珠洲の旅

昨日は朝起きて、顔を洗って、車で珠洲を目指した。
今月に知り合いが二組、能登を旅する。一組はソフトバンクの創業期に
いっしょに仕事をした夫婦。奥様は新卒で女学生みたいやった。
旅の途中にココ寒山拾得美術館にも立ち寄ってくださるらしい。

もう一組は、東京の天真庵の常連夫婦。珠洲のSという宿に二泊しながら、奥能登を
旅するらしい。残念ながらココは閉館で東京にいるけど、「旅の報告にあがります」とのこと。
彼は昨年デジタルマーケティングの本を著して、その世界では有名な人だ。

海沿いの景色を堪能しながら、大石学さんのCDをかけ、走っていると、「しおcafe」
なる看板が目に入って、車をとめる。珠洲は昔から「揚げ浜式の塩つくり」が伝承されていて、このお店
も店の近くで同様の塩つくりをしている。
天真庵の味噌作りや梅干しつくりにも、大活躍しているのが珠洲の塩。砂浜に海水をまき、
天日で浮いてきた塩と砂をあつめ、それにまた海水を入れて濃い海水をつくり、それを大きな鉄の釜で
20時間くらいかけて塩をつくる。言葉でいうと「それだけ」だけど、炎天下で家族でやっている
昭和33年の記録映画を近くの「道の駅」で見たけど、想像を絶する作業だ。思わず二度見た。

塩をきかせたノンアルコールのカクテルを飲んだ後の昼ごはんは「つばき茶屋」。
漁師さんが海の見える椿の里でやっているお店。あたり前だけど、魚は美味い。刺身定食(1500円)
に、ブリ、メバル、カワハギ(椿のようにさしみを飾る)、に山菜のテンプラ、しただみ(小螺)
が入った味噌汁がついてくる。イカの定食が「いかさま定食」だって・・なんとなく天真庵と同じにおいがした。
窓際に珠洲焼の花器に、淡いピンク色の椿が投げ込んであった。女将に「これ素敵ですね」
というと、「今朝山菜をとりに山に入った時にとってきた」という。山形に鳥海山というとこがある。
鳥になって海と山を自由に遊ぶ、そんな意味だが、ここ能登も海と山が近く、その風情がある。
「千枚田」と観光名所になっているが、そんな自然と特徴を生かした生活の知恵のなす技である。
お土産に女将が、たぶん有楽椿(織田有楽が茶室に好んで飾った)の枝を5本くれた。

満腹のまま、ある夫婦の家を訪ねた。昨年、能登の家の
近くの「道の駅」で手作りジャムを見つけ、九州の実家の土産にしたところ、大変喜ばれた。
退職後に「お互いに好きなことをしよう」ということで、自宅の倉庫を改装し、だんなさんは
「焼き物」、奥様が「ジャムつくり」の工房にしている。古希を超えているがおふたりとも
「いきいき」と生き暮らしている。「引退してからのゴールデン人生が素晴らしいですね」といって、
握手して別れた。今朝は、「いちごジャム」をヨーグルトにまぜて食べた。秀逸で筆舌を超えた滋味だ。
まさに、能登の「人生フルーツ」

その後は「珪藻土博物館」。珠洲の珪藻土を使った七輪は遠赤効果が強く、焼き鳥屋などで使われ、
品切れ状況が続いている。本家本元まで訪ねたけど、やはり品切れで、昔ながらの卓上の七輪をひとつ買った。

その後は、「宝湯」でひとっぷろ。珠洲温泉の公衆浴場。
ここは源泉を「重油」から「薪ボイラー」に変えて沸かしている。それから「お湯がよりやわらかくなった」と評判だ。
我が家も石油を入れれば、お風呂が沸くようになっているのだが、なるべく化石燃料に頼らなず生きる、を
テーマにしたいので、「薪ボイラー」にしようかと思っている。
「令和の五右衛門風呂」・・・古くて新しい風呂になると思う。
能登はやさしや土までも・・・という言葉がある。湯も人もやさしい。東京などか来るには、日帰りは
無理だけど、ここ「宝湯」では、泊まることもできる。前が酒屋(同族経営)で、宗玄など地酒も
買える。ガイドブックには載らない旅だけど、素敵な自分流の「たから」が見つかるかもなんばん。

