不思議な「宇宙からの落とし物」 今日は16時閉店

普段は時計も身につけない。もちろんピアスとかネックレスとかそんなものを身につけない。
隕石のカケラを星の王子にもらって、元気の「碁まもり」に入れ、ぶらさげて2週間。この間
に出会うもの、再会すること、不思議な夢・・・
満点の星を遊泳するような毎日である。

昨日は名前も何もきまっていない「宇宙からの落とし物」を、土鍋に入れ小豆を炊いてみた。
小豆は水に一晩浸す。少し強めの火で炊き始める。米は♪はじめちょろちょろ中ぱっぱ
だけど、小豆は最初ぱっぱ。沸騰すると水を適宜入れる。これをびっくり水という。
余談だけど、キラキラ商店街の朝市は「びっくら市」といいます。なんかセンスのなさが光った
名前。やはりキラキラなのだ。

話が脱線したけど、アクをとりながらしばらく弱火にして、土鍋の蓋もして煮続ける。途中
お湯が少なくなったら水をたす。小豆がやわらかくなったら、塩を適宜投げ入れる。塩梅、
というのは、その人の感覚。またしばらくして、お湯も小豆色になり、小豆も柔らかく少し皮が
やぶけるような具合になったら、ほぼ小豆と同量の砂糖を入れる。
上手くいくと美味くなり、味見半分くらいなくなってしまうことしばし。
昨日は「宇宙からの落とし物」のおけげもあり、ひさしぶりに半分が胃におさまった。いい塩梅というのもむずかしい。

途中で「文庫ちゃん」がきた。杜氏のような舌をもった変なピアニスト。
久保さんの備前のぐいのみをふたつ用意。ひとつはそのまま。もうひとつに「宇宙からの落とし物」を入れ、
均等に剣菱を入れた。クラシックなめがねの下の目がキラリ、と輝き、「なんですか?すごいですね」ときた。
「ぼくにもよくわからんけど、そうなんや」と答える。
その後甘酒と珈琲で同じ実験をした。元気シールとはまた違った宇宙の曼荼羅世界を逍遥する。

今日は「山本ひかり」さんのボサノバライブがあるので16時閉店。
ライブ予約の方は19時にご来場ください。

30日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演  ¥3,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

ほととぎすが飛んできた

家の小さな庭にほととぎすがいっぱい飛んでいる。鳥ではなく、薄紫色した華憐な花。
一輪を掛花などに投げ入れると、まるで鳥のほととぎすが飛んでいく風情があり、昔から茶人が
茶花に好んだ。

毎週金曜日は茶の先輩が花をもってきてもらう。なき母堂さまが花の先生で庭には季節季節の茶花が
みごとな季語をうたうごとき。先週は秋海棠をもってきてくれた。これもまた茶人好みの花だ。
古人たちは、春さく海棠に似た花と秋の酒を連想した。美しい女性が甘酒や秋の酒にうなじを
ピンク色に染める。まさに秋海棠はそんな艶冶な姿に酩酊したのだろう。酒がすすむ秋だ。

そろそろ「初嵐」の季節。秋から冬にかけ、木枯らし一番が吹くように、白い椿が凛とした空気の中で花を咲かす。
その椿の花を「初嵐」と命名した風流さに感謝したくなる。一昨年、常連さんの庭からいただいた椿(品評会で賞をとった)
を庭に植えた。3枚だけ葉っぱを残し、挿し木みたいに土に植えた。昨年はうんともすんともいわず、でも葉っぱが
緑だったので希望をもっていた。今年の春に新しい葉が3枚増え、秋にまた三枚。いつ咲くのかしらん、とまさに一日千秋の思い。

