明日のジョー

土曜日と日曜日は、営業を午後4時までにし、それから「蕎麦打ち教室」
をやっている。
そろそろ準備をしようと、蕎麦道具を運んだりしながら、していると、
バイクがお店の前にとまった。ジョーくんだ。3年くらい前に、海外に
アートの武者修行にでかけ、帰国したらしい。

いきなり、「ぼくUFOにのって、ノマド生活を始めました」とのこと。
「だから名刺もなく・・」といって、パスポートを見せて、
メモ用紙に名前と、電話番号を書いてくれた。おかまのMくんも、いつも
人とはじめて会うときは、そんな風にする。
確かに、これから先、きまった会社に所属するわけでもなし、オンラインで家や、ワーケーション?
じゃないけど、田舎やいきたい場所で仕事をやるようなスタイルが定着しそうな世の中では、
「名刺」とかいうものは、無用の長物になるかもなんばん。

これまでの常識が非常識になったり、たからものだったものが、無用になったり、
いろんなことが目まぐるしい勢いで、変化している。おもしろい時代でもある。

天真庵の改装を手伝ってくれた芸大の人たちが、今は平均50歳になった。
その後、ピアノを弾いたり、近くでファッションや宝石のアトリエをやっている
人たちが30歳前後。新しい時代をつくっていく宇宙人みたいな人が多いけど、
その下のジョー(今年24才)たちは、「宇宙人です」という挨拶が、日常茶飯に
なるような世代かも・・

今日も、寝起きに、冷たく冷やした玉露の「水素茶」を飲む。
この茶を飲むと、一瞬にして、ふるさと福岡の少し南にある星野村、という玉露と星
のきれいな山紫水明処にワープできる。
若い宇宙人さんたちとふれあっていると、知らぬ間に、この世とあの世をいったりきたり
できるようになるかも知れない。

今日も16時まで営業。九州産の「そばもん」が元気に蕎麦を打ちにくる。
明日の朝は「卵かけごはん」

お茶にする おちゃけにする?

毎週週末には、そば前(そばの前に飲む酒)をやり、〆に蕎麦を手繰って
いかれるような、左党(のんべえ)さんがいる。むろん、今はお店は禁酒。
東京オリンピックは、「え、ほんとにやるの」と国民の大半が思っている中、むりくり始まった。
感染予防のため観戦できない、とはいえ、「安全で安心」とは真逆な決断だと
思うけど、バッハやベントウベンたちは、馬耳東風のどこ吹く風よろしく、
涼しい顔して(厚顔無恥?)お祭り騒ぎ。

日常の生活の中で、少し狂った体内時計を正常に戻すために、酒を飲み、踊り、
バカになるのが「お祭り」のいいところだが、世界中の「政(まつりごと)」からして、
狂いっぱなしで、お金や汚職にまみれ、世界中が渾沌の坩堝(るつぼ)の中で、不思議な祭典が始まった。

全国的に猛暑が続く。台風も何個か発生しているみたい。昔から国難になると神風が吹いた、
という歴史があるけど、まさに今は「まさかの坂」の国難、大きな風が吹かねばいいけど。。くわばらくわばら

毎朝、宝瓶(ほうひん)という取っ手のない急須に、ふるさとの近くの「星野村」の玉露を50度
で淹れ、宝瓶ごと冷蔵庫に入れ、冷えたら志野の煎茶碗に入れ飲む・・・
というのが朝のならわしで、高齢者の仲間入りの年になったけど、朝からばんばん蕎麦を打ち、珈琲を焙煎し、
お店も14年を通過した。先月は会社の決算やったけど、35年(創業期に少しバタバタして、名前と登記を変更したけど、
27歳の時に会社をつくったので、もうすぐ40年)以上は続けている。運と健康が真ん中にあってこそ、だ。

