月曜の朝は卵かけごはん!

5月の珠洲の地震で、珪藻土七輪の老舗・丸和工業さんの社屋と前年の地震で
壊れてクラウドファンディングで新しくつくった窯が壊れた。
3年ほど前に、「だるま七輪」という珪藻土の竈(かまど)が倉庫に5個ほど
あった。形がすばらしいので、何に使うかきめてなかったけど、全部買わせてもろうた。
そのひとつが、「月曜の朝は卵かけごはん」で大活躍している。

珠洲の丸和工業さんにでかける日は、朝ごはんを抜いて、輪島の駅前(今は廃線)にある「喫茶 翁」
という喫茶店でモーニングを食べる。朝6時からやっていて、トースト目玉焼き、スクランブルエッグ、
3種類のモーニングが選べる。いつも、トーストとスクランブルエッグのセットを注文し、足らないときは、
エッグサンドを追加する。昔ながらの、にぬき卵をきちんとカットして、マヨネーズと塩で味付けしてあり、
「喫茶店のサンドイッチ」の模範生みたいなんで気にいっている。

輪島というと、「朝市」が有名だけど、いきなり朝市は無粋なので、ぜひ「達磨」でモーニングをゆっくり食べて
から朝市にいきたいものだ。夜の輪島の居酒屋のレベルも高いので、できたら前日から輪島に宿をとって、輪島ゴールデン梯子コースを
堪能してほしい。

だるま七輪から、話がころんで明後日のほうにいってしまった。「だるま」から「翁」を連想するのは、そばの師匠
のお店が、「翁」から「達磨」に改名された影響か?
今日も全国的に猛暑みたいだ。
♪だーるまさんが 転んだ・・・・と、遊んだ日々が懐かしい。

能登に泊まろう!

「能登」という季刊誌がある。
ある日、主幹のTさんが能登から、押上の天真庵までそばを手繰りにきてくれた。
能登に家を買って、バックナンバーで在庫がある本を、注文していたころの話。
その縁で、能登の家の近くの海岸で、能登珪藻土七輪で炭火焙煎を
していることなどが、雑誌で掲載され、今では能登の宿泊施設やカフェなどからも
「ホボブラジル」を使ってもらっているところが増えた。UFOという宇宙的なテクノロジーを掲載した
焙煎機も、かなり浸透してきた。

最新号は「能登に泊まろう!」。
表紙は茅葺(かやぶき)き屋根。熊本で農業を学んだ若いご夫婦が、能登にUターンして、
能登ごはん農場 暮らしの宿「じろぎみ」を開業した。
名前だけで、コンセプトがわかる。熊本時代に肥後藩の在来種「穂増(ほませ)」の復活に取り組み、
その経験をいかし、加賀藩で栽培されていた「巾着」(きんちゃく)の栽培をし、味噌や梅干しを自分でつくり、
竈(かまど)でごはんを炊き、みそ汁に地元のふぐや季節の食材をつかった実をいれ、泊まるお客さんをもてなしている。
「タイミングが合えば、梅干しや味噌つくりなど農家の季節の手仕事を一緒にしていただこうと思います。
竈でごはんを炊いたり、薪を割って五右衛門風呂を沸かしたり・・」という35歳の主人のコメント。

これから、田舎で宿などを計画している人には、いろいろヒントがいっぱい。ネットでも「能登」は買える
ので、ぜひ読んでほしい。なにをするにも「その土地や時代にふさわしいもの」と「お客さまと共に楽しめるもの」
「遊びという文化的精神力があること」がないと、長続きはしないみたい。古民家には「囲炉裏」と「竈」は、必需品やと思う。

いろんな形態の「能登の宿場」が紹介されていて、勉強になる。先週はその中のひとつ、赤崎の「TOGISO」の
オープニングで、一日店長をやらせてもろうた。(天真庵のHPの「のくら暮らし」に写真を掲載)
厨房の中で、なんやら頭をひねっている写真が一枚ある。主人のSくんの提案で、「このカフェ&宿」
の未来像を宿題にもらっていた。ぼくはAB型で、もとより型にはまりにくい性格からか、その瞬間、
ちゃねってしまって、新しい「和っち珈琲」の器具を考案した。来週くらいに一号機ができる(笑)

