二股暮らしに必要な経費・・

2018年から、東京と能登の二股暮らしをしている。
片道600kくらいの距離があるので、毎月は大変だと思われているけど、
旅をしている感覚で、けっこう楽しんでいる。
ほんとうは、今年の2月の「味噌つくり」で、東京のお店は弟子に渡して、
能登に完全移住する予定だった。正月にとんでもない地震があったり、弟子の
家族に介護が必要になったり・・・で、そのまま延長している。来年は京都か奈良に
もう一か所つくって、3か所暮らしにしようか?とか思ったり・・・

能登までの交通費は、高速代が6900円(ガソリン代は、今の車は燃費がいいので片道4000円くらいかな)
往復で2万ちょっと。飛行機で早割で往復している人もいるけど、同じくらいの金額やろか?
能登の家は、現金で買ったので家賃はかからないし、集落の人たちでささえるインフラの積み立て・万雑(まんぞう)が年2万。
光熱費は、ガスは契約していないし、トイレをコンポストにしているので、水の使用量は、水道屋さんが
びっくりするほど安い。霊水を汲んでいるのも大きい。電気は、エアコンがいらない土地だし、ソーラパネルと車で、蓄電池に蓄えていくので、
これもびっくりするほど安い。たぶん、能登だけで暮らしていくと、ふたりで「月7万」くらいでやっていけると思う。
自分で合併浄化槽をつくった。ときどき石川県浄化槽協会に、汚れ具合などをチェックしてもらっている。

昨日コンビニで支払いをしたけど、5000円。だいたい3年に一度、その浄化槽を汲み取りをやってもらう。
いくらか忘れた。業者さんいわく「こんなにきれいな浄化槽は見たことがない」らしい。6年たっても、汲み取りの
必要がないみたい。お客さん用に、水洗便所もつくったけど、ほとんどがコンポストトイレを使用しているのと、
水洗トイレの水道のところに、「元気シール」を3枚貼っているのも、効いていそうな気がする。

エンゲル係数、というか食費が都会と田舎では大違い。もちろん田舎のほうが、ゆたかで安い。
この6日間、ぼくの財布からは、一円も出費がない。霞を喰うレシピも完成まじかだけど・・・
この3日の夕飯は、到来ものの魚だけで、カンパチ一尾、フクラギ(正月ころブリに出世する魚)2尾、
アオリイカ2尾・・・アラや、頭や、カマなどは、野良ネコの餌。それでもふたりでは食べきれないので、
半身は梅酢をシューして冷凍し、朝ごはんや、東京のお土産にする。アオリイカは、刺身で食べ、エンペラと
ゲソは、パスタにしたり。今日は土曜日で、この集落の人たちは、船もださず、釣りもしない。
ぼくもこの時間は、釣りをしていて、二日に一尾のペースで、タコやイカやヒラメなどを釣る。
地震以降、タコはどこかの避難所にいるようだが、タコがとれると、タコ飯、刺身、パスタ・・・
とくに能登のタコは美味い!来客があると、「自分で寿司をにぎる会」にしたり、タコ焼き、タコガレット大会になったり。
畑では、辛み大根とかサツマイモをつくっている。夏野菜は、半分留守なので、もっぱら近所のおばあちゃん
たちの「お流れ」を頂戴している。

明日は能登町の梅茶翁に陣中見舞いにいってくる。みんなで炭火でバーベキューをする予定だ。
都会で生活していると、「おいしいものを食べる」に重心をおくことが大半だが、田舎暮らしは
「おいしく食べる」に、重心をかえる。おいしく食べるコツは「よい友達といっしょに食べる」
につきる。よい友達をつくるコツは、「まずは、自分がよい友達になる」ことだと思う。
炭を使う生活にすると、友達たちの笑顔が、ますますべっぴんさんになる。都会ではなかなかむずかしいけど・・
還暦を過ぎてから半分田舎で暮らしているけど、けっこう「オフグリッドな生活」に近づいていると思う。感謝。