そんなわけで、温度計も使わず、「50度」の加減が身についている。
しかし、先月から「還元くん」で、同じ玉露を40度の温度で12時間かけて「水素茶」を
つくり、それを四国の裸麦茶の冷やしたペットボトルに少し入れて、飲んでいる。
一か月たって・・・・
蕎麦を打つ時、焙煎する時も、エアコンをかけずにやる。どちらも夏は汗びっしょりになる。
でも、その汗にベタツキがなく、汗のにおいもほとんどイヤ感がない。たちっぱなし稼業なので、
夕方に足がむくんだり、夜中につったりすることが、当たり前だったけど、まったく一か月その兆候もない。
だから一か月間、ゴキブリ体操をわすれている(笑)
うちのヨガ女子たちも、使い始めたけど、もともとキレイな人たちが、十一(といち  10日で一割 高利貸し用語)
でキレイになっていく、そんな感じ。
焼酎をその茶で割ったり、日本酒を飲む時に、チェイサーみたく飲んでいると、二日酔いもなく、
朝からまた飲みたくなる(それはアル中というまた違う病気?)感じ。薬事法に抵触しまくり状態の
「不思議な魔法瓶」で、自分の体をつかって、いろいろ実験をしている今日このごろ。

関心のあるひとは「還元くん」で検索して、ヤッホーや楽チンでポチ買いするとよい。
昔から、骨董屋や骨董市で「だまされてもいいや」と思って、買うお金の上限が「3万」
といわれた。還元くんは、それよりも安い。天真庵で買うと、もれなく「星野村の玉露」と「元気シール」つき(笑、いやホント)
健康や幸せは、どこにも売っていないし、値段がつけられないけど、これからは、自分で
値段をきめて、自分で価値をしったもの勝ちの時代。「元気シール」を作ってくれたTQ技術の山田くん
からの紹介だったので、買って使っているけど、TQどうよう「これから」の未来商品やと思う。感謝。

ふるさとに 兄あり

「能登休み」で東京で留守の間、隣のおっちゃん(ぼくよりひとつ下)
が、毎朝ほうきでお店のまわりを掃いてくれ、プランターや鉢の植物などに、水やりを
してくれる。下町人情というか、もともとの江戸の人は親切なもんやな、と感心して
いたら、「くまもん」やった。奥様も同郷で、仕事にけりがついたら、熊本へ帰る予定らしい。
毎月、能登から帰ってくる時は、タコやさざえなど、能登の土産をさしあげる。
そこでぶつぶつ交換が成立しているのに、「熊本からおくってきた」とかいって、
お野菜などをちょうだいすることしきり。まるで、押上くまもと村?

くどいけど、寒山拾得(かんざん・じゅっとく)というのは、唐の時代の人物で、
寒山は深山の岩崖に住み、寒山詩を残した。京都や奈良のお寺などに、ふたりの姿を
描いた屏風がよく見られる。寒山は筆をもったポーズで描かれる。
いっぽう拾得は、お寺に拾われ、寺の庭掃除や、畑をやり、台所で包丁をにぎった。
だからほうきをもった構図で描かれていることが多い。今でいう「典座(てんぞ)」である。
天真庵は、四国で寒山拾得の絵ばかり描いてきた南條正一さんの絵を飾る場として、1996年
にスタートした。その絵のほとんどが能登の天真庵に飾ってある。

今朝も5時に起きてそばを打っていると、その「くまもん」さんが、拾得よろしく、外をはいて
くれる音がし、続いて、ホースから元気にでる水の音がした。
朝散歩する老人が「なんで、隣のお店の掃除や水やりしてんの?」と声をかけた。
少し素っ頓狂な裏声で「ヒマだから」と答えている。
無目的で「ただ」というのがえらい。まさに普賢菩薩の化身だと伝えれれる「拾得」の弟子みたいな人ばい。

近くのマンションで、ひとりで住むおばあさんが、毎日のように珈琲を飲みにこられる。
そのマンションは、お寺の敷地内にあるこのあたりでは古い分譲マンションで、彼女はこの秋、齢(よわい)80歳
になるが、まわりの住民さんたちは95歳とか平均年齢が卒寿を超えているらしい。

そのおばあさんは、毎朝5時におき、かつおぶし(月にいちど築地までバスで買い出し)と利尻昆布
と干し椎茸で出汁をとり、みそ汁をつくる。エレベーターをつかって、まず下の階に住む長老の95歳のおばあちゃんの部屋に、
味噌汁とごはんとお惣菜をもっていき、あさごはんを食べさせ、薬を飲むのを見届けて、自分の部屋にもどる。
すると、いつものメンバーが(気のおけない、それでいて、ごはんがかたい、とか、入れ歯だからトマトは湯引きして、
とか、てんぷらには天つゆより塩、しかも抹茶がはいったのがいい・・とかいうワガママな独居老人たちが3人から
5人)やってきて、朝ごはん。さながら「テキパキババアのカフェ」だ。食後は、珈琲か抹茶。
友達がくれたエスプレッソマシンで珈琲を淹れるらしいが、圧倒的にお抹茶を所望されるらしい
。おばあちゃんは名にしおう裏千家の先生。
その後、リハビリ中の90歳のおばあちゃんといっしょに、
一時間の散歩・・・・というのが日課らしい。大島と押上コースがあるらしい。

