月曜の朝は、玉子かけごはん・・!

昨日の夜から東京は雨が降っている。
今日も、一日雨。

「玉子かけごはん」のごはんを珪藻土竈(かまど)で炊く。
火起こしにで炭をおこし、ちゃんと洗った(みがいた!)お米を
羽釜にいれて、重い木の蓋をして炊く。
♪はじめちゃろちょろ なかぱっぱ ぱんぱらぱんでも ちょっとがんばれば みなできる

のだ。

「おこげ」がおまけの、銀しゃりができあがる。
残った炭火を、小さな珪藻土七輪に移し、その上に手回しの焙煎機をおいて、ブラジルから焙煎。
ブラジル、コロンビア、デカマラ、もといガテマラ、+なにかもう一種を順番にして、ブレンド
すると、「ほぼぶらじる」ができあがる。
これから、アイス珈琲や、水出し珈琲の季節。
ほぼブラジルを、「UFO焙煎器」にいれて、パチパチと爆ぜるまで焙煎すると、
それを水出し珈琲の器具で、ポトポト落としていくと、おいしい水出し珈琲ができる。

今朝の味噌汁は、妙高高原の「こごみ」が入っている!

なんだか知らないけど、「炭火」を使って、ごはんと珈琲の仕事をする月曜日は、
一番好きな曜日。雨もまたよし。「雨の日と月曜日は」を聴きながら、できたての珈琲を飲む・・・感謝。

究極のしんちゃんのそば!

昨日の「そば打ち教室」には、珠洲の女子が入門してきた。
家は全壊し、「まだ見に行っていない」とのこと。「これからのために
そば打ちをやりたい」。コロナの前にも、珠洲ゆかりの男子がそばを
習いにきたことがある。縄文なる能登人・・・

目的意識がしっかりしていて、真剣にそばを身に着けたいとの「思い」が伝わって
くるので、こちらも気合をいれて、伝授する。
「どんなそばが好っきゃねん?」と質問したら、「しんちゃんのそば」と即答がかえってきた。
「まじめに3年くらい通ってきたら、そのレベルのそばが打てるようになるかもなんばん」と返事。

「しんちゃんのそば・・細いそばで、角がある」・・・水回しがしっかりできていて、均等に薄くのばした後、切れ味(スピードも含め)
のいい包丁さばきを必要とする。
だいたい初心者は、2時間くらいかかって、きしめん、ときには、ほうとうみたいな、そばともうどんともつかない
「そばどん」みたいな成果物を持ち帰って、家族に「これどげんして食べると?」というようなところから始まる。

今日は東京生まれの女子が「そば打ち」にくる。二回目だ。「天真庵のそばが目標です」とのこと。
それだと、がんばれば、一年でOK牧場だ。

ちなみに、しんちゃんのそば、とは、奥能登で有名な宿の主人が打つそば。
「湯宿 さか本 」で検索したら、宿のHPがでてくる。
滋賀の「月心寺」の庵主さま(ほんまもん)に師事し、鎌倉の「辰巳芳子先生」直伝の「ブリ大根」は名物料理になっている。

今日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」二階では「ゆるゆるヨガ」。
ヨガの先生・かすみちゃんは、ぼくのそばのお弟子様でもある。
「ヨガった後のそばは最高」という。彼女も石川県出身。

明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)

門前のそばのそばや

昨日の話の続きみたいやけど、總持寺の門前に「手仕事屋」というそばやがある。
豆腐屋もやっていて、昼の豆腐御膳みたいなメニュでは、冷奴やがんものたいたんがでてくる。
京都や奈良もそうだけど、禅寺があるところは、精進料理が伝わるので、うまい豆腐屋が多い。
ここのそばは、輪島塗の平皿にアテ(能登ヒバ)の葉を敷いた上に、主人が毎朝打つそばがのせられて
でてくる。被災して、しばらくはガレットのテイクアウト営業をやっておられるけど、また復活したら、
イの一番に食べたくなる能登のそば。「手仕事屋」という屋号にスピリッツが籠っている。

