UFOが珈琲カップをのせてやってきた!

昨日の朝は、UFOにのって、「隕石珈琲カップ」の荷物が届いた。陶芸家の久保さんからの荷物。
さきごろ、銀座に不思議なカフェができて、「隕石カフェ?」とかいったかいな?
松屋の裏かわにあるらしい。そこから、「隕石珈琲カップ」が大量に注文があったので、本日
発送する。ぼくは、ずぼらん、で、取引先なのですが、まだ一度もいったことがない(笑)。
エスプレッソで珈琲を淹れるらしいので、それように、能登で炭火をつかって試行錯誤を
やってみた。企業秘密(ぼくがそうゆうときは、ほぼばらしていることが多い。でもまねするバカはいない)
なのだが、能登の霊水で生豆を洗い、タオルで丁寧にふきとって、ワカメを干す笊で陰干しをして、
炭火で焙煎をする・・・・

そんな秘密話を久保さんとしていたら、さすが穴窯(電気やガスではなく。ちゃんと薪を使って焼く。だから
能登ジェラトン(隕石粉入り器)のパワーが違う。まだ地球の人はそんなこと知らへんけど・・)
一筋の明匠・・・・(ここからはチト、書けない)いろいろヒントを頂戴した。
今日のカップの荷物のすき間に、焙煎したての珈琲豆を入れようと、今朝は5時前に起きて、
はやめに蕎麦を打ち、時間と手間のかかる「炭火焙煎」をやる予定でいた。
閑人、いや肝心のそばが、はじめて使う妙高高原のある農家さんから買ったそばを打っていたら、
水回しのあとの、菊練りを100回以上やってもつながらない。粉の袋に同封してあった説明書を
読むと、「つなぎ」を多めにして、200回は菊練りをしてください・・・とあった。
「このまま、続けると珈琲豆が焼けないかもなんばん」と思い、いつもの蕎麦粉にかえて
打ち直す。
「蕎麦と珈琲」・・・どちらも、人生50年(100年らしいけど、ある程度、すいも辛いも甘いもがわかった後にはじめ、
体力がある間までしかできないので、せいぜい50年。)の中で極めるには、険しい道だけど、
両方いっぺんに「難関」に挑戦する時は、まわりから「気が狂ったの?」と思われるくらいでないと、
やってられない。

「人間は正気を失うものだ。でもだからこそ、可能性を秘めている」
いつも、久保さんと話をする時のキーワードだ。
昨日の「ぼした祭り」もそやけど、バカと天才は紙一重。
でも命短し恋せよ乙女、生きる死ぬも紙一重。

やっと蕎麦を打ち、キーボードを打って、ブログを書いている。
朝飯前のつもりだったけど、これから朝飯を喰い、朝飯後に炭火焙煎をやることにあいなった。
明日明後日は、自分の身体も遠赤効果で真っ黒になるかもなんばん。感謝。

ぼした祭り・・・YouTubeで見れるとね!敬老の日はこればい!

今日は、「敬老の日」だ。カレンダーには、動物愛護週間とある。

あまり知られていない・・・マスコミには、放送禁止用語?みたいでもあるし、
動物愛護にも違反するし、ましてコロナ禍で、こんな奇祭ができるわけがないけど、
熊本に、昔から敬老の日に催される不思議なお祭りがある。

立命館大学時代に、なぜだかクラスに熊本の名門高・濟々黌(せいせいこう)高校、という気骨のある校風の
卒業生が何人もいた。バンカラもいいところで、酒はよく飲むし、酔ったら殴り合いをする、なんて日常茶飯事やった。
ある日、ぼくが「もう少し思いっきり殴れるように、今日は拳にタオルをまいて、ボクシングルールで
いこうや」と提案して、仁和寺近くの古い3階建てのアパートに住む、濟々黌のOBの人たちと、
酔狂のボクシング大会をやったことがある。ぼくは小倉生まれで、ケンカには少し自信があって、
何人かをKOしたところまで、覚えていたのだが、朝起きると、顔がはれ上がっていた。
「どうしたんだろう」とKO負けしたボクサーみたいに「?」な感じでいたら、横に
素面の松村くん(やはり濟々黌  でも下戸)が涼しい顔していた。
「きさん(おまえ)、いつからおるとや」と聞くと、「ふらっと来てみたら、みんな酩酊してボクシングばやっとたけん、
途中参加したと・・」と。「顔が無傷やん」と言うと、「みんな酔っとたけん、ガードは下がっとるわ、
動きはにぶかけん、ボコボコにくらせた(くらす 殴るという九州弁)」