今日も16時まで。それから「そば打ち教室」と「UFO焙煎塾」。
明日の朝は、「卵かけごはん」(8-10)
竈をつかって、ごはんをだしている(笑)米も野菜もつくっている。もちろん手前味噌の味噌汁。梅干し、柚子胡椒、手打ちそば、
UFO自家焙煎・・・・・「農家民宿」ができそうだ!UFO、もといUSO(ウソ)!

あしたのジョー メモリアル2023

昨日は、後楽園ホールにボクシングの応援にいく。
「あしたのジョー メモリアル2023」というイベント。
後楽園ホールの入口のショールームにも、「あしたのジョー」
と、その日リングにあがる選手たちの写真を掲載したポスターが貼ってあった。

20代の若い女子に、「写真をいっしょに撮ってもいいですか?」
と声をかけられた。「え、ぼくと?・・・」と、思いながらいず前を整えていると、そのポスターを背景に自撮りポーズをはじめたので、
その意味がわかった。ぼくがポスターの前に立っていると、背後霊が写るんです、のオカルト写真に
なるので、邪魔だということだ。

昨日の4回ボーイの試合は、タンカーが二回もリングにあがるほど、すさまじいKO戦やった。
生年月日が2000年前後の若者たちが、生死をかけて裸で闘う過酷なスポーツ。
はじめて、後楽園ホールにきたのが、大学受験の時なので、半世紀近くボクシングを観戦し、
40代の10年は、ヨメクラボクシングジムにて、選手といっしょにボクシングをしていた(正確にはボクササイズ)
こともある。

第六試合は、一力ジムの斉藤司くんと、角海老ジムの中井龍くん。
斉藤選手は、新人王をとったり有望な選手だったが、移籍(ボクサーがジムをかわる時に、いろいろややこしい法律がある)
で裁判になり、7年のブランクがあいた。車いすの奥さんと、3人の子供を、コンビニでバイトしながら生計をたてていた。
そして、昨年の11月に7年ぶりにリングにあがった。ボクシング仲間の医院長が移籍前から応援していた関係で、
その復帰戦もリングサイドで応援。昨日は、残念ながら、TKOで、負けてしまった。
残念会を、ホールの二階の中華でやり、いつものように、医院長の運転するベンツの助手席にのって押上までおくってもらった。
いつもローリングストーンズが流れている。御年71歳の元気じいちゃん。試合前のオカルト写真事件の顛末を話すと、
「歳を重ねるというのは、いろんな未知の実験をやっているようなもんですね。」といって、大笑いされた。感謝。

和っち珈琲で夏をのりきろう!

昨日の朝、能登からもどってきた。
朝いちばんに肉屋さんにいき、「能登牛の牛筋」をゲット。
テレビで「能登の牛すじそば」が紹介されたので、暑い昼間でも、「花巻」といっしょに人気メニューになった。

その後、近くの「増穂(ますほ)の湯」に入る。
TOGISOからも近い町営の温泉施設。駐車場も広いので、キャンパー
や、キャンピングカーで旅する人たちにも人気がある。10時開店で、少しはやかったけど、
駐車場には、「田舎のベンツ?」の軽トラがいっぱい並んでいる。
10時まで待って、風呂にいくと、じいちゃんたちが着替えて(裸になって)いる。
年をとると、シャツを脱ぐにも、体のやわらかさ、とか、力がなくて、必死の形相で脱いでいるのが鏡ごしに写る。
しかも、洗面台のところの鏡の前の椅子に座って、脱いだシャツは、そのまま足元に。
パンツや靴下を脱ぐ時は、片足をあげなくてはいけないので、座ったままのほうが楽そうだ。
脱ぎ捨てたものを、ロッカーに入れるのもめんどくさそうに、そのまま藤(プラスティックか)の籠に
いれて浴室に・・・・・「いずれいく自分の道?」とは思いたくないけど、参考になった。
思わず、こちらもパンツ一丁で、スクワットを10回(笑)