老後に2000万円必要?月10万で、「ゆたか」に暮らすには・・

選挙が始まった。
田舎、しかも鉄道も最寄りの駅まで車で一時間、NHKーFMも届かないないようなところで暮らしていて、
テレビもないので、世間のことは聞こえてこないけど、いい国をみんなでつくっていかんとしゃーない。
でも、どんな田舎で暮らしていても、「宇宙とつながっている」というユニバーサル時代になったことは間違いない。
しかも、ここ能登はNASAも正式発表したけど、「UFOが頻繁に到来する地」だそうだ。
余談だけど、ぼくは毎日UFOで珈琲豆を焼いている。とてもユニーバーサルな暮らしだ。

固定電話がなく、お店の電話がぼくの携帯になっているので、毎日のように営業電話がかかってくる。
昔は「名簿売ります」みたいな危うげな会社が、あまたあったけど、このネット社会になってから、
「個人情報保護法」なんかできたけど、結局のところは、「情報だだもれ社会」になったということだろう。

昨日、となりの港で、タコ釣りをしていたら、釣り仲間でひとつ上の人と、四方山話になった。
彼は、年金だけで、奥様とふたり暮らし。
「二か月(たぶん、年金が二月分支給されるので、そんな単位なのだろう。ぼくは、その日暮らしなので、
単位が一日いくらになる。5日能登にいるけど、財布がどこに置いてあるか、わからない。つまり一円も使っていない)
で、6万くらい。後は食費と、犬と猫の食事代。月に換算したら、10万弱くらいやな」とのこと。
「今日は、タコが釣れなかったので、山に〇〇茸(方言なのが、聞き取れなかった)をとりにいってくる」
といって、軽トラにのって帰っていった。「ゆたか」だ。

子供も独立し、家の家賃もないので、だいたい能登人の年金組世帯の人たちの平均はそんなものだと思う。
田舎暮らしをすると、手取りで10万円あれば、充分食べていける。
みなさん、体が動けるうちは、伝馬船にのって釣りにいき、畑で野菜もつくったりしているし、
シルバー人材センターや、もろもろのバイトをしている人もいるので、その気があれば、余裕で
貯金もできるだろう。都会で、非正規社員で自給が1500円になったら、月給が約20万。
保険とか税金で半分近くもっていかれるので、手取りは10万くらい。
うらぶれた墨田区の長屋かて、家賃は6万くらいするし、マンションだと1部屋で8万くらいするので、
暮らしが成り立つはずもない。学生で仕送りをもらっている人の一日に使えるお金が660円。
学食がどんなに安くても、残りで珈琲一杯も飲めないのが現状だ。もちろん、仕送りしている親は
霞をおいしく食べるレシピを手にいれないと、干上がってしまうだろう。

でも、「月10万円、好きなものを食べたり飲んだりして、好きなことをして、少しおつりがくる」
生活を、自分で場所をきめ、工夫しながらつくっていく時代がきた。
江戸時代は、「爪楊枝」をつくりだけで、一生食えた、とか、「金色の糸」をつくるだけで生計がたった、
とかいう人があまたいたみたい。ガラス職人の多い墨田区には「すりし」という、ガラスの仕上げをするだけの
職人が最近までいた。(電車のスリ師はいっぱいいるけど・・・)
そんな真っ当な「一生もの」の仕事を、それぞれが模索しないといけない時代になったみたいね。

今日は、釣り場で、違う若者にあった。海の近くで、ものつくりをしていて、震災で家が全壊して、
次の「家」を探しておられる。「見つかった?」と質問したら「どの家も地震でへたっているので、土地を
買って、地震や災害に強いオフグリッドな家を自分で建てます」と胸をはって笑っている。
天災は忘れたころにやってくる。今は忘れぬうちに次から次にやってくる。
でも、天才も、こんな時代に生まれてくるのだろう。タコは釣れなかったけど、いい一日の始まりになった。感謝。

縄文人は、こんな顔していた?

