ホボブラジルの原点・・?

今日は海が凪いでいる。
6時に有線で「さざえさん」が流れる。まだ薄暗い。
昨日の夕方、釣ったタコでタコヤキをつくった。
東京のお店の近くのオリンピックというお店で、イワタニの
コンロとタコ焼き器を買っていたので、はじめてつかった。一家に一台あると、楽しくなるよ。
タコヤキには、なぜだかハイボールが似合う?

今朝はあまったタコで、「たこくりご飯」を仕込み(こちらでは、カセットコンロと土鍋を使う)、
いつものように、釣りにでかけた。能登の秋は、渡り鳥たちがあまたやってくる。ツグミ、マヒワ、シメ、ウソ・・・
港に大きな漁船を修理しているじいちゃんがいた。船のことは、門外漢だが、どうみても
じいちゃんひとりの力では、うんともすんとも、微動だにしない様子。「ぼくにできることあれば、力かしましょうか?」
というと、「まだ若いもんの世話にはなりたくない」と、頑固な返事が返ってきた。
しばらく見ていたけど、やっぱりひとりでは、どうしようもないので、少しかせいをして、船を動かした。

このじいちゃんとは、何度か会話したことがある。昭和18年生まれてこのかた、この能登から離れていないので、
彼の能登弁は、2割くらいも理解できない。
向うも氣を使って、そんな時は「おれは年金がたくさん入ってきて、何百億もあって使いきれない」とか、「昔は
女にもててしかたなかった」などといって、抜けた前歯を見せながら笑う。

今日は、「お孫さんは・・?」というぼくの質問から、明後日の方向に話が飛んだ。
ぼく「お孫さんは?」と聞くと、おじいちゃん「金沢に結婚した娘がいるけど、ベベせんもんで、孫ができん」
とのこと。ここで「ベベ?」とか聞くと、じいちゃんの血圧があがったり、入れ歯が抜けたりしそうなので、
「ふーん」といって、あいまいな相槌を打った。
北前船で、文化や言葉が交差した日本海。神社の名前や、土地名などが、九州と同じようなものが多い。
「ベベ」・・・九州では「ボボ」にあたる。
昔、黒人プロレスラーで、ココナッツパッド(頭突き)の強いプロレスラーがいた。「ボボ・ブラジル」。
タモリがネタにしていたけど、その当時の九州の西日本スポーツ新聞には、放送コードにひっかかるので
「ポポ・ブラジル」と表記した、とか?。天真庵のブレンドの「ホボ・ブラジル」も、そんな流れからできた名前。

それはそれとしておいといて、先日、福岡の妹から電話。「昨日、王子さんが、マツコの番組にでとったバイ」とのこと。
先月、フジテレビで放映されたものが、テレビ西日本で再放映されたのだと思う。
能登は、渡り鳥たちの玄関であり、北前船で、九州と北海道の往路で栄えた土地。
最近は「UFOで町おこし」に成功している。次の「黒船」は、アメリカではなく、宇宙からこの能登に
やってくる、と、信じてやまない人たちが生きているとこ。

能登暮らし6日目

昨日は、釣りと畑仕事をした後、近くの日帰り温泉「じんのびの湯」にいく。
日本海に沈む夕陽がきれいで、ビュースポット?みたいな名前の宿泊施設もあり、
そこにある「雪割草」は、魚料理や能登牛がうまい。
ワインのお店も敷地内にあり、なかなか人気のスポットだ。
そこから能登の家までの海岸は、「千年旅人」(辻仁成)の映画のロケ地やった。
不思議な物語だが、あの世とこの世が、表裏一体の地、という点では稀有な場所だ。

家に帰って、さて何をつくって食べるか?なんて思っていたら、ご近所さまが
「シオが釣れたんで食べて」、ともってきてくれた。「塩?」
と思っていたら、ちゃんと半身を捌いて、しかも刺身になっていて、大根とみょうがのツマつき。
「カンパチの若魚のことを、このへんではシオいうの」とのこと。
ブリの若魚が「がんど」。カンパチの若魚が「しお」。日本海を全力で泳いでいただけの若さが刺身
の弾力にでていて、釣ったつぎの日あたりが食べごろということだったが、「そく飲み」のつまみに
して完食。「竹葉」もすぐに空になった。

