火曜日はカレーORガレット?

月曜日の朝は卵かけごはん。メニューには書いてないけど、そばが中心なので「ごはん」
のメニューがない。ばってん、月曜日は多めにごはんを炊くので、昼は裏メニュー「能登牛すじカレーライス」
をだすようにしている。ぼくは、ヨガの日に、女子たちが二階でよがっているすきに、好きなこの「能登牛すじカレーライス」
を一階で、「まかない」として喰っている。
昔京都木屋町に「いんであん」とかいうカレーやがあった。それは牛肉がのっていたけど、ちょっとそれをイメージしている。

もう四月だというのに、ペレットストーブを使っている。能登では、薪ストーブにしたいと思っとったけど、梅茶翁で
薪割りの手伝いをした時、「こげな重労働はきつか~」と思い、薪ストーブをあきらめ、ペレットストーブを実験的に
天真庵の一階に導入した。北国では、ホームセンターにいけば、ペレットが簡単に手に入る。東京ではまだほとんど導入例がないので、
能登の帰りにホームセンターから買って車に積んできている。
「薪ストーブ」は、耐火設備とか、煙突工事とかを入れたら、普通車の新車一台くらいお金がかかる。それに比べてペレットストーブは
半分くらいで済む。うちのは、山形の女社長が営むストーブ屋さんから、60万くらいで買った。
買った3年前は、燃料費が石油に比べて、少し割高だったけど、石油が高騰している今は、トントンくらいになった。
将来、田舎暮らしを予定している人には、参考になるのではないかと思う。
エアコンや石油ストーブなどと比べると、空気が乾燥しないし、なにより「火」が見えるというのは、オチツクし、見ているだけで、
酒がうまくなるし、音楽が倍音でこころに染みる。

最近つくづく思うのは、コロナの影響もあり、会社にいけず、学校にいけず、誰ともなくイケズをされているように、
こころがササクレだった人が多くなってきた。「ふれあい」がすくなくなっているんやね。
久しぶりに顔だす人が、堰を切ったように、一方的に近況や、自慢話(薬自慢・病気自慢・孫の自慢・・・)などを話す。
そんな時は、年寄りの三種の神器「昔ばなし」「自慢ばなし」「説教」の話をやんわり(のつもりやばってん、思いっきり言ってるみたい)
するようにしている。昔から、喫茶店のカウンターに座った人と「野球の話(特に関西で巨人ファンがばれるような話はタブー)」
や「宗教の話」、選挙の話(誰にいれる、とか)とされていた。
最近は、それに加えて「ワクチン打った?」とか、いきなりステーキみたいに、いきなり質問するような無神経な人が多く辟易とすることしきり。

また最近は戦争がらみの話で、総理か軍隊長でもなった勢いで、世界情勢を語るような勇ましいバカみたいな人が、まわりにうろうろしているでしょ・・?
「空気を読みなさい」とかいった次元ではないよね。

最近読んだ本に、元ウクライナ大使だった馬渕睦夫さんの「ディープステート」(世界を操るのは誰か)という本がある。

帯には

ロシア革命を起こし、赤い中国を支援。朝鮮戦争からアフガン、イラク戦争まで、そしてアメリカ大統領不正選挙・・
世界を操る「ディープステート」の実態を歴史的に遂に明らかにした。元ウクライナ大使による渾身の書下ろし

とある。昨年6月の初版だけど、今回の戦争を予見してたのごとくの考察には「さすが」やと思った。
最近の社会の教科書には、日本とアメリカが戦争した史実も掲載されていないらしい。いろんな情報に右往左往したり、
マスコミに洗脳されたりしながら、浮いたり沈んだりしていくような時代だけど、もうこのあたりで、「わたし」とか「今ここ」
をしっかりぎゅーっとつかんでおきたいものです。感謝。

10年続くメニュー 月曜の朝は卵かけごはん

311の年の1月から始まったので「月曜の朝は卵かけごはん」は10年になる。
世界一おいしい朝ごはんは「日本の卵かけごはん」だと思っている。
喫茶店のモーニングは、パンを中心に、目玉焼きとか、サラダとかが圧倒的に多い。
ときどき、合羽橋あたりにいった帰り、「ペリカン」のパンを買ってかえり、珈琲
といっしょに朝食べる時もある。「カフェみたい」なんて、新鮮がったりして・・・

