手前味噌自慢

昨日は四国の愛媛から仙人みたいな人がきた。
天真庵で大人気の「黒豆」とか「もち麦」とか「裸麦茶」を作っているMさん。
その道では有名な重鎮さんである。

お店を始めてからの付き合いなので10年を超えた。でもお互いに忙しい、というか、
はじめてお会いした。でも話をしていると、「つながっていた」という感じがすごくしてきた。
寒山拾得の絵を描く南條さんとも同郷だし、南條家の古い歴史などもよくご存じで、100回
かそこら酒席を共にしても気づけないないような、そんな関係が構築されたような時間だった。

人ははやくもおそくもなく、出会える時にちゃんと出会うものだ。

今日は日曜日なので16時閉店。

明日の朝は「卵かけごはん」  昨年仕込んだ麦をそろそろ開けているころで、各地で「手前味噌自慢」
の花が咲き始めていると思う。少しめんどうなことをするけど、なんでも「お金で買う」のと「自分で
造る」というのは。くそとみその差ではなく、その人らの間には、大河が流れていると思う。

ネットなんかで、「知識」というもんは、すぐに手に入る。でも大事なんは「自分でやること」。
昔からそれを「見識」という。

明日の夜は「長屋で女史会」 だいたい歴史というもんは、時の権力者の立ち位置から、「男」目線で
勝手なことを書いてあることが多い。この「長屋・・・」は、女性史を真ん中に置いて、歴史のなぞときを
やっているような感じ。

火曜日は「英語でそば会」

味噌とそば

なにかの雑誌にのっていたのですが、女優の池内淳子さん
が、乾麺だけど味噌汁の身を、そばにして毎日のように食べておられた、らしい。
味噌汁は朝食べる、というのが一般的で、そばはお昼食べる、というのが一般的
なので、この組み合わせは、ながいことニヤミスに終わっていたらしい。
栄養学的には、最高の組み合わせであるらしい。昨日も書いたけど、「ただし・・」
今の市販されている味噌には、腸内細菌を殺してしまうような成分が入っているので
それだけは腸注意だ。

月曜日の朝は、「卵かけごはん」
具だくさんの味噌汁の味噌は、手前味噌。月曜日の夜は、だいたい勉強会があるので、
もういちど味噌汁を作りなおしたり、豚汁に変身させたりして、夜はそれに平打ちのそばを
投じそばよろしく鍋にして供するようにしている。

火曜日に順受の会(論語の会)の松田先生が新年の挨拶にこられお屠蘇を飲んでいかれた。かごんまの
酒豪なので、「寿」という酒を軽く4本空にした。ちょうど平打ちのそばを打っていたので、酒肴に
それを出した。戸隠大根を真ん中にどさっと入れ、薬味にかつおぶしをたっぷり、福井
あたりの「ぶっかけそば風」である。

今年の順は「荘子」を勉強する。23年目になるけど、荘子を勉強すると、老子や墨子も
読んでみたくなる。このあたりのことを学びはじめると、自然にふれることのおもしろさ、
人間の生きる意義などがよくわかり、酒の味もひときわうまくなる。

手前味噌をつくる会

寒仕込み、というか、そんな季節になった。
昨年は93人の人が味噌作りにきた。最近どうやら「腸内細菌」のことが
あちこちで話題になっている。便利な時代になり、昔は各家でやっていたことを、
お金で買う、つまり味噌も「くそ」か「みそ」がわからないものを買うハメになり、
遺伝仕を組み替えられたり、腸内細菌を殺してしまうような薬物が入っているものが
平気で売られていて、自然とその不自然なモノを買い、毎日それを食べる、というスタイルが
平均的なことになっている。味噌汁は「飲む点滴」といわれているけど、「天敵」
になりさがっているのが現状かもなんばん。クソ以下やね。

