東京も能登も福岡も「断捨離」

毎朝、散歩をする。
3コースくらいある。休みの日で、能登にいない時は、
古本屋を巡礼することが多い。

一番多いパターンは、香取神社にお参りをし、ぬすみぐい(今は、ひとつむすび?)くんのアトリエの前を通り、
向島警察の前の通りを左折(園田皮膚科がすぐ左手)し、看板はなくなったけど、ぼくの包丁の半分をつくってくれた鍛冶屋さん
のアトリエを超え、古本屋カフェを準備中のMくんの長屋からまた路地を入っていくと、「ハラヘル」というカフェがあり、
そこをまっすぐいくと、きらきら橘商店街。時間がある時は、そこを右折し、「ぶんかん」までいくと明治通りになるので、そこから
向島まで足を延ばすこともあるけど、時間がないときは、「ぶんかん」と違う方向に踵をかえし、まんもす公園あたりを
通り、帰ってくる。「ふむふむ」と頭でイメージできる人は「押上の散歩の達人」だ。

それにしても最近は、長屋や古い民家が取り壊され、つまらない建物が増えてきた。一度解体されると、そこに何が
あったかもわからないことしきり。そうやって、いろいろな街の風景や自分たちがそこで暮らした心象風景もなくなっていく。
端渓の硯を形見にくれたおじいちゃんの家も平屋になった。元気にやっておられるだろうか?とふと思ったりする。

九州の妹より電話、「本をいつまでに片づけると?」
10畳の部屋に大きな本箱が3つあり、そこにだいたい二列に本が入っている。入りきれなかった本が、倉庫にも
まだ残っている。先月もっていこうと思ったけど、乗用車では20回くらいかかるかも・・・
ぜんぶ古本屋にもっていってもいいけど、家の解体以上に、自分の脳の中の思い出が消えるような恐怖感が襲う。
来年そうそう、引っ越しをするつもりで、能登に運ぼうかなどうしようかなと思っている。

さて、空き家になった実家をどうするか?という問題がおきる。100坪強の敷地。庭には5本の松。
なのみややまもの、槙の木、梅の木・・・半分は庭。「庭付き」というのは、日本人のあこがれだったけど、
今では「負動産」と呼ばれているらしい。
古墳が近くにあり、宗像大社や鎮国寺があり、その近くの「道の駅」は、漁師さんが朝とった魚をそのまま
納品するような仕組みになっていて、「日本一うまい魚が買える道の駅」だ。

空き家を売買するには、家と庭を解体し、測量をし直し、不動産やと交渉し・・・
いろいろ面倒なことが多い。
博多と北九州まで、電車で30分強でいけ、風光明媚で宗像大社の神域というおまけつき。
誰かそのままの状態で借りたい、という人があれば、本を含めて、そのまんま貸すんだけど・・
ぼく的には、また福岡で生活することがあったら、「宗像」(むなかた)が一番やと思っている。
全国に散らばっている芸術家ネットワークで、「どう?」と聞いてみようかと思う。
「クッキングパパ」の著者も、隣の町に住んでいるよ。「創作」とか「ゆっくり暮らす」には最高やと思う。

平成も最後になり、田舎の両親が昇華されたり、施設に入ったりして、同じような悩みを
持つ人も多いと思う。そんな時は、みんな「大家族」やと思って、泰然自若ときめこむことだ。
「どうにかなる」といつも思っている。そしていつでも「どうにかなってきた」。感謝。