昨日は「不思議なビー玉」の実験を、仕込みをしながらやっていた。ごはんを久しぶりに一合電気釜で炊いた。
一合だと玉が少し顔を出す。でもできあがりは、つやつやしていて、やはりたっていた。かんずめのズワイをあけ、
卵ふたつ割入れ、ネギを空中切り(そばやはねぎをまな板なしで切る)、甘汁醤油を入れ、ささと油を熱したフライパンに入れ、
かきまぜ、ふわふわの状態で、銀シャリの上にのせる。まさに天真飯。どんぶり飯をかきこむ幸せ。

漬物は実験積み。昨日は甘酒もやってみた。やはり発酵系のものは結果が如実にでる。お酒や珈琲も違う次元に誘ってくれる。
昨日は手前味噌にも玉を投げ入れていた。来週の月曜日は、一味違う「味噌汁」の卵かけごはんになるに違いない。

腸内細菌が大事やで~

まーくんの気功整体「満つまめの会」やら、ヨガやらやっているのもあるけど、
「健康」をテーマにした情報がキャッチしやすい場所にたっている気がする。
「ときめいてキューン」のTQ技術や、隕石パワーも、きっと「自然によりそい、健康で持続可能な世界」
を実現するツールではなかろうか。

最近「腸内細菌のベストバランスが病気にならない体をつくる」(KKろんぐセラーズ 佐々木淳」を読んだ。
目からうろこのことがあまた書かれてあり、めづらしく二度読んだ。オススメの本。
あまり突き詰めると、食べるものが何もなくなるような気がしてくるけど、わたくしたちの命の源流は
口に入れる食べ物。いろいろ真剣に考えさせれれる本だ。

もう15年くらい「土鍋」で米を炊いている。お店では、土鍋で炊いて、炊飯器で保温をしている。
ときどき横着をして炊飯器で炊くけど、「立ち方」が違う。男も米も立ってこそ・・だ。
土鍋で炊く時に、「不思議玉」(まだ名前をつけていない)を入れる。不思議だけど、
炊きあがって土鍋の蓋をとった時の「幸せな香り」が違うし、立ち方が20代のようにピンとたっていて、冷めてからもうまい。
おいしいごはんとお味噌汁と香の物。日本人の命を紡いできた食の中心はその一汁一菜で不足なしではなかろうか。

スカイツリーの麓に「隕石直売所」なる不思議なお店がある。王子とよばれる主人は、奇しくも同郷の宗像。
最近世界遺産になった宗像大社の神域。彼が「隕石をぬかみそに入れると漬物がおいしくなる」というので、天真庵の糠を
差し上げた。そのお礼に隕石をくれた。これをぬかに入れると、ぬか喜びの反対、まったく違うレベルの「ぬか漬け」が
できる。秋なすは嫁にくわすな、ではあるが、ぜひ実験してもらいたい。色も味もみごとで、嫁もよろこぶに違いない。感謝。

本日、不祝儀にて臨時休業

さきほど、そんな張り紙をお店にはった。

昨日は「順受の会」。22年続いている通称「論語の会」。
論語をやる年もあれば、大学や陽明学や易学などをやる年もある。
来年は無為自然な老子をやるらしい。楽しみだ。
煎茶をやっていると、論語よりも老荘思想のほうが、ストンと丹田あたりに落ちることが多い。
「無為」というのは、なにもしない、というわけでなく、自然にふれる、自然体で生きる、
のほうに近い感じがする。

論語の会は「寺子屋」の原型のような会。22年前は渋谷でうぶ声をあげた。公共の会館を借り、
一時間朗々と論語を読み、その後は近くの居酒屋にいき、薩摩白波(先生がかごんま出身)を
飲むながら談論を風発する。みんな若かったので、時には一触即発のようにヒートアップすることしきり。

天真庵でやるようになってすぐに、ぼくが広島達磨にいき蕎麦に修行をしたので、今の形(そば会)
スタイルになり、白波が花(蕎麦焼酎)になり、そば湯割りが日常茶飯(酒)になった。
最近かわったのは、能登梅をつかった「梅ごはん」と香の物が、「隕石ぬか漬け」になった。