味噌作りの会のことを「菌活の会」と名付けた。まじめに作られた大豆を自分で選んだ麹と塩で
まさに、いい塩梅にしていく会。今年は毎年年末に蕎麦打ちをやりにく「八郷農場 暮らしの実験室」
でつくってもらった自然農の青大豆も選択肢のひとつになっている。「土」の力、大地のパワーを
自分で確かめてみるチャンスでもある。そんな時代がやってきた。日本の一般的な野菜は、
中国の野菜より農薬つけになっているんやで、ほんま。
「この商品は遺伝子組み換えじゃありません」という表示が目立つのは、それだけ頻繁に遺伝子操作
されたものがはばをきかせている、という証であるし、それが体に悪影響をあたえることもわかっている、
というこっちゃで。

昨日は「満つまめの会」だった。陶芸家の渡辺愛子さんがまじめに通ってこられている。
「うめ星」を買おうか、買うまいか悩んでおられた。土をこね、造形を施し、釉薬をかけたりして、
徹夜で窯出しした彼女の普段使いの器より高価な値段なので仕方がない。「あんたみたいに、
土から気をとってるような達人の「気持ちの気」と「うめ星の気」がうまく反応したとき、おもろいことがおきる可能性があるんや」
と、怪しげな京都弁を使う骨董屋の親父のような会話にだまされ?、笑いながら買っていかれた。
来月は四国で個展をやるらしい。来年あたりヨーロッパで展覧会が予定されている。前途洋々たる炎の芸術家。

昨日は「無茶しぃの会」の最終回。
5年くらい押上天真庵の二階で「煎茶」の入門を教えていた。これからは「道」という領域に自分を
高めていこう、ときめたので、無茶しぃの会は店じまいとさせていただく。
「道」というのは、人に教えられるもんではないので、また形とか場所をかえて、「煎茶」を
楽しむ会を、いつかやることになるかもしれへん、ちゅうことであります。感謝。

満つまめの会もはじまりはじまり

昨日は「満つまめの会」の初日。まーくんの気功整体。
「うめ星」も実に不思議なことをいっぱいおこしてくれているけど、「満つまめの会」
をまじめに受けている人たちは、体つき、立ち方、所作、顔つき、言葉の発し方・・・
いろいろなことのひとつひとつが、生命力にあふれていて、気持ちがいい。
そんな前向きな人たちが、カウンターにとまる日は、こちらも「元気の気」や「気持ちの気」
をいただく。まさに、「気」の「原始的ぶつぶつ交換」。

夜は「漢詩を詠む会」
昨日は正月らしく、ということで「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)を最初にやった。
寒山拾得ゆかりの詩でもあり、宗像の自宅、明日還暦を迎える妹の家、南島原のなつき邸にも
飾ってある。

お店を始める数年前に、上海を旅したことがある。近代的なものと古いものが、調和されているようなないような
街を歩いていたら、ふと、蘇州の寒山寺にいきたくなった。方向音痴であるし、中国語はわからなし、どうしよう
?とカフェで思っていたら、若いカップルが隣にいた。なんとなく目があい、何語(中国語ではないことは確か)で
話したかわからないけど、彼らの車で「蘇州の寒山寺」にいくことになった。今思っても不思議な瞬間だった。
寒山拾得という少し禅というか、線香くさい絵をギャラリーで扱っていた「天のご褒美」だったのだろう。

昨日からギャラリー・アビアント(天真庵のHPにリンクしてある)で、恒例の「墨の展覧会」。
その中でも最高齢?の生井厳さん、が昨日そばを手繰りにきてくれた。
「大丈夫 ぜったい死ぬまで生きられる」という色紙が天真庵の表のショーウィンドウに飾っていて、よく
お年寄りがその前にとまって、それを声だして読みながら、頭をこっくりさせたりしている。
天真庵の書の先生・貞本さんの書も展示されているので、浅草界隈にいくついでに立ち寄ってほしい。