今日は、ぼくもそばを打った。ラジオからロッド・ステュアートが流れてきた。
いつもは「びん棒」と呼んでいるのし棒を、エレキギターに見立てて、踊ってみたくなるほど、
ノリノリのロックンロール。傍らで掃除している筆子さんが「能登と東京の両方のリズムにすぐに対応できて
すごいね」と呆れた顔して笑っていた。

さすがに、能登から東京にもどってきた日は、「思考」も「体」も、時間差攻撃にさらされる。
昨日は、朝はやくおきて、香取神社まで徘徊散歩。少し時差がとれる。
仕込みの途中に、亀戸の骨董屋が2週間入院して
やっと退院との電話をいただき、煎茶をもって元気になった顔を見にいく。
いつもは、主人が抹茶をたててくださるのだが、昨日はぼくが煎茶を淹れた。
「急須借りますよ」というと、「いい急須が手に入ったからそれ使って」といって、小ぶりの朱泥の急須を貸してもらった。
「冗談だじゃない、これ、じょうざんやね・・」というと、「さすが」とニコリ顔。

「京島の取り壊される長屋に買い取りにいったら、娘さんが『じいちゃんが死ぬまで愛用していたんです』って」
京島の長屋も、不動産バブルの泡にまみれ、絶滅危惧種になりつつある。仕事場と職場を兼ねた狭い部屋に、
手あぶりで暖をとり、五徳の上に薬缶をのせ、手仕事の合間に句読点を打つように、愛用の急須で茶を淹れ一服。
そんな日本人のものつくりの小さな拠点が壊され、マンションなどが立ち、街の景気が上塗りされる。
界隈の新築のマンションも、億超えや、それに近い価格になってきた。じいちゃんの「清貧」と、
億ション生活・・・どちらが「ゆたか」なんやろ・・・?

そんなこと考えながら、到来ものの煎茶をすすっていたら、「この急須いる?」と骨董屋の主人のビットがたった。
骨董屋が「いる?」と問うと、「買うか?」という意味だ。
「ぼくも、このじいちゃんの魂を受け継ぎ、清貧な暮らしの中で、お茶を楽しむことにした」と、丁寧にお断りした。
常滑焼の急須で、人間国宝になった山田常山先生の逸品の京島急須物語。感謝。

今日明日は12時から16時。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
今日明日は新人の女子の「そばもん」がそば打ちにやってくる。明日は二階で「ゆるゆるヨガ」
明後日の朝(8-10)は玉子かけごはん。

道元さん、どげんして福井や能登へいったとやろ?

先月、北陸新幹線が延びて、福井に旅する人が増えているようだ。
昨日の朝、能登を出発。霊水公園で水を汲み、和倉温泉の総湯で
ひとっ風呂浴びて、夜の10時くらいに東京に着いた。

昨年の6月、京都のホテルで珈琲のイベントがあり、福井から鯖街道を通って、
大原にいったことがある。東京から能登よりも断然短い距離だ。もっといえば、
同じ石川県の小松から珠洲に行くよりも、小松から京都のほうが近い。
不動産の価値も、道路や鉄道も、「採算」を重視すると、どうしても「東京から」
という発想になるけど、ちょっと見方をかえると、直観力という強い味方がついてくる。

曹洞宗の道元さんが比叡山を下り、鯖街道か名古屋から古道を通って福井にいき、永平寺を建立した。
「分け入っも分け入っても青い山」の山頭火みたいな旅だったと思う。
道元・・・名前に道をつけるくらいだから、道なき道を歩むのが好きだったのだろう。
もともと、道とは、首が転がっている地面を表す象形文字だといわれる。
いろいろな旅をしながら、行き倒れになる人生を、そのまま表していておもしろい。

道元禅師が鬼籍に入ったあと、弟子さんたちが永平寺を出て、新しい伝道を始めた。
その拠点になったのが、今回の地震で大きな被害を受けた輪島の「門前」。
よく「どのお寺の門前ですか?」と聞かれる。總持寺の本山だった祖院の門前のことだ。
たぶん、北前船で富を得た黒島あたりの賑わいで、人や文化が交流して、その財力も能登總持寺
の発展には、かなり寄与したに違いない。その「黒島地区」も未曾有の被害を被った。
今の「成金」と違って、その当時の商人たちは、儲けたお金を、お寺に寄付したり、後進の育成のために使った。

