酒を毎日のように飲み歩いていたころ、新宿の「ゴリ」と大塚の「串駒」でよく飲んだ。
今おもえば、このふたつのお店は「石川」と深くかかわりのあるお店だ。
新宿の「ゴリ」で、ゴリ仲間と、手取川(石川の地酒)をよく飲んだ。
ゴリは看板に「ゴリラ」の絵がかいてあったので、一般の人は「ゴリラ」の略
だと思っているとおもわれるが、金沢の「ゴリだ」だ。
今は知らないけど、昔の金沢の人は「ぶったい」という不思議な物体(漁具)を
使って、辛抱強く、一寸にもならない小さな魚をとった。
一般的に釣りは「フナではじまり、フナで終わる」という名言があるけど、金沢の太公望さん
は、その前に「ゴリ」で精神を鍛えられる。ごりはうまくで、みんな夢中で食べる。それが「ごり夢中」・・なんちゃって
串駒には「いしり鍋」というのがあり、「いしり醤油」という能登半島の魚醤をつかった伝統料理が看板だった。
大林さんという主人はぼくよりひとつふたつ年配で、熊本出身のひごもっこすだったけど、還暦前に
天国に召された。大塚のジャズの名店グレコにいっしょにいって、バーボンを飲んだ仲でもある。
先日能登にいった時、「金沢のあにき」みたいな人に「ゴリの佃煮」をいただいた。
昨日の一番のお客さまは、先月58歳で召されたお花とお仕覆の先生だった武内由美子さんのご主人。
花とお仕覆の道具をわざわざとりにこられた。彼女と同様福岡県人であり同郷だ。話を聞いていると、
先祖は「倭寇」という海賊らしい。私の実家がある宗像も宗像族という海賊が住み着いた町、漁法や海女の文化を
日本海側に伝えていった人たちである。能登を切り開いていった人たちとも縁があるに違いない。
今年の忘年会あたりは、能登で「いしり鍋」でも囲みながら、能登の美味い地酒で一献・・なんていうのもいいな。
いつも冗談みたいにいっていると現実になるので、おもしろいけど・・感謝。