縄文時代にもどる・・・

いややけど、なんやら、また戦争がはじまりそうな雰囲気になってきた。
「第三次世界大戦か・・・」とい懸念が世界中に広がっている。
アインシュタインの予言ではないけど、「第三次世界大戦で核戦争が始まると、
人類がほとどんど生存しなくなり、第四次世界大戦は、石を投げて戦争をしているだろう」。
そんな話がある。家も、石の斧かなんかで、穴を掘り、掘っ建て小屋みたいなものに住む?
また縄文時代か・・?能登の「真脇遺跡」にいくとよくわかるけど、縄文時代にもどると、
国家の単位が「50人」くらいで、一番偉い「長」は、包丁で収穫物を別れれる人がなる。
でも、縄文時代は戦争しなかった。そこまでいくと、武器もいらず、平和という言葉もいらないくらい平和な世界。

「変身」を書いたカフカの本に「『ああ』、と鼠がいった」というのがある。今年の干支だ。

「ああ」、と鼠が言った、「世界は日毎に狭くなってゆく。はじめはだだっ広くて
不安だった。僕は先へ先へと駆け続け、そしてようやく彼方の右と左に壁が見えてうれしくなった。
ところが、この長い壁はみるみるあわさってきて、僕もどんずまりの部屋にいて、しかもあそこの隅には
罠が仕掛けてあり、そこに僕が駆け込んでゆくというわけだ」。「お前はただ走る方向を変えさえすればいいんだよ」
と猫はいい、鼠を食べてしまった。

少しメタボだけど、この鼠が、トランプのような気がする年初。誰にも「エゴの壁」、「自分で自分の居場所をなくす」
ということはある。ある意味、ゴーンも、この鼠かもしれない。これまた太りすぎの鼠や。
「変身」は、主人公が朝起きたら毒虫になっていた、という物語。このふたりは、変身する前から毒虫?
もしかしたら、わたしたち誰もが鼠になる可能性もある、チューことでもある。
どちらにせよ、今年は「大変な鼠年」になりそうだ。チューい、しなければ・・・    

これから卵かけごはん。 夜は「長屋で女史会」 二階では「普茶料理の会」

まだHPにアップしてないけど、月末にニューヨークからアーティストがきてライブ。

1月31日(金) 開場19時 開演 19時半  4000円(蕎麦会付き)

赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)

日向ぼっこ

東京に初雪がふった。らしい。今朝のラジオがそのように伝えた。
昨日より3度ほど寒くなるようだ。ペレットストーブの暖かさがこころ
に染みてくる。「火」が見える、というのはまことに幸せなことだ。
ストーブの上には、大根や筑前煮などをのせて「勝手気ままな料理」がいつも・・

ギターの仲内 拓磨 からメールがきて「you tube に日陽(ひなた)をアップしました」
とのこと。彼が天真庵の赤赤と燃えるペレットストーブを題材に、曲をつくってくれた。
「仲内 拓磨  日陽」で検索するとでてくる。昨日は仕事が終わり、それを聴きながら
長野の「天真」という日本酒を飲んだ。

昨日の朝のNHK・FMにアリスがでていた。3人とも古希を迎え、あわせて211歳だそうだ。
ぼんやり蕎麦を打ちながら聴いていたら、なんとなく青春時代(今もそうだけど)を思い出した。
仲内くんが、大阪かどこかで路上ライブをやっていたら、缶ビールを飲みながら千鳥足のおっさんが
「アリスの、「遠くで汽笛を聞きながら」が好きやねん。ひいいてんか」とリクエストされ、
本人はアリス世代でないので「明日までにマスターして、ここで演奏します」と約束して
ホテルでネット検索してマスターし、次の日に演奏しようと思ったら、缶ビールのおっさんはこなかった。
でも「いい曲だな」と思って、その後ときどき演奏するらしい。これも「you tube」で聴ける。

