巣ごもり生活

東京にいて、人と会わず、お店もあけず、じっとしている、
という初週間。
時間はたっぷりあって、読む本もたっぷりあって、ある意味充実しているようだけど、
「これがいつまで続くの・・・?」とか考え始めると不安になる。
でも、どんな環境の中にいても、「今やれること」を見つけて、うきうきしながら
体を動かしていると、そのことに没頭できるものだ。

昨日は気分転換に、千葉の農家に今年の収穫計画の打ち合わせにいった。14年前にお店を始めてからずっと
蕎麦の栽培をお願いしている。酒々井(しすい)に畑と蕎麦屋「石臼自家挽き蕎麦 みなもと」がある。
蕎麦の種を蒔き、育て、花を愛で、収穫した実を自家製粉して、お客さんに
供しておられる。これからみんなが目指す「最強の六次産業」(種まきから収穫、加工、販売まで自分でやる)。
自然にふれあう、ということで、自分をみつめ、また自然という他力から恵をもらったり、力や生きるヒント
などを教えてもらったり・・学ことばかり。

白い華憐な花が咲くころは、表の縁台でそば畑の景色を見ながら蕎麦が手繰れる。
またその時期は、木の箱を置いて、養蜂もおこなっている。
できたそばハチミツは、アイスクリームにかけると美味い。
天真庵の「そばやのアイスクリン」は、その畑の副産物でもあるハチミツを
バニラアイスにかける。まさに「大地のおくりもの」やね。
スプーン一杯のハチミツは、一匹の蜂が生涯かけて集めた量。「いただきます」に気がこもる。

帰りは千葉街道をゆっくり東京に向かって走ってかえった。
四つ木あたりの大橋を渡ったあたりで、「そや酒を買いにいこう」と思い、
これまた開店以来お世話になっている杉浦酒店にいって、「帰山」(きざん)
という長野の蕎麦焼酎と、いつもの「花」という佐久の蕎麦焼酎を買ってかえった。
「帰山」・・・・自然にもどろう、というメッセージのことだま。お店を改装して
いる時、「野村さんの今の生き方にぴったりだと思って」ということことで、当時
溝の口に住んでいた文庫ちゃんが差し入れてくれた。その縁で、杉浦酒店とつながっていく。
そして、すぐに文庫ちゃんも押上に引っ越してきて「押上文庫」というお店を始める。

必要なひととは、はやくもおそくもなく、ちょうどいいタイミングで出会っていくものだ。
邂逅(かいこう)の妙がわかってくると、酒がますます美味しくなってくる。感謝。

墨だ!墨だ!一瞬にして自分の精神的文化力をアップ!

月曜日の営業が終わったら、能登にいく予定だった。
今年のテーマは「なにも決めない」。これまでもそうだけど、
「無目的」に生きていこうと思っている。ただ、「今ここ」
には、ウキウキとほとばしるような思いと、笑顔と感謝を
忘れずにいたいと思う。シンクロ時代には、「うきうき、笑顔、感謝」
は大切なキーワードでもある。

結論からいうと、能登にはいかなかった。能登の家は、二回目の改装をお願いしていて、
その出来上がりを見るのが楽しみでもあったけど、雪の中に閉じ込めれるのも、九州産の
温室育ちの身には、ちーときついか?などと思い。今回は東京にいることにした。
お店を開くのもいいけど、開き直って、来週の金曜日まで休みにする。
その後は25日から2月いっぱい、ひょっとしたら3月初めまで「味噌作り」で、能登にも外にも
いけないような毎日になるので、これでいいのだ精神で、サボール。

