おいしいごはんを炊く

昨日も書いたけど、やっぱり「土鍋」でごはんを炊くのが一番うまいと思う。
ミネラルヲーター以上のもので洗ったり、炊いたりするのがいい。「うめ星」はあったらいいね。梅干しじゃない(笑)
でもやっぱり「湧き水」で炊くと別格な味になる。

珈琲やは9割以上が「水」だし、おそばも「そば粉の半分」は水。
ごはんも、お米と同量の水で炊くので、やっぱり「水」は大切だ。

たまたま、能登と東京の「二股暮らし」をするようになって、通り道に「藤瀬霊水公園」
があるので、そこの水を汲んで東京にもってきている。地震の後は管理人さんがいなくなって、
「自己責任でお願いします」と張り紙がある。珈琲もお茶もそばも、加熱するので、以前と同じ使い方
をしている。先日、福岡から「新茶」が届いた。宝瓶(ほうひん)で、ぬるめのお湯で、玉露を飲む。いぇ
夏目漱石が「草枕」で書いた、みごとな味がする。(下の上で、至福の玉露がころがる)

最近、「UFO焙煎塾」にきている女性が、向島のシェアカフェみたいなところで、お店の仮オープンした。
来月に「能登の霊水を汲みにいきたい」と、おらんだ。
意気込みはいいのだが、「たつき」(経済性)を考えると、割りがあわない。「少しだったら、わけてあげる」
というのに、「いきたい」とのこと。「たつき」ばかりを優先すると、「カフェなんてやらないほうがいい」
という結論になるので、彼女のパッションを大事にしたいと思う。
なんもかにも「利害得失」を優先して結果が、今のような「どんずまりの世界」をつくった。もっと違う価値観を持たないとね。

東武動物公園に「KORO美容室」なるものがあり、そこの店主はうちの常連様。
能登の地震の後、はさみをもって、能登の避難所にいき、おばあちゃんたちの髪をきり、ふれあっている間に、
能登にはまり、6月29日(日)に、宮代町コミュニティーセンター進修館にて、「奥能登ホリデー」という
イベントをやることになった。「凪が灯るころ」という奥能登のドキュメンタリー映画を上映。
奥能登出身の写真家「松田咲香」さんの写真の展示や、輪島塗のワークショップなど、豊富な内容が目白押上。
ツキモバザール、という「ぶんかん」で時々パンを売っていたパン屋、同じく行田で「レモンカフェ」を
営む女性店主たちも出店するらしい。その女性店主も「お水を能登に汲みにいく」と熱い。
ぼくたちは、梅仕事が佳境をむかえる時期なので、イベントに参加できないかわりに、「能登の霊水をあげます」
と手をあげたけど、「自分で汲みにいく」と言ってきかない(笑)。感謝。

このイベントの主催は 「奥能登ホリデー企画室」 お問い合わせ  okunotoholiday@gmail.com

浅草を徘徊・・・・外国人だらけ

水曜日は月に一度の歯医者。2006年まで住んでいた上池袋の歯医者まで・・・
地下鉄で、巣鴨までいって歩く。JRの大塚までいって歩く。バスで大塚までいって歩く。
この3つのパターンがある。巣鴨で降りると、「おばあちゃんの原宿」を通っていく。
「いつかいつ街」と思っていたら、すっかり違和感なく歩ける年になった。

昨日は錦糸町まで歩いて、「大塚駅行き」にのり、終点までのって歩く、にした。
昔よく飲んだ「江戸一」の前あたりが終点。
途中、蔵前とか茗荷谷なんかを通る。蔵前あたりで、少し気になる雑貨屋を発見。
「一度のぞいてみよう」と思った。

昨日は、午前中に「ガラス職人」と打ち合わせ。こちらの「希望のかたち」と「値段」があわず、
「じゃ~またなにかあったら・・・」で終わった。お互いに昭和31年生まれで、今年69歳。
またあるやなしや、が微妙な年回りになったが、笑いながらわかれる。

