マンデラ・エフェクト

こないだ、久しぶりに銀座のカフェに納品がてら、銀ブラ(銀座でブラジルと、銀座をぶらぶら両方)
を楽しんだ。途中、昔よくいった骨董屋(5年前に閉店)の前を通った。そこの主人は東大をでて
骨董屋になった。80過ぎで引退したので、かれこれ90歳になる。
毎年年賀状のやり取りをしているだけで、引っ越し先の目白のマンションにはまだいったことがないが・・。

ときどき、手紙をもらう。以前こんな手紙がきた。

「前略  先日同窓会にいったら、同じテーブルにいた友人が
『中国語で蚊のことをなんというか知ってる?』と問うが、誰も知らない、と答えた。
すると『チースウ』とやつがいった。一同、フーンという顔をする。
するとその男が『ミャンマーでは、反対でスーチーなんだが・・』とポツリ。静かなテーブルに
笑いがおきた。加えてその男が『中国語がわかる人間がいたら、受けないジョークだけど』といった。

そんなたわいのない話。でもこの話を時々すると、うけるときとそうでない時の差がある。

それに似たような話が、少しブームになっている。

興味のある人はネットで「マンデラ・エフェクト」と検索してみて

ネルソン・マンデラ氏は、アフリカの英雄で波乱万丈の生涯をおくった人。
スーチーさんと同じか、それ以上に世界中の人が知っているのだけれど、
「不思議な現象」が起きているらしい。(例)新潟でよく朝鮮から拉致されるので、朝鮮半島は新潟の北あたりにある・・とか

世界中の政治や経済やオミクロンはじめもろもろの異常気象・・・「信じがたい現状」というのも、
もしかしたら、どこかでみんなが錯覚しているような悪夢?と思いたくなることしきりの今日このごろ。
地を吸う蚊、くらいは、かわいいものだ。すごい時代になったものだ。でもこの先には、きっとすばらしい未来が
待っていると信じたい。そう思う人が増えれば、なんとかなると思う。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

押上小学校の子供たちが、元気にお店なの前を並んで登校する。
お店は15年になるので、開店当時ランドセルをしょって通って
いた子たちが、「成人しました」とかいって、着物やスーツ来てくれる
ことがあり、歳月人を待たず、を感じることしきりだ。

今日は、その小学生たちが、すぐに逆流のように、親が同伴で
家路に帰っていく。聞いてみると「学級閉鎖」だとのこと。
フルタイムや、パートで働いているお母さんは、大変あわてたことだろう。
職場や学校や家庭・・どこにいても空気感染するオミクロンが容赦なく
迫ってきてる感じがひしひしと伝わってくる。

昨日は、近所のマンションで、看板も名前もないカフェの80歳のおばあちゃんが
夕方お茶を飲みにきた。朝早くおきて、朝ごはんの用意をし、近所の認知症のおばあちゃんに届け、
薬を飲ませ、家に帰ってくると、常連さんたちに朝ごはんを無料で提供し、洗い物を台所に寄せたら、
認知症のおばあちゃんと散歩する、が日課。
お昼は、「原始的ぶつぶつ交換」みたいに、朝ごはんをごちそうになったおばあちゃんたちが、自分の
得意な料理をつくり、みんなで食べる。おおざっぱにいうと、そんなルールがあるらしい。
成人病にも、インフルエンザにも、シンコロにも負けず、齢(よわい)90前後まで、元気に生きて
こられた強い女性たちの生きざまが見え隠れする。

昨日の昼は、炊き込みごはんの好きな江戸っ子ばあちゃんが「深川飯」をつくってくれたらしく、
そのお流れを頂戴することになった。いつものように、「深川飯は好き?」と聞くので
「大好物ですよ」と答えたら、にっこりして、手提げから、深川飯の入ったタッパーをだしてくれた。
「入れ歯の年寄りばっかりなので、ネギは入っていないわよ」とのこと。どうも総入れ歯になると、
ネギも大敵になるらしい。いずれいく道のコンシャルジュみたいなおばあちゃん。
閉店した後、入れ歯になった時の訓練みたいに、ゆっくりと噛みながら食べた。
ネギのかわりに、梅干しを刻んだものが入っていて、慈悲深い味がした。感謝。