万葉集の大伴家持の歌にこんなのがある  能登の生活をうたったものだ。

香島嶺の 机の島の 小螺(しただみ)を い拾ひ持ちて 石持ちて 付きやぶり 早川に
洗いすすぎ 塩辛に こごと揉み 高坏に盛り・・・

里山里海の朝

昨日は一日雨だった。
粗大ごみをだす。「フランスベッド」。これ昭和のころ一世を風靡した。
つぎに洋服箪笥。上の段(洋服をかける)のと下は引き出し三段。
宗像の実家にも去年まであった。
あとは本畳2枚。立って半畳寝て一畳どんなに飲んでも二合半。

納屋の中には、「昭和の家電品の博物館」のように、冷蔵庫とか洗濯機とか炊飯器とか保温ジャー
などが展示?されている。テレビは運べたけど、冷蔵庫などは「軽トラ」が必要だ。
落ち着いたら、かわいらしい色の軽トラを家族にしたいと思っている。

今回、東京の天真庵の玄関横に置いてあった「石仏」(いしぼとけ)を能登にもってきた。こちらも玄関
のところに飾った。中越地震の一か月前に、小地谷ちじみの浴衣をつくりに新潟にいった時、
そのお店の前の骨董屋でニコッと微笑みかけてきたので、東京に連れてきた。
道祖神であり、昔は子供を10人産むと、半分しか生きなかった、その人たちを供養するためにつくったらしい。
今回は雪のために新潟はゆっくり下道を通ってきた。きっと彼(彼女?)にとっては懐かしい
里帰りだったに違いない。

そこには「ふ~じいさん」の地蔵の絵が飾ってある。
ふ~じいさん・・・笠間の陶芸家だった。本名は知らないけど、みんながそう呼んだ。
100近くまで飄々と生きて、風のように旅立った。陶器はひとつも買わなかったけど、
その絵と、宗像の実家の元気が眠る庭に、石作りの六地蔵が置いてある。この夏帰省する時に
もってくる予定だ。

今朝は快晴。朝からうぐいすとホオジロが鳴いている。裏の畑の五月にはジョウビタキが
つがいで仲よく遊んでいる。

ホオジロは「一筆啓上つかまつりそうろう」と鳴く。
幼きころ山の中を野鳥を見に遊んだころの気持ちがよみがえってくる。
「自然の中にいる」と自分も自然の一部分である、が体に染みる。
うまくいえないけど、学校や順受の会(25年続く論語の会)でも「老子」
はやっていない。「無為」とか「自然」とかいう概念がスーと細胞まで入ってくるようだ。
20年くらい前に「まったい」にもらった「老子」の本を酒を片手にゆっくり飲んだ、いや読んだ。
能登の門前は「禅の町」でもある。この地に「寒山拾得美術館」を置く、というのも天の計(はからい)やないかと
思う。感謝。

♪雪でした・・・

昨日の営業が終わって、かたずけをし、そばを手繰り8時半くらいに車で能登に向かった。

いつもは「松代」のパーキングでで仮眠して、朝そこの「朝そば定食」を食べる。
すそば(すうどんと同じく、ネギをきざんだんだけのシンプルなそば)とごはん、生卵、納豆、漬けもんで550円。
朝七時開店やけど、けっこう人気がある。「松代」は、さきの戦争の時、皇室や行政機関を東京からどこに移そうか、
とした第一候補地。たぶん近い将来、首都圏に集中しすぎる機関の分散化は必須になると思う。
「小布施」とか「松代」などは、風光明媚なとこがいっぱいあるし、「人間らしく生きる」には、東京の100倍
以上暮らしやすそうだ。能登も負けないくらい住みよい。なにせ縄文人が4000年も定住したいたのだから。

