♪しゃがが咲いた しゃがが咲いた 真っ赤ではないが・・・

平成最後の「染めもん展」の会期中にしゃが(著莪)が咲いた。アヤメ科の常緑樹で、春にはアヤメ
のような白地に青の華憐な花を咲かす。
一昨年のクリスマスに、58歳で召された「たて花」の先生・武内由希子さんの置き土産だ。

彼女は、染めもん展の河野さんと同じ京都造形芸術大学出身やった。友達の三上くんが
押上に天真庵を結んだ直後に紹介してくれ、二階で彼女の師匠の原田耕三先生が「生花」(しょうか)
の指導に毎月宇部からこられるようになった。竹の寸胴(ずんどう)に枯れ枝をVの字に削って「くばり」を入れて、そこに葉蘭を生ける、を
基本とする生花と立花。まさに生け花は、その花を生かせて、たてたり、きったり、ためたり(矯たり)しながら、
茶室やお部屋の中で「生かす」芸術である。そんなこともあり生前原田先生は天真庵に飾ってある白井晟一翁の「生」をこよなく愛した。
白井晟一翁の揮毫した書「道」というのも、能登の寒山拾得美術館に飾ってある。

原田先生の先生は、伝説の花人「岡田幸三」先生。池袋時代の天真庵の屋上に小さな「庭」をつくった。
その「庭」が和楽に紹介された時、岡田先生の花の記事ものっていて、「いつかこんな人に花を習いたい」と思っていた。
東京芸大を卒業したばかりの版画家であり、庭師の長崎剛志くんがやってくれた。今は海外でも活躍するアーティストになった。
能登の家の玄関には、彼の卒業記念の大きな版画が飾ってある。

岡田先生の「花の伝書」というのは名著だ。時々、葉蘭を生けよう、と思ったりする時に本箱から出してくる。
世阿弥の秘伝書「風姿花伝」に由来するような命名。
世阿弥は、能楽の土台をつくった人で、演出家、美学者でもあり、ミケランジェロのような天才でもあった。
彼は日常の「花」の大切さを説いた人でもある。よく京都の茶室などに「不失花」と揮毫された軸が掛けてあったりする。
「うせざるはな」という。花の色は移りにけりな・・・とうたった美人もいたが、それは「時分の花」
歳をとって、おっぱいが垂れたり、しわくちゃになったり、髪がうすくなっても、「生涯枯れない一枝」を持っていきなさい、
という意味だ。それには、毎日毎日繰り返される精進と、時にはバカになったり、狂い咲きするくらいの情熱をもちなさい、とのことだ。
まさに、人生の秘伝書かも。「もっと美しく生まれたら」「お金があったら」「素敵な彼(彼女)がいたら」・・
そんな尺度で「幸せ」を計るようなおろかなコトは、令和が始まるまでに捨てたほうがよさそうだ。
「・・たら」よりも「未見の我」(まだ見ぬ無限の可能性をもった自分の力)を大切に・・・感謝

今日は「書をしよう会」  今日はたぶん「令和」を書くに違いない。
明日は「おんなかっぽれ」

かんぞう

能登から持ち帰った「かんぞう」を食べた。一般には「のかんぞう」という。
ちょっと熱めの温泉(55度)につかるみたいにして10分。
それを笊にあげ水のシャワー。それしゃきっとしたサラダ感が残り、
ビタミンが破壊されず、色もあざやか。春を告げる土味である。

それを「酢味噌」で食べると、お酒を飲む時に、美味い(グビグビという声)音が聞こえる。
3日間の「染めもん展」が、あっという間に終わった。奈良は毎年いくけど、最近
はまったく上洛してへん。でも「染・・」があるので、毎年京都で花見をしてる感覚になる。

昨日は季節はずれの「味噌つくり」。昨年から気になっていた農業家が能登にいて、その人の
つくる「青大豆」を手に入れたので、筆子さんがひさしぶりにそれで味噌を仕込んだ。
「黒豆」を味噌に仕込むと同じくらい、煮汁がうまかった。もちろん塩は、能登の塩。

