UFO焙煎塾

昨日は、「UFO焙煎塾」だった。

能登に保管してある「エチオピアのモカ」(たまたまコロナの時に、神戸の船に積んであったのを買ったら、
その後、世界的なコンテストで3位になった。)と「モカマタリ」を、お弟子さんに焙煎してもらって飲み比べた。
どちらも、熱くして飲んでも、氷をいれて飲んでも、OK牧場。
世界的な異常気象と、戦争や紛争で、「モカ」が入手しにくくなっている。
2050年には、「この星から珈琲がとれなくなる」という予測さへある。
きっとそのころは、われわれ人間も、この星からいなくなるかもなんばん。

「かもなんばん」にかけるわけではないばってん、来月の「UFO焙煎塾」は、京都と能登でやることになった。
あたためて、塾生を募集したり、会場を告知して、人を集めることは考えていない。(4人参加になって、すでに定員オーバー)
「卒業旅行」といったところだ。

昼間は、喫茶店めぐりをして、夜は湯豆腐で名誉冠でも飲むとしよう。

湯豆腐や 持薬の酒の 一二杯  (久保田万太郎)

天真庵HPを今月いっぱいで閉鎖します!

昨日、そんな案内をHPにのせた。
「え・・・店やめちゃうの?」
みたいな問い合わせが、いくつかきている。
「明日、ぼくがバタっと倒れたら、そこで終わり」だし、「いつまでも」
が約束できないお年頃になってきたことも事実ある。
天地自然の法則「今ここ」を感謝しながら通っていくだけ。

毎朝、ジャンクメールがやまほどきて、それを消す作業も大変だし、
そろそろ、静かに退却する準備をしたいと思っている。
SNS全盛期で「いいね」や、「おれがおれが」を求める人が多い時代。

でも、どの時代も「ほんもの」は、目立たない、かもなんばん。感謝。

秋田の温泉宿で、ゆるゆるする気分?

世界的な建築家・白井晟一さんに「縄文的なるもの」という名随筆がある。
ネットで検索するとでてくる便利な時代になった。
天真庵の一階に掛けてある時計は、白井さんが生前アトリエで愛用していたもの。
ときどき、医者で趣味が「時計の修理」というじいちゃんが、修理をしてくれるお陰で、
18年(たぶん、100年を超える古い時計)もの間、時間を告げてくれている。

カウンターの上のランプも、白井さんのアトリエにあったものだ。
カウンターの板は、「百尺」という居酒屋で2代、60年ちょい使われてきた檜。
主人が夏目漱石の「草枕」を愛読していた、という話を聞いて、それが檜だということがわかった。
ぼくで合計80年になるけど、まったく、ゆがんでいない。そのころの「銘木」が、そんな高いレベルだったことがわかる。

カウンターの椅子は、般若くんが血だらけになって、藤で編んでくれたものだ。3年前、傷んだ藤を張り替えたので、
たぶん、また10年以上は、相撲取りや、ダイエットが必要な人がきて座っても大丈夫だと思う。

そのカウンターの床にも古い古材が敷きつけてある。改装をしていた2006年の暮れ、ギターかかえたおっちゃんが、
ふらっときて、「ぼくも、こんなお店をやろうと思って古材を集めていたんだが、酔っ払い運転で免許取り消しになって、
夢やぶれたので、君にあげる」という。
鹿児島から歌手になろうと上京し、銀座のクラブなどでギター弾きながら唄っていた「ろくさん」。
天の命名のように、63歳で旅だたれた。彼の奥さんの弟が「たけちゃん」。天真庵の「電気まわり」
は、そんな縁でずっと彼にまかせてある。

その「たけちゃん」が、昨日やってきた。テーブル席にあるランプシェードを、白井さんが秋田の温泉宿を
設計した時、使っていたものに全部変えた。大事にとっていたけど、それをとめる碍子(がいし)や、金具が古くなりすぎたので、
吊るす紐も含め、新しくした。その紐は、たけちゃんのお袋さんの手製。いろいろな人の「手」があわさって、天真庵が存在している。
猛暑の中、ブレーカーを一部落として、3時間かけて、新しいランプシェードがついた。
昨日閉店した後、秋田の「由利政宗」をぬる燗にして、新しいランプのカフェを楽しんだ。秋田の名旅館の露天風呂に
つかっている気分。アテは豆源郷の「豆腐」。白井晟一さんの「豆腐」もまた必読の随筆。陶芸家の久保さんの出会い
にも、この「豆腐」が一役買ってくれた。感謝。