今は星になってしまったシャンタンさんが、天真庵に置いてあるドリッパーを一目見て、
「このドリッパーの形の形は、縄文そのものだね」と笑った。
それで、まんま「縄文ドリポット」と命名。

能登にまだ家がなく、通ってきてた時、能登町の「縄文真脇遺跡」に立ち寄った。
もともと、金沢には毎年、木工の般若くんの展示会にきていた。その足を能登まで伸ばし、
真脇遺跡は、ちょくちょくきていた。
その時、縄文時代の石斧を使って、縄文の家をつくるプロジェクトが行われていて、
土台つくりを手伝わせてもらったことがある。そのプロジェクトリーダーが「縄文大工 雨宮」さん。
本まで上梓され、令和の今も、縄文なる人生をおくられている。

天真庵のHPに「縄文人は、おいしい珈琲を飲んでいた」というページをつくった。
その表紙に「令和の縄文人 雨宮原人?」の写真をのせた。
興味がある人は、覗いてみてください。

縄文ドリポットは、白、志野、焼き締め・・・などいろんな種類のものを、久保さんに作って
もれっていてけど、全部完売になり、しばらく、「隕石粉入りの珈琲カップ」や、珈琲の器を
つくってもらってきた。銀座の「隕石カフェ」にいくと、そんなユニバーサルな器で珈琲が飲める。
しかも770円~・・・宇宙にいくには、まだ何千万とかかるけど・・

そして、能登の珪藻土を使って、UFO、という焙煎器ができた。
Z世代よりも、若い人たちにも、使われはじめ、「すごい時代がきた」と思っている今日このごろ。
そして、この秋が冬にかわるころ、「令和の縄文ドリポット」が完成する予定だ。
UFOで焙煎し、令和の縄文ドリポットで、珈琲を淹れる・・・素敵な宇宙旅行をした気分になること間違いない?

能登くらし いちにちめ

日曜日の夕方。辛うじて余ったそばを、鴨なんばんにして食べ、出発。
先月よりもだいぶ涼しくなったので、あたたかい珈琲をポットにいれ、
水筒には、水素茶をいれて出発。日本は四季がなくなり、いまや亜熱帯?と思ったり・・

ふたつのクーラーに、食べ物、飲み物をもっていく。
食べ物は、そばかす(そばを打つ時にできる・かす・・・朝ごはんにガレットにしたり、ピザのきじにする)、
お土産のそば、調味料(ピザに使う糸とおがらしのタバスコ・・・これを使うと、冷凍のピザも、ミシュランクラスに大変身・
生ソース・・・トキワソースの生ソース・・・これを使うと田舎の新鮮な野菜が、ミシュランって何?くらい美味くなる。カレーに
入れると、「毎日カレーでいい」になる、柚子胡椒・・・これは万能の調味料・・・今月仕込みが終わったので、柚子のしぼり果汁・・・
これは、焼酎に入れると際限なく飲めるし、鍋の季節にはかかせない)などをいれ、野良ネコちゃん用の牛乳4本・・・など。

佐久平のパーキングで車中泊。先月は30度くらいあったけど、昨夜は18度だった。ひさしぶりに寝袋を使う。
四国のメーカのもので、5年くらい使っているけど、これは「車中泊」のみならず、これから来るであろう、いろいろな災害
の時に命をまもってくれるもの。避難所くらしになってもOK牧場だ。8万円(ダブル)くらいするけど、命の値段だと思うと、高い安いの
問題ではない。近所のますみちゃん(そばのお弟子様)が、「長野にいってきたので真澄を買ってきた」といって、
真澄の「白いTシャツみたいに、これからの標準の酒をめざしています」みたいなメッセージを書いたラベルの酒をくれたので
車の中で少し飲んだ。それにしても、お弟子さまは、若くて美人が多い(笑)
寝袋に入り、酒を飲むのは、こたつの中で熱燗の至福晩酌。秋の虫の音を聴きながら、のどが虫にはもるように鳴る。

朝おきて、妙高高原の先のパーキング(新井・・・ここは、高速の外の「道の駅 あらい」にいける)
すきやで朝飯。たまごかけごはん・さばの塩焼き・味噌汁・のり・小鉢がついて490円。(個人店ではできない価格)
トラックの運ちゃんたちにも大人気でいつも混雑している。都会では食べることないけど、毎月一回、ここで食べる。
その後高速をおりて(6900円・・・深夜割で3割安い・・・民主党が政権をとって、高速道路をタダにしたら、
もっと田舎と都会の二股暮らしが増えると思う。復興の支援にもなる)、和倉温泉に・・・
加賀屋や温泉宿は、ほとんどやっていない。元湯のような「総湯」は春くらいから復活。ここもワンコイン以下(確か490円)
で、源泉かけながしのお湯に入り、MGMのクラシック音楽を聴く。20日間の都会暮らしのストレスや、垢や疲れを洗い流し、
「橋本食堂」で、てんぷら定食1300円。てるみちゃんの揚げる天ぷらは、天〇、〇天・・・などよりも美味く、天下一品だと思う。
「畑が土砂崩れらしいね。ひさしぶりにオマケ」といって、ビール二本分をまけてくれた。3月にきた時も「応援」
といって、酒代をまけてくれた。豪快かつ繊細な女将さんだ。「能登はやさしや 土や女将さんまでも」

