早寝早起き ごあいさつ

能登の塩を買いに、奥能登に通っていたころ、珠洲神社の近くの「みさき小学校」に、
そんな標語が大きくかかっていた。大きな声だして反芻した。

「それだけで、大学までいかなくても、人生の大切なことのほとんどが身に着く」と、
膝を打ってうなづいた。

押上で、18年になる。店の前を毎朝小学生たちが団体で通る。18年前の子供たちは、
自分たちから「おはようございます」と元気に挨拶してくれた。帰りも、お店の玄関をあけ、
「ただいま」などと挨拶してくれたものだ。そんな子供たちは、成人式の日などに挨拶に
きてくれたりして、まるで「孫」が成長するを喜ぶ気分になった。

「ゆとり教育」のおかげか、「人を見たら泥棒と思え」みたいな時代になって、最近の子供はこちらが挨拶
しても、しか、とされる。「おまえら、大丈夫か?」とこころの中でおらんだりするけど、今の時代を
象徴している。何か大切なものが蔑ろになった時代。

押上も「不動産バブル」で古い家を解体して、マンションや建売住宅が、雨後の筍のような状態だ。
能登も、公費解体で、解体のラッシュ。解体業者の人たちの8割以上が、外国の人。
その外国の人たちは、自分たちから「おはようございます」「雨なので足もと気をつけて」なんて挨拶をする。
それを指揮している日本人は、仏頂面だ。

そのあたりに、「日本が世界からおくれてきたな」、と思ったりする今日このごろ。
今日も、タコヤンをもって散歩していたら、ぼくより色の黒い解体業者に「こんにちわ。魚釣れましたか?」と聞かれた。
「ぼくは、岡釣り専門です!」といわなかったけど、そのうち、そんな隠語や、「姫はじめ」
などの俳句の言葉なども、わかるようになるかもなんばん。
彼らの足元に、野良ネコの親子がいた。猫は「アオカン」で、子供を産む・・自由だ。感謝。

青空の 下でまぐわり 命継ぎ    (南九)

縄文から続く「能登のくらし」

今日の能登は、朝から上天気。
6時になると、非常時用のスピーカから、「さざえさん」(季節によってかわる)の目覚ましコール。
「タコヤン」をもって、海へ・・・

タコの師匠は、すでに海でなにかをとっていた。
縄文時代からあったかどうかしらないが、能登では「蛸スカシ」という方法でタコをとる。

右手に竹に赤いふんどしの紐みたいなものをつけて、浅瀬の海でヒラヒラ誘う。好奇心の
強いタコはそれに反応して、8本の足でヒラヒラを抱きかかえそうに、覆いかぶさる。
その瞬間、左手にもった竹・その先っぽには、鉤がついていて、それでタコをつかまえる。
浅瀬の海の歩き方、竹の持ち方、捕まえ方、その後の処理(名人たちは、素手で生きたタコを海水で内臓などを取り出して
洗う・・・ぼくは、噛まれるのがイヤなので、ビニール袋にいれて、持ち帰って、家で処理をする)のやり方で、
「名人」がわかる。「釣りキチ三平」にも、この蛸スカシがのったことがある。

まもなく、師匠が海からあがり「これ、みそ汁にいれて、食べまっし」と、
「ズメ」をくれた。あわびの親せきのような貝だ。希少価値のある珍貝。
春は、ワカメや黒藻をとり、夏にはさざえやあわびをとり、ときどき「ズメ」などをとる。
伝馬船も今日は、全員海へ出奔。
春夏秋冬、能登人たちの食卓には、山海の珍味が並ぶ。たぶん縄文時代から連綿とつづく「能登のくらし」
がここにはある。「たまかな暮らし」というのは、こんな暮らしなのかもなんばん。
「おかえし」は、ペットボトルにいれた「水出し珈琲」。
師匠は「いつもすいません」と笑うけど、こちらがいうセリフだ。感謝。

田舎暮らしに「UFO」が優美に広がっている?