昨日は上野の骨董屋の店主から「いい蕎麦猪口が入った」と連絡があった。一時間くらいかけて
押上から上野まで歩いていった。
天真庵で使っている蕎麦猪口は、ぜんぶ久保さんにお願いしている。
京都の骨董屋で見つけた古伊万里のこぶりの蕎麦猪口のサイズにしてもろうて、織部や唐津や黄瀬戸などで
つくってもらった。ときどき蕎麦会をやる南島原や能登にも、半永久的に預ってもらっている。
もともと伊万里の蕎麦猪口は、世界中に「フリーカップ」として輸出されていたもので、珈琲や紅茶など
はそれで飲んでいた。マイセンが磁器を発明したのち、グリップがついて逆輸入されるようになり、島国日本の
いなかもんたちは「すてき~ ボリボリ」よろしくグリップに小指をたてたりして、珈琲を飲むようになった。
「らしい」歴史である。

昨日は、買ってきたきた蕎麦猪口に日本酒を入れて飲んだ。最近は、一升瓶よりも四合瓶で買う左党が多く、
徳利を使わず、いきなりぐいのみスタイルが流行っているらしい。あまり品はよろしくないが、小ぶりの蕎麦猪口
に6勺ほど入れて飲む、のも悪くない。でも独酌の時は、せめて「折敷」(おしき)と、その中に「向う附け」
はほしい。久保さんの織部の葉皿に、蕎麦豆腐をのせたら、きまった。きまりすぎて、4合瓶がすぐ空になった。
ぼくはやっぱり、一升瓶派だ。

骨董屋からの帰り、神谷バーの前あたりで雪が降り出した。急ぎ足で橋を渡って、「うんこビル」の下あたりにある
「ギャラリーアビアント」に雪やどり。17日まで、新春企画10周年の「墨だ!展」を開催している。
天真庵ゆかりの生井厳さんや、沢村澄子さん、宇野マサシさんたちの書が展示されている。宇野さんの「母」に捧げる
ような思いを揮毫したものには泣かされた。さすが・・・
また、大好きな熊谷守一や、莫山先生の書も展示されている。色紙に書いた「夢」という岡本太郎先生
の書もよかった。「いくつになっても、夢を見なくなったら、人間おしまいだ。爆発やで・・」
という声が聞こえてきそうだった。出歩くのもままならぬ気配が漂うけど、文人たちの生きざま
が憑依したような墨の芸術というのは、一瞬にして人生を変えてくれたりする「力」をもっている。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

大震災の年から始めたので「月曜の朝は卵かけごはん」
も10年を迎える。普段は「そば」を中心のメニューにしているので、「ごはん」
はメニューにない。池袋にいたころから「手前味噌つくり」をやっているので、それの消費
や、味噌作りや具沢山の味噌汁を使った一汁一菜のすすめ、みたいなこともあり、
「月曜の朝は卵かけごはん」になった。ちなみに、野村家の朝ごはんは、ほぼ毎日が「具沢山の味噌汁の一汁一菜」
である。休みの日のときどきは、ガレットにシードル、という日もある。そばピザにビールという朝もある・・

今月25日から「手前味噌つくり」が始まる。最初はそんな「当たり前のこと」を人に伝授するとはおもわなんだ。
大阪弁まるだしのお客さんが「教えてくれへん」と熱心に頼むので、「ええよ」ということで、筆子さんとの
一対一の味噌作りが始まった。初年度は「生徒はひとり」だ。それからこっち、ほとんど口コミで、ねずみ算みたいに
増えてきて、ここ最近は100人以上の人が、参加されるようになった。今年はシンコロ騒ぎで、遠くのお客さん
なんかがこない。半面、最近お客さんになった人たちが、細菌の菌活に興味を示して参加してくれるようだ。
夜の寺子屋は、昨年から中止したまんまやし、「そろそろ能登に完全移住しようか」と思っているけど、
この「菌活娘」たちをほったらかしにできへんので、そろそろ後釜をつくらねば、などと思っているけど・・・

