いろいろあるから人生か?

先日、戦友みたいな後輩の訃報が、奥方から。しばらく自宅で病気の療養を
しながら、いろいろな会社の顧問をしていた。それでもよく蕎麦を手繰りにきてくれたり、
能登の家にも遊びにきてくれた。玄関に置いてある石仏に手を合わせ、「こんなのが玄関に
あるのは、野村さんらしいですね」と笑った。その時の満面笑みの笑顔が、印象的だった。

ソフトバンクの創業のころ、まだ東郷公園の横の半地下のマンションに、
営業・出版・倉庫・・・全部入り、ごった煮みたいなところで、いっしょに
仕事をした同志だ。享年58歳。後藤誠二くん。ソフトバンクの常務。Yモバイルの社長までやった。
短い人生やったけど、中身の濃い人生でもあった。二日間聴いているバッハのボリュームをあげ、
静かに黙祷。「営業が終わりしだい、顔を見にいく」旨を奥方に伝える。

世田谷の家にいくのに、首都高で事故渋滞があったので、下道をいく。
ナビの支持どうりにいくと、靖国神社の前まできた。「ナビもいきな計らいをするな」と、
神社と、反対側の東郷公園の方に向かって合掌。

「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」、と東郷元帥が日本海海戦の時に
いったように あのころはみんなよく働いた。

そのまま市ヶ谷から四谷経由で新宿を超え、世田谷に入る。「ラーメン荘 歴史を刻め 世田谷店 」に
人が行列を作っていた。大阪から東京に進出してきたお店。ラーメンは滅多に食べないが、同じ系列で
京都で3店舗やっている「ラーメン荘 地球規模で考えろ」の柳原社長も、からふねや時代の後輩。
奇しくも、彼も5月に脳梗塞で倒れ、リハビリ中。ときどき、京都弁で「まだへたったら、あかんで」
みたいなメールをおくっている。まだ還暦を過ぎたばかり・・・ほんまにへたったら、しばきにいくで!

ほんの少し前、昭和の時代は、戦争もあって、男子の平均寿命が20代という時代があった。女子も
40代。食料がよくなったとは、思えないところもあるけど、医療の発展(いらぬ世話みたいな部分もあるけど)で
「人生100年時代」なんていわれている。戦争や地球環境の変化などにより、また戦争や食糧難の足音も近づく今日このごろ。
仏になった後輩の顔を見ていると、「おさきに」という爽やかな声が聞こえてきた。「ごくろうさま」と答えた。
「こんど能登でタコ釣りを教えてください。感謝」の後に、合掌している仏さまの絵文字、が
最後のメールになった。化けてでてきても、また飲みい。そんな友との惜別の日だった。合掌。

年越しそばを自分で打つ

年末の恒例行事の予約が入りはじめた。
やっと冬らしい寒さも到来し、年末らしくなってきた。
喪中のハガキも毎日のようにやってくる。
その中に親友の母親の訃報があった。13年前にその母の長男であり、
IT時代の取引先の専務であり、ぼくのお茶とそばの弟子でもあったワカが
その母より先に逝った。享年56歳。納骨の朝、お骨の入った箱を「最後やけん、もう一度抱かせて」
と言った母の姿に、みんなが泣いた。

博多の仙崖和尚が、檀家さんに孫ができた時、「何かお祝いの記念に一筆お願いします」といわれて、
「親死ね 子死ね 孫死ね」と揮毫したら、「縁起でもない」と怒られ、「では反対にしようか」
といって「孫死ね 子死ね 親死ね」と書いた。それで、檀家さんが「ありがとうございます。順番に
いくのがよろしい、ということですね」と悟った。そんな逸話がある。
今の時代なら、SNSなんかにクレームが投稿されかねようなお話。時代や人に「ゆとり」があったのか?
時代が変わっても、順番通りにはいかに不条理なことがいっぱいある。それが自然だ。