今日は成人の日 卵かけごはん 満つまめ 漢詩を詠む会

昔は、1月15日が成人式だった。
正月が終わり、やっとおとそ気分が終わるかどうかという時に、また成人式・・
ちょっと忙しすぎる気がするけど・・

わがふるさとの北九州では、少しハデな「成人式」が話題だ。パンチパーマの発症の地であり、
目立ちがりの多い土地なので、「さもありなん」という感じがするけど、よその人から見ると「チンピラ?」
の文化に見えるかもなんばん。

ちなみに、わたくしの成人式は、京都競馬場にて迎えました。テンポイントというスターのお馬さんも走って
いるころで、夢のある時代やったな。テンポイントは「悲運の流星」と呼ばれ、雪降る京都競馬場の日経新春杯で足を故障し、
ライバルだった馬に「トウショウボーイよさようなら」といって旅立ったと伝えられる美しい名馬だった。

昨日は「蕎麦打ち」の後「気骨の鮨会」をやった。
知り合いの漁師さんのツテで、特別にクジラが手に入った。
赤身のほうは、年末の忘年会に食べ、脂身を昨日食べた。
薄くスライスして、フライパンで焼き、それに溶き卵を入れ、塩コショウで味付けする。
ちょっとした酒肴として作ってみたけど、主役になった。
牛を食べる国の動物なんじゃら団体たちの圧力で、クジラが食卓にあがらなくなったけど、
縄文時代からこの国ではぐくまれてきた食文化の断絶を身にしみながら食べた。筆舌を超えた美味。
おくってくれた漁師さんによると、刺身でもいいし、ハリハリ鍋にしても美味い、とのこと。

今日はこれから「卵かけごはん」
まーくんの「満つまめの会」が二階で始まる。
夜は「漢詩を詠む会」

鮨をうまく食べるコツ

今日は日曜日。

日曜日はいつも16時まで営業。
それからベテランのそばもんたちがやってきて、蕎麦をさくさくと打つ。
その後は、魚をさばき、酢飯をつくり、カウンターにすわり、「気骨のすし会」。
このメンバーで南島原や能登にでかけ、「出張すしパーティー」よろしく、ご当地鮨会を
最近やるのが、天真庵ふう、だ。

昨日は安来に移住した蕎麦のお弟子さま夫婦が昨年生まれた嫡男をつれて、蕎麦を
手繰りにこられた。かっぽれの次には、安来節をなんとかモノにしたいと、ひそかに
たくらんでいる。車で11時間かけてこられたらしい。南島原から能登へ向かう中間あたりに、安来はある。
酒井順子さんの「裏が、幸せ」という本を読むと、そのあたりの「ゆたかさ」がよくわかるし、その地に
旅すれば、「なるほど」の説明がいらない。

明日は成人の日で祝日。朝は祝日でも「卵かけごはん」
昼間の二階はまーくんの「満つまめの会」。年末コリコリになった体を気功整体でリセット。
この会もまるまる二年が過ぎ、縁ある人たちから無駄のない縁が優美に広がっている。
「健康」が一番。

今月の音楽のことはじめは・・・いきなり大御所が登場。

27日(土) 大石学Duoライブ

演奏: 大石学(ピアノ)・三輪知可(ヴォーカル)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

黄泉の国にいった人ともあえる方法

昨日は、「ことはじめ」「仕事はじめ」

ゼロからものを動かしていく、というのはエネルギーがいるものだ。
年末に何もかも在庫が終わり、珈琲の焙煎やかえしを作ったり・・・もちろん
そばを打ったり、汁をつくったりで、いつもより労力がいる初日。

金曜日は毎週、お花を持参してくれる茶の先輩がいる。奇特な人であり、花のある人でもある。
母堂さま(故人)がお花の先生で、庭には季節の茶花な春夏秋冬咲いている。それを毎週もって
きていただくので、天真庵では花屋で買うことがなく、先輩の家の庭と我が家の庭に咲く花で
年がら花を楽しむことができる。ときどき「この花は母が大好きだった椿で・・」などという物語付きで
なき故人の人がらまでも忍んだりすることしきり。黄泉に旅立った人とは、自分もそこにいかないと
話ができない、と思っていたけど、そんな会話ができるのだと痛感。