そんなおぼつかないおじいちゃんたちも、朝いちばん伝馬船にのって海に
でかける時は、軍艦マーチが似合うくらい勇ましい。老後の元気さは「好きなことをしてるかどうか」で差がでる。
天命を知る、ということか。

今回は、梅茶ガールズが二組こられたので、久しぶりに「能登ぶらり」よろしく車でドライブしたので、
ガソリンが少なくなったので、氷見の安いガソリンスタンド(能登は半島なので、少しガソリンが高い)にいって給油し、
その近くの「すしのや」で、すしをつまんで高速にのった。車なので、酒は飲まないばってん、ふたりで4000円
でおつりがきた。滞在時間20分。「氷見三種」「朝どれ三種」「日替わり三種」・・・などを適当に注文して、
ノンアルコールビール片手に、もくもく、いやモグモグか?

道の駅新井(新井パーキングから歩いていける)で、野菜などを調達。季節によっては、山菜やキノコが手に入る。
秋は、キノコをたっぷりいれた「ほうとう投じそば」をつくろうと思って5年。
そして、5年間ずっとこの店の名を「ひなだん」と思っていたら、「ひだなん」だった。

今朝は、朝から仕込み。田舎で、草ぼうぼうの畑を見ると「どこからやろうか?」
と、途方にくれること、多し。
反対にこちらに帰ってきて、何もない冷蔵庫の中をのぞくと、「何から作ろうか?」
と途方にくれる。
どちらにしても、「ゼロをイチにする力」は大変なことだ。
今日はまた元気なお医者さんと後楽園ホールにボクシング観戦にいくので、これから
ボクサーみたいに、汗びっしょりになって、動かねば・・・

明日12時に開店。16時まで!それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

今回、また能登であることにちゃねった。蚊にさされながら、梅茶翁の田んぼで、久保さん
に電話。UFOを使って、だれでも、家で「水だし珈琲ができる」というすぐれもの。
まったく、世の中から「絶滅危惧種」いや、絶滅したにひとしい道具を使う。
水だし珈琲のことを「ダッチ珈琲」ともいう。さしずめこちらは、「和っち珈琲」だ。感謝。

輪島の門前で、鳥が一羽!「のむら暮らし」を更新!

昨日は輪島のカフェから注文があって、珈琲豆を届けた。
その足で、珠洲の丸和工業さんへ・・・
5月の地震で、新しい窯が崩壊し、昔の窯のあるところで、七輪をつくっている。
「ホンモノ」が、わかる人に伝わるスピードが加速する時代を迎えたみたいで、地震の
前よりも注文が多いみたいだ。震源地に近かったので、まわりの家も倒壊したり、屋根
がブルーシートに覆われた家も多いけど、すこしづつ日常がもどりつつある。
今でも毎日のように、体に感じる地震がある。これから「気が付いたら、時代の最先端」
になる場所なのかもなんばん。

いつもながら、スタッフも元気で、ちょうど昼休みだったので、ラジオからスピッツの
曲が流れていた。なんか、映画のワンシーンみたいだった。
そういえば、先日梅林ガールズたちと、輪島まわりの海を車でドライブした時、
若い女子が「こんなきれいな海を見ながら、聴きたい曲は?」と問うので、
「それは、ヨシイクゾーでしょ」と答えたら、車のオーディオから「雪国」が
流れてきた。スマホをいじって、選曲して飛ばしてくれたみたい。
昭和の歌が、新しいシステムを使って令和の今に流れている。太古から続く能登の荒海を背景に
♪おいかけて おいかけて おいかけて 雪国・・・

彼女たちが、今度くる晩秋には「加川良 下宿屋」をリクエストしよう、っと(笑)