神奈川の鶴見が「石原裕次郎の葬儀」をやったりして有名だけど、明治時代に能登の總持寺が火災
にあい、なんらかの政治的な影響もあって、鶴見に移った歴史がある。

京都、福井、能登、鶴見・・・・道元禅師の足跡をたどって、座禅をしてみると、
「いごこち」とか「尻のすわりごこち」とか、いろいろ各自で感じるものの違いがあるのではなかろうか?
「どこに住もうか?」とかいうことも、ひょっとしたら、そんな尻のまわりが感じる直感みたいなもので
決まったりするのかもなんばん?もじもじしていたら、九州のさいはての門司あたりにいくつく。
布刈神社(めかりじんじゃ)のあるいいとこ。感謝。

明日から営業。土曜日曜は12時から16時。それから「そば教室」「UFO焙煎塾」

ほっといたら、みんなゴミ屋敷?みんな難民?

昨日は富来の野球場(災害ゴミの収集所)に、家電や木くず、座布団、布団、ガラスなどを
車に積んでもっていった。先月は、野球場の入口に、平日は10台、土日は20台くらい並んでいた。
さすがに、昨日は2台くらいだった。3か月以上たって、少し落ち着いてきた。
畳が数が多いので、ボランティアの人にお願いした。

今朝は「燃えないゴミ」の日。徒歩5分海が見えるところに、ゴミの収集所がある。
能登では、ごみ袋に35円のゴミ券を貼ってだす。3月までは、県か市の計らいで無料だったけど、
また4月から有料にもどった。でもみなさん、毎日片づけをしているので、「これを期に断捨離?」
とばかりに、多くのゴミがでている。

年をとると、いろんなことが面倒になり、家の中が「ごみ屋敷」になる傾向がある。
今回の地震は、有史に形容をみない規模の海底隆起とか、海が遠くなったりとかの大きな変化を
もたらしたけど、人心もまた大きく変わっていくような気もする。
「荷物は軽いほうがいい」と思うのは、能登人だけの問題ではない。

突然なんの前触れもなく災害はやってくる。「災難グッズ」をリュックなどに入れて準備していても、
「イザ」となったら、スマホ・現金・カギ・・をにぎりしめて家をでるのがせいいっぱい!
「まず・お体おだいずに」が、イの一番!
たぶん、国も行政もアホじゃないので、「どこでいつ起きてもおかしくない」日本列島に住む
在日日本人が、右往左往しないような対策を講じるに違いない。
アメリカから古くなった武器を買わされ、国賓扱いされて喜んでいる首相や、そのレベルの
政治家たちも断捨離せんとね・・

炭火を起こせますか?寝袋で寝たことある?野糞をやったことある?
コンポストトイレを使ったことある?キャンプをしたことは?
ソーラーパネルで充電できますか?カセットコンロでUFOを使って焙煎できますか?

山桜咲く里山を眺めながら、大きく深呼吸。西行さんもこんな季節の風をうけ、こんな句を
残したのだろう。

願はくは花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ

先日紹介した一茶の句をもう一度・・毎日毎日が「死」に向かっての旅でもある!

死に支度 いたせいたせ と桜かな

ふしあわせという名の猫

能登の家には、毎朝、野良ネコさんたちが5匹くる。うち二匹はお腹に赤ちゃんをかかえている。
この厳しい環境で、野にくだって(自分の意志ではないか?)、生きていくのは
、けっこう縄文的だなあ、と思う。
毎月、10日しか能登で暮らさないので、残りの20日は、空き家の軒先などで、雨露をさけ、
やさいいじいちゃんばあちゃんから、托鉢ものを押し頂きながら、命脈を保っているのだろう。

能登で暮らす10日間の食料は、毎朝目の前の海でタコをとってきたり、魚を釣ったり、
釣れなかったら、トボトボと歩いていると、近所のおばあちゃんが畑でとれた野菜などをくれる。
今回は、毎朝のように「生わかめ」をちょうだいし、魚が入るはずだったビニール袋いっぱいもって、
家にもどる。味噌汁の具になったり、お湯を沸かして鍋の中にいしるをいれ、しゃぶしゃぶにすると、
家中に磯の春の香りが満ちる。湯がいて冷凍すると、保存食にもなる。布刈神社さんありがとう。

