81と18の違い?

昨日紹介した「地パン」の大橋さんは、血友病で車いすの生活だったけど、
精力的に新しいパンをどんどんつくった。ぼく的には「もち麦パン」が最高で、また食べてみたいと思う。
東京にくる時の定宿が「帝国ホテル」だった。なんどかそこで打ち合わせをしたけど、
さすがに細かいサービスが行き届いていて、「車いすのハンディー」を感じさせない空間と心配りに
びっくりした覚えがある。そして、彼を生涯させてきたのが鈴木大拙の「禅」だった。
彼が目指した「地パン」は、典座(てんぞ)の精神に満ちていたようにも思う。

昨日の夕方、常連の女子が「ほぼぶらじる」を飲みにこられた。一人っ子で、独居になった81歳で少し認知がはじまった
母親の日常を、珈琲をすすりながら、ユーモアたっぷりに話される。
最近読んだ「禅」の本の中に、◎老いを笑い飛ばす遊び心「81歳と18の違い」というのがあった。
親の介護中であり、いずれ我が道の人には、「なるほど」と合点がいき、少し笑えるかもなんばん?

・これまでの人生が18年なのが18、これからの人生が18年ないのが81
・オツムはカラでも可愛いのが18、オムツをしていても可愛くないのが81
・道を探す旅に出るのが18、道がわからなくなって探されるのが81
・転んでもただでおきないのが18、転んだら起きられないのが81
・知らないことが多いのが18、覚えていないことが多いのが81
・心がもろいのが18、骨がもろいのが81

・・・・シルバー川柳と共通のおかしさがあるけど、短い人生の春夏秋冬に咲く「花」みたいなもんでもある。

明日は、歯医者。月に一度板橋の歯医者に「歯の掃除」に行っている。医院長は、かつてぼくといっしょにホノルルマラソン
を完走したことがある。今はお互いに家の近くを徘徊散歩するのが日課になった。

・手入れして虫歯ゼロなのが18、入れ歯して虫歯ゼロなのが81

せいぜい、歯の掃除をまめにして、81歳まで入れ歯なしで生活したいものだ。感謝。

詩国からキャベツが飛んできた。

「月曜の朝は玉子かけごはん」今日、これから、玉子かけごはん。

先日、四国でもち麦や、黒豆をつくっている農家さんが、家族で蕎麦を手繰りにこられた。
前日、奥様から電話があり「わたしたちより一足先にキャベツが届きます」とのこと(ほんとうに前日届く)
お店を始める前に、福島を旅したことがある。大木大吉さんの酒蔵で、そば会をやり、その縁で「チーズケーキ」の原点
みたいなレシピを教えてもらったり、大橋雄二という天才のようなパン屋さんがつくる「もち麦パン」を仕入れるようになった。その
ルーツをたどると、四国の愛媛にある農家さんに辿りつき、長い付き合いになった。(大橋雄二さんは、ぼくと同じ年だったけど、60で召された)

愛媛の農場にいくと、「愛穀」と揮毫した看板がお迎えしてくれる。
生前よく農場に遊びにこられていた「坂村真民」さんが描いたものだ。
坂村真民さんは、熊本の玉名で生まれ、四国で「詩国」という雑誌に生涯詩をのせて生活された。
今は、「坂村真民記念館」があり、同志たちが寄付した看板が表にあり、その農家さんの名前も
刻んである。日めくりカレンダーが、なかなかいい。一日は「念ずれば 花開く」だ。

今日の「真民さん」の言葉

「今」

大切なのは
かつでもなく
これからでもでもない
一呼吸
一呼吸の
「今」である

味噌つくりの準備中に、いずしが飛んできた!

