一番いい人

今日はどこも臨時休業だと思う。天真庵もお休みです。ライブも中止。
みなさんもどうか無事でいられますように。被害が少なかったら明日は通常どおり営業します。感謝。

昨日の昼過ぎに東京にもどってきた。
常備しているけど、予備のため養生テープを買いに、オリンピックに
いくと、すでに「売り切れ」だった。
なんとか常備しているもので、玄関の窓ガラスなどをとめた。
今朝☂の中、ショールームのガラスに、段ボールを養生テープで
とめていたら、「大変ですね。がんばってください」と声をかけられた。
少しアル中ぎみの人で、何年か前に「できん」にしたおっちゃんだ。
緊急時に、不思議なふれあいを感じた(笑)

アル中って、かわいくて気の弱い(アルコールも弱い)人が多いよね。
ぼくなんかアル大(中学、大学)か、大学院クラスかもなんばん。
色道のほうの大学卒業証書は「昔そいとげなかった人と出会い、ふたりで談笑しながら
昔の話をする」というようなことを書いたエッセーを読んだことがある。
「秘するが花」ではないけど、男と女は「ひめごと」で終始いきたいものだ。

地球の寿命は「あと30年」という説もある。そんなにもたない、との説もある。
そんなこと神のみぞ知る、だけど、「明日で終わり」という日がきたら・・・

その時は、じたばたせずに、お気にいりの茶器に星野村の玉露を宝瓶(ほうひん)で
丁寧にいれ、気のおけない仲間と小さな茶会をしたい。
3年前に召された「佐賀の気骨のすし職人」さんが、すしの道具と、珈琲カップを
ひとつおいていった。カップは藪椿の絵柄の有田焼。柿右衛門よりもあざやかな赤の
椿、織部ではだせない緑の力強さがいい。「一番すきなカップ。よか人がきたら、これ使いんしゃい」と
笑いながら・・なんとなく最後の一盌は、このカップにホボブラジルを入れてみるか?と思ったり!

お茶も珈琲も「一期一会」。無駄のない縁でつながっている人と、幸せな一刻を楽しむもの。
真民さんの詩に「一番いい人」というのがある。飾りもなく、お点前もいらず、胸襟を開きながら
自然体でお茶を入れたり、日常茶飯の中に「しあわせ」を見つけるのが、いい人との過ごし方か・・
生き方の「居ずまいを糺(ただ)したく」なる詩だ。

「一番いい人」

何も知らない人が
一番いい
知っていても忘れてしまった人が
一番いい

禅の話もいらぬ
念仏の話もいらぬ
ただお茶を飲みながら
鳥の声を聞いたり
行く雲を仰いだり
花の話などをして帰っていく人が
一番いい

別れたあとがさわやかで
過ぎた時間が
少しも惜しくない人が
一番いい         (真民)

土曜日の成川さんのギターは中止にします。

糸魚川から、川沿いに信州を目指して、車を走らせてきた。
糸魚川は昔から翡翠(ひすい)がとれ、川もなんとなく翡翠の青色をしている。
その翡翠は「まがたま」を作るのに採石されてきた。川のところどころに
「勾玉」の看板みたいなものがたっていて不思議な縁を感じた。

安曇野や松本は、知り合いもいて、これまで何度もきた町である。アップルマラソンにも
何度か参加したことがあり、かつて自分の足で走った道を車はいく。
途中「中条」という村(まち?)がある。天真庵の玄関のドアや、錫のチロリや、ぼくの
茶道具の茶たくや茶合(さごう)を作ってくれた角居くんが、昨年中条の古民家をアトリエに
して「場」という名前の仕事場をつくった。今年からカフェも完成させ、注目をあびている。

