藤祭り

近くの亀戸天神では、藤祭りの真っ最中。

花よりだんご、いや骨董。藤より不治の病の骨董病であるからして、
天神様を横目にみて、通りの向こうきしの、骨董屋に急ぐ。

名古屋のとあるお金もち?土地もち?かなんかのお屋敷に「鑑定団」よろしく
買い出しにいった、とのことだった。戦利品はまだ箱の中らしいので、また日
を改めてお邪魔することにした。

そのとき、その箱の中の一番上に、箱が見えた。「梅」と書いてあるのが気になり、
「これ見せて」といって、中の箱を取り出すと、梅の形をした錫の茶托だった。

天神さまには菅原道真さんが祀られている。京都から大宰府に左遷あれたとき、京都の梅
が博多まで飛んでいった、という逸話が残っている。「飛梅」といい、大宰府天満宮の名物
は「梅ヶ枝餅」だ。ぼくの「あんこがれっと」は、それをイメージしている。

「これちょうだい」といって、天真庵に持ち帰った。飛び梅があっちこっちにいき、名古屋
から江戸に飛んできて、押上にやってきた。
6月に能登の「梅茶翁」でお茶会をやることになった。この茶托があると、ぴったりだ。

梅茶翁は、真脇遺跡の近くにある。縄文の遺跡。京都の梅原猛先生は、「縄魂弥才論」
を熱く語られていた。日本人の魂の土台、宗教心なんかの土台は縄文人時代につくられていて、
その後渡来人だった弥生人が、稲作とか効率的な狩猟なんかを伝えて、日本人になっていった、
という説だ。真脇遺跡にいって、その時代に呼吸をあわせてみると、「日本人にかえる」、
そんな気がしてくる。感謝。

北区滝野川の桜

昨日は「おんなかっぽれ」やった。新人ふたりが参加し、総勢8人でにぎやかに
「かっぽれ かっぽれ」と踊り狂う。昼間は「満つまめの会」。かっぽれの連中の
ほぼ全員が、満つまめの会も参加して、まーくんに体の調整をしてもらっている。
人間は当たり前に生活していても、ストレスがたまったり、体内時計がずれたりする。
「時々、アホになる」というのは、とても大切なことだと思う。

単純に体をみると、重たい頭の下に背骨がすーっと伸びていて、その先に性器がある。
頭の下から、性器までのすーが、いがんでいたりすると、頭にも性器にも具合がよくなく、
いろいろな痛みとか病気とかのもとになる。
昨日は著名な陶芸家から丹波篠山から、うけにきた。大地の力である土と毎日ふれってる陶芸家は
大地の「気」が充満しているらしい。今後の活躍が楽しみである。

昨日の午前中は月に一度の歯医者。10年前まで長く暮らしていた「上池袋」の近くにあった
K歯科にいく。葉桜になったけど、春には桜のトンネルができる道路に面していて、元気とも毎朝散歩した道。
K先生とは、ホノルルマラソンをいっしょに走った仲でもある。完走Tシャツがその当時待合室に
飾ってあった。

歯医者の最寄りの駅は、IR板橋駅。そこの近くに明治創業の古本屋があり、帰りにどさっと古本を
買って帰る。昨日は「茶」の古い本を何冊かゲットしたので、今朝お茶を入れ、読んでいる。
「一生かけても 価値あるもの が 茶の世界にいっぱいある」という声が聴こえた。

かっぽれの会のおひらきのころ、能登半島に移りすんださんがやってきた。
6月に梅仕事をしにいく時に「お茶会をしましょう」ということにあいなった。
梅を愛でながら、器局手前でもやってみようかしらん。感謝。

茶櫃(ちゃびつ)手前特訓2回付き、煎茶道具

昨日は書の会やった。
欅の無垢の茶櫃と、古伊万里の茶入れが、手に入ったので、
古い磁器の急須と煎茶茶碗と茶托、竹でつくった茶巾筒、茶合(さごう)をセット
にして、二階に飾っていたら、あるお客さんがお手洗いにいった帰りに、元気な声で
「お買い上げ」といって笑った。

彼女は4年ほど前に「煎茶を習いたい」といって、初日にお手前をした後に、
「私には向いてない」といって、一日で横に卒業していった。
「では、特訓2回付き券なしで売ったろか」というと、「特訓させてください」といってまた
不気味な笑みを浮かべている。お抹茶にせよ煎茶にせよ、昔から「一期一会」を大切にしてきた
文化ではあるが、ときに奇妙キテレツな縁にとまどったりもする。