駐車場の裏の畑のまわりは、ヨモギと三つ葉が自生している。ヨモギは湯がいて冷凍しておくと、一年近く
持つ。というか、お湯にいれて、冷凍しても栄養分がかわなく、冬に「よもぎもち」をつくって、囲炉裏で
焼く味は、筆舌を超える美味だ。
そんなこんなで、能登暮らしでは、食費はあまりかからいけど、ネコの餌が、我が家のエンゲル係数をあげているみたいだ。

今日も晴天なので、畳を干し、濡れた着物や布団を干した。
野良ネコたちは、畳のうしろで昼寝をしたり、畳で爪とぎをしたりで、のたりのたりかな。
「飼っている」つもりはないけど、なんとなく「家族」みたいな関係になってきた。みんな幸せそうだ!
幸せは、不幸な顔してやってきたり。一見幸せそうに見える人が、おおきな不幸をかかえていたり・・・
幸不幸、というのは、表裏一体だと思う。

石川出身の浅川マキさんの歌「ふしあわせという名の猫」を思い出した。寺山修司さんが作詞・・・
彼女は、うちの隣に隣に住んでいたジャズドラマーのセシルと名古屋でいっしょにライブをしている時、宿泊先のホテルで
突然召された。その一年後に、セシルが千葉の海で亡くなった。
事故や病気で人は死ぬのではない。「生まれてきたから、遅い早いはあるけどみんな死ぬのだ」を、同じ年回りの友人たちの生きざまを
垣間見て、そう思うようになった。天恩感謝。

不幸せという名の 猫がいる
いつも私のそばに ぴったり寄りそっている
不幸せという名の 猫がいる
だから私は いつも ひとりぼっちじゃない

この次春が来たなら 迎えに来るといった あの人の嘘つき
もう春なんか 来やしない 来やしない

不幸せという名の 猫がいる
いつも私のそばに ぴったり寄りそっている
この次春が来たなら 迎えに来るといった あの人の嘘つき
もう春なんか 来やしない 来やしない
不幸せという名の 猫がいる
いつも私のそばに ぴったり寄りそっている

能登の春 千里鶯ないて・・・

今日も晴天だ。集落のおばちゃんたちは、和布(わかめ)を、長方形の長い笊に干している。
能登の春の風物詩だ。海女さんの文化は16世紀に宗像の鐘崎の海女さんが能登まで出稼ぎにきて伝えられた。
関門海峡の門司側に「布刈神社」(めかりじんじゃ)というのがある。潮の満ち引きを司る神さま「瀬織津姫(せおりつひめ)」を祀っている。そこから「導き(みちびき)の神様」になった。旧正月の朝には、神職さんが、新芽のワカメを刈る神事で有名。
春の海女さんたちのワカメ作務の所作を見ていると、いつもそんな故郷の神事を思い出す。

我が家は、ワカメではなく、毎日濡れた畳を干している(笑)
お天道様の力を感じる日々でもある。
二階の畳は、全部廃棄することにした。朝いちばんにする仕事は、二階の5部屋(全部和室)の窓を全部開けっ放しにする。
一階は六部屋ある。台所以外は和室。
ほとんど二階を使うことはなかったけど、窓を開けると、山桜の咲く里山が眺望でき、鶯やホオジロたちの春を告げる囀(さえずり)
が響き渡る。災難にあって、あらためて、大自然の恩恵みたいなものを感じる。起こることは、みな意味がある。「それからどうする」
を楽しみながら生きていくのが一番。

二階の階段のところに、掛け軸がかかっている。世田谷のお茶の先生にいただいたものだ。
杜牧(とぼく)の「江南の春」が揮毫してある。原文は、ちょっと難しそうに見えるばってん、一度読めたら
一生読める。朝日を浴びながら、この詩を朗々と読んでいると、「杜牧」ではなく「ぼく」が詠んだの?みたいな錯覚を覚える。
これも老化現象かな?感謝。

千里鶯啼緑映紅

水村山郭酒旗風

南朝四百八十寺

多少楼台煙雨中

日本語に訳すと、

千里鶯啼いて緑みどり紅くれなゐに映ず

水村山さん郭かく酒旗しゅきの風

南朝なんちょう四百八十寺しひゃくはっしんじ

多少の楼台ろうだい煙雨えんうの中

能登の桜は満開だ!