今回はお互いに忙しいので「場」を通り過ぎ、伊那谷に眠る城倉くんの墓参りをすませ、
勾玉に使う絹糸の工場にいき、旧友とあって、「分杭峠」という不思議な癒し場の近く
の温泉宿にとまり、きのこ鍋などを酒肴に酒を飲んでいる。
(墓参りの旅にきてるパワースポットだけど、最近はお客さんが増えすぎて、マイカーではいけなくなった。)
お昼に成川さんから電話があって、「お客さんの命を最優先に考え、土曜日のライブは中止」
と決めた。

くれぐれも、被害が少ないことを、祈りの場所で祈願。感謝。

たまおと(魂のおとうちゃん)

月曜日の夜、半袖のTシャツのまま、東京を出発。
ぼくのTシャツには、💀こんな骸骨だったり、恐竜だったり、フクロウや
蜘蛛の巣・・・いろいろな絵が描かれている。「京都のおっちゃん」とか
「魂のおとうちゃん」とかいう感じの野村富造さんが描いてくださったもんや。(後釜の河野さんのもあるけど)
2011年に急に召されてしもうて、それからあまり京都にいく縁がうすれてしもうた。ろうけつ染めの名人やった。

妙高高原あたりを過ぎたあたりから、「紅葉」が見られた。すっかり秋である。糸魚川を超え、氷見を過ぎ、能登に
入ると里山の風景が、そこか寂しげな静寂の秋を迎えているようだ。能登の家のある志賀町も、波の音が家に
聞こえるくらい高く、厳しい冬の前夜祭のごとくに鳴り響く。自然の運行は、悠久で、ひとの一生なんて
「つかのまの旅人」が散歩しているかの刹那にすぎぬ。

今朝は、粗大ごみの日。古民家に残された古箪笥や三面鏡などをだす。東京では「粗大ごみ」いうたら、
ぬれ落ち葉よろしく、生気もなく(性器はついてるんらしいけど)ボーとしている「古色のついた夫くん」
のことをいう場合が多い。いつでもシールはって表におくと、業者がもっていってくれる。(人は無理だけど・・)
ここ志賀町は、年に4度しかなく、今回はそのために7時間ちょっとかけてやってきた。

それが終わると、車庫の裏の畑にいく。先月はそこにある栗の木の栗をもって帰り、栗ごはん
にしたり、焼き栗にした。先週の木曜日は栗ごはんを、筆子さんに託しお母様に食べさせた。
いつもはぼくのつくるゴハンを「おいしいおいしい」と二杯は食べるのに、今回は一杯だけだった
らしい。どうも渋皮が残っていて、食べにくかったようだ。おすそわけした君にもあやまっておく
必要がありそうだ。ごめん。

畑には守り神のようにさつきが鎮座している。その横に辛味大根をつくった。
畑は里山からつづく土なので、自然農をやってみたくて、耕しはするけど、除草も女装も
せず、ときどきは肥料がわりに、立小便をする。(隣のおばあちゃんに一度見られて笑われたので、
今はがまんしている)肥料も農薬もなし。無為自然、あるがままで育てている。

先週勾玉をもっていかれたひとが、そのまま家の近くの神社にお参りにいったらしく、メール
に「蝶がつがいで、絡み愛ながらまっています」と書いてきた。
都会のトンボは一匹で飛んでることが多いけど、蝶は二匹か・・よかった。

絡み大根にも花が咲く。きれいな花で、蜜を分泌し、誘われるように蝶がよってきて、辛味大根
の上で「絡み愛」をし、おしべとめしべが結ばれて、新しい命が紡がれていく。
恍惚なエナジーで、エロスの連続のような営みだけど、それが「命」の根源であり、宇宙
の根源であることを、人間は忘れているようだ。

「たまおと」(魂のおとうちゃん)とか「まがたま」なんかを身近に感じながら「哲」していると、
不思議とそんな世界に誘われる。

これから、伊那谷に眠る後輩の墓参りである。
伊那谷は、おおいなる女陰である、とある詩人がいった。
老子も「谷神不死」といった。老子の根源的な「哲」がここにある。

大いなる谷間に神は永劫の命を育んでいく、というようなことか。
志賀の家には「老子」に関する本をいっぱいもってきた。ゆっくり老いて
いく時間つぶしに老子を読みながら、茶でも飲む一刻を楽しみたい。感謝。

