認知法にならない映像

昨日は「気骨の鮨会」だった。
近くの若いくんたちが、4人きた。
酢飯の作り方、にぎりかた、食べ方、寿司にあうお茶、お酒・・・・若い柔軟性のあるおつむ
に、いっぱい情報をインプットしながら、談論を風発させながら、楽しい鮨会だった。
能登から「赤いか」(地元では、たるいか)と蛸をもってきていたので、それに卵焼き、こんにゃく、
いぶりがっこ、寒ブリ、サーモン、しめさば、ほたて・・・などを握って、久保さんの器に盛り付け、
志野の茶碗で煎り番茶を飲み、酒は黄瀬戸の片口に、焼きあごをいれ骨酒にして飲んだ。

能登から本日寒ブリが飛んでくることになった。急遽、明日も「気骨の鮨会」をやることになった。
寒ブリといえば、氷見。同じ富山湾で捕れるブリで、能登のブリも甲乙つけがたい。
なんかやっぱり今年は「すし会」を多くやりそうな気がする。

昼は、安曇野に移り住んだ友人がきた。芸大の先生をやりながら、安曇野と東京の二股暮らし。
彼は各地に残された8ミリビデオを再生し、「日本の美しき残像」を残すのをライフワークにしている。
「音楽療法」というのを最近よく耳にする。認知症になった高齢者などには、いいらしい。
同窓会などにいくと、瞬間的にその時代の扉が開く。昔よく訊いた音楽がラジオから流れたたりすると、
その時代の歴の引き出しがあくような気がする時がある。「こころを開く」「ほどく」のが「仏さん」だ。

彼の編集したビデオには「お祭り」や「結婚式」や「運動会」や「一歳のお誕生日」など、
今よりもはっきりとした「ハレの日」が、今に蘇ってくる。高齢者などに見せると、認知症の
人たちが瞬間的にビットがたち、「これ、カツオの一本釣りや」とかいうような話がいっぱいあるらしい。
「回想法」という心理療法だそうだ。「アルプスピクチャーズ」と、検索すると、日本の美しい残像
がいっぱいでてくる。今年の両親の誕生日プレゼントにどうだろう?ぼくはきのうふたつ買った。
ひとつは、3月の母の誕生日。もうひとつは、自分が認知症になった時のため用。みんないずれいく道。
すぐ先に続く道。

今日はこれから「卵かけごはん」
明日は「気骨のぶり会」

気骨の鮨会

今日は日曜日なので、営業は16時まで。
それから準備をして、「気骨の鮨会」。大型新人が3人参加する。
そもそも、この会は、近くの春慶寺でそば会をやって、そのままベトナムでそば会
を縁をいただいたりしたころ、その寺にときどきくる「佐賀のがばいじいちゃん」が発端。

そのじいちゃんは高校を中退して昭和30年代に東京に家出同然のようにきた。
東京駅についた時は、わずかな小銭しか残っていなく、渋谷の寿司屋に住み込みで働くようになる。
そして5年くらい修行した後、渋谷で屋台を引きながら、寿司とか魚料理の腕を磨き、5年後に
渋谷にお店を持った。還暦を過ぎ、奥様と長野で無農薬のりんごをつくりながら、東京と伊那谷の
「二股暮らし」をやっていた。国貞雅子の歌ではないが♪ともに白髪がはえたころ あなたが先に逝きました・・
で奥様に先立たれ、ご自分もガンになって東京で娘家族と暮らしながら、闘病をしていた。

そんな時「どこかで死ぬまで鮨をにぎりたい」という声なき声を聴き、「天真庵でやりませんか」となった。
月に一度、カウンター8人限定。酒各自4合瓶持ち込み。会費8000円。2時間で終わり。
そんな会だった。一昨年一月に76歳で旅立つ直前まで2年間続いた。すべて満席やった。そんな会。

じいちゃんが逝って、寿司の道具が天真庵にのこった。久保さんが、絵志野の四方皿と、志野・黄瀬戸の醤油皿を焼いてくれ、
般若くんが木曾の檜でまな板をつくってくれた。そのころ近所にあった鍛冶屋みたいなじいちゃんに柳包丁と出刃をつくって
もらった。その道の一流のひとたちが、その道に具るに十分なすばらしい道具をつくってくれた。

