今日は都合により16時閉店 満つまめの会はやります。

ちょっと野暮用ができて、夕方の便で福岡にかえることになった。
満つまめの会は、予定通り二階でやっておりますが、一階の
お店のほうは16時閉店にさせてください。

昨日は「長屋で女史会」だった。
勉強が終わって、蕎麦会の時、版画の話になった。

久しぶりに川上澄生さんの版画を夕方に飾ったので、不思議な気持ちになった。
お店が始まる11年前、その版画を銀座の画廊で買い求めた。着物をきた3人の
女性が、西洋風のモダンな椅子に座って、談論を風発しているような絵。
もう一枚、同じように女性が着物を着てワインを飲んでいる絵があった。

その絵は一日違いで買いそこなった。若いころは、おねっちゃんのいるお店で、いつも財布の中が
空っぽになり、年をとってからは、骨董屋をのぞいて、気に入ったものがあると、財布の中身
をぜんぶおいていく習性ができ、いつもすってんてんで、家に帰った。
美術品とか、茶道具とか、普通の生活とは乖離したもの、無用の用みたいなものを買うのは、「自腹に限る」
と、白井晟一先生がおっしゃっていたらしく、その話を聞いてから、自分のお金(会社やギャラリーの経費でない)ときめている。

3人娘の版画を見ながらワインを飲むと、美味い。できたらクラシックなバカラのワイングラスで飲むと、もっとうまい。
昨日は文庫ちゃんとそんな話をしながら盛り上がった。今のグラスと違って鉛の含有量が少なく、女性的なやわらかさがある。
ガラスといえば天真庵のグラスのほとんどは、安土さんのものを使っている。彼の実家には生前の川上さんも遊びにいっていたらしく、
版画も残っているらしい。川上、安土・・・・そーんなバカラ、の奇妙なお話。

朝焼けの日は☂が降る?

今朝は朝刊が休刊日。
ぼくは、休肝日はもうけたことがない。成人する少し前(だいぶ前?九州は15歳くらいから飲む?)
から、毎日飲んでいる。

蕎麦を打ちながらラジオの天気予報を聞いていると、今朝は朝焼けが見えて、そのことわざのように、夕方から
下り坂になる、ということだ。

人生にも、下り坂と上り坂があり、「まさかの坂」というのもときどきあるらしい。
前のふたつは、経験とか運とかが左右しながらもどうにか過ごしていける。「まさかの坂」が
来た時は、その人の「人間性」が大きく左右する。らしい。そんな本をどこかで読んだことがある。

今日は「長屋で女史会」がある。ものほんの女子大の先生が、日本の歴史を「女性」にスポットライト
をあてて、蘊蓄たっぷり、酒席にぴったりの、ちょっと女子大には聞かせられない話をしてくださる。
多士済々の人たちが、生徒としてやってくるし、かなりおもしろい寺子屋になってきた。

明日は「ちんぷん漢文」の日。
「古典」が苦手だった、という人が多いけど、文人たちに中国の文化はあこがれであり、実に奥深い
ものかかがよくわかる。お米といっしょで、かめばかむほど、おいしくなるし、血や肉になっていく。

これから「卵かけごはん」。ごはんと味噌汁とお漬物。それだけあれば何も足すことなし。
「足るを知る」の日本人の原型みたいな食事。

なさざればくわずというかあなかしこ 何をなしてか我はくらへる

ある芸術家の歌。古今東西を問わず、みんな飯を食う、ということで悩みながら生き、死んでいく。感謝。

「満つまめの会」がすごいね。

天気予報を見ると、今日は30度になるらしい。
自動打ち水機が活躍しそうだ。
このあたりは、飛木稲荷の神域で今日は秋まつり。
地味なお祭りだけど、元気はこのお祭りを見た後召された。

秋まつりといえば、熊本の「藤崎宮秋の大祭」を現地で体験すると、
熊本人の気骨や歴史が丹田の下にズシリとおりてくる。
昔は「ぼした祭り」といっていた。九州では、力道山の
次代に、あの名レスラー「ボボブラジル」とはなかなかいえない事情があった。
朝から説明するにはちと、テンションがあがらないけど・・・