昨日、 天皇、皇后両陛下が能登にお見舞いにこられた。二度めだ。
天皇は、50年前の学習院初等科時代に能登に遊学され、昨日は懐かしい再会があったという
ニュース。
ぼくもはじめて能登にきたのは、立命館に入学した年の夏休み。かれこれ50年になる。

能登は桜が満開だ。見渡すかぎり、里山の山桜も満開だ・・・
近所に元・幼稚園だった場所がある。子供が少なくなって、閉園になって久しいけど、
毎年残った桜が、昔を忍ぶように咲く。徘徊散歩の足をとめ、満開の桜を眺めていると、
子供たちの笑ったり、歌ったりする声が聴こえてくるようだ。

今年の志賀町の小学校の新入生が5人。震度7だったという数字と同じくらい衝撃的な数字だ。
名前も知らない元・幼稚園の先に、「中根酒店」という「田舎の百貨店」がある。
お店が今回の地震で傾いて、「冷蔵庫の傾きを見てたら、しばらく吐き気がしたわ」というおばちゃんは、
しばらく金沢近くの実家に身を寄せていたけど、最近お店を再開した。「うちがないと買い物難民がでるからね」と笑う。
気骨ある能登人だ。10年ほど前に、このお店に若い木地師(漆器の下地をつくる職人)のカップルがやってきて「このあたりの古民家
で仕事しながら暮らしたい」といった。海辺にある古民家を紹介し、近所の藤懸神社で、集落の人が集まって結婚式をした。
そして、3人の子供ができて、この集落で暮らしている。・・た。タコ釣りの帰りに、彼らが神社の草刈りをしたりしている時、
向こうから「こんにちわ」と挨拶され、彼らの先輩である金沢美大の般若くんの話などをした。
残念だけど、今回の地震で古民家が壊れ、家族で京都に移住した。

春は、桜とともに新しい出発の季節。荒城の月ではないけど、廃校になった校庭や、廃線になった駅に桜が咲く。
ぼくは、そんな「美しい残像」みたいな桜が好きだ。でも今年の桜は、せっかく知りあった人たちとの別れも多く経験した。
ぼくの家も、屋根がやられ、雨もりがひどく、濡れた畳を、毎日干しながら、ボランティアの人の手を待つような日々。

畳がなくなった居間の窓から、里山に咲く山桜が見える。到来ものの「タラの芽」でパスタをつくり、
中根商店で買った「能登ワイン」を飲んでいると、ふと一茶の句を思い出した。

めでたさも 中位なり おらが春

こんな一茶の句もある

死に支度 いたせいたせ と桜かな

能登の小学校で学んだ「早寝 早起き 朝飯」

今日も天気がいいので、朝釣りにいき、これから朝ごはん。
昨日は、ワカメと黒藻(高級食材)ともずくなどをもらったので、
「能登の海藻具だくさんの味噌汁」がちゃぶ台にあがりそうだ。
毎月、奥能登に塩を買いにいったり、珪藻土の七輪を買いにいったりしていた。
珠洲に「みさき小学校」があり、そこに「早寝 早起き 朝ごはん」
という標語が掲げていた。「この三つは、生涯不変な大事なことを教わっているな~」と思った。
それに、「ご挨拶」と「笑顔」が加わると、鬼に金棒かもなんばん。

日曜日に、ボランティアの人が、片づけの下見にくる、という電話。
二階の濡れた畳と壊れた洗濯機を、富来の災害ごみ置き場(野球場)までもっていってもらう。
昨日は、東京の錦糸町の「ヤマダ電機」から新しい洗濯機が届いた。地震の揺れで前のが壊れたからだ。
今回の地震で、「冷蔵庫」と「洗濯機」がたくさん壊れたらしい。仮設住宅にはエアコンはついているけど、
「冷蔵庫」と「洗濯機」は、各自で注文することになっているとか。