昨日は雨があがったので、野良仕事。
家の横の畑は、昨年の地震と豪雨のダブルパンチで、土がながれ、使えなくなった。
もうひとつ、駐車場の後ろに小さな畑があって、秋にそばの薬味の「ねずみ大根」の種を蒔く。
先月、そこに唐辛子の種を蒔いた。うまくいけば、柚子胡椒の素になる予定だ。
ぼくのそばの大事なふたつの薬味が、この畑でつくられている。
来週梅をとりにいく梅茶翁の三輪福さんに「EM菌」をもらったので、それを畑に蒔いたら、
竹やいろいろな草たちが、予想以上に元気に育っている。それらを、剪定しながら、畑のまわりにおく。

うぐいすの声にまじって、子猫の声がした。ふりかえると、駐車場の横の倉庫(地震で半壊になった)
の、壊れた板の隙間からでてきた、生まれて間もない子猫が4匹、「初めての散歩」よろしくよちよち歩いている。
親はキジトラ猫の「ガリ」。今回、痩せた体で天真庵デビュー。あまりに痩せた猫なので「ガリ」と命名。
4人の子供を育てているので、ガリガリになんだ。母はすごし!

家にもどって「ガリが、4匹子供を産んだ」を告げた。
ポーカーフェイスで「豆腐が食べたくなった」。
我が家は、東京からもってくる食材と、途中の道の駅などで調達するものと、現地で釣ったり、
いただきものだけで、10日や半月は買い物の必要がない。でも、野良ネコが急に増えたりすると、
「ネコ餌」や「牛乳」などを、富来(とぎ・富が来る、というめでたい地名)という町にいって、
買ってくる。
魚屋さんに、朝どれのアジがあった。15尾くらい入っていて380円。筆子さんが「よろしく」といって
買い物かごにいれた。「よろしく」とは、さばいて、頭も食べやすく切って、ネコの餌をつくって、という意味だ。

車の中に常備しているクーラーに氷と魚と豆腐を入れて、「橋本食堂」へ。筆子さんのおばあちゃんの生家の近くにある食堂。
地震で半壊になった食堂は、もうすぐ公費解体になる。もういちどあるやなしやの気分で「天麩羅定食」でビールを飲む。
天ぷらがあがる前に、カウンターの上にあった「北國新聞(ほっこくしんぶん)」に目を通すと・・・
富来椀「この器でごはんを食べると、富が来る」という記事。先日紹介した木地師のTさんが、大きくのっていた。
今回の地震で取り壊される家の柱などを使って、みんなの思い出がこもる木を、ろくろで形をつくり、漆まで自分で
やって「富来椀」をつくっているらしい。

家にもどって、玄関にある使い古したUFOをひとつ、Tさんの家に届けた。「今日から『UFO焙煎器 友の会 副会長』に任命する」
般若くんや角居と同じく、金沢美大卒のTさんも、無類の珈琲党。
卒業する時に、先生が「これから、毎日ものつくりをすることになるが、仕事のはじまりに、珈琲を楽しむ
ことを忘れないように」と言われるらしい。「富が来る」・・・「ゆたか」とは、このあたりにあるのかもなんばん。

家にもどると、ギタリストの赤須翔くんから生豆の注文がきた。「ブラジル」1K「コロンビア」0・5k「ガテマラ」0・5k
彼こそ『UFO焙煎器 友の会 会長』だ。
岡山を拠点として活躍するアーティスト三宅洋平さんと、いっしょに活動している。ギタリスト兼ベビーシッター。
2016年の参院戦で、「選挙フェス」にて若者のこころをつかみ、一世を風靡した男だ。今は岡山で暮らし、
政治とは距離をおいたが、こんどの参院戦は、また誰かが同じような風を吹かすに違いない。感謝。

能登の世代別・井戸端会議・・・

能登は朝から雨が降っている。
昨日の3時ころ、近くの海女さんが「イワモズク食べて」
といって、差し入れがあった。サザエさんも。徒歩3分の海は、「ゆたか」だ。
♪海は素敵だな~恋してるからさ・・・
そんな感傷的な歌を口ずさんでいる場合ではない。

