいよいよ「味噌作り」が始まり始まり。
一番手は名古屋から味噌作りにこられる菌活女子。昨日入れ物が宅急便で届いた。
続いて、彼女のおねえさんの入れ物も岐阜から届いた。ねえちゃんは、かれこれ5・6年選手だ。
「おわり名古屋は、味噌で持つ?」

今日は生の麹が届く。これは冷凍しとく必要があるので、昨日ネットで買った「冷凍庫」
も届いた。冷蔵庫みたいにドアが開くタイプだ。味噌作りが終わったら、能登の魚たちを
入れるようになるかもなんばん・・・
35kあるのを、佐川のにいちゃんがひとりで運ぼうとしていた。「無理ちゃう」
といって、いっしょに運んだ。「健康」であるためには、いろいろ骨が折れる・・感謝。

ホンモノの陶器は師匠だ。

昔の日本の家は、どこも床の間があった。掛け軸がかかり、
季節の花が花器に投げ入れられ、香炉にお香の香りが煙たっていた。
日本中のどの家も、「小さな美術館」だった。今は昔。

昨日は銀座の骨董屋をまわった。やはり世界の東京の銀座、ギャラリーや骨董屋も
緞帳を下げるお店も多いけど、残っているところは、みなホンモノであり、ホンモノを
扱っている。久保さんと最初に出会ったのも、銀座のギャラリーで彼が陶展をやっていた時。
もう20有余年前の話だ。

それから三重のアトリエにお邪魔して、焼き締めの急須をいただいた。今でもぼくのお点前用
の茶櫃には、「やまがら」のような風合いのその急須が入ってある。奇しくも、その翌年に
織田流煎茶道の家元と青山のギャラリーで出会い、そのまま入門し、今では煎茶を教えるような立場にある。
いわば、いとつの「急須」が、師匠みたいなもんや。
昨日銀座にもっていった陶器は「ロ」の、「小福茶碗」。昔は旅にお茶道具を持参して茶を
楽しんだので「旅茶碗」ともいう。

「ロ」は「器は料理の着物」という名言をはいた。世間的には、偏屈じいさんで通っていたふしがあるけど、
彼の作品や著作を読むと、「大きな人間力」なるものを感じること多し、だ。
「美術品は人生の先生だ」ともいった。けだし名言。

「ギャラリーアビアント」で「生井厳展」をやっている。(30日まで)
天真庵のHPに「寒山拾得美術館」という部屋があり、その中に入ると、1996年
ころからの天真庵の写真が飾ってある。1997年?に尺八を弾いてる生井さんの写真。
うちではじめてライブをやってくれた人だ。60歳の時に脳梗塞になり、70歳で
ガンで「余命三か月」と宣告されたけど、「あ、そうですか」といったきり飄々と
生き、絵をかきつづけている。
その70歳の時、もらった賀状には、自作の戒名が最後に書かれていた。

「前立腺院癌山居士」

こんな人は、末期ガンも閻魔も歯がたたないらしい。彼もまた「人生の師」
である。「うんこビル」の近くのギャラリー。人生をこれから楽しくいきたい、
という人は、ぜひのぞいてみてやってください。感謝。

あわただしい銀ブラ

昨日は「能登のぶり」を堪能した。
気心しれた「梅林ガールズ」たちと、能登の話などをしながら談論風発のぶりっこ。
「ねぎま」という料理がある。ねぎとまぐろを醤油と酒と塩あたりで煮る。
昨日は「ねぎぶ」をつくった。8kのブリをさばく。頭を落とし、「はら・せ・はら」で身を解体する。
頭は左右の目を左手でつかみ、真ん中あたりのくぼんだところに、出刃を入れ、まっぷたつにする。
字で書くとそれだけだけど、実際大きな魚の頭を割る、のは、簡単なことではない。
しかもそこがうまい!

友人のマツキヨさんがつくった「深谷ネギ」をぶつぎりにして、頭とアラを、煮る。
目玉は二個しかないので、お客さんの梅林さんファースト。
これだけで、3合は飲めそうだ。しかも寒い能登の海を泳いでいるブリの目は、格別だ。
想像力を働かせない人でも、簡単に想像できそうな味だ。

今朝は残りのブリを蒲田の「めいっこたち」に届けた。毎年正月には「能登のぶりをみんなでにぎる」
会をしている。今年は三が日が営業だったので4日が新年会になり、いつもの会とは志向が違った。
きっと今日の夕餉は「天真庵流・自分で鮨をにぎる会」になっていると思う。

その足で「蒲田の温泉銭湯」へ・・・三週続けていくと、常連さんたちと仲良くなる。
相変わらず、電気風呂は不人気?なので、三回入る。とくに古傷の右ひじ(24の時に手術した)が
ピリっと痛いけど、その後の調子がいい。風呂上りは二階のサロンでノンアルコールビール。
毎日くるおじいちゃんたちとも顔見知りになって、挨拶をかわす。相変わらず「鏡月」を飲みながらご機嫌だ。

