嵐の前の静けさ?

台風は予想どおりの進路をすすんでいるらしい。
げ、今東京は雨も小降りで、風も微風。嵐の前の静けさ
、というのは、こんな時をいうのだろう。

昨日はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」
上で女子たちが「よがって」いる時間、ぼくは下で本を
読みながら、一杯やっている。昨日は久しぶりに
もどってきた建築の本を読んでいた。

「いいな」という家は、その土地の自然に寄り添うように自然に立っていて、
いい空間というのは、簡素で、昔なら床の間にかける一本の軸、そこにまた
存在感のある花器があり、季節の花が投げいれてある・・・
つまり、あまりごちゃごちゃしていない、空っぽみたいな空気感が大切である。

20代で夭折した立原道造という詩人がいた。高校のころよく読んだ。
「夢はいつも帰っていった。山のふもとのさびしい村に水引草に。風が立ち草ひばりのうたひやまないしづまりかへつた午さがりの 林道を・・・・」
彼は建築家でもあり、いくつかの設計図を残していった。
そのひとつにわずか4坪の「ヒヤシンスハウス」というのがある。
「建って半畳 寝て一畳 どんなに飲んでも二合半」
大量生産時代にマスコミにのせられ、いろんなモノを「買わされ」、
ステイサスの象徴みたいに「〇〇DK」なる「箱もの」に一生かけて、同じような企画品の箱のお墓・・・
という画一的な「家」のありかた、暮らし方というのは、どうよ・・・?と痛感した。

ヨガの女子たちの「蕎麦」を手繰った。みんな梅林ガールズであり、来月は能登のイベントをのぞきにいく。
残り物の「へべす」を薬味にした。「うまい」という声があがり、来年は日向にいこう、という話で盛り上がった。
いつも冗談みたいな話なのだが、ほぼ実現していくのが、すごい。

今日は日曜日。16時まで営業。あとは「蕎麦打ち教室」

月曜が「長屋で女史会」朝は「卵かけごはん」
火曜日が「英語でそば会」
水曜日が「たまちゃんに一言いう会(悠玄亭玉さんを忍ぶ会)
木曜日が「おとこかっぽれ」

6日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

台風が接近中

また大きな台風が日本列島を通過しそうだ。
矢継ぎ早に、台風やゲリラ豪雨が各地を襲い、停電や断水
が日常茶飯になってきた。スイッチひとつでなんでもOKな便利な生活
になったぶん、生命力やサバイバル力みたいなもがなくなりつつある。
もういちどOから「暮らし」を見つめなおす時かもなんばん。

昨日は、コンサート。平魚泳さんが持参したヤマハのスピーカがなつかしかった。
ちょうどぼくが大学のころでたもので「リトル タイフーン」(小さな台風)というニックネームだった。
台風もなくては困るけど、今回のも「小さな台風」であってほしいものだ。

昨日の夜、近所の人に頼まれて、掛け軸を「鑑定」させてもらった。
長年住んだ家を取り壊し、引っ越しをするらしい。いわゆる終活のひとつ。
「これはいい」「これはいけない」というようなことではなく、「何かひとつもっていきたい」
とのこと。無名の画家だけど(こっちが知らないだけかも)、観世音菩薩を墨でさらさらと描いたものがあった。
「これなんかどうですか?」とかワイワイいいながら、ビールを飲む姿が、なかなかいいのである。
いろいろなことがあるけど、水のようにさらさらと生きていきたいものだ。

田舎のほうでは「家族葬」とかいった看板が目立つようになった。
あるところは「終活カフェ」なるものを営んでいた。
今回いろいろ勉強したけど、そんなところも重宝されるようになるかも。

東京も雨が降り出した。
今日は二階で「満つまめの会」
夜は「ゆるゆるヨガ」

日曜日は「蕎麦打ち教室」

月曜が「長屋で女史会」
火曜日が「英語でそば会」
水曜日が「たまちゃんに一言いう会(悠玄亭玉さんを忍ぶ会)
木曜日が「おとこかっぽれ」

6日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

今日はライブのため、16時閉店

今日は千葉から大分の耶馬渓(やばけい)に移住して、家族4人で田舎暮らしを
しながら音楽活動をしている「平魚泳」さんたちのライブ。
中津市にある耶馬渓は風光明媚な山紫水明どころで、頼山陽が命名したことで知られる。
ぼくらが小学校の時は、別府と耶馬渓がセットだった。

