あけましておめでとうございます。

「小寒」から「大寒」を経て、節分で「福はうち」と豆をまくと、
正月「立春(2月4日)がやってくる。きのうは元来の正月。
小寒のころ仕込み、立春の朝に搾り、神主さまがご祈祷して、それから瓶つめした酒
を「立春朝搾り」という。原田先生の花をいっしょに机を並べて学んだ同志が、
昨日「開華」の立春朝搾りを現地(栃木)から運んでくださった。酒屋の女将さんである。
一瞬早い春を運んでくれる巫女さんのようでもあり、ありがたい神事を毎年続けてもらっている。

ギャラリーも経営されていて、久保さんの器もだいぶ嫁いだ。昨日は「ロ」の小福茶碗を
見て、「う~ん」とうなる。彼女は昔「ほれぼれうんこの会」という便秘解消の会の肩書をもっていた。
白州正子ばりに「よし、買った!」と、財布を出す前に決断するタチだが、さすがに「ロ」の茶碗を
「ちょうだい」というわかけにはいかない。
一日考えて決めるらしい。無理にきばると、痔になる。自然体でやるのが、なんでもよろし。

夜は「長屋で女史会」だった。
「骨董品を買っていからるのは、ほとんど男子でしょう?」と先生が質問。
「うちでは、9割が女子。「ロ」を最初にもっていったのも🚺。今検討中の人も♀、
明日の夕方見にくるのも男勝りの女子です」と答えた。まごうことない真実だ。
「元始 女は太陽だった」とのたまったらいてうさんの言葉があたらしい。
女性解放運動の先駆者として知られる作家、平塚らいてうさん。

今日は「英語でそば会」
スカイツリーで待ち合わせをして、外国人観光客に「いっしょに蕎麦しない」
と声をかけ、天真庵までぽん引き。今日つれた外国人さんは、「寒ブリ」が
食べられる幸運に恵まれる。
「こいつは春から縁起がいいわい」なんて歌舞伎言葉を日本語でしゃべる人がでてきたりすると、日本には
われら「在日日本人」が片隅に追いやられる、そんな時代になるのかもなんばん。

二階では「満つまめの会」  味噌作りもある。
明日は水曜日だけど、味噌作り。

月曜の朝は卵かけごはん

昨日は「気骨の鮨会」だった。
8kのぶりの頭をさばくのは、力もいるけど、要領もいる。
気合もいる。「鮨会なので、アラはいいか・・・」などと思っていたけど、
前日参加を決めた女子が「わたし、ブリのアラ、とくに目玉まわりが好きなんです」
といった言葉を思い出し、大きな出刃で頭を解体。それを煮付けにした。

昨日は「左党」(のんべえ)たちが、その匂いにつられ昼間からそば前をグビグビ飲まれた。
確かに、ブリのあら煮あたりを酒肴にすると、それだけで2合はいける。
「どんなに飲んでも二合半」とこころに決めていても、3合4合飲んでしまうのが、人間の性?

鮨会は、ねぎの神様Mさんが、農業試験所でつくった「名前のない酒」を持参してくれた。
実験所らしく、ラベルに「Z」?だったかMだったか忘れたけど、シールが貼られていた。
少し酸がたっていたけど、寿司にはピッタリの味で、みんなでグビグビ飲んだ。
多士済々の個性的な人たちが、ほとんど「初めまして」だったけど、楽しい会になった。
アラといっしょに炊いたネギはMさんがつくったものだ。
早春にブリがふたりも飛んできて、友達がネギと酒をしょってきてくれて、気のおけない
仲間たちが集う。

「おいしいものを食べる」よりも「おいしく食べる」のほうが、これからの時代にあっていそうだ。
「おいしく食べる」こつは、「いい友達を持つ」ことが最優先。「いい友達を持つ」こつは、
「まず自分がいい友達になる」ことだと常々思う。

これから「卵かけごはん」
八郷の「暮らしの実験室」の平飼いの卵。味噌汁の実も、同じ農場の野菜を使う。
味噌は天真庵の味噌蔵に眠っていた手前味噌。2月は毎日が、味噌つくり。
昨日も味噌をつくって3年の小学生が、おとうさんといっしょにきた。今年はおとうさんが
手を洗うことがなかった。つまり、その子が全行程を自分でやった。。
「食育」とか言葉が先行しているけど、日本人の体をつくってきた基礎のところをつくる味噌つくり。
ほとんど市販の味噌は熱を加えて、酵母を殺してしまっている。時間が経過しても色がかわらないよね。
それ「発酵食品?」となぜ疑問に思わへんのやろ・・・