「もちろん全部タダ」だと笑う。年金は一年に150万らしく、
ほとんどが、そんな献身的なコトに使われているらしい。なかなかできないことをサラリとやっておられる。
隣接するお寺の掃除もすすんで箒をもって、ボランティア。まさに「典座」であり、寒山拾得の拾得なのだ。
時計の横に飾ってある「生」の筆字を見て、「これひょっとして、いや、間違いなく白井晟一の書よね」といった。
14年そこに飾ってあるけど、いいあてたのは「ふたりめ」だ。

火曜日の二時すぎ、30度を超える暑さの中、そのおばあさんが、トマトを一抱えもってきてくれた。
「福井の兄がつくった『越しのルビー』。今年が最後になるわ」と寂しそうにいった。その越前のお兄様は
ガンで今年のはじめ、余命6か月を宣告された。それでも毎年当たり前にするように、トマトの苗を自前で3万円買い、
育て、成果物は近所の老人ホームにタダでさしあげ、東京でひとり暮らす妹に、ほかの野菜とともに箱いっぱい送る。
「お嫁さんや子供たちには、頑固で厳しい兄だけど、私は目の中にいれてもいいくらいのやさしさで接してくれるの」だそうだ。
休みの水木の二日は、おばあちゃんのお兄さんがつくったナスや胡瓜やトマトなどを、天座よろしく、
精進料理の材料として、調理してみた。むろん、般若湯よろしく、お酒のアテとして、しみじみいただいた。
土の味であり、兄さんの魂が込められた野菜たちに、涙腺と汗腺の隠し味。感謝。

越しのルビー ふるさとの土 兄の汗        南九

さきの東京オリンピックの開会式の日・・

昭和は遠くなってきた。「さきのオリンピック」は1964年、昭和39年10月10日
「体育の日」が開会式だった。
北九州八幡区の天神小学校の二年生やった。皿倉山のふもとにあった小学校で、新日鉄(そのころは八幡製鉄やった)
の中心地で、「本事務所」と呼ばれる、八幡製鉄の本社所在地(たぶん今は大手町)が近くにあった。
クラスメートの8割は、製鉄所の社員の子供たち、残りの半分も、下請け、孫請けの会社に通う人たちの子供たち、
残りが商店主とか医者とか、不動産屋のせがれとかいった構成だった。11月には学校も休みになって、
「起業祭」という祭りでにぎわったとこ。

「鉄の街の記憶」という有名な本があるけど、まさに「鉄の街」の城下町やった。今は少しきったけど、100万都市。
特徴はまったく違うけど、福岡には博多と北九州の100万都市がふたつあった。
博多と小倉と黒崎には、「井筒屋」というデパートがあった。子供のころは、到津(いとうず)動物園にいって、
小倉の井筒屋で、バナナのたたき売りや、食堂でチャンポンを食べるのが無二の楽しみやった。

昭和44年に閉店になったけど、八幡にも「丸物(まるぶつ)デパート」という老舗のデパートがあり、ワンパク仲間たちと
よく遊びにいった。その当時はでかける時に「10円ちょうだい」というのが、当たり前の時代で、デパートに
いっても、買えるものはなく、「見るだけ」やった。でも高度成長期なので、家電など新しいもんがどんどんできた時代で、
「見るだけ」で充分楽しめた。
東京オリンピックは、そんな仲間たちと、丸物デパートの家電売り場で見た。家にも白黒のテレビはあったけど、
丸物デパートのテレビには、色がついていた。エノケンがカラーテレビの宣伝をしていた時代。
♪うちのテレビにゃ色がない・・となりのテレビにゃ色がある  あ~らなぜかとよく見たら 三洋カラーテレビ。
それにも感動したけど、はじめてきいた「オリンピックファンファーレ」のトランペットが奏でられた時は、
不整脈になった?くらいクラクラしたことを昨日のように覚えている。