北九州は、騎馬戦のことを「川中島」といった。声に自信のある先生が頼山陽の「川中島」
を吟ずるところから始まる。あの有名な♪鞭聲粛粛(べんせいしゅくしゅく)夜河を過る・・・
赤白別れて、信玄と謙信にみたて、
「♪いざ このたびは、謙信と・・」「♪いざこのたびは、信玄と・・・」とかいって
相撲のしきりのように、声をあげていく。小学生たちもだんだん体中が熱くなって赤みが増してくる。
そしてピストルがバーンとなり、総当たり。

最後は大将どうしで一期打ち。なぜ北九州で「川中島?」はなぞのまま。
壇ノ浦も近いし、田原坂も近いのに?耶馬渓が修学旅行に入っていたくらいなので、
その当時の教育委員会のえらいさんに熱烈な頼ファンがいたんだろうね。

耶馬渓には「青の洞門」がある。ここは子供の教育には大事な場所やね。
菊池寛の『恩讐の彼方に』のモデルとなった有名なとこ。かつては難所で遭難者が絶えなかったとこを、江戸時代の僧・禅海和尚は蚤と槌だけを使って岩壁を掘り、30年間もくもくと掘り続け貫通させた。円空彫りではないけど、その時の蚤の後がくっきり残っている。

九州にいったら、温泉だけでなく、ぜひ耶馬渓にいってね。「ここヤバイっす」よとなるでしょう。
耶馬渓には「豆岳珈琲」があります。ここのオープンエアーなテーブルで珈琲を飲むと、座禅
しているような気分になる。平魚泳さんたちも、ときどきそこでライブをする。
感度のいいアーティストたちが移住して、街がいい感じに醸しだされている。
「土地の人とよそ者の交流の場」として、「カフェ」の役割は大きい。集会所や
寺子屋が機能していない今はとくに大事なような気がする。

ひとむかし前、団塊世代が引退して田舎暮らしをしたりすることを「ロハス」
とかいっていた。なんか結局マスコミがでっちあげたマーケティング?で
あまりムーブメントにならなかった。最近は確実に若い世代の人たちが
「田舎暮らし」にシフトしているようだ。二か所暮らし、三か所暮らしも
これからの風になるのではなかろうか?
平魚泳さんたちの音楽も、耶馬渓の地を耕し、自分たちの暮らしをつくり、
育んでいくような「あたたたかさ」みたいなものがある。

外国ではそんな人たちのことを@カントリージェントルマンと呼ぶらしい。
時々は田舎の空気を吸ったり、田んぼや畑仕事や梅仕事をするような
ことはカッコイイことではなかろうか?自給自足率もあがるし、健康で持続可能
な暮らしができる人が増えれば、介護や医療費の削減にもなるし、
なんといっても、元気なじいちゃんばあちゃんがいる風景は素敵ではありませんか。

そんなこともあって、今日そんなライブをやる。
能登の志賀町も耶馬渓に負けないくらいの里山里海の風景に恵まれている。
役所の人たちも移住者に親切で、アポなしでいっても、笑顔で家族のようなフンイキ。
志賀町に移り住む人のことを、そのうち@志賀んとりーじぇんとるまん、と呼ぶかもなんばん。
志賀町のユルキャラ「あかりちゃん」は、日本で一番古い木造灯台。北前船の時代から
航海中の大事な役割を果たしてきた。港も交流の場。そしてお祭りが盛んなとこでもある。
「いいカフェ」「いい役所」「いい祭り」・・・移りすむ時の羅針盤でもある。