今朝は、能登らしくどんより曇り。こんな日はタコフェスタの日。「たこやん」(タコ釣りの疑似餌)を用意し、
テクテク20分ほど歩いて、隣の港町へ。
能登の伝統的なタコ漁の「タコスカシ」の名人じいちゃんが先客で、すこし距離をおいてタコヤンをズル引きしながら
、30分くらいで2はいのタコを釣った。名人のおじいちゃんは、3はい。テトラポットを二本の竿もって渡り歩く身体能力
にはびっくりした。どう見ても70歳くらいに見えるのだが・・・  軽トラにのって帰る瞬間に、「おいくつですか?」
と聞くと「当年とって80歳」とのこと。釣りキチ三平のモデルになった「名人」が能登にいるらしいが、港港に
名人がいるような気がする。♪タコタコ・・タコの足・・・

我が家の栗の木の栗を、留守中に畑のおとなりさんが収穫して、もってきてくれた。
「くりごはん」と「タコめし」をいっしょに炊いて、お返ししたいと思う。(タコをゆでた汁で、タコと栗をいっしょに土鍋で炊くと、最高)
6日能登で暮らしているが、まだ買い出しにいっていない。使ったお金が、ほぼぜろ。(昨日の温泉代が500円・・)

能登くらし5日目

今朝の海は凪いでいる。おじいちゃんたちは伝馬船ににのって、アオリイカ
を狙いにいく。5時半くらいになると、港にある舟はほぼ空っぽ。
ほんとうに、みんな海が好きだ。

ぼくは、港の端っこにある岩場から、ルアーを投げて、ヒラメを狙う。
ヒラメは、海の底におられるので、沈むタイプのルアーにする。そうすると、
砂場だと大丈夫だが、この近辺の海は、ヤセの断崖や義経の隠し舟のように、断崖や岩
が多い場所。根がかりが多くて苦戦する。
「餌釣りにすると、アイナメやカサゴが釣れそう・・」そんな弱気な気分になるけど、
今年来年は、やはりルアーで、タコ・イカ・ヒラメを釣る名人になろうと思う。

しばらく岸壁で海を見ていたじいちゃんと挨拶。
じいちゃん「なんか釣れたね?」ぼく「今日はダメでした」
じいちゃん「わしは、若いころ舟でケープタウンあたりにもいってた。(うちの集落は船乗りさんが多い)
今年85歳になり、そろそろ舟を誰かにやろうと思う。いる?」
ぼく「ぼくは、オカズリ専門でいこうと思ってます」というと・・・笑いながら「そのほうがおもしろいな~」と。
最近「オカズリ」というのも、死語になってきた。狩り、も、釣りもしない「男子」ばかりが娑婆を闊歩しておられる。
還暦を過ぎると、モテキを卒業するので、釣り以上に、いろいろ工夫と努力をしないと、オカでは何も釣れないけど・・

近くの赤崎という小さな港町に「TOGISO」という「能登体験型の民宿」ができた。そこの主人は東京の天真庵に、ときどき
蕎麦を手繰りにこられていた。先月は、オープニングに「花火」をあげたらしい。地元の北國新聞に大きく紹介された。
今日も取材をうけるらしい。「都会の人たちに、能登暮らしのすばらしさを紹介したい」という、同じ志を持つ。
来年あたりから、いろいろジョイントしながら、発信力を倍音にしたいと思っている。

能登くらし4日目

先日、能登町の「梅茶翁」にいってきた。
3年かけてつくった自作の「ペチカ」ができあがり、火入れ式をやり、
毎日試運転中。19歳のミニチュアダックスの「いっち」(市松)も、先月交通事故
にあったけど、奇跡的な回復。きっと30歳まで生きられる。
昨年は、薪ストーブが入り、今年はペチカ。来月は梅の剪定。
田舎くらしは、できるだけ、できることは自分でする。畑仕事、家の修理や片づけ、山菜とりや
魚や海藻も自分でゲット・・・縄文時代に近づくほど、自然に寄り添い、神に畏敬の気持ちが自噴し、
「ゆたかさ」や「ありがたさ」が、教えられなくても、強要されなくてもわかる。それが本来の教養?