昨日は今年はじめての「満まめ」の会だった。ま~君の気功整体。今年も月ふつかのペースでやっていく
けど、しばらく満席みたいで、ぼくが受かられていない。そもそもはじめて彼にあったのは、ぼくが50代後半で
「五十肩」に悩んでいた時。お客さんに「凄腕の整体師がいる」といわれ、連れていってもろうた。一時間ほど
施術してもろうたら、すっかり体が楽になり、向島から押上までスキップして帰ったことを昨日のように覚えている。
その後、自転車を忘れたことを思い出して、再度スキップしながら一往復した。
彼はそれからどんどん腕を上げ、最近はみんなの施術をおえ、蕎麦を手繰り、帰る間際に一分くらいで、
カウンターの外から気を入れてくれる。5年くらい前に、一時間かかったことを、手もふれずに、一分で
楽にしてくれる。昨日は仕事が終わり、普段は「蕎麦焼酎のそば湯割り」を5杯くらい飲むのだが、3杯で
睡魔が襲ってきて、気がついたら朝だった。日本海側の大雪のようにどさっと、気が天から降ってくる感じ。

周波数とか波動みたいなもんだけど、なんか時代の波動も変わってきたけど、それに気づきのあった人たちの
レベルが急にあがってきているようにも思える。
「大変な時代」のように思えるけど、きっと「神のはからい」があるのだと思う。天恩感謝。

キャラメルひと粒300メートル そばをひと手繰り30キロメートル

先日、若いカップルが蕎麦を手繰りにきた。
女性が二階にあるトイレから降りてきた時、「タイムスリップしたみたい~」
というので、「昭和みたいでしょ・・」と答えたら、「私、昭和は知りません」とのたまわれた。
なるほど、昭和は遠くになりにけり、だ。

先月中ころを、派手なジョギングウェアーを来ている昭和人(しょうわびと)が蕎麦を手繰りにこられた。
「毎朝、ジョギングする時にお店の前を通って、いつか食べてみようと思った」が第一声だった。
よくある日常のことなので「そうですか、それはどうも、ありがとうございます」と答えた。
帰りに「持ち帰りそば二人前」を土産にして帰られた。
それからこっち、一週間とあけずに、6人前の持ち帰りそばを所望される。
「96歳の義理の母が無類のそば好きで、ここのそばなら毎日食べたい、といってます」とのたまわれた。感謝。

昨日は・・・
前日6人前のそばを買っていかれたにもかかわらず、「母が、『能登休み、になる前にそばを買ってきて』というので」
とのことで「8人前をお願いします」と言われた。
義理の母が96歳・・・ということは、このジョギングスタイルの昭和人は、ぼくと同じく昭和30年前後かしら、
などと思い・・・・「失礼ですが、ぼくもマラソンをしていましたが、毎日どのくらい走るのですか?」
とたずねたら、涼しい顔して「今日は30K走った後、ここにきました。」とのこと。
フルマラソンは40kちょいなので、ぼくも大会の前は、そのくらい平気で走っていたけど、60代で
30kを朝飯前とは、達人というか狂人いや強靭な体に持ち主だ。

長いつきあいになるそうなので、個人情報なんらかに抵触しそうだけれど「おいくつですか?」
とたずねた。「何歳に見えますか?」と問われたので、「六十・・・・八、いや九・・」とかはっきりしない
返事をしていたら、「とんでもない。わたくし昭和一五年一〇月一〇日生まれで、81歳になります。名前は○○・・」
と、箸袋に名前を書かれ、「これからも毎週きますので、末永くよろしくお願いします」と丁寧なあいさつをされた。
「こちらこそ」と頭(こうべ)を45度以上深々と下げていたら、頭ごしに、「ちなみに、一昨年の東京マラソンは
4時間38分でした」とのこと。しばらく頭を持ち上げれないくらい恐縮した。

先日、歩いて錦糸町のブックオフに古本を買いにいき、帰りに石原町の「豆源郷」で豆腐を買って帰り、
「いい運動した」なんて思っていたけど・・・・・ジコマもいいところだ。

今日は「満まめ」。シンコロの時代。やはり体のケアは大事。いきなり30Kは、ステーキ喰うより無理があるけど、
一歩一歩鍛えていけば、いつか(まさか、目標を80歳にしては間違い)は到達できるに違いない。みんな元気でがんばろう!感謝。

明日は旗日だけど、月曜日。
月曜の朝は卵かけごはん。

切り上げ剪定  今年から土曜日も、16時で切り下げ営業?