書の会

今日は書の会。墨田に「墨だ!筆で字を書くぞ」よろしく、文人墨客が集う。
みんな「平成の次の時代の文人」だ。

天真庵の天井に「炭八」という和紙に「炭八」とロゴってある座布団のようなモノがぶら下がっている。
今日のメンバーのひとりがデザインをしたもので、大ヒットしている商品。
昔から「炭」はお寺の敷地の下に埋めて、癒地にしたり、水を浄化するのに使ったり、してきた。
部屋に炭八をおくと、湿気を調整してくれ、ダニなどが生息しにくくなり、アトピーとか喘息
などの現代病の予防環境をつくってくれるみたいだ。天真庵のピアノの上にも一個。ピアノも湿度をきらう。
「音」がクリアーになるのは、クリアできる。半永久的に使えて、1500円以下、というのもうれしい。

炭八の社長は島根に住んでいる。もちろん会社もそっち。時々上京した時によってくれたりする。
彼はこの商品をつくる段階で、大学と協力して実験をしたり、実際にアパートをたて、そこに「炭八」をいれ、
実際にアトピーで苦しむ人を住まわせたりしながら、試行錯誤しながらやってきた。
能登にもその途中でできた「炭八ベッド」が置いてある。「能登の炭小屋」ができたら、そこに置いて
みようと思う。「自足加能、持続可能な生活」にかかせない商品ではなかろうか?
コンポストトイレ、風力発電、炭八、炭火珈琲、火鉢・・・

そんなわけで、今日は「書の会」

明日は「おんなかっぽれ」

28日(金) 平魚泳とコペコペカナオの一家で里帰りツアー

演奏:平魚泳(唄・笛・ウクレレなど)・コペコペカナオ(唄・ウクレレ・タイコなど)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

6日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

卵かけごはん と 論語の会

東京は朝から雨。
今週は秋晴れはお預けらしい。

8時から10時までは卵かけごはん。夜は「順受の会」(論語の会)

昨日は「カラスマ料理人」くんが別々に蕎麦を手繰りにきた。
能登の「あおりいか」あたりの話をしたら、あおりいかみたいに目が輝いている。
ふたりとも、弟子はなく、ひとりでお店の厨房を切り盛りしているので、2号店を
能登に出す、もしくは移住する、という決断はしかねている様子。
でも一度足を踏み入れ、食材と環境にふれると、軸足が動くかもなんばん。
彼らと「大人の隠れ小屋」の話で盛り上がった。

「水道も、ガスも電気もなくても生活できるKOYA」

母家のほうはだいぶ整ってきた。やぶれかぶれになった障子を先週修理。
障子を通しての自然光の間接照明は、日本人の宝である。畳に座る文化は、世界に誇る日本の文化。
毎日小便をし、その何倍かの水を流す、大便をし、それのまた何倍かの
水を流す。なんの抵抗もなくそんな暮らしをしているけど、あいつぐ災害でライフラインが
いつどこでとまるかが、予測不可能な時代になった。東京に直下型地震がくる日。みんなトイレはどうする?
食べるもの、でるもの、どちらもパニックやね。

コンポストトイレが完成した。ダイドコで生ごみを肥料にするのをコンポストという。
それを排泄物も同様に発酵させるものをコンポストトイレという。
自分たちの排泄物を、おがくず、もみがら、枯葉などで発酵させ、土に戻し、それを田畑に入れ
野菜をつくる。循環型の手本であり、持続可能な営み、の見本みたいなものができた。
水も電気も使わない。経費節約、環境、イザという時に威力を発揮する。
畑はトイレの隣にあるので、来月はいよいよ畑に鍬を入れることになる。鍬をもってワクワク。

もうひとつ小屋があり、その後ろにも畑がある。
その小屋は、駐車場と農具入れとして使っていたらしい。
もちろん、電気もガスも水道もひいていない。まさに、The Koya。