こないだ、新しいカフェの聖地、清住白川を徘徊してみた。「なんやら」いうアメリカからきた
カフェなどがあるとこ。現代カフェ美術館ができてからこっち、なかなかお洒落なカフェがいっぱいできて、
素敵なところ。その現代美術館の斜め前あたりに「ごはんカフェ?」みたいなカフェがあった。
これから、小麦が高騰するし、よくよく考えてみたら、輸入もんには遺伝子組み換え麦なんかが跋扈しているので、
そろそろ「喫茶店の定番モーニング」が、「ごはん」になればいいと、勝手に思っている今日このごろ。

昨日は1日雨だった。12時に暖簾をかけたら、若いカップルと、紳士なおじさんが入店してきた。
紳士なおじさんは、昨日と同じように「九州の先輩 ぱーと2」みたい。ほんなこつ、九州の人は個性的な人がおおかね。
カシミアコートに、お洒落なジャケット、シルクハット・・・なんどか、ファッション誌にも紹介されたことがある。
福岡久留米出身、チャッカーズのふるさと、芸能人がやまんごとでた街。

先輩「ひさしぶり。元気にしちょった?コロナの影響はなかね?72になったばい。野村さんはいくつになったかいな?」
ぼく「65です。元気そうでなにより・・まだ現役ですか?」・・・九州人は、歳をきいて、ひとつでも上下があると「奴隷と王様」になる。
先輩「かあちゃんとはせんばってん、まだ現役ばい」・・・現役の意味が違う!

先輩「ざるそばとボボブラジルお願いね」
ぼく「ほぼブラジルいいます(笑)」
先輩「九州人は昔いえんかったもんね、ボボ・・・ここでしか言えんけん、ボボにしちょって」

珈琲を飲んでいる時、カウンターにある「うめ星」を見つけた。
先輩「これなんね?」
ぼく「うめ星・・・隕石の粉が入ったセラミック」
先輩「どこで隕石とってくると?」
ぼく「能登で天気のいい日の夜、物干し棹でとるとです」
先輩「そげんこつ、おもしろかね・・?」

そこで、隕石粉入りの「能登ジェラトン」の珈琲カップをだし、残った珈琲を少し
ついで、先輩にのませた・・・
先輩「手品ね?味がぜんぜんちごうとるばい」
ぼく「不思議でしょ。」
先輩「ボボブラジルをぼくが淹れても味かわるとやろか?」
ぼく「まずい珈琲のほうがよけい味がかわるので、大丈夫」
先輩「別荘(この人は10年くらい前から、横浜と諏訪のデュアルライフ(月二ペースで諏訪)でやってみたら、
うけそうやね。なんぼ?」
ぼく「一客二万円です」
先輩「近くにコンビニあると?だまされたつもりで、ふたつ買うね」・・といってファミマでお金をおろしてきた。

そして「ボボブラジル100gもお願いね」
といって、帰り支度そし、「これで、80まで現役でいけそうばい」とニヤリ。
いつも、話がかみあってないけど、そんな具合で、お互いの「場」は盛り上がるのが、九州人?感謝。

これから「卵かけごはん」

100年続く店の作り方 ぱーと3

今日は朝から☔。
「晴れてよし、曇りてよし富士の山」
雨の日もあるし、雪が降ることもある。地震だってひんぱんにくるし、コロナも品をかえ、かたちをかえ、
「これでもか」といわんばかりの勢いだ。単純にプーチンの頭がプチンと切れたわけでもなく、世界は
戦争モードになってきた。昨日の朝日新聞に
著名な政治学者の先生が書いてあったけど、それを読むと、「第三次世界大戦」は避けられそうでない、みたい。