夕陽が沈む能登外浦の景色は、極楽浄土を彷彿する。
畢竟帰処(ひっきょうきしょ)・・・・「ゆきつく処へゆきついたわたしの人生」
を教えるのが、仏教だ、というなら、こうゆう天地いっぱいの自然と共鳴した瞬間の
ことをいうのではなかろうか。能登の旅は悟りの旅?
ボタンをポンと押すと、空調や灯りが整い、テレビやラジオや、家電と瞬時につながり、「雪国」
が聞こえてくるような便利な時代。反対からいうと、「生きているからこその孤独」
みたいなものを感じる前に、上書きするシステムの中でぼくたちが生きている、ということでもある。
「生きているからこその孤独」を、ごまかしたらアカン。

同じ鳥でも飛ばない鳥はなんだ?
それは「ひとり」という鳥だ。(寺山修司)

天真庵のHPの「のむら暮らし」を一年ぶりに更新(笑)
先日のTOGISOの「オープニング店長」の写真が・・・

明日の朝東京に出発。22日の土曜日から「営業」

まだら唐津 輪島まだら、まだらぼけ・・・

酒飲みがあこがれる酒器に「備前の徳利に、まだら唐津のぐい飲み」
の組み合わせというのがある。最高峰だ。
そこに朱色の折敷(おしき)があれば、酒はなんでもうまく感じる。
最近、この「折敷」がしずかなブームらしい。
家呑みが増え、「毎日使う器を、一生ものに」という機運が高まっているみたい。これでいいのだ。

先日、梅林ガールズたちと、輪島の「黒島地区」を散策した。
北前船で栄えた人たちの豪邸が残っていて、公開されているものもある。
そこにいくと、お客さんを振舞った調度品などが残っている。今どきの「なりきん」
とは違っていて、家の建て方、庭の設え、漆や陶芸品なのも、品とみどころがいっぱいある。

輪島は、輪島塗が有名。ハレの日には「黒」、葬儀などの時は「赤」の酒器やお膳を使う。
反対に思っている人が多い。
そして、ハレの日には、「輪島まだら」という祝い唄を歌う。
北前船で、モノとヒトが、日本海で交差した。それが化学反応をおこし、文化がうまれた。

散策が終わり、最近できたカフェにいった。金土日限定で、知り合いの「そばもん」が
そばを振舞っている(11月まで)。
カフェのオーナは、東京からの移住者で、このカフェとゲストハウスを運営している。
黒島で、北前船が行き来していた時代にチャンネルをあわせ、珈琲を飲んでいると、
なんとなく「ゆたか」な気分になってくる。
「赤」崎で飲む珈琲、「黒」島で飲む珈琲・・・・ハレとケに関係なく、至福の珈琲時間になること請け合いである。感謝。

北國新聞にのった(笑)

金曜日に赤崎のTOGISOの内覧会。
地元の人に、新しくカフェコーナーをつくったTOGISOの施設を見てもらい、
潮騒カフェよろしく、能登の美味しい空気ただようオープンエアーのカフェで珈琲を
楽しんでもろうた。限界集落のじいちゃんおばあちゃんたちが、少し
よそ行きのお洒落をして、カウンターで「ほぼぶらじる」を飲んでおられる。
東京での日常とおんなじ仕事をしているだけだけど、なんか新鮮で時間が
ゆっくり流れていて、ここちよい。

江戸川区から、「はじめて能登にきた」という若いMちゃんが、てきぱきマムよろしく、
珈琲を運んだりしてくれたので、千客万来な状態だったけど、ずいぶん楽だった。
彼女は、この新しいTOGISOで、カフェをやったりしながら、東京との二拠点生活を
始めようとしている。UFOの焙煎ノウハウも伝授しておいた。若いし美人やし、なんとかなるさ、だ。
能登の羽咋(はくい)は、UFOで村おこしに成功した実績がある。赤崎も、「それに続け」
の勢いになるかもなんばん。夕方には、東京から「梅林ガールズ」ふたりが、スケットに
やってきた。お客さんにアンケートをとったら、「珈琲を飲める場所になればいい」
が一番多かったが、若い女性がきてからは「ここで、お酒を飲みたい」が、追い上げた(笑)
もちろん、ぼくだって、カウンター側のお客になったら、お茶や珈琲よりも、酒が飲みたい。