味噌つくりは、お店を始める前から池袋でやっていたので20年前から始めた。
押上の駅前にあった「コネル」という雑貨屋の女将さんが
「やりたい」というので、一年目は6人からスタート。
手と手がつながり、お豆が醸し続けて、最近は100人を超える大所帯になった。(一日4人とかで、毎日)
「子供が独立したので、今年はお休み」というのもあれば、「家族が増えたので、一口多く」
とか、関西や九州に移住したのに、「年に一度の里帰り」よろしく、元気な顔を見せてくれる人
がいたり、悲喜こもごもの一年の近況を語りあう場でもある。

使う大豆も、「九州に移住して大豆を無農薬でやっているくん」とか、友達が深谷でつくっている「借金なし」
とかから始まった。7年前から、能登で半分暮らすようになって、能登で知り合った農家さんから調達したり、
北海道の大豆をつかったり、毎年気温の変動とかで、出来不出来の波をのりこえながら、その時に「縁」
ある豆を使用している。

塩は、能登の「揚げ浜式」。麹も、縁ある人たちから調達している。
いろいろな縁か、重なりあって、「手前味噌」ができある、というわけだ。もちろん、各自の手についた菌や、
一年以上醸す「家の環境」によっても、味がかわる。
野菜をつくったり、お米をつくったり、味噌や梅干しなどをつくったり・・・・
食べ物を自分でつくってみると、「ありがとうございます」とか「いただきます」という挨拶にこめられる「気持ち」
が違ってくる。

先日、そんなこんなで、いろんな準備をしていたら、北海道に移住したMさんから「いずし(飯寿司)」が飛んできた。
今朝のNHKのニュースで、新潟の鮭が前年の15%しか獲れていないとのこと。やはり温暖化が影響しているようだ。
いずしとは、鮭(にしんでもやるらしい)、ごはん、にんじんや生姜などの野菜をこうじに漬け込み発酵させたもので、北海道の民に親しまれてきた郷土料理。九州から北海道までを往復していた北前船が、各地各地で「醸す文化」を融合させた歴史の
産物でもある。彼女が、お友達といっしょに、自作したもで、魂のこもった到来もの。
仕事が終わって、「佐久の花」というそば焼酎の蕎麦湯割りで、一杯やりはじめた時、「いずし」をつまんでみた。
「これは日本酒やな~」と思いなおし、蕎麦焼酎を一気飲みして、ちょうど秋田からやってきた「百竈」の生酒を、小さな蕎麦猪口に
入れて飲んだ。あらためて、北海道のほうをむいて、「ごちそうさま」。いずしは、TQ研究所の山田学さんに還暦のお祝いにもらった
「どらえもん皿」(TQ処理がされてある)に盛る。クソまじめな山田さんが、ぼくの誕生日がどらえもんと同じ日なので、
そんな洒落たプレゼントをくれた。そして、Mさんも、同じ誕生日(ぼくの二回り下)なのである。感謝。

味噌つくりが始まる

今年も味噌つくりのはじまりはじまり、の季節。
100人くらいの人が毎年参加される。塩は能登の塩を使う人が多い。
昨年の正月の大地震で、取引先の塩屋さんのじいちゃんが、家で罹災して亡くなられた。
とても、ショックで、残った塩でなんとか味噌つくりをやった。
途中で「売り切れ」になって、各自に「自分が一番と思っている塩」を持参して、
それぞれの「手前味噌」をつくってもらった。

天真庵で「ガレット」という、創業したからこっち、ずっとあるメニューがある。そば粉でクレープをつくり、中身に
「とろけるチーズ」プラス海苔一枚。それを、「かえし」で食べてもらっている。
その「のり」が大人気で、お持ち帰り商品の中で、一番人気。そばのお弟子さまたちは、同じように
「ガレット」をつくっているが、一般の人は「おにぎり」や「おにぎらず」をつくっているようだ。
その時も「能登の塩」を使うと、ワンランクアップする。
そばやの命の「かえし」にも、塩はとても重要。それもできないのか・・・?

と、なかばあきらめていた時、じいちゃんの娘さんから電話。
「生前たくさんお世話になってありがとうございました。なんとか父の塩をまたやらえせてもらおうと、準備してます」
とのこと。彼女は、山形に嫁いで、じいちやんの塩を使って、塩ラーメンのお店をご主人とやっておられる。
道もまだ復旧していない奥能登と、山形を行き来しながら、秋にまた電話があって「やっと、塩ができました」とのこと。

そんな物語があって、今年の味噌つくりは、以前と同じように「能登の塩」で仕込めることになった。
当たり前のことが、当たり前でなくなることが多い昨今。当たり前でなくなる前に「ありがたい」という
気持ちで過ごす大切さを、地震とか災害や病気になった時などに、気づくこと多しだ。感謝。

今日から営業。
今日明日は12時から16時。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
明後日、月曜日の朝は「玉子かけごはんですよ」