なんの営業が知らないけど、スーツをきた「営業チーム」も、おなじものを4人くらいで食べ、談笑のような
ミーティングをしながら...みたいな光景をよくみる。最近の東京ではこんな「楽しそうなチーム」
みたいなんがあまりない。「おれおれ詐欺」の営業ミーティング(するんやろか?)って明るくならへんよね、きっと。
「ほんとうにいいもの」「ほんとうに人の役にたつもの」を提供する自信がある会社だったら、こんな
楽しそうな毎日になるのであろう、と思う。ソフトバンクの創業期がそんな雰囲気があった。
来週は、その当時のバンク創業時代の戦友が、ここ「寒山拾得美術館」にくる予定だ。(3年前に初めてきて、能登が気に入って
、毎年夫婦で旅しているらしい)

朝飯を食べて、出発したら「信州中野」で、タイヤのチェック。夜中に雪が降って、冬タイヤ
が必要らしい。スタッドレスタイヤを先月脱いだので、高速道路を降ろされた。
一瞬とまどったけど、先を急ぐ旅ではない。CDを成川さんの「おぶせびと」にして、長野の雪景色を堪能しながら、親不知まで3時間走る。
ついでに、そこの海岸で「ひすい拾い」をし、たら汁街道でたら汁を食べ、能登半島に到着し、
ローマ法王に献上したお米というのを買い、志賀町役場で粗大ゴミの券を買い(明日が粗大ごみの日)、
「ころ柿の里」の温泉に入り、どんたくで買い物をし、能登の家について、いろいろ運んだりしたら、
8時くらいになった。どんたくで買った「お魚」(地ものの「いわし」「すずき」「かれい」・・・3点どれでもで合計980円)
それを買って、久保さんの絵志野の四方皿に盛り、能登の地酒「竹葉」を飲みながら、これを書いている。(いわしは特に、その日とれたてが美味い)

でも明日は北関東も「季節はずれの雪」という予報。「なごり雪」もこんな不安定な季節や時代の中で生まれたのだろう。
「雪月花」雪もまたまた一楽。

能登前鮨を食べて・・・

昨日は「能登前鮨を自分でにぎるかい」。今年はすでに8回目。
「佐賀のがばいじいちゃんのすし会」を3年前までやっていた。
押上に「春慶寺」という名刹がある。そこで蕎麦会をやった時、
「寿司屋を昔やっていて、今はがんで闘病中だけど、どこかで鮨会をやらせたいじいちゃんがいる」
という話を聞いた。じいちゃんが天真庵にきて、檜のカウンターを見て「寿司屋にあるごたー、立派な檜ばい」
とのたまわりんしゃった。そこから毎月8人限定のすし会をやるようになった。じいちゃんが召される数か月前まで。
まさに「死ぬまでやるばい」という信念を貫かれた。「気骨のすし会」やったな。

じいちゃんが「これおいていくので、使って」という「すしの道具」が遺品になった。
それから、「すしを自分でにぎる」というスタイルになった。
能登の漁師のしんごちゃんから「ブリがとれた」とか「まぐろがあがった」とかいうショートメールが
くると、仲間にショートメールで「〇日にすしかいをやります」と送る。会費5000円。各自日本酒4合瓶持参。
みんな「十間橋太郎」よろしく、能登前であり手前でもある鮨を上手ににぎる。
「味噌をつくる」「梅干しをつくる」「そばを打つ」「すしをにぎる」の会がある。
「令和」の時代は、自分に投資し、自分の人生の精神的文化力を高める時代、かもなんばん。

昨日はマツキヨさんがライブの日に土産にもってきた「白菜の花」をお浸しにして前菜とした。
葉っぱも花を春を告げる「やさしさ」があり、55度くらいでじっくり温泉につかるようにゆで、そばつゆ
に浸す。天真庵流。葉っぱは60度を超えるとビタミンがなくなる。のでそうしている。するとシャキッとした野菜
をサラダにするような歯ごたえと、甘味やうまみを増加させるものと何倍も楽しめる。

明日から「能登時間」
もともとは、椅子や茶箪笥や蕎麦道具をつくってくれた般若くんと、天真庵の玄関の引き戸の金具
や、茶たくとかを作ってくれた角居くんが、金沢の「浅野川画廊」とかで個展をやっていたので、
毎年金沢にいき、それから能登の真脇遺跡にいく、というのがならわしになった。