急に秋がきた?今宵は「長屋で女史会」

そんな感じ。一昨日までエアコンをつけたりしていたのに、
昨日は半袖では寒いくらいだった。
そばうち男子たちは、汗をびっしょりかきながら、手前蕎麦を元気に打っていかれた。
♪昼間のパパはちょっと違う・・・ではないけど、昨日の夕餉は存在感がたっぷりだったに違いない。
3人とも平均すれば50歳半ば。少し会社務めにつかれた顔しているけど、そばを打ちはじめると、
幼きころの気持ちが蘇る。いつまでもそんな天真爛漫な気持ちを忘れず、がんばってもらいたい。

今日は二十四節気の一つ「寒露」。秋が深まり山の紅葉も色つき、朝露が冷たくなる季節だ。
今日の夜から能登へ出発。途中の長野あたりは、紅葉が始まっているだろう。
今回は能登の滞在は二日。その後、40年近く前、骨肉腫になった時、同じ職場で同じ病気になって
同じ病院で、22歳で逝った後輩の墓参り。城倉良夫くん。長野辰野生まれ。京都コンピュータ学院出身。
彼が同じ病気と診断された時、ぼくの車で、白川通りの比叡山登り口から比叡山にのぼり、
「お互いに生きて娑婆にもどれますように」と祈願した。
そのまま「おごと」(お坊様も通う秘密の場所)にいき、この世の快楽とお別れして山を下る。

大徳寺の近くの病院で手術。ぼくは、骨盤の骨を削って、右腕に移植する。半年くらい
のリハビリで、なんとか普通の生活に戻る。
彼の腫瘍は足にあって、ひざ下を切断した後、転移して足の付け根まで切断したけど、転移が
おさまらず、最後は肺にまで転移し、生きたいと願う若い魂が昇華された。
それからすぐに、まだ右腕にギブスしていたけど、ぼくは京都から上京した。

坂村真民さんの詩に「露」というのがある。寒露に読むと甘露な気分になる。

「露」

露が
教えてくれたもの
まるいまのがいい
すきとおったものがいい
かすかなものがいい
じぶんをもとうとしないものがいい

「充実の沈黙」・・・真民さんの詩で一番好きな詩

石や木は
その秘めた歴史を
秘めたまま
長い沈黙を守っている
わたしが石や木に
心ひかれるのは
この充実の沈黙である

勾玉 おきんたま 今日はそばのたま?

と、玉がふたつ続いた。
一昨日「勾玉茶会」が終わったので、昨日からお店の陳列棚に「勾玉」を並べた。
昨日は巫女さんのような凛とした女性がカウンターに座り、神の坐するような所作で
織部の勾玉を買っていかれた。お茶の先生をしている常連さん。内面がら人間性がじわりと
躙り口から漂うような色気がある人だ。首からかける所作をし、「このくらいかしら」
なんていいながら・・・こちらが、もうちょっと下・・このくらい・・なんて手をお胸に近づけたら・・
「鳴神大神みたいですね」と言われ静かに笑っている・・・昨日のブログを読んできたんだ!くわばらくわばら