その後は、新橋の駅前に車をとめて、「ビーフン東」。「九州気骨の会」の日に、まず最初に集まった店。
7時にそこで集まって、若いころは朝の7時くらいまで新橋や銀座を梯子した。競争の激しい飲食業界だけど、
「老舗」であるし、これからまだ100年はいけそうな店。

それから骨董屋を梯子。友人にあずかった「ロ」の陶印(誰でも知っている陶芸家)を売り込みにいく。
思った以上に評価が高く、鼻高々に銀ブラを楽しんだ。

骨董業界も銀座も中国人がかしましい。「家に掛け軸を飾ってますか?」「煎茶道具や茶道具はありますか?」
「文房四宝がありますか?」・・・ほとんど「いいえ」だと思う。みな中国や台湾の人たちの手に渡っている。
もともとはそちらから渡ってきたものだから「里がえり」といえば、それまでだけど・・・

銀座に骨董屋が軒をつらねているビルがある。歩いている人は、日本語を話ていない。オークションも
ほとんど「中国語」である。日常茶飯だった「茶」の文化は、日本では滅びに至る文化?
かもなんばん、と痛感した日。

明日は「おとこかっぽれ」  はじめて取材をうける。明日は朝おきたら化粧して、
気合をいれなくては・・・

ぶらり能登

昨日は、翔くんの「ギター教室」。いつもは彼の家兼スタジオで
やっているのだが、月に一回は天真庵でやり、その後は「蕎麦会」
という感じでやっている。「今年もよろしく」という新年の挨拶になった。
ひとりのご婦人が「あたくし、今年古希になります」といってびっくり。
どうみても、マイナス10くらいに見える。
こころも体も「こき使う」ことなく、いい後半戦を生きてらっしゃる。

先週「昨日近所にこしてきて、珈琲の香りにひかれたので入った」といって、矍鑠とした
おじいちゃんがひとりでカウンターにすわり、珈琲を飲んでいかれた。昭和7年申だそうだ。
今年87歳。ふたまわり先輩だけど、あと干支がふたまわりする前に、この星にはいない気がする。
まして、そのころ引っ越しをして、散歩の途中にカフェで珈琲をする元気はないだろう。

終末に能登の空港の観光課がだしているフリーペーパー「ぶらり能登」が100冊きた。
一冊で能登のことがすべてわかるような、いい雑誌。
そして昨日は、能登のぶりがやってきた。
今日の夜は「の」をとって「ぶり能登」。大きな檜のまな板と、人もさばけるような出刃で
これから解体ショー。(誰も見てないけど)

認知法にならない映像

昨日は「気骨の鮨会」だった。
近くの若いくんたちが、4人きた。
酢飯の作り方、にぎりかた、食べ方、寿司にあうお茶、お酒・・・・若い柔軟性のあるおつむ
に、いっぱい情報をインプットしながら、談論を風発させながら、楽しい鮨会だった。
能登から「赤いか」(地元では、たるいか)と蛸をもってきていたので、それに卵焼き、こんにゃく、
いぶりがっこ、寒ブリ、サーモン、しめさば、ほたて・・・などを握って、久保さんの器に盛り付け、
志野の茶碗で煎り番茶を飲み、酒は黄瀬戸の片口に、焼きあごをいれ骨酒にして飲んだ。

能登から本日寒ブリが飛んでくることになった。急遽、明日も「気骨の鮨会」をやることになった。
寒ブリといえば、氷見。同じ富山湾で捕れるブリで、能登のブリも甲乙つけがたい。
なんかやっぱり今年は「すし会」を多くやりそうな気がする。

昼は、安曇野に移り住んだ友人がきた。芸大の先生をやりながら、安曇野と東京の二股暮らし。
彼は各地に残された8ミリビデオを再生し、「日本の美しき残像」を残すのをライフワークにしている。
「音楽療法」というのを最近よく耳にする。認知症になった高齢者などには、いいらしい。
同窓会などにいくと、瞬間的にその時代の扉が開く。昔よく訊いた音楽がラジオから流れたたりすると、
その時代の歴の引き出しがあくような気がする時がある。「こころを開く」「ほどく」のが「仏さん」だ。

彼の編集したビデオには「お祭り」や「結婚式」や「運動会」や「一歳のお誕生日」など、
今よりもはっきりとした「ハレの日」が、今に蘇ってくる。高齢者などに見せると、認知症の
人たちが瞬間的にビットがたち、「これ、カツオの一本釣りや」とかいうような話がいっぱいあるらしい。
「回想法」という心理療法だそうだ。「アルプスピクチャーズ」と、検索すると、日本の美しい残像
がいっぱいでてくる。今年の両親の誕生日プレゼントにどうだろう?ぼくはきのうふたつ買った。
ひとつは、3月の母の誕生日。もうひとつは、自分が認知症になった時のため用。みんないずれいく道。
すぐ先に続く道。

今日はこれから「卵かけごはん」
明日は「気骨のぶり会」