家に帰って、さっそく二階にあがってみた。記録的な大雨で、ブルーシートで補修しただけの屋根が
大丈夫か否かが、とても心配だった。先月、ボランティアでやってきて、天井の掃除から荷物の整理を
手伝ってくれた梅林ガールズさんふたりが、ピカピカにしてくれた二階が、そのままピカピカだった。雨漏りは一滴もない。
その二階の窓から横の畑を見ると、土砂崩れしていた。間一髪だ。神棚のお神酒を、残った「真澄」をいれ、お流れを晩酌にした。

昨日の能登は日がな一日雨。今朝も雨が降っている。また輪島までの県道も不通になっているらしい。
雨があがったら、珠洲へいこうと思う。せっかく復活した大谷塩。今回の雨で、事務所や塩田に土砂が流れ
こんで、塩作りがまた中断されたみたい。なんと声かけていいかわからないけど、とにかく
現場にいってみようと思う。「居ても立っても居られない」気分を、読書や音楽や酒で抑えながら、ほとばしる感情
と葛藤する日々。感謝。

珈琲一杯500円

2007年の4月1日に、押上に天真庵を結んだ。
「珈琲一杯をいくらにするか?」を、まじめに悩んだ。
550円では高いし、400円、450円では、「そんじょそこらの珈琲と中身まで同じにみられる」
という自負があったように思う。それで、一時間くらいなじめに悩んで「500円」にした。それからこっち、ずっと17年間「500円」のまま。今では、「安い」という値段になっているらしい。

珪藻土でつくった「UFO焙煎器」で、少量の豆(世間では『シングルオリジン』とか、ツヤな言い方をする)を焼く。
ぼくは、「シングルオリジン」とか、「スペシャル珈琲」とかを「ウリ」にしているお店は絶対に入らない。
それを「今日のUFO珈琲」として、黒板(緑だけど)に、チョークで書く。「いつもガテマラですね」とお客さんに
言われたので、先週から「モカ」にした。
紛争や戦争で、イエメンの「モカ」が入らなくなった。エチオピアの「モカ」を焼いて、一杯500円にしている。これは「安い」と思う。
もともとモカが好きなので、能登の家の倉庫に、イエメンとエチオピアの「モカ」を貯蔵している。この先どこまでお店を
続けるか、は、白紙だけど、しばらくは持ちそうだ。それより、はやく紛争も戦争もない地球にもどってほしいものだ。
地球の環境変化で、2050年には、珈琲が飲めなくなる、という説がある。でもこのまま戦争が広がったりすると、
その前に、地球が滅んでしまうかもなんばん。

昭和51年、京都の立命館に入学した。下鴨神社の近くの「からふねや珈琲本店」でバイトして、半年後にそこの
店長になった。厳しいお店で、アルバイトの定着率が悪く、学生には悪評(今でいう、ブラック企業)みたい
だったけど、田舎(といっても、北九州はけっこう都会?)からでてきて、そこしか知らなかったので、
毎日が楽しかった。店長になった時の、ぼくの自給が250円。使っていた女子大生(近くのノートルダム女学院の子が多かった)
の自給が280円。社長に「おかしい、と思うんちゃけど・・・」と談判したら、あっさり「おまえの珈琲よりも、
バイトの子がかわいいので、お店が繁盛している」といわれた。そのころの珈琲一杯が280円やった。
今の「最低賃金」から比べると、珈琲の値段は安かった。だから、学生も仕送り前でお金が少なくなっても、なんとか
「お茶 せーへん」とかいって、ナンパもできた。ショートホープが一箱50円。居酒屋の二級酒一本180円の時代。