今年は、土曜日も日曜日も、16時で暖簾を下げ、それ以降は「蕎麦打ち教室」&「珈琲の焙煎塾」ときどき「金継ぎ教室」
というスタイルに変更する。
居酒屋さんあたりが午後8時まで、という要請は、いきなり飛車角抜きで将棋をするようなものだが、
昼営業の飲食店も、これまでと同じスタイルで営業していても、「坐して死を待つ」ようなものだ。
昨年は「テイクアウト」や「ライブ配信」や「オンライン飲み会」など、新しい生活スタイルが始まったけど、
どれもが持続可能なスタイルかどうか、今年あたりに結果がでると思う。

うちも年末にライブを再開したけど、今年のスケジュールは白紙。ここから配信、というスタイルなら、
何もやらないほうがいい、と思い、しばらくはお昼の営業を中心にやっていくつもりだ。
「そば」と「珈琲」と、どちらもこだわれば一生かかっても、「よし」と及第点をもらうまでいかないような世界だけど、
昨年は「かえし」の作り方を、Oからやりなそし、3種類(もり・かけ・料理用)を完成させた。
珈琲は、原点にもどり、「モカ」をくわえて、4種類の豆のブレンドで「新ほぼぶらじる」ができた。

このブログには写真を載せないことにしているけど、天真庵のHPに、「のむら暮らし」という部屋があり、
先日の「ことはじめ」にやった梅の剪定の写真をアップした。
「桜切るばか、梅切らぬばか」。金沢文庫に移住した「NUSUMIGUI」くんちの庭の梅が、もうすぐ春を
迎えようとしている空気感がいい。
「自然にふれる」ということは「自分をみつめる」ことと、同意義。
昨日からまた「ステイホーム」と、犬をしつけるような言葉で、みんな家に閉じこもりを余儀なくされているけど、
朝日をあびたり、公園や近くを歩いたりする自由は許容範囲ではなかろうか。もっとも、偉い哲学者さんがいったように
「もしかしたら、人間は自由になることを恐れている?」と思うようなこともある今日このごろ・・

というわけで、本日は16時まで。
明日は「満まめの会」がある。営業は16時まで。
明後日は旗日だけど、朝は卵かけごはん。
火曜日から「能登休み」
25日から「味噌作り」
2月は、毎日が「味噌つくり」

いたってシンプルなスケジュール。

巣ごもり時代に手前味噌を貯める。

昨日は「珈琲の焙煎教室」
新人さんは、「ほうろく」で生豆を煎ってもらう。
ほうろく、いうのは、もうろくすると使いこなせないくらい繊細な道具だ。
本来は、ゴマやお茶を焙じてきた道具。
先月、銀座の「隕石直売所」の王子が「ほんものの蕎麦茶を飲みた~い」
とメールがきた。

収穫した蕎麦の実の外の殻をとったものを「丸ぬき」という。
それを石臼でひくと、蕎麦粉ができる。その「丸ぬき」をほうろくで煎る、
と蕎麦茶ができる。ビタミンやルチンがたっぷりで、血管を若返らせ、成人病の予防や
血圧の調整などによい。出し殻を、ほかほかのごはんに入れて混ぜると「そばめし」ができる。
蕎麦懐石などをやる時に、最高のおもてなしになる。それを飲んだ王子から「最高の蕎麦茶を堪能できました」
とお礼のメールがきた。追伸に「まさかの時代は、お金よりも隕石に投資するかしこい人が多くでてきてま~す」とのこと。

火曜日にいった金沢文庫の「nusumigui」くんちも、フライパンで珈琲豆焙煎していた。
これからまた「巣ごもり」の時間が多くなる。

朝一杯の「珈琲」や「お茶」も、ほうろくやフライパンを使って、「自家焙煎」するのもいいことだ。「ゆたかで至福時間」

明日は土曜日。
今年から「土曜日の営業」も日曜日と同様、午後4時までとします。
それ以降は「焙煎教室」「蕎麦打ち教室」その他(金継ぎetc)の時間にいたしまする。