梅茶翁にいく時は、珠洲にいって、まわり道をしていく、のがならわしになった。
まず「塩屋」さんに立ち寄る。先月「にがり」をいただいたので、おかえしに「珈琲豆」をもっていった。
じいちゃんは、たばこと珈琲とジャズが大好きなモボ(モダンボーイ)。
にっこりご機嫌で「モシオ、をつくったんで、そばにかけて試食して・・」といって、少し茶色になった藻塩を
くれた。能登では、砂浜に塩をまいて、それを鉄の釜でなんども煮詰めて塩をつくる。「揚げ浜式」
という。昔朝ドラの「まれ」で、紹介された古式の塩田法。その時代の前に、海藻(ホンダワラ等)を乾燥させ、その上に
海水をまき、それを煮詰めて塩をつったものが「藻塩」である。このじいちゃんと四方山話をしていると、
お互いが「機関銃トーク」になって、きりがない。いつも横で筆子さんが、足やら手やらでぼくの足をこずいたり
して、おいとまの間をつくるのに、苦労する。

昨日は、先月蒔いた辛味大根を間引き。まびきした大根は、赤ちゃんのチンチンより小さいけど、葉っぱと
いっしょに刻んで、朝の味噌汁に。味噌汁の出汁は、前日いただいたタコを煮た汁。この汁で、
いもやじゃがいもを炊いたんのが、能登の郷土料理。「たこいも」という。
「よばれ」という秋の行事には、かかせない風物詩の味だ。「能登はやさしさ土までも」
という言葉の神髄が、五臓六腑に染みわたる滋味でもある。

夜は、アオリイカのパスタをつくった。アンチョビがわりに、漁師にいただいた「こんか漬け」(糠で青魚をつけたもの。能登の伝統発酵食)
を小さく刻んで入れると、能登ワインのなくなるスピードが加速した。

今日は土曜日なので、この界隈の海は、釣りも舟も海にでるのは中止デー。小さな港町だが、地球の環境のことを
ちゃんと考えながら、「能登で生きる」をやっておられる。
昨日収穫した「さつまいも」で大学イモでも作ろうか、などと考えている。
井原西鶴もかく語りき、 「女の好むもの、芝居(しばい)浄瑠璃(じょうるり) 芋(いも)蛸(たこ)南瓜(なんきん)」。感謝。

うんこくさい ぱーと2

うんこくさい(野人・上口愚朗)、を書いた本に「嗤う茶碗」(淡交社)がある。
日本一のテーラーを卒業して、陶芸家になっただけの「こだわり」が、古陶の研究
にも注ぎ込まれ、当時の陶芸界やマスコミに、なかばヤケクソぎみに投稿した論文が
紹介されているが、あながちクソミソではない、「裏もまた真なり」のことが書かれているように思う。
さすが「ウンコ哲学」を徹頭徹尾、貫かれた人だ。

捨ててしまえばみな糞袋・・・・そんな名言もあった・・なるほどと唸る!

田舎のほうは、「粗大ごみ」の整理に苦労する。「古民家を買うと、かたずけに3年かかる」という名言もある。
けだし名言だと、先日、座卓3つをゴミ捨て場にもっていって痛感した。集落の人たちも、「同じようなもの」
(箪笥・座卓・椅子・ちゃぶ台・・・)などに、200円の「粗大ごみシール」をはってだしていた。
人形ケースを捨てにきたおじいちゃんが「うちの二階にも、テーブルなどがいくつもあるけど、最近は
二階にもあがらん。ときどき葬式があると礼服をとりにあがるくらいや」とのこと。他人事ではない、とうなずく。
断捨離、というよりも、「捨てるようなものは買わない」とつくづく思う。