令和の原始的ぶつぶつ交換・・

昨日のお昼に、ひとりのご婦人が蕎麦を手繰りにこられた。
「『能登』を見てきました」とポツリ。
まさか雪の中を・・と思っていたら、妹さんが能登でカフェをやっていて、雑誌を見て
東京に住むねえちゃんに「いってきて」と頼んだということ。
二月は能登にもどらないけど、3月にそのカフェを訪問する約束をする。
なんか新しい時代の「原始的ぶつぶつ交換」の上級編みたいで、うれしい邂逅。

その後、食品関係の会社に勤める女性が蕎麦を手繰りにきた。
「お願いがあります」というので、聞いてみると「まんぼう、のために、新年会が
中止になり、会社の主力商品を進呈することになり、米沢牛のしゃぶしゃぶ肉をもらったんだが、
食べきれないので、食べてくれませんか」ということ。間髪をいれず、「OK牧場」と発し、
彼女の好物の「甘酒」と交換。

4時で閉店。てっちゃんが、蕎麦打ち教室にくる。同伴の奥方が「お土産」といって、大好物の豆源郷の
豆腐をもってきてくれた。お返しは天真庵が紹介されている「能登」。
「あとはネギをしょってきてくれる子がいたら、今晩はしゃぶしゃぶだ」と思っていたら
、福岡の母親から電話。「能登、が届いた。なかなかよか内容・・・」みたいな会話を
お店の外でしていたら、水色の車がお店の前でとまり、運転手のきみが手をふってくれた。
昨年から千葉に畑を借りて、野菜をつくっているお弟子様で、手にネギをもって
降りてきた。お返しは「そばかす(ガレットの材料)」真民さんの言葉に「念ずれば花ひらく」というのがあるけど、花ある女子3人の
女子に、しゃぶしゃぶセットの主役たちを、べつべつにいただいた(笑)

蕎麦打ち教室がおわり、しゃぶしゃぶを酒肴に、能登の「竹葉」のぬる燗を飲んでいたら、携帯がなった。
近所の洗い張り屋(この界隈には、まだ、そんな昭和のお店が残っている)の女将さんで、織田流煎茶道の同心のMさん。
「そろそろお店を閉めようと思い、古い家具なんかを整理したいんだけど・・・」とのこと。
能登の茶の間にある鎌倉彫の飾り棚や、桐の手あぶりも彼女の愛用品をいただいた。お店の椅子は、天真庵
とおなじく般若君作のとうの椅子だし、もっている家具たちの品格がすばらしい・・・
断捨離が大流行だけど、ぼくはあまりこの言葉が好きでない。捨てるようなモノは買わず、捨てたくないようなモノを身のまわりにおき、必要でなくなったら、またつぎの人に
、受け継いでもらう・・・そのほうが、「もったいない」もなく「ゆたか」だと思う。

「能登」にのむら暮らしが紹介された・・

昨日「能登」という雑誌に掲載された記事を、表紙にはりつけてもらった。
校正前のゲラで、珈琲の豆をひいている写真が、「蕎麦をひく」になっていたりするけど、ドンマイ。
発売された本には、ちゃんと「そば」になっている。能登の知人たちからメールがきたり、電話が
きたり、ホボブラジルの注文がきたり、で、東京の雑誌などに紹介された時よりも、
反応があって、半農半Xみたいな生活に加速がつきそうな風向きに、老体に鞭打ちながらがんばっている毎日。

昨日、たけちゃんが、道具をもってやってきた。15年前の改装の時、電気工事を請け負ってくれた職人。
それからこっち、古い建物(築77年)についてある、ソケットや電気器具・・・いろいろ故障した時に連絡すると、
すぐに飛んできてくれる。昨日は、碍子(がいし)まわりの漏電とか、アースみたいなものを点検しながら、今年の
やるべき箇所を提案してもらった。椅子のとうの張り替えを昨年夏、般若くんにやってもらって、あと15年は
大丈夫になった。碍子は京都の骨董屋から購入したものを、たけちゃんが上手に配置してくれて、古民家の風合い
みたいなものを醸し出してくれた。古い建物と同様、電気とか水回り、屋根なのどメンテをしっかりやっていると、
今どきの家よりも、持続可能なのである。