その後、縁あって、松村くんは、わが社のコンサルタントになって、貢献してくれた。ばってん、
その若き夏の日の「こすさ」がどこかひっかかっている。

そんな縁もあり、熊本には昔から友達や、提携先があった関係で、敬老の日の「ぼした祭り」
は、かかせない行事やった。

「ぼした」というのは、「加藤清正(熊本の大名)が、挑戦を滅(ぼした)、という凱旋の祭りが起源
だ。こんな悪しき「ことだま」を冠にするような祭りが、NHKだけじゃなく、ニュースにでる
ことは、なかろうもん、っちゃ、だ。
昔は、馬にも酒を飲ませ、蹴られて人も死ぬし、祭りの後は馬も殺された。
残酷な話だけど、居酒屋にいくと「熊本といえば馬刺しやね」と平気で食べているのが、「いまのひと」だ。
もうひとつは「ぼぼした祭り」が、命名の由来。昔「ボボブラジル」というプロレスラーがいた。
ボボ、というのは、九州弁で「あれ」のことを現わす方言やけん、九州人は恥ずかしいけん「ポポブラジル」
といっていた。そして、今、そのなごりで、天真庵のブレンドのことを「ほぼブラジル」という。
ちゃんとした、歴史というか時の「ながれ」がある。

時代がかわり、「ぼした祭り」は「藤崎宮秋の大祭」と名前がかわり、お酒を飲んだり、
放送禁止用語をおらぶことはできなくなったばってん、このお祭りには、
「とりつかれる」「憑依する」・・・お祭りの原点があるし、このお祭りを体験すると、
加藤清正を今でも愛し、西南の役では不利な西郷さんを応援しながら死んでいった「肥後もっこす」
の魂みたいなものを感じる。

ぜひ、暇な人は、YouTubeで「ぼした祭り」を見てくだされ。
ビールや酒を飲みながら見ると、「みえないもん」が見えてくるかもなんばん。
でもけっして、今日は馬刺しを酒肴にしてはなりませぬ。感謝。
 

書籍「SUMIDA MODERN」

そんな本ができあがった、らしい。
天真庵も取材にきんしゃったけん、きっと紹介されている。
3300円、という豪華本だけど、ソラマチや曳舟のヨーカドーの本屋
などに、近々並べられるらしい。巣ごもりで、へそくりが貯まった人はどうぞ買ってあげてください。
ずっと住んでいて、「モダンな街」と思えるものは、あまり感じたことはないけど、
肩肘張らずに、パジャマよりちょっとマシの普段着で、街を徘徊できるのは、いい。
もっとも、スカイツリーができる前は、近くに銭湯がいっぱいあって、風呂上りのじいちゃん
が、ステテコに上半身裸で、タオルを首にかけて歩いている、みたいなスタイルも墨田モボ(モダンボーイ)だった。

昨日は土曜日だったので、16時に閉店。
「竜とそばかすの姫」で、いっしょに大フィーバしたいるスタイリストのOくん
が、友達と蕎麦を手繰りにきた。Oが「大学時代の友達っす!」と紹介された。
その友達が「挨拶おそくなってすいません」といって、名刺をくれた。
記憶に新しい珍しい名前・・・「え・・・ふたりは大学の同級生だったの!」
とビックリドッキリカメラ状態。今年の5月に川口葉子さんの「喫茶人かく語りき」(実業之日本社)
に、天真庵が紹介された。その時の、担当のスタッフで、いろいろとメールでやり取りをした人だ。
7年前に、家賃交渉までしてあげて、Oが近くの長屋で、洋服をつくりはじめた。

それからこっち、けっこう有名な女優やタレントさんが、このうらぶれた十間橋通りを歩いて、
Oのアトリエに通うようになった。「竜と・・」の中村佳穂さんもそのひとり。
天真庵で弾き語りライブをやろう、と密かに計画していたのに、舞台が突然大きくなって、お釈迦になった。
そして、Oも、墨田から世田谷に引っ越しをする。
大きく羽ばたく人、時代がわかっても愛されるモノたちは、「墨田」とか「世田谷」とか・・
小さなククリにこだわっていてはだめだ。