すぐに、「タコヤン」をもって海へ・・・
運動もかねて、晴れた日には、「ササナミ」という徒歩20分くらいの船着き場にいって
「タコ」を釣っている。横には砂浜があり、とぢきどき投げ釣りで「キス」や「ヒラメ」
などを釣る。
「海が見えるカフェ」とか「夕陽がきれいなホテル」というのは、昔から「素敵・・・ボリボリ」を誘う言葉だけど、
本来の「海」は、自然と寄り添いながら生きてきた先人たちの知恵袋で、そこに住む魚や貝や海藻などをとり、
命を紡いできた場所だ。「山」もしかりだ。都会の「貨幣経済」のモノサシで考えていたら、うずくまりたくなる。
「自然豊かな能登で生きる」と決めた先人たちの「思い」が、能登で生きるひとの日常のいろんな場所に残っているのがいい。
「縄文なるもの」とか「縄文のDNA」みたいな。これから大活躍する「力」。

まわり道をしながら、能登の徘徊散歩をしていると、古民家の中から「こんちわ」と声をかけれれた。
ぼくらより2年くらい先に、能登に移住してきた「木地屋(きじや)」(漆器の生地を、ろくろなどを使ってつくる職人さん)
さん。まだ30代。彼らの住居兼作業場だった家が震災で全壊し、今はうちの集落で借り住まいしながら、「これから」を模索している。
お弟子さん(愛知県から能登へ)も、元気な顔して自己紹介してくれた。彼もうちの集落の空き家で暮らしはじめた。
日本の伝統的な「ものつくり」が衰退する中、若者たちが、汗をながし、ものをつくる道を選択してくれる。稀有だけど素晴らしい。
「たつき」(経済)を考えると、「なんで?」になるけど、PCやスマホを使い、頭は使わず「効率」ばかりを
追い続けるような現代人とは、違った「人間性」を垣間見ることができて新鮮だ。まだこれから「のびしろ」がある若者と
ふれあうのは、とても楽しい!

家の近くに、海が見える「お茶スペース」みたいな場所がある。そこに近所のおじいちゃんが3人海を見ながら
談論風発していたので、参加。若者と違って、みんな耳が遠くなっているので、音量が3つくらい高い。
「トルコってどこにあるのか?」と長老が大きな声できく。「地中海の・・・」
とか、世界をかけた船員さんたちらしい(ここの集落の人は船員さんを多く輩出)話をしていた。
一番まじめそうなじいちゃんが「今はソープランドいうんじゃない?このへんにはないけど、どこにでもあるわ」
と言った。誰も笑わない(笑)耳が遠くなると、人の話が馬耳東風になってくるので、インタラクティブにならないところが、実にまた新鮮だ。
こんな風流な井戸端会議を見ていると、補聴器なんて無用の長物なのかも、と思う。
海や山や、自然がまわりにあるだけで、「人生に必要なもの」のほとんどが、満ち足りているのかもなんばん。感謝。

能登と東京の二股暮らし7年・・の「哲」

2018年のはじめに、能登の古民家を買って暮らしはじめたので7年半になる。
「終の住み家」の準備みたいなものだったけど、能登の塩と出会い、自分のそばまわりの味や、
筆子さんのつくる「味噌」や「梅干し」や「柚子胡椒」などが、温故知新の滋味になり、
お弟子様が増えていった。加えて、「珪藻土七輪」や「霊水」との出会いもあり、「UFO焙煎器」が生まれ珈琲の味
も各段に上がっていったと思う。65歳でお店もやめようと思っていたけど、こきつかわれて、来年古希になる。
そのあたりを「くぎり」にしたいと思う。

昨日、日産の株主総会のことがニュースになっていた。多額の赤字で青色吐息のようだ。
うちは、「セレナ」という日産の車にのっている。椅子をフラットにすると、平行になって
シートをひくと、ベットになる。「霊水」を70L汲んでいったり、梅なども運んでいくので、この車がベストだと思った。
べつに「ゴーン」がネコババしたのが原因でもなく、次の経営者がどう、という問題だけでは
かたずけられない根本の問題を考えていく必要がある。「車という麻薬」を先進国が国益よろしく作ってきたけど、
そろそろ限界にきているように思う。そろそろ車・環境やエネルギー・食料のことも「国益」じゃなく「地球益」レベル
でモノを考えないと、もたなくなっているんじゃない?

