昨日は掃除 今日は荘子か?

どげんこげん、ゆうちゃってくさ、道元さんは偉い。
掃除・洗濯・土を耕す・料理をする・くそをする・・・日常生活の中のすべてが、わたくしたちの修行です、
と説いた。「典座教訓」は、世界的にも稀有なご本だと思う。

昨日は順受の会。わかりやすく「論語の会」といっている。今年は「荘子」を勉強中。
昨日は近くでシェアハウスを営む、ぼくのお茶のお弟子さまが初参加。もうひとりお茶のお弟子さま
が参加する予定だったけど、ポカして欠席。23年もたって、平均年齢が後期高齢者までいまかないけど、
古希に近づいてきた。少し若い人が参加するのは、とてもいいことだ。

京都に淡交社というお茶専門みたいな会社がある。天真庵の一階の本棚にもあまた並んでいる。
「淡交」というのは、荘子の言葉。「君子の交わりは淡きこと水の如く 、 小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し 」
あっさり一期一会みたいなお付き合いがいいよ、といわれた。「醴」は甘酒のようなもの。甘いのはいいけど、
ベタベタするのはアカンよ、ということか。

話はずれるけど、最近、「あま酒」がブームらしい。ご近所に住む、珈琲のお弟子様がときどき
もってきてくれる。ヨーグルトメーカーでつくるらしい。左党なので、お酒の入っていない甘酒を、
酒と呼ぶのもやめて主義みたいなところがあったけど、彼女のつくったものを飲むようになって人生観がかわった。
先日は玄米でつくった甘酒をごちそうになった。今は毎日、味噌作りに麹を使っているけど、これが終わったら
甘酒もつくってみたくなった。

今日は「書の会」
大塚江戸一で知り合った貞本さんがやってくる。論語・荘子・書・花・茶・・・みんな根っこがつながっている。

水曜日は「おんなかっぽれ」と味噌つくり 木曜日は「おとこかっぽれ」と味噌作り

週末は3月。はやいね。

3月2日(金)は、「春画の朗読会」 19時から 3000円。(蕎麦会つき・飲み物ワンドリンク付き)

3日(土) ゆく冬くる春~4山本ひかりのボサノバとオリジナルソング~

演奏:山本ひかり (唄・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

31日(土) 上原英里シャンソンライブ

演奏:上原英里 (唄・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

今日は「論語の会」

昨日は「蕎麦打ち教室」と「味噌つくり」を夕方からやった。
約四半世紀も付き合いのある友人が作務衣をきて初挑戦。
「お、拾得(じゅっとく)が憑依しているね」というと、照れくさそうに
笑っている。

彼とは本日の「論語の会」の縁で知り合った。23年目になるので、四半世紀に近い。
曹洞宗の座禅も20年やっておられる。ぼくも若いころ総持寺に座禅に通い詰めた時期がある。
来月は「もと総持寺」にいって座禅をしようと思ったりしている。もともと総持寺は能登に
あった。大火があり、今の鶴見にうつった。

曹洞宗の道元禅師の本に「典座教訓」というのがある。典座(てんぞ)というのは、お寺のまかないを
やる人で、畑の野菜と忖度(そんたく・本来はこういう意味で使う。政治用語ではない)しながら、献立を
つくる。その努力を精進といい、精進料理が寺のまかないになった。
おそばももともと、「寺方蕎麦」といい、精進料理に起源がある。そのころは、大豆のゆで汁に醤油を
いれて、汁にしていたらしい。だから二月の天真庵は、毎日大豆をゆでているので、さながら押上の「寺方そば」だ。
自然農で育った青大豆のゆで汁は、見知らぬ星のお店でもだせない味。

寒山拾得(かんざんじゅっとく)の「拾得」は、箒をもっている。「作務」をしながら、典座の修行をされている姿なのだ。
オールドフレンドは努めていた会社を退職され、今はマンションの管理人の仕事をしている。毎日掃除をしたり、
ゴミ出しをする。マンションの住民は、素知らぬ顔して、拾得のような彼を見て見ぬふりして会社にいったり、
幼稚園生をつれておかあさんが忙しそうにチャリンコででかけたりするらしい。
毎日が単純な作業だけど、いろいろ工夫をしたりしていると、「おもしろさ」や「奥深さ」の発見があるそうだ。
そして、知らぬぞんぜぬの住民たちに、積極的に「おはようございます」と笑顔で接していくと、3か月もすると、
箒をもっている後姿に元気な「おはようございます」がなげかけられたりするそうだ。和顔施(わがんせ)、そのものだ。
今のスマホ人や、隣は何をするひとぞ・・・の都会では大事なことかも。
そんな話を味噌つくりをしながら幸せそうに話している。お寺で修行しなくても、在野に学びの場があり、毎日が修行の場なのだと教えてもらった。