今日はこれから一日、マーくんの「満つまめの会」だ。
ぎっしり夕方まで満席。夜は「おんなかっぽれ」。新人ふたりが参加するので、全員集合
となると、床がきしみ、抜ける?ほどになるかもなんばん。

冗談半分と、「ホンモノ」を拝見するのはいい勉強になるので、最近手に入れた
裏千家の先生が使っていた漆の茶櫃に、中国の古い錫の茶入れ、同じく中国の錫の茶托、
、井上春峰の茶碗、急須などをセットにして、ぷらず特訓付きで、本日展示している。

かめばかむほど、楽を窮める

昨日は、「満つまめの会」を終日二階でやって、夜は「論語の会」。
一昨日、結婚のお披露目会を二階でやってくれた新婦さんと彼女の母堂さまが「満つまめの会」
にきてくれた。人生の大きな節目を迎えて、「なによりなにより」と、自分にご褒美よろしく、
まーくんの気功整体を楽しんだ?(痛そうであり、気持ちよさそうであり)
新人の女子もぞくぞくと口コミで優美に広がってきている。

夜は「論語の会」こと、順受の会。大塩中斎を勉強している。教科書では「大塩平八郎の乱」
のことがのっていたと思う。時を憂いて、命がけで体制に立ち向かって散った武士であり、その
行動の根本は私心なき正義に貫かれていたことがよくわかる。

今日は「書の会」だ。朝蕎麦を打った後、二階で星野村の玉露を入れ、床の間に献茶。
久しぶりに亀田窮楽の書を飾った。売茶翁は茶ばかり飲んで、煎茶を窮めた人。その友達で
書家であった窮楽は酒ばかり飲んだ人。書は「研精窮原点」と書いてある。無駄なものを
削っていくと、源流(原点)にたどりつく、そんな意味だろう。どの道もそうだ、きっと。

明日は「満つまめの会」と夜は「おんなかっぽれ」。日々是好日。

普茶料理で結婚披露宴

昨日は15時でお店を閉店し、二階で「普茶料理風そば会」をやった。
近所に住んでいるアーティストがお身内方を集めて、普茶料理を食べながら
結婚の披露をした。最近、「なんとなく鮨をにぎる会」で、精進すしなどを
やっているので、昨日は、久保さんの「備前の大皿」に、なまくさなしの野菜や
椎茸やこんにゃくのすし、そばを恵方巻きにしたようなんとか、きらず(おから)のいなり、
やら、そんなんをだした。沖縄の結婚式では「子孫が繁栄しますように」と、「もやしもん料理」
を出すので、それもしようと思っていたけど、祝い酒を飲んでいたら、忘れてしまった。

ふたりともファッション関係の仕事をしているけど、「着物をきたい」
というので、15時から着付け。新郎くんには、ぼくのお下がりの着物を
プレゼントした。帯は、京都の「富夢」さんこと、ろうけつ染めの野村富造さん
に頼んだ最後のもの。2011年に、「ほなさいなら」みたいな感じで突然旅立った。
着物のこと、ジャズのこと、祇園の遊び方?・・・いろいろ「ならでは・・」を教わった。

野村さんがながいことやってくれた「染めもん展」を京都の河野夫妻が引き継ぎを
やってくれて、来月またきはる。その間は天真庵が京都になる。

今日は8時から10時までが「卵かけごはん」
今日も「ほぼ満席」やけど、12時から「満つまめの会」
夜は「論語の会」 今は大塩中斎を勉強中。
5月9日は「漢詩をよもうかい」  このふたつを勉強すると、人生の夢が広がってくる。
できたら、若い人に参加してほしい。

明日は「書をしようかい」  マニアックな寺子屋が続く。
水曜日は「おんなかっぽれ」   全員参加したら「おしくらまんじゅう」になりそうなくらい集まってくる。

今日は15時閉店

日曜日はいつも16時で閉店。
今日は若いアーティストが、二階で結婚式みたいなものを
やりたい、というので、一時間はやく終了。いい天気になってよかった。

お花の教室も本日は変則的に一階でやります。

いろいろご迷惑もおかけしますが、融通無碍にいろんな
ことをやっていく柔軟性みたいなものも必要な時代かもなんばん。

明日は「卵かけごはん」(8-10) 夜は「論語の会」(順受の会)