昨日は、ぼく住む集落の集会所で「そば打会」。
私が住んでいる集落は、人口が、わたしたち二名を含めて42人。
全盛期は200人を超えていて、祭りも自前でできたけど、今は典型的な「限界集落」だ。
昨日は、30人ちょっとの蕎麦を打ったけど、完売になった。
病院や施設に入っている人もいるので、「ほぼ全員」が、ぼくのそばを食べてくれた。
夕方、じんのびの湯にいって、沈む夕陽を見ながら、汗を流した。
湯上りに、ロビーで「北國新聞」を見たら、TOGISOで珈琲をふるまっている自分が
写真入りで紹介されていた。テレビや雑誌にいろいろ紹介されてきたけど、地元紙に、
しかも「自分ちのことではない」ことで、力ぞえができたことが、うれしかった。

「能登でどうやって生きていく」という目的もなく、ただなんとなく流れにのってやってきたけど、
振り向いたら、なんとか道らしきものが見えている。
これから先も、無目的で「ただ生きる」だけの毎日が待っているだけ。
しかも、残り時間に制限がありそうな年回りになってきた。それでいいのだ。

今朝は、ひさしぶりに晴れたので、早朝から梅林ガールズふたりをひきつれ、徒歩3分の
海にいって「蛸つり」を伝授。
そのうち彼女たちも、いろんな人たちのお役にたつ「ひっぱりタコ」になるに違いない。
それでいいのだ。感謝。

能登で、なんとなくそばと珈琲の会・・?

昨日、筆子さんのスマホが壊れた。
昔は、そんなモノを使わずに生活できたのに、今は
「ライフライン」と同じくらいのレベル?
ぼくは、めんどくさいのでガラケーみたいなもんを使っている。
ときどき「写真がおくれなかったので、PCのアドレスを教えて」みたいなメールが
くるけど、「写真はいらない」と答える。携帯も免許と同様、ある時期がきたら返納したいと思っている。

今回は、ここの集落で「そば会」(明日)をやり、隣の赤崎のTOGISOで「珈琲の会」(今日)ある。
その細かい打ち合わせも、筆子さんと相手さんが、スマホでやっていた。
そして、このPCでブログを書くときも、スマホの「デザリング」という機能でつないで、やっている。

だから、彼女のスマホが壊れると、ぼくも立ち往生することになる?
そんなご時世なので、筆子さんも「スマホにしたら」とことあるごとに、進言するのだが、
馬耳東風で、うっちゃっている今日このごろ。

時代遅れの頑固オヤジの部類に属しているけど、どこの町にいっても、
「そば」とか「珈琲」とか、すくなからず、人さまのためになることの要請をうけ、
身を粉にしながら汗をかいている。たぶん、前世は「みよこ」という名前だったのかもなんばん。

本日の能登は朝から雨が降っているけど、蒸し暑い。
きっと「アイスコーヒー」を頼むお客さんが多いのでは・・・
「シロップはなしでいこう」と筆子さんに提案したら、却下された。
脚下照顧・・・なかなか自分の天真というものは、見えにくいものだ。じっと足を見る。あ、爪がのびている。感謝。

能登の夏 祭りが復活!