そしたら、ぶんかんのなつきくんが島原に移住したり、三輪福さんたちが能登に移住したりして、
その地で「蕎麦会」をやるようになった。どちらも魚がおいしいとこなので、すし道具ももっていき、「すし会」
もやるようになった。そのころまたどこからか声が聞こえてきて「気骨の鮨会を天真庵で継承したら・・・」みたいに
なって今にいたる。ただし、この会は「自分で鮨がにぎれるようになる会」で、そんなこころざしをもった人
のみ参加資格がある。おんなそばもん(ぼくのそばのお弟子様)や梅林ガールズ(梅仕事なかま)に限って、静かに
潜航しながらやってきたけど、急に今年は増えて、来月3日も新人さんふたりが参加することになった。
今年は「すしのお弟子様がそばのお弟子さまより多くなったりして・・・そんな奇妙キテレツなことが、おきたりする時代かもなんばん。」

明日は「卵かけごはん」
寿司屋と蕎麦屋の共通点は「卵焼き」がうまい。特に、八郷の「暮らしの実験室」の卵は日本一。
もうひとつの共通点は、「香りを楽しむ」。お魚も海にいた時の「残り香」がたまらなく美味い。そばも手繰った時のそばの香りが
最高。

今朝そばを打っていたらラジオで能をやっていて、今日は観世流の「東北(とうぼく)」だった。
かの恋多き女性歌人の和泉式部の霊が自らが愛した東北院の「軒端の梅」と 和歌の徳について語り舞う、梅の花の妖精のような
物語。あまりにいいので、蕎麦を打つ手をとめて聞きほれた。梅の香りもいいね。風薫る五月もまたよし。

眠る香炉

志賀直哉の「暗夜行路」から、線香を寝かす香炉を「安夜香炉」にした。
そもそも平成が終わり、新しい時代がくる時に、志賀直哉も暗夜行路も、知らない人
が多く、平成最後の「おじさんギャグ」が横滑りしていたので、名前を改め、「眠る香炉」にした。

名前はともかく、その安全性と、京都のお香のここちよさ、久保さんの志野と黄瀬戸の土味がうけて、
いろいろなところに嫁ぎはじめた。「香りを聞く」、と昔からいわれるとおり、日本人は五感をきかせながら
「香りを嗅ぐ」のではなく「聞いて」きた。「満つまめの会」の時は、二階でそれでお香を焚いているので、全身で聞いてほしい。
かわいらしい「供養塔」と灰付き。お茶やお花をする人、整体とかヨガやセラピストたちにとっては
「お香」は日常だけど、一般の人には非日常。でも、あの世にいかれた肉親の人たちに感謝したり、無意識の世界で
再会するには、必需品のような気がする。仏壇や畳の文化は、絶滅危惧種のようになってきたけど、
人間の営みは、これからも自然とおなじで悠久の流れの中にある。

志野の香炉には、絵志野のように、ふわっとした文様がある。「雲」だ。
昔から禅の修行僧のことを「雲水」という。「雲行流水」とは、行く雲の流れ、さらさらと流れる水のように、
自然にまかせろ、運も人生もなりゆきにまかせなさい、といった意味か。
「うんこを水に流す」といった友人のピアニストがいる。大石学さん。そのタイトルのアルバムがある。
もちろん「雲行流水」で、「うんこ・・」ではない。

若いころ、とある財界の大先輩がいわれた。
「野村くん、同じような実力の社長がふたりいる。借りにAとBとしよう。
Aは順調に業績をあげ、Bは不運なことに倒産する。よくある話だが、
Aのようなタイプは、先祖の墓参りをかかさず、毎日先祖さんに線香をたむけるような人が多い。そんな気がする。」
成功するために、「そうする」というのは不自然ではあるが、日常茶飯に「先祖を敬う」というのは大事なことのような気がする。
「坐禅」そもそも人間にはふたりの人が土の上に坐っている。ひとりは「凡夫な自分」でもうひとりは「修行しようとしてる自分」
または「自我」と「自己」ともいう。