それから三輪福さんたちが、真脇遺跡の近くに移住し、梅仕事をするようになり、縁あって志賀町に美術館になりそうな家
を見つけて、「能登と東京の二股くらし」になった。
そしてまたそれに続けと、東京から能登に遊びにくる人
が増えてきた。みんなそれぞれのスタイルで旅の「コト」を楽しんでいるみたいだ。車でくる人、飛行機とレンタカーで
くる人、新幹線とレンタカー、新宿から和倉温泉へ深夜バス・・・・千差万別。道もスタイルもいろいろ。

旅も観光会社が企画するようなものから「自分流」なものへ、大きくシフトしている。
「京都の有名な旅館に泊まって、祇園で懐石食べて・・ボリボリ・・・」とかいっている連中は時代おくれだ。
能登の門前あたりは、世界中から「坐禅」にくるような外人がいっぱいいる。やはり精神的文化力を高める時代。

でもみんなには、「真脇遺跡」は必ずいってね、と伝える。日本人の原点がある。「遊山」に真脇遺跡の写真がある。
縄文時代前期から晩期までの約4000年間、人々がソコで住み続けた集落遺跡。縄文人後期に米つくりが始まる。
それまでは、狩猟中心で縄文人たちは狩りをしながら移動して暮らしていた、というのが定説。同じ場所で4000年
というのは、言葉でいうと「ソウ」だけど、スゴイことやと思う。春に藤の花が咲くころ、イルカがやってくる、ことを知っていて、
みんなで協力してとった。それを発酵させ保存する「醸し」の技も取得し、戦争もせず、みなで協力しながら
「持続可能な暮らし」をやっていたのだ。日本人の宗教観や生活観の基本はそのころから続いている。
生き方に迷ったりしたら、真脇遺跡にいって、縄文人に聞いたら、ヒントをくれると思う。
聞こえない声に全身全霊を傾けて聴く。これもこれからの時代のキーワード。
坐禅してみる。坐は、土の上にふたりの人がいる。「自我」と「自己」。いろいろな声が聞こえてくるはずだ。

マグチョンスピクCafe

昨日は、国貞雅子のライブやった。昨年はデイブ・グルーシンさんたちとツアーを
やったり、いきなりステーキみたいに、いきなり大きなスポットライトがあたって、
うちでライブをやると発表すると、一日で満席になり、天真庵の常連さんたちが
これないような現象になった。今回は、いい具合に「中庸」が保たれ、とっても素敵な一刻ライブやった。

京都や浅草なども、世界中から予想をこえた観光客が押し掛けるような現象がある。
オーバーツーリズム、なんていうらしい。京都や浅草とか下町というのは、
「人のいく裏に道あり花の山」で、ぶらりと路地を散策して、偶然に見つけたお店などがいい。
そんな風情がなくなってしまった。

国貞雅子と「打ち上げ」と称する反省会をカウンターでやるのがならわしだ。
結構酩酊するまでやる。禅やスピリチャルな話になることも多いが、めざす音楽の方向性やら、「道」
のようなもの・・いろいろだ。昨日は「命」がテーマになった。

昨日は残ったファンの人がカウンターに座った。カウンターの上では「うめ星」の実験中。
久保さんの磁器の餃子皿ふたつ。その中に暮らしの実験室の無農薬でつくられた人参のへた。
ひとつは「東京水」。もうひとつは「東京水+うめ星」
天真庵のHPの「うめ星の部屋」に、うめ星の実験写真がある。そこにも同じ実験の写真がある。
炊飯器にいれたり、珈琲を入れたり、ぬかずけをつけたり・・・・それらは「味」
の問題なので、写真ではわからないし、実験しても各自の反応が違う。まさに筆舌が及ばない。
また、こういう「目に見えないもの」「耳に聞こえないもの」などを、感じる五感が
「現代人」には失われていて、「え・・ほんと?」というようなバリアをはっている人が
多い。そんなもの「ほどく」と、仏の世界が見えるようになるのに・・

植物は人間と違って、「疑うこころ」(邪心がない。写真はある)ので、何度やっても
同じ結果になる。そして、この実験をやっている時に、一番「うめ星」がいい人たちに嫁いでいく。

