からあげを、佃煮にする

昨日は朝から、寿司屋のように魚をさばいたり、煮たりからあげにしたりした。
金曜日は休み明けなので、普段より「そば」と「焙煎」とか、時間に追われる日。
でもコールマンのクーラーボックスには、あじとこのしろと、ハチメの小魚(からあげ)たちが
ぎっしりつまっている。せっかく能登から上京してきたのだから、浅草くらいつれて
いきたいところだが、歳月人を待たず、時間との勝負になる。

朝から「からあげ」をからあげにするのは、なんとなく違う感じがしたので、
甘汁に酒を加えて、「佃煮」にした。あじは「開き」にして干す。
いつも留守中に、大家さんに留守番を頼むので、6尾をおろして、さしみにした。
このしろは、すしやの仕込み同様、塩で〆て、酢洗いをした後、ひたひたの酢につける。
その塩梅がすしやの技。九州でも能登でも、ほかにうまい魚がいっぱいあるので、あまり食べないけど、
江戸前の鮨職人は、その雑魚をスターにした。鮨のために生まれてきたような魚だ。

金曜日はお茶の先輩が自宅から季節の花をもってきてくれる。今は半夏生(はんげしょう)が
おしろいのように、半分化粧をしているような風情で咲く。その様子から、そんな名前がついたのだろう。
「田舎ものの厚化粧」というけど、やはり化粧は、ほどほどかすっぴんがいい。

先輩はいつも文膳(そばやの昼酒セット)「からあげのつくだに」が気にいられて、
普段より一本多く飲まれた。帰りにお返しに「このしろ」を。
こんな「原始的なぶつぶつ交換」が、これからの時代には、いいね。

こども連れのおかあさんが「潮干狩りにいってきた」といって、お裾分けに・・・
アイスクリンを食べる子供の前に「からあげのてんぷら」を、久保さんの志野の
小鉢にいれだすと、「うまい!」と叫ぶ。ぶつぶつ交換に魚をおすそわけして
「こんばんは、かあちゃんに一本つけてもらいな」というと、かあちゃんの背中が
笑っていた。海にいくと切り身の魚がいる、なんていうような子供を育ててはいけない。
この国は、山が豊かで、そのおかげで海の魚がおいしい、のだ。
小さい子供は、魚釣りを教えたほうがいい。釣りがうまくなると、「おか釣り」も
名人になり、引きこもりや生涯童貞なんていうことはなくなるに違いない。

茨木で無農薬の「大豆」のトラストをやっている友人が「おすそわけ」
といって、青大豆でつくった豆腐をもってこられた。またまた原始的ぶつぶつ交換が・・

こんな不思議なことが、天真庵では日常茶飯事。ずっと東京にいると、「優先順序」
がきまっていて、「お金になること」に縛られるけど、田舎と往復するようになって、
「自然とふれあうリズム」と「今しなくてはいけないこと」のバランスがようくなってきた
ように思う。今月は希望者には「能登で梅仕事」も募集している。
「ロハス」とか「スローライフ」とかいう、都会で見る妄想のような夢と、現実は、
その人の感じ方によって、「こんなもんだ」というレベルが、雲泥の開きがあると
思う。でもその「それぞれ」が人生になっていく。

夕方残りの「からあげ」を、本家どりよろしく「からあげ」にしていたら、友達がきた。昨年はいっしょに能登で梅仕事をした。
「ほぼぶらじる」を所望されたので、久保さんの白いコーヒーカップに入れて供す。小鉢に「からあげ」。
彼は障害者を一般社会にふれさすような団体の理事もやっていて、「田植えをしている障害者(
実に、この世は障害者だらけ。自分もかなりクレイジーな障害者だし、まじめな顔してテレビやラジオや
新聞にでているような人も、神の目線からいうと障害者だと思う。ゆえに、みんな仲間であり家族なんちゃう)の
写真を見せてくれた。自然の中に溶け込んだ笑顔がすばらしい。
珈琲が残っているのに、「お酒ちょうだい」となって、ふたりで障害者の話、田んぼの話などをした。

昨日思ったのだが、都会で準備できる「田舎暮らし」に、一番が「蕎麦打ち」。
その次が「魚を自分でさばく」がくるのではなかろうか?
すると、おか・・はともかく、釣りにも興味がわいてきたり、料理にも触手がのびる・・・
少し包丁なんかに「こだわり」ができると、包丁の刃と男(女も)も磨かれてくるかもなんばん。

今日は「満つまめの会」 都会も田舎も関係なく「健康」が一番。