先月は30日まで能登にいたので、そのまま能登にいる感じ。
昨日の夜は「橋本食堂」で飲んだけど、のれんをくぐったら、女将が
「あら・・・もうきたん」と驚いていた。ひさしぶりに能登の夏祭りも始まった。
名人の天ぷらを酒肴に、クロキリを飲む。百恵ちゃんのヒット曲が鼻歌になった
♪クロッキリ クロッキリ クロッキリーですか~

昨日は、穴水の温泉で地元の新聞を読んでみた。「北國新聞」
「石川県への移住者が過去最高になった」との記事。
移住前の住所は、「東京」が第一位。ざっくりの移住先は、「能登」が半分ちょい、
とのこと。これまで能登の中で一番人気は、珠洲だった。「東京から能登」がトレンドらしい(笑)
さきほどの朝のニュースによると、5月の地震に対する応援金が一億ちょい集まったらしい。
ぼくも、UFOの売り上げの一部を寄付している。定価1億円を、大キャンペーンで一万円に
しているので、寄付金が一億にいくのは、もっともっと先だけど、少しづつ応援できているのがうれしい。
客人を羽咋までおくりにいく。駅前商店街はうらぶれているけど、UFOと自然農で町おこしをしたところで、
駅の前にUFOのオブジェなどがおいてある。

「能登」という地元の季刊誌の最新号の特集は「能登に泊まる」。
TOGISOも紹介されている。今週末に、内覧会があり、ウェルカム珈琲を担当することになった。
郵便局にいくと、局長さんに「これからTOGISOでホボブラジルが飲めるのですか?」と質問された。
明日の朝、焙煎する予定だ。
今週末には、地元の集落でそば会も依頼された。
なんとなく「ひっぱりダコ?」・・・天気が悪いのでまだタコ釣りがやれていないばってん、
来週はタコが釣れるかもんばん。とらぬタコの胸算用か?感謝。

♪雨はふるふる人馬はぬれる 

田原坂・・・・熊本はじめ九州は今年もいっぱい雨がふっとるね・・・シャカホイシャカホイ!
みなさまのご無事を祈っておりまする。

昨日の東京は暑かったバイ。そばは3時ころ売り切れごめん、になった。
昨日は北海道と埼玉から「UFOを買います」というお客様もきてくれた。
UFOは、定価一億円なので、昨日だけで2億円の売り上げだ(今は、キャンペーン中なので、一個1万円だけど・・)

スカイツリーからちょっと距離はあるばってん、最近外人さんがよくこられる。
昨日もごったがえした中に、静かな外人さんがカウンターに座って、「ざるそば」を所望された。
ズズズ・・・と手繰るまではいかないけど、はしの使い方は上手やし、イズマイがいい。
食べ終わったあと、ぼくにスマホを提示・・・日本語で「ぼくはオーストラリアで蕎麦を栽培しています」
と、グーグルかなんかで翻訳された文が・・
「本業がそうなのか?」「どうして、うちにそばを食べにきたのか」とか、聞いてみたかったけど、お店が混雑しすぎていた。
のとぼくの英語力ではむづかしい。
「ホボブラジルもください」と日本語でいうので、目の前で茶道の師範代よろしく、織部の土瓶の上にネルドリップで
丁寧にいれた。感動してくれてまたスマホをいじっている。「ほった芋 いじるな」で異国で時間をきくことができた
ジョン万次郎もびっくり。そこにはこう書かれていた。

「メルボルンには、たくさんのカフェがありますが、珈琲と蕎麦のお店はありません。ぜひやってください」

とのこと。夕方にそば打ちにきたウルトラマラソン青年に「どや、走ってはいけへんかど、メルボルンでそばと珈琲のお店?」
と問うと、「いいですね」と少し本気の顔をしていた。

青年が帰った後、炭火をおこして焙煎。
東京のカフェとかから、昨日だけで10キロの注文。減量中のボクサーのように汗をかきかき焙煎を3時間。

今日は16時まで営業。
それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

明日から能登休み(21日まで)。今回は「そば会」と赤崎の「TOGISO」でオープニングパーティーの珈琲役を承った。
「赤崎 TOGISO]で検索すると、不思議な港町の風景がでてくる。海に向かって、風よけのために「倉庫」をつくり、
道を挟んだ奥に「母屋」というスタイルの建築が残っている風光明媚な港町。
最近空き家がめだってきた。「TOGISO」は、その風景といとなみが失われるのを惜しんで、東京で働くSくんが
私財を投じて、民宿&カフェをはじめた。