その煮汁を「そばつゆ」にした。「かえし」をいれて、しばらくおいてみた。
諸説あるけど、そばは最初に「お寺の精進料理」として始まった。「寺方蕎麦」
なんていいかたをする。京都のおひとたちに精進料理ではないけど、この三日間は
能登からもってきた野菜や山菜の精進料理が中心やった。そして打ち上げのしめ
が「寺方蕎麦」。「精進せなあかん」・・・精進って日常に使うけど、奥深い言葉やね。

今日はこれから「卵かけごはん」
味噌汁にも、青大豆の煮汁ベースで、野菜いっぱいの味噌汁をつくっている様子。
二階でパソコンをしてる鼻にいい香りが届く。台所の音とか香りというのは、
「またまた一楽」の風情がある。大根、ニンジンは能登の家の隣の畑産。
「五月菜」なる菜っ葉も近くの直売所で調達してみた。風薫る五月・・どんな味
なんやろ。「五月を食べてみたい」と五感が叫んでいる。おまけは「黒藻」
近くの漁港でおばちゃんが、「これ能登の高級食材」といってすすめてくれた。

夜は「論語の会」。幹事のSさんが九州にもどる前日につくった「わさび漬け」がおくられてきた。
今日はそれを酒肴にみんなで飲もう。日々是好日。

明日は「書の会」
明後日が「おんなかっぽれ」

今日まで京の染めもん展

能登の「寒山拾得美術館」の床の間に、和気亀亭(わけのきてい)の涼炉(りょうろ)がおいてある。
京焼の祖のひとりといわれる陶芸家だ。和気、つまり岡山(岡山県和気郡和気町)がルーツで京都で花開いた。
先週は東京から茶のお弟子さまがきて、「松尾栗園の焼き栗棒」をお茶請けにお抹茶を一服した。
茶碗は久保さんが作った唐津焼に、東大寺の清水公照さんが絵付けをし、絵唐津に
なったものだ。能登の里山に咲く山桜を見ながらの幸せな一刻。

今日まで染めもん展。
京友禅というのも、どうもルーツは京都ではなく石川にあるらしい。
友禅染は、江戸中期に京都東山に住む扇絵師、 宮崎友禅斎(みやざきゆうぜんさい)が創始した。京都のものは京友禅 、金沢のものは加賀友、として独自
に発展してきた。京都よりも加賀のほうが「原点」に忠実にきた、らしい。出生にもなぞが多いらしいが、最近金沢の東山ひがし茶屋街の近くの龍国寺にころがっていた墓石を立てると、それに「宮崎友禅斎」と刻まれていたらしい。京都と金沢の「ひがし」を報復して、友禅染を広げた、それだけで粋なおひとだとわかる。

能登の家は、そのうち女性専用の「(お世話)しあうハウス」にしようかと思っている。シャエハウスではない「しあうハウス」。
人は最後は「ひとり」になる。ずっとひとりの人の割合も増えているようだ。
血縁やお墓などに縛られるような時代ではなくなりそうだ。気のおけない仲間たちが、自分たちの「ぶん」と、
役割を生かしながら、自然の中で協力しながら生きる、というスタイルが始まりそうだし、すでに田舎暮らしにシフト
している人たちも、あまた見かけるようになってきた。仲間が死ねば、焼き場にいき、骨を近くの海で散骨する。「令和の野辺おくり」
「しあうハウス」になっても「ひとりの時間」は大切だ。自然によりそういながら、自分の時間を持つ、そこにの
真ん中には、「お茶」があってほしい、と思う。そうゆう暮らしを目指すといろいろな問題も「なんとかなる」じゃない。

そんなことが実現すると、ぼくは男なので、京都の「祇園」か金沢の「ひがし」の近くの老人ホームに入り、
毎日夕方になると、馴染みのお店にいって、かっぽれでも踊りながら酒が飲めたらいいな、と思う。
年をとってくると、想像力が若いころよりたくましくなる。でも、だから酒がますますうまくなる。

今日は日曜日なのでお店は16時まで。二階の「染めもん展」は、日が暮れるまでやっておりまする。感謝。

「下宿屋」を聞くと、京都にいきたくなるよ

ゆーちゅぶで「下宿屋」で検索すると、京都のよき時代を彷彿させる加川良の名曲「下宿屋」
を見ることができる。

♪京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒いくらいで 丘の上の下宿屋はふるえているみたいでした・・・