中学の理科で「植物を育てる十元素(ジュウゲンソ)」というのを勉強したと思う。
ぼくの通った北九州市立引野中学校の近くに寺子屋のような「塾」があった。
スパルタ形式の厳しい塾だったけど、ほかの中学からも通ってきていて、いろんな「枠」を
こえた教育方針やった。たとえば、「今日は憲法の前文をおぼえるぞ」
といって、「日本国民は・・・」を覚えるまで帰れない・・・そんな変わった塾。

その塾で十元素を1分で覚えるコツを習った。痴呆の近くなった脳みそでも3分で覚えられる。
「マグチョンスピクcAfe」だ。下のカッコ内のアルファベットを続けて読む。
緑(植物)の重要性・・から自分たちの命と繋がっていくまで読むと、人生が豊かになるのであ~る。

マグネスウム(Mg) 炭素(C) 水(H) 酸素(O) 窒素(N) 硫黄(S) リン(p)
カリウム(K) カルシウム(Ca) 鉄(Fe)

これも大事なことやけど、十元素だけではだめらしい。「風」とか「愛」がないといけないそうだ。
「うめ星」には、この星にはないそんな「風」とか「愛」が含まれているのかもなんばん。

今日は日曜日なので、いつものように16時閉店。
それから「能登前鮨を自分でにぎるかい」だ。

明日の朝は「卵かけごはん」

今日は「まさこ」のライブ 16時閉店

国貞雅子のライブがある。
2007年の4月1日に押上の天真庵がスタートした。
池袋では平成7年から始まった。平成、令和とふたつの時代を生き抜いて(まだ半月くらいあるけど)いる。
「一年もったら、ジャズのミュージシャンをプレゼントする」と、親友でBCNというコンピュータ業界の新聞社に専務だった
吉若徹(熊本出身・あだ名がワカ)が酔った勢いで約束し、次の年の4月に、やってきた一人が国貞雅子だった。

その時は荒武くんが自分のキーボードを持参して演奏してくれた。みんな若くて、大いに酒を飲んで
誰ともなく「天真庵をニューヨークにもっていこう」とか「みんなでカンパしてピアノを入れよう」
などと叫んだ。そんな声を近所の人が伝え聞き、「母が使っていたピアノをおいてもらえませんか?」
といわれ、昭和35年生まれのカイザーが天真庵に鎮座した。それから、神が憑依いたように、そのピアノ
にいろんなミュージシャンがやってくるようになった。
今本屋に並んでいる「東京古民家カフェ時間」(世界文化社 川口葉子著)に、そんな話が紹介されている。
それから毎年、いろいろなピアニストをひっさげて、天真庵でジャズを歌ってくれた。

2011の1月に若くして
ワカが旅立った。享年56歳やった。食道がんの手術をした後も、毎週そばを手繰りにきてくれた。
煎茶も熱心に習いにきて、下手やったけど蕎麦打ちも研鑽を重ねたけど、「熊本でそばやをやる」
という夢は夢で終わった。でもコンピュータの世界では一花咲かせて昇華した人生。

海の日に毎年ライブをやってくれるジャズピアニストの大石学さん、天真庵で25回も
ライブをやってくれたN響の山根さん、国貞雅子・・・3人とも山口出身で、しかも音楽の先生が
同じ、ということが5年くらい前にわかった。「無駄のない縁」で繋がっている。

27日も「不思議な縁」で繋がった成川さんのギターライブ。「おぶせびと」で検索すると、
彼のギターの音が聴ける。次元の違った世界に誘われる。
ぼくの実家がある宗像の宗像大社の隣に「鎮国寺」がある。空海が高野山より前に
建立した名刹。そこで毎年奉納ギターをやっておられる。

明日は日曜日なので16時閉店。それから「能登前鮨を自分でにぎるかい」。
天真庵のHPで「遊山」という部屋がある。そこに「本まぐろ」の解体ショーを
さっちゃんが写真をとってくれて、アップした。

6日(土) 国貞 雅子 ソロ LIVE

演奏:国貞 雅子(歌・ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

27日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

またまた一楽

北九州の引野小学校の演劇部の同窓会を横浜の蕎麦屋でやった。
ぼくのあだ名は「のんちん」。小倉あたりで珈琲屋をやる時があれば「珈琲 のんちん」
にしようか、と密かに思っている。
「まっちゃん」と「まったい」という、松を冠する苗字のふたりの竹馬の友と、
昔の話をつまみに、そば前の田酒を酌み交わした後、〆のそばを手繰った。「またまた一楽」
用事でこれんかったけど、「すえくん」も同じ演劇部。衆議院議員の末松義規くん。

