ぶくろ 池袋の名店

昨日、京都の話題のラーメン屋の店主から珈琲豆の
注文が大量にきた。「ラーメン荘 地球規模で考えろ」というお店。
「珈琲ラーメン」でもつくるのかしらん?ここの店主とは、からふねやで
おなじ釜のめしを食った仲だ。35年くらいご無沙汰していたけど、メールの
名前とお店の不思議な名前でピンときた。昔からバイタリティーがあり、まじめな
性格なので、「何をやっても大丈夫」という感じだ。

昨日は歯医者の後に、野暮用があり、ぶくろーにいった。秋葉原で操業した
時、近くに「じゃんがらラーメン」が誕生した。最初は「スープが売りきれる
まで営業します」というスタイルやった。会社から徒歩一分だったし、若かったので
週に二度くらい通った。そのうち、混んできて、仕事が終わった後にスープが残ることがなく、
こちらも忙しくなり、代々木に事務所を引っ越したこともあり、足が遠のいた。

代々木の次に池袋に事務所を越した。東池袋交差点の近くに新築のビルができ、そこのオーナー
とゴルフ仲間だったこともあり、そこに引っ越した。昭和が平成になったころ。今は激戦地らしいが、
そのころは池袋には「うまいラーメン屋」はなかった。大勝軒は近くにあったけど、当時は
出張や営業で出歩くことが多く、事務所にいるときは、ビルの前の「ぎょうざや」で食べた。
六つ又交差点の近所に「すずき」なるカウンターだけのお店があり、そこの「ごはん」もおいしかった。
昨日「すずき」にいってみたら、違う店が入っていた。久しぶりにその近くの蕎麦屋にいく。
ぼくの名前を逆にしたお店で、「一〇」。一茶庵で修行され、池袋で40年の老舗である。
「三色そば」をたぐる前に、酒を所望。「越乃寒梅」のみ、という頑固さがいい。
「おやじさん70だよね」ときくと、「鳥なのでもうちょっといったよ」とのこと。相変わらず、
しゃきっと角がたつ素晴らしい蕎麦だ。

今日は朝から京都にだす珈琲を焙煎。なるべく「昔風」なブレンドにしておくろうと思っている。
今日は「梅仕事の最終日」。ベランダに干している梅を見て近所の人が「梅やさんみたい」だって。
秋に子供が生まれるインヨガのチカさんも、梅仕事にきた。来年は能登にいっしょにいくことになるかもなんばん。

明日はチカ先生の「インヨガ」。今日の夕方は、カリスマ気功整体師?のまーくんも梅干しつくりにくる。

梅ぼしばあちゃん

今日明日と梅干し作りの女子があまたやってくる。
昨年から能登の梅でやっている。今年は自分たちでもいできた。
昔はどこの家でも日常茶飯の中にはいっていて、うまく漬けたものは100年もったらしい。
百年後はみんな「ばあちゃん」を終え、天国にいっていりだろうけど、死んだ先を
見越してものをまじめにつくる、というのは、素敵なことだ。

今朝は月一の歯医者。押上からメトロにのって神保町乗り換えで、新板橋で降りて、JR板橋駅近く
の歯医者に通っている。押上にくる前に長く住んだ町で、ITの会社とギャラリーをやっていて、
蕎麦も「もぐり?」で出していた。

一年くらい神田のIT会社の「雇われ社長」をやったことがある。親会社が上場して、その会社と
同じように上場する使命をもった会社だったけど、指名した社長(ぼく)の実力不足と短気な性格から
親会社の社長と大ゲンカして池袋にもどった。その時は毎朝大塚から神田まで通勤した。

今日はふたつホームに電車がいた。時間があるので、すいているほうがいいので、そちらを選んで
座って本を読んでいた。なんとなく、女子たちの視線を感じる。年をとっても自意識過剰なのか?
なんて思ってあたりをゆっくり見渡すと、ぼく以外はみんな女子だった。今日の「おんなかっぽれ」も
そうだけど、うちの寺子屋もぼく以外はみな女子には慣れているけど、なんやら不思議な空気が流れている。
めがねをはめ、もう一度あたりを、そうろうとながめてみると、窓に「女性専用」と張り紙があった。

