身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあり

昨日は「英語でそば会」だった。 
若いフランスの青年が、ポン引きの縁でやってきた。
「ジューシー エイチャン」。ええかげんな発音で挨拶すると、ニヤとされた
少しシャイな感じだった(身の危険を感じた?)だったけど、
米・麦・芋の焼酎を飲むごとに、リラックスしてきたみたい。

ぼくは典座(てんぞ)のように、厨房の中でそば会の準備をして、カウンターに座り
今月号の「なごみ」を読んでいた。まぼろしの茶事、といわれる「茶飯釜」
の記事があったので、先月に続き買って読むことになった。
お茶の釜、といえば代表的なんが、芦屋釜。関西の「芦屋」だと
思っている人が多いけど、北九州の遠賀川の河口の芦屋である。
北九州の男子はこの街で、海水浴や釣りやバクチ(芦屋ボートがある)を覚える。
トラヤと同様、京都で「茶」が盛んになったので、みんな上洛して、今はもう秋誰もいない海・・の街)。

ヨーロッパ、とくに「フランス」の人は、お茶や禅や日本の文化に興味をもっている。
「仏人」とかくのは、そんな意味もあるのかしらん。そのうち、日本の文化も、
芦屋釜と同じように外国にわたり、日本人が彼らに習う、という時代もそう遠くは
なさそうだ。確実にそうなると思う。もうなっているかもなんばん。

そんなことを考えながら、カウンターで「花」(佐久の蕎麦焼酎)のロックを飲んでいたら、
英会話の生徒さんが「ゲス(そのフランス人の名前?)が、ミヲステテコソ・・・
いってるんですけど・・・ナンデスカ?」と聞いてきた。ほらみろ、日本人よりも
高尚な趣味をもっている。「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり・のことちゃうか」
と答えたら、「どんな意味?」とかえってきたので、「死ぬ気でやったら、なんとかなる・・・ちゅうことや」
と答えたら、その生徒が「そんなむずかしいこと英語でいえな~い ボリボリ」というので
「それこそ、死ぬ気でやったら大丈夫」と答えた。なんとか伝わったみたい。なにごとも「気はこころ」だ。

ゲスくんは、その後京都・奈良にいき、高野山の宿坊に泊まるらしい。
そんなことを英会話していたので、妹がつくった奈良漬けを、久保さんの黄瀬戸のドラ鉢に入れ、
ゲスに「これ喰うかい」と日本語ですすめ、生徒さんたちに「喰うかい、という日本語と奈良漬けを英語で
説明してください」と課題。
「なんやらかんやら」まじめにしゃべっている中にまたあゆみより、「奈良漬けは、お茶のサロンの中心的なもんやで、そこんところ
よろしく」と宿題。また「なんやら・・・ボリボリ」しゃべっている。少しこちらも酩酊し、「喰うかい、わっかた?きみがとまる
高野山をつくった人もくうかい(空海)やで」と教えてあげた。

身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあり

まことに、奥深い「教え」が内包されている。確か空也上人さんの言葉。

喰うやくわずの中で、悟られた言葉なんだろう。残った奈良漬けをボリボリ食べながら、
空海や空也さんのことを忍びながら、花を飲む。   「英語でそばをくうかい」より・・

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