原爆堂と白井晟一展

天真庵の時計とかランプなどは、白井晟一さんのものを
いただいて使わせてもらっている。そんな縁で、ファンや後輩にあたる京都工芸繊維大学の
卒業生たちが年に二回、「忍ぶ会」みたいなことをやってくれたりする。

今日まで「染めもん展」で、二階に飾っていた白井さんの「生」という字も、一階のピアノ
の横に飾った。「文人の書」としては、最高峰にあると思う。

6月に青山で「原爆堂と白井晟一」というテーマのイベントがあり、昨日案内が届いた。
とても素晴らしい文なので、ご紹介する。

 

 野外に出て無限な蒼穹を仰ぐとほっとする。

 これが理想の色かと思う。生きている本当

 の理由が、身内に湧いてくるのである。自

 然の叡智が人間の自由な生命をあらゆる強

 制から解きほぐしてくれるからだ。

 白井晟一のエセーの「めし」の冒頭です。この2年前かれは「原爆堂 TEMPLE ATOMIC CATASTROPHES」のプロジェクトに取り組み、広島、長崎の市民を襲った原爆の残虐、荒涼とした廃墟の世界と向き合っていました。「無限な蒼穹」が粉々に砕け落ちた世界。「自然の叡智」に反して人間が創り出したもの、その爆発とともにアレントの言う「現代」の世界がはじまったのでした

 原爆の威力をさらに高める研究と開発が冷戦下の米英ソでしのぎを削っていたさなか、1954年の3月ビキニ環礁で行われたアメリカの核実験で、日本の漁船「第五福竜丸」が被曝し乗組員23人全員が急性放射能症を発症、無線長は半年後に亡くなりました。核実験によるマグロや海産物の放射能汚染、放射能雨の検証が行われ、3000万を越える署名運動は大気圏内と海洋での核実験禁止にようやく向かわせます。

 この状況の中で映画や文学、写真や漫画、美術や音楽などのさまざまの分野で原爆や核を問う作品が改めて生まれ始めました。映画では「ゴジラ(本田猪四郎)」、「生きものの記録(黒澤明)」、「第五福竜丸(新藤兼人)」、「二十四時間の情事(アラン・レネ)」などがよく知られています。建築界からは.核の問題と対峙する表現は唯一「原爆堂」計画にとどまり、丸木夫妻の「原爆の図」美術館への提案という形で1955年4月に新聞等に発表され広く知られましたが建設には至らず、白井は8月には機能を美術館に限定しない形で国際社会に向け英文のパンフレットを作成します。

 2011年3月、没後30年をまじかに控え「白井晟一 精神と空間」展が「原爆堂」計画を中心に東京で開催されていました。11日、東北地方太平洋岸を大地震と津波が襲い、その中で福島の原子力発電所がレベル7の大事故を発生。核に潜在する脅威が現実のものとなって目の前に突きつけられ、「原爆堂」に託されていたメッセージが60年を経ていっそう切実な意味合いをもって届けられることになってしまいました。展覧会で原爆堂計画を見た作家福永信氏のコメントが印象に残ります。これは「過去のかなわなかった建築ではなく、未来の建築として映る」

 「原爆堂」計画は一枚の精細に描かれたパースと数点の基本図面及び設計者の短いコメントで構成されています。白井の建築家としての活動、エセーを含むさまざまな表現とそれらの背景となった時代に目を向けながら計画の内容と意図を、少しでも全体的かつ正確に把握するための作業を続けています。

 唯一の被爆国、核の被害者であったこの国とわれわれは、フクシマの原発事故を起こしたことによって自国の市民の犠牲ばかりでなく、海洋と大気に放射能を拡散し核の加害者の立場を余儀なくされました。「原爆堂」の建設に向かう活動を促したのはそのことでした。再びヒバクシャを生んではならない、自分たちと同じような凄惨な経験をいかなる人々にもさせてはならない、そうしたヒバクシャを中心とする悲願と活動をとおして育てられた暗黙の了解は、戦後形成された国民的合意の一つであり、日本という国と人のアイデンティティーを形成してきたものではなかったのだろうか。フクシマはその合意とアイデンティティーを破壊するものでした。