京都の出町柳から叡電(えいでん)にのると、八瀬(やせ)というところがある。
昔から「八瀬童子」といって、天皇の葬儀に棺をかつぐ人たちが住んだ。比叡山は
日本で有数の霊山であるけど、そこから吹く風が神秘的な八瀬という町には、この世
とも思えない霊気が漂っている。別名「鬼の子孫」ともいわれた。京都から比叡山は鬼門にあたる。
今は観光に特化した感があるけど、「八瀬の釜風呂」
というのがある。古式ゆかしき日本のサウナみたいなものだ。昔は混浴(日本中そうやったらしいけど)
で、そこから「茶道」が始まった、という説がある。
女の人が裸の胸に勾玉をぶらさげ、男がおきんたまをゆらし・・・茶を飲む。見方によっては、和敬静寂の極みかも。
こんな自由なお茶に戻したら、「茶」が世界中に広がっていくだろう。
茶人たちが、茶道具の片隅に「まがたま」を隠した気持ちがわかる。

今日は日曜日なので16時に閉店。それから「蕎麦打ち教室」
今日は「期待の新人くん」と、ふたりのベテラン組3人が元気にそばを打ちにくる。

明日の朝は「卵かけごはん」
夜は「長屋で女史会」
明後日から金曜日まで「能登休み」  今月は珠洲で「茶事」があるので後半も「能登休み」がある。

おきんたま踊り

昨日は「ダメ中」だった。中国語の勉強が終わって、あきこさんが
「何か音楽をお願いします」というので、11月に天真庵でライブを
やる「西尾賢ソボブギ」の新しいアルバム「諸国旅して出逢います」を
かけた。みんな酩酊しながら「ソボブギ世界」を逍遥する。
この会は「おんな風呂で裸踊り」をしている風情がある。ぼくの立ち位置は「番台」(座り位置か?)

「柳川おろろんべ」という新曲があった。島原の子守歌の「おろろん おろろん おろろんばい」を少し拝借
したような九州の香りがする歌だ。「げんげ節」は、富山の珍魚「げんげ」(下の下 という意味の名前だけど、じつに美味い)
とうのをテーマにしている。「旅先の女」・・・いろいろな曲が入って二枚組だ。
彼らの代表作「おきんたま踊り」も、少し豪華に装いなおし、ゆらゆら揺れるように鎮座してあった。
ええとこのお嬢様が高齢になって認知症になった。まさかあのお母様が、ベッドに横たわりながら「きんたま」を連呼
された。「いろいろ抑圧されてたんやな」と思った瞬間に降りてきた歌らしい。「天声人語」みたいな歌や。

♪揺れた揺れたよちょっと揺れた
野にも山にもちょっと揺れた

父ちゃんの種芋右左
ふれば実はなる田も肥える

きんきんきんたま おきんたま
おきんたま踊りで皆揺らせ

・・二番もおもしろいが放送コードにひっかかる?聴きたい人は「ライブ」へどうぞ。

NHKの「みんなの歌」にしたいくらい、素晴らしい。子供たちが聞くと、いっぱつで覚え、
家や幼稚園で歌っているようだ。親が「教育によくない」などと、難しい顔して言うけど、
その子たちも、おとうちゃんのおきんたまを種として、おかあちゃんの腹の上でゆれて、生まれてきたのだ。
五穀豊穣、家内安全のシンボルでもあるのです。

こないだ幼稚園に通うHちゃんがきて、棚に並んだイチゴジャムを見て「いちごを
いっぱい食べると赤いウンチになるかしら」といった。母親が「お店はごはんを
食べる場所なので、そんな話はやめなさい」と制した、ら、その子が「ウンチは、食べる
ことと同じことなんだよ」と真顔でいった。そのとおり、人間は「食べる臓器」と、「する臓器」
なのだ。子供たちは「根源的なこと」を本能的に身につけている。えらい。

時々見にいきたくなるけど、歌舞伎十八番の「鳴神」なんて、人間の煩悩を
封じ込みすぎる弊害を上手に表現していておもしろい。「なんでも閉じ込めたらアカン」

生命の根源は 論理倫理 にまさる。

10月12日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

19日(土) 山本竹勇 津軽三味線の世界

演奏:山本竹勇(ギター)

18時開場 19時開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

11月6日(水)
「新作CD発売記念ライブ」  ソボブギ

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

演奏
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴(おまけ)