♪なにも いいことが なかった この街で・・・

昨日の話みたいだけど、「生きている」と実感をするのは、平穏無事な毎日より、恋をしたり、
失恋したり、煩悶したり・・・ちょっと苦戦したり、苦労と感じるような日々のほうが、振り返って
みて、「充実感」をおぼえることが多い、ような気がする。
ただ、そんな「思い」は未来に向かって進んでいるほうがいいみたい。
人生の締めくくりを迎えたような人でも、「今ここ」しかないことをしっかり自覚し、感謝すると、
過去も未来も一瞬にして変わってくる。

今日は日曜日なので16時閉店。
明日は「卵かけごはん」 夜は「長屋で女史会」 二階では「普茶料理の会」

まだHPにアップしてないけど、月末にニューヨークからアーティストがきてライブ。

1月31日(金) 開場19時 開演 19時半  4000円(蕎麦会付き)

赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)

おやっと思うこと。

福岡の母は、一昨年から施設に入った。妹の嫁ぎ先から徒歩3分の
ところにある。認知はないけど、ひとりで生活するのは、少し心配なので
本人から「いく」と言い出して、そのようにした。でも住み慣れた家を離れて
施設で暮らすことは、「100%よし」という気持ちにはならないようだ。
ぼくから携帯に電話しても、でることがない(笑)気丈な人だ。

昨日は筆子さんの実家にいき、みんなで新年の鮨パーティ。筆子さんの母は、
姪っ子とふたり暮らし。最近認知がひどくなって、洗濯や掃除、食事などが
自分でできなくなり、まわりで協力しながら、病院につれていったり、身のまわりの
ことを手伝っている。「少しマイナー志向なところがある」というのが彼女のまわりの意見で、
一挙手一投足にイライラすることしきり、の毎日だった。

人は年を取ると、みんなわがままになったり、懐疑心をもったり、自分の過去を振り返って
「こんなに一生懸命子育てしたのに、誰もわたしの面倒をみない」ようなことをつい口にだす。
でもよくよく考えてみると、「人間の根源」のところには、「さみしさ」がデンと坐っている
ような気もする。誰の人生も、きついとか悲しいこと、つらいことが多いけど、結局
振り返ると、そんな苦しみとか苦労が、生きがいで、それを乗り切れたことを
「わが人生」として、映画みたいにして見ているのではなかろうか。その時、血の繋がった子供たちに
対しては、少し甘えて、悪態をつきながら、繰り言のように呟いているのではなかろうか?

昨日の朝、近くのアコレで、買い物をしていたら、おかまのMくんが「あら、こんなところで・・
おめでとうございます。頼まれていた本買ったわよ」という話になり、うちに時々こられるヨガの聖者さん
の本を受け取った。2000円払って「おつりはどうぞ」といったら、「わたしは1万でおつりいらない、と
いうほうがいいわ」と笑っている。

その本を読んでいると、「女性の子宮と地球の中心がつながっている。だから恨みとか妬みなんかが
たまると、地震や天災がくるので、わたしは、それをほぐすのが務めだと思っている」ようなことが書いて
あった。
子宮で考えなくても、変なことが多い昨今。福島の原発も、「制御されてます」とは裏腹に垂れっぱなしの状態が続き、そんな環境の中で
各地の原発が再稼働したりしている。まったくもって、「どうなってんの」という話が多い。
正月早々に中近東では、また戦争の火種みたいなコトが起こったり・・・「おわり」がすぐそこに
きてるのでは、という感じも否めないような年。でも「夢」は大事。

みんなはどんな「初夢」を見たのだろうか?
ぼくは、寺子屋のようなところで、長い文机で、論語かなんかの勉強をしている夢を見た。
そう書くと、「まじめな夢」みたいやけど、横に身目麗しき女性が座っていた。
ちょっと意識して近づくと、その女性が「イヤ」だといった。居ずまいをただし、まじめに勉強していると、
その女性がすぐ隣に移動してきた。うれしくなって、手をだそうとすると、
グラッと大きな地震(後でネットにおニュースで茨木で震度4  やった)で、目が覚めた(笑)
ちょっと禅の「十牛図」みたいな夢だ。牛は追うと、逃げていく。最後は「放下」して、あるがまま
にしていると、人と牛の調和が保たれる。悟りの道筋を説いたのが十牛図。
今年64になるけど、まだまだ悟りにはほど遠いようだ。