これから、どんな局面になるか、誰も予想ができんばってん、せっかくこの時代に生を享けたのだから、
命のあるかぎり、力尽くしたいと思う。「大丈夫、ぜったい死ぬまで生きられる」だ。
昨日、リンパまでいって全身がガンで侵されていた先輩(大分生まれ)が、「娑婆にもどってきたばい」
といって、「花巻そば」と「ほぼぶらじる」を所望された。
「野村さん、定期健診しとるね?」というので、「方向音痴なんで、病院の行き方がわらんとです」と答えたら、
「いったほうがいいよ」とのこと。
「なんも病気もっとなんと?」と聞くので、「骨董病と、それに関連した金欠病」と答えた、ら、笑っていた。
82歳になる先輩の悪い癖。老人の三種の神器「昔話をする」「自慢話をする」「説教をする」。
最近はそんな先輩さんには、やわらかく、三種の神器の話をする(笑)

トイレにある「坂村真民」さん(この人は熊本生まれで、詩国という新聞を四国に住んでライフワークにしとらした)の今日の言葉。
「100年続く店の作り方 ぱーと3」ではないばってん、人生も100年時代。とはいえ、命短し、光陰矢のごたばい、だ。かみしめながら、
毎日毎日を過ごしていきたかとです。今日も朝から、貧乏というのし棒を振り回しながらそばを打ち、七輪の上で、せんべいやのじいちゃんよろしく
珈琲豆を焙煎し、ブログを書いておりまする。毎日が好日やし、けっこう本気で六十有余年の人生を生きておるっちゃねん。

「本気」

本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる

変わってこなかったら
まだ本気になってない証拠だ

本気な恋
本気な仕事

ああ
人間一度
こいつを
つかまんことには      真民

100年続く店の作り方 ぱーと2

先日、お客さまに頼まれた珈琲豆を、ゆうパック?レターパック?(600グラムまでは、それでOK牧場。能登で投函しても本州なら次の日に届く。ただし、コロナが
あまりひどいと、配達員の確保が大変なので、そのかぎりでない)で送るために、近くのポストに入れに歩いていたら、向こうから若い娘がふたりきて、
「こないだのお水(能登の霊水)で紅茶を淹れたら、めちゃくちゃおいしかった」といわれた。明治道りの紅茶屋兼スイーツのお店のオーナと、それを
手伝っている子(先週ブログに書いたときは、名前を書いた。けど、顔はわかるんばってん、〇〇ちゃん、と呼ぶ子が多すぎて、長崎チャンポン状態っちゃん)。

彼女のお店には、おかまのMくんといった。ながい付き合いだけど、「今日はわたしがおごってあげる」と、地震でもきそうなくらい珍しいことやったけど、
「珈琲ふたつね~」とMくんが注文したら、「すいません、うちは珈琲はありません」とやんわりことわられ、「じゃ~ 何かおすすめの紅茶ちょうだい」
ということになって、ふたりでダージリんを飲んだ。
界隈には、最近いろいろカフェができているけど、「珈琲をメニューにいれないカフェ」というのは、そのお店くらいだ。ときどきうちに来た時は、
そばとほぼぶらじるを飲んでいかれるので、きらいなわけではないと思う。
平均的な味で、なんでもありますチンカラコン、よりも、「紅茶とスイーツ」といった専門色があるのがいい。
「だぼはぜカフェ」よりも、「〇〇専門」といったほうが、お店の特徴があって「持続可能性」があるように思う。
ただ、その専門の分野は、寝ても覚めても、その味や質の高みを目指して、向上し続ける努力ど情熱がどこまであるか、がカギ。

同じく明治通りに「ぶんかん」という、天真庵の改装中に声がかかり、あまり(もともと、うちの材料もあまりみたいなもんやけど)みたいな材料で
改装したお店がある。初代の店長がなつきくん。今は長崎に移住して「くちのつ巷珈琲焙煎所」をやっている)。
うちを改装してくれた中西軍団が改装したのだが、そんなイキサツもあり、改装にかかった材料費は、20万くらいだった。
最初の経費をおさえる。これはどんなお店や会社をつくる時も、いえる。「小さく産んで大きく育てる」って大事かもなんばん。
家賃もそうやね。押上も便利がいいので、スカイツリーができてから、家賃が高くなった。ワンルームが、8万くらい、1DKに
なると、10万は超える。シェアハウスでも6万5千円から8万くらい。だからお店をだそうとすると、改装費と保証金とか、
運転資金とかいれて、500万から1000万くらいかかるやろな~。駐車場代が25000円くらい。