演劇部の先生は「福田先生」。国語の先生。この先生の授業で「起承転結」の代表作、
ということで、頼山陽の詩を黒板に書いた姿を、映画か演劇を見たように、鮮明に覚えている。
大学を京都にしたのも、その後煎茶を学び、お茶の教室までやるようになったのも、先生のおかげだ。
(頼山陽の書斎の「山紫水明どころ」(京都)というのが、煎茶をする空間のしつらえの模範みたいになっているし、
大分の田能村竹田との書簡「亦復一楽帖」が、煎茶の精神の最高峰になって国宝になっている)「お茶を飲む またまた一楽」

京都三条の糸屋の娘(起)
姉は十八 妹は十五(承)
諸国大名は弓矢で殺す(転)
糸屋の娘は 目で殺す(結)

北九州の運動会の「騎馬戦」は「川中島」という。信玄、謙信の地元ではなくなぜ?
これも頼山陽先生のファンが教育委員会かなんかにいたのだろう、と勝手に思う。

頼山陽の漢詩の一節「鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河を渡る」は、川中島 の戦いで上杉謙信が秘かに千曲川を静かに渡る様子を表わしている。
最近は、芸のない政治家が「しゅくしゅくと」とかいって、言い訳にならぬ答弁に使われることが多いけど、
昔は、詩吟をする大先輩が、騎馬戦の時に大きな声で、これを吟じた。向田邦子さんは「おなかをこわして、便がゆるくて、しゅくしゅくと音がした」
と想像していた、みたいなことがエッセーにあった。こちらのほうがおもしろい。
大分の耶馬渓(やばけい)も頼山陽が命名し、南島原の「青一髪」という焼酎も彼の漢詩から命名された。

四季折々の季節を楽しみ、茶やお酒と人と自然を愛し、日常のささいな出来事に「またまた一楽」という風雅を見つける。
先人たちの生きざまには、学ぶこと多し、である。

橘曙覧の独楽吟 というのもいい。「楽しみは・・・」から始まる詩。

楽しみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時(橘曙覧)

生きているうちに「楽しみ」をいっぱい見つけたいものだ。「これまた一楽」

明日は国貞雅子のライブがあるので16時閉店。音楽を楽しむ「これまた一楽」

平成最後の女子会

昨日は「長屋で女史会」だった。花冷えする上に雨も降ったけど、会は盛り上がった。
歴史というのは、その時の権力者の力でねつ造されたものが多い歴史でもある。
なんか鼻につくものが多く、学校の教科書も本もあまり読んだことがない。
実家には、「いつか読もう」と思って買っていた「新平家物語」の全巻が
本箱に並んでいたが、こないだ里帰りした時に近くの「ブックホフ」に売りにいった。

でもこの「長屋で女史会」というのは、コペルニクス的な発想で「女」に焦点をあて、
古代からの「女」について、謎解きをするようなおもしろさがあり、あれよあれよ、で
6年も続いている。平成から令和になっても、会も続くし、男と女のいとなみも続いていく。
令和になってからは「信長のおんな」「秀吉のおんな」「家康のおんな」についてのお話らしい。

鳴かざれば 殺してしまえ ほととぎす(信長)
鳴かざれば 鳴かしてしまえ ほととぎす(秀吉)
鳴かざれば 鳴くまでまとう ほととぎす(家康)

ほとぎすを「おんな」におきかえるだけでは、すまないおもしろい逸話がありそうだ。

今日は「英語でそば会」
木曜日が「そったく焙煎塾」夜が「おとこかっぽれ」
土曜日が「国貞雅子ライブ」

なんでんかんでん

天真庵の前に「アコレ」というスーパーがある。
「あれこれ売ってる」という意味らしい。

「なんでんかんでん」というラーメン屋があった。
「なんでもかんでも」という博多弁。店主の川原氏は県人会でいっしょだったので、
よく飲んだりした。「はやりすぎ?」で突然店を閉めたけど、昨年阿佐ヶ谷で復活したらしい。