正月の時くらい、ゆっくり呼吸をして、「来し方行く末に思いを馳せ」、短い人生ではあるけれど、
自分の人生をデザインしてみる、というのもいいかもなんばん。
ヨガの聖者が置いていった「不思議な水」を今年はいろいろ活用してみようと思う。感謝。

下戸の時代・・・ゲコゲコ・・

今日は今年初めてのお休み。毎年蒲田にいって、甥っ子姪っ子たちと「鮨パ-ティー」。
将来どんな職業につくのか知らないけど、「自分の食べ物くらい自分でつくる」
ほうがいいと思い、3年前から始めた。職人世界の「すし」だけど、もともとはファーストフード。
ごはんが炊けて、刺身がひける(できたら魚がさばける)だけで、一丁あがり、の世界。

甥っ子たちは、みな未成年で、お酒を飲むのは、わたくしと、義理の弟のかみさんくらいで、
「湯豆腐や持薬の酒の一二杯」程度を飲む。
今朝の朝日新聞に「下戸の時代?ノンアル活況」の記事。時代がすっかり変わってきた。
厚生省の調査によると酒を飲まない20代は56.5%らしい。30代が54.5%、40代が49.8%らしい。
サントリーも朝日もキリンも「甘酒屋になる」、そんな時代がきた、かもなんばん。

蕎麦屋でかもなんばんを酒肴に一献・・・かろうじて生き残った昭和人が、杖つきながら
やっている・・・そんな美しく懐かしい残像を見るような未来が近い?
養生訓の貝原益軒は「酒は天下の美禄(びろく  びやくではない)ばい」といんしゃった。
酒も飲まず、接せず、漏らさず・・・・なにが楽しみなんだろう?わからんばい。

能登で毎月10日暮らすようになって、🍣(寿司屋)にいく機会が多くなった。能登町にある「津久司寿司」
は、必ずいく。家から車で1時間かかるので、ノンアルコール(お茶を飲む)で、すしをつまむ。
久保さんの備前のまな板皿ででてくる。滞在時間30分。
東京に向かう時、富山の氷見に「すしのや」という寿司屋がある。回転ずしなんだけど、9割が地元の魚で
カウンターの中で、鮨職人がちゃんとにぎってくれる。だいたい2時か3時くらいのアイドルタイムに
お邪魔するので、好き勝手に頼んで、ノンアルコールビールを飲みながら、やはり滞在時間が30分。
お店の人に顔を覚えられた感はあるけど、オフで仏頂面ですしを食べているので、まだ一言も口を聞いていない(笑)

ノンアル、といえば、四国でもち麦をお願いしている農家さんが、火入れしない生の「もち麦でつくった甘酒」を
つくった。年末に少し入れてみたけど、すぐに完売した。これは、ほんまに美味しいし、体にやさしい。
ちょうど「うめ星」ができた日(2年前)に、甘酒を器に入れ、そこに「うめ星」を入れて飲んだ。
隕石には、発酵を施す「宇宙の無限力」があるので、あきらかに美味さが倍増するし、薬事法にひっかかる
くらい体にもいいと思う。今年からメニューに入れる予定。「うめ星甘酒?」・・梅を想像すると売れないかも(笑)

貝原益軒さんが「酒は飲みんしゃい。異性とはふれあいんしゃい。年とったらセックスはひかえ、漏らしたらあかんばい」
と「養生訓」で力説したのは、「長生きせんとあかんばい」とか「無病息災がよかよ」といってるのではない。
「いき」に生きてよ、が、言いたかったに違いない。どんなに頑張っても100年。これから100年たったら、今生きている
いやな上司や姑やつれあいも子供も、この星にはいないのであ~る。悔いないようにしたいものだ。感謝。