阿弥陀堂だより

火曜日の朝、ブログに「阿弥陀堂だより」のことを書いた。
あんべさんの「イーハトーブの風」といい、根底には、宮沢賢治記の「法華経」
に影響された世界のことを表現しているように思う。

その夜、アマゾンプライムで「阿弥陀堂だより」を観た。440円。
雪プラス雷の音を背景に、長野の飯山という雪ぶかい場所で撮られた映画を
観る、というのも格別だった。北林谷栄のおばあさん役が秀逸で、アカデミー賞どこふく風
のような演技に改めて感動した。

翌日の朝、いつものように、藤瀬霊水を汲み、和倉温泉の「総湯」に入ってから、東京に向かう。
いつも立ち寄る「あらい」は、雪に埋もれていて、スノウブーツでも歩行が困難なくらいで、
トイレだけいって、車で轍(わだち)の中を走る。「小布施まで無事にいったら、マロンソフトクリームを食べよう」
と、緊張しながらハンドルをにぎる筆子さんに声をかける。
飯山付近では「あんたには、わるいけど、昨日の映画の世界みたいや」と声をかけたら「しか」とされた。
ホワイトアウト寸前の世界での運転は、人としゃべるどころの余裕などない。
映画の中で、「雪に覆われる信州の冬は、あの世とこの世の境目もなくしてしまう」とのセリフがあったけど、
まさにその世界だ。

小布施に無事ついて、アイスクリームを食べよいと思ったら「冬の間は、アイスクリームは休止」との張り紙。
温かい「山菜そば」を手繰って、気持ちを整え、東京までかえってきた。

昨日は、道であう人に「今日は寒いね」とか挨拶されたけど、そんな世界からやっていた異邦人には
「?」という感じだった。今日は朝から焙煎したりしながら、東京での暮らしをととのえる。
明日から「営業」。いよいよ「味噌つくり」の季節だ。
「丸投げ」の人たちから、容器が宅急便でおくられてきたり・・・・感謝。

ネコの領分

芥川賞作家で、医者と二刀流の南木佳士さんのエッセイ集「ネコの領分」。
長野の佐久市の病院で、内科医をしながら、ネコを飼ったり、アユを釣ったり、
浅間山や八ヶ岳連峰、中心を流れている千曲川、という山紫水明の里での暮らしを綴った
名エッセイ。映画「阿弥陀堂だより」(寺尾聰との樋口可南子がいい味をだしていた)の作者。

東京と能登との二股生活を始めたころ、板橋の古本屋で見つけた一冊「ネコの領分」。
いつも「佐久平」あたりのパーキングで車中泊をするようになり、能登の我が家にも、
野良ネコちゃんたちが、自然と集まってきたので、この本は、ときどき読み返している。
昨年の地震で、家の雨漏りがひどく、畳といっしょに、濡れた本もボランティアや梅林ガールズたちの
力を借りてかなり処分した。二階の文机の上にあった、この「ネコの領分」は奇跡的に雨露をさけて無事だった。

昨日読み返していると、作家がネコを飼い始めた時の文章に赤線をひいてあった。なにげない文章だけど、いい。

「二匹のネコを飼いながら、人生の坂をその勾配にしたがって無理せず下って行こうと覚悟した矢先、
シロが家を出たまま幾日も帰ってこなかった」

ちょうど、生まれたばかりの「シロクロ猫」の中に、プリンと名付けたシロ猫が、我が家の庭先で遊んで
いたころで、年も近い作家の老いの心境ともあわせて、「うんうん」とうなづきながら、線を引いたのだろう。
「シロ猫」は、幸せを呼ぶといわれているけど、繊細で長生きしない、という文も続き、そのとおり、
プリンも、庭にいたマムシと格闘して以来、姿を消した。

大好きな「宮沢賢治」の詩を、医者らしい言葉でこのように書いた。ここも赤線。

「落葉は秋風をうらまない」を書いた後、

「人は望んだように死ねることはめったにないのを臨床の現場で嫌にあるほど目にしてきているのだが、
できればこんな心境で死にたい。ソウユウモノニワタシハナリタイ、と書いた宮沢賢治だって、ソウユウモノでない自分を
よく知っていたがゆえに、ソウユウモノになりたがったのだろうから。」