家賃が15万としよか。最近原料費がめちゃくちゃ高騰していて、今後のことはわからんばってん、
「家賃を3日で売り上げる」という指標がある。お店の提供するモノによって、前後すると思うけど、
この場合は、一日の売り上げ目標が5万やね。ひとりできりもりして、10坪以下のお店を7・5万円で
借りる場合は、半分の25000円。500円の珈琲を50杯。
「家賃の10倍が、月の売り上げ目標」というのもある。上の例でいくと、15万の家賃なので150万円。
5万で150万をあげるためには、休みがない。だから、やはり飲食は、あまり儲からないし、過酷な稼業よね。
「それでも、これが天職」というひとが、最後に生き残るような気がする。

昨日、小学校時代からの親友で、外交官をやめて政治家になったすえくん(末松義規くん)からメールがきて、
「インボイス制度に反対」の運動をやっていることを知る。
今は年商が1000万以下のお店は消費税が免除されるけど、これから(2023年10月?)は、消費税を払うお店と、免税のお店と、
区別される制度が、あまり声高ではないばってん、政府がすすめているの。
これが導入されたら、中小零細のお店は、半分以上つぶれると思う。
ようするに、コロナでお金をばらまきすぎたし、戦争もはじまったし、税金をいっぱいもらいまっせ、という
お上の計らい。
テレビや新聞などのニュースでも、明るい話題が少ないけど、その暗い世の中の闇の中では、なおいっそう暗いお話
がささやかれているのね。しっかり生きていきたいね。みんながんばろな。

100年続く店はどうつくる?

昨日は、三菱銀行にいった。ぼくは、昔からお金を扱ったり、銀行へいくのは
苦手だ。池袋時代は、かなり稼いでいたので、銀行からお歳暮(今もそんなことやっているか知らないけど・・)
などが来ていた。今は昔・・・今は銀行の近くの自販機の下あたりをのぞくのが日課(ウソ)

めずらしく、先週三菱にいってお金を卸した。会社の口座。久しぶりなので、覚えていたハズの暗証番号が
あやふやで、二回やっても、「もう一度・・・」とかいうメッセージ。三度間違うと、そのカードが使えなくなる、
くらいは了承しているが、無謀にも、三度目の正直だ、と正直にうる覚えの番号をいれたけど、ダメだった。
法人の場合は、代表者の証明(免許書など)と会社の印鑑が必要になるので、昨日の朝いちばんでいった。
まわりを見ていると、ネットバンキングなどの手続きにきている人などが何人かいた。説明を聞いているだけで、
「おれおれ詐欺」や「振込詐欺」にあいそうなくらい、目まいがする。大手の銀行も、閉店が続き、曳舟にあった
同じ銀行は昨年閉店になった。なのに、月末とはいえ、坐る椅子がないほど、混雑している。
これから、もっと世の中が渾沌としてきたら、取り付け騒ぎとか、円が暴落しそうで、金に換えよう、とか
仮想通貨の世界に円が流れていく可能性もある。そして、伝統的な「箪笥貯金」がますます増えていきそうな気配もある。
ようするに、どこを「信用するか」の問題だ。

一時間半くらいかかって、無事終了。それからいつものように徘徊散歩。
きらきら商店街で、ひさしぶりに「生ぎょうざ」を買う。3人前540円。これをフライパンで焼いて、ポン酢に
三輪福さんがつくっている「ベジラー油」を入れて食べると美味い。それから亀戸界隈を徘徊。亀戸餃子でビールを
飲もうか?などと思ったけど、今日の晩御飯も餃子になりそうなので、そのままブックオフへ・・・