最近トランプが「アメ車が日本で走っていない」とおらんだ。この狭い日本で戦車みたいな車は似合わないし、
デザインもイマサンか四・・・・いろいろ各社が競争して、ナビやドライブレコーダを標準装備したりするオカゲで、
車の価格が、めちゃくちゃ上がっている。メカも半導体たよりで、なんとなく危うい。ひとつ150円のコンビニの
おにぎりが何か月も腐らない世の中で、500万の車が5年で「O円」になる不思議な経済学。
不動産バブルのおかげで、うらぶれた墨田区でも、駐車場
の値段の平均が月3万円になった。加えて、戦争モードでガソリンの値段も高止まりしたままだ。能登に入ると、地震の
影響で道がガタガタのままだが、途中の関越や上越や北陸自動車道も「地震の影響?」というような老朽がめだってきた。

能登は地震から一年半になりやっと公費解体がすすみ、どんどん被災した家が壊され、平地が増えていく。都会と違うのは、平地に新しい家や、マンションが建つことがない。建築費も高騰し、坪単価が200万。あと10年かそこらの「終の住み家」を20坪
建てるのに4000万・・・・「老後の蓄えの2000万」を考えると6000万はいる。
能登全体の「空き家率」も地震前の10%が、25%を超えた様子。でも能登は楽園「能登はやさしや土までも」だ。

最近の東京の新築マンションが一億円・・・そんな時代になってきた。「科学的」に「震度7に耐える躯体」
になっているのだろうが、その「科学」というエビデンスがそもそも、危うくありませんか?すぐにひっくりかえって
「想定外」になるような「科学」に何度だまさればいいんだろうか。
墨田区はまだまだ長屋や古い木造家屋が多く「木蜜地帯」と言われている。
でも「腐る家」や「災害の時に焼ける家」のほうが、自然なような気がするのは、ぼくが「古い」せい?

何か月も腐らないパンやおにぎりを重宝したり、50年ローンで買うマンションが「新しい」のかな~?わからん。
朝から蚊や蜂さんが家の中を飛んでいる自然でいずれ「腐る家」で、腐ることなくそんなことを「哲」している。
昨日のニュースにもうひとつ。「デパートの売り上げが激減している」とのこと。
あまり報道されないけど、「私が見た未来」(311を予言。7月5日に日本に津波がくる、と予言)
が中国語に訳され、中国人の観光客が激減しているらしい。またホテル同士で「カルテル」が結ばれて
いるのだろうね?7月8月の東京や京都や観光地のホテルは、格安になっている。
少子高齢化が問題になっているけど、インバウンドも含め、この国に適正な「人の数」を、神様が調整しているのかもなんばん。感謝。

「生死」とは・・・

「生死」

手桶の水を汲むことによって

水が生じたのでのではない

天地いっぱいの水が

手桶に汲みとられたのだ

手桶の水を 大地に撒いてしまったからといって

水がなくなったのではない

天地いっぱいの水が天地いっぱいのなかに撒かれたのだ

人は生まれることによって 生命を生じたのではない

天地一杯の生命が私という思い固めのなかに汲みとられたのである

人は死ぬことによって 生命がなくなるのではない

天地一杯の生命が 私という思い固めから

天地一杯のなかにばら撒かれたのだ

(内山興正)

能登は涙雨。ともが逝く!

今、能登の家に到着。
昨日まで筆子さんのラインに「志賀町 大雨洪水警報」などのお知らせがあり、
「まだ屋根がブルーシートのままの家は大丈夫だろうか?」という気がかりなことが胸をよぎった。
中東では、また戦争モードになり、「終わりのはじまり」(第二次世界大戦の時、東大のトイレに落書きされてた言葉)
のような様相になってきた。第三次世界大戦になったら大惨事だ。また、日本も雨のように、ミサイルやドローンが降ってくる。
「雨が降ってきたぐらいで、驚いていたらもたない」と、気分を転換。

梅雨というより、豪雨で視界も悪くなってきたので、「松代」のパーキングで、車中泊。
ここは、先の戦争の時に、参謀本部を東京から移そうとした場所。
今の戦争は、突然ミサイルやドローンなど、無人の武器が遠方より飛んでくる。
狙われるのは、イランと同様、まず原発。その後は人口が多い大都市だろう。
またここ「松代」に、スポットライトが当たらないことを祈る。