夕べは、「朋が遠方よりきた」ので、中能登の料理屋で冬の能登の魚をサカナに地酒「池月」の燗酒を飲んだ。
ちょうど今年はじめての「満月」(正確には本日が満月)が、「おめでとう」と言っているようだった。感謝。

良寛さんの「風」

ときどき、能登から日本海側の8号線を走って、良寛さんが晩年を過ごした「五合庵」までいき、
界隈を徘徊することがある。ぼくが使っている「珈琲ポット」を燕(つばめ)の「富貴堂」さんにお願いする時に
行って以来「クセ」になった。
ほんとうは、冬にいってみたいのだが、雪がそれをはばむ。九州産の小生、雪とか寒さには、めっぽう弱い。
その途中に「たら汁街道」がある。昨日、「TQ元気シール」のところに、「元気の声」がアップ
されたので、漫画家の「すがのさち」さんに、「アップしたばい」とメールしたら、「たら汁が食べたい」
と返事がきた。「いも・くり・なんきん」というのが、女子の大好きなものだといわれているけど、「たら汁」
も負けていない。冬に能登にくる「決心」がつけば、つれていってあげる。

TQ技術本舗の山田学さんにも、「元気の声で、マンガに説明をつけたばい」とメールをしたら、彼の奇妙キテレツ日本語で
「やりますね!ありがたう ありがたう」と返事がきた。まったく相変わらずの「不思議くん」だ。

「天真庵」は、もともと「画廊天真」といっていた。寒山拾得(かんざんじゅっとく)の絵を描く
南條さんの縁(ゆかり)の画廊が、彼の故郷の「愛媛」と、「京都」にあって、「画廊天真」と呼ばれていたので、
池袋で彼の展覧会をやった時に、ぼくのところも「画廊天真」になった。
天真爛漫の天真。名前の由来は聞いてないけど、きっと、「天真」という言葉を多く使い、寒山詩を愛読しながら、
五合庵で詩や書を書いた良寛さんのこの詩から、命名されたのではないか、と勝手に思っている。

 生涯懶立身  (生涯、立身出世にものうく)
 騰々任天真 (うとうととして、天真に任す)
 嚢中三升米 (嚢中(のうちゅう)には托鉢で得た三升の米がある)
 炉邊一束薪 (囲炉裏のそばに一束の薪)
 誰問迷悟跡 (誰が問わん、迷いや悟りの跡)
 何知名利塵 (何ぞ知らん 名利の塵)
 夜雨草庵裡 (夜雨、草庵の裡(うち))
 雙脚等間伸 (二本の足を等閑に伸ばす)

実際に、「五合庵」にいってみると、こんな草庵で厳しい冬も、托鉢をしながら生きた老人の心境を問う。
「子供たちと、天真爛漫に遊ぶやさしい良寛さん」というのが、一般的なイメージだが、現地にいってみると、
単なる老詩人ではなく、天真爛漫な幼児の魂を持ち続けながら、生涯「求道した哲人」だったのだと悟る。
一度、寒い冬に「たら汁街道」経由で、行ってみたいと思う。
北国の冬も7回目。やっと「北国は冬がいちばん」という気持ちに近づいてきた。
我が草庵も、最寄りの駅から車で一時間。バスも日に二本、という不便なところで、寒山が住んだ洞窟や、
五合庵にも負けていない。でも本日も「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」だ。

五合庵の句碑にある一句

焚くほどは 風がもてくる 落ち葉かな

 

「TQ元気シール」の「元気」がしゃべる?AI時代って、おもしろい!

天真庵のHPの「TQ元気シールのアニメ」のところと、「元気シール」の部屋にそれぞれ、「元気のAI音声」をいれました。
親バカだけど、「かわいい」! 風の時代・・・・無駄のない縁でつながっている人に、はやくもおそくもなく伝わっていくといい。

昨日は、風の時代にぴったりの音楽を紹介した。今日は「一冊」
これから「富山」がトレンディーになりそうなので「風の盆恋歌」(高橋治・著)
ちょっと暗い話だけど、直木賞作家の代表作。一度は読んでみるのもよいかもなんばん。

