クリスマスイブは落語かい?

クリスマスイブに、橘家竹蔵師匠が「芝浜」をやってくれるようになった。
昨日のお昼、前売り券を、師匠自ら作って、もってきてくれた。
「だんな(ぼくのこと)びっくりしたよ。一日で完売したんだって・・ありがとうございます」と笑う。
根っからの落語家で、のべつ幕無しで、機関銃トーク。いつものように、ざるそばを「時そば」よろしく
ズズズと手繰り、バイクにのって帰っていかれた。

今週(もう先週かな?)の「女性セブン」の「最初の晩餐」というところに、鶴太郎さんが
若かりし日に、竹蔵師匠と稽古場であって、そのまま「おれんちに遊びにこいよ」といって、阿佐ヶ谷まで
いき、奥様の「角煮」を御馳走になった話がのっていた。一宿一飯の恩を、売れっ子になっても、忘れないところが、
「さすが」だと思った。売れる、売れないは、才能や運におうところが多い世界だと思うが、そんな「こころがまえ」
をもつ「人間性」が大事だと思う。どの世界もそうだ。

昭和58年に秋葉原で、ITの会社を創業した。その年に、毒蝮三太夫さんの「ミュージックプレゼント」で紹介されたことがある。
1969年10月6日から放送されている公開生放送のラジオ番組である。2019年10月11日の放送で50周年を迎えた長寿番組。
その前はウルトラマンの嵐隊員で当時の子供たちに人気だった。その後、談志さんが司会をやっていた「笑点」の座布団番になり、
こころあたたまる毒舌で今も各地で活躍されている。毒蝮三太夫というのも談志さんが命名。そんな縁があって、毒蝮さんの
竹馬の友がやっていた吉原の寿司屋で、毒蝮さん、談志さんと飲んだことも、懐かしい。
ふたりとも、素はとってもやさしい人だということが、わかった。

池袋に会社を移したころ、借りていたビルのオーナーが、「まるまど会」の後援会長をやっていた。
まるまど・・・・三遊亭圓窓さん。「笑点」を卒業されて、「圓窓五百噺を聴く会」をやっておられる最中で、
(2001年3月9日、含笑寺で「圓窓五百噺を聴く会」500席達成。)その中のいくつかは生で聞かせてもらった。
2年前にもっと高い高座に居場所を移されたけど、ときどきメールを
やりとりさせていただいた。高坂カントリークラブで、よくゴルフもしたな~。落語ほどうまくなかった(笑)

そんなことを思いながら、夕方のお客さまと談論風発していたら、バイクの音がして、竹蔵師匠が、
「ちょっと、二階を貸してちょだい。満席になったので、練習しなくっちゃ」といって、折詰をカウンターに
置いて、階段をのぼり、厠で用足しの後、降りてきた。
「毎日そばばかりじゃ、体に悪いから、寿司買ってきたので、食べな」といって折詰をくれて、またバイクの人になる。
落語は上手だけど、普段は上手が言えないシャイな一面ももっておられる。
芸というのは、縁から縁が紡がれ、自分の本来の人間性(天真)というものが、引き出されていくもんだなあ。感謝。

今日明日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
明日の営業が終わったら、しばらく「能登休み」。

酒々井・・・酒が美味そうな土地名の酒がくる 

「しすい」と読む。千葉にあって、最近はアウトレットができて、東京からそんなモノ好きがあまたやってくる街。
養老の滝と同じように、孝行息子が酒好きの親父に酒を飲ませたいけど、金がない。
そんな時に、酒がでてくる井戸があった。そこが由来らしい。だから、酒もそばもうまい。

昔、ヨネクラボクシングジムが目白にあって、通っていた。
ときどき、目白にあった「坂田」に遊びにいった。
骨董好きには名にしおうお店だった。何年か前に緞帳を下げた。

主人は、ぼくと同郷で無類の蕎麦好きで、目白界隈ならず、全国の「うまいそばや」
を教えてもろうた。あるひ、「女主人だけど、最近よくいく蕎麦屋が近くにできた」
といって、道案内してもらって、自宅の一階を改装した蕎麦屋にいった。
女性が打ったにしては、角がたっていて、いいそばだった。
ちょうど、そば修行の途中で、ときどき池袋の天真庵でそば会をやっていたころなので、
「もしよかったら、そば粉の仕入れ先を教えてください」といったら、「酒々井のそば&そば農家」
を教えてくれた。そのお礼に、久保さんの黄瀬戸の蕎麦猪口を5個さしあげた。
以来20年近く酒々井のそばを使っている。縁とは不思議なものだ。