その京都の骨董屋は、もともと藍染で財をなし、人間国宝になった陶芸家・近藤悠三や芸術家を応援した。
福岡の玄洋社の遠山満翁が関西に行く時に逗留した家でもある。その家の床の間には「南開」と揮毫された頭山翁の書が飾ってあり、ぼくも
何度かその部屋に泊めてもらった。お礼に、その部屋の茶箪笥の中にあった近藤さんの宝瓶(ほうひん)で玉露を淹れ、
女将さんたちにふるまったりしたことが懐かしい。(能登の雑誌にのっている我が家の床の間の掛け軸で、ひとつは、南條先生の寒山拾得、もうひとつ「一・・・」は解説文はないけど、頭山満の書である。翁の大フアンのおかまのMくんが、見るたびに、「これ、頭山先生の字にしてはうますぎるので贋作だと思うから、うちにタダで頂戴、とおねだりされる・笑)

話が脱線した。
いろいろな職人たちが、がんばってくれて、この古い建物を維持してくれている。
ここの改装に参加した人たちが、その後近くでカフェやシャアハウスなどをつくって、街を
彩ってくれる。最初に「ぶんかん」ができた。昼の店長だった「なつきくん」は、島原
に移住し「くちのつ巷珈琲焙煎所」をつくり、そこの電気もたけちゃんが駆けつけて工事をした。
夜の店長だった「ユーホーくん」も、熊本に移住して無農薬の米をつくっている。
今月はそのユーホーくんが住む古民家の改装に、たけちゃんが駆り出されるらしい。
日本中に、負動産とかいわれる古民家がいっぱい空き家になっている。
うまく活用していけば、限界集落どころか、味のある「まち」や「むら」に、懐かしい未来の灯が
ともる。ほんとうの「ゆたかな生活」にもどす絶好のチャンス到来時かもなんばん。
アホな政治家が発するオーム返しの「持続可能・・・」の合言葉は、うすっぺらい。自分たちの毎日の暮らしの中で培っていきたいものだ。感謝。

今日から「まんぼう!」

シンコロ時代になって、みずから時短をし、ライブも夜の勉強会も
やらなくなって久しい。売り上げは半分以下になったし、10日は能登で
暮らしているので、うらぶれた街に、倒れそうな佇まいのお店は、まさに風前の灯火、
といった具合である。でも幸いに「霞を喰うレシピ」を公案し、能登でお金のかからない暮らしの実験中
で、「まんぼう」がきても「びんぼう」にならないような気がしている。(実際には、貧乏という棒をふりまわし
ながら、毎日そばと格闘しているのであるが・・)
今日から東京都も「まんぼう」。平日は18時閉店が当たり前なので、なんら変化なし。
「お酒」も昼からでも時間内ならOK牧場だ。

水曜日、小学校時代からの親友のまったいと、横浜駅南口で待ち合わせて、「そばやで一献」の新年会。
小学校、中学校時代は、北九州の黒崎という繁華街でよく「うどん」を食べた。もちろん酒は飲まない!
「横綱」というお店がふたりとものお気に入りで、「ごぼ天うどん」を食べるのが、ならわしだった。
お互いに、東京で暮らすようになったけど、「東京駅の地下に美味い博多うどんがある」といっては
行き、最近は有楽町の駅に近い「博多うどん」を食べながら酒を飲んだりしていた。

そんな「うどん派」のまったいが、週一ペースで横浜の「そばや」で、昼酒を飲むようになった。
三度目になる。一度目は、「このお店は、岸信介とか政治家が通った店だ」という説明をきいた。
政治家(昔の)は、「井戸塀」といって、民のために働き、けっきょく残るのが井戸と塀、
そんな格言に似た名前のお店だな~、というのが印象で、升に注がれる冷や酒をお替りするだけで、
「そば」にたどりつかなかった。