今日も16時まで営業。それから「蕎麦打ち教室」。二階では「ゆるゆるヨガ」。
妙高高原で調達してきた蕎麦粉で今朝そばを打った。ここの蕎麦は昔から通人好みのそばだ。
まだお店ではだしてないけど、そのうち、落ち着いたら、「今日のそば・・・妙高高原産」
と黒板に書いて、出すようになるかもなんばん。感謝。

てんこもりの茶碗に、ごはんをてんこ盛り

押上文庫と天真庵で企画し、久保さんにつくってもらう器のブランドを
「天庫森」(天真庵の「てん」、文庫の「こ」・・・・TENKOMORIになるくらい有名に
なったら、またニューヨークのギャラリーで、久保さんの個展をやってみたいと思う。

2000年、つまり911の前の年に、ニューヨークのソーホーのギャラリーで、南條さん
の「寒山拾得」の展覧会をやった。その年から、ギャラリーの人が久保さんの器も気にいって
もらって、なんどか、展示会をやった。そのころから、日本でも、桃山陶といわれる、
志野・織部・黄瀬戸などを、穴窯でつくる作家は少なかった。ニューヨークでは、ましていわんや、
だった。最初はIT関連の仕事でニューヨークにいっていたのだが、途中から「ギャラリーのオーナー」(
実は、会社の社長、しかもIT企業の社長なんて、吐いて捨てるほどいるので、そんなチンピラよりも、
ギャラリーのオーナーのほうが、ウエ?に見られる。)として、町中を作務衣をきて闊歩していた。

昨日、お仕覆の教室をやっていたら、四国の南條さんから、巻紙に筆字の、まさに「寒山スタイル」の手紙と、
この春に愛媛のお寺でやった個展の写真がおくられてきた。93歳になるけど、まだまだ矍鑠(かくしゃく)として、
90歳になった奥様と、今治郊外の山紫水明の里で、暮らしておられる。電話をかけたら、「東京とニューヨークに橋を
渡してもろうて、ありがとう。もうそろそろあちらの世界にいくわい」と、伊予弁でのたまわれた。いっしょにニューヨーク
まで同行したファンの女性10人も、半分以上は、天国に移住された。10年はひと昔、二十年は遠い昔、だ。

そんなことをしていたら、久保さんから荷物が届いた。「天庫森」の新作の茶碗二種。
「斑唐津」(まだらからつ)と「皮くじら」・・・どちらも茶人好みの器。
お仕覆で組紐をやっていた女子ふたりが、仕事をうっちゃって、「見せて~」とやったきた。
「この荷物の半分は、文庫ちゃんところに嫁ぐ・・・」といってるのに、「これ、いい」とか「素敵」
とか黄色い声をあげる。「そのトーンで、『スッゴーイ!こんなのハジメテー』とかいったら、まだまだ姉さんたちもいけそうやね」
とか冗談をいっていたら、彼女たちが、勝手に5個づつ握りしめて、「これ買います」とのこと。セクハラ商法?
休みなのに、お茶碗10個、押上文庫に20個・・合計30個が売れた。
残りは、たぶん今日明日で、完売になると思う。

ごはん茶碗と、お抹茶茶碗は、「高台」といって、底の部分のつくりが違う。その分、値段も10倍以上違う。(もち、抹茶碗のほうが高い)
久保さんは、個展でもごはん茶碗はださないけど、彼のお抹茶茶碗は、だいたい10万円から20万円くらい。
ふたりの女子は、お茶をやっていて、二年前には珠洲でいっしょにお茶会に参加した。
いつの時代も「わかるひとはわかる。わからないひとはわかんない」
ぜんぶなくなる前に、ふたつだけ残した。今朝は、能登のざざえを、ごはんといっしょに炊いたん。
それを、斑唐津か皮クジラの茶碗にてんこ盛りして喰らう。おつけものは、妙高高原の「道の駅」で
調達したみょうがとナスを、みじん切りにし、そこに酢醤油プラス柚子胡椒・・全部をビニール袋(スーパーで
トイレットペーパみたいにロールになってるの)に入れてくしゃくしゃする・・・・ナスのかわりに胡瓜でもOK牧場。
すると、ブログを書く30分くらいの時間で、おいしい「香のもの」ができる。
これを、志野の小皿に盛る・・・・高級旅館でもなかなか味わえない朝餉ができあがる。
「あのひとは、器が違う・・・・」昔から、器ちゅうもんは、そんな優先順位の上のほうに、置かれていた。
ちなみに、今回のお茶碗を買われたかたには、もれなく「箸置き」(織部・黄瀬戸・志野から選ぶ)が一個
ついてくる。あの魯山人じいさんの箸置きは、今でも一個10万円くらいする。
負けないような箸置きだ。押上文庫は、週末のみ営業。この器に興味がある人は、文庫ちゃんところにいって
見せてもろうてください。器がいいと、ゆたかになるヨ。感謝。