先週古本屋で見つけたある中学校の俳句集にこんなのがあった。

ぼくたちも 寒山拾得 落ち葉掃く

今日はこれから「卵かけごはん」。夜は「論語の会」(順受の会、という)
まーくんの「満つまめの会」も二階である。

日曜日は蕎麦打ち教室

今日でオリンピックも閉会。
毎日、近くの新聞屋さんに新聞をもらいにいく。
手前味噌を、仕込んだ容器をその日の新聞で包む。そうすると一年くらい寝かせて
味噌を開ける時、あ、あの時は高木さんが金とった日だった、ということになる。
容器の中の菌にも金メダルをあげたくなるに違いない。

昨日はみなちゃんが初めて味噌作りに挑戦した。かみさんの弟の嫁さん、
で3人の母。ぼくにとっては、甥っ子姪っ子のおかんにあたる。
これから先が長い世代に、命の元、飲む点滴の味噌汁の元、を伝授したのは意義深い気がした。
毎年正月には、彼女たちと「手前鮨大会」をやるのが、事始め。来年はその日に、「味噌開き」もいっしょに
やろうかしらん。

今日は日曜日なので、味噌作りのほかに「蕎麦打ち教室」がある。
毎月第一日曜日は、「蕎麦打ち教室」の後に同じメンバーで「手前鮨をにぎる会」をやっている。
最近、そこから参加したい、という希望者も多くなってきた。
これは島原や能登でもやっていて、全国に広がる「庶民運動」になっていきそうな気がする。勝手にそんな気
がしている。「島原の鮨学校」とか「能登里海のすし大学」なんてどうだろう。
いつも冗談をいっていると、それが具現化していくので、少しこわい気がする。ワクワクするけど・・

明日は月曜日。月曜日の朝は「卵かけごはん」夜は「論語の会」今年から荘子を勉強している。
もう新人はとらない、つもりでいたけど、ぞくぞくと新人女子が参加。オリンピック同様、めどき。
火曜日は「書をしよう会」

2日(金)は、春画の朗読会。
3日(土曜日)は、山本ひかりさんのボサノバの弾き語り。いよいよ「春」の足音が聞こえてきた。

手前味噌を持参する弁当

今日は東京は13度くらいになるらしい。雨水を過ぎて、寒かったり
あたたかくなったりを繰り返しながら、「春」を近くに感じる今日このごろ。
毎年春になると、山本ひかりさんのライブがある。今年のタイトル「ゆく冬くる春」
冬眠から覚めた動物たちが、ふきのとうなんかを食べながら、目や内臓を覚ます、といった感じ
で、春の里山で、ホオジロが「一筆啓上つかまつりそうろう」と鳴くような歌で春を迎えたい。

昨日はベテランの味噌作りママさんが手前味噌をつくりにこられた。かれこれ7年くらいになる。
ひとりは、「娘たちが弁当に、味噌と野菜のスティックをもっていく」とのこと。モデルのようにスレンダーで
きれいなママさんの娘は、きっとモデルのような仕事をしているかもなんばん。
何十回も読む本に、水上勉の「土を喰らう日々」というのがある。福井の寒村で生まれた著者は
9歳で京都の寺に預けられ、老師の身のまわりの世話をする。その時に、典座(てんぞ)よろしく、
精進料理を身につける。売れっ子の作家になり、軽井沢に書斎を移し、畑仕事をしながら、書いた本。
父親が山で仕事をしていて、春になると味噌を弁当に入れ、山菜などを採りながら回想する文を
思い出した。家の台所に「手前味噌」があると、人生が変わってくる。そんな理(ことわり)がわかる本だ。

今日は「満つまめの会」

3日(土) ゆく冬くる春~4山本ひかりのボサノバとオリジナルソング~

演奏:山本ひかり (唄・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

31日(土) 上原英里シャンソンライブ

演奏:上原英里 (唄・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

手前味噌つくりも7割を終えた あと30人

水曜日と木曜日は定休日。
そばを打たないかわりに、そば用の寸胴ふたつまで、味噌つくりに駆り出される。
水曜日が7人、昨日が4人・・・おかげで70人くらいまで、今年の味噌つくりを終え、
それぞれの家にもどっていった。あと31人。それが終われば、能登にいって梅仕事。