お店の名前は「いどべい」ではなく「かどへい」という。だいだいののれんに「角平」という字を
確認できたのが二回目にいった時だ。その時は、もうひとりの小学校からの友人の松下くんが、
社長に就任したお祝いをかねての「そば会」だった。彼も小学校高学年あたりから、親の秘蔵の酒を
くすねて飲むような左党で、3人で「そば前」(そばの前に飲む酒)を、学生飲みし、
そばを手繰るまでいけなかった。

「三度目の正直」だと勇んで、のれんをくぐる。
いつものようにそば前に、新潟の地酒「鶴齢」を一杯頼む。まったいが「のんちん(ぼくの小学校時代からのあだ名)、
ここのそば食べたことあったっけ?」と聞くので「なかよ」と答えた。
「じゃ、わすれんように最初に頼もう」ということになり、「つけてん、ください」と注文した。
何・・・?つけてん 漬物の天ぷら?今流行りのとりの天ぷら?不思議な顔をしていたのか
「ここは、つけ天」が名物だといって、メニューに「元祖つけ天」と書いた看板メニューの写真を見せてくれた。
ちょうど、升酒がなくなるころあいで、「つけ天」がでてきた。そのタイミングで、緑川政宗のぬる燗がやってきた。
もりそばの横に、平茶碗みたいな器に入った暖かい甘汁に海老天が、器からあふれるような感じでのっている。
「天ぬき」(天ぷらそばのそばぬき)みたいなんに、そばをつけて食べる、のが、流儀らしい。
なるほど、飲んべえには、たまらないそばの酒肴みたいな蕎麦だ。「ぬき」と「もり」の両方が楽しめるわけだ。

昔から、そばやは、いろんな人生や歴史の「変わり目」の舞台になってきた。そんな風情を久しぶりに
味わいながら、横浜の街を梯子しながら、徘徊した。鼻歌は♪横浜 たそがれ・・・
ふたりとも、65歳を迎えた。いっしょに梯子した仲間たちの何人もが、場所を天国に移して飲んでいる。
たそがれ、よりも、かわたれどき、に近い季節を迎え、足のおぼつかぬ猿が三番叟を踊っているがごとくであるが、
「死ぬまで生きられる」をモットーに、ときどきそんな酒を楽しんでいる。感謝。

「能登」にのっとーと

昨日、「能登」の新しい号がおくられてきた。
春夏秋冬、年4回発行される季刊雑誌。
最初は、梅茶翁の梅仕事にいった時、地元のスーパー「どんたく」(福岡みたい・・・神社や地名も福岡と同じものが
随所にある)。
昨年の秋に、突然「能登」の社長がカメラをもって、押上の天真庵にやってこられた。そして、11月に、はじめて
稲刈りをしているとこ、12月が能登の家の近くの海で、「ノマド型焙煎機」でガラガラ焙煎したり、それを自宅で
淹れている写真などが掲載されている。

おかげさまで、15年間、いろいろなメディアに紹介されてきた。途中は食傷ぎみ・・・という
感じの時もあったけど、今回は、まったく新しい切り口で、読んでいても楽しくなる。
能登の「スイーツやさん」もたくさん紹介されていて、けっこう移住や、Uターンして新規で始めたお店
などもあり、新鮮だ。
東京は「情報」が氾濫しているし、お店などもできては消え、またできては消えの繰り返しの感がある。
それにくらべると、都会生活に限界を感じたり、親の介護や家の事情で田舎にもどることになり、自宅の倉庫を改装
してカフェや、ジャム工場や、陶芸のアトリエ・・・に、変わっていく「ものがたり」が、ページや文字の間に
いっぱいこめられていて、楽しい。「新しい生き方」を模索している人には参考になるものがいっぱい。
人が生きているだけの「ものがたり美術館」を拝観しているような気持ちになる。