 核による脅威を一気に取り払う方法があるのであれば言うことはありませんが、世界を破壊することのできる脅威から解放される道は遥かに遠いというのが多くの人の共有する実感でしょう。そのような困難から目をそらすことなく、人間と核の問題を正視し背負い続けることの重要性から、さまざまな形で生まれまた隠蔽され続けているヒバクシャに対する医療とケアは国境を越えた国際社会の責務であると考え、「原爆堂」を中心にそのための施設と機構の実現を模索しています。

 

 本展は新たに製作したCGムービーを中心に「原爆堂」計画を改めて紹介し広く知っていただくことを願って企画されたものです。

                                           主催 原爆堂建設委員会

                                           協力  白井晟一研究所

世の中に惜しまるる時散りてこそ花は花なれ色もありけり

なんとかいう戦国武将の辞世の句、だと思う。

昨日はお店の前の桜の木が切られた。10年くらい前に誰かが勝手に苗木を植えた。
それがみごとな桜の木になり、毎年春に多くの人を楽しませてくれた。たぶん大島桜だと思う。
ソメイヨシノより色が淡く、「咲いてる」という気負いがなく、ただ咲いているのがよかった。

区の業者さんがきて、根から掘り起こし、そこにアスファルトを入れると、何もなかったようになった。
最近界隈は激変している。東京オリンピックとか近くに大学ができる、とか、上げ潮ムードなんだけど、
長屋や古民家など一度壊されると、「ここになにがあったかもわからない」ことが多い。
日本の伝統的な文化や暮らしも、そうやって「美しい残像」さへ露と消えていきそうな流れだ。

そんなことを騒音の中で思っていたら、目の前に丸く光った物体が通り過ぎた。先日書いた
「エロスの丸い球体?」なんて思ったけど、ほんの数秒だった。不思議なメッセージのような声を残して・・

午後に京都から河野夫婦が上京。今年の作品を二階に飾った。
今年は「青葉染め」の作品が並ぶ。桜やバラなどの葉を「押し花」よろしく「押し葉」にして
そこに染料をのせ生地の上にのせ、100度のスチームで色づけする、という工程だ。
そこまでに至る道に試行錯誤を重ね、完成した作品は、花を咲かせる精が宿る葉の刹那の命を
永劫にした輝きがある。「時分の花」を生涯持つ一枝にする(不失花)、そんな次元の染。
そんな話を夫妻と京都の地酒を飲みながら談論を風発。

ねがわくば花の下にて春死なむ

という西行法師の歌がある。
それはたぶんソメイヨシノではなく、山桜や大島桜のように、あわくて儚い色の花だから
「静かな死」を託していけたのではなかろうか。

せくなあせるな世間のことはしばし美人の膝枕

今の時代の呼吸で生き暮らしていくと どうも息がつまることが多い。
桜を一番美しく愛でるコツは 美人の膝枕 というのが定説だ。

禅林が一気呵成に「円」を揮毫するまあるいものを「円相」という。書くときは
時計回りなんだけど、まあるくなると、どの一点をとっても、右も左もなく、始まりも
終わりもない。「ただいま」(Here Now)だけであり、「終わりは始まり」である。そんな禅問答の
題材としても「まわるい)は使われてきた。仙厓和尚はそれに、「これ食って茶飲め」と賛を添えた。
まあるいのを饅頭にみたてた。昨日はまあるいたまねぎを見て、そんなことを思い出した。

世の中に絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(在原業平)

というのもある。この界隈に「業平」という地名は残っているが、「業平」という駅は
「スカイツリー駅」になった。のどけからましではなく、かしましい気がする。
どこを見ても そんなかしましく ささくれだったような世の中がちょっと心配だ。