うちの常連さまの酒屋・「リカーショップすぎうら」から、今日の朝汲んだ酒が届く。

千葉県酒々井にある飯沼本家が醸す「酒々井の夜明け」。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり   牧水

クリスマスイブに、落語とそばと酒の企画をブログに書いた。
一日で満席になった。ごめん。

「芝浜」の近くの素敵なギャラリーにいく。

先月の終わりに「パーフェクトデイズ」のロケ地巡りをして、辿りついた不思議な
ベルギー人カップルの話をブログに書いた。
だんだん、「5分前のことを忘れる」ような年ごろになってきたので、忘れていた。

昨日の朝、「ギャレット」を食べ、「ほぼぶらじる」と「パラダイス酵母シードル」を飲んでいたら、筆子さんが
「今日これから蒲田にいくよ」という。
彼女の生まれた街で、実家もまだあるし、能登からやってきて99歳まで生きたおばあちゃん、
その連れ合いで、弘前から大工見習で上京したおじいちゃん、筆子さんのお父さんが入った墓も蒲田にある。
墓参りにでもいくのか?と思っていた。

錦糸町から、品川乗り換えで二駅で「蒲田」だ。駅のテーマソングが「蒲田行進曲」。はじめて「高輪ゲートウェイ駅」
を通過。クリスマスの落語の「芝浜」の舞台になった場所。「芝浜駅」にしてたほうが、日本人の「精神的文化力」
が保たれたのではないかしらん。
彼女の実家は東口から歩いて15分。昨日は、西口から歩いて、スマホを見ながら歩きだした。
自分の実家を忘れたのかな?ついに、二人とも「老々徘徊散歩か?」などと思っていた。
もちろん、先天的な方向音痴のぼくは、「今 どこ歩いている?モード」だ。

蒲田駅の西口は、「バーボン通り」とか、猥雑な飲み屋街がある。それを過ぎると、閑静な住宅街に
なる。その一角の集合住宅の一灯に、昨日の目的地があった。
近所迷惑にならぬように、との配慮で、住所が公開されていない。そこで開催される個展は、
すべてスマホで時間を決め、予約の番号をもらう・・・・デジタル音痴に方向音痴のぼくには、
ぜったいにたどりつかない場所だ。
いろいろな器が、白い部屋の中に、並んでいた。「器の裏に〇のポッチがついているのが、売約済みです」
といわれ、何枚か裏を見たら、みな銀の〇ポチがついていた。
美人のギャラリーの人が、「ほぼ、売れました」とニコリ・・・

筆子さんが、「残りものには福がある」の呪文を唱えるように、一枚の皿を買った。
8寸(言い方が時代おくれ?でも八寸というのは、酒飲みには大事な寸法)くらいの皿で、44000円だった。
11月1日から昨日が最終日だったけど、6日でほぼ全部の器が売れた、らしい。
陶器が「冬季」といわれて久しいけど、そんな作家もいるのだと、びっくりしながら、蒲田駅に
歩いてもどる。
「ところで、あの器の作家は誰なの?」と筆子さんに質問。
「こないだきて、花膳を食べたカップルの女性」と返ってきた。まるで白日夢でも見ているような気分になった。

駅前の居酒屋で一杯飲もうと思っていたけど、「芝浜のオチみたいだなあ」と思い、
蒲田行進曲におくられながら、押上村にもどってきた。感謝。

「芝浜のオチ」とは・・・

「よそう。また夢になるといけねえ」

4年ぶりの「天真庵忘年会」をやります。

今年は、正月に地震、こないだの大雨で畑が流され・・・

と、さんざんな一年だっけど、残すとこ、あと2か月を切った。
いつものように、「年越しそばを自分で打つ」というイベントに参加する人、その前に
練習する人などが増えてきた。年末の雰囲気が漂ってきた。

コロナ禍になってから、ライブなど夜のイベントを中止していた。ピアノやPAは、界隈の
新しいカフェに譲り、その時に使っていた器たちも、形見分けよろしく、縁ある人たちに
さしあげたりした。だから忘年会もやらなくなった。