今月25日から「菌活」(味噌作り教室)が始まる。巣ごもりのため、人数も仕込まれる量も、シンコロ時代
を反映して、多くなりそうな気配。
お金よりも、健康とか友達とか、これまでとは違う「優先順位」で、生きていく時代。
政府も、シンコロ対策に右往左往している。大事なことは、「自分らしく生きていく」こと。
右か左か迷ったときは、自分のこころが「快」と思うほうに迷わず、笑いながら足を進めとると、神様も「よし」
と笑ってまもってくれる。感謝。

おせち料理を、NUSUMIGUI

「nusumigui」と検索すると、素敵なファッションの世界へ誘われる!
3年前まで、墨田区にいた若いふたりが、金沢文庫に引っ越しをし、衣食住、
とりわけ「衣」に関して、自分たちの世界を世界に発信しておられる。
めちゃくちゃセンスがいい。昨年の冬至からこっち「風の時代」になった。
風の時代のエッセンスは、「センスのいい生き方」。センスいうのは、努力よりも生まれつきの
もんかもしれへんけど、これからの時代にはみな必要になってくるので、「わからない・・ボリボリ」
いう人は、nusumiguiにいって、盗んでほしい感覚だ。

今日は、年末年始を、寄る年波もどこふく風のように、飛ばしたご褒美に、代休にして、
金沢文庫の「nusumigui」にいってきた。庭に梅の木があって、「剪定のしかたを教えてください」
とのSOS兼「遊びにきてください」のお誘いメールに誘われ、またがり旅行中止の雰囲気だだよう中、
長靴と軍手と剪定ばさみを車に積んで、マスクしていってきた。

30年くらい前、取引先であり、弟のようにかわいがっていたボンが、秋葉原でITの会社をやっていたんだが、
武運つきて破産し、奥様の実家がある金沢文庫へ、身を寄せた、つまりは夜逃げしたことがあり、ボディーガード兼運転手で
金沢文庫へいった、それ以来久しぶりの文庫だった。

午前中、得意の剪定をし、午後はプチお屠蘇の会。
ハーブ畑の中に、真のようにデンと真ん中に鎮座する梅の木を見ながら、
ワイン片手に、ふたりがつくったおせちを酒肴に談論風発。剪定したての梅の枝に、メジロ、シジュウカラ、ジョウビタキ、モズたちが遊ぶ。
「おせちをnusumigui」したような幸せな気分がした一日。天真庵から買っていってくれた久保さんの器たちも、別天地で大活躍していた。

風雲急を告げる、というか、新年からまた「緊急事態宣言」で、暗雲たちこめる新年。
ちゃんと信念をもって歩いていかないと、鬱になりそうな気がする。
今年は去年以上に「大変な時代」になると思う。
鬱になることはさけたいけど、鬱という字が手書きで書けるようにしたい。
5年くらい前、銀座で骨董屋をやっていた「一楽堂」の主人に、5分で鬱がかけるようになるコツを教わった。
「リンカーンは、アメリカン珈琲を、三杯飲んだ」・・そんなことやった?
一億総鬱・・・でも発想をかえると、明るい明日が待っている。政治家も経済人も評論家も「鬱」な顔している。
こんな時こそ「笑顔」で明るく生きていきたい。元気な笑顔を広げる人が活躍する時代。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん・・手前味噌作りも始まる始まる

2011の春、大震災のころから、「月曜の朝は卵かけごはん」がならわしになった。
家庭で朝ごはんを「ぬき」にする人や、ごはんよりパン党がはばを利かせる時代に、逆行
するメニューではあるが、「菌活」(味噌つくり)をすすめる身としては、みそ汁の実も
工夫しながら、なんとか継続は力よろしく、日本一の「朝定」をめざしている。