今日の夜は「長屋で女史会」
明日は「英語でそば会」

ちんこの次はちんこば

きのうはちんこ(沈香)、今日は朝、白檀を焚いた。
坐禅をしているような幽玄な境地になる。

昨日は「能登ぶり」をさばいた。今年になって二回目。
今日の夕方は前々から「気骨の鮨会」(自分ですしをにぎる会)。
いいタイミングで、すばらしいブリが飛んできたので、今日はみんなでぶりっこ。
昨日は「そば前」を飲んでいるお客さんには、マグロでいうトロの部分をつまみにだした。

能登の「寒山拾得美術館」の床の間の脇棚に南條先生がかいた「さざえ」の絵が飾ってある。
ふたつのさざえが、哲しているように描かれ、「ときどきは外を見る」と揮毫してある。
まことさざえは、哲学者のように海の岩肌で、禅僧のように鎮座しておられる。
能登のすずあたりは、さざえのふたを「ちんこば」と呼んでいる。
坐禅・・・土の上にふたりの人 ひとりが自己 もうひとりが自我 その真ん中にちんこが鎮座?

今日は日曜日なので、16時閉店  それから「気骨のすし会」

2月は毎日味噌作りがあって、ライブは3月におあずけ。

3月は23日(土曜日)が、上原英里さんの「シャンソン」

30日(土曜日)が、山本ひかりさんの「ボサノバ」

ちんこも焚かず ・・屁もひらず

昔から、こんな落語のネタのような話がある。

昨日、蕎麦のお弟子様が遊びにきた。いったことがないけど、「武相荘」という
白州正子さんとこにいったらしい。お土産に「お香」をいただいた。
白檀と沈香と伽羅が入っていた。今朝は久保さんが作ってくれた「眠る香炉」に
沈香を焚いた。小さな紙に解説が書いてある。

沈香 伝承の香木  純粋な自然の沈香木でございます。
残り香が 心にひびく名香でございます

昔、ある政治家が、「沈香も焚かず屁もひらず」を間違えて、「ちんこも焚かず 屁もひらず」と演説した。
正確には(じんこうもたかず、へもひらず) 沈香を焚いたような芳香もないが、臭いおならもないということから、
「格別よいところもなければ、悪いところもなく、 平凡な日みたいな」のたとえだ。

それだけ「沈香」(じんこう)が日常だったけど、その政治家にとっては、「ちんこ」のほうが日常茶飯だった?

彼女がもっていた白州さんの著書をパラパラとめくってみると、黒田辰秋さんのことが書いてあった。
もともと京都の塗師(ぬし)屋の息子だった彼が、18歳のころ三角堂といういう画廊を通ったら、
飾り窓においてあった河井寛次郎さんの二彩の香炉を見て「ふあーと酔ったような気分になった」らしく、
その一瞬で人生がきまり、木工に励んで、人間国宝にまでなった。
やはり「いい器は先生」である。芸術にはそんな力がある。

「眠る香炉」に沈香を焚く。そんな日常の中に、生涯の一転機となく刹那が香っているかもなんばん。

ちんこもたたず、屁もひらず  こうなると線香の前の写真立てに入ることになる。感謝。

達磨には手足がないけれど・・・

今日から2月。
掛け軸を変えようと思って、いろいろ見ていたら、「隠元」
と書いた箱が見つかった。黄檗禅とインゲン豆を中心にした普茶料理と書を
ひろめた人。普茶料理は「普(あまね)く大衆に茶を施す」という意味で煎茶を飲んだ
後に大皿にのせた料理をみんなで分けて食べる形式で、精進料理の原点みたいなものだ。

かかった隠元和尚の軸には、達磨の絵に、賛が揮毫されている。黄檗三筆というのは、隠元・木庵・即非のことをいう。
三人とも中国人なので、漢字が微妙に日本のものとは違う。でも源流はそっちだ。

今みたいにブーム(中国人や台湾だけ?)になる前に、銀座の骨董屋から買ったものだ。中小企業の経営者の
月給くらいの値段だったけど、今では上場会社の平社員の年収くらいするらしい・・・???