星の王子にもらった「隕石」のかけらをぬか床に入れただけだけど、ぬか漬けが3倍うまくなった。
夜は枕の下にひいて寝る。寝相が悪いので、朝まで頭の下にあることは稀有だが、昨日は明け方
に不思議な夢を見て、起きたら頭の下に鎮座していた。睡眠中は潜在意識の世界にいくらしいが、
隕石枕で寝ると、もう少し深い「無意識世界」みたいなところを逍遥する。

時々蕎麦を手繰りにくるヨガの先生が「最近はお寺よりも、車の中で悟る人が多い」という言葉を思い出した。
事故になる直前とか、曲がりカーブでひやっとする時に悟るそうだ。座禅をしていて、後ろに椅子があると
思いもたれかかろうとしたら後ろに倒れそうになった。その瞬間に悟った、という法話のような話。

明け方の夢は、遠賀川くらいの川に舟で遊んでいたら、大きく舟が旋回した。大きなゆらぎと恐怖から、そんな(車の中のような)感じになって
ふっとかたわらの人?に抱き着いった瞬間にはっと目が覚めた。悟りの瞬間を生まれて初めて体感した。

論語の会の前、15年ぶりにIT時代の知り合い社長がそばを手繰りに熊本からこられた。
あった瞬間に、15年前の最後に飲んだ「江戸一」での会話の続きをした。「友の遠方きたるあり。またうれしからずや」
ではないけど、年を重ねるほど、人恋しくなり、酒がますますうまくなる。その友達は糖尿病で酒を断っている、と、
チズケーキを食べながらのたまっておられた。感謝。

明日はお休み

親が緊急で入院したり、自分も寄る年波の荒波にもまれ、
お店を休みにしたりすることも今後増えるかもなんばん。
「健康で持続可能」は、みんなの目標やね。
明日は9月2日に昇華された親友の奥さんを忍ぶ会。

今日お店にいく前に、どこかのじいちゃんが、道路に座り、自分ちの畳の部屋
でくつろぐようにスポーツ新聞を読んでいた。「ここで座っていると車がくるよ」といったけど、
耳が遠いのか馬耳東風。みんな必死で生きている。

昨日は「満つまめの会」だった。まーくんが気功整体をやってくれる前に、
いつも玉露とか山野草茶など、いろいろなお茶を飲んで「気」を整えてもらっている。
昨日は「らんちん」みたいな不思議なものの実験をした。
知らない世界へ顔をつっこんでみると、自分の知らない世界の広大さに気づく。
そこで新しいことに出会う感動がなくなると、おわり。

30日の「ボサノバ」はキャンセルがでたんで、「あとふたり」空きがある。芸術の空き!

これから「卵かけごはん」夜は「順受の会」(論語の会)

本で床が抜けるか?

そんな本が人気らしい。今朝の朝刊に著者の書斎が紹介されている。人ごとではない。
先週実家に帰り、本棚を眺めてみた。9割が自分が東京からおくった本。10畳の洋間の壁
に本棚が3つあり、それにいろいろなジャンヌの本が並んでいる。
昨年、母が「床がぬけるごたーある」というので、だいぶ処分した・・けど・・

お店には、ふたつ本棚があり、二階の奥においてある。最近つみ方が悪いと、ちょっとした地震
などで、本が勝手に動いたり、床にダイブしたりすることがある。家にも神代杉の文机の上や下、その周り
に読みかけの本、つんどくぼん、などが積んである。少し涼しくなってきたので、ひさしぶりに一気呵成で
片づけてみようか、などと思っている。
年をとってむくると、読むスピードもおそくなり、集中力も持続せず、どこにどんな本があるか、という記憶力も低下する。
図書館にいき、借りて、読んで、返す・・・を繰り返すまめさはないし、好きな本は手元においときたい、という矛盾を
いつもかかえているので、いかんともしがたい。「読書の秋」ときめこんで、何冊か断捨離本でも買ってきて、
読んでから、身のふりかた、本の処理を考えよう。
友達からおくられてきた小学館の世界少年少女文学集も、3年くらい天真庵の屋根裏に積んである。書の先生から預かっている
「書の全集」もそのままである。

今日は「満つまめの会」 営業は16時まで、それから「粒々皆そば打ち教室」

はぜがはぜる?