ぼくが昭和51年に住んでいる下宿屋は、松ヶ崎というところにあった古い一軒家だった。
窓から「宝が池自動車学校」と「ノートルダム女学院」が見え、そのガラス窓に植木があって、メジロとか
シジュウカラなんかが遊びにきていた。二階には岡山出身の京大生がいて、現役で司法試験に合格し、
酔うとぼくの部屋にきて、「民法はこのダットサンをしっかり読め」とか「おまえの大学の総長・末川先生の権利の乱用は・・」
とか、難しい話を岡山弁でまくしたてた。そして最後にいつも「おまえもしっかり勉強して弁護士になれ」
が口癖やった。「下宿屋」をときどき聴いてみると、そんな昔のことを思い出したりする。

ぼくの朝の散歩コースは、深泥池(みどろがいけ)まで歩き、そこから坂をだらだらあがって、圓通寺界隈を
ぶらぶらするのが好きやった。その坂をのぼったあたりに、陶芸家のアトリエがあった。そこに遊びにいくように
なったのが、いまのような生活をする道につながっているように思う。

平成7年に「天真庵」というギャラリーを池袋に結び、翌年にその陶芸家の陶芸教室に通っていた「富夢さん」
こと野村富造さんを紹介され、毎年「染めもん展」をやるようになった。2011年に富夢さんが風のように
旅立たれ、バトンタッチするように河野夫妻がそれを紡いでくれ、平成から令和に変わるここまで、
20年くらいやっていることになる。歳月人を待たずであり、光陰矢の如しでもある。

河野さんはぼくと同じ年。京都造形短期大学(いまは4年生)の一期生である。
ルーツは九州の海賊の「河野水軍」らしい。そんなこともあり、能登の天真庵の話を
すると目がキラリと輝く。夏のTシャツは河野さんのをよく着る。
よそ行きの作務衣は、「こんなのつくれへん?」と注文してこさえてもらったものだ。
これから隠居は無理としても、スローライフを目指している人は、彼の作る「作務衣」(さむい)
はいいよ。

♪京都の秋の夕暮れは作務衣なしでは寒いみたいで     (ちょっと寒い?)

今年は、和服の生地で、「ペットの洋服」も並んでいる。
元気(ちわわ)が生きていたら、おそろいの浴衣の生地で作ってもらって、江戸のダウンタウンを
いっしょに散歩できたのに・・・なんてことを思ったりした。既製品を6枚くらいもってきて
いるけど、オーダーメイドも承るらしい。着物といっしょに作って、深泥池を散歩・・・
京都道の大学院コースみたいなもんやな~。木屋町あたりは「ニセ舞妓さん」や「なんちゃって着物美人?」
がそぞろ歩きしてはるけど、やはり日本人らしく「ちゃん」と着こなしてほしいもんやね。

そめもん展 ”京の染工房 河野染色工芸スタジオの仕事”

◇こうげいヌーベルバーグの作家小物も販売いたします◇

19日(金)16~19時

20日(土)13~19時

21日(日)13~19時

掃除をするじいさんのことを「掃除じー」という

昨日はふたりの「そうじじー」みたいな人がお店にきた。
還暦を迎えたら、人生が一回りくるっと回って、「ゼロ」にもどる。
そこからは「おまけ」のような人生。あまり無理をせず、老子さんみたいに
「無為自然」にいきればいい、と思う。「なにもしない」のではないよ。
「運命や自然にまかせて、生きる」。「行先は風にきいてね」みたいに飄々と・・
その粋を目指すじいさんも「そうじじ~」

「順受の会」という不思議な論語の会が、天真庵の池袋時代から四半世紀にわたって
続いている。そこの幹事をずっとやってくれたSさんが九州にもどることになり、挨拶に
こられた。ぼくが蕎麦を打つようになったころ、群馬の山の中のキャンプ地に誘っていただいた。
ぼくは、そばを持参し、川の水を汲んで、ガスコンロの火に鍋をかけ蕎麦を出した。
そこの山登りのメンバーたちに、山菜の採り方やキノコの採り方を教えてもらった。
今、「能登と東京の二股暮らし」をやるようになり、その時の教訓が生きている。
というか「人生をゆたかにするコツ」を教わった。

