八郷で新そばを打ち、ゆさそばの新そばライブを終え・・

あとは、年末の「自分で年越しそばを打つ」イベントが終われば、今年が終わる。

昨日は「ゆさそば」が元気にやってきた。いつものように、蕎麦屋さんの恰好をした3人が、ピアノを奏で、
パーカッションをたたき、ヴィオリンと唄を歌う。春に蕎麦春秋にでてから、また全国各地で
イベントに参加しているようだ。蕎麦屋でピアノが置いてあるところは、ぜひ一度「ゆさそば」
を呼んでみてください。酒もそばも数段うまくなるから・・・ホント。

昨日はサプライズのゲストも登場。「口笛村の村長」さん。日本一、世界で二位の実力保持者。
モンティーのチャールダーシュを4人でやった。サントリホールあたりでやっても満席に
なる「価値のある」演奏であった。しばらく興奮がさめず、上機嫌になり、上喜元の「翁」
をのみながら、ゆっくりやっていたら日付変更線を超えた。芸術ってほんとうにいいね。

今日は「お花」と「お仕覆」が二階である。先月はそのすきに、錦糸町の釣具屋にいって、
ルアーの仕掛けを買って能登にいった。でも今回も釣りをする暇がなかった。

明日は「卵かけごはん」夜は「順受の会」の忘年会。来年7は「荘子」をやる。

今日は「ゆさそば 新そば祭り」にて 16時閉店

こないだメールがきて、「今のところ20人集まってます」とのこと。
普段は16名満席にしているので、「超満席バイ・これ以上は椅子がない」と返信。
毎年すごいことになる。自由席なので、昨年は4時ころから並ぶ人あり。しかも遠方
よりやってくる男子多し。超人気の「ゆさそば」
ちょっと言葉で説明するのは難しいけど、そばが取り持ってくれた不思議なライブがある。

言葉で説明できない、といえば、昨日不思議な女性が天真庵にやってきた。墨田区の町おこし
かなんかの人の紹介だった。簡単にいうと、江戸時代の春画の朗読をライフワークにしているらしい。
説明しにくいけど、想像力をちと働かせば、どんなことかわかると思う。
「長屋で女史会」もそうだけど、歴史というのは、男中心、しかも時代時代の「権力者」側
から書かれていて、くそおもしろくもない。くその役にもたたないけど、受験のためにしかたなく
お勉強させられた、というのがほとんどの人ではなかろうか?
それを女性の立場から見直してみる。断然歴史がおもしろくなる。
来年3月から「春画の朗読会」を始めることにあいなった。縁あるものは、すぐにやる、のが天真庵流。

常識というは堪忍 春寝むし

常識を疑ってみる。いつもと同じ道程で歩かない。いつもと同じ店で飯や珈琲を飲まない。ぼーっといつものテレビを見ない・・・
いつもと違う生き方をしてみると、違う世界が見えてくる。いつまでも昨日と同じ今日だと、座して死を待つがごとし。

不思議をライフワークにしている友達から自著の雑誌が送られてきた。「神様を味方にして運がつくための方法」
のコツが書いてあった。
「おもい」を深くもつと、おもうモノは手に入るけど、それだけ、だ、とあった。
あまり目標を設定したり、深く思ったりしないで、「自然によりそい受け身になること」だ、とのこと。
老荘思想などの「無為自然」という境地もひょっとしたら、そのあたりが的なのかもなんばん。

来年の「順受の会」は「荘子」をお勉強します。人生二度なし。この世は男と女。そんな当たり前の天地自然の理が
わかってくると、人生は短いけど、100倍楽しくな~る。日々是好日。

明日は「ゆさそば」のライブ 16時閉店

年に一度、新そば祭りが終わったころ、「ゆさそば」が天真庵でライブをやってくれる。
今年もすでに「超満席」。大阪や仙台とか、友の遠方よりやってこられる、またうれしからずや、だ。
今年は「蕎麦春秋」という雑誌に大きくのったこともあり、知名度が全国的になってきたようだ。
昨年はお笑いの「メルヘン総長」なるおもろいにいちゃんがやってきた。今年は「口笛」の名人が
やってくるらしい。いつも「想定外」のサプライズがあるのがおもしろい。

23日は「国貞雅子」の弾き語り。大石学さんに鍛えられたピアノと唄をしみじみ聴かせていただこう。

16日(土) ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(蕎麦・珈琲 付き)