入り口あたりの棚に、おもしろそうな本があった。
「京都・六曜社三代記」(帯には、「100年続く店はどうつくる?」)とある。
喫茶好きの間では、有名なお店。京都三条にあって、ドーナツと自家焙煎の珈琲がうりのお店。
ぼくがいた「からふねや」の河原町店は、そこから100mくらい下ったところにあった。
この本の中でも紹介されていた。イノダが戦後に創業。六曜社は、戦中の満州で産声をあげた小さな喫茶店。
引き上げと同時に、今の場所に移り、今は三代目が活躍されている。
亀戸駅近くの喫茶店で、珈琲を飲みながら読んだ。深煎りの珈琲に、砂糖とフレッシュがあらかじめ入っている
「あの当時の京都の珈琲」の味をと思い、砂糖とミルクをいれてみた。最近の浅煎りの珈琲では、そんな味がしない。
でも、すごく懐かしい古都の香りがした。

今日は天真庵の15歳の誕生日。珈琲の道は47年になる。あと53で100年・・・?
はなから、そんな目標をたてたこともない。何事も「きめない」ことを信条にしている。
会社をはじめて、そろそろ40年くらいになるけど、その間、ただの一度も「会議」を
やったことがない。「そんなこと自慢にしてどうする?」といわれそうだけど、「自分たちがとれなくても、
社員の給与ははらう」みたいな当たり前のことを、浮いたり沈んだりしながらも、どうにかやり続ける、
そんな日常の繰り返しの、「今ここ」の瞬間瞬間が、その人の「人生」やと思し、お店だったら100年続く途中の一歩やと思う。
ぼくは20周年など、まったく目指していない(笑)。感謝。

能登珪藻土七輪が合羽橋から消えた?

木曜日、浅草経由で合羽橋を徘徊散歩。
月に一度は、仕事がら、合羽橋にいく。
珈琲の道具も、そばの道具も、自分なんりに工夫をしながら、
まわりのアーティストみたいな職人さんたちに、つくってもらったものが多い。

珈琲のサーバー、ドリッパーや、珈琲カップは、久保さんのお願いしている。
最近は、銀座の「隕石カフェ」(ビッグバン・隕石直売所)も加わり、共同で不思議な
カップやドリッパー・サーバーをつくったりしている。来月は、いろんな新作が揃う予定。

蕎麦道具は、包丁は師匠、まな板は般若くんにつくってもらった。各地で「蕎麦会」をやってきたけど、
島原には道具を置いてあるし、梅茶翁にもそろっている。道具がない場合は、車に積んで、どこでも
いつでもOK牧場だ。

まんぼうが解除され、春休みになり、桜の開花宣言も重なり、浅草は若者でごったがえしていた。
コロナ前は、中国人が猿回しの猿みたいに、ワーワーいいながら、安っぽい着物来て、界隈を闊歩していた。
同じような安っぽい着せられ、日本の若いこらが、歩いている。馬子にも衣装、というか、着せ替え猿みたいだ。
帯の締める位置が高い(そのほうが歩きやすいのかな)のか、歩き方がO脚でがに股なせいか、「いつでも前をはだけて立ちション便ができる」
といった格好。それで、もんじゃや(いつの間にか、もんじゃやがいぱいできた)で、もんじゃ食べながら、ビールを飲んでいる。
いらぬお世話だけど、小便にいって、用を足した後、もと通りに、居ずまいを治すこと(もとの恰好にする)ができるのかしら?なんて心配になる。

そんな春の風物を垣間見ながら、浅草六区経由で合羽橋へ・・・
コロナ前は、やはり外国人が、刃物屋さんに跋扈して、日本のホンモノの包丁を土産や、転売目的で買っていく風景が目立った。
日本人は、文化包丁や安くて手入れの少ないステンレスの包丁しか使わないので、どの店も以前の賑わいがない。
「空き店舗」の看板が目立つ。やはりマンボウは解除されたが、飲食店が冬のまま、春の気配がうすい。

そんな中、いつも立ち寄る道具屋で、「能登七輪」のコーナーが、「入荷の時期不明」という張り紙。
能登の道の駅も同じような状態。ながびくコロナによる、巣ごもりで、自宅や別荘で過ごし、家族や仲間と「焼肉」などを
する時、重宝されているようだ。ソロキャンプや家族でキャンプも流行りはじめ、需要と供給のバランスが悪くなっている。
加えて、地震や災害や、有事になった時の「供え」として、準備を始めるひとが急増しているみたい。
東京はマンション住まいの人が多く、契約上、七輪など使えないことになっているけど、イザの時は、車の中や、避難所や、
ひょっとしたら、路上で生活することにもなりかねない。一家にひとつ七輪があってもいいかもなんばん。