だめ中・・だめから始める中国語

いい得て妙なネーミング。ダメもとだけど「とりあえずやってみるか」とはじめ
半月くらいで終わりかな、と誰もが思っていた教室がかれこれ10年近く続いている。
継続は力であ~る。なんでも「やってみなはれ」の精神が肝要。

先月の休みは、青山を散歩しながら「炎色野」(ひいろの)に立ち寄った。寄る年波
というと、美人の女店主にしかられそうだが、来年の2月に閉店することになった。
久保さんの陶展を長いことやってくれた場所だ。升たかさんもそこで出会い、彼が14年
くらい前に京島の長屋にアトリエをつくり、そこに「引っ越し蕎麦」をもってきた縁で、
天真庵が池袋から押上に結ばれることになった。人気作家の渡辺愛子さんも、そんな縁にひきずられ、
近くの八広にアトリエを持つことになり、東京と伊賀を往復しながら作陶を続けている。
いろいろ人生の「ゆたかさ」を教えてもらった場所だ。居酒屋ではないけど、個展中に飲む酒は至福やった。

炎色野さんとは、不思議な縁でつながった。20年くらい前になるけど、久保さんの作品を
おいてもらうお店を開拓した日がある。田園調布と自由が丘と渋谷、つまり渋谷からの一本で
いける場所に一か所づつお願いにまわった。ふたつはすんなりきまったけど、最後の渋谷が苦戦をした。
夕方陽が落ち、「もう最後」と思って、メモしてきたお店に電話をしたら、「はい、ヒイロノです」
という声がした。メモには「〇〇陶苑」と書いてあったので、「失礼しました。間違えました。」
といった後、「ひいろの?なんのお店ですか?」と聞いた。「焼き締め中心の器を売っております」
というので急いで宮益坂を駆け上り、その当時にはまだあった仁丹ビルの裏の横丁に古色蒼然とした二階屋の陶器やさんの玄関を開けた。
何かサムシング・グレートの仕業としか思えないけど、無駄のない縁の原点ができた。今も美しいけど、あの時の笑顔が脳裏に焼き締められている!
織田流煎茶道の家元もここで出会い、押上にきてからいっしょにお茶する縁がつむがれていく。

押上では煎茶を習う人も増え、教室もにぎやかになってきたけど、能登に移住することをきめて、
一度解散した。最近は能登や島原などお弟子様が移住していった自然の中で、お茶を入れたりすることが多い。
袱紗(ふくさ)も使わず、涼炉(りょうろ)もあり合わせの長火鉢や囲炉裏で代用。お点前も「無手勝手流」。お茶のかわりに珈琲の時
もある。お茶受けも「焼き栗」だったり「干し柿」だったり、島原だと「カステーラ」だったり・・滅茶苦茶?

「和敬静寂」と茶の湯でよく使われる言葉がある。主人とお客さまが、和して敬す、お互いの存在を認め
あいながら茶を楽しむ、ということだ。「おもてなし」の根っこ。では、朝ひとりでお茶を飲むのには「和敬」は成り立たない?
そんなことはない。友達や縁のある人を思い、または天国に召された家族のことなどを思い茶を飲む
にも、「和敬静寂」は大切なことだなあと思う。でも最高なのは主人ひとり客人ひとりで飲む茶だと思う。一客一亭(いっきゃくいってい)という。

昨日は「炎色」がくっきりついた久保さんの「ひだすきの勾玉」を愛でながら茶を飲んだ。
古代より神にささげる神事につかわれた胎児のような不思議なフォルムに神秘力がある。
茶禅一味ともいうけど、神人冥合のような幽玄な気持ちになる。
自然をわすれるくらい自然体でお茶やお花をいけ、お茶を忘れるくらい茶にのめりこむ、そんな境地を少しつかんだ感じの一期一会の茶。天恩感謝。