梅仕事が無事おわる。

木曜日に、能登の梅林から連れてきた「梅ちゃん」たちが、梅シロップや梅干しの仕込みが
終わり、今年の「梅のワークショップ」も無事終了した。思った以上の暑さで、梅の夏バテが心配
したけど、「風の剪定」のおかげで、梅も元気になったみたいだ。
昨日のワークショップには、「そば」と「珈琲」のお弟子様もきた。今月、曳舟でカフェをオープンする。
来月はいっしょに能登の霊水を汲みにくるらしい。採算を考えると、カフェの開店も、その水を汲みに
能登まで往復するのも、愚の骨頂みたいだけど、どうぜやるのなら「妥協しない」を、自分たちの「たつき」(経済)
と忖度しながら、やっていくのも楽しいかもなんばん。

そんなやりとりを聞いていた「梅林ガールズ」(梅仕事を能登まで手伝いにくる奇特な女子の総称)のひとりが、
「私、天真庵・京都店をやりたい」とポツリ。昼酒を3合飲んだ勢いはあるばってん、目は半分マジ(笑)
今は大阪で活躍しておられるので「じゃ~8月に京都の喫茶店めぐりをするか・・・?」などとなかば半分冗談で
しゃべっていたら、くだんの弟子が「じゃ~能登にいく前に、上洛して、師匠(ぼくのこと)の珈琲道の足跡めぐりを
やりませんか?」ということになった。

土曜日・日曜日・・・猛暑にかかわらず、お店が繁盛して、くたくたになった体に、衝撃が走るような女子たちの発言に
クラっとなった。でもすぐに切り替えて、「おもろいやんけ・・・」(急に京都弁)
となり、「イノダ・・・からふねや・・・好日居、夏冬・・・・」朦朧としながらも、頭の中で「京都徘徊散歩」
をしていた。感謝。

これから「玉子かけごはん」(8-10)

そば豆腐が似合う器

木曜日、銀座のカフェから大量の豆の注文がきたので、朝から炭火をおこして、
ガラガラ焙煎した。それが終わって、近くのカフェで茶でもしようと思ったけど、「臨時休業」
の張り紙。みな休みたくなるよね、この暑さ。

そのまま、曳舟のブックオフまで歩く。途中、ヨーカ堂の前を通ったら、行列ができていた。
また備蓄米の放出?とか思ったけど、よく見るとミスタードーナツまでつながっていて、「夏限定のなんやら」
いうドーナッツを求める行列であることが判明。もちろん、最後尾に並ぶことなく、エスカレーターで書店のある5階まで・・・

ボクシングの雑誌を購入。ヨネクラボクシングジムに所属していて、日本チャンピオンを13度?
くらい防衛した岩本さんの記事があった。ぼくと同じ年なので、今は昔の話。
彼と3度闘って、最初は相手のボクサーが勝ち、その後二回を岩本さんが勝った・・・
そんな往年のライバルで、リングを去った後、岩本さんが大山で寿司屋をはじめ、彼はスウィーツの店をはじめ、
ひさしぶりのその自慢のスイーツを土産に、大山で寿司をつまみ、昔話に話を咲かせた・・・そんな内容だった。
池袋で「寒山拾得」のギャラリーをはじめたころ、ヨネクラボクシングジムにも通いはじめ、岩本さんに出会い、
彼も毎年「寒山拾得展」にきてくれて、南條先生も「いわもと」で寿司を食べるのを楽しみに上京していた。

また雑誌コーナーに「器」を特集したものがあって、少し気になって、立ち見・・・
桃居の主人が、「升たか」さんの器を紹介していた。「え・・・まだふたりとも存命なんだ」
と驚いた(笑)天真庵のカウンターの上に、升さんの珈琲カップがひとつぶらさがっている。
雑誌にのっていたのはデミっぽいけど、一個44000円の値段がついていた。
升さんが押上の長屋で作陶していたころ、「近くにうまいカレーやがあるので、こない」
と誘われ、スパイスカフェで、チキンカレーを食べた帰り、ボスの自動販売機に隠れるように
建っていた物件を見つけ、芸大出の中西くんたちに改装してもらい「天真庵」が押上にくることになった。