最近、近くに住むベテランの噺家さんが、そばを手繰りにこられる。
扇子を箸にみたて、ズズズとそばを手繰ることができるほど、噺家のそばを手繰る
姿はおみごとだ。師匠のそば喰いも、それはなかなか逸品である。

昨日は「吉原で、かつ丼喰ってきたから、今日は珈琲ちょうだい」といって入ってきた。
「今日は冷えるね~」・・・まるで「時そば」が始まるような声をだして、「厠(かわや)は二階かい。ちょいっと失敬」
といって、階段をあがり、用をすませて降りてきた。
「ねえ  二階で落語できるね」といって、階段下のたまさんの写真を発見。
「たまさんもきてたの?」・・「彼女の師匠にもお世話になったよ」といって、まだ在りし日の、ふたりの
話になった。幇間(ほうかん 太鼓持ちのこと)の悠玄亭 玉介(ゆうげんてい たますけ)と、弟子の悠玄亭 玉ちゃん。そんなこんなの機関銃トークの応酬の末・・・・

「クリスマスに、『芝浜』をここでやろう」ということになった。ただし、一階でやります。
笑い、というより、泣かせる小噺。

そんなわけで、クリスマス24日の19時から、天真庵で忘年会みたいな落語会をやります。
12月24日(火) 19時から  
一回かぎりの会    橘屋竹蔵師匠の「芝浜」  会費5000円(落語 そば つまみ 酒一本付き)
木綿のハンカチを忘れないようにお願いします。

今日発売の「女性セブン?」にも、師匠の記事がのっているらしい。「最初の晩餐」・・鶴太郎さんのコラムにのってる!
来年1月18日(土曜日)は、亀戸文化センターカメリアホールにて、「第七十八回 橘家竹蔵の会」

火曜日は彼とガレット・・・

「月曜の朝は玉子かけごはん」
日本人が誇る世界一おいしい朝ごはんがTKG、こと玉子かけごはんだ。

昨日は「こないだいただいた野菜がめちゃくちゃおいしくて、それを言いたくて、また玉子かけご飯にきました」
という人が3人もきた。
原始的物々交換が、これからのキーワードだと思っているけど、能登からの帰路で出会った農家さんに
いただいた野菜のおいしさに、ぼくたちも、また縁あって、食べていただいた人も、感動の輪が広がった。
「日本人は、日本で昔から食べられてきたモノを食べるのが一番」だと痛感。

といいながら、「火曜日は彼とガレット」と口癖のような夢を見ている。
ガレットは、フランスの食べ物。そばは、世界中で食べられているけど、フランスのガレットは
「ギャレット」というらしい。青い目をしたフランス人が、そげなふうにいうと、ツヤな感じがする?

天真庵を2007年に押上に結ぼうとしているある日、表参道の織田流煎茶道の茶室で、玉露を飲んで
いたら、そのころまだ音大生だった家元のお嬢さんが、「野村さん、そばやをやるなら、ガレットを
メニューにするといいですよ」といった。「そげんもん、知らんばい」といったら、近くにある「ギャレットや」
に連れていってくれた。生まれてはじめて、ギャレットとシードルを体験。
その時に、「そば粉に とろけるチーズ のり を そばのかえし」というのが、ちゃねって、
開店からこっち17年、ガレットがメニューになった。

昨日は、お得意さまの「銀座 隕石直売所」の王子一家がそばを手繰りにこられた。
彼らは、そばを手繰った後に、「あんこがれっと」を所望される。
これは、すこし小さめのフライパンで、ガレットの生地に、自家製の餡子をのせる。
来年は、お互いに大きく飛翔する年になるので、ちょっと作戦会議をかねて談論風発。

オクから、「久保さんのキセトのちょこでお酒を飲むと、美味しくなります」といわれた。
「こんど、それでフリーカップつくるなら、上の径が7cm、底の径が4cm、高さが6cm
で、グリップなし・・・がいいな~」と、ポツリとひとりごと・・・・なるほど!