チカンをするのも命がけだったり、🚺に殴られたりする時代。なにもなかった顔して、立ち上がり、踵を返して
もうひとつの電車にのった。

これからお店にもどって「おんなかっぽれ」の準備。明日も「梅仕事」
まじめな仕事は、みんなこつこつゆっくり・・・・人生フルーツと同じ。

縄文ドリポット

昨年から、久保さんの珈琲ドリッパーが大人気だ。
珈琲を入れなくても、それがあるだけで、空気がかわる。
恵那の千人さんが、縄文時代の器は、天と地の気をうまく調整
できるようになっていて、それを置いとくだけで、部屋の気がかわり
運気もかわり、人生が好転していくんだよ、といってハッハハ・・と豪快に
笑い、その器をカウンターの上に置いたまま山に帰っていった。

先週に能登で「珈琲会」をやった。「遊山」という天真庵のHPの部屋に写真がある。
海風が笑うように入ってくる部屋を開け放ち、能登の奇跡の水でお弟子様が「ほぼぶらじる」
を入れてくれた。街で飲むコーヒーとは似て非なるくらい、うまい。

南島原で「くちのつ巷焙煎所」を営む主人のなつきくんは「旅する珈琲人」だ。車の中に珈琲の
道具を詰め込み、呼ばれれば東京までやってくる。もちろんドリポットを使ってくれている。

いよいよ能登も「梅茶翁」が始動しはじめた。明日明後日は「梅仕事ぱーと2」で梅干しを
つくる。そして彼女たちも能登を中心にかき氷や珈琲のイベントを精力的に開始する。
今日は東京からそのドリポットが旅立つ。能登の縄文遺跡にほど近い場所なので、今日から
「珈琲ドリポット」を改名し、「縄文ドリポット」といたしまする。

今日は「満つまめの会」 夜は「書をしよう会」

論語バー 大盛況?

昨日は朝グラっと揺れたり、はっきりしない天気だった。けど、
たくさんのお客さんがきてくれて、2時半過ぎに蕎麦が空になった。
有言不実行の人のことを「閉店後の蕎麦屋の窯」なんてことを洒落でいう。
「ゆーだけ」。うどんやと違って、蕎麦屋のユーは、ルチンとかビタミン・ミネラル
がたっぷりの「そば湯」なので、それをそば焼酎なんかでわると、元気になるけど・・

それから「日曜蕎麦大学」があり、7時過ぎから「押上すしアカデミー」。
能登半島にいっしょにいった「梅林ガールズ」たちも参加。昨日は能登を忍んで
「タコ」をいっぴきごと購入。すしのねたに半分。半分はキュウリを薄切りにして、塩をふり、
そこに「能登の梅酢」とそばつゆをあわせたドレッシングをかけて、酒のつまみにした。

いなだも一匹買ってきて、解体ショー(といっても、朝自分でやって、自分しかみてないけど)。
あとは、鯛、マグロなんかかネタになった。コンニャクとシイタケ、卵焼きなんかは、いつも定番。
ひと手間かけると、魚よりもうまいし、触感もいい。5人で5合のめしも、上手に酢飯をつくれば、
2時間後に「閉店後の定食屋の窯」になる。
気のおけない仲間たちと、「にぎりすしの会」というのは、海に囲まれた日本の「郷土料理」の筆頭
にしたいものだ。

これから10時までは「卵かけごはん」夜は22年目になる「論語の会」
論語の会みたいなんも、昔はあちこちの「寺子屋」で当たり前のようにやっていた。
一時間朗々と論語を吟じ、その後は釣った魚をさばいて、それをつまみに「すし会」。
この会の幹事さんは長崎だし、先生も鹿児島なので、南のほうから流行らせたい、などと勝手に思っている。

明日は「書の会」 貞本先生は広島。・・・そこから日本海側をてんてん・・能登。
なかなか夢が広がる。
いたるところに青山あり・・・・・・いたるろころに人生の楽園がある。