ソロキャンプと方丈記

昨日は、朝早く起きて、栗拾い。
みかんを入れる赤い網不袋にいっぱいいれた。今年は豊作だ。
能登にいる間は、栗ご飯、タコ飯、さざえ飯を毎日のように楽しんだ。
これからは、キノコの季節になる。にがり、塩が美味いので、豆腐屋のレベル
が半端ない。キノコ鍋に豆腐をいれて、ポン酢で食べると、ごはんもお酒も
おかわりむげん?

その後、東京に出発。まず霊水を汲みにいく。朝9時前についたら、他府県ナンバー
のボックスカーが3台くらい並んで、霊水を汲んでいた。神戸ナンバーの車が隣にいたので、
「遠いところからご苦労さまです」と挨拶したら、こちらの足立ナンバーを見て、「あなたのほうが
遠い」といわれた。2か月に一度、空き家になった実家の窓を開けて空気の入れ替えをするついで
に、この霊水を汲みにくるのが楽しみだそうだ。

水を50L(天真庵の20日の営業中に、珈琲・そば・水素茶をつくるのに、ギリギリ)を汲み、
その後は能登島(ひょっこりひょうたん島のモデル)にいき、「水」で朝食。
このお店の主人の実家が、同じく能登島で千寿荘という民宿をやっておられる。そこの水は、
天然の水素水で、この水も全国から汲みにきている。
「水」のおかげで、いろいろな縁がひろがっているので、食堂の名前は、迷わず「水」。
水を汲んだ(けっこう重労働)後の、おそめの朝ごはんは格別。
この時期はぶりの手前の「がんど」のカマの焼いたのが絶品。
焼けるまでの15分・・・おまけの総菜3種を食べながら、隣にすわった北海道からきた夫婦と
談論風発。釣り道具とキャンプ道具を積んで、各地を旅しているらしい。
ワンンボックスカーで車中泊しながらの旅らしい。最近、高速のPAや能登でも、そんな旅や、
軽のワゴンとか、バイクにキャンプ道具を積んで、旅する若者をよく見かける。
「ソロキャンプ」という。

ぼくも実は密かに、(とかいいながら、今朝もスパイスカフェの伊藤シャフと立ち話をしながら・・)
「企業秘密やけど、能登の水で珈琲の生豆を洗い、炭火で焙煎したら、唯一無二の珈琲ができるバイ」
とか言ったら「飲んでみたい」とおっしゃるので、栗といっしょにお裾分けした。
彼も、先月は沖縄に一ケ月滞在しながら、カレーを供す、というイベントを終えたばかりだ。
みんな「放浪のような」また、「ソロ」とか「ミニマム」とか、小さい単位で、自分のイドコロを
模索する時代になってきたようだ。

令和の鴨長明さんたちが、活躍する時代。「方丈記」の序文を思わず口にしながら、
ひさしぶりの下町・徘徊散歩をした。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかを争そへる、高きいやしき人のすまひは、代々を経て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり・・・・・・

奥能登国際芸術祭にいく!

9月4日(土)から10月24日(日)まで、2度目の国際芸術祭が
開催されている。

半島の最北端。でもこの芸術祭でいろいろな国から、多士済々の人たちや、
それに縁ある奇人さんたちが集まってきて、珠洲は能登半島では屈指の移住者の多い
町だ。

昔ながらの揚げ浜式という古式ゆかし方法で塩をつくる名人じいちゃんがいる。
天真庵の味噌作り、梅干しつくりには、みなじいちゃんの塩を使っている。
「塩分とりすぎ」云々・・・世間はうるさいけど、政府がミネラルたっぷりの自然の塩を、
専売公社とやらをつくって、ケミカルな塩化ナトリウムを「塩」と見立てて、国民に
強要してからこっち、日本人の健康に赤信号が点滅するようになった。
名人じいさんの塩は、なめてみるだけで、ビタミネたっぷりの海の慈悲深い味がする。
味噌や梅干しにすると、もっと顕著になるし、時間がたつほどに熟成された味わいになる。