その当時の新入社員の初任給が9万円。
学生の仕送りの平均が5万円くらいやった。自給が250円でも、ブラック企業を憂えず、朝から晩まで(その時は、7時から23時まで
営業やった。セブンイレブンやね。市電の始発より前に店に入り、終電の後まで働いた。下鴨本通りに市電があったころの話)
家庭教師と、京都競馬場の臨時従業員(年40日・40万になった)もあったので、先輩の社会人の3倍くらいは稼いでいた。
ちなみに、そのころの立命館の学費(法学部)は、年198000円。国立大学よりも安かった。
いろんな事情で、仕送りを受けれない学生でも、「なんとかなった時代」やと思う。今の学費は、ちょっと滅茶苦茶やね。

昨日の夕方、銀座の「隕石カフェ」(正確な名前は知らない)から、豆の注文が入った。
「能登で焙煎してからおくる」と返事をしたら「まにあわない」というので、今朝そばを打った後に
焙煎して、今日発送する。銀座のそのお店も一杯「770円」(前後)で、珈琲をだす。
ぼくがいっても770円とるので、「え?」と思ったりするけど、今の銀座のカフェでは格安らしい。

そんなわけで、今日の16時にお店をしめ、用意ができたら能登に出発。
18日(金)まで能登休み。昨日きたばあちゃんが「能登休み?余裕があるのね。御趣味?」
といわれた。若い人にそう言われたら「自分でやってみろ」というけど、少しまるくなったので「はい。御趣味みたいなもんです」
と答えた。一杯500円で珈琲をだすのにも、いろいろなストーリーがあって面白い。

くふやくわずに くいつなぎ・・・・好きなことをやる・・・・に限る!感謝。

目明き千人 盲千人

(めあきせんにんめくらせんにん)
よく骨董を見る眼があるやなしや、に使われる諺。
世の中には道理のわかる者も半分いるが、わからない者も半分いるということ。どの世界でもそうだ。

先日、能登にボランティアにいったTくんが、そばを手繰りにきた。
ちょうど、「UFOコースター」ができた時で、ボランティアの人たちにさしあげてください、
と2週間前に複数枚わたした。彼はそれをもって、大雨の災害にあった奥能登に泥かきなどの手伝いにいった。
「整体などのボランティアの人は、すんなり『素敵なものをありがとう』と言われたけど、
半分くらいが、『え・・これなんだか怪しげ』という顔をされたらしい」
さもありなん。こんな時に「目明き・・・」を使う。

昨日は、いつも「昼酒セット」を所望される常連さまが、カウンターで、「宗玄」という奥能登の酒を
入れた徳利を傾けながら、そんな「目明き話」をしていたら、若くてきれいな女性が入ってきた。
オカルトカフェみたいな店に初めてきて、いきなりカウンターじゃ悪いので、ステンドグラスのある窓際のトットちゃん席
に座ってもらった。
よせばいいのに、そのお客さんが〆の珈琲を飲んでいる時に、元気シールを貼った「UFOコースター」を席にもっていき、
「TQ元気シールの実験」。カウンターの常連さまは、「またはじまった」という顔しながら笑っている。
その時、彼女が不思議なリアクション。それが「目明き」組なのか、「盲」組なのかは、知らないばってん・・
「二日前に、お店の前を初めて通って、ショーウィンドウの『UFO売ります』を見て、きました」とのこと。
続けて「人にはいいませんが、よく(UFOを)見るんです」とのこと。
「宇宙人歓迎シール」まで貼ったわが店・天真庵は、いつも不思議な宇宙人みたいな人があまたやってくる。

夕方は、女性の常連さまたちが、カウンターや、窓際のトットちゃん席などに座った。
「長崎のアンデルセン(不思議な喫茶店、として全国にその名に知られる・正確な名は、四次元パーラー「あんでるせん」)に行ってきました」とか、「家を解約して、来年からキャンピングカーでノマド生活に入ります」みたいな人たち。
半々ではなく、ぜんぶになると、「やっぱりへんなお店」と、自分も思う。

今日明日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
明日の営業が終わると、明後日から「能登休み」

ビニ本売りの天才が、ビニ本を買う!