今年、順受の会(論語の会)で勉強する「荘子」などを読み直してみると、人間が生きたり、死んだり
するようなことも、特別ではなく日常のごくありふれた自然のいちぶのようなもので、ふーん、と不思議に
ストンと丹田の下あたりに落ちるようなことが書いてある。老荘思想というけど、そろそろ老人さんに
なる人、寒山拾得のような神仙な境地、禅のことを勉強したい、という方、今年の「順受の会」はいいよ。

ぼくの大好きな白い「侘助」を、お店の掛花に投げ入れ、なき母堂さまが大好きだった赤い椿を、
二階の床の間のところに置いてある久保さんの信楽のひさごの花器に投げ入れた。
先月25日に若くて昇華されたお花の先生・竹内由希子さんが好きだった花器だ。
もともと華道とは、あの世にいかれた人に、手向ける、という気持ちが原点。みかみくんの紹介で
出会い、原田先生(故人)に花を教わり、その後に二階で花とお仕覆を教えてくれていた彼女の
ことを思い、手をあわせた。「あ、いいわね、この花」といいながら微笑んでいた笑顔が浮かんでくる。
これもまたあの世にいった人との対話なのかもしれない。

軸は、正月に大綱宗彦禅師の「梅」。江戸時代後期、京都大徳寺の黄梅院にすむ坊さん。歌をよくし、書画にすぐれ、10代千宗左、11代千宗室らとまじわった、らしい。揮毫された和歌がまるで南画かなんかのように、自然となんじでいる。お抹茶の人たちには大人気の坊さん。

明日は日曜日。「蕎麦打ち」&「気骨の鮨会」のことはじめ。
月曜日は、本日紹介した茶の先輩の「漢詩を詠む会」  漢詩とかお花のことがわかってくると、お茶
もおいしくなり、人生の味わいも少し深いところまでいくかもなんばんよ。日々是好日。

わがやのおうちゃくおせち

年末の3日間は「自分で年越しそばを打つ」と「持ち帰りの年越しそば」。
この10年の中でどちらも記録を更新した。
この5年くらいは、年越しそばを食べていない・笑 もっとも残っていても、それを
ゆでる元気は残っていない。少し贅沢だけど、年末にさばいたサバ、もとい寒ブリの
残りをさしみにしたり、伊勢の知人からおくられてきた伊勢海老をさばいてさしみにしたり、
火あぶりの残った炭で、山賊焼き?残酷焼き?にして、残り火に鉄瓶をのせ、錫のチロリに
剣菱を入れ、2合半ほど飲んだ。

起きて半畳 寝て一畳 どんなに飲んでも二合半      足るを知るの原点

それから輪島塗の三段重に、おせちを。
最初の重には、紅白のかまぼこ(年末は高くなるので、とんさま用のかまぼこを25日あたりに、赤白でストック)

二番目には、黒豆(キラキラ商店街の豆腐屋で丹波の極上の黒豆が売っていたので、29日に水につけ29日に
土鍋に「うめ星」を入れて炊く)
31日に珈琲の美しいお弟子様が「きんとん」をもってきてくださったので、横にそれをいれる。
きんとんは金団と書き、黄金色しているので、「お金持ちになる」縁起からおせちにはかかせない。

三番目は「おにしめ」。自慢の「がめ煮」(筑前煮)と、出汁でつかった昆布と椎茸の佃煮。
これだけあれば三が日、朝から家の火鉢に薬缶を載せ、角居くんの錫のチロリに酒を入れて、
本を片手にひがな酒でも、大丈夫。
そして、「そばやの卵焼き」  卵3つ(八郷の暮らしの実験室の極上たまご)にそばつゆプラス砂糖適宜。