今朝、散歩をしているとき。逆さツリーが見える十間橋の下を流れる川に
はぜがウロコをキラキラさせながら、泳いでいた。
元気な「はぜつり名人」のことを思い浮かべる。またホンダのカブに
のって、埼玉から釣竿もってくるに違いない。

最近は各地でルアーの釣りが盛んらしい。基本的に釣りとは、人間と魚のだましあい、
みたいなゲーム。昔から渓流では毛ばりという、虫の疑似餌を針につけて釣ってきたし、
海釣りではエギというエビの疑似餌をつくって魚をだましてきた歴史がある。
最近はそのエギがまた流行っているらしく、エギを使った釣りを「エギング」というらしい。
能登半島ではエギングでイカを釣るのが流行っているようだ。何年か前に九州の芦屋という
「芦屋釜」で有名な海岸でルアーでマゴチの30cmを釣ったことがある。疑似餌を追って
くる魚がくらいつく瞬間は「ハンティング」そのもので、それを同時にハンティングするスリリングな遊び。

11月は島原にいき、能登に梅の木の剪定にいく。車に積んである釣り道具がどうかつかえますように・・・
(いつも、釣り道具よりも、蕎麦道具のほうが活躍するのです)

ハゼ釣り名人のじいちゃん

二週間くらい前に、昭和4年生まれで、埼玉からバイクで一時間半かけて、はぜを釣った後に
蕎麦を手繰りにきた「奇人?」のようなおじいちゃんのことを紹介した。

お休みの日に、またまた一時間半かけてお店にお礼の挨拶にきたらしい。裏の大家さんが
対応してくれたみたい。紙袋の中に、和菓子と手紙と名刺が入っていた。
名刺の裏に・・・紫綬褒章を受章、とある。ネットで調べたら、すごい経歴のじいちゃん。
日本の高度成長期に大活躍した人だった。こんどまた来るようなことがかかれてあったけど、
「そろそろバイクはやめたほうがいいですよ」と苦言を呈したい気分でもある。

水木は「無茶しぃの会」。台湾からひとり参加。アジアの国には、それぞれのお茶の文化がある。
おでんみたいに、それぞれの特徴が調和するような「茶会」がひんぱんになれば、今のような
隣国間の緊張もなくなるはずだ、と痛感する。

だいぶ秋らしくなってきた。実りの秋。来月はゆずをとりにミカン農家さんとこに訪問する。
11月には能登に梅仕事。剪定、という大事な仕事が待っている。
また「新そば」の季節。毎年恒例になった「やさと農場暮らしの実験室」の新そば祭り、
今年は12月の第二週の日曜日になった。使者の青年が「朝とれの卵」を持ってきてくれた。
今朝はそれで「卵かけごはん」。無農薬の野菜をえさにし、平飼いされた卵の「ホンモノの味」
を、ひとりでも多くの人に知ってほしいものだ。

味噌とか醤油とか、発酵食品は、腸内細菌を活発にしてくれる。防腐剤とか薬つけの食べ物を
食べると、その大事な菌を殺してしまう。そんな単純な天地自然の理を、見て見ないふりして
過ごしている日本人。ミサイルが飛んでくる前に、絶滅の危機かもなんばん。

30日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演  ¥3,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

今日はタイムドメイン

昨日は台風一過で東京も33度になり、前日との温度差が15度だった。
台風一過だというのに、開店そうそう台風のような混雑で、常連さんが気
を使ってくれて「あとでいい」といってくれたりして、一時間近く待ってもらったくらい、の風速だった。