ごみ捨てが終わって家に帰ったら、近所のおばさんが「これ釣れたんで」と、カワハギを5匹もってきてくれた。高級魚にギョッ!
そこのご主人は漁師で、ときどき海が見えるベンチで四方山話をする。彼のカワハギ漁は、伝統的なもので、
「生きたクラゲ」を餌にして、竹で組んだ大きな籠みたいなものを舟からおろし、ころを見て、その籠をあげると、
うまくいくと、大漁のカワハギ祭りが催されるごとし、という話を聞いた。昨日は、お祭り(本来、釣りでオマツリ、というと、隣の
人と釣り糸がもつれることをいうけど・・)だったのだ。

さっそく、まないたのカワハギをさばく。口のところと、トゲのような背びれを、出刃包丁で落とす。
すると名前のように、カワハギがスムーズにできる。大きいのは、少し力がいるが。頭の先を出刃のかかとで
チョンと落とし、頭を手で折るようにすると、キモつきの内臓がでてくる。気持ち悪いことを、バカモノ
たちは「キモイ」とかいうけど、カワハギのキモは、美味い。
久保さんの斑唐津の盃にキモを入れ、皮をはいだ下の皮も包丁でとる。それを湯引きすると、フグにも負けない珍味が味わえる。
刺身をタコ引き包丁でうすく切り、織部の四方皿にのせ、かえしを豆皿に落とし、キモをまぜながら刺身をいただく。筆舌を超えた能登の味。

余談だが、能登の漁師はカワハギのことを「バクチ」という。
博打、つまり、賭け事で身包みはがれるようなことを揶揄したようなあだ名ではあるが、
「板子(いたご)一枚下は地獄」の命がけの漁師ならではの命名やな、と痛感した。
シンコロで、国の財政も、金融政策や、企業といわず、サラリーマンも、家計を預かる主婦も、
これからの未来のほうが多い子供たちも、ある意味、一歩間違えば「カワハギ」の運命に
なるような時代がやってきている。
「大丈夫、絶対死ぬまで生きられる」  絵描きの生井さんの言葉を反芻しながら、花垣を飲む。感謝。

うんこくさい

「うんこくさい」という奇妙で伝説的な陶芸家がいた。
全然は、日本一の洋服の仕立て屋といて名をはせたが、戦争で弟子たちが
戦死したり、世の中が激変して、陶芸家になった。川喜田半泥子(かわきだはんでいし)や
棟方志功と親交があった。財界や政界にもファンがあまたいて、不思議なお茶会(スキモノ会)には、
多士済々の文人や茶人たちが集った。

ある日、当時の首相の岸信介が、彼のアトリエ(愚朗居・グロテスクと称した)に訪ね、
焚火を囲み、焼き芋を喰らいながら談論風発をした。「バカヤロー」と書いた湯飲みで首相が
茶を飲み、「人間バカにならんとあかんな」というような禅問答をしたらしい。

せんだっての首相の選挙のことを思い出した。知り合いの書家がコロナ禍の中、銀座で個展をやった。
選挙中で苦戦を強いられていたIが、ひょっこり訪ねた、ときいた。「精神的文化力」という点においては、
首相になったのや、いっしょに落選したなんやら、よりも上。岸らが「妖怪」といわれながら活躍する時代
だったら、間違いなくIにも芽があったはずだ。
両手をなくした炎の書家の「愚」の前で、しばらく坐禅するように、立ちすくんでいたらしい。いい話だ。

「うんこくさい」はただのオヤジギャグではない。
彼には「うんこ哲学」という、唯一無二の哲学があった。もともと「哲」は、世間や政治のためではなく「自分」のためにある。
「トイレに入る時は流行も流派もなく、本音と建て前もない。生まれたままの自然の姿で、他人に見せるわけでもなし。
これが真の芸術である。」というものだ。
絵や書ができたり、茶をたしなんだり、楽器をうまく奏でたり・・・が芸術家ではない。うんこをするがごとく、
無為自然に毎日毎日の「今ここ」を生きる人は、みな芸術家なのだ。自ら「雲谷斎愚朗(うんこくさい・ぐろう)と
称した。