23日(土・祭) 国貞 雅子 ソロ LIVE

演奏:国貞 雅子(歌・ピアノ)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

素敵なピアノの発表会

かよちゃんの門下生の「ピアノ発表会」が昨日開催された。7回目。
石の上にも7年。かよちゃんの嫡男のたっくんも、二曲演奏した。
彼のおとんも、カウンターに座って、満面笑みで珈琲を飲んでいた。
彼はなんやら響という(S?M?いやN)のクラリネット奏者。

サプライズなお客さんがカウンターに鎮座しているのに、みんなあがらず、自然体で
それぞれの曲を演奏した。あがり症のかみさんもはじめてノーミスで一曲を演奏。
お茶もそうだけど、お点前などある意味どうでもいいのである。
日常の中に組み入れて、「自然体」で楽しめばそれでよい。音楽の「音」というのは、
「神様のおつげ」というのが根底にある象形文字らしい。先日の「漢詩を詠む会」で習った。

2年目になるいずさんは、10月に生まれた初孫を連れてやってきた。これまで孫が演奏するを聴きながら、
酒を飲むというじいちゃん&ばあちゃんはあまたいてけど、逆バージョン。「孫の力」というのは、
すごい、とあらためて痛感する。もちろん、孫がばあちゃんのピアノを聴きながら酒を飲んだわけではない。
ミルクは飲んでいたけど・・・
仙崖和尚が「親死ね 子死ね 孫死ね」と讃を揮毫した話は有名だが(順番にいくのがええよ、という教え)、
親も子も孫も、音楽という一期一会の刹那の中で「ともに生きているをよろこぶ」という刹那も、なにごと
にも代えがたい幸せの時間である。

おおとりは、今年初参加のなほちゃん。かっぽれもやる活発なお嬢さん。先月は能登で梅仕事もごいっしょした。
「家族」という感覚や単位がわかりにくい世の中になってきたけど、打ち上げでみなでそばを手繰っている時、
「これは立派な大家族」であることを痛感。なほちゃんがカレーそばを手繰りながら、「このカレーはどうやって
つくるのですか?」と聞くので、昭和の時代にどこの家でも西城秀樹が宣伝していたあのカレーのことが
頭に浮かんできて「ハウスバーモンドカレーだよ」と答えた。超がつくくらい「自然」いや「天然」の彼女は
真顔になっていたけど、名クラリネッターが横で笑っていた。カレーもそばも、いろんなものがでてきたけど、
「ホンモノはみな簡素」ではなかろうか。

今年もいよいよおわりに近づいてきた。おわりよければすべてよし。一日一日を大切に、家族を大切に
過ごしていければいい。今年の漢字が「北」とどこかの坊さんが揮毫したらしい。
平和という言葉をみなが意識するくらい、戦争もなく過ごせてきた70年ちょっとの平穏な日々が微妙になってきた時代でもある。

今日はピアノの発表会 16時閉店

毎年、11月から12月に「ピアノの発表会」がある。
かよちゃんの門下生たちが集まって、一年の総決算。
今年は期待の新人のたっくんが初舞台を踏む。とても楽しみであ-る。

昨日は「漢詩を詠む会」だった。王維の漢詩を日本語と中国語で朗々と読む。
なんだか高校時代の漢文がチンプン漢文だったのと、あまりまじめにやってこなかった
のを反省しながら、まじめに毎月うけている。不思議なことに、この勉強が終わった
後の酒は、いつもよりうまい。昨日は八郷の「戸隠大根」を風呂吹き大根にして食べた。
〆のそばは、具だくさんの味噌汁にそばを入れた「投じ蕎麦風」。ふうふういいながら
寒い冬に食べると、こころの底から「幸せ」という物体が表れてくるようだ。
昨日は還暦過ぎおじさん(もうすぐ、い、も入っていい)3人が参加されたので、「蕎麦焼酎のそば湯割り」を飲んだ。

「風呂吹き大根に使うそばやの味噌」
ごんぼ(標準語ではごぼう)をささがきにする。少し小さくそぐほうがよろし。
水にさらし、笊で水気をとり、フライパンにごま油をひき、そこにささがきさんを入れて
、こげめがつくくらい炒める。そこに味噌を入れ、みりんと適宜の砂糖を入れ、木のへらで
まざまぜするとできあがる。風呂吹き大根、焼き味噌、そのまま酒肴にしても3合は飲める。

