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すると、BCNという会社のHPがでて、そこの「+」とかいう「デジタル版」
に、天真庵が紹介されている。千日回峰、とかいうコラム。

比叡山で阿闍梨さんになる修行を「千日回峰行」という。死を覚悟する、
というか、死んでいるのか生きているのか、わからないくらいの境地まで
自分を追い込む行らしい。そこで最後に断食をする。その時も「この世とおわかれ」
という覚悟で、「そばがき」を食べる、のがならわしらしい。

即身仏の坊様たちも、最後はそば中心の食事をするらしい。五穀にもはいらない雑穀のそばを
食べながら、あの世までの道を歩く。

水木は「そったく珈琲塾」と「無茶しぃの会」だった。
長野から入門した人が、信州の「そばのクッキー」をお土産にくれたので、
静岡の川根茶のお茶うけにして、煎茶を楽しんだ。
説明書に「昔から先任は、霞をくって生きていた、といわれますが、それはそばの白い花です・・・」
のような文があった。なるほど、目からそばこが落ちるようなお話。

水曜日のお菓子は「鶴屋吉信」の京観世。京都に下宿して、ラジオから流れる
「つるやよしのぶ、でございます・・・」という声を聴いて、「ほんとうに
京都で生活するんだ」と思ったことを思い出した。

今日の朝日新聞に角居厩舎のことが紹介されている。競走馬で引退した
馬などを「ウマセラピー」として福祉活動として再雇用してあげるシステムに
尽力している「世界の角居さん」。
昨日のお茶会で使う「茶合(さごう)」は、弟さんの角居くんの作品。

おーいお茶

昨日は「ちんぷん漢文」の日だった。
織田流煎茶道の先輩、南甫先生がやってきて、漢文を教えてくださる日。
漢文といえば「詩経」から始まった歴史がある。天真庵の寺子屋のはじまり
は「順受の会」。荘子の言葉からなずけたられた会だが、わかりやすく通称「論語の会」。
22年目になる。昨年は「詩経」を勉強した。

茶名の「南甫」からも想像できるけど、彼は杜甫という詩人が好きに違いない。
この勉強会の初日は「杜甫」を勉強した。唐の時代は中国が世界の中心にあった時で、
寒山拾得もそうだし、いろいろな芸術・文化が花咲いた時代。今も中国は発展しているけど、
唐と違って、文化や芸術などがまったくおいついていないような気がする。

昨日は「王維」を勉強した。杜甫は政治的な混乱などにより、中国を転々とした。
「名前からいって、移動は歩いていったんでしょうか?」とバカな質問をした。ら、
先生は真顔で「そのころは船が中心です」と答えられた。徒歩15分くらいでいける距離ではない。
昨日は「やはり王維は、お茶をたしなんだでしょうか?」と質問しようとした。けど、
破門されそうなので、お茶をにごした。
しかし、煎茶の世界は中国の文人たちが、隠居し、竹林の中などで草庵を結び、自然に
よりそいながら、お茶や詩や音楽などを楽しんだことなどの影響を強くうけている。

王維に「送別の詩」がある。昨日はそれを日本語と中国語で読んだ。
「勧酒」の「さよならだけが 人生だ」ではないけど、人生のわびさびの妙を
感じる詩である。「陽関三条」(ようかんさんじょう)といって、中国ではこの詩の
最後の行(西出陽関無故人・・・西にいってしまえば、故人(友達のこと)もいなくなるね)
を3回繰り返して読むのがならわしになっている。酒を酌み交わしながら、別れを惜しむ場面
になると、泣くだろうな、と思うくらい情感的な詩である。

今日明日は「そったく珈琲塾」&「無茶しぃの会(煎茶のお稽古)」

ちんぷん漢文

昨日は、「満つまめの会」と夜は「福の会」だった。

銚子の海のパワーはすごかったみたいで、まーくんがパワーアップして、
みんなに元気を注入してくれた。暑い日が続いているけど、「夏の暑さにも負けず」の
力がつくような感じ。神さまからお借りした体は大事に使わないと、バチがあたる。

朝の「卵かけごはん」の味噌汁のミ、の中には、能登の海藻・「義馬藻」を入れてみた。
大豆・海藻・新鮮な野菜を中心に食べていると、この混沌とした世界でも、なんとか
健康で持続可能な生活の基礎ができそうな気がする。
能登の梅も、めいめいの過程で、順調に育ち、梅ジュースや梅干しになっていってるみたい。
来年から能登にいく回数と人数が加速しそうな気配。

