ジャックと豆の木みたいなんが庭に

2年前の6月に、近所の材木屋さんに頼んで、そこの椿の木を、挿し木、いや地面に
葉っぱ三枚だけつけたさしてみた。昨年までは、その3枚の葉っぱが枯れない状態だったけど、
今年はそこから新しい葉がでた。ものの本によると、そのようにして椿が花をつけるまで20年
かかるらしい。還暦を迎えた身としては、「この世では見れないかもなんばん」と思ったりするけど、
葉も美しいので、「ま、いいか」とか思ったりする。ジャックの豆の木のように天まで届く
勢いで伸びてちょーだい、いいながら毎日水をかける日々是好日。

その材木屋さんの話だと、ひいじいさんさんが椿が好きで、品評会で賞をとった椿らしい。
18年後が楽しみだ。椿のころ、朝咲いた一輪を、備前とかの花器に投げ入れる。すると部屋
の中の空気が凛と変わる。「日本人に生まれてよかった」と思う瞬間に「生きている」を思う。

昨日は「満つまめの会」だった。まーくんが開店前に「外に行列ができてますよ」といって
入ってきた。ので、急いで珈琲を入れ、みなで一服。その後はてんてこがしばらく続き、
蕎麦が空になる。連休中は、東京にはひとがいなくなり、正月と同じように、空気もきれいになった
気がするけど・・・

今日も朝の交通状況をきいていたら、どこの高速道路も朝から渋滞しているようだ。
水曜日と木曜日は、お店は休みだけど、さて、どこへいこうかしらん。
若いころは、毎年河口湖の施設(友達の会社の)にいって、ゴルフとテニスをしていた。
片道4時間くらいかかっていたことを思い出す。

今日は日曜日なので16時閉店。
明日は「卵かけごはん」火曜日が「英語で蕎麦会」ここんところ、フランス人が
よくこの会にくる。正確にいうと、ポンビキされて、やってくる。

今日という一生、が、わかるCDができた!

昨日の午前中、お茶のお弟子様の三輪福さんがきた。
能登で梅仕事が本格的になる。「能登に連れてかいります」といって、昨日ブログ
に書いた「梅の茶托」と煎茶道具一式が能登に嫁いでいくことにあいなった。「能登の花嫁」。

三輪福さんの新しいCDができた。岡野弘幹さんとのコラボ第二弾。「The time 、now 2017」。
昔「セントギガ」というデジタル衛星放送が一世を風靡したことがある。地球の運行とともに、波の音、
風や鳥の声などを、人の呼吸や息づかいなどと、波動をあわせるような音にあわせて、音楽を選曲して流す、
という画期的なものだった。90年代はじめにWOWOW関連の会社が始めたもので、すぐに契約して、その会社が
いろいろな会社の資本が入ったりしてなくなるまで聞いた。その時のディレクターが岡野氏。
来週くらい天真庵にまとめて届く予定である。予約受付中。

そのころセントギガでつくったCDが一枚だけ手元にあって、ときどき「満つまめの会」でかける。
今日も「満つまめの会」なので、三輪福さんのCDをかけるとしよう。
昔から「今日という一生を生きる」というのがある。「いまここ」だかが人生である、ということや。
このCDを聴いていると、一年の宇宙のいとなみが50分に集約されているので、「いまここ」を
体の毛細血管まで体験することができる。

お茶を飲みながら聴くと、「一期一会」というんは、これかいな、というようなことがわかるかもなんばん。感謝。

藤祭り

近くの亀戸天神では、藤祭りの真っ最中。

花よりだんご、いや骨董。藤より不治の病の骨董病であるからして、
天神様を横目にみて、通りの向こうきしの、骨董屋に急ぐ。

名古屋のとあるお金もち?土地もち?かなんかのお屋敷に「鑑定団」よろしく
買い出しにいった、とのことだった。戦利品はまだ箱の中らしいので、また日
を改めてお邪魔することにした。

そのとき、その箱の中の一番上に、箱が見えた。「梅」と書いてあるのが気になり、
「これ見せて」といって、中の箱を取り出すと、梅の形をした錫の茶托だった。

天神さまには菅原道真さんが祀られている。京都から大宰府に左遷あれたとき、京都の梅
が博多まで飛んでいった、という逸話が残っている。「飛梅」といい、大宰府天満宮の名物
は「梅ヶ枝餅」だ。ぼくの「あんこがれっと」は、それをイメージしている。