今朝の味噌汁は、能登の門前総持寺(総持寺はもともと能登にあった)の豆腐と、能登の家
から徒歩165歩の海で採れた「わかめ」でつくった。
総持寺は曹洞宗。道元禅師が広めた教え。
道元禅師の書に「典座(てんぞ)教訓」がある。箒をもった「拾得(じっとく)」の心得がかかれたある。
昔から、禅林や絵描きが好んで描いた「寒山拾得」 筆と蒔絵を持ったほうが寒山。「寒山詩」を残した。
相方で箒をもったほうが「拾得」。典座(てんぞ)である。寺を箒で掃き、それを台所の火にくべ、
雲水たちの料理を作った。仕事は下働きのようなものだけど、位はたかかった。
つまり「精神的文化力」は、仕事の内容や貴賤とは関係がない、いうことやね。
道元さんも、箒をもった拾得のほうがえらいと思ったので、お寺を「そうじ寺」にしたのだろうね・・?

夕方は「翔くんのギター教室」のお弟子さまが、蕎麦会をやってくれた。
翔くんは、昨日のブログに登場する「香取神社」の「年番」をやっておられる。
簡単にいうと、お祭りの時にボランティアで、もろもろの掃除やまかないを手伝う人たち。
いまでは「年番」といってもみな馬耳東風というか「???」な感じになっているけど。
一度映画の「みこっちゃけん」を見ると、神社のことがよくわかる。
困った時だけ10円玉もっていく場所ではない、ことがよくわかる映画。

昨日の会に昭和29年生まれのギタリストが参加された。「ぼくはアルチュハイマー」と自己紹介された
彼の人生は波乱万丈に富んでいて、抱腹絶倒な蕎麦会になった。地獄を見た人にしかわからない
ような人生の妙味が話の端々やギターの音に吐露されている。

寒山拾得の絵を描き続け、ニューヨークでも個展をやった南條先生が卒寿(90歳)になった。
それを記念して、地元愛媛の「タオル美術館」で「回顧展」をやっている。17日から来月19日まで。
来月の能登休みは、四国にいくことにした。
「天真庵」のHPの「あかりちゃん」をクリックしたら、平成7年から池袋でやってきた「南條ワールド」
が写真入りで紹介しておりまする。過去はどうでもいいけど、いい部屋でもある(自画自賛)

今日から天真庵の二階は「京都」になる。

27日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

そめもん展 ”京の染工房 河野染色工芸スタジオの仕事”

◇こうげいヌーベルバーグの作家小物も販売いたします◇

19日(金)16~19時

20日(土)13~19時

21日(日)13~19時

じゅっとくさんに、枯葉をもらう

♪枯葉よ~

昨日の深夜、能登から無事もどってきた。
相変わらず、寄り道人生。大泊(おおどまり)という土地名にひかれ、車を海沿いに走らせ、あるお店へ。
海の先には、立山連峰が雪を冠にして光っていた。昔、IT企業をやっていたころ、黒部に取引先があり、
そこの社長が「ここにずっといても、立山連峰が見える日は少ない。しかも見えた次の日は、きまって雨」
だといっていた。

「なら、一緒に登ろ」と、ふいに酔った席でいってしまい、そこの社長と、5年くらい毎年
立山を登山した。今から思うと、ちょっと間違えたら死ぬ・・そんなところもチャレンジした。
「バカげのいたり」だ。でもそのころはお互いに「立山しかのぼらない登山家になろう」と真剣に
話していたことが、懐かしくもあり、若かったと思う今日このごろだ。

今朝は6時過ぎに置き、少し仕込みをして、近くの香取神社に参拝。
いつものように、宮司さんたちが、落ち葉を箒ではいていた。
「箒をもった人」はみな拾得(じゅっとく)さんだ。筆を持った相方が「寒山」
「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)・・・京都なんかにいくと寺の襖絵とか、茶室の軸
に、ふたりの「ぼろ」を着た構図の絵を見かけることが多々ある。
「あ、寒山拾得だ」といえても、その実、その絵が何を表わしているのかわからない。
平成7年から、ずっと「寒山拾得」の絵を飾り、最近は能登に「寒山拾得美術館」までつくったけど、
まだまだ初心者マーク。でも「足るを知る」というのが彼らの役目ではありませぬか?
「知足」。いうは安き・・・安来節より難しい?