一般に塩に比べて、値段は高いけど、その「手間」を考えたら、適正な「お値打ち品」
というか唯一無二の逸品だと思う。
じいちゃんは、夏には、梅干しをつくり、紫蘇を干して「梅塩」をつくる。
前の海でアゴ(トビウオ)をとり、炭火で「焼きアゴ」をつくる。炭火に使う薪もチェーンソーを使って
自分でつくる。「能登の自然まるごと自給自足のじいちゃん」だ。
炭火で焼く関係上、まるごとではなく、背開きにして焼く。これが九州のアゴとは違ったやりかた。
ぼくの蕎麦汁は、そのアゴを使ってつくる。だから、珠洲のじいちゃんちへは、毎月
のように通い、四方山話をしながら、過ごすのがなによりの楽しみだ。もうすぐ80歳に
なるけど、皺に人生はきざまれ、笑う顔には慈しみにあふれている。

その後、大野製炭工場にいき、能登の炭を10K調達。この炭も能登の冬には大事な暖の素だ。
東京の天真庵の冬も、ペレットストーブと石油ストーブと、炭火の三点セット。

塩、アゴ、梅、水、炭・・・・天真庵で使うモノの8割くらいを能登産でまかなっている。

はざがけ

能登の家から600mに、「義経の舟隠し」と、松本清張のゼロの焦点の舞台になった「ヤセの断崖」
というのがある。映画化されたロケ地は、この集落が使われた。
冬の能登の海は、海風に雪が舞い、雲があつく覆い重なり、この世のハテのような
様相になる。二度映画化されたが、最初の映画が、「能登」の奥深い世界がよくあらわれて
いる。

反対方向に600mいくと、大笹浪棚田ビュースポットがある。輪島の千枚田ほど有名でないけど、
駐車場もあり、そこから棚田を右手、左手に海が見えて気持ちがいい。今は稲刈りの季節だ。
稲作りはだいぶ機械化されてきたけど、棚田などは機械が入りにくく、まだ手でやっているところが多い。
刈り取った稲穂を、「はざがけ」という、木で柱を組んで、そこにかけて、天日干しをする。
最初は穂先の黄金色とそれをささえる茎の緑が対照的だが、ひごとに、緑がうすれていき、その
こくこくのグラデーションの変化が、秋を感じさせる。
刈り取られた田圃に、セキレイが落穂ひろいをしている。そのセキレイをトンビが狙う。
穏やかな田園世界にも弱肉強食の世界が広がる。でも、除草剤や農薬や遺伝子組み換えで、食の
世界を席捲しようと試みる人間世界のほうが、もっと恐ろしい。

昨日は、「安全な食事」の教科書(ジル=エリック・セラニーニ ジェローム・ウーズレ 田中裕子訳  ユサブル)
を、ウイスキーを飲みながら読んでいたら、寝れなくなって、深夜まで飲んだ、いや、読んだ。
いろんな圧力があって、「ユサブル」という出版社が手をあげて翻訳本をやっとだせたらしい。
モンサント(今はバイエル)という会社が、いろんな手を使い、政治家や学者と癒着し、遺伝子組み換え(GM)作物、
農薬、化学肥料、食物添加物などで、人の健康や地球環境をこわし、「自分だけよければ」を謳歌している。
世界は、彼らに訴訟を起こしたり、ノーをたたきつけているけど、日本では、「安全で安心な」
みたいな広告いったんばりで、スーパーの菜園コーナーには、どうどうと並んでいる、のが実情だ。

「危険な食品があふれている理由と正しい食と健康を手に入れる方法」と、本の帯に書いてある。
この本を読んだからといって、学校の成績や偏差値に影響することはないし、余命いくばくを
ある程度計算できるわれわれ世代はともかく、「これから」を背負う日本人には、読んでいただきたい一冊。

昔の辞書は、エロ本だった?