そこにもうひとつコンポストトイレを置き、手水器でもおいて、手を洗った水を
畑に戻す、というのはどうだろう。一石二鳥。
ガスは使わず、七輪や炭で暖をとる。珈琲党なら、炭火焙煎をする。
出来上がった豆で珈琲を入れ、里山の四季を眺めながら一服。平成の次の時代の「新文人趣味」?
水は、近くに「名水百選」に選ばれた場所があるので、毎日汲みにいけばよい。
さて、電気。風が強いところなので、風力発電を使えば、小屋の灯り、コンポストトイレのあたため、
くらいは余裕ではなかろうか。あと五右衛門風呂があれば、天守閣みたいな小屋ができる。
ごはんや調理やお茶(珈琲)は、ポータブルのガスコンロでできる。コペルニクス的な小屋。
ひと昔前はどこでもそんな暮らしをしてきた。そこまでもどせば、今よりずっと「持続可能な暮らし」
ができるのではなかろうか。

明日は「書の会」

今週金曜日のライブの平魚泳くん家族も、大分の耶馬渓でそんな持続可能な暮らしをしている。

28日(金) 平魚泳とコペコペカナオの一家で里帰りツアー

演奏:平魚泳(唄・笛・ウクレレなど)・コペコペカナオ(唄・ウクレレ・タイコなど)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

6日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

平魚泳

28日(金) 平魚泳とコペコペカナオの一家で里帰りツアー

演奏:平魚泳(唄・笛・ウクレレなど)・コペコペカナオ(唄・ウクレレ・タイコなど)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

この夏は、九州と東京をなんどとなく往復した。飛行機は苦手なので、急ぐ
ときは品川から新幹線で小倉にいく。今は4時間半ちょっとでいく。宗像はそれから40分くらい。
なんといっても、小倉駅のホームの「立ち食いうどん」が食べれるのがいい。
帰りは、安心院(あじむ)ワインとか都農ワインを飲みながら、本を読み、帰るのが最高。

車で帰る時は、大阪泉大津からフェリーで帰る。夕方5時半に出発。(翌朝6時に門司港)
海を眺めながら酒を飲む幸せは、筆舌を超越する至福の時間。露天風呂もついていて、天気のいいとき
は海と星空にサンドイッチされた気分になる。生きているのか、死んでいるのか、そんなことどうでもいい。
裸ひとつで居る、営みを超えたような居場所が手に入る。

運がよければ、「船上ライブ」を楽しむこともできる。そこで30分のライブをやると、
そのアーティストは片道キップを手にすることができる。
6月にいった時、ウクレレのライブをやった。それが「平泳魚」さん。
楽しいライブの後、CDを買った。話をしていて、彼が千葉から大分の耶馬渓(やばけい)
に移住したことを知る。そこは、頼山陽がつけた地名であり、大好きな「豆岳珈琲」があるとこ。
天真庵の常連のTくんも移住し、りっぱな「田舎暮らし人」になっている。
平魚泳さんも、移住したてのころは、Tくんの家の隣のととろだった、という偶然にもびっくり。

そんな不思議な縁で、来週「里帰りツアー」をやることになった。
都会から田舎に移住し、新しい「居場所」を見つけた人たちに共通する「何か」
が彼らの「いとなみ」の中にある。歌や演奏や彼らの所作にも、そんな曼荼羅のような
宇宙観があって、いい。大地に寄り添いながら、人間らしく生きる。
「都会か田舎か」  そんな選択を頭の中で考えていると、あっという間に人生がおわる。
「都会も好き 田舎も好き」でいいではないか。
人はみな現象世界に生まれ、ひとしごとして実相世界に帰っていく。そしてまた生まれかわり、
この世とあの世を往復する。今いる場所と帰る場所も、同じように考えると、ずいぶん
気が楽になる。いろんな場所で、いろんな出会いがあり、別れがあり、それも繰り返し
ながら生きていく。その瞬間瞬間の刹那の中に「居」がある。

秋の光  ボサノバのライブのため 16時閉店

今日は、そんなコンサート。
来週も大分に移住した平魚泳さんたちのライブ。

ときどき天真庵でライブをやってくれる赤須翔くんというギタリストがいる。
伊那谷と東京の「二股暮らし」をいている。近くのシャアハウスに住みはじめたころ
「あこがれの東京の別荘が手にはいりました」という言葉にビットがたち、
「東京の別荘」という詩を書いてプレゼントしたら、すぐに彼が作曲をして、
持ち歌のひとつになった。ライブの時には必ず歌っているらしい。
「二か所三か所暮らし」というのが、少しはやり始めた感がある。
田舎のほうにいくと、「空き家」が大問題になっている。秋やで。
もっとまじめに「住む」を考える時を迎えているような気がする。