今日は日曜日なので16時に閉店。それから「蕎麦打ち教室」
二階は「満つまめの会」

芸術の秋だ。音楽家たちも芸術家たちも、いろいろ忙しそうだ。

30日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演  ¥3,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

この世はすべて次代送り

先週農業をやっている旧友がそばを手繰りにきた。
どうやら軌道にのった農業法人を後輩に託して、次のことをやるらしい。
人生いろいろだ。ぼくの誕生日に「おめでとうメール」がきたので、返事に
「麦の家、をめざすようなこと考えてみたらどうだ」みたいな返信をした。

比叡山のふもとに「麦の家」がある。松井浄蓮さんが始めた。
最近古本屋で、彼の本を見つけた。

・・・(略)・・人生においては「次代送り」の喜びというものが大切。果物の樹を一本植える
にしても石を家のまわりや田圃のふちにおきにしても、先祖の行跡を考え、子孫の末を思い、
数百年ののちの夢までみつつ工夫しているなどということは、土の上に生活の根をおくものでなければ
能(あた)わぬことである。(浄蓮)

都会で暮らしていく未来には、ぜったいにつかめない「哲」である。

昨日大石学さんから新しいCDが届いた。「雨の音」。。。?なんやらそんなタイトルのソロピアノアルバム。
どんどん新しい曲ができてくる、ようだ。海賊と呼ばれた男、出光佐三翁の随筆に「自噴の水」というのがある。
人生は短い。人にいわれてやるのではなく、自分の本心良心の奥底から湧いてくるような感動を大事にしたい。
そんな意味だったように思う。昨日このCDをかけていたら、バタバタとお客さんがそばを手繰りにやってこられたので、
この一枚で開店から閉店を過ごした。今朝蕎麦を打ちをしながら聴いたら、みんないい曲だ。
「自噴の水」でいきたいもんだ。感謝。

かっぽれ飯

昨日は「おとこ かっぽれ」。もうかれこれ8年くらいやっていることになる。
女子はまだ一年くらいだけど、男子の3倍くらいの人数になり、活気もある。
幇間芸(ほうかん)というのは、そもそもは男の専売特許みたいなものであるが、
生命力にあふれる女子が席捲している。お茶もお花も、同じようなことがいえる。

まわりの友達が、現役を引退して、田舎にひっこんだり、東京でブラブラしたりし始めた。
会社をうまく経営し、株を売ったりして悠々自適なんとか、大手にいて退職金がいっぱいでて
余裕の人もけっこういる。でも余裕のある人たちは、だいたい「お金にものいわせて遊ぶ(暮らす)」ことを
標準にしているので、自分の手を動かして何かを創造する、とか、体を動かしながら汗をかく、
なんていうことから遠い人が多いような気がする。引退した後に退屈しないコツは、
毎日コツコツと体を使い、頭や体をつかって、自分ひとりででき、一生の残りの日々を費やしても悔いのない「何か」を見つけることだ。

そういう意味では「お茶」とか「お花」なんていうのは、お点前の順番をおぼえる、とか、上手にできる、とか、うまく投げ入れる、とかハウツーの範囲を
超えて、「どう生きる」かという問いを自分に課せるような「哲」があるので、おもしろい。お金で買えない「コト」が多いのもいい。

蕎麦を打ち始めたころ、最終章をこんな風に考えていた。

朝まずめに30分釣りをする。
帰ってきて20人分のそばを打つ。
蕎麦が売り切れたら、おしまい。晴れていたら畑や山にいき、
友が訪ねてきたら、煎茶を一服する。晴耕雨読。
夕方になると若いお弟子様がやってきてお店は交代。
ぼくは、カウンターに座って、沈む夕日をみながら朝釣った魚をつまみに酒を2合飲む。

そんなことができる場所を旅の途中で模索してきた。

義経とわらび姫とUFO

今日は「おとこかっぽれ」の日。あいにく朝から東京は☂。

今日はBUNKANの坊ちゃんが、水を持ってきてくれる。南島原に移り住んだなつき君
の仕事を受け継ぎ、月一のペースで、静岡の奇跡の水を汲みにいってくれる。
午前中の約束だったけど、都合がつかなくなり、夕方リベンジ。静岡の水は、世界一の
浄水器・富士山の水。論語の会の幹事を長年務めてくれた清水さんも、この夏静岡に移住した。