うちの母親も90になった。施設に入っているので、帰省しても面会もままならない。
3年前の11月施設に入る時に挨拶にいった。冬はジーパンの端切れでぼくの提案で作家に作って
もらった「和っふるコート」を着ていて、その恰好で行こうとしたら、「私がこれから20年くらいお世話になるところに、
そんな乞食みたいな恰好して・・」といって、激情した。折れて、車の中にコートをおいて、ジャケットで挨拶にいった。
その時、「あと20年・・・」がひっかかった。どちらが先になるか、競争になりそうだ、と思った。(笑)

先日、その母から電話があった。「たってのお願いがあるの」という。
「いいよ、何?」と答えたら、「こんど帰ってくる時には、顔の色を白くして帰ってきて。」続けて「牛乳石鹸の
赤ラベルがよかよ」とのこと。続けて「きよみさんと並んでいると、美女と野獣やないね」とテンションがあがる。
コーナーに追い詰められてサンドバック状態になったボクサーみたいだ。でも90を過ぎても、美意識がちゃんと
している元気さに感謝して「わかった。牛乳石鹸の赤ラベルね」と答えて電話を切った。

母は、4人姉妹の3番目として、宮崎の延岡で育った。母以外の3人姉妹は、地域の「美人大会」で優勝した。
ぼくの母だけは、「黒んぼ大会」で優勝した。ぼくは、そのDNAをちゃんと受け継いで、黒い顔して60有余年生きてきた。
でもきっと、薬も飲まず、ワクチンも打たず、元気でいられるのは、そんなちょっと素っ頓狂な母親のDNAをいただいた
おかげなんだろうなあ、と最近思う。今日、近くのオリンピックで「赤ラベル」の牛乳石鹸を買いにいこう。

今日明日は16時まで営業。
それ以降は、「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

月曜から「能登休み」

UFO焙煎教室

昨日は、「UFO焙煎教室」。ちょうど注文した豆が届いたので、
「キリマンジャロ」をUFOで焙煎した。コンテストで金賞をとった実績のある豆。
一般的に「酸味」は、豆を焙煎して日にちがたつとでてくるので、忌み嫌われる
味だが、酒もワインも同じように、「邪魔をしない酸味。新鮮な酸味」というのが
美味い、という中に必須なものでもある。いいキリマンジャロは、そんな「無駄のない酸味」
が特徴だ。焙煎歴3年のベテラン女子ロースターも、「美味い」といって、生豆を買っていかれた。
教室が終わった後、イルフィオレットにいっしょにいき、カレーを食べながら反省会。

「ほぼぶらじる」は、ブラジルを中心に、コロンビア、ガテマラ、の三種に、「もう一二種類」
の豆をブレンドしている。モカとかキリマンをいれたりすることが多い。
ここのところの円安と原油高のおかげで、珈琲豆の値段が滅茶苦茶あがっている。
「美味しい珈琲を安く、しかも無駄なく飲もう」という人は、ぜひ家庭でUFOを使って
焙煎してほしい。かなり家計の負担を和らげるのではなかろうかしらん・・
お店をやっている人も、「自家焙煎」にすると、珈琲の味も美味くなるし、原価も下げられて
一石二鳥やと思う。個人店であろうが、零細企業であろうが「世界の動き」の中で自分の立ち位置を
しっかり見ておかないと、生き残れないような時代を迎えているように思う。

さきほど、珈琲のお弟子様からメールがきて「日本がスペインに勝った」ことを知る。先月の焙煎塾で、UFOと生豆などを
買っていったが、すこし「つけ」があるらしく、今週末に払いにくる、という文面に、サッカーの話が
一行。今朝は5時におき、元気に蕎麦打ちや焙煎をしていたけど、ラジオのニュースは聞かず、昨日きた
バッハを聴いていた。半年前に注文していた「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ」を、マッツ・ベリストレム
がギターで独奏するCD。これも円安の影響で、輸入盤で2枚組で6000円ちょい。高かったけど、昨日からずっと聴いている。
音楽家たちも、「楽譜が倍以上の値段になった」とぼやきの声も聞く。

今朝は東京も冬らしくなり、炭火を起こし、ペレットストーブもつけて、仕事。
お気に入りの音楽を聴きながら、煎りたての珈琲を飲む。
この至福の時間が「生きている」を痛感させてくれる。