思い切って、箒の宮司さんに・・・
ぼく「この葉っぱくれませんか?」
拾得さん「?」
ぼく「能登の家のコンポストトイレに使いたいのですが・・」
拾得さん「???」
でも、結局一袋もらった。迫力勝ち?(大きな50Lくらいな袋)

それをサンタクロースよろしく天真庵まで担いで歩く。途中小学生たちがそろって登校していた。
横断歩道を誘導して渡らせる近所のおっちゃんが「それ何に使うの?」
と怪訝な顔して問う。新しいランドセルを背負った「ピカピカの一年生」が堂々と歩道を渡る。
ぼくも黙って、背を伸ばして、手をあげて、横断歩道を渡った。
ぼくもピカピカの一年生。百姓入門生、田舎暮らしの一年生。

寒山詩を残した寒山を、「文殊菩薩」の化身だと日本人は思ってきた。
典座(てんぞ)のように、箒を持ち、厨房に入る拾得は、「おまけ」みたいな存在やった。
拾得は、何も残さなかったけど、「普賢菩薩」の化身だと日本人は信じてきた。
大塚の「江戸一」をこよなく愛した高橋義孝先生は「寒山拾得を知らない日本人は日本人じゃない」といわれた。

でもよくよく考えると、何も残さない拾得のほうが、おもしろい。彼らの師匠・豊干禅師が「本来無一物」といわれた。
「いくら残した」・・・なんていうのが少し前の日本人がよく口にした価値観。
「いくら残した」よりも「何に使った」というほうが価値がある、そんな時代にシフトしそな時代。
できたら、「陰徳」ではないけど、「人知れず、誰か人のためにお金を使った」人に拍手をしたいし、
何も残さず、死んでいった人に「いいね」をおくってあげたい、そんな時代が「令和に迎えられたら、いいね、」と思う。

一代では何もできないけど、「何をしようとしたか」が大事なような気がする。

艀(はしけ)が水面(みなも)を走る

昨日は「友の遠方より」で、うれしい一日だった。
朝漁港ではかなぶりに終わったけど、季節の山菜などが台所にあり、
東京からそばの「かえし」や「甘醤油」などを持ってきていたので、
地産地消の酒肴を並べることができた。

11時に近くにある「棚田」のビュースポットで待ち合わせ。その前に徒歩20分
のところにある「よろずや」さんにて、「能登ワイン」を買った。
歩きながらショートメールをしている間に、軽トラにのったじいちゃんたち5人に話しかけられた。
わざわざ止まって、「今、きとるんね」とか「やっと暖かくなったんで楽しんでいって」とかいわれて。
こちらも少しずつ、「顔」と「名前」を覚えてきた。でもすれ違う人は「東京から移り住んできた奇人変人」
として、気さくに話かけてこられる。またまた一楽。

能登ワインはまだあまり知られていないが、能登も「人生フルーツ」よろしく、ぶどうやブルーベリーなどがおいしい。
11時に東京から車できた友人が到着。
客人の奥方が佐賀出身なので、昨日は「青花」のワインブラスを使ってブルーベリーワインで乾杯。

その後珠洲のホテルのチェックインがあるので、2時くらいを予定していた様子だが、談論風発が
止まらず、機関銃トークが続き、ここを出発したのが4時過ぎだった。
〆にお抹茶を入れた。お茶うけの「松尾栗園」の栗菓子は筆舌を超えたうまさだった。能登栗もうまい!
友の遠方より来る またうれしからずや、だ。