夜は「福の会」だった。三浦半島から朝採れの「野菜」を土産にいただいた。
さっそく簡単料理。インゲンとか万願寺唐辛子は、ごま油でさっと炒め、そこにかえしとお酒で
味を調整すると、抜群にうまい酒のアテができあがる。朝まで光合成をやっていた真っ赤なトマトは、
プランターと大葉をみじん切りにし、梅酢ドレッシング(あま醤油に自家製梅酢を入れる)をさっと
かける、ビールを飲み、「ハアーー」なんてすると、鼻か口から夏バテが飛んでいってくれる。
きゅうりとかニンジンとか、思いかけず、突然多くもらったりする夏野菜は、「はりはり漬け・九州風」
にすると、ビールで、も焼酎や酒の酒肴になる。天真庵では「そばつゆに、酢か梅酢を入れ、赤とうがらし
をはさみでちょっきんちょきんちょきんなにして入れる」。

今日は「ちんぽん漢文を読み解く会」だ。織田流煎茶道の先輩先生がきて、楽しい勉強会。
田舎暮らしをする人たちが、不思議と煎茶道に関心をよせてくれて、能登や長崎、明日は
長野からお稽古にくる奇特な人たちがふえつつある。ぼくも老体に鞭うって、しばらく危篤に
ならないような体力を身につけたい、と精進する日々是好日。

明日明後日は「そったく珈琲塾」&「無茶しぃの会(煎茶教室)」木曜日は「満つまめの会」もある。感謝。

今日は「卵かけごはん」と「みつまめ」を喰って幸福な日

月曜日の朝はなんとなく憂鬱な人が多いみたい。
それにあわせたわけではないけど、2011年から「月曜の朝は卵かけごはん」に
なった。「押上式」の特別な食べ方もだいぶ浸透してきた。

昨日は、マツキヨさんとまーくんが、海からお帰りになった。
銚子の海にいったらしく、心身ともに調子がよくなった様子。
今日は「満つまめの会」なので、エネチュウーしたまーくんがパワーアップする
に違いない。
半端ではない暑さがやってきたので、いろいろ注意しないと体調をくずしそうだ。

夜は「福の会」。「易の会」からスタートして、いつのまにか「福の会」になった。

明日は「漢詩を詠む会」。

来週は「海の日」 大石学さんのライブ。
29日は「隅田川花火大会 ライブ」

もろこし とうきび しろとうもろこし

昨日は「まつもとグリーンファーム」のM社長(もりもと、だったり、まつすえだったりするはずないけど)
が、深谷から車をとばしてそばを手繰りにこられた。フットワークのいいひとは、何をやっても成功する。
IT企業の社長でもある。農業家としても頭角をだしてきた。政治家で薬屋の社長もやる二足の草鞋を履く人と、同姓同名でもある。そう「マツキヨ」さん(松 喜代ではない・いろいろややこしい)。

南島原も2度ご一緒し、能登半島の梅仕事にもつきあってくれた。今年は安曇野にも畑を借りて、新しい農業にチャレンジ
する準備中だ。朝採れのとうもろこしをお土産にもらった。さっそくゆでる。とうもろこしは皮を二三枚(二十三枚ではない、にさんまい)
残し、そのまま4分ゆでる。ゆですぎると、せっかくの新鮮なビタミンなどがこわれてしまう。
「白とうもろこし」といって、色白だけど、甘さやうまさが凝縮されている。あまりにうまくて、ビールを二本と日本酒2合が
あっという間に空になった。東京の野菜は、光合成を「流通で東京にいって、スーパーの店頭に並べるころにみばえばいいように)
で出荷されている。当たり前だけど、その日の朝まで土の上で光合成をやっていたものとは、似て非なるものがある。

M社長の社員の親御さんが体の調子が悪く、まーくんをその家まで連れていく、とのこと。社員思いの社長でもある。
ながいことIT業界にいて、100社くらいが集まる組合の理事長みたいなことを長くやってきたので、いろいろな社長を
見てきてきたけど、ITだけではないけど「おれがおれが」のタイプのが圧倒的に多く、「自分だけ、今だけ、金だけ」の
社長が多い。もっともお国で一番えらい、はず、の総理や大臣たちでさえ、特区とか利権をボリボリしながら、私腹を肥やすこと
に尽力するような昨今。ほんとうにどうなるんかいな。

昨日はチカさんの「インヨガ」だった。呼吸を整え、こころを波立たないようにすることを、一日10分でも
持つ、というのは、とても大切なことだと思う。今月あと一回やった後は、産休にはいられる、ながいことサンキュウ。
無事元気な子供を産んで、また元気な姿を見たいものです。