今日は18時まで営業。明日明後日は16時まで。その後しばらく「能登休み」。
先月刈った稲の脱穀など、年末の田舎仕事が待っている。感謝。

原始的ぶつぶつ交換 円安も物価高もなんのその

円安に歯止めがかからず、200円、いや300円時代になる、とか
相変わらず、一寸先は光、と真逆の経済予測や暮らし方ハウツー本などが
本屋にも並んでいる。老後は相変わらず、2000万の貯蓄が必要とか、空き家になった実家を
売れ、売るな・・70歳いや80歳に「壁」ができたり(ひと昔前には、バカの壁もできたり・・・
いろいろ忙しい。とどのつまりは「お金」の問題というか、今のマネー資本主義の中で生き暮らして
いるぼくたちの、窮屈な現状をどげんかできんね・・ということなのか?

一方、「このままではいけない」と違う生き方を模索しだした人たちもいる。「田舎にいったら、月収はどのくらいになりますか?」
とか「どんな仕事をして暮らしていけるのですか?」とか、頓珍漢な質問を投げかけられることも多いけど、ようは
「その人らしく生きる」を自分に問いかければ、答えがでてくるのではなかろうか?「ここ」がきまれば「ただ生きる」
だけのことだけど、その「ただ」ができないのが、人間の悲しい性(さが)なのだ。
本来、生きていくために必要な「水」「空気」「食料」・・・・は、ほとんどが「タダ」やった。神様がぜんぶ用意して
くれていた。それが便利な暮らしを求めて、住みやすい都市で、お金を稼いで、それらを買うのが「暮らし」になってから、
「お金」のことをまず先に考えんといかんようになった。ゆりかごから墓場まで、ひょっとしたら、その後の魂の供養まで@「お金」。

田舎暮らし(といっても月10日)、をし始めて、「水」は能登の霊水を汲んでくるので、そば打ち(50%が水)、珈琲・お茶
(99%が水)、料理などに、良質の水を使えている。能登の生活中も、その水を使っている。空気は東京も能登もタダだけど、
行き来していると、質の違いにびっくり。当たり前だけど、人口が少なく、自然が残っている田舎のほうが断然おいしい。
限界集落が云々いわれているけど、結局自然を壊したり、水や空気が汚染される原因は、「人間」なのだ。
少子高齢化の先、この星に人間がだけもいなくなったら、戦争もおきないだろうし、自然問題はほぼゼロになるんとちゃうかな。

昨日は「卵かけごはん」やった。550円で竈で炊いたごはん、具だくさんの手前味噌汁、お漬物がついている。
近くのチーズケーキやさんが、「あまりものですが」といって、チーズケーキをもってきてくれた。
彼は、昨年お店を開いた。おせっかいだけど、個人経営の喫茶店なんて、平均寿命が3年もないので、「やるんなら自家焙煎したほうが
いいよ」と、珪藻土焙煎器UFOを押し売りし、焙煎のやり方を少し伝授した。先日きた常連さんの女子の話だと「天真庵より美味しい」
とのことだ。すばらしいこっちゃ(笑)
その後、酒飲み仲間のともちゃんがみかんを持参してくれたので、九州から運んできた「野菜」とぶつぶつ交換。
10時に「卵かけごはん」が終わり、自分たちも「卵かけごはん」を食べ、デザートにチーズケーキ&みかん・・・
素晴らしい「原始的ぶつぶつ交換」が成り立っている。

12時から通常営業。3時のおやつ時間に、近くに住む「お世話しあうハウス」の80歳になるおばあちゃんが、
「田舎からおくられてきたので食べて」といって、西洋梨をふたつくれた。「たべごろは、週末ね」とのこと。
入れ替わりに、同じく齢(よわい)80超えだけど、よわくない、矍鑠としたかっぽれの先生が「今川焼食べない」
と、餡子たっぷりの今川焼(九州では回転饅頭という)をくれた。ふたりにも、九州産の無農薬の「レモン」を
お返し。ちょっと、甘いものを食べすぎの月曜日・・・