興奮がさめないまま、デパートの裏にあった「喫茶店」に入った。
すこしませた話やけど、友達のお母さんが小さな喫茶店をしていた。いつもいきれいに掃除され、静かなジャズが流れていた。
ぼくたちは、それぞれのポケット
に10円しか入ってなかったけど、ときどきカウンターに座り、オレンジジュースや、アイスクリームを
食べた。たぶん200円とか300円とかしたのだろうが、10円でなんとかなった。
その日は近所の常連さんがカウンターにすわり、珈琲を飲みながら、「しんせい」とかいうタバコをすっていた。
えらいカッコがいいと感じて、「ぼくはあれが欲しい」といったら、ママさんが「ウィンナーコーヒーね」
といって、砂糖大一小一と珈琲をカップに入れ、ホイップクリームをさじで上手に入れ、そこにまたフレッシュを
のせ、白い磁器のカップでだしてくれた。ぼくが生まれてはじめて珈琲を飲んだ日。さきのオリンピック
の開会式の日の思い出。

もしも、その日に聴いたファンファーレの影響で、音楽の道をめざし、作曲家なんかになって、
今回の東京オリンピックの開会式の音楽の担当に選ばれたとしても、「昔、喫茶店で無銭飲食の常連だった」
という過去がバレ、辞任の憂き目をみていたかもなんばん。友達のおかあさんママが入れるウィンナー珈琲
の所作のほうが、のむら少年のその後の人生に影響を与えた、ということか・・感謝

月曜の朝は卵かけごはん

日本人は、やっぱ、一汁一菜・・・ごはん・味噌汁・漬物が、一番いい。
「卵かけごはん」は、世界一の朝ごはん。
準備を忙しくしていると、だれか中年のおっさんみたいなのが、お店の
ショールムを覗くながらブツブツいっている。
耳を澄まして聞いていると、「相変わらずオカルトな店ね~」とか・・・
見覚え、いや聞きおぼえのあるおねえ言葉だ・・

顔を見たら、「おかまのM」だった。一年くらいかけて、近くの長屋から、少し遠く
の長屋に引っ越した。そんなこともあって、2か月ぶりくらいのご無沙汰。
「あ~ら にいさん 久しぶりね」といつものように偶然をよそおって、立ち話。

浅草のネットカフェからの帰りみたいで、「にいさんの昨日のブログのオカルト水?
あれ東京水よりよさげね~」というので、ペットボトルに入った「水素茶」
を一本あげた。「わたしきれいになれるかしら?この横っ腹のお肉はとれるかしら~?」
とだんだんテンションがあがってきた。

「そういえば、先日神保町の古本屋で立ち読みしていたら、シノも
もともとは、お茶とかお酒の性質がかわるものとして、使われていたらしいわね。
200円の本だったけど、にいさんにプレゼントしようと思って、次の日にまた
その本やにいったら、売り切れてたの~」

桃山時代から、抹茶茶碗や向こうずけなどに、茶人たちが好んでつかった「志野」。
先月、押上文庫と天真庵でたちあげた「天庫盛り」というブランド名の、第一弾の
「志野の大皿(7寸)」ができた。鼠志野と志野の皿。
カレー、パスタ、チャーハン、豆腐をのせても絵になるし、テイクアウトのホルモン弁当や
コンビニのサラダなんかをのせても、絵になる。
料亭や茶室や高級旅館などの器をつくってきた久保さんには申し訳ないけど、
「今どきの食卓にあう器」になった。

昨日は女子たちが二階でヨガっている時、そばの準備をしながら、その鼠志野で
カレーを食べた。年波が寄ってくると、手先が微妙に不器用になり、最後のほうの
ご飯粒をうまくスプーンですくえなくなる。上手の手から、ごはんが落ちるようになる。
そのあたりを工夫していて、実に使いやすい器だ。Mくんの本にたよるまでもなく、
志野のぐいのみや徳利で酒を飲むと、理屈ぬきに「うまい」と感じる。
日本人の情感を育ててきた器。そして感性ゆたかな人たちが、また器を育ててきた。
まさに「共育」なのだ。
「志野の大皿」に続く第二段は、「唐津のごはん茶碗」になる予定だ。
いろいろ楽しみでありまする。感謝。