いい塩梅の梅雨の雨

今朝は朝から雨が降っている。
庭の木々たちもよろこんでいる様子。今年は半夏生(はんげしょう)も
うまく白粉(おしろい)をつけ、まさに半化粧。

今日はお花のお稽古とお仕覆があるので、朝蕎麦を打ち、二階に畳を敷き(置き畳  小西畳店制作)
、頼山陽の軸をかけ、久保さんの黄瀬戸の火器に半夏生を投げ入れた。

昨日は梅仕事。天真庵のHPに「遊山」という部屋がある。そこに今回の「大人の修学旅行 能登」
の写真がのっている。その梅を梅干しにした。まだ子供の小さい若いママが最後につくった。昨年に
できた梅酢を「どうぞ」とコップでだしたら、一気飲みした。まるで犬がはじめてキンカンのにおいをかいで
バクテンするかのごとく、足をばたばたさせて驚いていた。ので、水を飲ませた。日本人は
古来より、梅をいい塩梅に梅干しにして、生では食えない梅からクエン酸をとってきた。

「遊山」の中に昨年いった能登の「真脇遺跡」の写真がある。これまでの歴史学では「縄文人は
狩猟を中心に営みをやってきたので、一か所に定住しない」が常識だった。でもこの真脇では長いこと
定住していたらしい。今でも日本人の魂の奥底には縄文人の宗教観とか自然への畏敬の念なんかが
記憶されているらしい。その場所にいくと、腑に落ちる。できたら、石器を使って土を耕してみるといい。
ユニシロクロとか、ニワトリみたいな大量生産されたものがあふれている生活に「?」となるけもなんばん。

今日はそんなわけで、お花のお稽古、お仕覆。4時閉店後は「日曜蕎麦大学」&「日曜すし林間学校」

明日は「卵かけごはん」(8-10) 夜は「順受の会」
明後日が「書をしよう会」

水曜日木曜日が「梅仕事」 春夏秋冬、いろいろな手仕事をしていると、体中に季語がかけめぐる。

オミズ

能登の「奇跡の水」を毎日飲んだり、目にミストしたりしている。
珈琲の味はもちろんだけど、お茶、とくに玉露を入れると、違いがわかる。
今日もまーくんの気功整体「満つまめの会」だけど、時間がゆるせば、施術にの前に
「玉露」を飲んでもらっている。飲んだ瞬間に体中に玉露の妖精がいきわたる、そんな感じ。
「わかる人はわかる。わからない人はわからない」世の中、どの世界もそうやね。

おばあちゃんの民宿からすぐのところに、おっばちゃんの家族が経営する食堂がある。
お店の名前は、そのまま直球で「水」。オミズがいるお店ではないけど、オミズより素敵な
おばあちゃんが5人くらいいて、てきぱきと接客したり、魚をさばいたり、焼いたりして、
さながら「能登のかもめ食堂」だ。朝の9時からやっていて、平日だけど、常連客で
にぎわっていた。焼き魚定食(700円)を注文する。接客係のおばあちゃんが、近づいてきて
耳もとで「ごはんをおかわりすると100円かかるので、てんこもりにしてね」とのこと。
ごはん、みそ汁を自分でついで、小皿三品が自由に選べるシステム。ひじきの炊いたん、ポテサラ、切り干し大根を
お盆にのせて、さばの塩焼きを待つ。至福の時間だ。

東京にいると、「まずお金」の話になるし、何をするにも、そこから離れられない。
能登半島は、俗がない、とはいいきれないけど、今の日本のシステムとは違って、
縄文時代から続いている「自然によりそった暮らし」みたいなものを、いろんなところで
垣間見ることができる。

もちりろんテレビで下町の風景を見て、「ぼくも下町のおばちゃんたちと、あんな風に会話しながら
暮らしてみたいボリボリ・・・」で下町に住んでみても、だれも声をかけてくれない。
その土地土地の地縛霊たちともチャンネルをあわせるような気持ちが大切なのである。