今日は日曜日なので16時閉店。それから蕎麦打ちの「粒々皆辛苦の会」
今朝お店をあけ、入り口に置いてある「梅シロップ」を見たら、ブクブクと泡がでていた。
酵素がでてきた、ということだろう。梅も一粒一粒が小さい命をせいいっぱい生きている。
お米も蕎麦の実もすだ。それを世話する人も、一生懸命生きて生きて、彼らの命を生かそうと苦労されている。
そんなあたりまえのことを「粒々皆辛苦」といってきた。「いただきます」とこころから感謝できるのは、
そんな命をいただくことに、気持ちが入るからだ。

明日は「卵かけごはん」夜は「福の会」
しつこいけど、「福」というのは、大地の恵みの収穫物を、神棚に手向ける姿を
表した象形文字。

年をとっても、元気な人 ぼけない人

新聞やテレビや雑誌を読まなくても、どの町を歩いてみても、
老人の割合が増えている。この押上界隈も、例外でなく、ガラガラを押しながら
歩いているじいちゃんばあちゃんの多いこと。救急車のサイレンの音を聞かない日はない。
年間に召される人が100万人以上という「多死」の時代である。

昨日の昼間は「満つまめの会」だった。この会は最初はうちの常連さんで「昼カラオケ」の好きな
人に誘われていったのがきっかけ。もちろん「昼からカラオケ」ではなく、気功整体。
近くの公民館みたいな公共施設をまーくんが借りて、毎週水曜日にやっていた。
「ゆーとぴあ?」なんやらそんな名前の施設で、なかなか毎週部屋をキープするのがむずかしく
なり、天真庵の二階でやることになった。

最初は「昼・・」の人たちが多かった。こちらにきて、うちのカッポレの連中や音楽家、料理人、
カフェー人、ギャラリアンたちが幅をきかせつつある。みなほぼ「くちこみ」で広がっている。

その中に2人のおばあちゃんがいる。ふたりとも、年齢的には「後期高齢者」なのだが、
現役で仕事をしている。ひとりは自分が創業した会社を、ひとまわり以上若いご主人
(年をとって結婚したので、年上が相手では、すぐ介護になる可能性があるので、そうした、と自分で
のたまわれている)、にまかせて、本人が経理をやっている、らしい。

もうひとりのおばちゃんが昨日「満つまめの会」にきた。電動だけど、自転車で颯爽と風を
切ってやってくる。おじいちゃんと会計事務所をやっていたけど、おじいちゃんが天国に召され、
どうしてもお願いされるお客さんの経理事務をお手伝いしている、らしい。

ふたりに共通していること。現役、ということもあるが、いつもおしゃれをして、いずまえを直す気持ち、
を持っている。仕事以外に、お茶など習っていたり、映画にいったり、感動する気持ちを持続させている。
冗談もでてくるし、笑ったときの「笑顔」がいい、のも共通している。しっかりした「自分の居場所」を
自分でつくっているような気する。カウンターに座って玉露を飲みながらかわすちょっとした日常茶飯が、
自然体で肩に力が入っていない。

昨日は「ダメ中」だった。うちのかみさんが初めて蕎麦を打った。先生が名古屋から
こられる、という洒落ではないけど、きしめん風な蕎麦だったので、豚を冷シャブにして、
サラダにして食べた。7人で10人前をあっという間に完食。ぼくが老衰でいついっても
天真庵は大丈夫かもなんばん?

今日は「インヨガ」。カナ先生がこの秋に家族がひとり増える。そんな準備もあって、
この7月で「インヨガ」はしばらくお休みになります。その間、ぼくのそばと珈琲のお弟子さま
のひとりがピンチピッターで「ゆるゆるヨガ」をやる予定。

明日は日曜日。日曜日は16時で「閉店」。その後は「粒々皆辛苦の会」(蕎麦打ち教室)
明日は「金継ぎ教室」(不定期)がありまする。

ダメから始める中国語

今日は七夕。昨日は「サラダの日。」
サラダの日に、新人女子が元気に「初そば打ち」。
お茶のお弟子さんでもあるふたりは、玉のような汗びっしょりになったけど
いい蕎麦が打てた。粒粒の汗をかき、一粒で一本になる蕎麦を打つ。そのそばも、
一粒の種から、育ったものだ。いろいろな手もかかり、それぞれの「一粒」が生きている。