力を抜いて、ヨガる・・・

宣言がでているし、お酒のつまみなどを仕込むことなく、珈琲とそば
の準備ができたら、おしまい。なんとなく腑抜けするような感じ。
卵焼きなんて、毎日焼いてこそ、美味く焼く旨さ(技)が保たれるようなところだが、
出番がない。そばがきも、水を飲みながらでは、今流行りの「ペアリング」にもならへん。
いろいろストレスいっぱいな時代やけど、みんなで頑張ろう!日本。。ちゃちゃちゃ。。

東京は先日梅雨明け宣言をし、日中は30度を超え、しかもお店の前は、工事。
工事魔多し・・・(工事違いやけど)・・ではないけど、「お客さんがくるような条件がなにもない」
能登から帰ってきて初日は、体の動線も慣れていないし、「ま、暇でもいいや」
と高を括っていた。ら、開店そうそうに満席になり、そばが一時間ちょっとで売りきれた。
あとは、「カフェ営業」。ようわからんばってん、そんな土曜日だった。
「もうひとつの土曜日?」・・そんな歌がカラオケで流行った昭和が遠のく。。。

お茶をいれて12時間待つのダゾ、で「水素茶」ができる摩訶不思議な「マホ魔法瓶」(正式名称は、還元くん)
が3本も売れたり、相変わらず、アイピローは注文ばかり増え、お待たせ状態・・・・不思議でいっけん怪しげ
なものが大人気になってきた。「新しい時代になった」んやろね。水素茶は、わかるひとは「飲んで3秒くらいして、『これください』」
といわれる。今日のヨガの人たちにも注文をもらっていたけど、残念ながら本日は在庫なし、だ。
「うつみん」こと、医者の内海さんも、この魔法瓶を本で絶賛されておりまする。
また先月は、こんな本もだされた。もうワクチンを「うつもん」ときめた人はともかく、「?」と
思っている人は、読んでみてください。「くくり」たがるのは、日本人の特性だけど「♪いいじゃないの幸せならば~」

『医師が教える新型コロナワクチンの正体本当は怖くない
新型コロナウイルスと本当に怖い新型コロナワクチ
ン』(ユサブル) 。

閉店間際に、常連さんが珈琲を飲みにきた。
「蕎麦会」などがあったので、「割り粉」がなくなり、「浅草(かっぱ橋)まで買いにいってくるわ。ごゆっくり・・」
と挨拶して、でかけようとしたら、「チャリですか?バスですか?」と聞かれたので、「いつも歩きやで」
と答えた。ら「こんな暑い日に、歩きはヤバイっすよ」と年寄り扱いの心配までしてくれたけど、無視して歩く。
往復1時間30分(浅草とか徘徊しながら・・)くらい、朝飯前(夕飯前か?)だ。
かえってきて、くだんの「水素茶」を500mlくらい飲み干す。じっと(汗ばむ)手をみる。

ほんまは大石さんのライブの予定だったけど、中止になったので、昨日はゆっくり
能登で釣ってきたタコを刺身にして、「遊穂」というUFOで町おこしをした羽咋の地酒を飲む。
身土不二というけど、いいものは、他所で食べたり飲んだりしても、美味いものだ。
「美味しいものを食べる、よりも、おいしく食べる」の工夫をしたいものだ。
おいしく食べるコツは@よい友達と食べる!
よい友達を持つコツは@「まず、自分がよい友達になる」ことだと思う。

今日も16時まで営業。それから「ゆるゆるヨガ」。力を抜いて、ヨガる!根源的な喜びに到達するコツ!

明日の朝は「卵かけごはん」だ。

いぎす 知っと~や??

木曜日、東京にもどる日の朝、
能登は晴れていて、いつものように、タコヤンをもって、近くの海へ・・
未だ5時半なのに、おばあちゃんが、ウェダーをきて、テトラポットで
仕事をしている。あまり知られてないけど、釣りなどをしていて、テトラポットで
足を滑らせて、天国に直行という事故がけっこう頻繁にある。
「おはようございます・・・(足もと気つけてね)」と挨拶しようと思ったけど、
小さなころからの日常、( )の中は、胸にしまいこんで挨拶。