アントワープからピアニストの大屋さん婦人が立ち寄ってくれた。同時に
今銀座で個展をやっている般若くんが、まんじゅうをもってあらわれた。
それ喰って茶を飲んだ。「まあるいご縁」は地球をぐるぐるまわる。

今日から「染めもん展」

今日から京都から河野夫妻が上京され「染めもん展」が開催される。
池袋時代から続いていて、かれこれ20年。ひょっとしたら、超えたかもなんばん。
2011年に旅立ったけど、「とむさん」こと野村富造さんというろうけつ染めを
やっているおっちゃんとひょんなことで縁をいただいて、今にいたっている。
「縁」とか「出会い」から、いろいろなコトがおき、お互いの人生にお金では
買えない「すてき物語」が紡がれていく。人生の妙味であり醍醐味である。

昨日は「焙煎塾」やった。先月押上から金沢文庫(そのあたり)に引っ越した
NUSUMIGUIのゆうまくんが弟子入りした。彼は蕎麦のお弟子さまでもある。
海が近いところに移住し、これからは本業の「ファッション」と、それを生かすための
「自然な暮らし」に磨きをかけるみたい。キャンプファイヤーをやりながら自分で焙煎した
珈琲をシェラカップかなんかに注いで飲む。なかなかいいもんだ。自分の車の中にも、
そんな道具がいつも入っている。ただし、蕎麦とかお茶とかを入れる機会が多いので、
なかなか野外で珈琲を飲む、という贅沢とはご無沙汰しているけど・・

天真庵流の珈琲の入れ方は、ポットではなく銅の鍋をつかって、
そうろうと抽出する。ポットよりそちらのほうが、水が流れ落ちる風が自然だと思い、
30年以上そうしている。でもそんなことが「!」とくるまでには、最低1000回、
毎日やって3年くらいはかかるのかもしれない、と最近思う。真剣にやってそのくらい
かもしれないので、「珈琲を楽しむ」だけでいい人は、ポットでぽーっと入れる
ほうがよろし。

お茶の入れ方の極意に昔から京都の茶人たちの間に伝えらてたものに、「ソビバビソビ」
というのがあんねん。これも口でいうたら簡単やけど、その境地にいたるのは、簡単ではない。
ぼくの珈琲は京都時代にある茶人に教えてもらった「ソビバビソビ」をヒントにしている。
これは、5年以上続けたお弟子様に伝えているもの。
♪ビビリバビリブー   そんな歌もあったっけ

煎茶の教室は今は休止しているけど、この教室も「飲むだけ」のお稽古が3年。
ほとんどの人がしびれを切らして、3年もたない。
でも石の上に三年ではないけど、単純なものほど奥が深い。
今日から始まる「染めもん展」のふたりの人生は、「染めもん」一色の人生。
「ひとつごと」をやりぬいた人の「生きる技」というのが作品に込められている。

染もん展

「京の染色工芸」 河野染色工芸スタジオの仕事

18(金)15~19時、19(土)・20(日)13~19時

26日(金)ギターライブ

演奏者:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演

キュリオ酢につけキュウリが美味い

「亀楽」さんのおかげで、おいしい小淵沢の「玄米酢」をつかっている。
天真庵のカウンターの上において販売も始めた。「わかる人にはわかる わからない人にはわからない」
傑作の酢。これから夏場は「つかれしら酢」の大活躍になるに違いない。

昨日はお台場で「キュリオス」を見にいった。フジテレビがやっているシルク・ドゥ・ソレイユ。
30周年を記念して、「キュリオス」(シルク・・的な造語で、骨董とか好奇心、とかいう意味らしい)
なるほど、音楽や見立てられてものが、古き良き時代の西洋といった感じだった。特に音楽がノリノリで
終わった後ユリカモメにのっていても体の中で演奏が鳴り響いていた。エンターテイメントというのは、
こんなレベルのものをゆうのだろう。