時々知り合いの骨董屋などがきて、「売ってくんない」などといわれるけど、達磨のような顔して「いやだ」と答えている。
でもときどき凡夫の欲ばり精神がでて、売って旅でもしようかな、なんて気持ちになることもある。
まったく西鶴がのたまったように「人間は欲に手足がはえたようなものだ」と思う。

今朝はお香を焚き、煎茶を手向け、しばらく座って達磨の顔とにらめっこ。
手も足も自ら切って、禅の修行をした人の「すごみ」みたいなもんがある。

能登の「寒山拾得美術館」には、木庵の書をかけてある。
「初祖達磨大師」と揮毫している。

今、宅急便でまた「寒ブリ」が届いた。8kのブリがまるごと入った発泡スチロールに
「山城・三輪福より愛をこめて」と書いてある。
能登に先に移住した「そばのお弟子様夫婦」。ふたりとも能登の顔になりつつある。
今年も梅林ガールズたちの出番を、梅たちが華憐な花を咲かせながら待っている。

ぶくろの骨董屋

今日は「歯医者の日」。錦糸町から大塚駅行きのバスにのっていく。
始発から終点まで、約一時間の旅。通勤電車時間は、押上からも満席で
インフルも心配なので、バスを使った。

久しぶりにバスにのったら、「次は本所・・・」というアナウンスの後に
「やわらかい肉ならデンジャー」みたいな宣伝が流れるんやね、大阪みたいになったね。
「総入れ歯ならなんとか歯科」とか「乳歯から入れ歯までおまかせのだぼはぜ歯科」とか
聞いているだけで、「今」が垣間見れておもしろかった。

大塚駅から歯医者まで、歩きなれた道を歯医者まで歩く。「上池袋」に20年くらい住んだ。
歩いてデパート(池袋に西武・東武・当時は三越も)にいけ、夜池袋や大塚で飲んでも歩いてかえれるし、
目白にあったヨネクラボクシングジムも歩いて往復した。
JRなら板橋か大塚、メトロなら西巣鴨、とても便利なところ。
まだぜんぶ自分の歯だが、あぶないところもあるので、毎月掃除にいっている。
先生もスタッフも20年近くお世話になっていて、気ごころが知れている。

帰りに、池袋の骨董屋(以前の経営者は煎茶道具専門だった)の後を継いだ中国人のやっているお店にいく。
ここで話(もちろん日本語)をすると、中国の骨董事情などが聞けて勉強になる。
「魯山人の小福茶碗があるんやけど・・・」というと、「売ってくれない」ときた。
日本の煎茶道具、黄檗山の隠元・木庵・即非など中国人の書・魯山人とか著名の陶芸家の作品は、
日本でも高いけど、向こうにもっていくと大化けするらしい。斉白石の軸なんか、ひと昔前だったら数十万で
買えたけど、今は1500万くらいで売れるらしい。
「あきるまで自分で楽しんで、あきたら売りますね」といったら、「中国の骨董バブルもかげってきたよ」
とのこと。どこの国も、バブルが10年と続いたためしはない。もうそろそろ・・・か?

前のオーナーが残してくれているお茶道具が入っている桐のタンスを勝手知ったるなんじゃらであけたら、
小福茶碗を入れる籠があった。小さな茶杓と茶筅、棗(なつめ)つき。「これ魯山人の茶碗にいいや」といって、少し値切ってゲット。
その桐の茶箪笥とお店の中にある蹲(つくばい)・・・実は密かに「店たたむ時、売ってくれない」
といいかけては、じっとこらえている。もうすぐバブルがはじめたら、譲ってもらう予定。
お金が大化けしなくとも、身の丈をこさない生活の中に、風流な一時が共有できればいい。

日本はバブルがはじけ、震災を経験し、未曽有の災害が毎年どこかにくるそんな昨今、生き方
をかえようと思っている若者もまわりにはいっぱい増えてきた。

特徴として
@組織や国に頼るのではなく、自分の足でたっていく そして知足
@温故知新 先人の残してくれた古くも新しくもないホンモノにふれる
@時間がかかっても自分でやれることは 自分の手仕事としてやっていく
@お金よりも 友達や家族と過ごす「つながり」のほうが大事
@都会の便利さよりも 自然とふれあう生活がいい
@一生は一度きり 好きなことをして死のう