「これちょうだい」といって、天真庵に持ち帰った。飛び梅があっちこっちにいき、名古屋
から江戸に飛んできて、押上にやってきた。
6月に能登の「梅茶翁」でお茶会をやることになった。この茶托があると、ぴったりだ。

梅茶翁は、真脇遺跡の近くにある。縄文の遺跡。京都の梅原猛先生は、「縄魂弥才論」
を熱く語られていた。日本人の魂の土台、宗教心なんかの土台は縄文人時代につくられていて、
その後渡来人だった弥生人が、稲作とか効率的な狩猟なんかを伝えて、日本人になっていった、
という説だ。真脇遺跡にいって、その時代に呼吸をあわせてみると、「日本人にかえる」、
そんな気がしてくる。感謝。

北区滝野川の桜

昨日は「おんなかっぽれ」やった。新人ふたりが参加し、総勢8人でにぎやかに
「かっぽれ かっぽれ」と踊り狂う。昼間は「満つまめの会」。かっぽれの連中の
ほぼ全員が、満つまめの会も参加して、まーくんに体の調整をしてもらっている。
人間は当たり前に生活していても、ストレスがたまったり、体内時計がずれたりする。
「時々、アホになる」というのは、とても大切なことだと思う。

単純に体をみると、重たい頭の下に背骨がすーっと伸びていて、その先に性器がある。
頭の下から、性器までのすーが、いがんでいたりすると、頭にも性器にも具合がよくなく、
いろいろな痛みとか病気とかのもとになる。
昨日は著名な陶芸家から丹波篠山から、うけにきた。大地の力である土と毎日ふれってる陶芸家は
大地の「気」が充満しているらしい。今後の活躍が楽しみである。

昨日の午前中は月に一度の歯医者。10年前まで長く暮らしていた「上池袋」の近くにあった
K歯科にいく。葉桜になったけど、春には桜のトンネルができる道路に面していて、元気とも毎朝散歩した道。
K先生とは、ホノルルマラソンをいっしょに走った仲でもある。完走Tシャツがその当時待合室に
飾ってあった。

歯医者の最寄りの駅は、IR板橋駅。そこの近くに明治創業の古本屋があり、帰りにどさっと古本を
買って帰る。昨日は「茶」の古い本を何冊かゲットしたので、今朝お茶を入れ、読んでいる。
「一生かけても 価値あるもの が 茶の世界にいっぱいある」という声が聴こえた。

かっぽれの会のおひらきのころ、能登半島に移りすんださんがやってきた。
6月に梅仕事をしにいく時に「お茶会をしましょう」ということにあいなった。
梅を愛でながら、器局手前でもやってみようかしらん。感謝。

茶櫃(ちゃびつ)手前特訓2回付き、煎茶道具

昨日は書の会やった。
欅の無垢の茶櫃と、古伊万里の茶入れが、手に入ったので、
古い磁器の急須と煎茶茶碗と茶托、竹でつくった茶巾筒、茶合(さごう)をセット
にして、二階に飾っていたら、あるお客さんがお手洗いにいった帰りに、元気な声で
「お買い上げ」といって笑った。

彼女は4年ほど前に「煎茶を習いたい」といって、初日にお手前をした後に、
「私には向いてない」といって、一日で横に卒業していった。
「では、特訓2回付き券なしで売ったろか」というと、「特訓させてください」といってまた
不気味な笑みを浮かべている。お抹茶にせよ煎茶にせよ、昔から「一期一会」を大切にしてきた
文化ではあるが、ときに奇妙キテレツな縁にとまどったりもする。

今日はこれから一日、マーくんの「満つまめの会」だ。
ぎっしり夕方まで満席。夜は「おんなかっぽれ」。新人ふたりが参加するので、全員集合
となると、床がきしみ、抜ける?ほどになるかもなんばん。

冗談半分と、「ホンモノ」を拝見するのはいい勉強になるので、最近手に入れた
裏千家の先生が使っていた漆の茶櫃に、中国の古い錫の茶入れ、同じく中国の錫の茶托、
、井上春峰の茶碗、急須などをセットにして、ぷらず特訓付きで、本日展示している。