能登の梅茶翁から「珈琲豆2k」の注文が入って先日おくった。先週末から10日コース?で、「ペチカ」のワークショップを
やっている。徒然草の時代から我が国の暮らしは「夏の暑さ」対策に重点をおいてきた傾向がある。
でも、化石燃料を使うには限界があるし、これからしばらく有事時代が続けば、冬の暖をどうする、が
もっと問題になってきそうだ。東京で「ペチカ」は難しいけど、各自が工夫をしていかねば、来年の冬はより寒く
なりそうな気配。だいぶ温かくなってきたけど、今朝も炭おこしに炭を入れ、それを有田の火鉢に移し、その上に薬缶をおき、
お湯がわいたら珈琲を淹れ、新聞を読む、ところから天真庵の一日が始まった。日々是好日に感謝。

月曜の朝は卵かけごはん・・・

今月は「そばもん」を読み直した。あらためて「最近のマンガ本は、すごいな~」
と思う。そばの師匠の高橋さんの本も読んだけど、二度読みはしていない(笑)
押上の天真庵の改装を手伝ってくれたあいちゃんの嫡男が、15年前に生まれたばかりの赤子を
つれ、仕事をしてくれた。玄関のとこのステンドグラスは彼女の作品。その嫡男がこないだ「蕎麦打ち」
にきた。「そばもん、を、2回読んで予習してきました」とのこと。
これからは、マンガ本やYouTubeが、先生になる時代かもなんばん。

コロナで今はやっていないけど、「自分で鮨をにぎる会」というのをやっていた。
その前に「佐賀のがばいじいちゃんの鮨会」を3年やっていたので、その時にカウンターに
坐って、じいちゃんの鮨を食べた人たちが、天国にいったじいちゃんの鮨をオマージュする、
そんな会だった。島原に移住した「くちのつ巷珈琲焙煎所」のなつきくんのところでもやったし、
能登の「梅茶翁」でも何度かやった。そばに比べて、「特別な道具」がなくてできるのと、
それぞれ参加する人の「手」が道具になるので、コツがわかると、誰でもどこでもできる。

というわけで、今、「将太の寿司」というマンガを読んでいる。
そのマンガにも書いてあったけど、鮨の7割が「しゃり」、つまり酢飯。
あまり重きをおいていないばってん、それ(お米や炊き方)の良し悪しが、鮨の味をきめる。
今日の「卵かけごはん」のごはんは、「将太の寿司」に書いてあった「お米の洗いかた、炊き方」を参考に
して炊いた。お米と同割り(1:1)の「水」も大変重要だと書いていたので、能登の「藤瀬の霊水」を
使って炊いた。さっき炊き終えて、しゃもじでかきまぜ、その中に入れる「うめ星」(隕石玉)を取り出し、
そのまわりについた米つぶを、つまみ食いしてみた。これまでと似て非なる、筆舌を超えたシャリができた。
昔から、おいしいシャリを銀シャリといった。銀河を渡ってくる「隕石」の粉でつくったうめ星を入れて炊く
ご飯も、やはり「銀しゃり」だ。

みそ汁の味噌は「手前味噌」。味噌の麹や塩も、能登のものを使っている。味噌汁の実にも、
能登からつれてきたふきのとうを刻んでいれる。
今日の「香のもの」は、富来(とぎ)の「京屋」というお蕎麦屋さんのおばあちゃんがつくった沢庵。
これもまた秀逸。「能登はやさしや土までも」を彷彿させる味。感謝。

UFOの街の銘酒

昨日今日は、土日なので16時で営業して、それからは「蕎麦打ち道場」。
ベテランの「そばもん」が蕎麦を打ちに来た。風雨の中、夫婦で車できて、旦那な
蕎麦を打つ間、奥方が酒を飲みながら待つ、というスタイルをかれこれ4年くらい
続けておられる。〆のそばを待つ間に飲む酒を「そば前」という。
そのそばを打つ間に飲む酒も、また新しいスタイルの「そば前」である。