さきほどの「きんとん」が最高にうまかった。天真庵で販売している「能登の米飴」を砂糖がわりに
つくったとか。能登の松波という風光明媚な港町に、500年の歴史のある米飴がある。
そこは、能登杜氏の発症の場であり、「いしり」というイカでつくる醤油の発症の地、だといわれている。
「発酵」の原点があるようなところ。米飴は読んで字のごとく、砂糖をつかわず、米と大麦だけでつくる。
この飴を食べたら、「これまで食べてきた飴はなんやろう」と思う。このあたりの「こだわり」を
自分の舌で確かめてほしい。人生が10倍楽しくゆたかになる。

それと年末に「いぶりがっこ」が入荷した。これは秀逸ながっこ(お漬物)。近所の「酔香」さんの親戚が毎年つくってくれる。
般若くんから「赤かぶ」も届き、酒のみはたまらない酒肴のオンパレード。

今日から営業がはじまる。5時に起きてばんばん元気な「初そば」を打った。

あけましておめでとうございます。

犬年がスタートした。今年は「ひとり」がテーマか?
人はひとりで生まれてきて、ひとりであの世にかえる。
「自分で年越しそばを打つ」というイベントを年末3日、朝から晩までやっている。

ひところ「退職後は蕎麦打ちをやる」ような男子が多くて、町中に「そばもん」があふれるかと思いきや、
さにあらずで、そば打ちのカルチャーセンターなどが憂き目を見ている感があるが、
また時代の振り子がふれたのか、若い女子たちの間でひそかに「そばやってみーへん」という話が
ふえているようだ。とにもかくにも「めどき」が続き、女が強い時代が続く。

そんなこともあって、年末の「そばもん初心者」も増え、昼ごはんもコンビニのおにぎりとか、昨日は
ストーブでイモをふかしてすませた、そんな具合である。ラジオでは古い昭和の曲が流れていて、さながら「昭和の長屋」
を醸し出す、そんな中でもそば打ちだった。

ある建築家は、「そばも美しくなくては」と、切ったそばを芸術的に並べ、小学校の音楽の先生はラジオのナツメロを
歌手のようにうたいながら、めん棒を動かし、看護婦さんはカウンターで話される「糖尿病」の話などに、
アドバイスをくれながらそば切りをやっている。割烹着て蕎麦を打つ茶の同心は、「茶事にそば」
とばかりに真剣にそばと対峙していた。いろいろおもしろいことが今年もおきそうな予感。百人いれば百種類の「そば」がある。

「年越しそばおいしかった」というメールもいっぱい。とくに「自分で打ったそば」は
「世界一のそば」だと銘々が自信をもっていいと思う。太い細いは、問題ではない。
唯一無二、他とは違う「もの」がそこにあればいい。

うちの師匠が「そばは、自分のために打つものです」という名言を残した。
自分の本心良心と対話する時間を「孤高の時間」といい、あるいみ「孤独」とは、そのあたりの
心境をいうのだと、今朝の新聞にも書いてあった。「ひとり」の時間が自分のこころを見つめる貴重な時間。
「孤独」と「寂しい」は似て非なるものらしい。正月から「目からうろこ」
これから甥っ子たちと、「すし大会」。うろこを落とす包丁を用意したところ。

Alone,but not lonely ひとりだ、でも寂しくはない。このAloneの「ひとり」は、サムシンググレート(自然)と繋がる自立したひとりの自分。

南島原や能登に「蕎麦打ち」などで出向く時、必ず「すし会」をやる。
教育とは、食の分野でも「共育」だと痛感する。
みんなで協力しながら、同じものをいしょに楽しむ。こんなに
素晴らしい「食育」はない。「そば」「茶」「すし」が紡ぐ不思議な縁が
優美に静かに広がっていく・・・そんな初夢を見た。
「うめ星」を枕の下に置いて寝ると、不思議な正夢を見る、そんな声が
あちこちで聞こえる。今年は「星」もキーワードかもなんばん。
わんちゃんたちの首輪にもぶらさがってきている。