先日、北國新聞を読んでいたら・・

「New York Times」が「2025に行くべき52カ所」を発表し、日本からは「富山市」と「大阪市」が選ばれました。と、いう記事。

「へ~」と思った。 ブログを書いていたら、大阪のこいさん(正確にいうと、仕事で大阪に住むことになった梅林ガールズ)
から「能登は寒そうですね。お大事に・・・」みたいなお見舞いメールがきたので、
「寒いからこそ、美味いものもあるで。富山県の『たら汁街道』のこの季節のたら汁は、うまかよ~」
と返事したら、「食べた~い」と返事がきた。それなら「今」しかないよ(笑)
大阪のこいさんたちが、今年も能登にきて、富山あたりをまわると、「New York Timesが2025に行くべき2か所」が実現する。

大阪もうまいものがいっぱいあるけど、富山も負けていない。東京から能登にくる時、氷見の「すしのや」で
すしをつまむ。今は「寒ブリ」が脂がのって美味い。もともと「いわしが美味い」と評判だったが、「ぶり」のほうが
値段があるので、ぶりっ子になってブランディングに成功した。ぼくは「げんげ」という、少しグロテスクな深海魚が好きだ。
すしやではでないけど、炭火であぶると、♪お酒は ぬるめの立山がいい さかなは、あぶったイカ よりもゲンゲがいい   になる?

能登の内浦(富山湾側)からは、天気がいい時に「雪の立山」が見えることがある。海も山も借景、という雄大な
景色は、唯一無二の絶景だと思う。若いころ、毎年のように立山を登った。「立山しか登らない」という登山家と
山小屋で出会ったりした。自分も登山を続けていたら、そうなったように思う。
ときどき、8号線を車で走りながら、立山を眺めながら「また行くけん。まっといてね」と声をかけることもある。
お祭りでは、9月のはじめにある「風の盆」
高岡の名刹「瑞龍寺」もいいよ。「瑞龍寺」と書かれた扁額(へんがく)が掲げられいる。隠元さん、こと隠元隆琦(いんげん りゅうき、黄檗宗の開祖)の書。煎茶をやっている人には、たまらないお寺だ。

京都、金沢、浅草、スカイツリー・・・・・昔流行ったサファリーパークみたいに、外人さんたちが、放し飼いされて
いるような「オーバーツーリング」が問題になっている。
観光の本来の目的は、「そこに生きている人たちに光をあてて観る」こと。テレビや雑誌やネットの情報を鵜呑みして
金魚のフンみたいにつながってボリボリしている滑稽な観光に、そろそろピリオドを打ってほしいものである。感謝。

イーハトーブの風・・風の時代のテーマソング?

ネットで「イーハトーブの風」と検索したら、「あんべさん」の歌が聴ける。
あんべ光俊。早稲田出身だが、ある日いっしょに飲んだ時「ほんとうは立命館にいきたかった」と言っていた。
東京にいる時は、よくライブにもいったけど、今は出身地の岩手にもどって活動をしている。
あまり売れなかったけど?、売れなかったので、「彼らしさ」が残り、いい感じで地元で生きておられる。

「イーハトトーブ」とは、宮沢賢治の童話なのによくでてくる「理想郷」。
彼は生涯、法華経を信奉し、農業をする傍ら、童話や詩を書いた。
生前は、まったく無名だったけど、草野心平が尽力され、今のように誰でも知る存在になった。
あんべさんも、宮沢賢治の世界を、歌で表現している。とっても、素敵な歌なので、一度聴いてほしい。
「法華経」は、ぼくも何度も挑戦したけど、「読むだけではわからへん」と悟る。
耳で聞くほうがいい。昨日、近くの日帰り温泉にいって、北國新聞を読んでいたら、あんべさんと同じように、
地元の先輩を敬愛し、宮沢賢治の生涯を新作落語にした噺家が紹介されていた。桂枝太郎(かつら・えだたろう)さん。
歌と落語で「宮沢賢治の世界を逍遥する」・・・・新しい法華経かもなんばん。

京都から東京にシフトしたころ、「いつか、もう一度上洛して、『法華経』を勉強したい」とか思っていたけど、
能登で暮らすようになって、「ここで自然に寄り添ういながら暮らすほが、わかるような気がする」
と勝手に譲歩している。良寛さんの詩や、宮沢賢治ワールドは、北国の雪の中に埋もれてはじめて、「なるほど」
だと思うことしきり。

「雨ニモ負けず・・・・」という彼の詩は、能登の震災にあった昨年、染みたので、名刺に

雨ニモ 風ニモ 地震ニモ 負ケズ・・・と勝手に地震を入れて「捏造」して、能登の海で
焙煎する写真といっしょにのせた。裏面には「UFO焙煎器」をのせて、そこに「元気シール」を
はって、昨年は縁ある人たちに配った。そして、もうすぐ「アニメの元気シール」に音声がつく!