三迫一門会

落語とか踊りとかによく「一門会」というのがある。
三迫ボクシングジムの「一門会」にいってきた。場所は後楽園ホール。
名門のボクシングジムで輪島功一を育てたジムでもある。
創立者で輪島功一の試合でトレーナーをやっていた会長も80をとうに越えた。
もちろん昨日もリングサイドで若いはりきりキボーイズたちの奮闘を静かに
見ていた。

途中輪島ジムの選手の試合があり、輪島功一もセコンドとしてリングの上にあがった。圧倒的
に相手の選手が強く、試合の途中にファンから「輪島せんせーい、どうにかして」という応援に
開場も沸いた。

時々天真庵に蕎麦を手繰りにくるだいちゃんこと、「岩井大」選手も、一回級上の選手とグローブ
をあわせ、苦戦するかと思いきや、左のジャブの切れと、昨日はアッパーも適所であたって、相手
をダウン寸前まで追い込む場面もあり完勝した。現在日本フェザー級4位。そろそろチャンピオンベルト
が近づいてきた。

同じく時々やってくる福本雄基くんの「引退式」もあった。ほとんどのボクサーは敗れて静かに引退していく。
引退式というのは、お客さんが起立して「テンカウント」のゴングでリングを去るボクサーをおくる、神聖な儀式。
チャンピオンにはなれなかったけど、二度もその後に世界チャンピオンになったボクサーといい試合をしてきた。
「ベルトには届かなかったし、本来ならテンカウントを鳴らしていただく身分ではありませんが・・・」とスーツ
来て挨拶する姿が、彼の真正面からいく正統派のボクシングスタイルとおんなじで、こころに染みた。
これからの人生でまた一花咲かせてもらいたいもんだ。

朝からボクシングの話をするのは、味噌汁を飲みながらジャズをきく、みたいになんとなく場違いな感じもあるけど、
後楽園ホールで試合を見たよく朝は、シャドーボクシングをしながらお店にいき、蕎麦を打つ前に、ヨネクラジム
でよくやった「ボクシング体操」をして、蕎麦を打つ。

今日はまーくんがやってきて気功整体をやってくれる「満つまめの会」。
不思議な繋がりの和がひろがり、この会も優美に広がっていきつつある。

♪さがしもんは なんですか?

寄る年波、というやつで忘れものが多い。
「忘却」というのは、ある意味、やさしい自然現象でもある。
ささいないざかいや、どうでもいいような執念みたいなものを、流してくれる力でもある。

昨年末、銀座の骨董屋さんが86歳でお店の緞帳を下げた。月に一度はぶらり、と銀ブラしながら
立ち寄り、文人たちが書き残した軸などをみながら、主人が入れてくれる玉露を飲む、のが
幸せな休日だったけど、残念だ。

池袋時代には、歩いて5分くらいのところに、古美術店という看板をだしたお店があった。
ここの主人も、煎茶が好きで、いついっても、小ぶりの京焼きの茶碗に玉露を入れてくれた。
「この茶碗は初代のシュンポウです」なんて解説をしながら、ぼくの眼を鍛えてくれた。
やはり10年くらい前に、82歳くらいでお店を締めた。75歳くらいから、腰が悪くなり、
「もうそろそろこれをゆずりたい」といって、李朝の箪笥を、格安で譲ってもらった。
天真庵の二階の「生」という白井晟一翁さんの書のところにある「バンダヂ」がそうだ。

そのころ、人間国宝で陶芸家の三輪休雪の寒山拾得がショールームに飾ってあった。
値段をきくと「150万」という。天真庵が南條先生の寒山拾得の絵を中心においてあったので
「売ってください」と何度もお願いしたけど、「まだ手放したくない」と何度もことわられた。
お店をしめてから、年賀状だけのやりとりになった。ある日、電話をして「休雪の寒山拾得はどうなりました?」
と聞いたら、「引っ越しの時、どっかにいってしまった」とのこと。縁がなかったとあきらめた。

最近は近くの骨董屋をときどき覗く。亀戸天神の近くの主人は年も近いし、まだまだお店をしめたり、
しないだろう、と踏んでいたら、先だって心臓が泊まりそうになって入院した。その前に「裏千家の先生が
残した茶櫃が入った」と電話をもらった。退院しても、その所在が不明のままだった。昨日連絡があり、
「お店の片隅にあった」とのこと。こぶりだけど、いい漆で、「今日」とかかれてある。