昨日の開店時間の寸前、久保さんから新作の器が届いた。黒い「向こうずけ」と「丸皿」。
「届きました。後で感想伝えます」とショートメール。
すぐに、3人の女性と、常連さんがきて「昼酒セット」を所望。
同時に荷物をほどき、黒い丸皿を洗う。それに、「そば豆腐」をのせてみたかったのだ。
これまでは、久保さんの黄瀬戸の「ひさご皿」に、のせていた。
まるで高級料亭のような感じになり、うらぶれた下町の「そばカフェ」には上等すぎるので、久保さんに「少し庶民的な器」お願いした。
30度を超える猛暑の中、黒い器に、白いそば豆腐をのせると、なにか清涼感がこれまでと違う。
思わず、久保田万太郎さんの一句が、口からあふれでてきた。感謝。

湯豆腐や いのちのはての うすあかり

今日も12時から16時。それから「梅仕事」「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」
明日の朝は、玉子かけごはん(8-10)

梅ちゃんといっしょに、東京に出稼ぎ!

水曜日に能登町の「梅茶翁」に、梅をとりにいく。
全国的に梅は不作らしい。都会で生活していても、異常気象のことは肌で
感じられるけど、田舎で海や山とふれあいながら生きていると、「地球大丈夫?」
と思うことしきり。
ドキュメンタリー映画『杜人(もりびと)~環境再生医 矢野智徳の挑戦』は、在日日本人の人は
観たほうがいい。
その矢野さんが、梅茶翁の梅の杜を、2回もきてくださり、「風の剪定」をやっていただいたおかげもあり、
今年の梅は、とても元気だった。みんなで「風の時代」を肌で感じた一日だった。
梅のことも「地球レベルで真剣に考える」時代になった。今は石油の利権などで戦争が絶えないけど、そのうち
「食料」がまわらなくなってくる。ひとごとではなく、みんなでどうにかせんとね。今回の選挙もみんないこうね。

7月1日に、海女さんたちが「海開き」で、能登の海にもぐって、「もずく」を採った。
海の中は、一年前の地震の影響で、砂に埋もれているところも多く、もずく、いぎす、黒藻、あおさ・・・
などの生態系がだいぶ変わっているみたいだ。海藻が少なくなると、それを餌にするさざえや、あわび、おちろん
魚たちの生態系もかわってくる。
海の気温があがっているので、これまで日本で一番漁獲量が多かった輪島のフグが、北海道あたりにまで避暑
にでかけているみたい。回遊魚のブリたちもしかりで、どうも出世魚になっていくルートが変わってきている。
この夏は、うちのエリアの沖合で大きなブリがよく釣れた。のはいいのだけど、脂がのっていないし、寄生虫(アニサキスなど)
がすごくて、生で食べるのが危険になってきた。原因は、温暖化でくじらが日本海にきて、その糞を食べる魚たちに、発生するらしい。
なにもかも、冷凍されて、世界中からやってくる東京の台所では心配ないばってん、これから釣った魚を刺身にする、が、ばってん
な時代になるかもなんばん。

今日から営業。
今日明日は12時から16時まで。それから「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」と「梅仕事」

月曜日の朝は「玉子かけごはん」

能登半島地震から1年半 今年も折り返し地点。

日曜日は、津幡町で大の里の横綱昇進パレードがあり、大いに盛り上がった。
今日で地震から1年半。公費解体の申し込みも終わり、あちこちで公費解体された土地が
更地になり、人口もかなり減っているみたい。でも、能登の人たちは元気に自給自足に
限りなく近い日常を生きておられる。「能登はやさしや土までも」

9月の豪雨で家の横の畑が土砂崩れになった。昨日はユンボがきて、工事が始まった。
家が揺れ、音がすごいので、和倉温泉の「総湯」にいくことにした。和倉温泉の鉄筋のホテルなども
解体工事がすすみ、ますますゴーストタウンになりつつある。
お風呂に入り、近くの「海とオルゴール」でランチ。
能登島でお母さんが、イルカウォッチングとカフェを経営していて、その事務所が全壊して、そこに
プレハブ店舗を構え、「海とオルゴール 和倉店」として4月6日から営業している。
「イルカ」は縄文時代から、人と親密な関係だった。

店長の坂下由下さんは、総湯で産湯?という和倉生まれ和倉育ちの生粋の和倉っこだ。しかも美人。
「日替わり」のランチを注文。地元のナスの炊いたん、黒豆、いんげんの肉巻、ポテサラと大盛のごはん、
それに味噌汁かわりの冷素麺。彼女がつくるお惣菜は、こころがこもっていて、夕飯の一品にテイクアウトする
お客さんも増えている。「総湯」に浸かって、「海とオルゴール」でごはん。和倉温泉のゴールデン梯子!