「面」で、徘徊できる場所をもっていると、散歩が10倍楽しくなる。
青山は、そんな「面」で徘徊できる街だ。

昭和のおわりころ、秋葉原でITの会社を立ち上げ、一番最初に取引した会社
が、青学の近所のビルの7階にあった。天才プログラマーの名前そのものの嶋倉昭男さん
が、ばりばりやっていた「コンプス」。嶋倉さんと、そのころ青学の大学院生だったSくんと
で「パソコンらくらくレッスン」というPCの学習ソフトをつくってくれ、それが大ヒットして、
Sくんは、その後の学費がそのソフトのあがりでまかない、今は某国立大学の教授として、活躍されている。

嶋倉さんは、ぼくのことを「ビニ本売りの天才」と呼んでいた。その当時の「ソフトウェア」は、
フロッピーとマニュアルをいれたものを、ビニールでシュリンクして、秋葉や全国のパソコンショップで
販売していた。「中身がわからないものを、バンバン売るなんて、ぼくにはできない」が持論だった。
ぼくは、ふたりの天才がつくった「中身」を信頼していたので、安心してバンバン売ることができた。

すぐに秋葉原から、代々木に事務所を移したので、コンプスにも近くなり、お金にも少し余裕ができて、
「骨董通り」あたりまで徘徊するようになった。危険な場所だ。
とある骨董屋で、織田流煎茶道の家元と出会い、そのまま表参道ヒルズの近くの稽古場にいき、
煎茶道に迷いこみ、お免状まで頂戴することになった。
お稽古の前に、その当時3件もあった古本屋により、気に入った本があると、大坊珈琲や、
カフェにいって、読んでいるうちに、稽古の時間を過ぎる、がときどき?(3回に一回くらい)
あり、家元や同心の人たちに、呆れられた。ほとんど見捨てられた?
最初は、上池袋に住んでいたので、埼京線の板橋から渋谷で降りて、宮益坂を超えて、歩いて
通った。あんなウキウキする通りを表参道まで歩いて、道草を食わないほうが、変態だと思う。

2007年に、押上に移ってからは、地下鉄で表参道で降り、徒歩5分で稽古にいけるようになった。
でも、親しくなった古本屋や骨董屋から「こんなものが入った」などの連絡が入ると、そちら経由で
稽古にいくので、なかなか予定どおりに、稽古場にたどり着かなかった。

先日、建築家の白井昱磨さんから電話があって、「能登の大雨の見舞いと、作庭家の長崎くんの個展」
の話になった。表参道のスパイラルホールの裏の「Gallery5610」で、明日(土曜日)までやっている。
長崎剛志・N-tree28周年記念庭園美術展・「原始庭苑」。
何日か前のブログに書いたけど、不思議な縁で長崎くんと出会い、池袋時代の天真庵の庭をつくってもらったり、
その当時、中野にあった白井さんのお父さま白井晟一さんの作品でもある虚白庵(アトリエ兼自宅)の庭も、
その縁で長崎くんが手入れするようになった。そして、その後、白井昱磨さんが設計した広島の「達磨」に、ぼくが
蕎麦の修行に、いかされるハメになり、今は、それをなりわいにしている。

水曜日に、表参道の長崎展に伺う。池袋時代の我が家の庭にあった飛び石や、能登の玄関に飾ってある「助けあう手たち」
という作品と同じ版木ですった版画などが展示されていた。自分の四半世紀を振り返るような楽しさがあった。
その後、今はなき古本屋や、コンプスの入っていたビルの前にいき、一礼したあと、青山ブックセンターにいく。
店の奥の「建築コーナー」に、「白井晟一入門」(青幻舎)が、山積みされていた。3年ほど前に、白井晟一さんの
作品のひとつ「松涛美術館」で、同じタイトルで出版された本。不肖のむらくんは、特別招待扱いを受け、松涛美術館で
この本をいただいた。30代の後半から、虚白庵にいりびたり、白井さんの作品にふれ、昱磨さんのつくった道場で
蕎麦の修行をしてきたが、こと「白井晟一ワールド」に関しては、入門の「に」にも到達できていない。