賢治さんは、「法華経」の理想郷を追い続けた短い人生だったけど、よくでてくる言葉がある。

「ほんとうの、ほんとうの、まことのさいわい」・・・・

「風の時代」になったといわれる。経典や原理原則を頭で理解するのではなく、「感覚」で
つかむ時代。ゆえに、「共有」することの難しさがあるけど、政治家とか宗教家といわず、
こんな感覚が静かに広がっていけばなあ、と思う。感謝。

TQ元気シールで「お屠蘇」効果!

「お屠蘇飲んだ?」と質問すると、
「うちのお屠蘇はワインだった」とか「ビールだけ・・・」とかかえってくることが多い。
お酒がお寺や神社では「般若湯」や「お神酒」になるように、正月に飲む酒のことをお屠蘇だと思っている向きがある。

天真庵の近くに、千葉大学ができた。そこの二階に「漢方医学」という看板がある。
そこの看板娘?みたいなふたりの美人が、ときどき蕎麦を手繰りにこられる。
最終日にも、「おコン蕎麦」を手繰りにこられ、北里柴三郎さんの新札で、支払いをして
「これ、お正月に能登で楽しんでください」といって、昨年と同様「屠蘇散」をくれた。
奇しくも、こちらも「北里大学」でつくっている「北里屠蘇散」だ。
原材料に「チンピ キキョウ ケイヒ サンザシ タイソウ チョウジ サンショウ」などが入っている。

お屠蘇は中国伝来の薬酒で、「蘇」は鬼のこと、「鬼を屠(はふ)る」という縁起だ。
また「屠られたものも蘇る」ともいわれてきた。年のはじめに延命長寿を祝うしきたりになって、
日本には平安時代の宮中に伝わり、江戸時代に庶民にも広がった。

それを、錫(すず)のチロリに入れ、能登の地酒「宗玄」をなみなみ注ぎ、囲炉裏の五徳の上の鉄瓶にいれる。
漢方と酒が混浴しているがごとしの「薬膳燗」ができる。我が家の「お屠蘇」だ。

天真庵のHPに、「TQ元気シールの謎とき」がマンガで紹介されている。おかげで、お屠蘇と同様、一般庶民にも
優美に広がってきた。その部屋の末尾に、山田学さんの「TQ最近のレポート」」を添付している。
その中で、お屠蘇の波動を転写できるような記述があると思う。興味がある人は、時間がある時に読んでみて。

このTQ技術を発見した山田俊郎さんは、名古屋出身で、そのころ話題になっていた名古屋出身の「金さん銀さん」
にあやかりたいと、金と銀のマドラーをつくった。金には「お屠蘇」の波動を転写し、銀には「片仔廣(へんしくゎう)=肝臓の漢方薬」
の波動を転写した。
そして元気シールは、「ラブレ=ラブレ菌の健康食品」の波動が転写されている。
余談だけど、「元気シール」ができる前、山田さんに「ボールペン」のキャップにTQ処理してもらい、
それを「元気ペン」と命名し、サンフランシスコでIT企業を経営していた友人といっしょに、アメリカで売ろうとしたことがある。
けっこう売れたけど、「事業化」するほどにはいかなかった。一昨年、その友達が来日した時、「これ」
といって、「元気ペン」をだして笑った。「紆余曲折はあったけど、この『元気ペン』が、折々でお守りになってくれた気がする」
とのこと。今は大富豪になった彼の人生お守りになっていたか・・・」と感動した。

まるで、仙人の技みたいな不思議な話ではあるが、お屠蘇も、唐の時代の「孫思邈(そんしばく)」という道術家で仙人みたいな
人が「屠蘇庵」という草庵に住んでいたとこから生まれたお話だ。寒山拾得(かんざんじゅっとく)が生まれた夢の時代でもある。
健康で長寿・・・・令和も7年の今でも、人類永劫の願いである。     感謝。