毎月、能登へいく道すがら、長野の松代や小布施のパーキングで「朝亭」を食べるのが楽しみだった。
過去形にしたのは、そこの朝亭には、「さばの塩焼き」があった。シンコロのおかげで、確かに利用者も
減ったことが原因かも知れないけど、「さば・・」がメニューから消え、「朝そば定食」が中心になった。
自称「無類のそば好き」(ほんとは、うどんのほうが好き?)、とはいえ、朝から酒、や、さば、ならとにかく、
そば?といった感じだ。最近はそのふたつのパーキングをパスして、能登島の「みず」まで走り、「さばの塩焼き定食」
を食べるようにしている。

「神のはからい」のように、シンコロさまがまた勢いを増し、わたくしたちの暮らしを止めようとしている。
天真庵も夜の勉強会「寺子屋」が、ぜんぶなくなり、「二階で普茶料理」も「ライブ」もしばらく白紙の状態。
ただ時代を反映して、「蕎麦打ち」や「珈琲塾」の人が増えてきた。日曜日だけでは間に合わなくなってきたので
来週から「土曜日も16時まで営業 その後は「蕎麦打ち教室」に、することにあいなった。

そして、今月25日あたりから「手前味噌つくり」が始まる。
うちの常連さまで、6年くらい前に大分の「耶馬渓」(やばけい)に移住し、無農薬で米と大豆を
つくっているTくんの大豆をメインに、100人以上の人の味噌をいっしょにつくる大イベント。
一昨日あたりから「今年もやりまっせメール」を配信し、「お願いしますメール」のレスポンスが
、これまた時代を反映して、いつもよりはやい気がする。
そして、つくる量も「巣ごもり時代」に合わせ、増えているような気がする。

「火曜日の朝はガレットと珈琲」・・・「彼とガレット」・・・
開店したころから、ひそかにねらっていたけど、やはり日本人の朝ごはんの中心には「味噌汁」と「ごはん」の
一汁一菜にもどすほうが、精神的にも肉体的にも健全なような気がする。感謝。

オンラインでは埋められない・・

今朝の朝日新聞の一面に、そんな紙面がのっていた。
シンコロ時代になって、いろいろな事情で離ればなれになったり、離れたところに住む
恋人たちが、ときどき、「リアル」にあって、昔流行ったシンデレラエクスプレスを待つホームで
ハグしたり、マスクしたままキスをしたりする刹那の週末が書かれていた。音楽もエンターテイメントも恋もリアルがいい!

今年の年賀状で、皮ジャン来てバイクにのった友達Sの写真があった。小学校時代からの親友で、
名古屋郊外に住み、悠々自適な隠居さま生活をおくっている。
高校は別々の福岡県立の高校だったけど、予備校は、いっしょに小倉の「北九州予備校」に通った。
厳しい予備校だったけど、授業が終わると、よく茶店にいき珈琲を飲んだ。
小学校のころ、彼の家には、立派なサイドボードがあり、ジンとか目面しいウィスキーなどがそろっていて、
三交代(新日鉄の城下町だったので、親が不規則に働くのが一般的やった)で、親がいない昼間に、
よく酒をくすねて飲んだ。大人になってからは、彼は下戸に限りなく近いことが判明し、小倉の街では珈琲を飲む思いでしかない。

大学は地元の大学に入学。ぼくは京都の大学にいくことになった。普通なら、このあたりで、別別な人生をおくるようになるハズだが・・
昭和52年大学二年の時、「彼女が名古屋にできた」と告発された。新幹線は福岡-名古屋は昭和50年に開通していたが、学生の分際でちょくちょく
いく余裕はなく、若いふたりの交際を親が認めるような時代でもなく、悩んでいた。それに比べ、小生は、そのころから、ノー天気で、極楽トンボ
よろしく生きていた。アルバイトだけど仕事もちゃんとしていたので、大学一年の時は、車ももっていた。帰省するのも、車を走らせ関門海峡を渡る時に、
「無法松の一生」などを口ずさみながら走ったものだ。それから2年、帰省した後、京都に向かう車にSが同乗した。お金がなかったこともあるけど、そのころは山陰道
は全部できていなかったし、山陽道はまだなかった。だから京都までは、下道の国道を走っていった。

