今朝は、燃えないゴミの日。曇りのち雨の予報。
能登の家では、ガスの契約をしていないので、調理はガスボンベと
冬は囲炉裏を使って、煮炊きをする。朝の茶や珈琲も、しかり。
ときどき、アルミホイルでさつまいもをくるんで、囲炉裏の灰に
埋めておくと、めちゃくちゃうまい「灰焼きいも?」ができる。
寝る前に、炭を灰にうめると、翌朝火種が残っていて、五徳の上に置いた鉄瓶の湯も
温かく、それを白湯(さゆ)として飲んだり、また沸騰すると珈琲を淹れたりする。
洗面もその湯を使う。もう少し本格的な冬になると、湯たんぽを使うので、朝の洗面は
湯たんぽの湯を使う。今年で7回目の「能登の冬」を体験することになるが、このシンプルな暖房で
厳しい寒さを楽しんでいる。能登はやっぱり冬がいい。
庭の柿の木に、朝からメジロ、ジョウビタキ、ヤマガラ、シジュウカラが残り柿をつつきにきている。
四十雀(シジュウカラ)・・・・・東京でもよく見かける鳥。メジロやヤマガラは、昔はよく家で飼われていた。
ジョウビタキは、渡り鳥なので、家では飼えなかった。シジュウカラは、ヤマガラといっしょに
行動することが多いが、「始終空」という縁起悪さのせいで、忌み嫌われてきた。
でも人生は「四十(しじゅう)から」がおもしろい。
最近「人生最後の10年を黄金期にしたいね」みたいな声をよくきく。
古代インドでは、「学生期」(青春)」「家住期」(朱夏)」「林住期」(白秋)」
と3つにわけた。
最後の「林住期」は、50歳から75歳。つまり、人生の後半戦を黄金期にしようということだ。
その為には、40代から準備をして、自分の「この花さくや」を咲かせることが肝要らしい。
立命館大学の総長で京都名誉市民だった「末川博」先生の最後の講演を昭和51年に、丸太町烏丸に
あった「京都産業会館」で聞くチャンスがあった。19歳の時。「人生を三分割して、生きなさい」というお話だった。
「人生をみっつに分けたら、これまでの君たちは『親に世話になってきた』時期。しっかり学びなさい」(学生期)
「卒業して、社会にでたら、自分と家族のために一生懸命働きなさい」(家住期)
「最後は、人のために、お金や名誉ではない働きをしなさい」(林住期)
・・・・そんな話だったように思う。先生は、六法全書を編集したり、民法の「権利の乱用」
などを確立された大法学者。
気骨の人だったけど晩年は、悟りの境地にあられたように思う。
その講演を聞いた時、「もう大学で勉強することはない」と思い、近くにあった「からふねや」
で珈琲を飲んだ。その一滴の刹那に、カウンターの中にいた堀尾社長に、
「ぼくを弟子にしてください」と頼みこんだ。数か月後に、本店の店長になった。ぼくの「二十歳の原点」(
当時、立命館文学部の高野悦子さんの「二十歳の原点」がベストセラーだった。)
林住期の今も、毎日のように焙煎をしたり、UFOや、新しい珈琲の器具のあれこれを、老朽化した脳を働かせながら、試行錯誤している日々。
まるで、学生期も家住期も林住期も、珈琲三昧の人生。「臨終期?」しか残っていないぼくの人生。なんの不足もない。感謝。