命短し恋せよおとめ 昨日のブログにも書いたけど、天真庵の10年
の中には、身近で大切な人たちが、何人も召された。はやくもおそくもなく、
人の人生は春夏秋冬を幾たびか重ねた後に、「おわり」がくる。
昨日は国貞雅子が少し涙目でお店に入ってきた。お父様が倒れ、
母親と電話で病状の話をしながら歩いてきたようだ。
「お客さん」との約束がある歌手だとか芸能関係、そのまわりの仕事に
携わる人間の宿命として、家族とお別れの時に、そこに行く、ができない覚悟が必要である。
リハーサルに入ると、いつものように澄んだいい声になった。前半は外国の歌が中心。
後半は、オリジナル曲の「わが胸のふるさと」などを歌う。
身近かな家族と幼きころ過ごした「思い出」などが、静かにつづられた名曲だ。普段でも
それぞれの人の「わが胸のふるさと」の琴線にふれる歌で、染みる。お客さんに背を
向け、ピアノを奏でながら、涙いっぱいで熱唱している姿に泣けた。事情を知らない
お客さんたちの涙腺もゆるんでいて、ハンカチでぬぐう姿が・・・
歌とか芸術は、「その人の人生」がでるな、と痛感。三分ほど時間をいただいて、
「今日はこんなんだったけど、雅子はがんばって歌いました。」と余計な説明をして、
国貞とハグをした。涙が止まらなかった。
「死」があるから、生が生きてくる。
ほんとうに一生って、短い。テレビを見る暇があれば、読書をしたり、鳥や星を見たほうが感動があるし、
スマホ人でゾンビになるんだったら、スナックで酒飲んだほうがいい・・・と、自分は思っている。
あいかわらず、「写真禁止」のライブ。ときどき今でもお客の立場から「なんでや」というささやかな
もめごとが日常茶飯だ。「蕎麦を食べてる私・・・ボリボリ」とかいう露出狂のたまりばにはしたくない
しかし原理原則にしばられすぎるほど、バカでもない。昨日は乳がんが再発してこれなくなった友に
エールを送りたい、という声に、「どうぞ」と、撮影を許可した。泣かせるシーンだ。
なんじゃかんじゃで今年も一年終わろうとしている。いろいろあるけど、「日々是好日」が続く。
来年も戦争などおきずに、平和でありますように・・・
家おもう 人の集まり 大家族