世の中に「開運グッズ」なるものもあふれている。そんなものを買う前に「墓参り」と「毎日の線香」。
「満つまめの会」のまーくんは、「線香を横にねかせてトイレにおくと、運気があがりますよ」
と教えてくれた。うんこを水に流す場。確かに「運」がよくなりそうだ!日々是好日。

季節季節の保存食

ことはじめ、みたいに、今月末から「味噌作り」が始まる。
お店をやる前から、味噌・らっきょ・梅干しはやっていたので、保存食つくりで干支が一周した。

味噌作りは、10年くらい前、ねんどの先生のMさんが「味噌つくりやってくれへんかな」とのたまった
ことからスタート。その年は生徒がMさんのみ。次の年から「なずみ算」のように増え、3年くらい前から
「100人」を超えたり、切ったりしながら「菌活の会」は、発酵し続けている。

一昨年から「柚子胡椒」も作り始めた。そもそもお店を始めるにあたり、佐賀の祐徳稲荷(このあたりが柚子胡椒発症の場所)
あたりから、福岡・大分あたりまで、「これ」というのを探す旅をした。若宮という実家の近くに名人を見つけ、そのおばあちゃん
に毎年頼んでいた。3年前に「もう体が動かんけん、柚子胡椒をやめたい」と電話があった。「もしよかったら、レシピを教えて
くれませんか。やってみますけん」と返事をしたら、丁寧なお手紙をいただき、レシピも教えてもらった。

水曜日、のりをとりに筆子さんの実家近くの「のりや」にいく。風が吹いたら、桶屋がもうかる、みたいに、「柚子胡椒が
あれば、のりやがもうかる」状態。近くに住む「元祖・料理研究家」みたいなお母さんが、「味吟(押上にあるいなりやさん)のいなりに、ちょこんと
柚子胡椒をのせ、こののりでまいて食べる、と「いなりの王様」よ」と教えてくれた。さっそく勉強会や、柚子胡椒を所望する人に伝授したら、
あっという間に、インフルエンザのように流行しつつある。

正月4日に蒲田の銭湯に入り、電気風呂に腕を入れると、テニス肘みたいな凝りが消えた。それで水曜日も、その銭湯にいった。
「黒湯」の天然温泉もあるので、知る人ぞ知る名湯。でも電気風呂はほとんどいつも空だ。
「体が弱っている人 心臓に欠陥がある人は入らないで」と書いてある。高齢者が多いので、この注意書きを見ると、遠慮するかも。

風呂からあがると、二階のサロンで「ふるさと蒲田」なるお酒を飲みながら、本を読む。
じいちゃんたちは、「鏡月」なる焼酎をキープしている人が多く、それをお店の人に「わって飲まないと、体に悪いよ」
なんて注意されながら、ロックかお湯割りにして飲んでいる。これもまた「健康法」のひとつ。

昨日実家からもってきた坂村真民さんの詩を読んでいたら、こんなのがあった。

病が またひとつの世界を 開いてくれた 桃咲く(真民)

今日は「ダメから始める中国語」

英語でそば会

昨日は3連休の最後の日。
朝は「卵かけごはん」をやった。
「八郷」(やさと)の暮らしの実験室の卵がうまい。
「ほんもの」を自分の舌で味わうと「味の羅針盤」が
しっかりして、誇大広告みたいなものにひっかかりにくくなる。

「味噌作り」の申し込みも佳境を迎えている。今年は耶馬渓の大豆も登場し、
人気も沸騰中だ。「やばけい」・・・煎茶を愛し、自然を愛した頼山陽がつけた地名で、風光明媚で
水もおいしい。「豆岳珈琲」にときどき珈琲を飲みにいく。煎茶を楽しむがごとく、山紫水明の空気に
包まれながら飲む一杯の至福は、ちょっとほかでは味わえない珈琲。頼山陽が今に生きていたら、
京都ではなく、大分の耶馬渓に書斎をつくったかもなんばん。ちなみに、京都の彼の家は「山紫水明処」という。
ぼくが通った立命館の広小路キャンバスのすぐ近くにあった。