最初の晩酌

スティーブ・ジョブスではないけど、「今晩の晩酌が最後の晩酌」と思い、「今ここ Here Now」の精神で血の一滴のお酒を
大事に飲むようにしたい。昼飲む酒も晩酌?
休肝日は酒を飲み始めた高校生のころから、一日ももうけていない。
正確にいうと、24の時に骨肉腫で入院した時は、飲まなかった。
4年前(5年?)にベトナムでそば打ちをやった後、場所を借りた寿司屋で
「皮つきの魚の刺身?」をを食べ(食べた瞬間にヤバイと思ったけど)た後、
ホテルで気持ち悪くなり、救急車で運ばれたことがあった。その時は酒が飲めず、帰る飛行機
の中でも、アップルジュースを飲んだ。(ちなみに、ベトナムで病院に運ばれ、一泊入院すると10万かかる。
カードの保険で払えたけど、やはり海外いく時は保険を・・)それ以外は、毎日酒を百薬の長と信じて飲んでいる。

休みの日は、昼めしの時から酒を飲むようにしている。朝起きたら「まずビール」という酒のみ仲間もいるけど、
もともとがビールはあまり好まない。もっぱら日本酒(ときどき焼酎)がいい。
できたら、傍らに女の人がいたほうが酒は美味い。幸い、毎日のようにいろいろな勉強会やライブがあり、
四十路で美しい女子たちと、バカいいながら、時々エッチな話題で酒を飲む機会に恵まれている。ライブの後盛りがる時は、みんなでハグをするのが恒例になった。高齢になっても、同衾(どうきん ハグな寝具にいっしょに寝る)というのは
陰陽の関係からいっても体にいいようだ。セロトニンの分泌も高まり「ボケ防止」にもなるらしい。だから夫婦でセックスレスになっても、
同じ布団(ベッド)で寝る、というのはいいらしい。顔も見たくない、いっしょに洗濯物をするのも、空気を吸うのもイヤになったら、
違い方法を考えてみる必要がある。

「接して漏らさず」の養生訓を著した貝原益軒先生も、「年よりバ、
接して漏らさぬほがよかばってん(彼は福岡出身)、ハグするのはよかよか」と言ってたらしい。(江戸時代に「ハグっていう言葉あった?)
ようは、男も女も「ときめく」ことがなくなったら「おしまい」ということだ。できたら、ときめくような人
とするほうがいい。ほんとうに好きな人とは、不養生で漏らして早死にしても、いい、と思う(笑)

昨日はかっぽれのあいかたが王子から蕎麦を手繰りにきてくれた。
今年「古希」だが、元気。王子の自宅から神田明神まで2時間かけて歩き、そこから電車で
きたらしい。昨年末のブログに塩谷先生の「正心調息法」のことを書いた。あいかたは、それを
全国行脚しながら伝道師のように広めている人だ。(30日には、古河(茨木)から60kを7時間かけて走って
年越しそばをとりにくる青年あり  毎年恒例)

かっぽれに「深川」というのがある。おんなかっぽれではやらないが、「ふたり坊さん」
というのがあって、坊さんが手をつないで「♪ヨシチョー通い」というところがあり、あいかた
と手をつないで「女」(でもどうやら芳町というところは男娼の館があったらしい)を求めて歩く。
最初は「吉原」だと思っていたが、芳町を含む日本橋の人形町周辺はかつて「元吉原」と呼ばれる遊里があり繁栄を極めていたらしい。
その後「江戸の中心に遊郭、は、やばいんじゃない」ということで今の地に移った。この界隈も、向島、亀戸、鳩の街、玉ノ井・・・花街のなごりを残し、かっぽれなんかが盛んなのもその地縛霊のわるさかもなんばん。

いつも、手をつなぐときに「冷たい」と感じていたのが、昨年あたりから「あたたかく」なってきた。
聞いたら「まじめに正心調息法をやるようになった」とのことで、最近わたくしもまじめに呼吸するようになった。
自分の呼吸と一体になる。吐く息、吸う息になりきる。そんな境地を体得したいと思う。
今日まで正月気分で、朝から「竹葉」を一献。
今日も通常営業(12-19)
明日は「お休み」           感謝

今日・明日は年越したそばで通常営業

あけましておめでとうございます!