いつもなら、新井のパーキングに車を置いて、「道の駅 あらい」にいって、朝ごはんと、能登の家で食べる食材を
調達するのが、おきまりのコース。あまりに雨がひどいので、そのまま能登に向かい、UFOで町おこしをした羽咋の
「神子原村」(みこはらむら)の直売所にいって、おにぎりを食べた。ここのお米は、おいしいけど、やはりもう棚には並んでいない。

その後、「道の駅 ころ柿の里」にいって、お風呂に入り、車に戻ったら立命館大学の後輩からショートメール。
奥方が昨日旅立ったとの訃報だった。思わず鉛のような北国の空を仰ぐ。まだ50を有余年過ぎたばかりの秋田美人。美人薄命にしては、早過ぎる。
天真庵が押上に結ばれてすぐ、彼女がふらりとやってきて、階段下のカウンタの端っこに座って、「そば前」を
所望された。冷蔵庫に入っている地酒をのぞいて、「雨後の月・・があるんですね」と大喜びした。
その広島の地酒をおいしそうに飲んでいた笑顔が昨日のことのようだ。混とんとした世の中、あちらの世界での仕事が待っているのだろう。
天真庵のHPの「UFO焙煎器」の部屋に、彼女が書いてくれたブログを紹介している。「モヤさま」で紹介されたことを記してくれた。

今日の能登は「涙雨」。ともちゃんを偲ぶ夜。
雨後の月・・・はないけど、能登の地酒・遊穂(UFO)で筆子さんと献杯。静かに酒を飲んでいる。鎮魂。

とも惜しむ 酔うて香りし 雨後の月    (南九)

風が吹いたら桶屋が儲かる?

今日は、都議会選挙の投票日。
もろもろの問題が山積する日本の首都の都議会選挙。
「風が吹くか?」と少し期待しているけど、馬耳東風のような「風」か?

「風が吹いたら、なぜ桶屋がもうかるの?」・・・よくわからないけど、都政と同じく渡世の「しくみ」
というのは、凡夫の及ばぬ世界なのかもなんばん。

昨日のお昼。暑い最中、齢80くらいのおじいさんが、そばを手繰りにこられた。
「無類の蕎麦好きの友達に聞いてきました」というので、恐れ入り谷の鬼子母神で頭をペコリ。
壁に飾った「上求菩提 下化衆生」と揮毫した南條先生の絵を見るなり、「高橋さんの座右の銘ですね」といった。
有名な「禅語」なのだが、この絵を南條さんが描いた時期と、その後に広島の高橋さんにそばを習いにいった時期は
3年くらいずれる。その禅語が高橋さんの座右の銘だったことは、不思議な縁を感じたけど、「たまたま」だ。

その後、かわいらしい女の子が、そばを手繰りにきた。
「押上に献血にきて、チャットGPTに『この界隈でダイエットにいいお店を教えて」といれたら、一番にでました・・ボリボリ』」
とのことだ。桶屋が儲かっていた時代とは、違う風が吹いている。
そばを上手に手繰った後に、「あんこガレットください」といった。ダイエットは?・・・・どこ吹く風のごとし(笑)

3時近く、そろそろそばが完売の頃、近くで3人の子育て中のママさんふたりが「文膳(昼酒セット)」を楽しみにこられた。
少子化時代の逆風をもろともせず、元気に3人づつ子育てをしながら、ときどき、そば前をグビグビと飲み、〆のそばをズズズ
と手繰り、「珈琲の時、チーズケーキもよろしく」というのが、ならわしになっている。
割り勘にしても、北里柴三郎が一枚必要な勘定に「ほんとうに、天真庵は安いですね」といって、高笑いしている。
「そのうち、便乗値上げをします」といって、お店の暖簾をしまった。感謝。

明日から7月4日(金)まで「能登休み」

お弟子さまがお店を、プチ・オープン?