昼は「残り物のパスタ」。能登のギバサと能登梅の梅干しで「能登そばUFO」が誕生した。
これをパスタにすると、ビールにあうのでは?とひらめきやってみた。
オリーブオイルににんにくひとかけら、梅干し、ギバサ、そこに適宜ゆでたパスタをからませ、最後に
パラリとかえしをかける。残りもんだけで作った「貧乏パスタ」だけど、ビールのすすむこと。

ぎばさとは、能登でとれる「ホンダワラ」のこと。雄株・雌株があり、早春の冷たい海で採集して干して常備する。
壇ノ浦で平家を滅ぼした義経は、京都に凱旋し、不思議なエニシで敵方の重鎮・平時忠の娘「わらび姫」を妻にした。
ご存知義経はその後、兄頼朝にうとんじられ、奥州に逃げる。「勧進帳」は有名な話で、今でも歌舞伎や芝居で人気がある。

平時忠は、奥能登に流され、父といっしょに住むわらび姫に一目あいにでかけた、という話が能登に残っている。
先週はそんな話が残る「義経の隠し舟」の里へいってみた。
ギバサとは、その時義経が馬に与えた海藻・ホンダワラのことを表し、「義経の馬の草」が原点らしい。
半官贔屓の日本人は、頼朝とか森友とかより、義経が大好きである。勧進帳で涙を流し、夏は体を動かし汗を流し、
流した後に、ギバサと梅干しのきいた「能登そばUFO」を食べながら、義経とわらび姫のことを忍んで涙をながし、
能登の地酒を飲む。新しい義経伝説。                 

奥能登国際芸術祭

が始まった。2017年9月3日(日)〜10月22日(日)までの50日間。珠洲のいろいろな場所で、いろんな国
の芸術家たちが、真善美を発信する。
オープニングでは、三輪福さんが海で素敵な舞を奉納した。昨日メールに添付してあった映像を見て、
能登の神秘をあたらめて知る。われわれ日本人のこころの原点のようなものは「縄文」に由来する。奥能登は
縄文の魂が自然の中、日常に残っているところ。

天真庵のHPの「遊山」というところに、今月1日に真脇遺跡の「縄文の家」で三輪福さんとやった「縄文のお茶会」
の写真をアップした。日本のお茶の原点は、千利休さまあたりを原点にしているけど、きっと縄文あたりに「火」
を発見したころから、自然発生的に生まれていたのでは、と思ったりした。

昨日は「英語でそば会」だった。残念ながらポン引きはうまくいかなかった。ツアーのポーランド人があまたいたらしく、
「ツアーで、これからみなで食事をします」というような事情だったらしい。
残念会のようなそば会になった。でもゆっくりと日本語で酒を酌み交わすのも、またいいものだ。
最近なんだか知らないけど、「中高年の登山学」よろしく山をやる中高年の人と縁がある。校長は岩崎元朗さん。
「山は哲」という信念を持った人で中高年の登山人の教祖みたいな人。ぼくが主催していた「ねっと21」のメンバーでもあった。
彼の弟子と「立山」に登って以来、毎年のように立山に登ることが5年くらいあった。その後はマラソンと
ボクシングにはまり山から少し遠ざかっている。奥能登の内浦(富山湾側)からは、晴れた日には立山が湾の向こう
見える。今年は二度見た。不思議な「えにし」を感じる。天恩感謝。

英語でポン引き

今日は「英語でそば会」
スカイツリーのとこで、先生と生徒が待ち合わせて、「ええ店があるんやけど、いっしょに
チャーセーヘン?」と外国人観光客をナンパして天真庵につれてくる会。
正確に覚えていないけど、成功したのが25回かそこら、失敗は5回ほど。かなりすごうでのナンパ師たち(ただし8割は女子)