夕方、近くの押上文庫の文庫ちゃんが珈琲を飲みにきた。
いつものように、「おかわり」をして、二杯の「ほぼブラジル」を飲み、
カウンターに積んでる「能登」を見つけ、「これも一冊いただきます」とがま口から880円
だして買っていかれた。
押上文庫が、金沢文庫に引っ越しをしたり、故郷の松本に二店舗目ができたり・・・
そんな日がくるようなことも、あるやもしれない。またまた新規感染者の数が急増しているので、
近々営業形態の変更やむなしの東京の飲食業界。トンガの噴火と同じく五里霧中だ。

月曜の朝は卵かけごはん

今年はじめての「卵かけごはん」
今月末から、「味噌作り」が始まる。コロナ禍で、自宅で食事を
する人が増え、味噌・醤油・塩・・・調味料などに「こだわり」を持つ
ひとが増えてきたみたい。年末は、海苔が売り切れ、仕入れ先にも「来年まで・・」
と念押しされ、先日やっと入荷(蒲田までとりにいく)した。
焼肉をすると、ダンチな力を発揮するということや、イザの時ライフラインがとまった時に
必要な「七輪」も売れているらしい。ぼくが使っている珠洲の珪藻土七輪は、能登のどの「道の駅」
にいっても売っていたけど、今は「入荷待ち」のシールがはられている。
防災訓練を兼ねて、家族や仲間と、七輪と土鍋を使って、ご飯をつくってみるのも一考だと思う。
「卵かけごはん」がご馳走になるよ。

今日の「真民」さん

タンポポ魂

踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする

虎の掛け軸をかける

阪神タイガースゆかりの書・・ウソ

昨日は、15年前に、この建物を改装してくれた中心人物たちが、
カウンターにずらっと座って、珈琲を飲みながら「今年もよろしく」の会。
ぼくがその当時50歳。彼らは芸大を卒業した直後から、池袋の天真庵で
個展をやったり、お酒の会や、きのこの会(毒キノコにあたって病院にいった経験も)、タコフェスタ(たことりの名人もいた)、
大塚阿波踊りの警察沙汰事件・・・いろんなヤンチャな経験の後、押上天真庵の改装をやってくれた。そんな彼らも、同じく
15年の年を加え50歳、寄る年波の季節を迎えている。

当時は二階が、飯場になっていて、キャンプ用のバーナーで、ご飯を炊いたり、煮炊きをしながら、
土日には、見習いと手伝いを兼ねて、多士済々の若者たちが集って、がんばってくれた。
ぼくは、池袋から毎日のように通ってきて、彼らに差し入れをしたり、ときどき飲みに連れていってガス抜きを
したりしていた。ある日、焙煎したての珈琲豆をもっていって、珈琲を淹れたら、棟梁?の中西くんが、
「今日のブレンドはどんな豆を使っているんですか?」と真顔で聞いた。「いつも、ブラジル、ガテマラ、
コロンビアと、あと一種。でもブラジルを深煎り、浅煎りと二種類焙煎するので、ブラジル中心の珈琲や」
と、説明したら、「ふーん。ホボブラジルですね」と、返して笑った。

彼らは、力道山もボボブラジルの時代でもないのに、不思議だな~、と思っていたら、改装中の家の中に
「ぼぼブラジル・すごろく」を発見したことを告白された。
そんな不思議な邂逅があり、「その名前いただきま~す」ということになり、それからこっち15年間、
天真庵で供する珈琲豆は「ほぼブラジル」いっぽんで、昨年からは、能登珪藻土七輪を使い、炭火で焼いたものをブレンドしている。

その飯場の壁に、べんがら色の和紙を貼って、ガラスの置き床をつくり、床の間にみたて、季節ごとに、
いろいろな掛け軸を飾ったり、季節の花を飾ったりしながら、お茶を教えたり、かっぽれや、ヨガの教室
になったりしている。「床の間」という空間は、さながらどこの家にもあった「その家の美術館」である。