この季節は、岩とかテトラポットにへばりついてる「いぎす」をとっているのだ。
小さな籠いっぱいにいぎすをとったおばあちゃんが、「いつ東京にもどると?」
と聞くので「これから」と答えたら、「これ土産にどうぞ」と、皺だらけの手で一握りの
「いぎす」をもろうた。ウナがつくってくれた「タコ釣り用ショルダーバッグ」の中に、
玉露をいれてあったので、すぐにぶつぶつ交換。
「おばあちゃんは、これどうやって食べるの?」と聞くと、「味噌汁にじゃがいもといっしょにいれるんが、大好物」
だとのこと・・

そんな話をしていると、ピンク色の疑似餌(ルアー)のタコヤンが、日本海独特のどんよりした雲のように、
海面下で黒く覆われた・・・・タコがタコヤンをだきかけた。普通の魚の場合と違って、そこであわせず、
一息おいて、ゆっくり棹をあげる。大きな真蛸がとれた。
おばあちゃんも「おばけみたいなタコね」と笑った。「ほんとばけもんみたい(おばあちゃんに似てない?)」と口から
でそうになったけど( )の中は、ぐっと飲みこんだ。
9時には出発する予定だし、タコはすぐに下ごしらえしなくては、美味さがにげるので、急所(きんたまではない)
の目と目の間に、マキリ包丁をいれて、その場でしめた。

テクテクと釣果をぶらさげて、さつきの畑のところにある倉庫に釣り道具をしまうと、隣のばあちゃんが
箱いっぱいのじゃがいもをかかえてもってきて、「東京のお土産にして」とくださった。おかえしは大好物だという「ホボブラジル」。
イギスとじやがいも(きたあかり)が土産になった。東京が留守の時、となりのおっちゃん(くまもん)が
植木たちに水をあげてくれる。後ろに住んでいる大家さんは、郵便受けの手紙やハガキを毎日とって保管してくれる。
文庫ちゃんも、夕方に水をあげにきてくれる。それぞれに、タコの足2本とイギスとじゃがいもをお礼にもっていった。
これも高齢、もとい恒例になった「原始的ぶつぶつ交換」。

文庫ちゃんのおじいさんは、長崎大学の医学部の教授だった。ので、長崎にも縁がある。
「イギスって、長崎でも食べますよね」というので「そう、あっちはオキュートみたいに、羊羹みたいにかためて食べる」
と答えた。マキリ包丁も、九州を出発点に、日本海側を行き来した「北前船」の遺物、というか文化が化学反応してできたもんだ。
「いぎす料理」も、島根や鳥取あたりでも、今でも郷土料理としてどうどうと残っている。そんなものを、ゆっくり旅して味わう
旅もとても素敵な旅やと思う。ゆっくり、泊まるとこもいく場所もきめずに・・・

夜中に東京につき、少し眠ってから、仕込みにかかる。午後から「お仕覆の教室」があったので、5時くらいまで、
汗をかきかきチーパッパで、焙煎したり、そばの汁をつくったりした。
いつもだったら錦糸町のブックオフまで徘徊散歩・・・が東京にかえってきての日のならわしなのだが、
繁華街は、なんやらいう新しいウィルスが跋扈しているみたいだし、向島のブックオフにいくことにした。
能登にいると、釣りをする隣の港まで徒歩15分。往復する30分の間に、あっても二人か三人のおばあちゃん、
港でタコ釣り名人、漁師くらいだが、さすが東京、あまたの人たちとすれ違う。お店の常連さま、洗い張りやの女主人、
散髪屋のおやじや、うなぎやの女将・・・東京オリンピックをひかえた高揚感みたいなものは皆目感じられないけど、
花のお江戸はやっぱり、日本一の大都会なのであります。
今日は12時から16時まで営業。ほんとうはその後、ジャズピアニスト大石学さんのソロライブだったのですが、
「中止」になりました。感謝。

タコが眠っている・・が見える名人 眼は臆病だけど、すごい!