明後日木曜日は「満つまめの会」午前中は「そったく焙煎塾」夜は「無茶しぃの会」

日々是好日

このブログの最後に「感謝」と書いて〆ることが多い。昔ねっと21という
業界団体を率いていたころ、毎週会員さんにメルマガを書き、最後にそうやって結んだ。
お茶をやりはじめて、そのようなことを書いた日などは、「日々是好日」と結ぶこともしばしば。

先週古本屋で「日々是好日」(新潮文庫・森下典子)を見つけて読んだ。副題に
・お茶が教えてくれた15のしあわせ、とある。最初は親がすすめるままに始めたお茶が、
続けていくうちに、雨の音、四季折々の自然のうつろいや、それにあわせたさりげないもてなしの工夫など、
見えなかったもの、気づかなかったことが、ある日突然「!」ときたりする気づきなどを、おもしろおかしくつづられて
いて、たいへんおもしろかった。もうすぐ「映画化」される、らしい。絶滅危惧種のようになりつつお茶がよみがえる
といい。お茶やお花がなくらるのは、日本人が滅びにいたる、と同義語である。

昨日はお店をお休みにして、茨木の「暮らしの実験室」に「蕎麦打ち」にいってきた。4年目。前日に今年収穫した蕎麦を
脱穀し、粉にする作業を農場とそこに泊まりにきた人たちがやってくれた。今年は「常陸秋そば」をつくったそうだ。
自然光の中で打っていると、緑色したそばの生命がそばの香りといっしょに踊っているようだった。都会のそばやでは
堪能できぬ世界。

「麦の家」をつくった哲学者のような農業家に「松井浄蓮」という人がいた。うちの常連ではないけど・・
彼の残した言葉にこんなんがある。毎年八郷(やさと)の暮らしの実験室にいくと、このようなことを痛感する。

・・・(略)とにもかくにも土について生活をしていれれる方々は、全然一般の人々とは本質的に違うもので日常生きて御座るのである。
これをここで自分流儀の言葉でいえば、人間としてなくしててはならぬものを、無傷のまま、まだ胸の奥底に生活の根にちゃんと
持っていられるのである・・・「萬協」という浄蓮さんの残した小雑誌から

これから「卵かけごはん」。暮らしの実験室の平飼いの卵と、具だくさんの味噌汁もそこで無農薬
でつくられたものを使いまする。

本日の夜は「漢詩を詠む会」で御座る。
「日々是好日」の中に、「床の間にかけてある掛け軸が、一番のごちそう」とお茶の先生にいわれ、
きょとん、とする著者の心境がおもしろく書かれている。床の間の軸を「ごちそう」だと思うには、少し漢詩を
詠んだり、書を学んだり、努力が必要なのでござる。時間はかかるけど、そのあとには、おいしい(ゆたかな)ごちそうに
ありつけるのであーる。日々是好日。

京都のおでん

昨日は「墨交会」。正確には「墨岡會」と書く。
京都工芸繊維大学出身の建築家たちが、年に二度集まって「今」を語り合う会。
昨日は少し寒かったので「京風おでん」をつくった。

とりそばなどの汁は、「甘かえし」というのを使う。店によってそれぞれ作り方があるけど、
天真庵では、九州の少し甘い醤油と、そばのお弟子さまの実家の「白醤油」(千葉)を
使っている。今年の秋から、白醤油の比率を変えて、「黄金比」に近づいた?そんな
感じになってきた。(京都風のおでんをやると最高・おでんは立派な日本料理やと思う)

ぼくが通っていた立命館は、昭和50年代中まで御所の横にあった。河原町通りをはさんで、府立医大があった。
御所の北側に同志社があった。よく御所で大学対抗のソフトボールなどを「ビール」をかけてやったりしていた。
負けたら、ビールが飲めず、梨木神社の井戸の水を飲んで、悔しさを味わった。もっともここの名水はビール
よりも美味かったかもなんばん。

近くの荒神口の交差点のところに「シャンクレール」という伝説のジャズ喫茶があった。そこで初めて
聴いたキース・ジャレットの音は、今でも脳裏に刻まれている。そこから100mくらい「下る」ったところに
「安兵衛」というおでんやがあった。学生・西陣の着物や・画商・芸術家・・・多士済々の面々が、おでんの鍋が
鎮座するまわりのカウンターにとまって、鏡屋式よろしくおでんをつまみに、名誉冠という伏見の酒をぬる燗にして飲んだ。