水曜日は、岐阜から毎年つくりにくるおねえさまがやってこられた。大家族なので
3口つくられた。味噌の容器も事前におくられてくる。その中に、母堂様の手作りの「おもち」が
入ったりしているのが、うれしい。味噌も、みそ汁も、おもちや、漬物・・・その家族分の味
があっていい。そこの家からは、梅干しや梅酒をつける容器も、いっぱいいただいた。まだ梅仕事を
やりはじめる前なので、母堂様の超能力?みたいなんに恐れ入った。

今日は「ダメ中」の予定だった。そのおねえさまも妹さんが、ダメ中の先生。昨年縁あって
名古屋の蕎麦屋の女将になり、月に一度名古屋から上京して「ダメから始める中国語」の先生を
やってもらっている。なんか論文(そばの歴史・・・まさかね)の締め切りに追われているらしく、
本日の講義は休講にあいなった。ねえさまに土産にもらった名古屋の「しるこサンド?」でも食べながら
ビールを飲もうか?

どの会も月に一度で、「毎月一回は実家に帰って、いっしょにごはん食べよう」みたいなフンイキ。
押上に天真庵を結んで11年。店もお客さんも、同じように10余年年をとり、親の介護などで
いろいろ大変な人が多くなってきた。その後は、自分たちが要介護の年になってくる。
最近は、蕎麦を打ちにお店にいき、自転車をお店の外に出す時、スクワットを20回するのが
日常になった。そばもんは、毎朝「びん棒」という棒を振り回して、蕎麦を打つ。
貧乏でも健康であればなんとかなる。台所には、手前味噌と能登の梅干しと、「うめ星」の糠漬け、が常備されていて、なんの不足もない。
まーくんに教えてもらった呼吸法もスクワットの後に5回。日々是好日。

亀楽

昨日は二十四節気の「雨水」(うすい) 三寒四温の中で雪から雨になり、
少しづつ春を感じる季節。先日の「満つまめの会」では、そんな自然の運行を
一枚のCDに閉じ込めて、人の波動とこころを整えてくれる三輪福さんの新しいCD
を聴きながらやった。

亀有に伝統芸の「亀学」というのがある。三味線や太鼓など和楽器を操りながら、
日本の伝統的な風俗やお囃子、都都逸やジャズなんかに通じる酒脱な音楽。
昨年12月にlunaといっしょに天真庵でライブをやってくれた。抱腹絶倒というか
お祭りで味わう何かが憑依したような世界に包まれる。

昨日は「亀楽」の4代目と世界で唯一のオルゴリン奏者でもある豆奴さん、3代目の夫婦が
蕎麦を手繰りにこられた。

どうもその存在や系図なども「ねつ造」と、本人たちものたまわれている、「亀楽」
しかしながら、人間の根源的な琴線をおおいにふるわせ、こころの底から裸になるような
あの世界は、「ほんもの」といわれながら、ゆるかったり、ニセモノっぽいものが氾濫する昨今、
とても新鮮でここちよいものを感じる。

土産にもらったCDを聴いていると、幼きころ夢中になった山笠や提灯祭りや小倉の祇園太鼓のリズム、
京都のお祭りのお囃子などとともに、自分の人生を旅しながら振り返っているような気分になった。

その中に「げんげの唄(音頭?」なるものがある。富山にいくと、地元の居酒屋なんかに「げんげのてんぷら」
などというメニューがある。富山湾でとれる深海魚で、半魚人?というかヌメーとしていてグロテスクなんだが、
よくよく見ると、慈悲深い、かわいらしい顔をしている。てんぷらにした時の味は最高で、立山のぬる燗などで飲むと、
とまらなくなる。雑魚の中でも「下の下」といわれ、さげすまされた感のある名前だけど、美味なのである。
旅の途中にであったそんなげんげの物語を、4代目が唄にした。

48曲入っているCDにもう一曲印象的な唄がある。「きんたま踊り」
豆奴さんのおばあちゃんが、晩年入院している時に毎日のように、うわごとのように
「きんたま踊り」を口ずさんでいた、という話を聞いた。(ねつ造ではない)
厳粛な家で育ったばあちゃんが、晩年にそのような根源的な言霊を口にするのをヒントに
つくられた古くも新しくもない縄文的な祭事にも通じるような唄がおもしろい。