ランナーズハイのように、昨日も朝はやくからバンバン蕎麦を打った。
なんとなく、通りがかりの人たちが「年越しそばありかすか?ボリボリ・・」みたいな感じでくるような気がして・・
大晦日は、ベテランのそばもんたちが蕎麦打ちをやるので、挨拶にきた人や、年越しそばを受け渡しをしながら、
あっという間に一日が終わってしもうた。60を過ぎてから(ひょっとしたら、39歳くらいから、「目標をきめない」
「いやなことはしない」「数字とか結果にこだわらない」・・そんな風に生きてきたけど、たぶん、お店を始めて一番年越しそば
がでたんじゃなかろうか?さきほど、蕎麦農家に注文のファックスを流す(笑)

3人分くらい蕎麦が残ったので、筆子さんと「ざるそば」を手繰りながら、「竹葉」のぬる燗を飲む。
かえし、は、松本の「大久保さん」ちの醤油。まじめに自然農でつくった大豆で醤油をつくっている。
今年は、その「かえし」で、数の子をつけた。(もうひとつは、大久保さんちの白みそで西京ずけ風に数の子をつけた)
今朝もそばをバンバン元気に打って、これから、それら「天真庵風おせち」で、一献の予定。
(12時から19時まで通常営業をするので二合でやめとくけど)

昨年のそばには、能登で自作の「辛味大根」をつけることができた。里山の畑を二年かけて耕し、
無農薬・無肥料・無除草で、限りなく「ほったらかし」で、自然農に挑戦してみた。
「かけがいのない命」と、ただ漠然使ってきたけど、自分で畑をやってみて、「命をいただく」
という意味が、体でわかった。これまでは、不耕な人生やった。
それと同時に「自給自足が目標」とかいうけど、結局大自然の恩恵のおけげで、作物も育つし、
自分たちも「生かされている」ということがよくわかる。ほぼぶらじるよろしく、ほぼ9割が自然のおかげだ。
人間の力なんて、シレテル!

田畑を耕すというのは 自分の人生 自分の命を 耕すということでもあります。

都会で暮らしていると、始終幕無しで、働き続けている人ばかり。便利なハズのスマホも中毒のように
なって、ごはんを食べる時も、トイレでもカシャカシャ動かしている。ねずみが、かごの中で、くるくる回る
ような「ラットレース」・・・今年はねずみ年やけど、ラットレースには参加せぬようにしたい。スマホの生みの親、ジョブスは2011年56歳で召されたけど
「その日その日が自分の人生の最後の日のつもりで生きよう」(今ここ Here Now)がモットーやった。
ちゃんと禅をやっていたらしい。Stay hugury! Stay foolish!(貪欲であれ、愚直であれ)。アホにならんとアカン。

せっかく斜陽のように、日本が高齢化や少子化の社会にスローダウンしている。これも自然なので
今年はみんなでスマホなんか捨てて、自然に寄り添うような生活をめざすのはどうやろか?
へんに「がんばりすぎの日本人」ばかり増えてきてる感じがする。
スマホやSNSに使われ、会社に使われ・・・使われっぱなしで、「自分」を発揮せずに人生が終わってしまわない?