木曜日に、珈琲のお弟子様が汗をかきかき、自転車でやってきた。
「明日、いよいよプチ・オープンです」とのこと。
近くの「シエア・カフェ」みたいなところを借りて、「週一日・金曜日のみオープンのカフェ」
を始めた。ガラスマ(ほとんどガラケーの携帯)に、アイスコーヒーと、マカロンの写真が
おくられてきて「問題山積みですが、オープンしてよかったです」のこと。
「お店(会社)も、生き物で、生きている間は、お金・人・商品のことで、問題がなくなることはない」
と返信した。

天真庵を始めた2007年のころを思い出した。「押上に店をだす」というと、「おしあげ?」
という顔をする人がほとんど。スカイツリーの「ス」の話もなく、「どうして、そんな辺鄙なところで・・・」
という声が大半だった。

ひとのいく 裏に道あり 花の山

よろしく、芸大をでたばかりの連中と、古色蒼然というより、「建っているのが不思議」な物件を改装した。
そのころは「リノベ」なる言葉もなく、後から同じようなことをする連中が「長屋をリノベして・・ボリボリ」
する時代に、辟易した思いがある。今も「リノベ」とかいく語彙を聞くと、妙な気分になる。
でも、きっとそんなことが流行りだす前に、そんなことをしたんだろう。18年前。

メニューに「レスカ」と書いた。「レスカって何ですか?」と質問されることが多く、すぐにメニューからはずした。
「ガレット」も、男子の9割が知らず、女子でも5割くらいしか理解してなかったので「そばクレープ がれっと」
に変更した。今では、杖をついてくるおばあちゃんたちも「今日はガレットにします」という時代になった。
「ほぼぶらじる」なるオリジナルブレンドも、ファジーな名前として浸透したけど、まさか往年のプロレスラーの
「ボボブラジル」からきたものだとは思われないまま、今にいたる。
「UFO」は、時代が味方して、老若男女問わず、受け入れられているようだ。昨日オープンのお店も、もちろん
「UFOを使った自家焙煎」のお店である。縄文ドリポットを使った「水だし珈琲」は、きっと界隈で天真庵以上の人気に
なるかもなんばん。

天真庵は、今日明日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
月曜日から「能登やすみ」元気な能登の梅を収穫してまいります。感謝。

暑気払い

東京も暑い日が続く。いつもだと「月中」は能登で暮らしているけど、
今月は「梅仕事」があるので、能登の梅の機嫌にあわせて、来週から
「能登休み」・・・といっても、天気しだいで梅の収穫に影響があったりするので、
けっこう神経を使う月でもある。
夏に、梅シロップや梅干しをおにぎりにしたり、そばやうどんに入れたりするのは、
日本人の「暑気払いの知恵」でもある。

昭和の終わりころ、秋葉原で創業をした。そのころお客さんの接待などに、神田須田町の「ぼたん」
を使っていた。「とりすき」の老舗。花の「ぼたん」ではなく、洋服の「ぼたん」がお店の由来。
その当時は、下足番がいて、炭をおこす職人さんもいた。南部鉄の鍋に、鶏肉・内臓・豆腐・野菜などをいれ、
「割り下」を足しながら、ぐつぐつするまで待つ。待つ間に飲む「鍋前?」みたいなぬる燗が美味く、額から汗が
にじんでくる。「夏に暑いものを食す」のも、暑気払いのコツだ。

水曜日は、小学校からの「仲良し」のまったいと飲んだ。長年勤めた大きな会社の重役の任を解かれ、
来月から「フリー」になる。光陰矢のごとしだ。「亀戸餃子」に3時に入店。餃子(それしかメニューにない)をつまみに、
ビールをグビグビ飲む。30代のころ、家の事情で長崎にもどる後輩の送別会をやったことがある。お昼に神田のうなぎやの二階で
飲む、をかわきりに、銀座のビアホール、今はないけど、長崎ちゃんぽん、茶わん蒸しで有名なお店などを梯子し、
つぎの日の朝まで飲んで、そのまま会社にいった。そんなことを思い出した。今は昔だ。
餃子の次は、「亀戸ホルモン」にしようかと、4時にお店の前までいったが、満席。猛暑の中を、
竹馬の友と肩組んで歩いて、小村井の「仲よし」にいって飲む。

ホッピー、電気ブラン、菊正宗のぬる燗・・・・年はとっても、九州人はやっぱり最後は「ちゃんぽん」になる。
いっしょによく飲んだ友達も、今は住む場所を「あちら」に変えたのも多い。
そんな「仲良し」たちのことを忍んで飲むのも、老後飲みの楽しみのひとつでもある。この年になっても、
梯子ができる肝臓をくれた両親にも・・感謝。