天真庵では3月2日(金)に、「女声で味わう江戸の艶物語」というライブをやる。
セックスとかエロティックなことが、氾濫し、映像化し、誰もがいつでもネットなどで
見られるようになって、ほんとうの「艶冶な世界」から遠ざかりつつある。
やはり男と女のことは、「ひめごと」で、スパイスのように隠し味程度にするのがよろし。

♪ゆらりゆらり ゆらりきんたまゆらして踊ろ(きんたま踊りのねつ造の唄  そんなニュアンスの楽しい曲) 鎮魂 南九

月曜の朝は卵かけごはん

なんやら、PCの調子が悪くて、パスワードをうけつけない。
シャットダウンして、お店にいこうと思ったらら、やっと立ち上がった。
たぶん、自分ひとりで生活していたら、PCも携帯も持たず、生活するタイプだと思う。
別にそうなっても、何も不自由はない。そんな話をこないだしていたら、若いさっちゃんが
「それはいけません。いくつになってもあきらめず、挑戦してください」と珍しく前向きなことを
いう。来月から「論語の会」に参加するそうだ。♪さっちゃんはね・・・不思議だねさっちゃん。

昨日は7人が味噌作りにこられた。二階でまーくんの「満つまめの会」一階では味噌作りと蕎麦打ち・・・
まさにてんやわんやだったけど、9時過ぎにはなんとか無事に終了。
燕京亭にいって、餃子とビール、紹興酒、五目麺などをいただいて、ひとごごちをととのえた。

今日は亀有から不思議な芸人さんたちがそばを手繰りにこられる。
これから「卵かけごはん」夜は「漢詩を詠む会」

昨日今日と少し寒い。

「半東半島」っていう新しい生き方はどやろう?

今日は日曜日なので、16時まで営業。
二階では「満つまめの会」 下は7人の味噌つくり、かたわらで「蕎麦打ち」という日だ。
なので今朝も5時に起きて、お店にいくと、いの一番に、ストーブをつけ、そこに寸胴をのせ、
大豆を煮る、から始まる。24時間以上水につけた大豆を、低温でゆっくりコトコト煮る。
電子レンジとか圧力鍋などをつかって、時短で料理をつくる時代だけど、ゆっくりコトコト
の中にけっこう大事でオイシクナールという魔法のエキスがつまっている。

3年後に大学が近くにできる、を前に、2年後に近くに電子専門学校もできる。そこの立ち上げの責任者
が昨日挨拶がてら、ほぼぶらじるを飲みにこられた。大阪なまりの流暢な言葉で夢を語られているので、こちらも
京都弁ではんなりとお答えした。少子高齢化で、大学生の数も減るし、大学も減っていかざるを得ない。
それにみな「奨学金」という名のサラキンみたいな借金を背負って、この斜陽で元気のない日本を背負っていかなくてはならない。
「これまでの発想」で生きていっても希望も夢も抱けへん。働き方を変える、いうより、生き方根本を変えんといかんばいね。

大学のほうは千葉大学の建築家の一部ができるらしい。その中で「トレーラハウス」の講義を教える、という
先生も以前珈琲を飲みにやってきた。最近タイニーハウスとかいう、移動式の家も静かなブームらしい。
東京一極集中で、地方にいくと空き家や休耕田や山も荒れ放題・・・といった光景が目につく。
ちょっと前に「半農半X」という生き方を提唱されてる人も遊びにきたけど、「半東半島」という暮らしは
どうやろう。「半分が東京、半分が半島とか田舎くらし」 元気で体が動くうちに、都市と田舎の二股暮らし。
そんな暮らしの実験室をやるような人が増えてきたら、「これからは日本の時代だ」
になるような気がする。うかうかしていると陽が沈んでいく。「よし」といって足を一歩すすめて、田舎に
いってみよう。青い海、希望に満ちた夕陽や美しい棚田、やさしいおじいちゃんおばあちゃんが歓待してくれるに違いない。

明日の朝は「卵かけごはん」  夜は「漢詩を詠む会」

ゆりかごからはかばまで・・・

小さいのは3歳、大きいのは古希過ぎまで、体をこきつかって「手前味噌」を毎日作りにこられる。
まるで「ゆりかごから墓場」まで、飲む点滴の味噌汁の元をつくりにこられる。
もちろん三歳児は親といっしょにこられる。今年は近所の幼稚園の「ママ友」たちが、
あまた参加された。彼女たちは「育児」の話題、とりわけ「食育」には興味深々の様子。
絶版になったけど彼女たちには岡田武彦先生の「ヒトは躾で人になる」をおすすめしたい。
躾とは、しつづけることで、ヒトが人、になって、身ぶり手ぶりが美しくなる。