京都のアパートまでたどりつくと、そこで雑魚寝の一泊をし、Sはぼくの車を運転して、名古屋までひとりでいった。
「惚れて通えば、千里も一里」とは、こんなことだろう、と身をもって教えてもろうた。残念ながら、
それからこっち、そんなロマンティックな恋物語が自分の歴にはないけど、Sの恋物語を少しシェアしたような気分やった。
彼女と会うまでの時間、喫茶店でその当時流行っていたインベーダーゲームをやっていたらしい。「名古屋打ち」
という名古屋のご当地戦略法も身に着け、一度見せてもらったけど、元来方向音痴と機械音痴なので、名古屋も京都も
明後日の方向やった。

その後、名古屋の建築会社に就職し、その子と結婚し、ふたりの子供に恵まれた。
名古屋と能登は近いので、今年あたりは能登で飲もう(珈琲か)とか思っている。感謝。

今日から 蕎麦はじめ

年末は、早朝からばんばんそばを打った。
「そばもん」たちも、たくさんきて蕎麦を打った。
いつも、そのテンションで新しい年を迎える。
今年はどこにもでかけないし、本日12時から暖簾をだしまする。

そんなわけで、元旦の昨日の午後から、珈琲の焙煎をしたり、蕎麦の汁を
つくったりで、仕事モード。夕方陽が落ちるころ、一段落して、お茶を一服。
31日に足がおぼつかなくなった常連さんの家に、年越しそばを届けたお礼に、
梅鉢屋さんの野菜のお菓子をもろうた。それをお茶うけに、星野村の玉露を煎れた。
梅鉢屋さんは、12月に長い歴史の緞帳を下げた。「お茶を飲む」という日常茶飯が
この国になくなりつつある象徴みたいなもんだ。一抹の寂しさを感じる苦みが玉露にでた。

それから、年賀状を書いていたら、甥っ子姪っ子から「あけましておめでとう。お年玉ありがとう」電話。
毎年正月はみんなで集まって、「新年・自分で鮨をにぎる会」をやるのが、ならわしになっていたけど、
今年は中止。なので年越しそばといっしょに、お年玉を忍ばせておくった。
小4のかのんが「えいちゃん、明日みんなでそばを食べにいく。私はトンサマ」と、一人前の口をきく。
昨年から「着物の着付け」に興味を持ち、筆子さんが指南している。

今年の年賀状は、同年代の友達たちが、革ジャン着てバイクにのっている写真や、畑仕事、釣りを
している写真などが、目だった。「まだ老いてたまるか」の気骨があっていい。
若い、と、老い、に年齢の基準はない。65歳以上を高齢者といったり、75歳以上を後期高齢者とか、
勝手に枠組みをされるのは、こまる。何か新しいものに挑戦しようというパッションがある限り、
みな青春の真っ只中。「能登のタコを昨年11尾釣った。今年はおか釣りにも挑戦」と返事を出した。

そういえば、こないだ、N響のMくんがそばを手繰りにきた時、釣り談義になった。新婚のチェリスト。
ぼくが「舟釣りが多いの?」と聞くと、「いえ、オカ釣り専門です」と真顔で答えた。
「ふ~ん。では彼女は、おか釣りで釣ったの?」と聞いたら、「いえ、彼女は釣りはやりません」と答えた。
まじめな青年と、ちょい悪オヤジのかみ合わない話が、なんだか季節外れの寒風のように流れた。
やはりこれも「風の時代」のはじめり、みたいなもんでしょうか?
「おか釣り」といったら、女性をナンパする意味で、私たち世代は使っておりました。広辞苑に
のっているかどうかは、さだかではありませんが・・  感謝。