先月、板橋の歯医者にいく前に立ち寄った古本屋で「能登」(集英社)を見つけた。
杉森久英という直木賞作家の自叙伝だ。
能登生まれで、金沢で多感な青春時代を過ごし、東大にいき、作家に
なっていく人生が描かれていく。能登と金沢は、同じ石川県だけど、文化も言葉も
風俗も違う。今でもそうだけど、彼らが生きた大正から昭和にかけての話は、読んで
いて大変おもしろい。古都の金沢、縄文時代が息づく能登、時代がかわっても、篩(ふるい)
にかけられない「ホンモノ」が残っている。

思春期に、親父から譲り受けた「言海」(日本で最初にできた辞書)で、「陰部」を見つける
くだりがある。ここを発見して、作家は大地が揺らぐような衝撃だったと書いてある。

(名)陰部 男女ノ体ニ 尿道ヲ通ジ 子ヲ生ス機関。

続けて「言海」を繰って「陰」の字をつく言葉を探してみた。
「陰茎」「陰嚢」「陰毛」「陰門」など・・・(先日紹介した瀬戸内寂聴さんのエロスの尼さんを思い出す単語
たち。きっと彼女の書斎にも「言海」があるに違いない)

作家は続けて、

これらはたぶん、人前で口にすることも憚(はばか)れるような言葉だが、「言海」の編者には、
まるで銀行の窓口が金の勘定をするように、冷静に、無感動に、事務的に説明の文句を書いている。
そして、いまようやく大人の世界をのぞきはじめた芳雄(主人公)は、これらの言葉をながめてるうちに、
これまで内に潜んでいた欲望が刺激され、さまざまの空想や妄想が繰り広げられているのだった。
・・突然、彼の体内に電流のようなものが走り、甘美な戦慄と恍惚のうちに、温かいものが流れ出るのを覚えた。
・・これも、本当だったのか・・

さすが東大にいく青年の、マス初体験は、辞書を繰りながらなんだ、と感心した!

この本の中に、金沢では能が盛んで、観世流ではなく宝生流が盛んである、との記述もあった。
先日遊びにきた般若家のM子も、宝生流の能を習っていて、今年石川県立の能舞台で、シテを見事に演じきった。
じいちゃんバカではないが、将来が楽しみだ。感謝。

能登のプレミアム食事券

能登に半分暮らすようになって3年。日本には四季があるので、
かける4で、12年くらい暮らしている感がある。
昨日は金沢の般若家の人たちが、一泊二日で遊びにきた。
天真庵の玄関や、椅子、李朝棚、文机は、彼が作ってくれた。
そばの折敷(おしき)もそうだ。14年ぶりに、とうで編んだ椅子の張り替えは
春に終了。

能登の家には、彼の若いころつくった(卒業記念)の茶箪笥がある。
「今のもの」という個展(池袋の天真庵で開催していた)で、「しょっしゃ、わしが買うわ」
と買ったものだ。それから、それにあわせて、茶櫃(ちゃびつ)を作ってもらい、その中身の急須
や茶碗を久保さんにつくってもらった。そんな時、青山の骨董屋で、織田流煎茶道の家元と出会い、
「織田流煎茶道」を学び、お免状までいただいた。

「道具は道具を呼ぶ」と骨董の世界の名言があるが、押上に天真庵を移してから、
お茶のお弟子様を含め、「奇人」(尊敬の意が8割)が道具に集まってきた感がある。
般若くんの奥方になったヨッシー(今でもそう呼ぶ)、も、ベルギーにビオラ留学の後、天真庵
の近くの家(ぼくが紹介し、家賃交渉までした(笑))に住み、ある日、打ち合わせにきた般若くん
とカウンターにとまった縁で、結婚することになった。「絶対に仲人になるな」という家訓を一度だけやぶり、
ふたりの媒酌人になり、結ばれた縁でできた「むすめ」の命名にも、一役かわせてもろうた。
その娘たちふたりは、小学生になり、ぼくのことを「えーちゃん(ときどき、能登のじいちゃん)」と呼ぶ。

彼らが遊びに来るとき、金沢の市場で、どじょうのかば焼き(何店かあるみたい)を買ってきてくれる。
昔は全国どこでも、どじょうがとれて、丸鍋にしたり、柳川にしたり、かば焼きにしたものが食卓にあがった。
やっぱり、除草剤とか農薬とか化学肥料などの使いすぎで、絶滅危惧種みたいになった。東京でも
ぱっとうかぶのは、浅草界隈の老舗で、いっぱんの料理屋のメニューで見ることは稀有になっている。