今日は「英語でそば会」  スカイツリーの広場で待ち合わせをして、外国人観光客に声をかけ
「ちょっといい蕎麦屋があるんだけど、そこの二階でいっしょにそば前をやらない・・・」
みたいなことを英語で誘って、天真庵まで連れてくる、という会。別名「英語でポン引き」
9割近い確率で、見知らぬ国からきた一見さんをここまで連れてくることに成功している。
「歴史の舞台は、蕎麦屋の二階から始まる」のような格言があるけど、まさにそのとおり?

木曜日の蕎麦屋の二階は「満つまめの会」  午前中は「そったく焙煎塾」

かっぽれ、の取材

10年くらい、かっぽれ、をやっている。
最初は男子のみがやっていた。幇間芸(ほうかんげい)のひとつ、かっぽれ、
はもともと花街で、お客さんが芸者を待つ間に、ちょいっと間をつなぐ「お座敷芸」
として自然発症したものだ。まぬかれざる芸、であり、女を座敷で待つ男たちの高ぶった苛立ちを
やわらげる高尚な芸であり、優秀な幇間は、お客とお客を「むすぶ」役割もはたしていた、らしい。
はじめて取材をうける。芸を磨かないといけない。

あいかわらず、天真庵には取材の申し込みが多い。あまり新鮮味のない雑誌の企画やノル機にならないものは、
最近はやんわりお断りすることにしている。「能登の天真庵」のほうも、取材の申し込みがふたつほどあった。
でも「能登でいきる」以外、何も特別なことを考えていないので、あちらのほうは「発信材料」がない、に等しい。
あえていえば、ぼくが釣って調理したフグにあたって、お客が死んだ・・・なんてことがあると、地元の新聞に
のる可能性はなきにしもあらず。でもくわばらくわばら、だ。フグ料理を食べたい時は、輪島の「泳ぐ」
にいって食べるのが賢明だ。

いよいよ、「味噌作り」(菌活の会)の季節になってきた。今年は天真庵で産湯をつかって、いやそば湯を飲んだTくん
がつくった大豆が登場する。5年?以上前に東京から大分の耶馬渓(やばけい)に移住して、自給自足の生活を
している。奇しくも、旅立ちの挨拶にきた日は、「お花の会」で、山口の宇部から花を教えにきてくれていた原田先生
とも縁があった。Tのつくる自然農の米も、秀逸なうまさの米である。大豆も期待している。

先週は、能登の「梅茶翁」の梅林の剪定をしてきた。雪のつもる梅の枝に小さな蕾が生きづいていた。
平成が終わり、世の中ががらがらぽん、と、大きく様変わりしそうな感じの昨今だが、自然の営みという
のは、さらさらとたださらさらと悠久の流れの中にある。年年歳歳、正月を迎え、春夏秋冬がめぐり、干支
が12回ごと移り変わり、5回転すると還暦を迎え、それからは「おまけ」みたいに人生の終盤を迎える。
今日と同じ明日がこない日が必ずあるし、「死」を迎えない人生なんてありえない。みんな100%死ぬのだ。
しかも、あっという間に、人生はおわる。「どう生きた」というと重いけど、「どう生きようとしたか」が肝心かもなんばん。

これから「卵かけごはん」

よがった後にそばを・・

昨日は「ゆるゆるヨガ」だった。
先生のかすみちゃんと弟子2人・・・みんな能登の梅仕事をする「梅林ガールズ」
のメンバー。昼間に女子たちの「そばやの昼酒」で、シビコをだし、大好評だった。
残り物の福の「ながれ」を、梅林ガールスたちと堪能した。
そして、ヨガでよがった後は「そば」が美味い。