そんな価値観をもった人が増えてきているように思う。

これから「おんなかっぽれ」

論語とそろばん

渋沢栄一翁が唱えた言葉。思想も大事だし、背反するようなそろばんも大事。
やはり「バランス」というか「中庸」が大事、ちゅうことか。
原理原則に縛られると窮屈だし、金銭感覚のこわれたのはアカンし、
けっこう「生きていく」は難しい。

昨日は24年くらい続く「論語の会」 今年は「孝経」を勉強する。
「論語読みの論語知らず」という名言があるけど、24年もやっていると、
それが「けだし名言」であることが、体でわかる。一種「さとり」に近い?。

「孝経」いうのは、とある儒者が孔子の言動をしるしたという中国の経書七経のひとつらしい。 儒教の根本理念である「孝」に
ついて書いてある。「親孝行」の孝。昨日は「親を啓するこころ」の大切さを勉強した。ぼくはいつものように、机には座らず、
厨房の中で典座(てんぞ  お寺のまかない係 寒山拾得の拾得(じゅっとく))のように、蕎麦会の準備をしながら、蕎麦焼酎の
「花」を片手に講義を左耳で聞いていた。

この会のメンバーはアラカンいうより、団塊の世代に近い世代。まだ親が存命だったり、子供が巣立ちしたりする
「中間」というか触媒みたいな役割の世代だ。親が自分を育てたようにしか、子供を育てることができないけど、
はたしてそこに「敬」が存在するやいなや・・・・それぞれが胸に手をあてながら内観する、そんな一刻だった。

昨日は、「能登ぶり」のアラと大根で「ぶりだいこん」をつくった。
少し食も酒も弱くなった仲間たちが、ひさしぶりに健啖家よろしく、ぶりだいこん、投じ蕎麦、の鍋を
空にした。「論語とぶり」か?この一週間で8kのぶりをアラまで食べつくした。寒ブリのうまいのは、
寒い冬の海を泳ぐブリの生命力にふれるからだ。「ぶりかい」をやると、春が待ち遠しくなる。

今日は今年最後の「深谷ネギ」が届く。親友のM(一度聞くと、ぜったいわすれない名前)。
残りのブリ大根に、深谷ネギを刻んで投げ入れる。海と大地の生命力がしみる。
MはIT企業と農業法人の社長を兼務する。昨日メールがきて、「今晩、魯山人の夢を見たら、
小福茶碗を買わせていただきます」とのこと。

お茶の味、うまさ、というのも実は「生命力」だ。お点前とか、お茶の歴史云々・・・など
ある意味形式も大事だけど、根底にはこの幽玄なる力がないと、砂上の楼閣みたいなものだ。
朝まずめに起きて茶を飲み、土を耕し、陽が沈むころ家にかえり、酒を飲む。幸せな一刻を
知る人間の自由さに敬服。

今日は「書の会」
明日は「おんなかっぽれ」

おおかたなおみ

昨日の夕方は、蕎麦打ちふたりと、味噌作り3人。
ひとりは、こどものインフルエンザで欠席。
味噌作りの時は、インフルエンザが流行る時でもある。
100人いると、毎年何人かは影響を受ける。こればかりはどうしようもない。

12月に「国貞雅子」のライブをやった。発表してすぐに満席になり、これまでの
ファンでこれない人が多かったので、4月にリベンジしようときめたら、またすぐに満席になった。

テニスの大阪なおみ選手が全米オープンに引き続き全豪オープンでも初優勝を飾り、四大大会連覇と世界ランキング1位を同時に成し遂げた。
国貞まさこからメールで「大阪なおみさんに似てますね、とよくいわれる」らしい。確かに、顔の相は、同じ部類に入る。
昨年は世界的な音楽家とツアーをしたり、確かにステージが変わりつつある。友人で深谷ネギをつくって成功しているMとも
握手をしたので、「カーネギホール」に立つ日も近い?
「では、おおかたなおみ、に改名する?」と返信した。

今日はこれから「卵かけごはん」
寒い冬の間は、みそ汁の中に酒かすを少し入れると、体もこころもポカポカになる。

夜は「順受の会」今年で24年?そのくらい続いている「論語の会」
論語読みの論語知らず、でも、継続は何かの力なり、だ。

明日は貞本先生の「書の会」
今アビアントで個展をやっている生井厳さん。そこでは、正月に「墨だ!」
みたいな書の展覧会をやる。昨年まで貞本先生も生井さんといっしょに参加していた。
ふつか前?のブログに、生井さんが脳梗塞とガンを克服したことを記した。