閉店まじかに、珈琲のお弟子さまが、自作の野菜(春菊・ベビーリーフ)などをもってきてくれた。
そばかす(ガレットの材料)と、瞬時にぶつぶつ交換。
続いて、お隣のおばちゃんが「新鮮なかぶをお届けです」といって、宅配人よろいしく、美味そうな蕪を
3つくれた。「お返しは、今干している柿が干し柿になってからでいいわよ」と、催促のようなことをいって
大笑いして帰っていった。

毎日のように「UFO」とか「うめ星」とか、不思議なモノが売れるへんなお店だけど、よくよく鳥観図みたいに
このお店にくる人たちを眺めてみると、そちらのほうが「不思議で愛すべき人たち」であふれている。
今朝の朝日新聞の「折々のことば」は、父親の介護のために会社を辞め、東京と鹿児島を行き来している男性の
言葉を紹介していた。

・・(略)仕事と介護を両立させるのは人と「分かちあう感覚」であることと、もうひとつは、難局で頼れるのが愛すべき
「愚かな隣人」たちだということ。人生で大事なのは人としてのこの愛嬌なのかも。

値千金のことば、だ。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん!

長崎に小浜温泉がある。
この春、「彩雲」という、おいしい日本料理ができた。
神楽坂で17年、江戸の粋人たちを唸らせた主人が、移住してはじめた。
縁あって、5月には珪藻土の七輪を届けるついでにいって、舌鼓を打った。
地の魚に、野菜、醤油も九州の甘いのと、江戸のしょっからいの二種類があって、
まさに地産地消の日本料理だ。

〆に、土鍋で炊いたごはんがでる。5月にいったとき、土鍋からつがれたごはんが、
銀シャリのように光っていて、うすくおこげがついていた。あまりに美味くて「どこの?」
と質問したら「島原のとある神社の棚田・・・」とのことで、次の日にその神社にお詣りにいったら、
くだんの棚田で、田植えをしておられた。わすれかけの九州弁で、水のこと、神社のこと・・・
などを話ていたら、「今植えている稲が秋に実ったら、おわけしましょうか」という話になり、今月の「能登休み」
に、田んぼまでいって譲ってもらってきた。おまけにもらったカボチャを昨日切ってみてびっくり、
まじめに作られた野菜の「生命力」に感嘆した。

自分たちも能登で米を作り始めて3年。今年は、豊作だった。毎日食べても飽きない「米」が小麦に
おされ、「ごはんばなれ」が著しい。これも何かのインベーダか陰謀か?

今、ジュリーが主演で「土を喰らう日々」という映画が上映されている。「一汁一菜」がテーマ。
原作は水上勉。作家は福井生まれだけど、口減らしで京都の妙心寺に幼いころだされ、
典座(てんぞ)といって、賄いの修行をする。寒山拾得の、拾得やね。箒をもっているほう。
昔とった杵柄で、晩年に軽井沢で畑をやりながら、「土・・」や精進料理の本などを執筆された。
禅の話や、寺の話などをおりまぜながらの本は、魚料理はでてこないばってん、なんども目からうろこが落ちる。

マインドフルネスな毎日を過ごす方法!

年末は「自分で年越しそばを打つ」というイベントがある。
かれこれ10年は軽く超えている。先週あたりから、「今年もよろしく」
との申し込みがボチボチある。
光陰矢のごとし、歳月人を待たず、である。
31日が一番多いけど、初心者はお断りして、前日か前々日にさせてもらっている。
最終日に初心者が入ると、年越しそばが、年を越したそばになる可能性がある。

昨日、知り合いのお坊様が、そばを手繰りにこられた。今は少なくなってきたけど、ほんとうに
不思議な力をもったお坊様。まじめに修行されたに違いない。
帰りしなに「日本が花の楽園でいられるのは、あとわずかかもしれませんね」とポツリ。
おそまつな政治家たちや、世界の情勢を見ていると、小学生でもそう感じるに違いない。
こんどの火曜日に、竹馬の友、末松義規くんが、国会で質問するらしい。テレビでも放映するらしい。
テレビがないので見れないけど、テレビのあるひとで関心のある人は、見てください。
もっとも、今日のサッカーほど盛り上がないと思うばってん・・

