おでん 熱燗 昔の女

月曜日が「論語の会」 火曜日が「書の会」だった。
どちらも「文人好みの会」だ。

今日は「おんなかっぽれ」
朝、おでんを仕込んで、歯医者にいく。近くではない。
巣鴨まで電車を乗り継ぎ、「おじいちゃんおばあちゃんの原宿」を抜け、
滝野川、という、昔住んでいた町で通っている。マルジの赤パンや巣鴨酵素風呂やすっぽんのお店などがある。
赤いパンツをはき、酵素風呂に入り、スッポンドリンクを飲むと、「生涯現役」かもなんばん。
障害があるひとにはおすすめ。

医院長は、少し中性な人だ。ゆえに、女性スタッフとの人間関係が
スムーズなような気がする。街はずいぶんマンションが増え、変わっていくけど、
そこだけは、「変わらない聖地」のようなホッがある。ぼくの担当はSさん
という美人の先生。20年以上お世話になっている。

「のむらさん、どこか染みたりしませんか?」と聞かれたので、「秋は熱燗が染みます」
と答えたら、「え、あたたかいものが染みるようになったの?」と言われたので
「いや、こころに染みるのです」と答えたら、医院長が横から「ばかね、風流心ってものがないんだから・・」と
横車を入れる。そんなアットホームな歯医者。

いつも電車の中では「本」を読む。眠くなるので、何度も読んだことのある本を読む。
「論語の会」や「書の会」で、ときどき「老子」の話がでる。今日は「老子」を読みながらいった。
有名な言葉に「谷神は死せず」というのがある。万物を育む大いなる大地は、巨人軍より永遠に不滅である。
巨人・・は削除して、だいたいそんな風な解釈が多い。無難で優等生的だ。
これを「玄牝」(げんびん)と呼ぶ。「母なる大地」ともゆう。

引退したら田舎でじっくり読もう、と、以前から古本屋で「老子」の本を何冊か買って宗像の実家に
おくってある。今日はその一冊を読みながら、往復した。

簡単に説明すると「スケベな老人」くらいにしか思われないけど、老子のタオ(道)というものは、
人間の人知を超えた大きな「宇宙」のようなものらしい。ヨガなんかとかも通じるところがあるけど、
陰陽、つまりが男と女の交じり合う性的なエネルギーみたいなものが「道」にはあるそうだ。
古来より「神人冥合」とかいった宇宙万物と一体になった境地がそこにあるらしい。
俗人や凡夫には「スケベ」とかしか感じられけど、瞑想するような境地でみると、超時空的な恍惚というか
エクスタシーが感じれれる。

意識というのは、恍惚である(老子)    有吉佐和子先生もいわなかった天地自然の理?でも言う相手を
間違えるととんでもない恍惚を味わうことになるかも(笑)

順受の会は23年になるが、先生も「老子」はまだ教材にしていない。
どうもこれは、いろいろな人生経験を経たうえで、都会ではなく、俗から離れた
大自然の中で学ぶようなものかも知れない。

今日は「おんなかっぽれ」
この会の人たちは、陽気で酒好きが多い。
しかも熱燗を飲みながら、「男と女の話」をすることが多い。

酒飲みのことを「左利き」という。大工が右手に金槌を、左手に鑿(ノミ)を持つ。
その「のみ」が「飲み」になった。
では「徳利」は?  徳のある人が利かす。「まあ先輩どうぞ・・」とかいって、
先輩や上司の機嫌をうかがう人の小道具・・・というのが通説。
本当は「徳」というのも、女性(器)を意味するらしい。そうなれば中国の故事の「壷中天」(こちゅうてん)
の話も、よりよく理解ができる。「壷」というのは器の壷。南條先生の「壷中天」は「壺」を書いた。
「壺」この「コ」は、やはり女性(器)の象形文字らしい。
このあたりをサラリと酒の席で言えるようになると、「色道」も年長組になるのではないかしらん。

明日は「ダメ中」 ダメから始める中国語
金曜日の夜は「墨交会」

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