写真を一生懸命やっていた時は、台風の後なんか仕事そっちのけで、車を走らせ山にいって
撮りまくっていたような時期がある。今は昔。今はその趣味はすっかり忘れたし、カメラも手放した。

いつか、池袋にカメラを買いにいこうとして、途中にあった骨董屋の前を通ったら、囲炉裏が車から
降ろされていた。主人に「これいいね」といったら、「今東北から持って帰ってきたとこで、これから掃除する」
とのこと。「掃除はぼくがするので、これちょうだい」といって、そのままカメラを買う代金をおき、主人の車を借りて自宅に
もってきた。それから「炭」が生活の中の日常に入り、秋はサンマを焼いたり、冬は煎り番茶を焙じたり、暖をとったり、酒席にしたり
大活躍している。こないだ能登の帰りに骨董屋をのぞいたら「ひさごの五徳」を見つけ、そのお気にいりの囲炉裏に入れ、そこに
南部鉄瓶を置いている。まさに冬が待ち遠しい。できたら、ほんものの北国に移住して使いたいなんてことを本気で考えている今日このごろ。

知り合いの農家さんから「ゆずができた」とのメールがきた。いよいよ今年から「ゆず胡椒」に挑戦。
「自然によりそう生活」というのは、体が元気に動く時にやっておかないと後悔する。
歳月は人を待たず、なのだ。

今日はタイムドメイン。そんな名前の理論のスピーカで、それぞれが持ち寄ったCDを聴きながら、
談論を風発させ、それぞれが持ちよった酒や酒肴で宴会をする日。15年くらい続いている。
肩肘をはらず、適当な距離を保ちながら、家族のように宅を囲んで酒を汲かわす。居酒屋とか
一般家庭にお邪魔してではできない「酒席」をそれぞれが家具の一部、酒器の一部みたいに自然にそこにあるように居る、
そんな会。なんでも「自然」にやれるようにするには10年くらいかかる。

明日明後日は「珈琲塾」&「煎茶塾」 明日の夜は「おんなかっぽれ」
明後日はひがな「満つまめの会」

朝飯の王様

なんといってもTKG、こと卵かけごはんでしょう。
これから10時まで、祭日だけど、やりまっせ。

「隕石ぬか漬け」も絶好調になってきました。
秋なすは嫁に食わすな。そんなことわざがある。
姑さんのイケズ、の意味でとらえられている場合が多いけど、
陰性のなすを食べすぎると体が冷えて、嫁が妊婦だったら、なお悪い
ので、体をきずかってできたことわざ。姑と嫁の関係は、古今東西問わず
永遠不変のテーマ。少し距離をおいて、冷静に見つめてみると、「なんてない」ことも多し。

先週、オヤジが入院して、二日続けてICU(集中治療室)におふくろといっしょにお見舞いにいった。
60年以上連れ添って(この言葉はいいね)きた「夫婦愛」を見せられた。
出かける前に85歳のおふくろはちゃんとおしゃれをし化粧をし、軽く香水までほどこす。3時から15分だけ、という制限付きだ。
少しはやめについて、駐車場につく。「車の中でまっとこか?」というと、「わたしは病院の中に椅子に座ってまっとく」という。
少しでも父親の近くにいたい気持ちが伝わってくる。3時になっておやじのところへいくと、あちらも
くつをはいて、ベットに座って待っている。まるでリングにいるボクサーみたい。92歳で前々日に心臓の動脈の手術をしたとは思えない姿。
さすがに医者や看護師さんたちも「こげな92歳みたことなか」とびっくりしているみたい。

いけない、卵かけごはんの時間だ。
今日は「卵かけごはん」夜は「福の会」
二階は「満つまめの会」 実はこのまーくんも、遠隔治療ができるので、オヤジにエールの気をおくってくれたみたい。
人間捨てたものじゃない。ときにはスマホの電源を切って、人間にもどらにゃ、そんそん。

30日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演  ¥3,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)