78年の生涯を終え、知人におくった死亡通知には
「やきものは窯から出なければわからない  人間は窯に入らなければわからない  愚朗」
と書いてあった。

秋の能登 一日目

東京にいると、衣替えの時にしか四季を感じる季語がない。
月曜日の夜東京をたち、いつものように菅平で仮眠をとる。
朝鳥の声で目が覚めて、外を見ると、信濃の山は紅葉が始まっている。
今年は毎日がシンコロのおけげで、自然のうつろいを感じる余裕もなかった。

松代のサービスエリアで、「朝そば」を食べる。「すうどん」みたいな「すそば」(ねぎがきざんでいるだけ)。
東京では毎日そばを食べているけど、長野にくるとパブロフの犬よろしく「そば」を食べる。
その後は、上越自動車道の「あらい」というところ(そこは、高速道路と道の駅が隣接していて、パーキングから野菜の直売所にいける)で、
買い物。朝いくと、春は、こしあぶらやタラの芽などを摘んできたばかりのおじいちゃんおばあちゃんがいて、話しながら
買い物ができる。昨日は「今年はじめてヤブタケ(ならたけ)がとれた」とおばあちゃんが、ニコニコしながら
棚に並べていた。四方山話をしていると、どこからともなく人が集まってきて、20パックくらいあったのが、1パックしかなくなった。
わずか5分。話をしながら、ポーカーフェイスで2パックを静かににぎっていたので、それとヒラタケ(もちろん、どちらも天然)を買った。

レジにいくと、「おおっ~」という声が後ろから聞こえた。じいちゃんが天然のマイタケをもってこられた。
値段をきくと5000円。もちろん東京では倍以上の値段がするけど、「少しこころえがあります」(買おうとしたら、
山の師匠で長崎にかえったSさんの「そんなもん自分で山いってとればよか」という声がした)で、
買わずに、こんにゃくいも、こぶりの「日本いちじく」などを追加で買って、能登をめざす。

山形や福島では、秋になると「芋煮(いもに)」というのをやる。妙高あたりは、やぶたけであたたかいそばを
食べたり、キノコ汁を家族や仲間たちと食べる。
このあたりのそばのつなぎは、オヤマボクチ(ヤマゴボウ )とか、まる芋を使う。
「自然によりそう生活」というのは、「ゆたか」そのものだ。

滑川で高速を降り、氷見の「すしのや」で、鮨をつまむ。昨日は13日で「ひみの日」らしく、12時前にいったのに、
二組待ちだった。氷見は「寒ブリ」で有名だけど、ほかの魚もうまい。ぶりの少し前の小さなブリを「がんど」という。
お酒を飲まないし、マグロなどの冷凍高級魚は喰わないので、いつもふたりで3000円でおつりがくる。
そこから車で10分の「神代温泉(こうじろおんせん)」に500円で入ったら、都会のアカがすっかり流せる。
旅行会社の企画で「GOTO・・」もいいけど、無視して、氷見まで車で、このコースをたどる旅も、おすすめ。

能登の家につく。畑をみてくれる近所の家に、お礼のあいさつがわりに、ワンパターンだけど、「そば」と「珈琲豆」
をもっていく。おかえしに「アオリイカ5尾」「タコ2尾」に「こんかずけ」(米ぬかに、いわしや青魚を漬けたもの)
が我が家にやってきた。「きのこ鍋」の予定だったが、それらを刺身にして、「竹葉」を飲む。
先月は暑くて、花垣を冷やして飲んだけど、10月はぬる燗がいい。来月は、「ぶり起こし」(冬の雷)がきて、
本格的にブリがおいしい季節になる。四季ではない。能登で暮らすと、「十二季」を感じる。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

昨日は、現役の女子大生が蕎麦打ちに入門してきた。
先々週、3人の「そばもん」が蕎麦を打つ姿を見ながら酒を飲んでいて、
酩酊の勢いで「私もした~い ボリボリ・・」というノリで入門してきた。
昨日は素面(しらふ)で、真剣な面持ちで、蕎麦打ち初体験。
菊練りや、猫手・・など、初心者には苦戦する峠もらくらく超えて、50分で
蕎麦を打つことができた。初めてゴルフコースにでて、100を切る、
そんなレベル。