今朝は久しぶりに海が凪いでいる。こんな日は、男たちが艀(はしけ)、伝馬船(てんません)ともいうが、
木製のボートにエンジンがついてる子船を沖に走らせる音で目が覚める。ビニールゴミをだしにいったら、
砂浜においてある舟が空っぽだった。おばあちゃんたちは、岩場で義馬藻(ぎばさ)や、わかめをとっている。
田圃をやる男たちは、トラクターを運転しながら自分の田圃をめざす。山に入ると、山菜のオンパレード。
9割くらいが後期高齢者を超えた人たちだけど、自然によりそいながら、自然のめぐみをいただいている自然な姿
には、いつも感心させれる。「ほんとうのゆたかさ」とは、こんな暮らしではなかろうか。都会ではむずかしいが・・

今日は東京に向かう日なので、また徒歩片道20分の「よろずや」にいき、四方山話をして、パンと野菜ジュースを
買って今かえってきた。これから寄り道をしながら東京を目指す。
人は実相世界(あの世)と現象世界(この世)を往復しながら、修行をするらしい。
東京と能登の「二股暮らし」も、そのような転生輪廻を生きていながら体感する、そんな風情がある。感謝。

海は広いな大きいな

今日は燃えるゴミの日。
海まで165歩くらいだけど、少し坂になっている場所に、
風よけのように、鰻の寝床よろしくの集落。
みなさん漁師とか、外国船や国内の汽船の乗組員だったりした人ばかりで、
「海」と生きてきた人ばかりだ。だから人間性も大きく、世界的な視野でものを考え、生きているような人たち。

農業に使う一輪車や、軽トラにゴミ袋を積んで、海の見える「ごみ捨て場」にもっていく。
その横に、ベンチとテーブルがあり、昼間はおばあちゃんたちがお茶を飲む場所、
朝は舟がだせないような波であっても、じいちゃんが海を見ている。
ぼくも海を見ている。人はみな海から生まれてきて、海に帰っていく。

今回は二度も「燃えるごみの日」があり、合計10袋くらい出せた。粗大ごみも燃えないごみも
ダンボールの日もあり、部屋がだいぶかたずいた。
器もくぼみがあるから用の美となる。お部屋も空間があるから用をなす。老子の言葉だ。
人の頭も「空っぽ」にさせることによって、新しいコトが始まる。でもなかなか日常に流されて
いると、そうはいかないのが人間の性(さが)だ。

昔の「ゼロの焦点」のロケ現場になったところであるが、その映画さながらの風景である。
ゼロの焦点のクライマックスは、ヤセの断崖。ここから600mのところにある。その
並びに「義経の隠し舟」がある。兄から追われ、奥州に逃げる前に、能登にいる妻「わらび姫」
にあいにいった軌跡が界隈にはいくつもある。弁慶と碁をやった場所、弁慶が切った岩、義経が篠笛を吹いた岩・・・
半官贔屓の日本人は、義経が大好きだ。

今日は東京からお客さんがくる。朝起きて近くの漁港に買い出しにいく。
ここ二日ばかり海が荒れていたので、市場は休み。世界中から冷凍された魚
が飛行機にのってくる豊洲とは事情が違う。
地産地消で、ここでとれたものを使ってもてなすとしよう。

明日朝に東京に向かう。木曜日がギタリストの翔くんが蕎麦会をやってくれる。
終末は京都風になる。池袋時代から続いている「染めもん展」

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27日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

のむら暮らし ぱあと2

昨日は「波並(はなみ)で花見」だった。梅茶翁は、珈琲(ほぼぶらじる)を供するお店を出店。
まきり包丁が有名な「ふくべ鍛冶」さんや、漁師さんがやっている民宿、狩女のカレー(ジビエのカレー)、
豆腐屋さんのおからドーナツ、栗園の人がつくった栗羊羹、能登牛丼・・・能登町界隈のがんばっている人
たちが、勢ぞろいしていた。野外ステージでは、歌あり、フラメンコあり、多士済々のアーチストたちが出演。
あいにく午後から雨が降ったけど、たくさんの人たちとふれあえた。