今日は、同心の織田流煎茶道の人たちが、二階で「初煎会」をやることにあいなった。煎茶は、京都の黄檗山に中国から
招かれてこられた隠元和尚を祖とする。インゲン豆、の隠元和尚。お茶・禅・書を日本に紹介された。
二代目の木庵(もくあん)さんも中国人で、隠元・木庵・即非(そくひ)の「書」を「黄檗三筆」という。
今年は「寅」年。木庵の「寅」を、能登の家からもってきてかけた。つい五年ほど前まで、
中国バブルで、中国のナリキンどもが、日本に渡ってきた中国の美術品を取り戻すブームがあり、
「渡り」と呼ばれる中国モノの値段が沸騰した。黄檗三筆は、一本1000万くらいまでいった。
たまたま、銀座や京都に骨董屋によく通っていたので、
「隠元」「木庵」などの書を、京都では清水の舞台から飛び込む気で、東京では東京タワーから飛び降りる気で、
何本も買った歴、いや癖?がある。自殺はしたことも、思ったこともないばってん、骨董を買う瞬間は、「ままよ きんたま おとこのこ」
よろしく、スリルと度胸と気合・・いろんな気が爆発するような瞬間で、そこが最高で買った後は、一度も見ないものもあったり・・。
「女道楽」や「なんやら道楽」と共通する性質がある。あまりお金に縁が薄い質(たち)なので、この書たちを売ろう、なんて
思ったことは一度もない。

この「寅」は、黄檗の禅が、🐯の鬣(たてがみ)のように、風に吹かれて、世界中に広がっていきますように・・・
との願いの賛が書かれた軸だ。400年近く前に書かれたものだけど、今でも筆の勢いがその当時のままで、
墨の香りが残っているような風合いの軸でもある。
今日は、この書を眺めながら、とびきり美味しい玉露が飲めそうだ。感謝。

墨田で炭だ!

昨日は、朝早くから3時くらいまで、能登の七輪で炭火焙煎。
東京ガスが設置した探知機?が「ゴチュウーイクダサイ 空気が汚れてます」
としつこく警告するので一たん休憩して、近所にできたカフェ(なんやら珈琲?)まで散歩。
昨年の暮れにできた。亀戸線の踏切のところにできたので、「踏切長屋」
とかいう建物の一階が、珈琲屋、二階がシエアハウスになっている。

半径1kの中にあるカフェとか居酒屋には、ほとんどいかないようにしている。
知り合いに会うのが面倒やし、こちらがオフの時は、あまり口はききたくないし、
どちらかというと、引き籠り状態のほうがここちよい性格。
毎朝、香取神社にお参りする時に、そこのお店の踏切を渡っていくので、すこし
気になって(こんなうらぶれた街で、珈琲やさんが成り立つのかな?とか、知り合いの
物件なので、家賃をぼったくられてないかな・・?とか・・珈琲豆は、生焼けじゃないかな・・?とか)
ドアを開けた。うら若き女性の店主が「いらっしゃいませ」とニコヤカに挨拶してくれた。
「同業者ですいません。視察にきました。そこのテンシンアンです」というと、びっくりされた。

実は、その二階に住むSくん(大学生)が、ぼくのそばのお弟子様で、そのくんが
「なんやらちゃん(覚えていないのは、みな、なんやら)という一階のカフェの店主は天真庵に
いったらしいっすよ」と教えてくれた。
ので、能登で焙煎しているサンクスカードと、焼き立ての「ほぼブラジル」を手渡し、
メニューもみなくて、「この豆をエスプレッソでお願いします」と注文したら、ニコッと
して「承知しました」という。「これ持ち込み料 おつりはいりません」といって、千円をカウンター
においた。

待っている間、久保さんの新作といっしょに、荷物に入ってあった「俵屋(京都の老舗旅館」の本を
読んでいた。あまりにおもしろく、ここがどこかもわからないくらい没頭していたら、小さなデミに
「ほぼぶらじる エスプレッソ」がでてきた。おつりの550円をそえて・・前日、銀座で飲んだのは「ほぼぶらじる エスプレッソばってんアメリカーナ」
。どちらも、素は、「炭火焙煎のほぼぶらじる」だけど、似て非なる味がする。これまで「日本のエスプレッソなんて・・」
と、なかば見下し半ぎみに敬遠していたのが、「新しい世界の珈琲やな」といった衝撃を二日連続うけた。