明日は朝から梅茶翁にいき、梅をとって、そのまま東京へ・・・・
今日はこれから焙煎。
珪藻土七輪に炭火を入れて準備をしていたら、近所のおばちゃんが
「ナスがいっぱいできたので食べて」と差し入れをくださった。
焙煎が終わった七輪に網をおき、へたをとったナスをおく。
珈琲豆と同じく、ガス(水分がある)とは違って、中までふわっと焼ける。
それを冷水でしめて皮をむき、そばつゆに浸して、冷蔵庫。
今日の夜の「アテ」ができた。能登ヒバの最高峰の木材も「アテ」という。感謝。

早寝早起き ごあいさつ

能登の塩を買いに、奥能登に通っていたころ、珠洲神社の近くの「みさき小学校」に、
そんな標語が大きくかかっていた。大きな声だして反芻した。

「それだけで、大学までいかなくても、人生の大切なことのほとんどが身に着く」と、
膝を打ってうなづいた。

押上で、18年になる。店の前を毎朝小学生たちが団体で通る。18年前の子供たちは、
自分たちから「おはようございます」と元気に挨拶してくれた。帰りも、お店の玄関をあけ、
「ただいま」などと挨拶してくれたものだ。そんな子供たちは、成人式の日などに挨拶に
きてくれたりして、まるで「孫」が成長するを喜ぶ気分になった。

「ゆとり教育」のおかげか、「人を見たら泥棒と思え」みたいな時代になって、最近の子供はこちらが挨拶
しても、しか、とされる。「おまえら、大丈夫か?」とこころの中でおらんだりするけど、今の時代を
象徴している。何か大切なものが蔑ろになった時代。

押上も「不動産バブル」で古い家を解体して、マンションや建売住宅が、雨後の筍のような状態だ。
能登も、公費解体で、解体のラッシュ。解体業者の人たちの8割以上が、外国の人。
その外国の人たちは、自分たちから「おはようございます」「雨なので足もと気をつけて」なんて挨拶をする。
それを指揮している日本人は、仏頂面だ。

そのあたりに、「日本が世界からおくれてきたな」、と思ったりする今日このごろ。
今日も、タコヤンをもって散歩していたら、ぼくより色の黒い解体業者に「こんにちわ。魚釣れましたか?」と聞かれた。
「ぼくは、岡釣り専門です!」といわなかったけど、そのうち、そんな隠語や、「姫はじめ」
などの俳句の言葉なども、わかるようになるかもなんばん。
彼らの足元に、野良ネコの親子がいた。猫は「アオカン」で、子供を産む・・自由だ。感謝。

青空の 下でまぐわり 命継ぎ    (南九)

縄文から続く「能登のくらし」

今日の能登は、朝から上天気。
6時になると、非常時用のスピーカから、「さざえさん」(季節によってかわる)の目覚ましコール。
「タコヤン」をもって、海へ・・・

タコの師匠は、すでに海でなにかをとっていた。
縄文時代からあったかどうかしらないが、能登では「蛸スカシ」という方法でタコをとる。

右手に竹に赤いふんどしの紐みたいなものをつけて、浅瀬の海でヒラヒラ誘う。好奇心の
強いタコはそれに反応して、8本の足でヒラヒラを抱きかかえそうに、覆いかぶさる。
その瞬間、左手にもった竹・その先っぽには、鉤がついていて、それでタコをつかまえる。
浅瀬の海の歩き方、竹の持ち方、捕まえ方、その後の処理(名人たちは、素手で生きたタコを海水で内臓などを取り出して
洗う・・・ぼくは、噛まれるのがイヤなので、ビニール袋にいれて、持ち帰って、家で処理をする)のやり方で、
「名人」がわかる。「釣りキチ三平」にも、この蛸スカシがのったことがある。

まもなく、師匠が海からあがり「これ、みそ汁にいれて、食べまっし」と、
「ズメ」をくれた。あわびの親せきのような貝だ。希少価値のある珍貝。
春は、ワカメや黒藻をとり、夏にはさざえやあわびをとり、ときどき「ズメ」などをとる。
伝馬船も今日は、全員海へ出奔。
春夏秋冬、能登人たちの食卓には、山海の珍味が並ぶ。たぶん縄文時代から連綿とつづく「能登のくらし」
がここにはある。「たまかな暮らし」というのは、こんな暮らしなのかもなんばん。
「おかえし」は、ペットボトルにいれた「水出し珈琲」。
師匠は「いつもすいません」と笑うけど、こちらがいうセリフだ。感謝。

田舎暮らしに「UFO」が優美に広がっている?