能登病ではないけど、とある小さなな包丁やさんで「包丁」を買った。1年半待ちの人気の包丁。
今朝の朝日新聞の「折々のことば」にこんなのがあった。

上手な職人が使用した道具というものは美しく残るものです。・・・そのとおり!道具
というのは「道」に「具」わるものだ。一年半が待ち遠しい。

能登半島の奇跡の水

能登の二日目の朝。海岸沿いを散歩した。海岸の岸壁の際を、漁師さん(元?)とおぼしき人が
するどい目つきで散策している。手には、針と疑似餌?みたいなものがついていて、それを
ささっと、海面に入れ、数秒したらそこに元気なたこがついていた。なかなか見事な漁だ。
この季節は毎日のようにたこが食卓にのる、らしい。まことに豊な海だ。

朝ごはんの前に、三輪福さんと煎茶のお稽古。海が見える部屋で「茶櫃点前」をやってもらう。
潮騒やうみねこや、ホオジロの「一筆啓上仕り候」という声をBGMに煎茶を一服。南島原のじゅんさん
自慢の煎茶だ。どことなく南島原と同じ空気感の中で、おいしい朝茶時間。
珠洲焼の火器に投げ入れたアジサイが揺れて、風流な野点に花が添えられ、贅沢な刹那。

こころのこもった朝ごはんをいただき、東京に向かって出発。昨年の夏に立ち寄った民宿を営む
「能登のばあちゃん」のところへ寄り道。民宿の横に水が湧き出ていて、その水がすごい。
400円払って、その水を沸かしてくれた風呂につかる。昨年もそうだったけど、長旅の疲れ、
目の疲れ、梅仕事の筋肉痛がウソのように消える。石川県は温泉がいっぱいあるけど、ここの
は唯一無二の効能があるように思う。上がった後、名物おばあちゃんと談論風発。
名残おしいさを胸に踵をかえして車にのる。

富山経由で安房トンネルを超え、いきつけの蕎麦屋でそばを手繰り、そばやの主人と
蕎麦談義。なんやらいう名前(今回は頭に入れてきたつもりやけど忘れた!)のそばやは
信州だからこそのそばやだ。

今日から通常営業。昨日はまーくんの「満つまめの会」と「タイムドメインの会」だった。
ぜんぜんエンジンがかからず、仕込みも途中下車ぎみだったけど、今朝のそば打ちで
少し目が覚めた。
明日は「天真庵 梅仕事 ぱーとワン」 カウンターの上に干した梅が歌っているようだ。天恩感謝な日々。

能登は楽園やね

梅仕事に能登にいく。
大学一年の時、ELSと法律相談部に入っていて、ELSで
能登に合宿にいったことがある。それ以来ちょくちょく遊びにいく。
とくに真脇遺跡には惹かれ、何度も遊びにいった。

その真脇遺跡の近くに、三輪福さんたちが移住したので、うれしいやら、こちらも
移住しようかしらん、などと思いながら、梅仕事にいった。
海あり山あり、人あり・・・いいよ。

「天真庵」のHPに「遊山」というのがあり、そこに梅仕事の写真をアップしてもろうた。
「梅茶翁」とう三輪福さんの部屋がリンクされている。そこには能登の梅仕事の春夏秋冬
がつづられている。梅にうぐいす、というのは日本人が古来より大好きな風流な構図。
でもそれ以上に、梅は日本人の体をささえてきた。夏の暑いときに、梅シロップジュースや
毎日の梅干しなどを食べていると、その力がわかる。

さて今日はお休みだけど、朝5時から起きて、お店の準備。10時からは「満つまめの会」
もある。健康で持続可能な生き方をするために、「今」何をすべきか・・・?
そんなことをまじめに考えていく時代がやってきた。
「健康」と「いい友達を持つ」ことが大事ではなかろうか?夜はそんな会。