そんな翔くんが、ギターのお弟子さまを連れて、昨日は二階で練習をしたあと、
「蕎麦屋酒」という新企画のイベントをやってくれた。
みんな女子。どこのイベントにいっても女子が元気だ。
美々津のグループホームにおばをお見舞いにいった時、女性が9割くらいやった。
元気で長生きできれば、男子はみな「もてる?」かもなんばん。
ただし、「間」の悪い男子、てめえ勝手な男子は、死ぬまでもてない、らしい。気をつけよう。

22日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

28日(金) 平魚泳とコペコペカナオの一家で里帰りツアー

演奏:平魚泳(唄・笛・ウクレレなど)・コペコペカナオ(唄・ウクレレ・タイコなど)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

青い目をしたいかさん

二か月ぶりに能登にいった。
わずか二日だけだったけど、すっかり能登は秋めいてきた。
まだテレビも音源もない。夜は縁側に座り、満天の星を眺め、虫のすだく音を
BGMにして、能登の地酒「竹葉」を飲む。さかなは、「どんたく」という地元のスーパーで
調達したタイをさばき、さしみとお吸い物を作り、冷ややっこ。風の音、潮騒、虫のすだく音、星空
・・・・これらは、みんな「命」と繋がっている、と体感。

二合ばかり飲んでいたら、隣のおばちゃんが「珈琲豆のおかえし」といって、笊に「あおりいか」
を5尾のせてもってきてくれた。かなりお徳をした感のある「原始的ぶつぶつ交換」。
足が動いていて、目が外人さんみたいに青い。
さっそくまた台所でさばき、さしみに・・それでもう二合飲んだ。月がでる薄明かりの下で釣ったらしい。

あおりいかは、墨が多く、内臓が少ないので、あまり塩辛には向いてなさそうだ。
次の日の朝は、みみと足をさっと湯通しして、たまねぎ(これもおばちゃんの畑でとれたん)をきざみ、
そばのかえしに、へべ酢をいれたドレッシングでサラダにした。あおりいかは二日目、三日目が
さしみの味が、よりうまくなる。その夜の宴も、あおりいかが舞い踊る竜宮所状態だった。

帰る日の朝、海まで散歩をしていると、自転車に長い竿をもったおじいちゃんとすれ違った。
「たことり名人」だっとすぐにわかった。「もう少し寒くならないとだめだ」みたいな能登弁で
笑っていた。「ぼくを弟子にしてください」と冗談でいったら「いいよ」といって屈託なく笑っている。

昨日のダメ中は、能登の畑で調達したほくほくのジャガイモで「ポテサラ」を作り、美々津のじゃこと
にんじんでサラダをつくり、隠し味に「へべ酢」。ひさしぶりに「夜這いそば」をつくった。
材料は、切り干し大根、もやし、昆布、椎茸なんかを「かえし」の味で鍋にし、それに、そばを投じる。
山陰では「夜這い鍋」というらしい。それと長野の「とうじ蕎麦」をあわせたようなもんやね。
ひさしぶりにきたさっちゃんも、べっぴんさんになり、おおいに盛り上がった。

今日の夜は常連さんの予約が入っている。
「そば」が家にあると、いろいろな「楽食」が楽しめる。感謝。

22日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

28日(金) 平魚泳とコペコペカナオの一家で里帰りツアー

演奏:平魚泳(唄・笛・ウクレレなど)・コペコペカナオ(唄・ウクレレ・タイコなど)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

ルーツをめぐる旅

父の納骨に延岡にいく。
五ヶ瀬川の川端の小さなお寺にいき、納骨をすませた。
幼きころ、この寺にお参りするとき、川辺の石がめずらしくて、いっぱい
拾ってポケットに入れ、ズボンが落ちそうになった、という話を何度となく母にきいた。