昨日のトイレの「日めくりカレンダー」がまたまた一楽。坂村真民さんの「本気」

「本気」

本気になると世界が変わってくる
自分が変わってくる

変わってこなかったら
まだ本気になってない証拠だ

本気な恋
本気な仕事

ああ
人間一度
こいつを
つかまんことには     真民

今日は「英語でそば会」

今日から10月。
こんな恐慌のような不景気な時代に、消費税が10%に引き上げられる。
昨日は、「かけこみ買い物」で、食料品や衣料品やガソリンなどを調達する人で
長蛇の列になったお店もあったとか・・
スパイラルというか、中島みゆきの♪まわるまわるよ時代は、らせん状にまわる・・
同じようなことを繰り返しながら、ひとは生きて死んでいくんだなあ、と思う。

天真庵は、珈琲はワンコインで500円。これに消費税を加えると550円。
600円をレジ(うちのレジは碁石入れ)のとこで渡されると、「50円のお返しです」
ということになる。1000円を渡されると450円のおつり。1050円をわざわざわたされると、
「エーっと・・・」・・・まだそこまでボケていないけど、「別々でお願いします」とかいわれ、
そんなやりとりをしていると、そのうち厨房内で欠陥だらけの脳内血管がぷつっと切れかねない?

そんなわけで「ほぼぶらじる」は、一杯500円。ワンコインのままです。
珈琲豆は、100g600円(税込み)になります。企業秘密だけど、先月から
焙煎機を改良して「ここだけ」という領域に踏み込んだ感(自画自賛ぎみ?)もある。
こないだテレビ金沢さんが取材にきたとき、公開する予定でいたけど、おもしろい「オッサ」
がきてカウンターで話こんでいたら、すっかり忘れてしまった。そのうち東京特許許可局
に申請しようと思っている。

おそばは、50円アップ。ざるそばは850円。とりそばは1050円。

カウンターの後ろには、リンゴ箱みたいなショーケースがあって「能登と愛媛の直売所」
みたいな感じで、ジャムやらもち麦なんが並んでいる。それらは、お値段据え置き。

「うめ星」はネットで買うと8000円(税込み・送料含む)
「元気シール」は、1500円(税込み・送料含む)
お店で買うと、いままでどおり。お弟子様価格・友達価格もそのまま継続。

今日は「英語でそば会」

明日は「そったく焙煎塾」  新しい焙煎機で焼く珈琲の「ちがい」を楽しむ会。
明後日は「おとこかっぽれ」
金曜日は「ダメ中」

今月はふたつのライブ。

10月12日(土) 成川正憲ギターライブ・・・「おぶせびと」を検索すると、成川さんのギターと
小布施に生きる人たちの映像が見られる。

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

19日(土) 山本竹勇 津軽三味線の世界

演奏:山本竹勇(ギター)

18時開場 19時開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

回転寿司と太公望

石川県は回転鮨やが多い。回転鮨の機会の2大メーカーが石川にある、らしい。
それを最初に発明したのは中国人で、中華の「まわるテーブル」を鮨に応用したとか、
「ぼーっと」生きていると気が付かないけど、聞くと「なるほど」だと納得するようなお話。

昨日の夕方、近所で「ひとりで住むおばあちゃん」が珈琲を飲みにきた。(ぼくのブログには
近所のおばあちゃん、というのがよくでてくる。)
5年くらい前に近所のアパートに引っ越してきた。足が悪く、いつも松葉杖をつきながら買い物にいったり、
ゴミ出しをしたりしている。ある日、重そうなゴミ袋を運んでいるので手伝ってあげると、
「ありがとう。助かったわ」と喜んでくれた。10分くらい後に、「これ、お店で使えたらどうぞ」
といって、笊をふたつと、木のまな板皿(よく刺身の盛り合わせに使う)をくれた。