なぜだか、ガレットには、シードルがよく似合う。
天真庵のメニューにはないけど、まかないでガレットを食べる時は、「パラダイス酵母」で作った
自家製のシードルを飲む。ネットで検索したら詳しくのっていると思うけど、フランスのより、
美味しい。というか、酵母が生きていて、日本のリンゴジュースにあう。

そんなわけで、「火曜日は彼とガレット」と、繰り言をいいながら、明日の休みを待つ今日。
だいたい水曜の朝は、ガレット(笑)

月曜の朝は玉子かけごはん・・

7時50分にのれんをだしたら、常連さまがこられた。
「かまじか」のごはんの味にめざめ、「ついきてしまった」
と笑われる。

確かに、炭火で竈で炊いたごはんは、筆舌を超越した美味さかもなんばん。

昨日は、ロシア人の青年がそばを手繰りにきた。
はじめての来日らしく、日本語がまったくできない。
でもスマホがあれば、日本語のメニューなんて翻訳がスラスラだ。
そのうち、世界中の人が「自国の言葉」で会話できるように(もうすでに、近い)
なると思う。文科省は、日本人が英語ができないのが、経済で斜陽になっていると思っているらしく、
小学生から英語をやったり、NHKFMで、朝から英語の勉強をやったりしているけど、
「日本で英語を学ぶ」くらいコスパの悪いものはない、と思う。
そんな時間があったら、本を読んだり、出光美術館で仙厓和尚の絵でもみているほうが、将来国際人に
なれる近道だと思う。

先日、「まる」という映画の案内が届いた。「おぎ」こと荻上さんの新作の映画。
その仙厓さんの描いた「〇▽◇」・・・の不思議な揮毫のことも、映画の中で盛り込まれているらしい?

ロシアの青年が最後に「バイバイ」といって、「日本語でバイバイ、はナントイイマスカ?」
と英語できいた。
「サヨナラダケガ ジンセイダ」と教えた。プーチンの国で生きていくには、
そのうち戦争にいくハメになる可能性がある。そんなフレーズをかみしめることなく、
平和な人生をおくってほしいと思いながら、青年の背中に向かって祈った。

唐代の詩人于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」に付した井伏鱒二の訳は永劫の名訳。
これを読みながら酒を飲むと、ますます酒が美味くなる。

       
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

UFOと縄文遺跡

NASAも正式に発表したけど、能登半島はUFOがよく見かけられる。
羽咋市には「コスモアイル羽咋」という不思議なところがあって、アメリカやソ連
で使われたホンモノの宇宙船などが展示されている。「サンダーくん」
という宇宙人キャラクターもすっかり市民権を得てきた。

そもそも、能登に移住をきめたキッカケのひとつは、「縄文真脇遺跡」に、
毎年のように遊びにいったいたこと。そして、そこからすぐの能登町に
「梅茶翁」のふたり(ふたりとも、お茶・そば・珈琲のお弟子様)が移住したこと。
天真庵のHPに「縄文人は、珈琲を飲んでいた」という部屋がある。写真は、縄文大工の
雨宮さん。ひょんなきっかけで、真脇遺跡の中で、縄文の家を建てているところに遭遇して、
記念樹の式典みたいに、穴を石斧で掘る、というところをやらせてもらった。
今回の能登地震では、最大深度7の揺れだったけど、この縄文の家はなんの被害もなかった。

その縄文真脇遺跡から車で30分もいかないところに、丸和工業という珪藻土の七輪屋さんがある。
今回は甚大な被害で、クラウドファンディングで集めたつくった窯も社屋も全壊した。
瓦礫を撤去する手伝いをしている時(一昨年の地震)に、ちゃねって、珪藻土で「UFO焙煎器」
ができた。

少し珪藻土があまったので、それで、久保さんに珈琲カップをお願いした。
できたら、「縄文なるもの」(白井晟一さんのエッセー)みたいに、日本人のDNAを
くすぐるものにしたい、と、久保さんにお願いした。

昨日、「縄文ルネッサンス」だったかな?という能登の家にあった本を読んでいたら、
岡本太郎さんや、白井晟一さんの記述があり、素敵な縄文土器などの写真があった。
まったく、せっかちな話なんだが、本はまだ半分しか読んでないけど、さっき、久保さんに
おくる荷物にした。今日か明日発送する。
令和の「縄文ドリポット」の姿が、降りてきた(笑)
久保さんのまわりも、ぼくのまわりも「え~ まだ新しいことするの?」
とあきれ顔なんだけど、アルフィーじゃないけど「夢は終わらない」のだ。感謝。

明日の朝は、旗日だけど、「玉子かけごはん」(8-10)です!