まさに「粒々皆辛苦の一粒」である。これから蕎麦打ち教室のことを「粒々皆辛苦の会」(りゅうりゅうみなしんくのかい)
にしよう。ひとつぶひとつぶの「命」に感謝しながら、蕎麦を打つ。そば前の「酒」も、一粒一粒の「命」を命がけで酒
にした物語の一滴。古人は「血の一滴」として大切にしてきた。

能登半島から梅といっしょに、笹の葉がおくられてきた。梅茶翁の梅林に続く山道に
一生懸命に生きている草木の仲間である。久保さんの志野の四方皿にのせ、そこに蕎麦豆腐
をのせると、「七夕のハレ舞台」ができる。

能登の地酒に「竹葉」というのがある。「笹の葉」と酒は繋がりが深い。昔から酒飲みのことを「大寅」といった。
座敷遊びでは♪トラ トラ オートラ」というのがある。
寅は昔から竹といっしょに描かれる。そして酒飲みは自分が飲みたいので、まず
人に「ささ」「ささ」といって、徳利の首をもって酒を勧める。そんな縁起とか演技から
「ささ」が「酒」になり、大酒飲みのことを「大寅」とアダ名した、らしい。

本日は♀の「大寅」があまたやってくる。「ダメから始める中国語」がある。
へたなことをしたりすると、右腕が食いちぎられるようなことにもなりかねないので、
いつも、小さくなって蕎麦会の端っこでじっとしている。
寒山拾得(かんざんじゅっとく)の絵は、ふたりの奇人がほうきと筆をもって遊んでいる構図。
そこに寅と老師が加わり、4人(3人と一匹)が寄り添って寝ている構図もある。
老師の名は「豊干禅師」(ぶかん)という。禅の世界では「この世で一番幸せな姿」
ということになっている。まだまだ凡夫で修行の途中ではあるが、そのうち、大寅さん
たちと雑魚寝ができるくらいの境地に達したいものだ。

今日は「満つまめの会」 狩野探幽が描いた「豊干」を飾ってみよう。感謝。

人と与(とも)に楽しむ

九州中国地方が大雨で大変みたいんだ。
宗像の実家で93歳と86歳が暮らしている。ときどき
電話をすると「元気にやっているから、電話はいらない」などと
強がったりしている。でもそんな「求めない」気持ちが素晴らしいと思う。

昨日のブロフに紹介したおばあちゃんも、かなりおばあちゃんだ。
女性に年を聞くのは失礼だと、しつけられた。躾とは「し続ける」ことだし、そうすることに
よって、身が美しくなることだ。「真に美しいものは 真に正しいものだ。真に正しいものは 
真に美しいものだ」。順受の会の松田先生の恩師・故岡田武彦先生は、かくのたまわれた。

そのおばあちゃんも、ぼくの先生である。お店を始めてすぐのころ、
「あんた私が散歩するころには蕎麦を打っていて、昼間はずっと休憩なしで、時々
遊びにいって夜おそく帰ってきても、お店のかたずけをしていたりして、いつ寝ているの?」
なんてことをよくいわれた。「こんなお店をやり続けるには、健康でいないといけないのと、
時々は銀座とか日本橋(そのふたつの町が、おばあちゃんは大好きらしい)にいって、充電しないとダメよ」
とよくのたまわれた。

そのうち、毎日のように、郵便受にポスティング。おばあちゃんが気づけれないように、こそっと
いれてくれる。(うちのお店の玄関は、紫外線防止?のフィルムを貼っていて、外からは中が見えないけど、
反対はよく見えるのです)。
ポスティングの中身は駅に置いてある「フリーペーパー」。特に、銀座とか日本橋に関連するものは、
ときどきだぶって入れてある。(たぶん、これはあのうらぶた時代おくれのお店に参考になるにちがいない、とふんでいるのだろう)
先日梅をとりにきたときも、「これだぶっていない?」と聞いて、日本橋の情報誌をそっとカウンターにおいていかれた。
「いやはじめて」といったけど、「夏用の梅そばがのっているやつだ」とすぐにわかった。それをやったら、という意味かな?
おばあちゃんは、隠れたうちのマーケッターなのだ。そんな好奇心とかあふれる下町の人とふれあって10年。

岡田先生の言葉
「神より仏より、人のほうが大切である。世の宗教家よ、心せよ」

のどにいい能登飴?