「古希あたりの人は、断捨離で、自分が大切にした「もの」や「ものがたりを含んだこと」
の整理を真剣に悩む。その前の世代は「親の介護」とか「熟年離婚?」とか「これから、どこで
誰と過ごすか」なんかを悩んでおられる人が多い。昨日の最終のふたりは、そんな世代の人たち。
悩みに答えるわかではないけど、大石学さんのCDをかけた。

「行雲流水」(こううんりゅうすい)
というタイトルのCD。返り点をつけて反対に読むと、「うんこ、水に流す」。
禅語で、自然のなりゆきにまかせ、声なき声を聴きながら、行く雲のように、また流れる水のように、
さらさらと、たださらさらと生きていく、という境地か。
「一所不住」というのもある。「いたるところに青山あり」と同意義な禅語だ。便利な大都会で
暮らし続けようが、山紫水明の里山里海で暮らそうが、どこへいってもそこに「居」して、自分の
立ち位置がきめられる、そんな境涯を現した言葉だ。家族とかまわりの意見を聞いて右往左往しているようだと、
いつまでたっても「居場所がないよ」ということかもなんばん。

今日も味噌つくり。夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」
こころを波たたないような呼吸をする、笑顔でいる、感謝をしながら毎日を生きる。なんの不足もない。日々是好日。

学生街の喫茶店 で味噌つくり

昨日はまいかさんが、味噌作りにやってこられた。
100匹目の猿現象の一匹目の人だ。天真庵で
長いこと「ねんど教室」の先生をやってもらっていた。
8年くらい前のある日、「味噌つくり教えてくれへん」と大阪弁で
のたまわれた。「ええよ」とかみさんが、えせ関西弁で答えて、
「味噌作りキッド?」みたいなんで始めた。それから、口こみ広がっていき
今年100匹を超えた、という源流の一滴にあたる人。

次にきたのはかっぽれ仲間のおじさん。古希を迎えられたので、「い」をいれたほうが
いいような二人。足元をじっと見ていたら「どげ~したと」と九州弁できかれたので
「足がついとるか・・・と確認しとったと」と答えた、ら、笑っておられた。

ちょうどその時、区の人?がアンケート調査にこられた。近くに3年後に大学が誘致されることに
なった。それで「あなたのお店はそれにどう対応しますか?」というようなアンケート。
「別に・・・」というのが正直なところ。ガロの学生街の喫茶店よろしく、ボブデュランをかける
つもりはないし、学生相手の「大盛自由」みたいな「オモネリ」は死んでもいややし、「このままいく」
というようなことを30分くらい話した。でも最近は界隈にコンビニができたり、古い長屋が壊されて
おひとりさま用の賃貸物件や、建売住宅が増えてきたように思う。この辺の魅力が一気呵成に失われつつある。

ちょうどそんなタイミングで酔香のすがちゃんがいぶりがっこを納品しにやってきた。
日本一うまい「いぶりがっこ」は、彼らの親戚筋の人がていねいに畑仕事から仕上げてくれる。
市販されている「薬品つけもの」とは似て非なるものだ。どの世界も「大量生産のニセモノ」と「こつこつ手作りのホンモノ」
に二分される。
すがちゃんも京都の立命館で、ぼくの3つ下。そのころの京都は「街中が、喫茶店」のような街だった。
荒神口にジャズの名店「シャンクレール」があり、御所のまわりにはあまたのジャズ喫茶があって、
大きなJBLのスピーカーが鎮座していた。

そんな話をしていたら、古希のおじいちゃまが、「ぼくのJBLあげよか」とのたまった。
断捨離のひとつだという。「年をとってくると、あげな大きなもん動かすのも大変」だという。
近々とりにいくこととあいなった。
やっぱ「学生街の喫茶店」になるのだろうか?スカイツリーの時も、「できる前に引っ越したい」
と思っていた。東京オリンピック、大学・・・なんだか騒々しくなりそうだ。どこか北国の古民家
でも見つけて、「炬燵カフェ」でもやりたい気分。これから年とったらどうして暮らそう、というのも
問題だけど、この都市、東京の未来もいろいろ心配なこと多し。