独活がやってきた

ウド。孤高に生きている、そんなイメージの感じ。

昨日は能登半島に移り住んださん、が、煎茶を習いにやってきた。
朝一番(といっても何便もあるわけではない)の飛行機に、袱紗ばさみに、扇子と懐紙と袱紗を
しのばせ、お土産に能登の独活(ウド)とわさびなど、能登の春の山菜をもってやってきた。

都会に住んでいると、衣替えとか、新入生とか新入社員たちが、新しい服きて、ういういしく街を
歩きだした時に、「春や」とか思うけど、田舎、しかも北国のほうでは、長い冬をのりこえて、
「やっと春がきた」という感じらしい。九州産なので、そのあたりの感覚がまったくわからいけど。

昨日は、南島原にうつりんださん、からいただいた煎茶と、前日いただいた金沢の「森の音」をおちゃうけ
にして、茶櫃手前をした。軸は、なんやらいう福岡のお坊さんの書いた「真如」。神人一如、のように、
お茶をいただく瞬間は、自然と一体になった気持ちになる。真如、とは、そんなことをいっているのだろう、
と勝手に解釈をしながら、4人で煎茶を楽しんだ。

能登半島には6月に「梅仕事にいく」。天真庵のHPにリンクしてある「梅茶翁」の部屋を覗くと、
ちゃくちゃくと、自然の流れにのり、梅が梅になっていく様子がよくわかる。
うまく梅が収穫できたら、「梅干したろう」というワークショップをやる予定にしたいる。
ずいぶん先の話だと思っていたけど、もうすぐだ。

今日はうどのさしみに、白みそをつかったあわせ味噌をかけて、酒を飲もう。

日曜日に「二階でプチ結婚式」をあげるさん、が、もうすぐ着物の着付けにやってくる。
自分たちの子供より若い世代のアーティストたちが、そんな風に仲良くしてくれるので、
年をとることを、ついつい忘れているようだ。寄る年波の声が聴こえないくらい、耳
が遠くなった、ということか?それはそれでけっこうな話である。