ダメ中の時に、「中国のトイレ」の話になった。
プーアル茶を、不思議な縁で扱っていた時代があった。ある友人が
それを中心に営んでいた。少し経営がきつくなり、倉庫が借りれなく
なった、というので、池袋の天真庵の「押し入れ」を倉庫代わりにただで貸した。
そのままその社長がお茶を残して消えた。プーアル茶は土中発酵させ、古いほど価値がある。
でもそのまま家の中にほっとくわけにもいかないので、パッケージなどをデザインして売り始めた。
それが好評で、在庫がなくなりかけた。ITの仕事をしていたので、お茶のルートなど知るよしもない。
当時、半導体の買い付けによく香港にいっていた。そのついでで、お茶のルートを開拓。
中国本土にも足を入れた。
それが「茶」の始まりかどうかわからないけど、南條先生の「寒山拾得」の展覧会もやることになり、
蘇州の「寒山寺」にもいった。蘇州夜曲の里であり、寒山拾得の里でもあるので、日本人の「こころのふるさと」
みたいなところだ。でもそのころの中国の「トイレ」は、簡素?そのものやった。
寒山拾得は、禅の革命児?みたいなもんやけど、茶掛(お茶席の掛け軸)によく登場する。
「知足」(足ることを知る)ということと、筆をもって絵や詩を書いたり、箒で掃除をしたり、料理を
したり「生活の中すべてに、禅を学べるものがある」ということだろう。
だから能登の「寒山拾得美術館」も、ただボーと絵や器を見るようなところではなく、箒や鍬を
もったり、自分でそばや鮨をにぎったり、魚をつったり、梅仕事をしたり・・・そんな「道場」
みたいなところになる。(そんなこというと誰もこないかも・・でも来週すでに梅林ガールたちがやってくる)
昨日はヨガ。かすみちゃんが台湾に一人旅にいった。トイレが日本よりもきれいだった、とのこと。
台北のコンピュータショーにもよくいったけど、日本よりきれいだとはその当時は思わなかった。
能登の「寒山拾得美術館」は、義経の舟隠し、や松本清張先生の「ゼロの焦点」の舞台になったヤセの断崖
のすぐ近く。下水道がきていないので、合併浄化槽をつけ、水洗トイレにしようとこころみた。
業者さんに見積もりを出したら250万くらいかかるという。町から少し助成金がでる。
でもせっかくなので思い切り「未来のトイレ」をと思い、つくる浄化槽は風呂や台所などの水を処理し、
トイレは「コンポストトイレ」にして、災害やライフラインが破壊された時でも大丈夫なようにしてみよう、
ということになり、アメリカのコンポストトイレ(30万)を頼んで、能登の業者さんのところへ、先週おくったところだ。
トイレまわりに乗用車一台分くらいかかるけど、都会では忘れられた「循環型で、持続可能な生活」のためなら安い買い物だと思う。
家には畑もあるので、おがくずやもみ殻で、有機物になった排泄ぶつは、循環して野菜たちのの肥料になる。
いろいろ調べてみたら、「トイレ」も進化していて、おもしろい。
大阪で地震があった。都会でライフラインが止まったら、「トイレ」のことは考えておく必要がある。
人間は「食う臓器」ではないけど、命を紡いでいくために口から食べ物を入れ、嚥下し胃や腸に
いき、大腸から排泄する。死もそうだけど、命の根源的なものに蓋をされたような都会の生活。
森山直太朗さんの名曲のひとつに「うんこ」がある。
♪さっきまで体にあったものが、でた瞬間かんから嫌われる やっぱりおまえはうんこ そんな詩である。さすが・・・
人間の根源的なものが、ウンコには内包されている。今の日本では、いつどこで大きな地震がくるやもわからない。
そろそろ、トイレでしゃがみながら、そんな「哲」をすることも一考である。ウーンとうなるか?悟るか?
ヨガや座禅というのは、脱糞と同じような境地にいたる、と思いませんかフフフー・・(陽水・夢の中へ 風?)
友達にメールをする時、「BGMは佐野元春の「約束の橋」」なんておしゃれだけど、「BGMは森山直太朗の「うんこ」」
というのは、恋愛ウンを落とすかもなんばん・・
日曜日なので16時閉店。それからは「蕎麦打ち道場」
今日はまーくんの「満つまめの会」 ぼくが50肩に悩んでいる時に出会い、天真庵の二階で
いろいろな人たちを助けてきた。もう一歩先を目指しているらしく、今日で一応、おしまいになった。
これからたぶん、もっと多くの人たちを救ってくれるに違いない。天恩感謝。