炭火とガスの違い・・・・うまく説明できへんばってん、ガスや石油ストーブの前にいると、
あたっている前の部分は温かいけど、それだけ。炭火に手をかざすと、体の中を通して、背中まで
あったかくなる。
陶芸の世界でも、ガスや電気の窯で焼いたんと、薪窯で焼いたんでは、味わいが、ベツモンである。
もちろん、天真庵で使っている珈琲カップや、そばの志野の四方皿、唐津の蕎麦猪口、豆皿・・・
は、ぜんぶ久保さんが穴窯で焼いたものだ。志野の四方皿は、15年毎日使っているけど、
一枚も割れていない。中までしっかり焼けている証拠。陶芸家の腕のよしあしに、そんな「中まできっちり焼けている」
というのは大きなポイントだ。珈琲豆も、同じことだと最近思う。

残り香を楽しみながら、界隈を一時間ほど徘徊散歩。前日と同じく、余韻が一時間・・・
銀ブラもいいけど、下町散歩も捨てたもんじゃない。
墨田で炭だ!すみにおけない珈琲人が増えてくれれば、OK牧場だ。
いつか「炭田珈琲店」という珈琲やができるかもなんばん。廣田くん(すみだ珈琲の店主)がはらかくかな?

今日から通常営業・・・土日は12時から16時まで

新しい時代の銀ブラ

帰る高速道路の途中、携帯にメール。
銀座の隕石屋カフェの主人から
「豆がなくなりそう。至急頼みます」とのこと。
一日はやく東京についたので、一日なにもすることがないので、
さっそく豆をもって、納品。

毎月かなりの量の「炭火焙煎珈琲豆」の注文をいただくばってん、
まだいったことがなかった。べつに、銀座が苦手なわけでも、面倒なわけでもない。能登
にいる時に注文をもらうと、郵パックでおくれば、安くて、次の日に届く。
東京にいる時は、休みの日は朝から晩まで焙煎をしているし、その間に、「珈琲塾」が
あったり、お仕覆とか蕎麦教室・・・野暮用が目白押上なので、*「銀ブラ」の時間があない・・
*注  銀ブラとは、銀座をブラブラすることではなく、「銀座でブラジル(珈琲)を飲む」が原点

デパートの松屋の裏手、に新しいカフェがある。
お昼前なのに、女性のお客さんがふたり・・・
自分もお客さんの顔をして入り、「アメリカーナください」と注文したら、店主が
「あけましておめでとうございます」と丁寧なご挨拶。「とびきり美味い珈琲を
飲ませる店があると聞いたんで、やってきました」といって笑うと、いつもは、隕石を売るプロ
の店主が、バリスタよろしくエスプレッソマシーンをあやつり、アメリカーナを
見慣れた珈琲カップ(これも、天真庵から嫁いだものだ・笑)に、いれてだしてくれた。
自分が、能登の海岸で開眼した炭火珈琲が銀座の一等地の怪しげな?カフェで
なってなっているのは、なんとも不思議だけども、ありがたいものだ。

マメリカーナ700円、ドリップ(隕石ドリッパーで一杯づついれる)が800円・・・
並びの、なんやら珈琲というところの珈琲も一杯880円・・・
ブラブラ歩くだけなら、お金がかからないばってん、本来の銀ブラは、1000円近く
かかる。しかも、それに値するような美味い珈琲を飲ませるお店が、少なくなってきた。

すこしお世辞もいれて「ごちそうさま」といって、700円をだそうと思ったら、小銭が
なくて「5000円からお願い」とだそうとしたら、店主が「おつりは、開店祝いですね」と
笑う。「自分が焼いた珈琲に700円をだすのもはじめてばい。」といって、おつりを
しっかりもって、有楽町駅近くの骨董屋まで歩いて、そこの主人に新年の挨拶をして、山の手線と総武線に
のって錦糸町までもどる。ブラブラをいれて、約一時間。お世辞でいったつもりだけど、
隕石カフェのホボブラジルは、なかなかいい線いってるかもなんばん?

「ほぼブラジルの目指す味」

のみ口 ひと口めが すっきり
人肌に さめても まったり
あと口 余韻が 一時間

令和の「銀ブラ」のモデルになってくれれば幸いだ。感謝。