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり
一度生を享け 滅せぬもののあるべきか    (幸若舞(能や歌舞伎の原型)・「敦盛」の一節)

15歳の人もあと35年。20歳の人もあと30年しかないよ。今年43の人はあと7年しかないよ。感謝。

みそか 味噌か 蕎麦か・・・

いよいよ大晦日。。

京都では、晦日には「おから」を食べる習慣がある。「きらず」という。
きらずに食べれる、の縁起から、来月もまた縁が切れませんように、との願いが込められている。
大晦日には、そばを食べる。そばは江戸時代に16文やった。二×八そばの洒落。
そばは、二割の「つなぎ」(小麦粉)を入れてつくる。これも「つながる」という縁起をかけて大晦日に
食されるようになった。

29日は、親子・家族の蕎麦打ちやった。まだ年少組の子らも、エプロンとバンダナを巻いて
参加。「ぼくが先だ」とか兄弟喧嘩しながら、蕎麦粉と戯れている。餅つきもそうだけど、
みんなで協力しながら食べ物をつくっていく、というのは「食育」の中心にあっていいと思う。
そして、一番大切なんは、地球の環境を整えること。今はギリギリのところへきている。
天真庵デビューが、母親のおなかの中・・という子も多い。子宮にいるころから、そばを間接的に
食べている子らは、蕎麦アレルギーがなく、もの言わぬころから、そばを手繰って(正確には、手繰る練習)
いる。玄米をたべる時、ひじき煮とか野菜中心の副食を好むように、小さいころから蕎麦を食べる子も、
それに近いものを好む方向にすすむような気がする。

昨日は、年越しそばも佳境を迎える。打つ人がいて、地方の発送もあるので、朝から坐ることなく、
そばを打ち続ける。一番弟子で毎年30人分打つお弟子様が、風邪をひき、その分も打つことにあいなって、
昨日は130人前くらい蕎麦を打った。時間をみながら、表にほした干し柿を喰ったり、差し入れのシフォンケーキを
食べたりしながら、陽が沈むまで立ちっぱなし。毎年神社にも、買い物のもいけない日。でもありがたいこっちゃ。
終わった後、風呂吹き大根や、数の子をつまみに、「鍋島」をわびすけ(隕石猪口)で飲みながら反省会。
酸の強い鍋島あたりを、隕石猪口で飲むと、酸が無駄なく際立ち、酒そのもの味が、あぶりだされる、そんな気がする。

先日、近くの「粋香」の主人がかいらしい嫁はんを同伴で蕎麦を手繰りにこられた。大学の3つ後輩で、お店を始めたのも3年後輩にあたる。
遅ればせの還暦の祝いに「隕石入り器」をプレゼントした。日本酒のことを知り尽くしているので、これから
いろんな酒を、隕石とふれあわせ、味の変化を楽しみながら推敲して「日本酒と隕石」の本でも著してほしいものだ。
今朝の朝日新聞のカラー見開きに「20年後にアメリカ大統領を輩出する」というハデな広告が・・・我が立命館大学だ・・
それが実現する日までこの星にお互いにいたら肩組んで「グレータ 立命」を歌わなければいけない。

いけない、そろそろ、買い物にいかないと、「そばもん」たちがやってくる。

明日明後日は、営業しております。時間があるひとは「年越したそば」を食べにきんしゃい。感謝。

自分で年越しそばを打つモード

昨日のライブで、今年の行事はおわり、今日から「自分で年越しそばを打つ」モードに・・

明日、明後日は「年越しそばを打つ」のと、「年越しそばを受け取る」のふたつ。
ので、初心者の蕎麦打ちは、本日。4組の人がくるけど、9時から始まって、
まず自分がお手本を打ち(約30分で打つ)、初心者は、一時間から一時間半はかかるので、
陽が暮れるまで「鬼の特訓道場」と化す?
子育てがそろそろ卒業組のお母さんが午前中にふたり、午後はばりばり子育て中のお母さん・・
最後は、「パプリカ」を応援歌にして、蕎麦打ちするパパを応援する家族。