今日は16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」二階では「ゆるゆるヨガ」

昨日の「UFO焙煎塾」に若い女子がきて、「5分で珈琲を焙煎するのは、今流行りのマインドフルネスそのものですね」
といった。言い得て妙で、思わず膝を打った。ほんとうに、情報の洪水のような中で生き暮らしていくのは、ストレスが多い。
しかも、明るい情報より、圧倒的に暗い情報にあふれている。
「ヨガ」が流行しているのも、ある意味スピリチャルで、マインドフルネスな力を身に着けようとする流れかもなんばん。

簡単にいうと、ヨガとかマインドフルネス、なるものは、心を精妙にして、無心になること。
つまりは「今、ここ」の刹那になりきり、瞬間瞬間に感謝することだと思う。

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん。」UFO(本名・遊帆)が東京から熊本に移住して、
無農薬のお米を作り始めて10年。なかなか美味い米ができた。それを珪藻土の竈で炊きます。

はじめてのおつかい  初めての珈琲焙煎

そんなテレビ番組が、昔あった。

昨日は、そばのお弟子さまで、アーティストくんが
「珪藻土焙煎器UFOを使って珈琲を焙煎したい」というメールがきたので、そばを手繰って
いる横で、伝授。
「自分の(その場で一個買った)で、ここで焙煎していいですか?」
というので、OK牧場というと、一緒に買ったコロンビアの生豆を60g新品のUFO
に入れて、ガラガラ始めた。はじめての珈琲焙煎だ。

「写真はダメなのわかっていますが、これ撮ってYouTubeにのせ、ぼくが音楽いれて配信して
いいですか?」というので、OK牧場すると、上手にいろんな角度から自撮りしていた。
そのうち、音楽より、そちらのほうが売れたりして(笑)
でも、焙煎のセンスと音楽のそれは共通項があるかも知れない。

できあがった珈琲豆を、石臼で挽いて、ハンドドリップすると、焙煎したての芳香な香りが
口の中に広がる。よくワインなど市試するとき、ワイングラスをぐるぐるまわして、鼻をつっこんで、
香りをかくけど、本来の香りというのは、いったん自分の口から入った後の、残り香のほうが
印象的でないか、と思う。
人が人にまたあいたくなるのは、その人の美しい残像だったりするように、「ああ、また飲みたいな~」と思う珈琲は、飲んだ後の
香りの残り方のような気がする。

雰囲気も大切やね。うちでは、「そば」と「珈琲」がメイン。そば喰いは、そばまわりに関心が集中して音楽や壁に飾った絵、器
など馬耳東風な人が多いが、珈琲はそれらの調度品や会話などを含めて楽しむようなところがある。
まだ若くて、彼らの時代ではない「高田渡」のコーヒーブルースを聴かせてあげた。
♪三条にいかなくっちゃ・・・イノダっていう珈琲屋にね・・・
残念ながらイノダさんも、後継者不足で経営権がかわったらしい。いろいろなものが「美しい残像」
になっていく。感謝。

今日明日は16時まで営業。それから後は「そば打ち教室」と「UFO焙煎教室」
音楽つきの新しいYouTubeで、UFOがまたいろんなところに出現するかもなんばん・・?

マキリ包丁にサックができあがった。

能登では、朝タコ釣りをする。大きなタコが釣れた時は、
その場デ、タコを〆る。目と目の間を、包丁なんかでしめる。
そうすると、鮮度をたもったままの状態が保てる。
最近、魚の神経〆などが流行っている。

能登では漁師が船をのるとき、「マキリ包丁」というのをもってのるのがならわし。
ロープを切ることができ、獲物を捌いたり、丘にあがれば、鉈(なた)のかわりに、木をきったり、
山菜などをとる時にも使える。水陸両用のすぐれもの。北前船で、九州から北海道まで渡っていく間に、
進化していった、とつたえられる。

ぼくは、タコ釣りの時、ショルダーバック(ウナ作)の中に入れている。最近、能登でも熊がいるし、
タコを〆たり、季節季節の野花を採集する時にも便利だ。
能登の「ふくべ鍛冶」さんに注文すると、一年くらい待つけど、素敵な「マキリ包丁」ができる。