そのころ、まだ生まれてなく、ぼくが小学校のころ生まれたかわいらしい男の子が今の住職。
はなたれ小僧が立派な住職になった。彼は上洛して佛教大学で学ぶ。京都の話で盛り上がった。

その夜、涙雨のような中、ひとりで酒場にいく。あまりに寂しいので、お弟子さま(延岡でそばやを準備中)
に電話。「七万石」という老舗の居酒屋で剣菱を飲みながら待つ。3年ぶりにあっておおいに盛り上がり、
近くのバーへ梯子。健さんの映画にでてくる倍賞千恵子のような「こんな場所にありえないでしょう」という
美人のママがいて、またおおいに盛り上がる。彼女が最後につくってくれたウォッカのカクテルに、
不思議な柑橘がのっていた。スダチでもカボスでもない。「これは?」と尋ねると、「へべす」
と微笑みながらいう。日向の黒木平兵衛さんが発見して接ぎ木をし、つくったものらしい。平兵衛酢から命名。

ウォッカベースのカクテルで「神風」というのがある。
日向、美々津は神武天皇が船出した港として知られる。
ジンをベースにし、へべすをのせ、「ジンム」というのはどうだろう?そんなバカな話を談論風発していると
日付が変わった。

次の日は美々津の親戚の家にいく。幼きころ石並川で水泳や釣りやえびをとった記憶がよみがえる。
今はなきおじは養蜂とそばの製麺をやっていた。おばは96になり、近くのグループホームにいてお見舞いにいく。
耳が遠いのだが、体は元気。ホワイトボードで筆談。「ひさしぶりです」とかくと、にっこり笑ってお辞儀。
「おばさんのそばがうまかった」とかくと、「ようけ食べてくれたねえ」とはっきりと答えてくれた。
おばさんの蕎麦は、近くの畑で作られていて、汁は日向の椎茸がきいて美味かった。夏はそれに柑橘を
浮かべていたのを思い出した。「そうか、あれが平兵衛酢や」と半世紀前の記憶がよみがえった。

今日まで休み。午後は「蕎麦打ち教室」 夜は「ダメ中」 ダメ中は「土産にもらった平衛衛酢をつかった蕎麦」
ぼくの「かわたれどきの原点」のようなそば。

能登休み

明日から20日(木)まで、能登休み。(20日は、蕎麦打ち教室&ダメ中)
と、HPに記してある。でもこの2か月は
その間ずっと九州にいた。
今回の休みも、福岡の実家と延岡を報復することになる。

天孫降臨の高千穂から、五ヶ瀬川を下っていくと延岡にたどり、日向灘に
いたる。間違いなく「神の道」であり、「日の国に向かう」で日向となずけられた。
そこから神たちは、伊勢にいき、奈良をつくり、上洛して京都をつくった、といわれている。

日之影線という電車が昔、その川沿いにあった。日之影という駅には、温泉があり、そこに入って
電車(廃線になった後、その電車を改装して宿にしている)に泊まる、という最高の旅がある。
大阪からフェリーにのって、志布志にいき、そこから延岡にいって墓参りをし、日之影まで
いく、ということを時々やる。移住の最有力候補だった。
駅がなくった今も、四季はめぐり、折々の花が咲き、鳥がうたう桃源郷だ。

日向の近くに「美々津」という土地がある。読んで字のごとく「美しい美しい津(海)」
そこにおじきが養蜂をやっていて生前養蜂組合の組合長をやっていた。
子どものころ、北九州の都会っこだった自分を、そのおじきは、川で泳がせたり、養蜂の手伝いで
川辺の花畑でいろいろしこんでくれた。なぜだかそのころ製麺所も営んでいて、仕事を終えた夕方
「蕎麦を手繰る」こともそこで学んだ。今回、ひさしぶりにそこに従弟をたずねる約束をした。
半世紀ぶりに、じっくりと美々津や耳川を堪能してみたいと思っている。

22日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

28日(金) 平魚泳とコペコペカナオの一家で里帰りツアー

演奏:平魚泳(唄・笛・ウクレレなど)・コペコペカナオ(唄・ウクレレ・タイコなど)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)