梅林ガールズ はじまりはじまり

昨日ひさしぶりに東京にもどってきた。ビルやスカイツリーを見ると、
「ああ、かえってきた」という不思議な気持ちになる。でもこころは、九州や能登
に置きざりにしたまま、そんな感じ。今日はひがな雨なので、きらきら橘商店街にいき、
お惣菜を買い込み、ビールや酒を飲みながら、籠城気分。

出発の日、大樹くんに電話。「板貸してくれない」(ぼく)。「何するんですか?」(大樹)
「灯籠を九州に運ぼうおもってんねん」(ぼく)「トウロウ?ってなんですか?」(大樹)
「織部灯籠です」(ぼく)「オリベトウロウ???・・これから、見にいっていいですか?」(大樹)。
茶人を目指している大樹くんが、5分後に我が家に到着。好奇心旺盛なたけちゃんも一緒。
「こんな思いものを、還暦の庵主が運ぶのは無茶しぃです」ということになり、ふたりで
車に運んだ。10年前、池袋からこの灯籠を運んだ時は、ひとりでやったけど、さすがに
寄る年波だ。若いふたりに、感謝感謝で出発。

それを九州まで無地届けた。織部灯籠というのは、桂離宮なんかにもある。本歌は北野天満宮にある。
ひゃうげもの、の古田織部(戦国武将であり茶人)が考案したといわれている。石に不思議な異人か奇人
が彫られている。キリシタン大名だった織部が、キリストに見立てた、ということらしい。別名キリシタン灯籠。池袋時代に
ふたつの灯籠を合わせ灯籠にしていた。それがあるひ、泥棒に入られ、横に隠しておいたキリストの刻まれた石
だけが残り、今の庭にほったらかしておいたものだ。
九州の実家の庭に置くと、「出番がきた」ように輝いた。信仰心が深い両親が、酒を手向け、
次の日は、お赤飯を焚いて、お供えものにした。灯籠がひとつ庭に備わると、家が「茶室」ぽくなる。
星野村の新茶の玉露を家族で喫茶去。

二日実家にいた。妹夫婦と甥っ子の翔太くんが遊びにきた。「灯籠を車から降ろすのを手伝って
ほしかったけど、いえんかった」と翔太くんにいうと、「遠慮なくいってよかよ」といってくれた。
次回は「蹲踞」を運ぶよてい。「ツクバイってどげんもんかね?」から、またいろいろドラマが
おきそうだ。九州に二泊して、能登に出発。「梅林ガールズ」がはじまりはじまり、だ・・つづく

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