今日は、月曜日。月曜日の朝は卵かけごはん。
今日の営業が終わったら、能登へ旅立つ。もっていく本を整理していたら、
20年以上も前の、辰巳芳子さんの本がでてきた。
曹洞宗の老師との対談で、曹洞宗の教祖・道元さんの著した「典座教訓(てんぞきょうくん)」
について、対談されている。今日日は、いったものかち、みたいな「料理研究家」が、星
の数ほどおられるが、似て非なるものを感じた。道元さんの座禅法「只管打坐」(しかんたざ)
についても、深く理解されておられる。道元さんは、「日常茶飯」の些細なコトに、こころをおかれた。
「うんこ」の仕方まで文で残されている。余談だけど、日曜日の午後、20年来の付き合いのある女子が蕎麦を手繰りにきた。
彼女は、奇人変人で号を「うんこくさい」といった陶芸家の家に住んでいる。都心にあって、タヌキがでるようなお屋敷。

能登に「S」という小さな湯宿がある。蕎麦も美味いし、これから冬にかけて、ブリが美味い。
そこのブリ大根は、冬ブリの一番うまいカマを焼いて出汁を丁寧にとる。そのやり方を指南されたのも辰巳さん。
醤油は、松本の大久保醸造所のものを使っておられる。知る人ぞ知る名旅館。

今日の真民さん

「一切無常」

散ってゆくから
美しいのだ
壊れるから
愛しいのだ
別れるから
深まるのだ
一切無常
それゆえにこそ
すべてが生きてくるのだ

お世話シアウハウス

今日は近くの幼稚園の運動会。
台風の影響で、天気は微妙だけど、晴れたらいいね。
昔は「体育の日」といえば10月10日だった。今日はプラス一日
の日だけど、統計的に「雨がすくない日」ということからその日になったらしい。
サバイバルの時代、みんな元気に駆け抜けていってほしいものだ。

味噌作りにくる家族が、週末能登を旅した。筆子さんが、いろいろまわるところを
紹介したようだ。ちょうど幼稚園生くらいの兄弟ふたりが、うちの近所の海岸にいって
遊んでいる映像がおくられてきた。10月なので海パンを用意などしていないので、
フルチンで、砂浜で遊んでいる。波に向かって四つん這いになり、のそのそ歩いている姿は、
まさに「海がめ」そのものだ。ぼくたちも、遠い昔、海から陸へ引っ越して、人間に進化したに違いない。

「TOGISO」と検索すると、知り合いの青年が先月開業した民宿がでてくる。能登の天真庵から車で10分ほど。
彼も、自分の子供たちが能登にくると、「笑顔や元気が違う」ということで、その地を移住先にきめた。
赤崎という小さな港町で、民宿は海に面していて、「能登の海つき民宿」。
釣り道具やバーベーキュー道具はついている。でも自分で魚を釣って、焼いてね。風呂は近くに
温泉があるし、そこにいって・・・・「能登まるごと体験型」の民宿。子供の将来の「サバイバル学校」でもあり、
「大人の学校」でもある。釣りができたり、魚やざざえが捌けたり、山菜やキノコが見分けられたり、
炭をおこすことができたり・・・・ひと昔前は誰でもできた、あたり前田のクラッカーを、誰も知らない。
「GOTO・・」は、割引率の高い、高級ホテルから満席になっているらしい。「お金に換算」するアホな習慣は
そろそろやめて、「お金で買えない大事なもん」のほうをとっていったほうが、いいかもなんばん。

最近、「グランピング」なる、不思議なサービスが流行っているらしい。
「キャンプをしたいけど、テント張るのはめんどうだし、虫やへびはきらい。バーベキュウーは
したいけど、肉や魚はそのまま焼ける状態にしてほしい・・・ボリボリ・・」そんなニーズに
答えて、上げ膳下げ善のいたれりつくせりサービス?「グランピング」で検索すると、ぞろぞろでてくる。
アホらしいけど、トレンドを勉強するには、ちょっといい?
「時代」ではあるが、「TOGISO」のシステムとは、似て非なる世界。
「便利はお金で買える」けど、ただそれだけ。頭を使わないので、工夫と想像がない。
「不便な暮らし(いなか暮らし)」は、なんんでも、そこにあるもので工夫しながら生きていく。その道程
が、とても大事やし、おもろいことばかりなんだけどな~。