初心者のころは、蕎麦打ちに一時間くらい要するので、徳利3本は飲めたが、最近は30分ちょいで
打てるようになったので、ちょっとペースアップして2本が限界。昨日は、能登で調達した「遊穂」(ゆうほ)の
限定酒・年輪 THE FIRSTを皮切りに二本飲んでいかれた。その限定版は、ラベルの模様もアーティスティックな上、
ピンクレディーが「UFO!」と踊るくらい、味に広がりがあり、キレもいいし、きれいな酒だ。

「遊穂」は、御祖酒造といって、能登の羽咋(はくい)にある酒蔵。社長は美人社長で、たしか美穂さん。
その穂からとって命名したのであるが、羽咋というのは、UFOで村おこしをしたところ。コスモアイル羽咋
がある街だ。「遊穂」の酒のラベルの裏書を紹介する。

「能登半島の中程、UFOの町石川県羽咋市で醸しています。力強さと優しさを兼ね備えた、日々のお食事
と共にお楽しみ頂ける日本酒です。(略)おすすめの料理・・脂ののった魚、鯖や酢〆のこはだ等。
豚料理やチーズ、クリームソースの料理、ポテトサラダなど。」

どの酒もそうだけど、地酒はその地にいって、そこでとれたものを酒肴にして飲む、のが一番。
昨日の「限定版」のうしろには、オタク化する日本酒党に対する矜持みたいなことが綴られていた。

「我々はいつから、お酒を『頭で飲む』ようになってしまったのでしょう。本来のお酒の楽しみ方は、その土地の風土
や造り手の哲学が一本のボトルに表現されたお酒を、それぞれの飲み手が自らの『感性』でもって楽しむことが一番だと考えます。

まったく、「そのとおり」だと思う。
雑誌ヤインターネットの評価で右往左往するのではなく、自分の舌、五感をつかって、
「おいしい」を言える人間になりたいものだ。

能登にいくと、この「御祖酒造」と、能登町の「数馬酒造」に、お邪魔する。
数馬酒造は「竹葉」という酒が中心だが、昨年「奥能登」が、フランスの酒のコンテストで
金賞をとった。そのほか、「イカにあう酒」とか「能登牛にあう酒」など、」地産地消の
ユニークな酒がある。こんど「能登牛筋そば」を食べながら、そんな酒を飲んでみたくなった。
コロナ禍で、居酒屋も、そこに酒を卸す酒蔵さんも、たいへんな苦労をされている。
せっかく、日本人に生まれてきたのだから、自分の感性で、「好きな日本酒」を見つける旅を
されては如何?

今日も16時まで。それから「蕎麦打ち」。二階では「ゆるゆるヨガ」
明日の朝は「卵かけごはんですよ」です。

北千住で飲む

水曜日、池袋で珈琲豆を調達した後、北千住駅で、てるみん、ともちゃんと
待ち合わせ。ふたりとも、昭和62年生まれで、「いくつ・・?」か聞けへん
けど、若い。「高齢者がやっている純喫茶巡り」が趣味で、天真庵もそのくくり(うちは、不純喫茶やけど)で選ばれ、
ときどき「ほぼぶらじる」を飲みにこられる。

要するに、自分たちがかつかつひっかかって生まれた「昭和」の残り香のある喫茶店が
好きらしい。ともちゃんは、故・たまちゃん(元浅草芸者で幇間芸の悠玄亭玉)の三味線の弟子でも
あって、ときどき所縁の浅草や下町の居酒屋なんかで一杯やるようになった「のみとも」でもある。
本日の飲み会は「奥深い酒飲みの聖地・千住の居酒屋で飲む」のコンシャルジュ、というより、
ボディーガードみたいな役目かな?