秋葉原でコンピュータの会社を興した1週間後に近くに「じゃんがらラーメン」が創業した。
最初は「汁がなくなるまで営業します」という姿勢だった。ぼくも創業期は徹夜になったりする毎日だったので、
おそくまで暖簾がでている店が近くにできて重宝していたけど、すぐに行列ができる店になった。

西荻の「ひごもんず」も不思議な縁でつながっている。熊本県人会の青年部が「ひごもんず」と
いう名前で、ねっと21の会員でもあったAくん(初代ひごもんず会長)が命名した。その会に入っていた店主
が、その名前を使うことを許され、今では多店舗経営する代表的な九州ラーメンのお店に育った。

還暦過ぎるとラーメンを食べる、というのは年に数回くらいしかない。(もともとそれくらいかも)
今は近くの平井にある「やなか草」に年一くらいで食べにいくことがある。遠い親戚が経営している。

今月は能登で筍で「めんま」を作ろうと思っている。
今日は新元号が発表される。「天真」になったら、「天真そば」とかいって、
麺はそば、そこに「めんま」などいれた「味蕎麦ーメン」でも開発してメニューに
入れようか?など思っている。ウソ。天真庵のTが大正のTと重なるので、ぜったいにありえない。

今日は「長屋で女史会」
明日が「英語でそば会」
木曜日が「おとこかっぽれ」

さよならだけが人生だ

京都から東京に移住してきた時、最初に住んだのは荻窪やった。
南口から徒歩10分ほど歩いたところにあった小さなワンルームマンション。
創業期のソフトバンクに在籍していたので、実際は会社か、会社の近くの四番町
の「社員寮」(二部屋くらいの賃貸マンション・徹夜ぐみがそこで寝起きしていた)
で泊まることが大半で、荻窪には週末だけ帰る、そんな生活だった。今は昔だ。

そのころ、荻窪には「荻窪風土記」「山椒魚」を書いた、井伏鱒二先生が住んでおられた。
先生が、于武陵の詩「勧酒」を訳した有名な文が、「この杯を 受けてくれ、どうぞなみなみ注がしておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ。」である。実に味わい深く、年を重ねるほど、別れも多く体験し、特に感慨も深くなるように思う。だから酒がますますうまくなる。

2年前の4月1日に「天真の香り」という自作の歌をつくってくれて、山本ひかりちゃんが「10周年ライブ」をやってくれた。
昨日もピアノの弾き語りでその曲を歌ってくれた。今日で天真庵が12年を終え、明日から13年目になる。
「毎日が一生であり、毎日が創業日」だと思って、繰り返しの「生・滅・生・滅」の毎日の土を耕しているようなものだ。
最近は「不耕な人生」をあらため、能登では毎日鍬をもって土を耕したりしはじめた。すべて「おわりははじまり」
だ、ということが体でわかってくる。

山本ひかりさんは、早稲田の大学生だったころから天真庵でライブを毎年やってくれている。最近は春と秋の二回。
いつもだったら春が終わったら、秋のライブの日程をきめるのがならわしになっていたが、昨日はきめなかった。
今年入籍をし、第一子を宿った、というおめでたである。天真の香りのする元気な子供の顔を楽しみにする好々爺の気持ち。

その子には、久保さんの盃をプレゼントしよう。たぶん彼女に似て酒豪になるだろうから。久保さんの斑唐津がいいかも。
昔から酒豪が好む酒器に「備前の徳利に斑唐津のぐいのみ」というのが定番だ。
これも井伏鱒二先生がいいだしっぺ、というのが定説である。
出会いや別れの春。今年は「平成」ともお別れし、古い時代と新しい時代の端境期で、大変革な年ではなかろうか。
どんな時代や、どんな困難な待ち受けていても、酒でも飲みながら、飄々と乗り越えていきたいものだ。
ちなみに、小生の「まいぐいみ」は、久保さんの斑唐津であ~る。備前の徳利は、厨房に並んでござるよ・・・

今日は日曜日なんで16時閉店。  夕方は「ゆるゆるヨガ」
梅林ガールズたちがきて、ヨガる。もうすぐ彼女たちと「能登の梅仕事」が始まり始まりである。