ときどき、府立医大の学生であり、「映画監督」でもあった大森一樹さんもそのお店であった。
あるとき、彼が有名な役者さんたちを連れて、安兵衛で飲んでいた。「ヒポクラテスたち」という当時の京都の
医学生たちの青春模様が描かれている映画の出演者の人たちだった。自殺されたなんやらさんとか、原田なんやらさん。。
酔った勢いで「ぼくも映画にでてみたい」といった。ら、「からふねやは、だしたる」といってくれた。
冗談だと思っていた。東京にきて、初めてのクリスマスの日。当時のソフトバンクは市ヶ谷にあって、総武線と中央線
で荻窪(最初は荻窪の住民やった)でおり、ルミネの中の映画館で「ヒポクラテス」を見た。
その自殺された俳優さんが「からふねやですね」というセリフをいった時にはびっくりした。と同時に
安兵衛のおでんを食べたい、と思った。まるでパブロクの犬・・うすあげに刻みネギがぎょうさんつまっている、が大好物。

そんなわけで、冬の「寺子屋」の時に、「京風おでん」正確には「安兵衛のおでん」をオマージュすることしばし。

今日は「満つまめの会」。夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」。かすみちゃんにも「おでん」を伝授しとかなあかん。

明日は八郷の暮らしの実験室で「新そば祭り」があるのでお店は休み。
大きな声だしていいたいけど、自分たちで食べるもんがどんな風になっているか、まじめに考える時が
きているように思う。とくに「これから」がまだ長い人、自分の遺伝子を引き継いだ人たちが「これから」の人、
一度は「暮らしの実験室」(天真庵のHPにリンクしている)を体験してほしい、と思う。感謝。

となりの客は牡蠣食う客だ

水曜日は「かっぽれ」だった。
前日「能登」という雑誌のバックナンバーが7冊届き、カウンターに座る
お客さんが、みんな「能登を飲みながら蕎麦を手繰り珈琲を飲む」という、
なんとも不思議な雰囲気になった。

かっぽれの先生は後期高齢者の仲間入りしているけど、だんぜん若い。今年最後の
お稽古なので、2時間へとへとになるまで、かっぽれ、深川、ずぼらん、なすとかぼちゃを
踊った。蕎麦会の時に先生が「能登と牡蠣」の特集に目がキラリと輝いた。
無類の牡蠣好きであることが判明。牡蠣は「わかがえり」の効果があるかもなんばん。

昨日は銀座の王子ホールで、赤松林太郎ピアノリサイタルがあった。ヨーロッパから帰国10周年の節目のコンサート。
少しはやめに銀座にいき、煉瓦亭で「カキフライ」を酒肴に、菊正のぬる燗を2杯飲んだ。いつもは「チキンソテー」
を食べるのだが、なんだかめずらしく「牡蠣」。実は京都時代の冬に牡蠣を喰ってあたったことがあり、しばらく牡蠣は
喰っていない。熱燗飲みながらだと大丈夫?とおそるおそる・・・。フォークナイフで牡蠣を食べながら、袴付きの徳利
に入った菊正を飲む。和洋折衷、というか、不思議な調和が「和のこころ」だ。

赤松氏は、帰国したころ近くに押上られ(押上という地名は、海の砂が押上られる、そんな地名)、調律が
まだ完璧でないうちのピアノを弾いてくれた。うちでもソロ以外、N響や縁あるアーティストたちとも共演して
くれたり、「クラシックの寺子屋」をやってくれたり、いっしょに原田先生の花を習ったりしたものだ。
偉くなって、なんやらかんやら肩書が多くなってきて、説明ができないけど、演奏すると、昔の名前ででています式で、
懐かしくもあり、こころから拍手したくなるような内容だった。これからの活躍がますます楽しみである。

今日は京都工芸繊維大学出身の建築家たち集まって「墨交会」(別名・白井晟一を忍ぶ会)。
東京に来て30年以上になるけど、京都ゆかりの連中がきて、飲んで話をすると、つい
「なつかしいな~」「ほんまやな」とか、酔い方まで「京都」になることがある。不思議なもんや。

明日は「満つまめの会」夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」

日曜日は「お休み」  八郷でそば会がある。

♪げんげ 名前・名誉・など関係ないよ!