3時半に合流し「まず、駅前の喫茶店にいきましょう」というふたりの意見を無視し、徒歩二分の
N(有名な大衆酒場)にいく。昼間からカウンターに「ひとり飲み」の左党たちが座り、ビールや
徳利を並べている。(お勘定をしやすいように、老舗の酒場は、空になったビール瓶や徳利、料理の皿は
そのまま置いてある。ある意味、今の開店鮨もそのなごり?)
名物の千住揚げ、肉豆腐、ポテサラなどをつまみに、赤ラベルを一本、山形の初孫を二合が、ウォーミングアップ。
そのまま、このお店で飲みつ続ける、という「ながっちり」になりそうなくらい居心地がいいけど、一時間くらいでお勘定を
すませ、線路を挟んで反対ガシに向かう。最近、神田にあった電気大学がこの地に移転し、酒飲みおじさんの聖地が、
学生街になった。ラーメン屋さんの玄関にたてかけられたメニューに「モーラー 朝6時から」というのを見つけた。
モーラーとは、「モーニング ラーメン」の略らしい。余談ですが、ぼくの生まれた北九州の門司(ぼくは小倉)というところには
「チャンラー」というメニューがある。チャンポンとラーメンの合体みたいなモン。

その「モーラー」ラーメン店の手前に「A」という日本料理屋がある。15年前に、天真庵を改装中、中西くんやuna、林くんを
連れて、飲みにきたことがある。久保さんの器も使ってくれていて、センスのいいお店。
その先に、今年一月にできた新しい居酒屋がある。表の看板に「金沢おでん」「能登の食材・・」と書いてある。
5時開店までに15分くらい時間があったので、界隈のお惣菜やでコロッケを買ったり、ながくやっている街のパン屋さん
で、焼きそばパンなどを買って、その「なんやら」(店の名前は知らない)という、能登ゆかりの居酒屋に入る。

残念ながら、能登の地酒がなく、福光屋の酒をぬる燗にして、能登の魚をさかなにして1合、金沢おでんで一合、
3種のポテサラ(チーズ味・海藻とイクラ味・ラーユ味)で一合、富山揚(鹿児島の揚げがさつまあげ、千住が千住あげ、富山の魚をつぶしてあげると富山あげ・・)げで一合・・・ほど飲んだ。

「まんぼう」が解除されたとはいえ、やはり盛り場に昔のにぎわいはない。しかも戦争モードも加わり、
日本人も「日本もまきこまれそう」という不安な面持ちをぬぐえない日々。
ほんとうにサバイバルな時代になってきたけど、座して死を待つより、生きているを喜ぶほうに足を踏み出したいと思う。
生きにくい時代やけど、「自分らしく生きる」という当たり前のことが試される時代になってきたようにも思う。
千住の駅の近くに「やすらぎ」という居酒屋がある。ふたりに、「今度はあのお店にいこう」と約束して、押上にもどった。

池袋モンパルナス

火曜日の夜は久しぶりに「英語で蕎麦会」。
この2年、寺子屋は閉めているので、同窓会みたいな蕎麦会を
日本語でやった。まんぼう、は終わったけど、まだまだ油断大敵、
あちこちで、こんな楽しい会が、日常茶飯になり、平和と言う言葉
がいらないくらい平和な日常がもどりますように・・・

水曜日は、池袋に珈琲豆を調達・・・
小麦やガソリンと同じように、珈琲豆も高騰している。
珈琲道にかかわりつづけて47年。ずっと、モカ、しかも貴重な
イエメンのモカマタリが大好きやった。紛争とか、地球環境の変化
などで、安定していい豆が日本に入ってくるのも微妙な時代を迎えている。

少し珈琲ハンターさんとの約束の時間に余裕があったので、要町界隈を
ぶらり徘徊散歩。
あまり知られていないが、この界隈は、昔貧乏な芸術家たちがアトリエをかまえ、
夜な夜な、池袋の盛り場で安酒をあおり、逍遥したところ。
詩人の小熊英雄は、その街を「池袋モンパルナス」と称し、詩をつくった。今は昔だけど・・

池袋モンパルナスに夜が来た
学生、無頼漢、芸術家が
街にでてくる
彼女のために
神経をつかへ
あまり、太くもなく
細くもない
在り合せの神経を――