このコロナ時代、東京のみならず、全国の飲食店も絶滅危惧種になりつつある。天真庵も、ライブや夜の
勉強会もなくなり、そば前という名のお酒もご法度で、青色吐息の毎日である。
能登の町役場でも、その地の飲食店を応援しようということで「プレミアム食事券を発行した。
ぼくらの住む「志賀町」のプレミアム商品券を2万円購入した。
毎月10日くらい能登に住むけど、氷見の「すしのや」や能登町の「つくし鮨」にはいくけど、
能登に住んでいるかぎりは、ほとんど「キャッシュレス」(正確には、お金も財布のありかも忘)状態。
期限もあるので、先日「花よし」にいって、焼肉を食べた。
このお店の店主であるみどりちゃんと、従弟にあたるくんが、東京に住んでいて、ひょんなことから
そばのお弟子様になった縁で、ときどき焼肉を食べにいく。コロナもあるけど、いっしょにお店を
切り盛りしているにいちゃんが罹病して、週末だけの営業が続いている。お母さんの時代から数えて
45年の間、この町の人たちに愛されている名店だ。感謝。

合成洗剤を使わなくなると魚がもどる?3か月の実験

今日は能登も天気がいい。
夕方、金沢から友達家族が「タコ焼きパーティー」にくるので、
朝5時におき、栗拾いをした後、蛸鉢(たこはつ という行)に・・・
知り合いの漁師が、沖からあがってきた。正直な人で、伝馬船を陸にあげる姿で、
大漁か否かがわかる。大漁の時は、咥えたばこをしながら意気軒高にしゃんと立っていて、
大きな声で「いれぐいや~ 陸でタコつってる場合じゃないぞ~」みたいに雄叫びをあげる(笑)。
今日は、不漁の日で、タバコをくわえず、少し猫背ぎみに舟をひきあげていた。
目があった瞬間「今年はアオリがおらんわ」とのこと。小木というイカ釣りのメッカでも
ここ何年もイカが不漁らしい。環境破壊とともに、乱獲による魚の減少も否めない。

能登の漁師さんたちは「ぼくたちの先祖は九州の漁師」というひとが多い。昨日は素敵な尼さん
の話をしたばってん、もうひとつの海女(あま)さんも、九州の鐘崎港(かねざき)が原点。
ぼくのふるさと宗像(むなかた)にある九州一の漁港で、よく釣りをしたとこ。そこに
「海女さん発症の地」みたいな記念碑があった。
鐘崎港の船着き場から、船で2・30分いったところに、「地島」(じのしま)がある。
母校の宗像高校の校庭には、「地島」や世界遺産になった宗像大社の「筑前大島」の人
たちの寄宿舎があった。3人友達がいたけど、みな漁師の子で、たぶん今でも玄界灘で、
漁船にのっているのではないかと思う。こないだ読売新聞にこんな記事がのっていた。
たぶん、これから、全国にこんな動きがでてくるといいな、と思う。

入浴や洗濯、食器洗いなどに用いる合成洗剤の使用を島ぐるみで取りやめ、無添加せっけんに替えると、海の環境や生き物にどのような影響があるか――。そんな産学官連携の実証実験が1日、福岡県宗像市沖の地島で始まった。シャボン玉石けん(北九州市若松区)などが参加しており、地域全体でせっけんを使う試みは珍しく、海洋環境の保全につながる成果が期待される。

 実験に取り組むのは、シャボン玉石けんと山口大大学院創成科学研究科、九州環境管理協会、宗像市の4者で、期間は11月までの3か月間の予定。島内の一般家庭全62世帯(7月末時点)と市立地島小、漁村留学の子どもたちの生活拠点「なぎさの家」に協力を呼びかけ、入浴や洗顔、手洗い、歯磨き、衣類の洗濯、食器洗いなどで合成洗剤の使用を中止し、替わりに合成界面活性剤や香料、着色料などを含まない同社の無添加せっけんを使ってもらう。

 そのうえで2週間に1回程度、島に2か所ある下水処理場で海に流す前の水や汚泥のサンプルを採取。洗浄剤の変更が生活排水に与える影響について、分析やデータ解析を進める。

 8月23日に島内2か所で住民への説明会を開催。川や海に流れた無添加せっけんは短期間で水と二酸化炭素に生分解され、せっけんかすは魚や微生物の栄養源となるため、環境への負荷が小さいという。生後4か月の長女を抱いて出席した女性(32)は「漁業が島の主な産業だが、水揚げが減っている。娘や島の将来のために実験に協力したい」と話した。

 実験結果は2022年以降に公表する予定で、同社は「実証実験を通じて、漁業や海の環境保全、環境意識の向上に寄与していきたい」としている。