UFOにのった青年がやってきた。

昨日、若い大学生とお母さまが、そばを手繰りにこられた。
近くに大学と専門学校ができたので、親子でそばを、というお客さんが増えた。
ひと昔前までは、「大学生の親御さん」というと、同学年か年上だった。
お店をはじめて17年になり、この秋68歳になった。最近は「大学生の親御さん」は、
確実に年下になった。

珈琲「ほぼぶらじる」を出したタイミングで、「元気シール」つきのショップカードをだして、
「珈琲の味をかえる実験をした」・・・・いつものように、小さなグラスに「ほぼぶらじる」をいれ、
そのまま少し飲んでもらう。その後、元気シールの上にのせて「3秒まってください。気が地球を一回りして、味がかわります」
と、生前このTQ技術を発見した故・山田俊男さんのマネをしていう。
いつもなら「わ~ほんとうだ」とか「不思議・・・」とか感嘆の声があがる。昨日は青年が真顔で「元気シールなしでも
めちゃくちゃ美味しいです」と褒め殺しみたいなお言葉を頂戴した。

その後お母さまが「実は、この子の就職祝いに、友達からUFOをいただき、それからこっちこの子がUFOにはまって
いて、ご挨拶にうかがいました」とのこと。
ぼくのお茶のお弟子様の「ムーツン」が、「友達の息子が大学生で、『将来喫茶店をやりたい』らしいのでプレゼントする。」
といって、UFOを買っていった。
ムーツンと同級生・・・かなり年下だ(笑)・・・どうでもいいか?ふたりとも美人だな!

将来喫茶店をやりたいくんが、ぼくの珈琲道具に興味を示した。
「ぜったいにプロになったら、プラスチックのドリッパーなど使わないように」といって、
だいたい自分の道具の値段を伝えた。お母さまも興味深々と聞いていたけど・・・
「これから、社会人になって、自分で稼いで、自腹で買うこと」を約束した。
そして、「最初の給与は、親に渡すんだよ」と、よけいなことまで言ってしまった。
昭和のころは、みな、そんなことを当たり前にしていたけど、今は昔だ。
でも、平成生まれの青年の夢が「将来喫茶店をやりたい」というのは、古くて新しい。感謝。

今日・明日は12時から16時。それから「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」
月曜は旗日だけど、「玉子かけごはん」(8-10)は、やります。

コーヒーは、もっとも身近なスーパーフードである!

先週、古本屋でそんなフレーズが書いてある本を見つけた。
ボブ・アーノットというアメリカの医学博士が書いた「人生を変えるコーヒーの飲み方」(扶桑社)。
一日一冊ときめていて、ほかに買いたい本を見つけていたので、立ち読みした。
後半の半分が、「やせ方?」のトレーニング方法と、珈琲とあう食べ物のペアリングの話で、「これはいらない」
と思い、10分くらいで速読。

昨日もその古本屋にいった。その本が先週の半額になっていた。
「買っても半分は読まないけど、何か縁ありそうなので、今日はこれにしよう」と思って、レジで
支払いをして、徘徊散歩。買った本をすぐに読みたいときは、近くのカフェや公園で読む。
でも、この本は先週読んだので、リュックにいれたまま、「タワービュー通り」を錦糸町から押上まで歩く。
不思議と、この通りはスカイツリーが、足元からてっぺんまで見える。ぼくらは、毎日、どこからでもスカイツリーを
見ているので、「それがどうした通り」みたいなものだが、外国や田舎からのおのぼりさんには人気の通り。

ちょっとそれて、路地裏を道草をしていると、小さなとんかつやを見つけた。
のれんをくぐり、「やってますか?」ときくと、店主が「どうぞ」という。
自販機で「ひれかつ定食(1900円)」と「さっぽろ瓶ビール550円」を買って、席についた。
15000歩くらい歩いたので、ビールはすぐに飲み干し、もう一度自販機にいって、「菊正宗」を550円で注文。
いまどき、どこのお店も「熱燗」を所望すると、レンチンででてくる。自販機に「温かいOR常温」と区別があって、
「温かい」を押したつもりだけど、常温がでてくるのはいやなので、大きな声で「熱燗にしてね」と、念をおした。
ら、手でもてないくいの「超熱燗」がでてきた。ポケットからハンカチをだして、徳利の首をつかんでお猪口にいれて飲んだ。
金沢出身で、「高野聖」を書いた泉鏡花を思い出した。彼は日本酒が好きで、熱燗党だが、それを通り越して沸騰させてグラグラ煮立ったものを好んだ。湯豆腐もしかり。この超、超熱燗を、「泉燗」と言うようになった。まさに「泉燗・菊政宗」だ。