明日の営業が終わったら、能登休み。
「寺子屋」は、ぜんぶやめてしまったけど、能登で学ぶものの準備がいろいろ増えてきた。
来月は「釣り教室に入門したい」という女子も手をあげた。
アオリイカをちょい投げで釣り、捌いて、刺身にしたり、鮨を自分でにぎったり・・・
学ぶこといっぱいある。それに蕎麦打ちと、少し料理ができたら、どこでもOK牧場。
「能登のお世話シアウハウス」の実現も近い?

ぬかずの二発

急に冬がやってきた。そんな感じがする週末。
能登と東京の二股暮らしをしているので、北前船よろしく、
「東京から、珈琲豆やそば」を運び、「能登から棚田米、揚げ浜式の塩、海産物」などを
運ぶのがならわしになった。同時に本や陶器類なども、いったりきたりしている。
「衣替え」ではないけど、洋服類も季節によって、行ったり来たりする。
夏から秋を飛び越えて急に冬がくると、東京で着るものに困る。

「秋ナスは嫁に食わすな」という諺のように、秋のなすは美味い。
ぼくは、とくに「糠床」につけたナスの漬物に目がない。
ぬか漬けは、夏から秋に発酵がすすむので、こんなに秋が短いと、損した気分になる。
嫁にも姑にも食わすこともできない。

ぼくの生まれた小倉では、「ぬか漬け」が昔から盛んなところ。小倉城主の小笠原さんが、
お茶やお花などの古流の礼法といっしょに、「醸しの文化」であるぬか漬けを伝承した。
今でも小倉城まわりに、糠漬けのお店があるくらいだ。嫁入り道具に「糠床」は必需品で、
それを床の間に飾ったので「ぬかどこ」というようになった。「床上手」というのも、ふたつ意味があるのかもしれない。
ナスをつける時、縦に半分に切り、皮のところも、包丁でむいて、塩を浸透しやすいようにする。
胡瓜は、両端を包丁で切って、そのまま塩つけて漬ける、が一般的だと思う。
小倉では、胡瓜もナスと同じように、皮をまだらに包丁でむく、というのが、礼法のように「きまり」
になっているのだ。

「ぬかずの二発」というのは、遠い昔の花火のごとく、幻になった。
「糠の二段活用」に、これからの悦びをたくそう、と思う。
長野の妙高の「そばや」で、酒を所望すると「やたら」という郷土料理みたいな漬物がでてくる。
いろんな季節野菜の中に、胡瓜の古漬けが入っていて、酒肴に最高。
それを応用して、ポテサラをつくる時に、「胡瓜の古漬け」を刻んでいれると、マヨネーズの
量も減らせて、健康的なポテサラができあがる。だいたい、ハムとかソーセージなどを刻んで
つくる人が多いと思う。塩分ひかえめな「梅干し」を刻んで代用すると、究極のポテサラができあがる。

小倉のチェーン店でない居酒屋などにいくと「さばをぬかみそで炊いたっちゃ」(鯖の糠味噌煮)
がメニューにある。これで酒を飲んだら、小倉の街を千鳥足で歩くことになる。
味噌煮の味噌の代用に糠をつかっただけだけど、美味い。
気分は天国だが、こわいにいさんたちが跋扈する街なので、すれ違いに肩などぶつからないように
ご注意ください。彼らはすぐに「くらっそ~、きさん」とかいって、すごんでくる。

もひとつおまけ。釣ったタコをゆでだこにする時、最初から塩もみすると塩辛くなる。
「糠」でもむのがコツ。タコも秋によく釣れる。おでんにするには、昔から料理人たちは、
タコを大根でたたいた。「まないたのタコ?」 貴女の大根足でタコを踏んでも、そうはいかない。

能登は11月になると、冬はじまりの雷が家や大地を震わせる。
「雪起こし」といわれ、縄文人たちは、それと同時にブリがやってくることを知っていた。
だから「ブリ起こし」ともいう。ぶりは、五段活用・・・捨てるところのないお魚さん。感謝。