彼女たちと梅仕事に能登にいく時、みんなで立ち寄る温泉がある。「門前」(総持寺の門前町)
にある「じんのびの湯」。寒山拾得美術館から車で20分くらいでいけて、夕陽がきれいな場所。
能登のワインのワイナリーが経営するレストランもある。能登外浦側の隠れスポット。
昨年そこの湯につかっていたら、落語家の桂Bさんが「おじゃまさま・・・」言う感じで隣に座った。
20年くらい通っているらしい。

彼が昔新聞に「笑い」について投稿した記事を見つけた。

「縦の笑い」は、優越感から生じる「嘲笑」や権力の弱いものが強いをもの皮肉る「風刺」。
これに対して、「横の笑い」は「あんたもやっぱりそうか」という仲間同士の共感です。
成熟した社会では「横の笑い」が増える。人間共通の弱さ、悪、ずるさを認めたうえで「自らを笑う」。
自分の姿を、もうひとりの自分が、離れたところから眺める。客観視する。

正月番組あたりの最近「笑い」は、?な感じのばかりで、辟易とする。それが原因でもあり、
我が家からテレビが消えた。
世界中が大きな曲がり角を迎えているような時代だけど、「笑い」について、もう一度
考えなおすような時でもある。

今日は二階では「満つまめの会」
一階の営業は16時まで。それから「そば打ち教室」

明日の朝は「卵かけごはん」

シビコ・・・とは?

能登ではマグロの稚魚(といっても40cmくらい)をシビコと呼ぶ。
さばをさばいたお礼?にいただいた。昨日はさっそくそれをさばいて、近所の人にお裾分け。

「うめ星」のふるさと、「隕石直売所」がスカイツリーの麓にある。店主は同郷でもあり、
「うめ星プロジェクト」の同志でもあり、魚好きでもあるので、さっそく「メジコ」と依頼されていた
「麦茶」をもっていく。さっそく「お茶でもどうぞ(喫茶去)」で、うめ星入りのガラスのカップで
初煎会よろしく、小さなお茶会のような素敵なひとときをご一緒した。

お茶というと、お点前とか形式が優先するけど、それにこだわりすぎると「修業」の域を超えられない。
「自分」というのが出すぎてしまう。「おもてなし」というのは、あくまで「利他」、つまり相手の方に
重点をおいて自然体で茶を施す。それがほんらいの「修行」である。まだ主人は40前で、自分のせがれのような若者
ではあるが、なかなか教えられるもの多し、でもある。
アメリカの天文学の権威者グループが昨年末に「宇宙人 UFO」の存在を認める論文を公開した。
そもそも、この星の中では、生きとし生けるものの最高峰に「人間」が君臨しているかのごとく、威張って
いるのだが、広い宇宙の中にあって、われわれだけが「特別」である、というのは、はなはだ井の中の蛙以下の発想である。

福岡に隕石が落ちた、というわれる神社がある。山口の「下松」(くだまつ)という場所も、「松が下ってきた」
という地名よろしく、隕石の伝説をもった神社がある。能登の羽咋(はくい)というところも、同じような言い伝えがあって、
「コスモアイランド?」だったか、宇宙をテーマにして、村おこしに成功された。
大所高所にたって、発想を自由にして、物事をすすめていくと、小さい次元で右往左往している小さな自分を笑うことができる。

松、というのは、この地球ではじめてできた植物、ということになっている。
でも下松の言い伝えのように、植物もひょっとしたら、宇宙から下ってきた、という可能性もなきにしもあらずだ。
「天真庵」のHPに、「うめ星」の実験写真がいっぱい掲載してある。毎日、ごはんを焚いたり、珈琲やお茶を入れたりする時、
「うめ星」を使っているけど、人参の実験をした時、「この地球上の常識を超えた何か」を感じた。
サムシンググレート、というか、人知を超えたところの「何か」は、ロマンがいっぱいある。

今日から通常営業。夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」  呼吸を整えて、宇宙の波動にあわせて自然体にする・・・
お茶やお花と同様、「道」なる命を体感できる。そんなことを知らずに死んでいくのもいいけど、知るともっといい。
ボーと生きていくのも一生だけど・・

