昨日は「順受の会」だった。23年続いている「論語の会」
論語読みの論語しらず、と昔から言われる。自分で謙遜しながら
いうのには無難な言葉だ。身内から「あの人はあんな会にいってるけど、
なんのききめもない」などと言われると腹がたつ。
うちの筆子さんも、20年くらい馬耳東風だった。でも3年前からまじめに
勉強している。ぼくは、その後の蕎麦会の準備をしながら、厨房の中で
ほかの本を読みながら、酒を飲んだりして「典座」気分の20有余年。
本を素読するだけで聖人君子のようにはならない。本来人間は性善説と性悪説
どちらも持ち合わせながら生きている。いろいろな人生のめぐり合わせで、
悪人になったりするし、反対になったりもする。
裏を見せ表を見せ散るもみじ のごとく。
昨日は新人くんが「馬肉」を持参してくれた。職業が「肉屋」ではなさそうだが、
馬肉と珍しい焼酎をもってきてくれた。本人は下戸、というのもおもしろい。いい人だ。
さっそくそれを柳包丁で切り、かえしをつけて、つまみぐい。
食べた瞬間体に馬が走る。。。そんなバカな・・・・昔そんなテレビ番組があった。(♪馬がしゃべる そ~んなバカな だった)
吉原に有名な馬肉屋がある。助べえな坊さんや凡夫たちが、遊びにいく前に「ちょっと、ケトバシ(馬肉)を喰って、女をかいにいこや」
ってな具合で立ち寄ったのが起源で、今でも下町っこたちは、その店のことを「けとばしや」といったりする。
今日は「書の会」 この会の新年会は、三河島の焼き肉屋にいって、牛の贓物なんかをつまみながら、
赤ワインの炭酸割を飲む、のがならわし。
長野の飯田の名物に「おたぐり」というのがある。馬の贓物を味噌じたてで煮て、地酒を熱燗にして飲む。
その土地土地にいろんな人が住んでいて、いろんな郷土料理がある。
明日は「おんなかっぽれ」
男と女では、少し内容をかえてある。助平のぼうさんが、修行をしながらも女に懲りない・・・「ずぼらん」
というのがある。さすがにこれは、女性には不向きなので、男衆だけが踊っている。
能登に行く途中「親鸞記念館」というのがある。彼の著した「歎異抄」に
「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」
というのがある。「どんな修行も成就できないわたくし、地獄こそがぴったりの居場所です」
というような意味。当時は肉食も妻帯も禁止だった宗教界で、そのタブーを破り、佐渡に罪人として
流される道すがら、うれあう人に影響をあたえ、浄土真宗を広げていった。中には、曹洞宗だったのを
浄土真宗に変えた寺もあったらしい。「守破離」(しゅはり) 和事の稽古などで使われる
言葉だが、「破」というのは、勇気がいるもんだ。それがないと、人生もただの「お稽古」で終わる。