会場になった公民館兼保育園は、この「波並で花見」を含め、いろいろなふれあいイベントが評価され、全国
の公民館の大会で金賞をとった、らしい。能登の子供たちも、遊び方、食べ方、泣き方、みなワイルドで元気。
自然にむきあい、海山のものをいらない加工を加えてないものを食し、早寝早起きして体をめいっぱい動かしているからだろう。
とても貴重な花見を体験させてもらった。
能登にある遺跡の四平方メートルくらいの広がりの中には、海あり、山あり、川あり、沼あり、森林あり、潟ありの
地形だ。縄文人たちの英知や自然に対する畏敬の念など、自然の神に対しての「宗教心」みたいなものは、
日本人のこころの原点ではなかろうか。

家に帰ると、隣のおばあちゃんが「さかながはいっとったけん、お裾分け。」(刺し網漁をしておられる)
といって、カレイ、ハチメ(めばる)、アイナメなど10匹くらいいただく。
ちょうど三輪福さんから、お手製の「アップルパイ」をいただいていたので、半分をお裾分けして、「原始的ぶつぶつ交換」ができた。
さっそく、ふくべ鍛冶のまきり包丁をだして、カレイを5枚におろし、アイナメも刺身にした。
白身の刺身を久保さんの絵志野の四方皿にのせると、料亭の逸品になる。(自画自賛)
ハチメは、神子原(みこはら)村の村営の売店で買った生姜を使って煮物にした。
竹葉という能登の地酒を、囲炉裏の五徳の上の鉄瓶でぬる燗にして飲む。幸せな一刻。

能登の「のむら暮らし」もだいぶ自然になってきた。天真庵のHPの「遊山」を「のむら暮らし」に変更。

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20日(土)13~19時

21日(日)13~19時

27日(土) 成川正憲ギターライブ

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19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

のむら暮らし

昨日は、いただいてきた「有楽椿」を挿し木にした。
織田有楽は、織田信長の弟で、武将であると同時に茶人やった。
不肖のむらが先生をやらせてもらっている織田流煎茶道も、
有楽翁を初祖とする。♪有楽町で逢いましょう
の有楽町も彼の屋敷があったところから命名された。またまた一楽。

木のプランターに鹿沼土を入れ、花はもったいないけど切り落とし、
葉も三枚くらいにして、斜めに土にさし、水をあげる。東京でも
この方法で、椿を育てているので、きっとうまくいくと確信している。

倉庫の隣にある畑を耕していたら、隣のおばあちゃんがやってきた。82歳。
おばあちゃん「土がふわふわになってよかったね。(耕して、雑草がなくなり、石や根っこがかたずいた状況を、かく語りき。)」
不肖のむら「まだまだ初心者なんで、いろいろ教えてあげてくだ~さい」
おばあちゃん「なにを植えるかね」
ぼく「からみ大根と九条ねぎを植えようと思うとる」
おばあちゃん「そりゃ、まずいし、いいがね」(いのししにとって、まずい。だから荒らされない、という意味)
「じゃがいもなんかつくると、すぐに掘り返しにやってくる。」
ぼく「人は襲わないのでしょ?」
おばあちゃん「去年、知り合いのじいさんが、やられた。まっすぐかけてきて、前にいた犬
が逃げて、じいさんの股間にぶつかった」(そういって、股間に手をやって笑った)」
ぼく「じいちゃんの大事なもんがのうなった?」
おばあちゃん「いや、めすのいのししやったんで、少し傷ついただけでよかった、ゆっとったわ。
オスだったら、切られていた、ゆうとった」といってまた笑う。
ぼく「メスやったから、股間を狙ったんじゃない?オスやったら、うしろからけつの穴を・・」
といいかけたら、おばあちゃんはケラケラと声を出して大笑い。
そして「男も女もへその下が大事やけんのう」といって、鷹の爪をくれた。

それを畑にまくと、猪がこなくなるらしい。おばあちゃんがかえって、鷹の爪を
手でこまかくして、畑のまわりにまいて、五月の陰で仕上げに立小便をした。
ばあちゃんは、この五月の花咲くのを楽しみにしている。
へそから下の大事なところが、ヒリヒリした。これも田舎で生きている証だ。
今日のおばあちゃんの会話は、話の筋はノンフィクションだけど、方言はめちゃくちゃ。堪忍。

これから、三輪福さんたちにあいにいく。能登町の「波並」(はなみ)という場所で花見のイベントがある。
「能登くらし」の入門編みたいな「のむら暮らし」