東京のカフェから豆の注文。これまでは、歩いて30分ほどの郵便局まで、徘徊散歩しながらもっていった。
それが今回の地震で、建物やATMの機械が壊れ、閉店していまった。
その次に近い、西海郵便局も再開が危ぶまれている。
「はしもと食堂」で、ごはんを食べたあと、「近くの郵便局は?」
と聞いたら、「営業しているけど、駐車場が壊れたので、車ではいけんよ」とてるみちゃん。
「歩いていってくるわ」といったら、隣でごはんを食べていたじいちゃんが、「わしの軽トラにのっていけ」
といって、助手席にのせて、郵便局の近くまで運転していってくれた。「帰りは、歩きな」。
わずか徒歩5分の近距離だけど、「能登はやさしや土までも」、の想定外の親切に・・感謝。

タコはまだ避難所?

今日も朝からいい天気。釣り竿をもって海へ・・
昨日は、一階の和室の畳を天日干し。
和室10畳×2 8畳×2 が田の字になっている。
合計36枚・・・・今週は、天気が続きそうなので、
一部屋づつやっていこうと思う。幸い、一階の和室は、床の間が3つあって、
それぞれに掛け軸を飾ったり、茶道具を置いたりしていたけど、家具は火鉢がふたつ、
茶箪笥がひとつ・・・とある意味、ミニマリスト状態だったので、片づけも大した手間を要さない。
つくづく「荷物を軽くして暮らす」ことの大事さを痛感。

田舎の古民家は、冠婚葬祭用にどこも大きな家を建てる。
今回の地震の被害を見て、「場所」が一番作用されるけど、押しなべて
二階家よりも、平屋のほうが被害が少ないように思う。
瓦屋根は、最近はアルミのネジで止める。昔は銅とか針金でつないでいたけど、それでは
腐ってしまって、イザという時に役に立たない。でも、瓦ではなく金属板などで屋根をつくって
いるほうが、耐震にはいいみたいだ。
縄文真脇遺跡に、「縄文小屋」がある。ちょうど土台を掘る時、縁あって石の斧で掘るのを手伝った。
天真庵のHPの「のむら暮らし」にその時の写真をのせている。真脇も震度6だったけど、
この縄文小屋は、屋根の石ひとつ落ちなく、無事だった。
「縄文時代は、一万年続いた」。超がつくほど持続可能な生き方に学ぶところ多しだ。
政治家も会社の社長も役所も、何かにつけてアホの一つおぼえのように「SDGs」とかいってるけど、
言葉だけが上滑りしているようだ。

海につくと、タコ釣りの師匠が、ワカメをとっていた。
今年はじめて師匠にあった。「おめでとうございます」はおかしいので、
「無事でよかったですね」といったら、「ワヤクソや。正月二日目に屋根にのぼって瓦を直していたら、すべって落ちた」
「ヘルメットかぶってなかったら、娑婆とおさらばやったわい。今も能登病院に通院しとる」とのこと。
続いて、「わしらもしばらく避難所暮らしやったけど、タコもまだ避難所暮らしみたいや」といって笑う。
1mくらい岸壁が隆起して、海水も浅くなった。「なまこも一緒に避難所生活しとるけど、ワカメの新芽はようけでとるわ。これお見舞い」
といって、袋いっぱいのワカメをいただいた。「家は?」と聞くと、「半壊。倉庫が全壊・・・」。

先月は誰も海にでてなかったけど、今月は人がいる。少し動きはじめた。
まだまだ道は遠しだけど、みんな歯をくいしばって、日常をとりもどそうとしている。
今日の夜は、ワカメのしゃぶしゃぶにしよう。
能登人たちは、新茶みたいに、春のワカメを愛でる。土鍋にお湯をわかし、「いしる」を少しいれ、
ワカメの新芽を箸にとって、しゃぶしゃぶ。肉や魚などは入れない。あくまでワカメをしゃぶしゃぶ。
「いしる」とは、魚醤で、縄文時代からの「かもし術」で、イルカや肉や野菜を腐らないように工夫された。
「縄文なるもの」が、これからの時代のキーワードになってきた所以だ。感謝。