今朝は天気もいいし、明け方に元気な蚊がブーンと
起こしてくれたので、6時前から海へ・・・
毎朝、6時に「さざえさん」とか、元気な音楽が、災害用のスピーカ
から流れる。今朝はそんな具合で、港の岸壁で聴いた。
平和で、なにごともない無事な時はのどかな朝の目覚まし音楽であるが、災害時は
「避難所に急いでいってください」みたいなアナウンスになるのだろうし、
有事の時には空襲警報のサイレンになるんだろう。一寸先は、どうなるやも微妙な時代。
米中が微妙な関係になってきたけど、戦争だけはなってほしくないものだ。

港にとまっている舟の下あたりが、タコがよくいる場所。漁船が引き上げてきて、
大漁の時は、漁師が雑魚を岸壁にたくさん置き去りにする。猫やカモメの餌になる。
時々トンビやカラスもわきまえをちょうだいとやってくる。
あまった雑魚は、リリースするけど、弱った魚たちは、そのままへちで死骸になっている。
そこにタコがくるのだ。それをねらって、タコヤンを泳がすと、元気なタコが「うまそ!」
といって、抱き着いてくる。そんなやりとりがたまらない。

とか、思っていると、いつものように「タコすかし」(能登の伝統的なタコとり方法)の名人の
じいちゃんが、軽トラにのってやってきた。降りて、いつものように海の中を真剣な目つきで
のぞいている。わずか10秒くらいして、「たこが丸く眠っと~」といい、やにわに二本の竹(一本は
赤いひらひらがついていて、それでタコをおびきよせ もう一本には、するどいかぎがついていて、タコをひっかける)
をもって、15秒後に大きなタコをゲットした見事な技だ。やった!と拍手していたら、それを海水に浸けながら、
生きたまま手で捌いて、内臓を海にもどした。「こうすれば、またタコが集まってくる」とのこと。
2kくらの真蛸で、名人はそれをビニール袋に入れて、軽トラで帰っていった。滞在時間、3分。スゴイ!

タコをつる。それをさばく。梅を摘む。へたをとって、塩を入れて梅干しをつくる。
みんな「手仕事」。昨日「のむら暮らし」の田圃仕事を見た友人から「来年は参加したい」と
のメール。6月の「田圃の準備」や「一反強の田植え」・・・みんな手仕事。
そして最初は「こんな広い場所を田圃に・・」とか「これを一日で手植え・・」
とか、一瞬びびったりするけど、手を動かしていると、いつのまにかやり遂げる。
田舎暮らしの手仕事をしていると、そんなことを思うことしきり・・

昨日、新聞を読んでいたら、東北地方の農夫の格言が紹介されていて、「なるほど、これだ」と思わず手で膝を打った。

「目は臆病、手は鬼」と言うことわざらしい。自然によりそうような暮らしをしていると、自分の体の中に
内包された「宇宙(自然)」が、それと波動をあわせていく・・・そんな感覚。

漁師さんはパンチパーマがよく似合う

先日、収穫した梅を、筆子さんが梅干しに・・・・
「塩が足らない~」と大きなひとりごと。
車で町のスーパーにいくにも、車で20分かかる・・・
ので一番近い「総合デパート 中根酒店」に早歩きしてでかけた。

ここの店主と、普通に話をしていたら軽く一時間ほど時間が経過する。
さっそくぼくの顔を見るなり「東京は大変なことに・・・・」
というので、「今梅干し仕込み中で、塩をください」と大きな声でいった。
「角打ち」(酒屋の片隅で、にわか居酒屋のように酒を飲む文化?)のように、カウンターでふたりの漁師が缶ビールを飲んでいて、
ひとりが、たちあがり、塩のある棚から、「なんやらの塩」をもってきてくれた。
自分たちのビールも、おつまみも、みなそのようにセルフでやっている。

ついでに、燃えるごみの券(石川では、200円?300円?のそれをゴミ袋に貼ってだす)を、10枚、
20lのビニールごみ袋20枚を買った。
顔みしりの漁師さんが「いっしょに飲んでいかんか?」と赤い顔して、お誘いくださったが、
「せっかくだけど梅干し作りの最中なので・・」と丁寧におことわりして、家路を急いで帰った。

能登の漁師さんたちは、自分たちのルーツは、九州の漁師もしくは海賊、だと思っているフシがある。
海女さんの文化や、もろもろの漁の方法のルーツは、確かに北九州のそれと共通するものがある。
北九州が発症のものに、「パンチパーマ」「皿うどん」「角打ち」がある。
今は漁師さんも高齢化で、パンチパーマをするだけの髪がなくなってるかたが多いばってん、
ちょい昔の漁師さんは、パンチパーマをかけ、タオルでハチマキをして、さぶちゃんの演歌なんかを
歌いながら、荒海で漁をやっていたようなイメージがある。