いつも「シルク・・・」を見にいく前に「虫養い」にいく。
コンサートや映画にいく前に、「腹の虫」に餌をあたえていないと、腹の虫が鳴くし、
昔からそんな時に「虫養い」という言葉を使った。
いつも新橋の「ビーフン東」にいく。ここの焼きビーフンはうまい。黒酢がきいた酢豚は、
唯一無二の秀逸で、紹興酒がこんなに美味いのか、というくらいうまくなる、くらいうまい。

天真庵のあかりちゃんをクリックすると「天真庵の歴史」みたいな写真がある。
始まった1997年の写真は、「九州・気骨の会」で、今でも生きている人たちとは交流がある。
とうのも、この会の会長や幹事たちは、50歳あたりで旅立った。
彼らと新橋あたりで飲むときは、きまって「ビーフン東」やった。

今日はこれから珈琲の焙煎塾。二階は「満つまめの会」

長屋でエロスの会

昨日は、長屋で女史会だった。
歴史というものは、その時の権力者におもねりながら「ねつ造」
に近い感じで残っていくのが常だし、だいたいが男の目線で残され、伝わってきたものが多い。
この「長屋・・・」は女性にスポットをあてて、コペルニクス的な転回ですすんでいるのが実に楽しい。

といっても、もっぱら厨房で、典座(てんぞ)の拾得(じゅっとく)よろしく、講義の後の「蕎麦会」
の準備をしながら、BGMのように聞いているだけなんだけど、途中で包丁をもつ手がとまるくらい、おもしろい。

一年以上も「本能寺の変」をやっているのも変だけど、この何か月は「男色」についての話だった。
お寺や戦国時代の戦場は女性がいないので、男は男を求める、のがならわしだった。
プラトニックという言葉も、男女の情ではなく、男と男の話だし、佐賀の「葉隠れ」という
勇ましい哲学の中でも、男と男の話が多いらしい。世阿弥の哲「時分の花」というのそうらしい。
個人的には「秘すれば花」や「不失花」(うせざるはな)は、男と女の話であったほうがいい、と思うが・・
「風姿花伝」をもう一度ひも解くことにしようか・・

最後にエロス。「男と男」「女と女」「男と女」がそれぞれひとつの球体になっているらしい。
人が誕生する時、球体がふたつにわかれて、そのかたわれを探す旅が「エロス」の本来の意味らしい。
ロマンティックではあるし、想像するだけで、なんとなくウキウキする。そんな不思議な勉強会。

先生は金沢にしばらく住んでおられたので、蕎麦会の時は「金沢」をつまみにすることが多い。
加賀の加と能登の能からとった「加能がに」というのが美味いという話がでた。

能登で準備中の「寒山拾得美術館」の近くに「加能作次郎文学碑」があり、彼の代表作の「父の生涯」
の一節が刻まれている。

人は誰でも その生涯の中に
一度位自分で 自分を幸福に
思う時期を持つ ものである

人生という旅の途中に、みんなそれぞれ、泣いたり笑ったりしながら幸福を感じる時期を持つ。旅は哲。

木曜日は「珈琲塾」 二階は「満つまめの会」

たら汁街道

和倉温泉の「総湯」に入り、しばらく国道8号線を走っていた。
ぶりで有名な氷見や、蜃気楼の魚津などを通る。ITの会社を経営
している時、黒部に取引先があったのでしょっちゅうきてた場所。
小腹が空いて、富山県下新川郡朝日町あたりにきたら、「たら汁」
の看板が目立ってきた。通称「たら汁街道」と呼ばれているところ。

「栄食堂」というもともとドライブインみたいなところに、足の悪いおじいちゃん
と、その友達のあっしー君が入ろうとしていた。おぼつかぬ足でわざわざくるのだから、
美味いに違いないと思い、そこに入った。各テーブルに使いこんだアルミの鍋がおかれ、
そこにたら汁が入っていて、みなさんがおいしそうに食べている。一人前800円也。
人数分のたら汁と飲み物を注文したら、あとは街の食堂のように、皿にのせられた一品を
選んでとる仕組みだ。卵やき、もずく、サラダをもらう。運転中でなかったら5合は飲めそうな酒肴、いやおかずである。