昨年ブームになった「人生フルーツ」のご自宅も、「建築家はワンルームの
建築によって記憶される」という言葉を残した著名な建築家に従い、大きなワンルームだった。
そうすると、いろいろな無駄もないし、生活動線もよく、雑然とした部屋も自然な感じになり、外の枯葉なども
入ってくるけど、これも自然らしくなる。どうかすると庭にいる犬も部屋に入ってくる・・・これがほんとにワンルーム、なんちゃって・・

世の中に 惜しまるるとき 散りてこそ 花も花なれ 色もありける

きれいな人が突然昇華された。

26日の朝、能登「寒ブリ」が届いた。先月あたりに書いたけど、昭和51年ころ
京都下賀茂にあった「からふねや本店」の店長をやっていたころ、すぐ近くに「関西文理学院」(通称・カンブリ)
という予備校があって、そこの生徒や先生がめだかの学校よろしく、珈琲を飲みにきてくれた。

ブリの頭を落としたころ、N響のやまねさんがたっくんといっしょに年末の挨拶にきてくれた。
たっくんにとっては、ものほんのブリは初めてなので、「食育」とばかりに、解体ショーを披露した。
エラや内臓は、生まれて初めてなので、冬の日本海を泳いでいる寒ブリの丸い目玉のように、大きな目をしながら
「それ食べられるの?」とエラを指さした。「これは海の中で息をするもので、食べれません」と答えた。

手もまな板も、真っ赤な血潮で染められているその時、携帯がなった。かみさんからで「タケウチさんが亡くなった」
とのこと。てっきり銀座の骨董屋さんで昨年88歳で引退したほうのタケウチさんと思ったいたら、
「お花のタケウチさん」とのこと。原田先生のもと、いっしょに机を並べて花の勉強をしたやまねさんも驚愕されている。

享年は正確にはわからないけど、「京都造形大学」の一期生がぼくと同じ年で、彼女は3か4期生だったので、
還暦を待たずに、旅立ったことになる。突然のことで、まったく気持ちが整理できへん。
立て花やお仕覆を一所懸命習っているお弟子さまたちに連絡したり、縁ある人たちに連絡するのに二日かかった。

手元に「風興の会」の雑誌が置いてある。彼女が中心になって編集した素晴らしい花の雑誌。

特集が「原田耕三のいけばな」(在るがままに)。結果的にこれが最終号になる。
西堀一三の「日本生花の特質」
岡田幸三(原田先生の師)の花

その後に「東洋古典医学」「黄帝内経素問」(こうていだいけいそもん)という新しい目次があった。
利休さんも「花は野にあるように」とのたまわれた。医学も花も、自然にとりそい、陰陽で成り立っている。
「在るがままに」という、一見受け身のような原田先生が到達した境地も、そのような「哲」と同じ世界観なのだろう。

竹内由希子さんの編集後記を読む。
(前略)・・・さて、最近、わたくしの周りでは病気の友人知人身内が多数いて、心配が絶えません。
そんなこともあり、長年、東洋古典医学の講座等でお世話になっている、田中雅子先生に原稿をお願いしました。
陰陽五行節説など東洋古典医学と茶・花は思想的に重なる部分がありますので、これからも、この記事が花や皆さま
の大切な健康のための良きヒントになれば幸いです。・・・(略)

この原稿を書いている時、先日縁を切ったTからメルマガが届いた。(メールは今後いっさい不要だ、天真庵にも来るべからず、と返信。ネットの世界はあんな詐欺師が平然と生きている)
二度と会えない、ということでは、同じであるが、レベルが違う。彼女は、ほんとうに美しく、大切なことを
残していかれた。似て非なる「わかれ」である。明日禅林寺にて通夜があります。鎮魂。