一昨日のお昼に元気なじいちゃんがバイクをお店の前にとめそばを手繰りにきた。「そば一枚」と元気に注文。
ところが白いシャツの右腕が血だらけだ。「どうしたのですか?」と聞くと「いや、ちょっところんで擦りむいただけ」という。
かみさんがシャツのそでをそうろうとまくると、鳩サブレくらいの擦り傷があり、鳩の胴体ぶぶんがペロリと剥けている。
「救急病院が歩いて5分くらのところにあるので、いっしょにいきましょう」というと、「腹へったので蕎麦を食べてからでいい」
とおじいちゃん。「ばい菌が入ると大変ですよ」といって無理くり病院にいったけど、日曜日で受け付けてくれず、しかたなにので
福太郎にいって、消毒液と大きなバンドエイドを買ってきて応急手当をした。

聞くと「和光市からバイクでハゼ釣りにきた」とのこと。年を聞くと「88歳」とのこと。前科を聞くと「春に縁石にタイヤをとられ、
一か月入院した」とのこと。「もうバイクはやめといたほうがいいよ」と、こころをこめて説教をすると、「かあちゃんもそうゆうんだけど、
死ぬまでのりたい」とのたまう。「大丈夫 絶対 死ぬまで 生きられる」とは、少し次元が違う話であるが、あっぱれな頑固じいちゃん。
そばをツルリと手繰る姿も江戸前だった。

88歳で ハゼを釣りに、バイクで一時間半かけて、蕎麦を手繰り また同じ時間かけて帰っていくじいちゃん。
こんな元気なじいちゃんがいっぱいいたら、この国の未来は明るい。けどそんなのがうじょうじょ道路を走っていたら、
車の運転はもっと神経を使い、若い世代のドライバーたちが早死にしたりしそう。人生まじめに考えると、矛盾だらけ、けがだらけ。

ヨネクラボクシングジムで知り合った元日本チャンピオン。

昨日は岩本さんから「誕生日おめでとう」の電話をいただく。
彼は元日本チャンピオンでその当時の防衛記録を持っていた。
デビュー戦が具志堅さんの世界戦の前座になり(たまたま)。たくさんの観客の前
でやれたことを喜びに思った、という。その当時、ヨネクラには「血止めの松本」という
名トレーナーがいて、毎回防衛戦で流血する彼の血をとめた。彼のジャブを世界レベル
まで仕上げたのも、松本マジックだ。

今は大山で「いわもと」という寿司をやっている。カウンターの後ろには、松本トレーナーの写真が
はっていある。きっと彼は今でもカウンターで包丁を持ちながら、リングさながら死ぬ気で
闘っているのだろう。同じような仕事になって、そんな気持ちがますます伝わってくる。
どんな仕事もそうだと思う。あきらめたら、おわり。これでいい、なんて思うときが引き時。

これから「卵かけごはん」

今日はどらえもんの誕生日

昨日は上原英里さんの「シャンソン」の会だった。
年に一度だけ、だいたいメンバーが集まり、ギター弾き語りのシャンソンを聴く。
天真庵の常連さんが紹介してくれたのだが、池袋時代にお世話になった梶原さん
がお互いの大家さん、という不思議な「えにし」を驚きあった。

彼女の「応援団長」はぼくと同じ申年で61歳。ぼくも今日から61歳。
昨日は彼は、6合の酒をあけた。ぼくは5合が限界のような気がする。でも3時間くらい
シャンソンを聴きながら飲むと、そのくらい飲めるような気もする。
猿蟹合戦ではないけど、申年というのは、そんなどうでもいいことに、こだわりを持ったりする。

昨日の朝、小学校時代からの親友から電話があり、その日の朝に奥様が旅立ったことを知る。
ずいぶん昔の話だが、彼らの結婚式の司会は、ぼくがした。家族ぐるみで、いろいろな場所に旅したり、
九州気骨の会のメンバーがかけていく時にいっしょに忍んで酒を飲んだりした。
人それぞれに運命があり春夏秋冬があり、みなあの世に帰っていく。散る時期が少し早い感はあるが、
白い侘助を掛花に投げ入れた時など、あっという間に落ちる姿に、人はみな自分たちの短い一生を悟るのだろう。
侘助のようにきれいな人だった。年下の親友を慈悲深く「ぼく」と呼び、息子ふたり、息子みたいな彼を入れて
3人の男子を育て、元服させた功績はでかい。鎮魂。

今日は日曜日なので16時に閉店。それから「蕎麦打ち」。

明日は「卵かけごはん」
火曜日が「英語でそば会」