たらがとれる場所でとれるかにを「たらばがに」という。北陸の海は、たら、ぶり、かに、もずくやあかもく、義馬藻・・・
食材の宝庫。6月の「能登の梅仕事」の時は、梅林ガールズたちと栄食堂にまたこよう。
「マタキタクナール」というエネルギーがいっぱいのお店である。

今日はこれから「卵かけごはん」。二階では「満つまめの会」 今日の味噌汁の実は、能登のたけのことわかめが入っている。
夜は「長屋で女史会」 ブリ大根をこれから作る予定だ。

母の日

今日は「母の日」。
お茶のお弟子様で、花屋をやっているイルフィオレット(覚えるのに3年かかった)に
お願いして、実の母と義理の母(やくざみたいないいまわし)と実の妹に花をおくっている。

ぼくが京都にいた24歳の時、骨肉腫になった。その当時は病名を告知しない、のがならわしだったけど、
お医者やまわりの雰囲気から「やばいかも」と察知して、九州の母親に電話して上洛してもらい、
しばらくいいしょに暮したことがある。その時に妹はおなかに長男を宿していて母になる準備中だった。
そんなこともあって、妹には自分の病名を告げていなかった。その時生まれた航太をヨットの上で抱いた
写真が見つかった。今は昔、大昔の話ではあるが、昨日のことのようでもある。

病院は大徳寺の近くだった。あとで知ったけど、母は毎日病院にくる前に大徳寺にいき、息子の安泰を
祈願していたようだ。男はみな大人になれない動物だし、子供を産むことがないので、そんな慈悲深く、
見返りを求めない愛情なんて持ち合わせていない。けどその時は、その当時なりに、母に感謝をしたことを
今でも覚えている。実際に口にだして「ありがとう」をいったことはないけど。

どの世界も女の人が元気だけど、あたりまえ、だと思う。
釈迦やキリストだって、ひょうくひょくと産むのが女性なのだから。

今日は16時まで。それから「蕎麦打ち」
明日は卵かけごはん。

能登や銀座で「素敵な展示会」がいっぱい

能登から東京にもどっていく時、和倉温泉の「総湯」に立ち寄るのが、ならわしに
なりつつある。新宿からも深夜バスが運行されていて、朝7時からやっていて、440円。
東京の銭湯よりも安く、加賀屋などの温泉の源泉に入れる。バスは「グリーンランナー」。
7000円くらいでいけるらしい。都塵や俗塵を流し、こころをリフレッシュして、新緑を
愛でる、なんて最高ではないかな?

近くに「七尾美術館」がある。今つくっている「寒山拾得美術館」からも車で40分くらい。
そこで、なんと長谷川等伯の描いた「寒山拾得」が公開されている。
前期が5月13日まで、後期が5月14日から27日まで。
等伯や狩野派などの絵師や仙厓和尚などの禅林たちが、寒山拾得や豊干などを描いてきた。
和倉温泉のまわりは、お魚も美味いし、新宿のガールズバーなんかでボリボリやる時間とお金
があるなら、一度いってみては如何?人生が変わるかもなんばん。
「寒山拾得」については、天真庵の「あかりちゃん」をクリックすれば、いろいろなことがわかると思う。
ま、クリックよりスナック・・ガールズバーやキャバクラにいくなら、「あかりちゃん」をお願い!