建築コーナーの手前で、不思議なビニ本を見つけた。暑さがわずか5mmくらいの小雑誌。老夫婦が、裸電球の下
で、珈琲を飲んでいる?そんな感じの本。裏には、定価2000円+税。
ここんところ「一日一冊」ときめている。腐るものではないけど、二冊以上買うと、読み方が雑になり、腐るよりもひどい状態になる。
「ひさしぶりに青山にきて、ビニ本一冊か?」と、すこしとまどったけど、レジにいって、2200円を払って、裏路地にある
小さな喫茶店に入って、読んだ。表紙にあった老夫婦の半生が綴られてあった。深煎りの珈琲にフレッシュと砂糖をいれ、
30年前にやめたタバコを吸いたくなる、そんな気分になった。        

本の最後にあった文2行を紹介。みんなそれをやりたくて、もがいている。感謝。

くふやくわずにくいつなぐ。
好きなことをやってほどほどに食べていけたら御の字じゃないですか。

TQ元気シールで、一番味がかわるものは?

曇ったり、雨がふったりの日が続く。
昨日は「能登」の最新号が届いた。震災からの復興特集が5月にでた。「こんな素晴らしい雑誌が地方にあるんだ」
とか「人ごとではないので」とかで、10冊とかまとめ買いされる方が多かったらしい。またボランティアなどではじめて
能登にこられた人たちが、「どんたく」(地元のスーパー)や本屋などで買っていかれた、と編集後記に綴られていた。
今回の新号は、「ゆっくり、じっくり、能登流で。」(令和6年能登半島地震から8か月)・・・・被災した店舗の人たちが、共同で
仮店舗を運営していたらり、地震にも負けず、あたらしい挑戦をする人、今回の能登地震では「震災救援のプロ」
として大活躍されている「災害NGO結(ゆい)」の特集など、目から鱗の話が満載されている。91歳になる仲代達也さんの次回の演目なども紹介されている。
「雑誌 能登」で検索して、ポチしてもお手元にやってくる時代なので、興味のある人はぜひ読んでみてほしい。
天真庵にも、5冊ほど届いたけど、昨日で完売!

昨日の開店前に、いつものように「ほぼぶらじる」を、UFOで少し深煎りにし、二階にある業務用ミルでメッシュを細かく
挽いていたら、「おそばをたぐりにきたんですが・・・」と、張りのある江戸弁が一階からきこえた。
落語家のTさんの声だ。今月15日に亀戸駅前の亀戸文化センターカメリアホールで独演会を終わったばかりで、ばかに元気な声だ。
お連れとおふたりで「じゃ、いつもの特等席へ」と自分で言って、窓際のステンドグラスのある席に座る。
「今日は、くるみそばをふたつ。珈琲つきで」とのこと。「くるみそばって、くるみを使うんだよね」
というので、「そうですよ。栗をつかったりしません」と答えた。
ざるそばの汁に、妙高高原のくるみを、鉢とすりこぎで細かくして混ぜた汁にざるそばを別盛りでだすスタイル。

ひとつまみを上手に手繰って、「これ、ホンモノのそばだね。おやじさん、これ16文かい?」
ときた。「へい、ニハチでございます」と答える。まるで「時そば」を、ふたりで連弾しているような気分になる。
「ひーふーみー・・・今なんどきだ?」で、お勘定を一文だまされないように気をつけねば・・・(笑)

「今日これから、柴又にいって、コロッケを買い、夜のつまみにしようと思って・・・」
師匠は「すし、てんぷら、ステーキ・・・ごちそうは毎日は食えない。ごはん、みそ汁、コロッケ、おしんこ
などの『定食』は毎日食べても飽きない。自分はそんな『定食のようなあきない落語』をやりたい」が信条だ。

「酒がおいしくなるコースターをつくったので、お土産にどうぞ」といって、TQ元気シールを貼った「UFOコースター」
をあげた。「時そば」の反対に、自分が騙された?ような顔をして「え?ほんとうに?」
と疑い深い顔をした。飲んでいた珈琲を、ふたつグラスにわけ、いつもの「TQ元気シール」の実験をする。
「え・・・・?不思議だな。ほんとうにこのシールにのせると、うまくなる。お酒もかわるのかい?」
いつもバイクでこられるので、お酒は出さなかったが「珈琲以上にかわりますよ」といったら、
「犬の足跡シールなんで、やっぱりワンカップ大関かな」といって、ニコリ。
お後がよろしいようで!