昔から文人たちは、書や絵を描くと同時に武道などにも通じていた。
だから「経絡」(気の通り道)などを知っていて、「イザ」という時に、気を
使って自分の体を調整できるみたいだ。結局医学がどんなに発達しても、病気を
直すのは、医者や薬でなく「自分」の問題みたい。

ぼくも骨董病と合併症みたいに金欠病が不治の病のように全身にまわっている。
そろそろ克服したい、と思いながらリハビリよろしく銀座の骨董屋なんかを歩く。人から見ると、徘徊老人?
「隠れ脳梗塞」なんていう言葉もある。ぼくの場合は「脳拘束」だ。ひとつのこと、好きな
ことに脳が拘束される傾向があるみたいだ。みんな先天的か?ある種、発達障害?

幸福をよぶ映像

昨日は味噌作りの二日目。フクちゃんがやってきた。
ぼくのそばのお弟子様。英語が堪能で、外国からアーティストなんかが
やってきた時に、通訳にかりだされる。天真庵のHPに「普茶料理」を
食べている外人さんの写真がある。ホテルのイベントでアトランタあたりのスーパーシェフ
たちが来日した時、彼が通訳をし、下でそば打ちを伝授し、その後二階で打ち上げをした時の写真。

ほかにも「養蜂」をやったり、各地でケータリングの仕事をしたり、映画の評論や字幕の訳、おまけに
「安来節」まで踊れるマルチタレントでもある。
彼がなぜ「フクちゃん」か?

石川県の人ならだれでも知っているテレビのCMに「フクちゃんフクマサもってきて」というのがある。
昭和37年から昭和の終わりくらいまでやっていた福光屋のTVCMだ。
「福光屋」「福正宗」「フクちゃん」で検索すると、YouTubeで観られると思う。
そのフクちゃんにうりふたつなのだ。

ネット21が赤坂に事務所があったころ、近くに福光屋さんの直営店があったので、よくいった。
漆の角伊三郎先生とも彼が召される一年くらい前にそこで偶然お会いし、楽しく飲んだこともあった。
彼のアトリエは輪島にあり、奇しくも寒山拾得美術館から車で10分くらいのところだ。
今は和倉温泉の加賀屋の別館に「角伊三郎美術館」があり作品を展示してある。そこにいった時、彼の合鹿碗に
そばを入れてみたかった、と痛感。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」「味噌つくり」
二階は「満つまめの会」

隕石直売所の主人がつぶやくとそばやが儲かる?

昨日のお昼に、スカイツリーの足元にある「隕石直売所」の主人から電話・・
「これから若いふたりが、うどんをもって、そばを食べにいきます」とのこと。

まるで狐につままれているような気分の電話だけど、彼はいつも、いろいろなお客さまを
紹介してくれる。「うめ星」プロジェクトで共同開発した提携先でもあり、田舎の住所が
「宗像市日の里・・・」までいっしょという、稀有な縁でつながっていることもあり、また
この「うめ星」をお互いに身につけてから、「無駄のない縁のつながり」が流星のごとくでもある。

そして、10分後にうどんをもった青年が蕎麦を手繰りにきた。
「さぬきうどんの修行をして、無店舗で全国を巡り、うどん打ちのパフォーマンスをやっています」とのこと。
うどん二袋を挨拶変わりにいただいたので、珈琲をぶつぶつ交換よろしくだした。
隕石やの主人がツイッターで「うどんが食べたい」とるぶやいた縁らしい。不思議な時代だ。

夕方に「まいこさん」(ダメ中の先生)が味噌をつくりにきた。京都では、お店の開店日の最初のお客さん
は「女性」がいい、という縁起をかつぐ。とくに「舞妓さん」が最初にくるとそのお店は
繁盛する、という言い伝えがある。味噌作りの最初が「まいこさん」。なかなかいいスタートだ。
しかもはじめてつかう大分の耶馬渓のTくんの自然農の大豆。これが煮たときの味が滋味ゆたかで、期待に豆ふくらむ。
仕込んだ味噌を「甕」(かめ)に入れ、名古屋のそばの名店に発送。彼女は2年前に名古屋のそばやの主人と結婚したのだ。
その「甕」は、その店でずっと「かえし」を仕込んでいた甕。「甕の恩返し」よろしく、味噌がそばやに帰っていった。感謝。