さて、その包丁だが、「自分でサヤを作る」というのが能登のルールらしい。
・・・・まじめに、「そのうち・・・」と思っていたら3年経過した。

今回の九州の旅にも、リュックの中に、マキリ包丁をしのばせていた。
そして長崎の「猪原金物店」にいって、アーティスティックなナイフが並んで
いるのを見て、「このマキリ包丁のサックお願いします」と店主にお願いした。
昨日、佐世保のナイフ作家さんから、「できあがりました」と手紙と、皮でつくられたサックと、
わざわざ研いでくれたマキリ包丁が届いた。注文して一週間。信じられないくらい「いい」。
あまりに素敵なので、リュックにいれて、徘徊散歩にも連れていった。
職質されたら、銃刀法なんやらかんやら法に抵触するやろね・・・

「カスタムナイフ作家 松崎猛」とネットで検索すると、動画で紹介されている。
まがいもなく、「世界一のナイフ作家」なのだ。会社員・作家・農家・・・
三足の草鞋を履いた宇宙人みたいな人だ。感謝。

究極の「おひとりさま」マンション お世話しあうハウス

昨日、N響のYさんが卵かけごはんを食べにきた。
東京にいる時は、ほぼ毎週きてくださる。UFOくんのお米を「うまい」
と褒めてくださった。
珈琲を飲みながら談論風発。「ぼく、NHKの番組の『いいいじゅー』をよく見てます。最近は飲食を
やっている人の移住が加速しているみたい」とのこと。

テレビを見ないので、そんな番組があるのを知らなかったが、確かに能登に半分暮らすようになって、
「最近、新しい移住者が増えてきたな」というのを肌で感じる。都会で高い家賃や光熱費や食材を
払いながら、悪戦苦闘するよりは、空気のいい田舎で、のんびり食材を自分でつくったり、釣ったり、
狩猟免許をとって、捕まえたりしながら暮らしていくのは、別天地に生きる境地に違いない。
都会と同じような集客や売り上げは見込めないが、「ゆたかさ」と、同じ目方で測れないものを拾得する
ことはできる。別に飲食関係でなくても、別の土地で、違う生き方をする、のもいいことだと思う。
命短し、恋せよ乙女だ。老若男女問わず、命は短い。

最近、能登でも若い人が「民泊」を始めたりするケースがよくある。「あるある」じゃないけど、一度そんな
ところへ泊まる、というのも田舎暮らしの第一歩だと思う。自治体によっては「お試しに・・」ということで、
短期間、安い家賃で住むことができる賃貸物件を斡旋してくれるよころもある。能登だと、能登町、珠洲、
あたりは、行政がしっかりしていて、そのあたりが手厚い。

今は東京の墨田区にいる。この界隈も、シャエハウスが多い。
最近は田舎にいっても、シャアハウスがけっこう増えてきた。民泊よりも、少し長期の契約になるし、
その土地のヒトや風物を観察するのには、いいことだと思う。

ときどき、このブログに登場するけど、近くに古い分譲マンションがあって、うちに毎日のようにくる80歳の
女性が、まわりの独居老人(たいてい、主人が先にいってしまい、おひとりさまになる)のお世話を奉仕でしている。
男世界ではありえない稀なケースだと思い、ぼくは彼女のことを「お世話ハウスの女将」と呼んでいる。
朝早くおきて、みそ汁の仕込みをし、一番長老で、最近認知がひどくなったおばあちゃんのところへいって、朝ごはんを
たべさせ、薬を飲ませた後、自分の部屋にもどり、常連さん(もちろん無償、とのこと)が、三々五々やってきて
お米が固い、柔い、みそ汁がしょっぱい、あまい・・・注文の多いわがままばあさんの朝飯をふるまった後、さきほどの
長老の散歩にでかける。雨の日、暑い寒い、長老の体調によって、散歩コースが3コースあり、ときどきは、寄り道して
カフェでお茶をしたり、散歩の時間が午後になったりしたら、天真庵でそばを手繰ったり・・・