夜はタイムドメイン。気のおけない仲間たちが集まり、いっしょに聴きたいCDとか、
いっしょに飲みたい酒や酒肴を持ち寄り談論風発する会。15年近く続いている。

梅林ガールズ はじまりはじまり

昨日ひさしぶりに東京にもどってきた。ビルやスカイツリーを見ると、
「ああ、かえってきた」という不思議な気持ちになる。でもこころは、九州や能登
に置きざりにしたまま、そんな感じ。今日はひがな雨なので、きらきら橘商店街にいき、
お惣菜を買い込み、ビールや酒を飲みながら、籠城気分。

出発の日、大樹くんに電話。「板貸してくれない」(ぼく)。「何するんですか?」(大樹)
「灯籠を九州に運ぼうおもってんねん」(ぼく)「トウロウ?ってなんですか?」(大樹)
「織部灯籠です」(ぼく)「オリベトウロウ???・・これから、見にいっていいですか?」(大樹)。
茶人を目指している大樹くんが、5分後に我が家に到着。好奇心旺盛なたけちゃんも一緒。
「こんな思いものを、還暦の庵主が運ぶのは無茶しぃです」ということになり、ふたりで
車に運んだ。10年前、池袋からこの灯籠を運んだ時は、ひとりでやったけど、さすがに
寄る年波だ。若いふたりに、感謝感謝で出発。

それを九州まで無地届けた。織部灯籠というのは、桂離宮なんかにもある。本歌は北野天満宮にある。
ひゃうげもの、の古田織部(戦国武将であり茶人)が考案したといわれている。石に不思議な異人か奇人
が彫られている。キリシタン大名だった織部が、キリストに見立てた、ということらしい。別名キリシタン灯籠。池袋時代に
ふたつの灯籠を合わせ灯籠にしていた。それがあるひ、泥棒に入られ、横に隠しておいたキリストの刻まれた石
だけが残り、今の庭にほったらかしておいたものだ。
九州の実家の庭に置くと、「出番がきた」ように輝いた。信仰心が深い両親が、酒を手向け、
次の日は、お赤飯を焚いて、お供えものにした。灯籠がひとつ庭に備わると、家が「茶室」ぽくなる。
星野村の新茶の玉露を家族で喫茶去。

二日実家にいた。妹夫婦と甥っ子の翔太くんが遊びにきた。「灯籠を車から降ろすのを手伝って
ほしかったけど、いえんかった」と翔太くんにいうと、「遠慮なくいってよかよ」といってくれた。
次回は「蹲踞」を運ぶよてい。「ツクバイってどげんもんかね?」から、またいろいろドラマが
おきそうだ。九州に二泊して、能登に出発。「梅林ガールズ」がはじまりはじまり、だ・・つづく

明日から松休み 梅休み

昨日は「満つまめの会」だった。二日連荘だったけど、満席。
この何日かは「自分で自分の体の使い方を考える」ようなことをテーマ
にしているようだった。結局、普段の気やこころの持ちよう、体の使い方
が肝心なようだ。「体」という借りている「のろもの」をいつか返すのですが、
それまでいかにいたわってあげたり、借りているからこそ、感謝しながらながく
持つように大事にするか。そんなところに「答え」らしきものがありそうだ。

夜は「福の会」。能登に移り住んだ三輪福さんのところに「梅仕事」にいく。「梅茶翁」という号で
活動することになった。江戸時代の京都に売茶翁(ばいさおう)という奇人の茶人がいた。
黄檗山の禅僧だった身分を還暦前に捨て、野に下り、煎茶を洛中に広めていった人。「人間が自由に生きていく」を
生涯追求し、実践した偉人だ。これからの時代のキーワードになるだろう。
昨日は盛り上がった後、PCで「臼澤みさき」ちゃんのイーハトーブの歌を聴いた。イーハトーブ、
宮沢賢治の桃源郷のことだが、桃源郷は、それぞれのこころのうちにあるのではないかしらん。

昔から日本人は松竹梅を大切にしてきた。松はこの星に一番最初に生まれた植物で、建設的な生命力をあらわし、
竹は、節目節目を超えてなおまっすぐ生きていく象徴だし、梅は、うみなさい、新しいことをはじめなさい、という
言霊でもある。

22日は「満つまめの会」&「タイムドメイン」