くだんの「珈琲本」には、「ギリシャコーヒー」の淹れ方が、体に一番いいと書いてあった。
トルキッシュ珈琲みたいに、銅のパンに粉を入れて、熱々のお湯を注ぎ、それをコンロにかけて、熱々のまま飲む。
酒も珈琲も「熱々」がトレンドか?

家にかえって、UFOでモカを焙煎し、石臼で挽いて、ハンドドリップ。人肌+の温度で飲んだ。
晩酌は先週佐久の酒蔵で調達した「佐久の花」を、錫のチロリにいれ、鍋にポチョンと入浴させ、黄瀬戸の徳利に移し、同じく
黄瀬戸の盃で人肌で飲んだ。
100人いれば、100人の流儀があるのだろうが、やっぱりぼく的には、「酒も珈琲も人肌+」
くらいがちょうどいい。感謝。

織部 志野 黄瀬戸 の舞い踊り・・令和の竜宮城?

昨日、ベルギーから来た、というカップルがそばを手繰りにきた。
「PERFECT DAYS のロケチを観てきました」とのこと。
『パリ、テキサス』などで知られるドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースがつくった映画で、この界隈を
ロケ地にした。先月も同じような感じで、イタリアからきたご夫婦がいた。役所広司が、いい役者の味をだして、
アカデミー主演男優賞をとった。選挙と同じで、「見た人も多い」けど、「見ていない」人も多い。
「目明き千人 目暗ら千人」の世界。

「ハナゼン クダサイ」といった。英語のメニューはないけど、スマホがあれば、だいたい翻訳できる時代になった。

ここは、墨田区「文花」という地名。それを冠にした「文膳」(ふみぜん)という昼のみセットと、
「花膳」(はなぜん)というスイーツ(チーズケーキつき)のセットがある。

最初に志野(しの)の湯のみに黒豆茶をだす。「あ~シノ」と感嘆の声。
その後に、そば豆腐を、黄瀬戸(きせと)のひさご皿にのせてだす。「わ~キゼト」と黄色い声。
こちらのほうが「ナニモノ デスカ?」と聞きたくなる。日本人で、志野、黄瀬戸、織部、という桃山時代
からの陶器の呼び名をわかる人は、稀有(けう)だ。

しばらくして、そばを出す。ひとりは「ざるそば」、もうひとりが「花巻そば」。
ざるそばは、絵志野(えしの)の四方皿(よほうざら)にのせる。花巻そばは、能登漆の合鹿椀(ごうろくわん)だ。
「これも、きれいなシノ」といったけど、合鹿椀は「きれいなウルシ」といった。
蕎麦湯を、織部の土瓶にいれてもっていくと、「オリベのポットきれい」とのたまう。完璧だ。

最後に珈琲を白いカップにいれてもっていくと、「わ~コウダイがついている」とのたまわれた。
久保さんの珈琲カップは、抹茶茶わんと同じように、高台(こうだい)がついている。
なぜだか、美人、しかも金髪の美人がこれで飲むと、ピカピカなオーラを放つ。
そんな話をすると、日本の女子たちが少しきどって飲んで「私どう?」と問われることがあるけど、
少し頭をかしげて「ちょっと」と答えるようにしている。
「え、ちょっと、ってどうゆうこと?」と聞かれると、鏡を渡すようにしている(笑)

最後にチーズケーキ。やはり久保さんの織部の葉皿(はざら)でだす。
「この オリベ スバラシイ」と笑いながら言った。
昨日のリトアニア人と同様に、ここで「元気シール」のショップカードをだして、
珈琲の味の変化と、OK牧場実験をしながら佳境を迎える。
金髪の美人も名刺をくれた。ベルギーで陶芸をやっていて、来月銀座のギャラリーで陶展をやられるそうだ。

英語はしゃべれないけど、「共通の文化」があれば、こころ通じるものだ。
「英語でなにをしゃべるか?」が大事。自国の文化を誇れる日本人が増えてほしいものとつくづく思う。感謝。