昨日は、散歩が午後になったので、ふたりで天真庵、になった。
女将が「このひと、認知が激しくなってきたので、さっきごはんを食べたばっかりなのに、『あのおそばやさんにいこう』と
いうのよ。だからわたしは、珈琲。この人にはいつものざるそばをください」という。
その後、「あ、いけない。お財布を忘れたので、ちょっと銀行にいってくる」と、近くの銀行までいかれた。
その間に、いつもは、認知で、耳が遠くて、会話に加わることのない、その長老が大きな声で、「あの人うるさいでしょ、いつも。
だからボケで聞こえないフリしているの。今日は暖かいのがいので、トリソバにしてちょうだい」とはっきりした声で言った。
厨房の中で、思わず噴き出した。耳が遠くなったり、少し記憶がおぼつかなくなっても、フリを利用すると、老後を楽しくできる
コツがあるんだと痛感。

しばらくして銀行から帰ってきた女将が「先週、ジュリーの映画を観にいったわよ。映画のタイトルが・・・
わすれたけど」、というので「土を喰らう日々ですね」というと、「そうそう、それ」。
いずれいく道だ。5分前のことを忘れるようになっても、つれあいの顔を忘れたり、財布の所在があやうくなったり、
ペイペイは使えなくても、けっこう楽しく生きていけそうだ。忘却は神様がくれた「やさしさ」、かもなんばん。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

今朝は冷たい雨がふっている。
それもまた良し。炭火を起こすと、不思議と安心感に包まれる。
竈におきた炭をいれ、羽釜でごはんを炊く。
鹿児島と熊本の境に、芦北という土地がある。八代湾に面したとこ。
そこに、「UFOくん(遊帆が本名)家族」が移住して、無農薬のお米を
つくっている。今朝の「卵かけごはん」は、その「UFOのお米」を炊いた。

今回の九州の旅は、神戸から船にのって宮崎にいき、墓参りの後、高千穂の神社などをめぐり、
椎葉村という平家落人の里経由で、八代湾の近くの芦北経由で、鹿児島の長島に渡り(友人が移住して近々イタリアン
のお店の準備中)、そこからフェリーで天草に渡り、またバスのようにフェリーにのって、長崎の島原にいった。
その後、佐賀を通って福岡にいくので、大分以外の、宮崎・熊本・長崎・佐賀・福岡をまわったことになる。

旅先の楽しみは、なんといっても「その土地の食べ物」だ。八代湾が見えてきた時、思わず矢代亜紀の
♪お酒はぬるめの燗がいい 肴(さかな)はあぶった烏賊でいい・・・が鼻歌になってでてきた。阿久悠さんは天才や!
そして、島原の「彩雲」にいったら、「いつも能登でおいしい蛸を食べているでしょうから・・」
といって、主人が烏賊のあぶったのを出してくれた。お酒は諫早(いさはや)の地酒のぬる燗。
神楽坂で17年も日本料理店を営んできた腕が、九州の魚や野菜を、融通無碍に料理してくれ、地酒を
飲みながら、目の前の海を眺める・・・・ほかになにもいらない。
小浜温泉から車で10分の高台にあるので、小浜温泉に宿をとって、タクを使っていく必要はあるけど、
島原まで、いや九州を旅する時に、この店にいくのと、いかないのでは、天と地ほどの差ができるような気分。

今回はホテルからタクシーを電話で予約したら、丁寧に断られた。
「なんやらキャンペーン中で、予約されて5分おくれたりしても、クレームがでるので、お断りしています」
とのこと・・・・・
日本人はいつから、そんなに世知辛く、なにごとにもクレームをつけたがる輩が多くなったんだろう。
旅先で「時間」、しかもタクシーが5分おくれたくらいで文句いってどうする。時間の枠をとって、
ひごろの煩悩や雑務から解放されてこそ、出会いがあったり、感動があったりする、それが旅、ではなかろうかしらん。
そんなことを考えさせられる旅でもあった。

せくなあせるな天下のことは しばし美人の膝枕     このくらいのゆっくりしたリズムで暮らしてみよう!感謝。