明日は「満つまめの会」 お店は16時までで「蕎麦打ち教室」が始まる。

梅林も雪景色

昨日の能登は雪景色。
美術館のある志賀町は、北風が吹き、海は白い泡をつくり
東宝映画の始まりのような景色だった。北前船で栄えた輪島の海で
写真を撮ろうとしたら、手がかじかんで、寒気でカメラを持つ手の感覚
もおかしくなりそうだ。
「能登は寒いでしょ?」とよくいわれる。でも寒いからこそ、海の幸もうまいし、
海藻なんて東京では見たことがないようなものが地元のスーパー(なぜだか、「どんたく」というのがある)

輪島から山のほうに車を走らせると、一時間くらいで梅茶翁につく。志賀町以上に雪が深い。
さっそく、さばを6匹さばく。梅などを干す笊に、「はら 背 はら」と3枚におろしたさばの半身をならべ、
能登の塩でべた塩にして約一時間。その後、水洗いをし、酢に20分つけ、骨と皮をはぐと、できあがり。
太平洋側のさばと日本海側のさばは、環境もさることばがら、味がべつものだと思う。

昼ごはんは軽く「マクロヴィ風のごはん」と「しめ鯖」。
それから歩いて梅林にいき、剪定。凍えるような雪景色の中で、もう梅は蕾がふくらんでいて、気
のはやい枝には、華憐な花が咲いていた。自然とは人の営みよりはるか先に、息づいているみたいだ。

3時間ほど汗を流し、能登町にある津久司鮨で新年会。地元前の鮨を堪能する。
「能登は魚がうまい」などというと、一年生の国語の教科書みたいだけど、寿司道、
とうののがあると、きっと師範代かそれに準ずるようなレベルにある、とつくづく思う。

それからたぬきさんとかと遭遇しながら雪道を一時間半ちょっとかかり志賀町にもどる。
朝ごはんを食べ、これから東京に向けて出発。

雪国の寄り道

日曜日に、関越を走って能登に向かっていた。
ラジオの情報で、妙高あたりがすごい雪だったので、寄り道。
「猿も入る温泉宿で一泊?」

秋は紅葉がいいけど、この季節の妙高あたりはやはり雪がすごい。
トイレ休憩にサービスエリアに寄るたびに、ラーメンが食べたくなる・笑

いつものように、和倉温泉の「総湯」に入り、ちょっと気になっていた蕎麦屋で
そば前に宗玄を飲みながら、哲。〆のそばを手繰り、美術館のある志賀町につく。
空は、石川さゆりの演歌のように暗く、よどんでいる。今年はじめてなので、掃除を
丁寧にし、お神酒を神棚まどの定位置におく。歌川芳春の寒山拾得を床の間に飾り、庭の水洗を投げ入れ、
「竹葉」をお屠蘇にしながら、新年会?
しばらく留守にしていたので、能登の家は寒い。でも「住まう」というのは、こうゆうことだと
思う。「そこに生きる」というのと「住まう」というのが、冬の能登にくると同義語であることを悟る。
頭を使う、体と心を重ねながら工夫しながらそこで生きる。自然によりそう、というのはそうゆうことだろう。

明日は梅茶翁の梅の木の剪定をやる。三輪福さんからショートメール。「さばがとれたので、明日
しめ鯖にしてほしい。」とのこと。「了解」と返事をした。能登の寒鯖を能登の塩をべた塩にして、酢〆する
・・・考えるだけでワクワクする。台所で出刃を研ぎながら、ときめく・・
午後少しお天道様が顔を出したので、駐車場の裏の畑に鍬を入れる。冬の間に土を反しておくだけで、土の生命が
蘇るらしい。二時間くらいかけて、畑の土をオセロよろしくひっくり返した。

野良仕事を終えて家にもどると、近くの漁師さんからイカの差し入れがあった。
おかえしに「いぶりがっこ」と、原始的ぶつぶつ交換。今日の夕餉は、冬の日本海でとれたイカ
を囲炉裏であぶり、福光屋の酒を燗にして、やっちろあきの演歌でも歌いながら飲むか?
♪お酒はあつめの燗がいい さかなはあぶったいぶりがっこがいい・・・