ちょうど「気骨のすし会」(末期ガンのおじいちゃんが、月に一度きてくれて、死ぬまで3年間天真庵
のカウンターで8人限定の会をやってくれた。最後まで満席やった)を始めたころで、気骨のじいちゃんも
愛用し、今はぼくがときどきすし会をやるときの仕込みに使わせてもらっている。昔の道具は、よくできている。
たかが笊、されど笊、なのだ。

そのおばあちゃんのつれあいは、新潟から上京して修行し、すしやを19歳でつくった人だ。
最初は、この界隈の長屋ではじめ、平成のはじめには、3階建てのビルをたてた。
6年前に脳梗塞で旅立たれ、少し借金が残っていたので、ビルを売って、近くに越してこられた。

すしやをやっているころ、「太公望で、休みに海にいくのが趣味でした」と、
初恋の人の思い出を話すようにイキイキと話すおばあちゃんの目にキラリと輝くものが見えた。
カウンターにいた若い料理人が「タイコウボーって何ですか?」と小さな声で質問した。
「そんなむずかしいこと、おぼえなくてもいい」と答えた。

今日は「論語の会」
2か月前くらいに、太公望が講義にでてきた。

周代の政治家であった呂尚の別名。 呂尚は大変な釣り好きで、ある日、川で釣りをしていたところ、周の文王に「我が太公(周の祖)が望んでいた賢人だ」と見いだされたという話が有名で、以来、日本でも釣り師のことをあだ名のように「太公望」というようになった。
回転すしも、釣り師の名前もルーツは中国らしい。感謝感謝(シェーシェー)

木曜日は「おとこかっぽれ」
金曜日は「ダメから始める中国語」

締め出しを喰ったおばあちゃん

能登は65歳以上の人が半分を超える。いわゆる限界集落の半島。田舎はどこも似たりよったり。
でも後期高齢者といわれるばあちゃんが海にもぐり、さざえやあわびを採ったり、
じいちゃんたちも毎朝伝馬船にのって、沖にでかけ今だとアオリイカやガンド(ぶりの手前の魚)を
釣ったり、昼間は畑を耕し、自然に寄り添い、自然の恵みを享受しながら生き暮らしている。

能登だけの問題ではなく高齢者社会は、日本全体、そして世界の問題になっている。
ここ墨田区でも、ときどき乳母車をひきながら歩く高齢者が、大きな道路を渡るのに躊躇したり、タクシーを待って
いるのに待ちくたびれたり、自分が今どこにいるのかわからなくなってきかれたり、といったことが
日常になりつつある。

昨日は「出かけるときに鍵をわすれて、自分の家に入れなくなったおばあちゃん」が
ほぼぶらじるを飲みにきた。ときどき、同じようなケースで天真庵デビューするおばあちゃんが
いる。でもきのうのおばあちゃんは、ピアノの横のテーブルに座り、扇子をかばんからとりだし、少し遠慮がちの小さな声で
小唄を口ずさみながら、珈琲を飲んでいた。花街に近いこの街では、こんな風景もめずらしくない。
粋なもんだね、おとみさん。芸は身を助け、老後のあまたある暇な時間を有効に使える手段でもある。

「締め出し」は田舎では考えられないかも。そもそも出かける時に鍵をかけない。もしも最悪締め出しを
喰っても、時間をつぶせるカフェが近くにある?
能登の家で考えてみると、一番近い店(酒屋のようなよろずやさん)まで徒歩25分。
でも、往復50分に、お店のじいちゃんと話をすると、最低40分くらいはかかるので、
カフェで過ごすより時間かせぎはできるかもなんばん。どこにいても、何がおこっても「こころのおきどころ次第」だということか。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」

10月12日(土) 成川正憲ギターライブ・・・「おぶせびと」を検索すると、成川さんのギターと
小布施に生きる人たちの映像が見られる。

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

19日(土) 山本竹勇 津軽三味線の世界

演奏:山本竹勇(ギター)

18時開場 19時開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)