天真庵ゆかりのアーティストたちが、ふたり銀座で展示会をやっている。
金沢出身の般若くんが昨日から「万画廊」で20日まで。天真庵の椅子や玄関の戸を
つくってくれたこ。バンガロウ、ではない。「よろず」いいますねん。

もうひとりは「渡辺愛子」さん。うちのオープニングでたこやきを焼いてくれた。
大阪出身でたこやきがうまいけど、土焼きはもっとうまい。
今日から17日まで黒田陶苑にてやってはります。ここで個展がやれるひとは、この道では
最高峰だといわれている。でもまだそのへんでうろうろせず、この先にいけそうなこ。
このこの「うずくまる」はいいよ。うだんスマホの世界にうずくまっているような族や俗は
ぜひ一度のぞいてやってください。スタッフもSさんはじめ、美人で器好きがおられます!感謝。

藤の花が咲くとイルカがやってくる。

能登の里山は、藤の花盛りだ。
常緑樹の杉が半化粧というより、緑が見えないくらい咲いている。

能登には縄文真脇遺跡というのがある。5000年も定住した跡が残っている。
彼らは「藤の花が咲くとイルカがくる」というのがわかっていて、それを
食べながら命を紡いできた。縄文人は「米」をまだ知らないので、
狩猟をしながら移動して暮らしていた、というのが定説だが、能登では
そんな教科書を書き換えなくてはいけないような先人の英知の跡と、
自然の畏敬する「祈り」みたいなものが今でも残っている。

里では「霧島ツツジ」があちこちで咲き乱れている。サツキ科の花で、5月にまぶしく咲く。
「霧島」という名前は、北前船の時代に、九州との縁ができたのではないだろうか?
能登で魚や野菜を売っている地元のスーパーに「どんたく」というのがある。
これもほんなつこつ不思議な名前。昔から能登には博多っ子純情くんが住みついたりしたのだろう。

また今は「田植え」の季節で、家族や集落のひとたちが協力しながら一生懸命に
田植えをしている。泥だらけになった指で、スマホをやりながら笑っている青年を発見。
移住、もしくはこの時期だけ都市からもどってきて手伝いをしながら、街娘と恋文メール?
なんとも今風で微笑ましい!

能登町にある「梅茶翁」の梅林も、11月に剪定したかいもあり、元気に冬を越し、
花を咲かせ、小さな小梅ちゃんが梅林ガールズたちとの再会を待っているようだ。
傍らに咲いていたサツキと小さな若竹を久保さんの絵志野の花器に投げ入れた。
「ひとつ」の花があるだけで、部屋の空気が凛とする。
同じように、「ひとり」がいるだけで、その場の空気が明るくなる。

「寒山拾得美術館」も夏祭りまでにはオープンさせたいと思う。感謝。

染もん展

「京の染色工芸」 河野染色工芸スタジオの仕事

18(金)15~19時、19(土)・20(日)13~19時

26日(金)ギターライブ

演奏者:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演

hitotsumusubi

ひとつむすび

そんなブランドのアクセサリーのデザイナーさんが、香取神社の近くに本日オープンする。
「nusumigui」(ぬすみぐい)くんのアトリエを引き継ぎ、まーくんが
はじめる。うちの「満つまめ」のまーくんとは、違うもうひとりのまーくん。

ぬすみぐいくんたちは、先月金沢八景のほうに引っ越しをした。若いふたりは、
釣りが好きなので海の近くで、新しい生活を始めたようだ。
うちも明日から大きな荷物を能登に運び、いよいよ東京に置いていた軸足を
日本海側にシフトする。

時間の積み重ねは、お金では買えない、というのを実感するのと、
時間の流れの違う場所を、行き来するのは、体内時計の狂いを直す、みたいで
とても新鮮な気持ちになれる。
天真庵の二階に10年以上定位置にあった「バンダヂ」(李朝家具)も、
里帰りではないけど、生まれ故郷の半島の近くの半島にもどる。

今日は16時まで。それから「蕎麦打ち」&「寿司の会」

明日から木曜日まで「能登里浜時間」

染もん展

「京の染色工芸」 河野染色工芸スタジオの仕事

18(金)15~19時、19(土)・20(日)13~19時

26日(金)ギターライブ

演奏者:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演