先日田植えをした写真を「のむら暮らし」にアップした。
ほぼ全員がこないだまで、東京で暮らしていた。
五木寛之さんの「白秋期」というのを先週錦糸町のブックオフで買って、
能登にもってきた。
本の帯に「黄金時代(アクメ)は人生後半にはじまる。」とある。

さすがに、青春の門で、青春期の微妙な性のことなどを書いた小説家の文章。。
と思っていたが、「アクメ」は美術史などでも表現する言葉で、女性が絶頂にいく
だけの語彙ではないらしい・・

ついでに、白秋期というのは、50歳から75歳あたりの季節を表わす中国語がルーツらしい。
五木流の「白秋期」の道標を紹介しよう。

1 生活を極力コンパクトにする

2 消費の習慣を捨てる(粗食中心)

3 方丈の空間をつくる

4 仕事以外の目的をさがす

5 ものを学びなおす(読書を友とする)

6 新しいことをはじめる

7 養生を趣味にする

8 「ひとり」の歓びを見つける

昨年からコロナ時代になって、50代といわず、必須な道しるべになるやもしれない!    感謝

天変地異みたいに各地で豪雨

昨日は、近くの集会所で「総会」だった。
年に二回ほどやる。同じように、毎年上期、下期で、
「万雑」(まんぞう)といって、各家からお金を集め、
そのお金で、神社とか、田んぼや畑や、海につづく「私道」
の整備とか、草刈りとか、修理、などを賄う。

東京都など大都市は、無駄遣いが?というほど、税金がじゃぶじゃぶ入るので、
出も、じゃぶじゃぶ状態。まさか駅までいく道に、雑草が(土がないのでないか?)はえようが、
道路の街路樹の葉っぱが、人や車の邪魔になろうが、所属する「役所」の管轄で、都民の
手を借りなくても、なんとかなる。「税金」もそうだけど、サラリーマンとう人たちは、
給料日に、もろもろな税金が、差っ引かれているので、「納税している」という意識が薄い。
それたぶん、「おかみの計らい」やと思うけど・・財政が厳しくなると、知らぬ間に、いろんな
税金が高くなる。コロナで、椀飯振舞しているお国の金庫は空っぽに近いので、これから
いろいろ税金が高くなると思う。

話はもどって、「万雑」の額も、この総会できまる。コロナで、夏祭りなど、イベントが中止
になっているので、会計はそのぶん黒字で、繰越金がいつもより多い。ただ、地方は高齢化で、
空き家になっていくスピードに歯止めがかからない。
役30戸の集落やけど、空き家は5戸くらいあり、独居の家も多くなってきてるので、
これから先の過疎は、火をみるより明らかな状態である。ということで、万雑は、いままでどおり
の金額すえおき、ということでみんなで拍手をして決定。
来月、近くの神社の草刈りをする日程を決め、無事閉会。終わるころ、ぐらりと大地が揺れた。
能登半島の珠洲が震源。梅雨前線は、能登を庇うように通過したけど、ぐらりがきた。
日本列島、どこにいても、いつ避難所生活になるかわからないくらい、災害が多い。

余談だけど、自分の所有権がある土地が、私有地から町有地として、公共になれば、塀をつくったり、
舗装したりするのは、町や市や県のお金でやってくれる。
昔から田畑や、それに付随する「土地」を、「ご先祖さまから頂戴した」という意識が強いので、
いろいろな問題が起きる。そもそも、この地球ができてからこっち、この土地は「〇〇のもの」
という権利が発生したのは、つい「こないだ」という時間軸だと思う。
そんな「しがらみ」を一反解きほどいて、おかみもしもじもも、考えなおすことができたら、
「空き家問題」とか「過疎化」の問題は、だいぶ解決するのではなかろうか?

先日紹介した岡潔先生の言葉がしみじみ染みる。

。「生存競争とは、『無明』でしかない」

無明、とは、仏教世界では、自我に近い本能、みたいな意味だと思う。
最近、ヨガとか瞑想とか、「坐る文化」が大流行しているようだ。
「坐る」という字は、土の上に人がふたり、の象形文字。
ひとりが、「自我」。もうひとりが「自己」。生きている限り、そのふたつの
ゆらぎの中で、右往左往しているのが「ひと」ともいえる。感謝。