昨日は大石さんのピアノと堀さんの歌。堀さんは亀戸に住んでいて、歩いてこれる場所に
住んでいるジャズシンガー。ニューヨークでレコーディングした経験もあり、歌が妖艶な
オーラの波動に包まれていて素敵だった。大石さんが「天真庵のテレビ金沢に映像の中で、野村氏が釣りを
している場面で曲がひらめいた」という新曲も披露してくれた。来年のアルバムに入れてくれるそうだ。

先週の「国貞雅子」も、大石さんも下関出身。関門海峡を渡ったらすぐにぼくの生まれた街(小倉)がある。
飛行機にふたりで予約して、通路側をふたつするのを「通路はさみ」という。だからぼくらは「関門海峡はさみ」
みたいなもんや。N響の山根さんも大石さんと同じ高校。ピアノの調律をやってくれるカリスマ調律師も
下関。そのあたりを相称して「下関音楽マフィア」と呼んでいる。彼らが、ライブをやってくれると、
なんとなく「潮」や「ふく」(河豚)の香りがする。

昨日はジャズのスタンダードで日本語にすると「なんとかなるさ」という曲を歌ってくれた。
お財布のお金を見る・・・年を越せそうにない・・・でもなんとかなるさ・・・

新しい時代を迎えたけど、暗いニュースや「どうなるんやろ」というようなことが世界中で起きている。
でもこれまでも「一寸先は闇」のような時代やった。それを、「一寸先は光」と感じるのは、
そのひとの「こころのありかた」。なんとかなる・・・

「迷中又迷」(めいちゅううめい)
昔の人は、うめいことをいう。迷いがあるからこそ、それを受け入れたりしながら悟りの境地にいける。
泣いたり笑ったりしながら、ひるむことなく、毎日に感謝しながら歩いていく。
それで、いいのではなかろうか。音楽には、そんな悲喜こもごもな人生が吐露されている芸術。
そしてこの星で一番の芸術は「人と人が出会い、愛し合っていく」ことだと思う。感謝。

今日はライブ 16時で閉店します。

28日(土) 堀 まゆみ&大石 学 ジャズLIVE  19時開場 19時半 開演

演奏:堀 まゆみ(ヴォーカル)・大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

インフルエンザで数名がキャンセルしたので、もしも「!」の人はドタサン大歓迎。

そして、明日からは31日まで「年越しそば」モードになる。

木曜日の休みに焙煎をしてたら、自転車がとまった。おかまのMくんが年末の挨拶にやってきた。
重そうな本をかかえながら、「やっぱり、焙煎機をかえたら、香りがちがってきたわね」といって、
ドスンとその本をカウンターに置いた。「炎色野さん、昨日でおわりだったわ。さみしくなるわね」と。

「行ってくれたんか?何か買ったか?」と質問したら、「いい抹茶茶碗があったけど、今お金がなくて・・」
という。「どうした。女に貢いだりした?」と質問したら、「わたしは童貞よ そんなわけないでしよ・・・
先週友達にお金を貸したら、約束の期日にもどってこなくて、水道が止められたの・・」
という。「君にお金を借りる・・・そのひとはなかなか達人やな」といったら、苦笑い。
焙煎したての珈琲を試飲しながら、四方山話。
カウンターの中に置いてあった塩谷さんの「自在力」を手にとって、「この本は、ゴルフダイジェストに連載
されたものね。写真はわたしの友達のカメラマンがとったのよ」という。ゴルフもヨルフとも無関係なMだけど、
日本の芸能や、宗教、整体とかヨガ・・・知らないことがない、くらい博識なおとこ、もといおかまなのだ。

彼が持った本は「豪潮律師」の遺墨集。
江戸時代の坊さんで、良寛さんや、白隠さんと並ぶくらい、いい書を残した。
熊本の玉名の出身。ぼくのHPに「たまな創生館」というのがある。橋本太郎館長が
実家を改装してカフェやギャラリーや時々音楽会などをやっている。橋本さんは天真庵で
お茶やお花を学ばれて故郷に帰った。夏目漱石ゆかりの「草枕温泉」もある。よかとこ。