「今日庵」。一期一絵を大切にする茶人らしい名前。「今ここ」にすべてがある。今日という一生
を一生懸命いきることが、大切である、ことを教えてくれる。さっそく持ち帰り、久保さんの斑唐津の
煎茶椀を入れ、それで玉露を入れてみた。天真庵で今日庵を味わう、不思議なエニシの妙味が体中にしみわたった。

今日は「インヨガ」。だいくんが本日後楽園ホールでセミファイナルを闘うので、わたくしは
ボクサーパンツをはいて(別にそうすることもないけど)、夕方からボクシング観戦。

独活がやってきた

ウド。孤高に生きている、そんなイメージの感じ。

昨日は能登半島に移り住んださん、が、煎茶を習いにやってきた。
朝一番(といっても何便もあるわけではない)の飛行機に、袱紗ばさみに、扇子と懐紙と袱紗を
しのばせ、お土産に能登の独活(ウド)とわさびなど、能登の春の山菜をもってやってきた。

都会に住んでいると、衣替えとか、新入生とか新入社員たちが、新しい服きて、ういういしく街を
歩きだした時に、「春や」とか思うけど、田舎、しかも北国のほうでは、長い冬をのりこえて、
「やっと春がきた」という感じらしい。九州産なので、そのあたりの感覚がまったくわからいけど。

昨日は、南島原にうつりんださん、からいただいた煎茶と、前日いただいた金沢の「森の音」をおちゃうけ
にして、茶櫃手前をした。軸は、なんやらいう福岡のお坊さんの書いた「真如」。神人一如、のように、
お茶をいただく瞬間は、自然と一体になった気持ちになる。真如、とは、そんなことをいっているのだろう、
と勝手に解釈をしながら、4人で煎茶を楽しんだ。

能登半島には6月に「梅仕事にいく」。天真庵のHPにリンクしてある「梅茶翁」の部屋を覗くと、
ちゃくちゃくと、自然の流れにのり、梅が梅になっていく様子がよくわかる。
うまく梅が収穫できたら、「梅干したろう」というワークショップをやる予定にしたいる。
ずいぶん先の話だと思っていたけど、もうすぐだ。

今日はうどのさしみに、白みそをつかったあわせ味噌をかけて、酒を飲もう。

日曜日に「二階でプチ結婚式」をあげるさん、が、もうすぐ着物の着付けにやってくる。
自分たちの子供より若い世代のアーティストたちが、そんな風に仲良くしてくれるので、
年をとることを、ついつい忘れているようだ。寄る年波の声が聴こえないくらい、耳
が遠くなった、ということか?それはそれでけっこうな話である。

冬から夏がきたような

そんな気分。お店の珈琲も、アイスが半分近くなってきた感じ。

昨日は「タイムドメインの会」。関西のメーカーで円筒形の不思議な形をした「ヨシイナイン」
というので、いろいろな音楽を聴きながら、持ち寄ったお酒や酒肴を楽しみながら、嗜好の調和を
しながら、時を過ごす。簡単にいえばそんな会。

江戸時代の煎茶の会。というのも、「文人」とよばれる人たちの中で、お茶やお茶うけを楽しみ、
その後は簡単なつまみで酒を飲みながら談論風発する、というような会だった、らしい。
陶芸家が「どや、この急須?」とかいって、新作の茶器を披露する。絵かきが「丸山公園の桜書いてきたで」と
床の間に新しい軸をかける。「かぎぜんのおひがしを買ってきました」とお客さん。それをお茶うけに、宇治茶を
真新しい急須で入れて、みなで楽しむ。そんな会だったらしい。肩肘はることもなし、作法も無手勝手流。そのあと
も「流れ」で、酒を飲んでもよし、飯を食ってもよし・・・

お茶の盛んなところといえば、京都と負けないくらい金沢はすごい。なんやらいう加賀の殿様が偉かった。
偉い人がでたところは、その後も文化が継承されていく。
昨日は金沢にいってきました、という女子からお土産に珍しい菓子をいただいた。「風の音」とか「森の声」(反対か、
あさっての名前かも)、そんな風雅な名前のお菓子。
本日はその石川の能登に移りすんだ蕎麦のお弟子さまが、煎茶を習いにやってこられる。
「お手前の手順」がなんだらかんだら、以上に「真髄」のほうを重視するタイプの女子なので、能登の潮騒が
聞こえる縁側かなんかで、自然と一体になるようなイメージでお茶会をやってみたいと思っている。日々是好日。