かめばかむほど、楽を窮める

昨日は、「満つまめの会」を終日二階でやって、夜は「論語の会」。
一昨日、結婚のお披露目会を二階でやってくれた新婦さんと彼女の母堂さまが「満つまめの会」
にきてくれた。人生の大きな節目を迎えて、「なによりなにより」と、自分にご褒美よろしく、
まーくんの気功整体を楽しんだ?(痛そうであり、気持ちよさそうであり)
新人の女子もぞくぞくと口コミで優美に広がってきている。

夜は「論語の会」こと、順受の会。大塩中斎を勉強している。教科書では「大塩平八郎の乱」
のことがのっていたと思う。時を憂いて、命がけで体制に立ち向かって散った武士であり、その
行動の根本は私心なき正義に貫かれていたことがよくわかる。

今日は「書の会」だ。朝蕎麦を打った後、二階で星野村の玉露を入れ、床の間に献茶。
久しぶりに亀田窮楽の書を飾った。売茶翁は茶ばかり飲んで、煎茶を窮めた人。その友達で
書家であった窮楽は酒ばかり飲んだ人。書は「研精窮原点」と書いてある。無駄なものを
削っていくと、源流(原点)にたどりつく、そんな意味だろう。どの道もそうだ、きっと。

明日は「満つまめの会」と夜は「おんなかっぽれ」。日々是好日。

普茶料理で結婚披露宴

昨日は15時でお店を閉店し、二階で「普茶料理風そば会」をやった。
近所に住んでいるアーティストがお身内方を集めて、普茶料理を食べながら
結婚の披露をした。最近、「なんとなく鮨をにぎる会」で、精進すしなどを
やっているので、昨日は、久保さんの「備前の大皿」に、なまくさなしの野菜や
椎茸やこんにゃくのすし、そばを恵方巻きにしたようなんとか、きらず(おから)のいなり、
やら、そんなんをだした。沖縄の結婚式では「子孫が繁栄しますように」と、「もやしもん料理」
を出すので、それもしようと思っていたけど、祝い酒を飲んでいたら、忘れてしまった。

ふたりともファッション関係の仕事をしているけど、「着物をきたい」
というので、15時から着付け。新郎くんには、ぼくのお下がりの着物を
プレゼントした。帯は、京都の「富夢」さんこと、ろうけつ染めの野村富造さん
に頼んだ最後のもの。2011年に、「ほなさいなら」みたいな感じで突然旅立った。
着物のこと、ジャズのこと、祇園の遊び方?・・・いろいろ「ならでは・・」を教わった。

野村さんがながいことやってくれた「染めもん展」を京都の河野夫妻が引き継ぎを
やってくれて、来月またきはる。その間は天真庵が京都になる。

今日は8時から10時までが「卵かけごはん」
今日も「ほぼ満席」やけど、12時から「満つまめの会」
夜は「論語の会」 今は大塩中斎を勉強中。
5月9日は「漢詩をよもうかい」  このふたつを勉強すると、人生の夢が広がってくる。
できたら、若い人に参加してほしい。

明日は「書をしようかい」  マニアックな寺子屋が続く。
水曜日は「おんなかっぽれ」   全員参加したら「おしくらまんじゅう」になりそうなくらい集まってくる。

今日は15時閉店

日曜日はいつも16時で閉店。
今日は若いアーティストが、二階で結婚式みたいなものを
やりたい、というので、一時間はやく終了。いい天気になってよかった。

お花の教室も本日は変則的に一階でやります。

いろいろご迷惑もおかけしますが、融通無碍にいろんな
ことをやっていく柔軟性みたいなものも必要な時代かもなんばん。

明日は「卵かけごはん」(8-10) 夜は「論語の会」(順受の会)

三迫一門会

落語とか踊りとかによく「一門会」というのがある。
三迫ボクシングジムの「一門会」にいってきた。場所は後楽園ホール。
名門のボクシングジムで輪島功一を育てたジムでもある。
創立者で輪島功一の試合でトレーナーをやっていた会長も80をとうに越えた。
もちろん昨日もリングサイドで若いはりきりキボーイズたちの奮闘を静かに
見ていた。

途中輪島ジムの選手の試合があり、輪島功一もセコンドとしてリングの上にあがった。圧倒的
に相手の選手が強く、試合の途中にファンから「輪島せんせーい、どうにかして」という応援に
開場も沸いた。