昨日は雨があがったので、野良仕事。
家の横の畑は、昨年の地震と豪雨のダブルパンチで、土がながれ、使えなくなった。
もうひとつ、駐車場の後ろに小さな畑があって、秋にそばの薬味の「ねずみ大根」の種を蒔く。
先月、そこに唐辛子の種を蒔いた。うまくいけば、柚子胡椒の素になる予定だ。
ぼくのそばの大事なふたつの薬味が、この畑でつくられている。
来週梅をとりにいく梅茶翁の三輪福さんに「EM菌」をもらったので、それを畑に蒔いたら、
竹やいろいろな草たちが、予想以上に元気に育っている。それらを、剪定しながら、畑のまわりにおく。

うぐいすの声にまじって、子猫の声がした。ふりかえると、駐車場の横の倉庫(地震で半壊になった)
の、壊れた板の隙間からでてきた、生まれて間もない子猫が4匹、「初めての散歩」よろしくよちよち歩いている。
親はキジトラ猫の「ガリ」。今回、痩せた体で天真庵デビュー。あまりに痩せた猫なので「ガリ」と命名。
4人の子供を育てているので、ガリガリになんだ。母はすごし!

家にもどって「ガリが、4匹子供を産んだ」を告げた。
ポーカーフェイスで「豆腐が食べたくなった」。
我が家は、東京からもってくる食材と、途中の道の駅などで調達するものと、現地で釣ったり、
いただきものだけで、10日や半月は買い物の必要がない。でも、野良ネコが急に増えたりすると、
「ネコ餌」や「牛乳」などを、富来(とぎ・富が来る、というめでたい地名)という町にいって、
買ってくる。
魚屋さんに、朝どれのアジがあった。15尾くらい入っていて380円。筆子さんが「よろしく」といって
買い物かごにいれた。「よろしく」とは、さばいて、頭も食べやすく切って、ネコの餌をつくって、という意味だ。

車の中に常備しているクーラーに氷と魚と豆腐を入れて、「橋本食堂」へ。筆子さんのおばあちゃんの生家の近くにある食堂。
地震で半壊になった食堂は、もうすぐ公費解体になる。もういちどあるやなしやの気分で「天麩羅定食」でビールを飲む。
天ぷらがあがる前に、カウンターの上にあった「北國新聞(ほっこくしんぶん)」に目を通すと・・・
富来椀「この器でごはんを食べると、富が来る」という記事。先日紹介した木地師のTさんが、大きくのっていた。
今回の地震で取り壊される家の柱などを使って、みんなの思い出がこもる木を、ろくろで形をつくり、漆まで自分で
やって「富来椀」をつくっているらしい。

家にもどって、玄関にある使い古したUFOをひとつ、Tさんの家に届けた。「今日から『UFO焙煎器 友の会 副会長』に任命する」
般若くんや角居と同じく、金沢美大卒のTさんも、無類の珈琲党。
卒業する時に、先生が「これから、毎日ものつくりをすることになるが、仕事のはじまりに、珈琲を楽しむ
ことを忘れないように」と言われるらしい。「富が来る」・・・「ゆたか」とは、このあたりにあるのかもなんばん。

家にもどると、ギタリストの赤須翔くんから生豆の注文がきた。「ブラジル」1K「コロンビア」0・5k「ガテマラ」0・5k
彼こそ『UFO焙煎器 友の会 会長』だ。
岡山を拠点として活躍するアーティスト三宅洋平さんと、いっしょに活動している。ギタリスト兼ベビーシッター。
2016年の参院戦で、「選挙フェス」にて若者のこころをつかみ、一世を風靡した男だ。今は岡山で暮らし、
政治とは距離をおいたが、こんどの参院戦は、また誰かが同じような風を吹かすに違いない。感謝。