げんげ・・・っていう魚を食べたことがあるだろうか?
最近ちょくちょく能登まで車ででかける。
ITをやっていたころ、提携先の会社が黒部にあった。
ので、そこの連中と立山連峰に登ったり、温泉にいったり、魚津で
蜃気楼を見たりすることがあった。お店の名前は忘れたけど、魚津の
駅前に地魚料理の居酒屋があった。大将は漁師のように元気で、自分で釣った魚や
地元の市場から調達した魚を手早く料理するのがウリのお店だった。

そこで、生まれて初めて「げんげ」という魚を食べた。深海魚で半魚人みたいな
不思議な顔していて、見た目はグロテスクなんだが、テンプラにすると、たんぱくで
なんともいえない上品な味わいがある。誰が名付けたか知らないが、「下の下」
という雑魚のしっぽ以下のような名前なんだが、味は断然「名前勝ち」してる魚。

土曜日のライブは「月と亀楽団」。LUNAが不思議な芸人と面白楽団をつくって
やってきた。珈琲を飲みながら、談論の中で「能登」の話をしたら、それにまつわる話
からその日の演目があまたでてきた。ひとつが「げんげの唄」。
いろいろな街を旅する彼らは、旅でであった「もの」や「こと」や「人」を
写真に収めるように脳裏に焼き付け、三味線・ピアノ・太鼓・オルゴリン・ボントリオン
などを使って、曲をつける。

「糠味噌」「越前くらげ」「たことおじさん」「げんげ」・・・
持ち歌の中の半分以上が「日本海側」をテーマにしたものだった。
言葉ではつくせないが、間といい、詩といい、笑いのペートスが天才的で、天真庵
始まって以来の終始抱腹絶倒で、カウンターに立っていたら倒れそうだったので、イスに
座って聞かせてもらった。一番目立っていた「豆奴」さんのルーツは金沢で、おじいさんは大道芸人
さんだったそうだ。そのDNAが作り出した「きんたまの唄」は、NHKでは放映できないけど、
「人間ドラマ」そのものである。

今日は「英語でそば会」

年越しそばの注文や、「自分で打つ」のスケジュールがうまってきた。師走であります。

あとふたつ素敵なライブがあります。「間」とか「ひびき」とか「ゆらぎ」とか、非日常の世界
に時々ふれると、いいよ。

16日(土) ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(蕎麦・珈琲 付き)

23日(土・祭) 国貞 雅子 ソロ LIVE

演奏:国貞 雅子(歌・ピアノ)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

本日はライブのため 16時閉店

2日(土) 月と龜樂団 らいぶ

演奏:西尾賢(ピアノ、三味線、歌、など)LUNA(うた) ・豆奴(掛け声など)

19時開場 19時半開演  ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

うたのLUNAが、新しいトリオでやってくる。最初は大石学さんとライブをやってくれた。
彼女のファーストアルバムの最初には、今はなき伝説のドラマー「セシル・モンロー」のドラム
から始まる。ときどき聴くと、セシルがそこにいるように思えてくる。大石さんが天真庵で奏でる
時は、セシルが遊びにきている、と感じるのは、大石さんとぼくだけじゃなく、お客さんの中にも
あまたいる。生きる、とか、死ぬ、なんていうのは、場所を変えるだけのことであって、たいした問題で
はないのかもなんばん。この世にいる束の間に、「何をするか」だ。

音楽家・・・芸術家一般に、なかなか「食える次元」に到達できない。でも経済的なことよりも
「やらねばならぬこと」に挑戦している彼らは、人間として尊いし、自由だと思う。
人生二度なし。美しく「真・善・美」を追求していってほしい。「生きる」って、そもそも「善」なのではあるまいか。

明日は日曜日。日曜日は16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」&「気骨のそば会」
昨日の朝、一番弟子の美人のそばもんが、二玉そばをまとめて打った。
お弟子さまたちは、一回800gを打つ。ぼくは毎朝2kを一回で打つ。
昨日はそれにお弟子様が初挑戦。ヨガと蕎麦打で鍛えた体が、女性らしいやさしい艶やかなそば
をみごと打った。本日の夕方銀座のワインバーでふるまわれる。そのバーの美人ママの義理の弟が、
ぼくのそば打ち教室の最初のお弟子様。「つなぎ」がはいったそばが、不思議で無駄のない縁を広げていく。