時々天真庵に蕎麦を手繰りにくるだいちゃんこと、「岩井大」選手も、一回級上の選手とグローブ
をあわせ、苦戦するかと思いきや、左のジャブの切れと、昨日はアッパーも適所であたって、相手
をダウン寸前まで追い込む場面もあり完勝した。現在日本フェザー級4位。そろそろチャンピオンベルト
が近づいてきた。

同じく時々やってくる福本雄基くんの「引退式」もあった。ほとんどのボクサーは敗れて静かに引退していく。
引退式というのは、お客さんが起立して「テンカウント」のゴングでリングを去るボクサーをおくる、神聖な儀式。
チャンピオンにはなれなかったけど、二度もその後に世界チャンピオンになったボクサーといい試合をしてきた。
「ベルトには届かなかったし、本来ならテンカウントを鳴らしていただく身分ではありませんが・・・」とスーツ
来て挨拶する姿が、彼の真正面からいく正統派のボクシングスタイルとおんなじで、こころに染みた。
これからの人生でまた一花咲かせてもらいたいもんだ。

朝からボクシングの話をするのは、味噌汁を飲みながらジャズをきく、みたいになんとなく場違いな感じもあるけど、
後楽園ホールで試合を見たよく朝は、シャドーボクシングをしながらお店にいき、蕎麦を打つ前に、ヨネクラジム
でよくやった「ボクシング体操」をして、蕎麦を打つ。

今日はまーくんがやってきて気功整体をやってくれる「満つまめの会」。
不思議な繋がりの和がひろがり、この会も優美に広がっていきつつある。

♪さがしもんは なんですか?

寄る年波、というやつで忘れものが多い。
「忘却」というのは、ある意味、やさしい自然現象でもある。
ささいないざかいや、どうでもいいような執念みたいなものを、流してくれる力でもある。

昨年末、銀座の骨董屋さんが86歳でお店の緞帳を下げた。月に一度はぶらり、と銀ブラしながら
立ち寄り、文人たちが書き残した軸などをみながら、主人が入れてくれる玉露を飲む、のが
幸せな休日だったけど、残念だ。

池袋時代には、歩いて5分くらいのところに、古美術店という看板をだしたお店があった。
ここの主人も、煎茶が好きで、いついっても、小ぶりの京焼きの茶碗に玉露を入れてくれた。
「この茶碗は初代のシュンポウです」なんて解説をしながら、ぼくの眼を鍛えてくれた。
やはり10年くらい前に、82歳くらいでお店を締めた。75歳くらいから、腰が悪くなり、
「もうそろそろこれをゆずりたい」といって、李朝の箪笥を、格安で譲ってもらった。
天真庵の二階の「生」という白井晟一翁さんの書のところにある「バンダヂ」がそうだ。

そのころ、人間国宝で陶芸家の三輪休雪の寒山拾得がショールームに飾ってあった。
値段をきくと「150万」という。天真庵が南條先生の寒山拾得の絵を中心においてあったので
「売ってください」と何度もお願いしたけど、「まだ手放したくない」と何度もことわられた。
お店をしめてから、年賀状だけのやりとりになった。ある日、電話をして「休雪の寒山拾得はどうなりました?」
と聞いたら、「引っ越しの時、どっかにいってしまった」とのこと。縁がなかったとあきらめた。

最近は近くの骨董屋をときどき覗く。亀戸天神の近くの主人は年も近いし、まだまだお店をしめたり、
しないだろう、と踏んでいたら、先だって心臓が泊まりそうになって入院した。その前に「裏千家の先生が
残した茶櫃が入った」と電話をもらった。退院しても、その所在が不明のままだった。昨日連絡があり、
「お店の片隅にあった」とのこと。こぶりだけど、いい漆で、「今日」とかかれてある。

「今日庵」。一期一絵を大切にする茶人らしい名前。「今ここ」にすべてがある。今日という一生
を一生懸命いきることが、大切である、ことを教えてくれる。さっそく持ち帰り、久保さんの斑唐津の
煎茶椀を入れ、それで玉露を入れてみた。天真庵で今日庵を味わう、不思議なエニシの妙味が体中にしみわたった。

今日は「インヨガ」。だいくんが本日後楽園ホールでセミファイナルを闘うので、わたくしは
ボクサーパンツをはいて(別にそうすることもないけど)、夕方からボクシング観戦。