珈琲を飲みほすころ、Mくんの携帯がぶるった。「やった、お金が振り込まれた!」とのこと。
さっそく自転車にのり、郵便局めざしてこいでいった。
酒もおんなもやらないけど、たまったお金は、芸術家たちの応援をしているので、いつも自転車創業。
ままちゃりで、あちこち走りまわる変な人だけど、「らしく生きている」という点では、最高峰に鎮座している。

もう一冊、不思議な本を置いていった。昨日の夜、竹葉を飲みながら読む。
こんなところを赤鉛筆で囲ってあった。たぶんMではなく、その本を最初に買って
読んだ「だれか」が囲ったのだろう。

自分のために生きることを始めてみよう
自分を見つめ直して 前を向いて進んでみよう
あなたがこのタイミングをバネに使えるならば
今までにない充実感が味わえる
あなたが進んでいけるなら
まわりが 再びあなたを支えてくれる
あなたは 今ここ を生きている
この世に必要な人だから
あなたは 今ここ を生き続けている

事実をどう受け止めるかによって人生は変わる

火曜日が書の会、水曜日がおんなかっぽれ・・・これで今年の寺子屋は終わった。
明日の「大石組のライブ」が終わると、明後日から「年越しそば」だ。

火曜日に、背のすらっとした若者が蕎麦を手繰りにきた。顔を見て「まさくん!」と叫んだ。
「佐賀のがばいじいちゃん」「気骨のすし会」を末期がんにかかわらず、亡くなるまで3年やって
くれた「片淵さん」のお孫さん。まさくんは、じいちゃんと時々きて、宿題したり、本を読んだり
しながら、天真庵のすし会に参加していた。そのころは、まだ恥ずかしがり屋で、口数も少なかったけど、
背筋がちゃんと伸び、挨拶もしっかりしている。普通なら大学1年のはずが、「どこかで修行している」
のが伝わってきた。

「すしでいくか?」とガチンコ質問してみたら、「いまフレンチを修行中です」と返ってきた。
「ひょっとしてKで修行してる?」と聞くと、びっくりした顔して「よくわかりますね」といった。
フレンチは、おごってもらってもいかないタチだが、なんとなく不思議にKのような気がした。
「時間があったら、ナガヤ、にいってみて。」というと、興味津々な顔をした。

彼のじいちゃんは、まさくんが高校に受かった朗報をきいた2日後に召された。
昭和31年、高校生のころ夜汽車をのりついで、東京駅に着いた時に財布の中には、じゃり銭が
何枚かしか残っていなかった。住み込みの寿司屋に弟子入りし、3年間必至で働いて独立。
自分でリヤカーを改造して(5000円でできた、と自慢しながら笑っていた)、渋谷の今の文化村
あたりで「うどんとつまみと酒」を売った。当時そのあたりをしきっていたA組のヤクザに脅されたり、
反対の警察にも注意されながら、5年くらい死に物狂いで働き、渋谷で「佐賀」というお店をつくった。

還暦を過ぎ、それを後輩に譲り、長野の松川に移住して自然農でリンゴをつくっていた。
奥様がガンになられて、東京にもどってこられ、看病しながら看取った後、ご自分もガンになられ、
一度手術をしたけど、その後は「自然にまかす」という生き方にきめ、「元気なうちは、天真庵で
すしをにぎりたい」ということになって3年やられ、八十路の前に旅立たれた。時代は違うけど、
「夢」を抱けば、現実になる時代。そんな社会にもどさないとあかんばい。学歴やキャリアがなんだ、「おれの道はこれや」でいけた時代。
隔世遺伝で覚醒されたまさくんの将来が楽しみである。

「許せない人がいる自分」を許すと、人も許せるようになる。
「手放せない自分」をただ受け入れると、捨てられぬ荷を担ぐくらい軽くなる。
「自信のない自分」を受け入れると、その自信のない自分を受け入れることができる自分が「いまここ」にいる。

◎事実をどう受けとめるかによって 人生は変わる。            感謝。