月曜の朝は玉子かけごはん

今年は、正月から能登の地震があったり、「南海トラフがいよいよくるよ」
みたいなフンイキもただよって、お米をキープしなくちゃ気分が高まり、
どこのスーパーの棚からもお米が品薄になっているらしい。
うちは、妹が農家だし、能登でお米をつくったり、近くの農家さんと
親しくしているので、お米は玄米のままいただき、必要な分を精米機で精米して、
珪藻土の竈で炊いている。月曜日の朝だけ、それを提供している。

縄文時代までは、狩猟や漁業の「幸せなその日くらし」だったので、みんなで
収穫があった時は、分け合い、ない場合は、みんなで腹をすかし、縄文土器を祭器
にして「明日は魚がとれますように」と、みんなで祈った。器は女性がつくっていた。
ある意味、神さまや自然によろそって生活していたみたい。貝塚、というのは、食べ物の捨て場であり、実りを祈る御簾の場でもあった。
一万年も戦争もなく、平和という言葉もいらないくらい平和な時代。

弥生(縄文の後期から)になって、稲作が始まった。お米は「貯蓄」ができるので、そこから貧富の差や、
食べ物や土地をめぐて、戦争がおきるようになった。縄文土器のような祭器が、のぺっとした土器にかわった。
世界中で紛争が絶えず、世界中の人が、のぺっとした服装をするようになった今の時代につながり、
普通は輸入物の麦でつくったパンやパスタを食べていながら、マスコミが「米がなくなる」といえば、
スーパーでお米を買って、その足で、フィレオフィッシュを食べながら、ボリボリしている。

先日、うまれてはじめて、スカイツリーの中の「すしざんまい」にいった。聞きしにまさるオーバーツーリズムで、
言葉の通じない外国人が、すしを喰らいながらボリボリしていた。
寿司は、ある意味、縄文と弥生の中道みたいなものかもなんばん。

あ、開店の時間がきたので、今日はこれにて失礼。感謝。

柳の下にいつも泥鰌はいない・・・の諺をやぶった石破さん

民主党が「野田さん」、自民党が「石破さん」が党首になった。
どちらも「どじょうタイプ」で、庶民に寄り添い、いっしょに宴会で
安来節を踊っても違和感がないような似たタイプだ。
そのぶん、野党としては、対立点をアピールすることが容易ではなさそうだけど・・

石破さんの最後の5分の演説が大逆転の結果となったみたいだ。
石破さんは、まず、被災地で暮らす人たちにこころを寄せ、自分のこれまでの言動で傷つけたことをわびた。
反対の高市さんは、「日本初の女性総理」の座を手にしたような勇み足スピーチ。
「裏金」「統一教会」で、信頼を失った党を刷新するには、党首として足らない人格を吐露させた感がある。
どちらのどじょうさんも、悠々と川の中で生きていくような平和な世情ではないけど、がんばって
もらいたいと思う。
♪知らぬ同士が小皿たたいてチャンチキおけさ~
あちこちで、三味の音が流れ、かっぽれ、安来節でみんなが陽気暮らしできる日本をとりもどしたいものだ。

9月3日に、ボクシングの世界戦があった。井上尚也が圧倒的な強さで防衛した。これまでにないタイプの
ボクサーだ。野球の大谷選手もそうだけど、ファイトマネーや年収が、記録的なものになったけど、
彼らは「お金や名誉のため」に闘っているのではない。こころから、ボクシングと野球が好きで、結果(通過点?)としてそれぞれ
の「今」がある。

セミファイナルが、K1からボクサーに転向して世界王者になった武居由樹が元WBC世界フライ級王者の比嘉大吾
の挑戦をうけた。判定で武居が防衛した。
試合前のインタビューで、挑戦者の比嘉が「けっきょく、お金がほしくて
またリングにもどってきた」というような話をした。その時点で、「武居が勝つ」と直感した。
政治もスポーツも、経済も「お金や名誉」よりも、大切なものがある。そんな時代を迎えているのだと思う。
「老後に必要な2000万を貯める」を目標にするよりも「二度とない人生を楽しく生きるために生きたお金を使う」
ほうが、圧倒的にいいよね。感謝。

今日は12時から16時まで。
それから「そば打ち教室」「ゆるゆるヨガ」だ。
明日の朝は「玉子かけごはん」