体はいたって健康だけど、「能登病」にかかっている。
昨日は能登から、梅と麻米飴が届いた。

近所のおばあちゃんが、「梅シロップを作りたい」というので、
「届いた梅(バイ)」と連絡したら、「今日本橋をうろうろしているので、
一時間後に・・・」とのこと。台風が近づいているのに、のんびりしたもんだ、
なんて思っていたら、ビショヌレになってやってきた。「傘は?台風の予想はきいてないの?」
ときくと「私かさキライなの」とのこと。

能登の「松波」というところに「横井 千四吉」という500年続く飴屋さんがある。
こんどの能登旅で、千四吉さんと蕎麦をいっしょに手繰った。
三輪福さんとのジョイントで「麻米飴」というのができた。たぶんこれから500年
くらいこの飴は続くのではなかろうか?広がりかたが優美でゆっくりで、縁ある人
たちに、確実に伝わっていく、そんな手ごたえがある。

梅と同時くらいに、京都から「ラーメン荘 地球規模で考えろ」のY社長が
やってきた。お店の向こうぎしで、帽子を脱いで一礼している男がいた。その瞬間に「yくんがきた」と思った。
10年お店をやっているけど、お店に入る前に、帽子を脱いでくる人は二人目。
2年前にライブをやってくれた「かごんまのよかにせどん」と「地球規模さん」。
いろいろ年を重ねると、新しい人間関係を構築したり、古い知人を訪ねたりするのがおっくう
になる。今はやりの「断捨離」も、一番肝心なところは「ひと」の問題やと思う。

35年も音信不通であったのに、よくきてくれたもんだ、と感動して、「次35年後はたぶん天国
でしかあえへんので」といって握手をしてわかれた。京都に縁のある人は「ラーメン荘 地球規模で考えろ」
で一度大盛を食べてほしい。400gの麺と具沢山の野菜を堪能できるそうだ。
100円プラスすると、一キロまで希望で増量できるそうだ。ただし「完食するのが条件」だとか。
名前もそうやけど、「哲」が含まれているラーメン屋さんだ。

今日はこれから「歯医者」。明日は新人女子の「蕎麦打ち鬼の特訓 地球規模で考えろ」だ。

長屋で女性史を学ぶ

昨日はそんな会だった。「長屋で女史会」。
昨日は新人女子がふたり参加され、にぎやかな会になった。

天真庵のHPの「遊山」というところに、今回の能登の梅仕事が
紹介されている。地元の人たちと夜飲んでいる写真は「姫港」という。能登の最初の漁港。
海部(あま)さんとか漁の文化は、九州から日本海沿いに伝わった、というのが定説。
昔の九州は「女系社会」だった。アマテラスさま、や、こんど世界遺産になりそな、その長女が
いらっしゃる沖の島、次女三女も宗像大社には祀られているし、卑弥呼なんかも女系社会の象徴。
「姫」という名前がなんともそんな時代の物語を今に伝えるようで興味深い。

今日は「英語でそば会」。スカイツリーのところで、先生と生徒がまちぶせをして、外国人観光客に
「今日のヨルメシ、どっかきまっとるの?まだやったら、わたしたらと、蕎麦にいって、ボリボリしませんか?」
みたいなことを英語でつぶやき、ポン引きする日。女子、もとい、女性が多い、しかも少しご年配の女性が
多いのが、相手に好感を持たれているのか、成功率が高い。

3年後の東京オリンピックに、ボランティアガイドを、という高邁な目標をもったおばさまたちが多いので、
ずいぶん上達度も高くなってきたように思う。外人のお客様をゲットしてきた時の顔が、まぶしい感じだ。

明日は歯医者。月に一度歯の掃除に板橋(もと天真庵の近く)まで通っている。ちょっと治療が必要な
箇所があるので、先週・今週・来週と歯医者。来週の水曜日の「無茶しぃの会」はそのために午後3時の
予定のクラスが「午後二時」に繰り上げてお願いいたします。長野から新人の女子も参加。
能登とか長野とか、いい水や自然がいっぱいのところでお茶を楽しむ、というのは贅沢の極みだと思う。
来年はそんなところに出向いて、お茶のお稽古をしたいとか、ひそかに思っている。
蕎麦が打てなくなったら、無茶をせずに、ゆっくりと「無茶しぃの会」に専念しようかしらん。

木曜日は新人女子二人に頼まれた「そば打ち教室」。今は日本全体が「女系社会」かもなんばん。
今回の都民なんじゃらも女性やし、自民党の信頼を地に落としたなんやらいう防衛大臣も、女性である。
歴史はいつも「めどき」なのかも。
♪諸国大名は鉄砲で殺す いとやの娘は目で殺す