そのまま、浅草まで徘徊散歩。「インバウンド」で、スカイツリーまわりも、浅草も外人だらけ。
安ものの着物を着た「元・ちんどんや」が痴呆になったようなフウタイな輩が跋扈している。
やたらと増えた「おこのみ焼き・もんじゃ焼き」のお店が、外で並んでいるくらい流行っている。

「今半」のところから、合羽橋をめざす。途中に「そば道具」を扱う店があり、そこで「くるみ油」を買う。
ここも外人だらけ。「お抹茶専門店」や「お茶のお店」「包丁や」「器や」あたりは、外人が8割くらいを
しめている。そのうち「そば道具や」もそうなるかもなんばん?

そんなことを思いながら、「蔵前の雑貨屋」を目指して、トボトボと歩きだした。
「ペリカン」という有名なパン屋を通り抜け、蔵前まで15分ほど・・・・押上からからの万歩計は
すでに17000歩を超えていた・・・が、そのお店にたどり着いた。

作家ものの器やガラス、と、大量生産ものが、上手に混ざって展示されている。
久保さんに作ってもらった「縄文ドリポット」まで、洗練されていないけど、今どきのマンションの
テーブルウェアーの中に置いてみると、「ステキー・・・ボリボリ・・・」みたいなティーポットが3万円前後。
同じようで、大量生産ものは、5000円前後で売られている。焼きの具合とか、風合いは似て非なるくらい違うけど・・

午前中に打ち合わせをした「ガラスの器」のようなものも、ショーケースにひとつあった。5000円くらいの値段がついていた。
その横に、丸いガラスの茶器が置いてあった。17000円。午前中の「ガラス職人」の作品。
やっぱり「ガラス」の光沢とか、質感がぜんぜん違う。
昔だったら、もう一度職人と打ち合わせをして、適当なところで妥協しようか、とか迷ったりするところだが、
「地震になったら、ガラスはわれるしな・・・」と思い直し、そのまま豆腐屋にいって、木綿豆腐、ゆば、薄揚げなどを買い、
押上にもどった。

鍋に昆布と木綿豆腐をいれ、「湯豆腐」で「謙信」をぬる燗にして、久保さんの酒器で飲む。
それ以上、なんの不足もない。

今朝は、古古米(もうひとつ古がつく?)を土鍋で炊く。
お米騒動で、古古米や古古古米がまずい・・・・などというようなニュースがきかれる。
ミネラルウォーター以上の「普通の水」で、米を洗い、一時間くら待つ。そこに「にがり」を少し入れると、ごはんが「べつもの」になる。
その間に、あれば、七輪に炭火をいれ、その上に土鍋をおく。
♪はじめちょろちょろ なかぱっぱ・・・・そのうち、おいしそうな「コゲ」の香りがしてきたら、
鍋敷きの上に土鍋をおく。10分ほど蒸らして、土鍋の蓋をあけると、お米が「お待たせしました」といって、
ピカピカに立っている。それを杓文字ですくって食べる。「かまじか」という。筆舌を超えた「うまい」を味わえる。感謝。

「今晩読んどく?」

昨日、知り合いのミュージシャンのMがそばを手繰りにきた。
半年ぶり。
還暦を過ぎているけど、半年前よりも、顔色もよく、若々しくなった。
「新しい恋でもしてんの?」と恐る恐るきくと、「いいえ」
といって笑っている。

M「ヨンドクヌキ・・・を実践したら、45年つきあってる花粉症もなくなったし、
髪も黒々してきたし、同窓会にでたら『昔のまんま 怪物みたい』といわれた」
ぼく「ヨンドクヌキってなあに?」
M「アメリカの植民地政策によって、日本人に食べさすようになった『四っの毒』。何かわかります?」
ぼく「♪四つのお願い聞いて・・・ギブミーチョコレート、脱脂粉乳、マクド、コカコーラ?」
M「さすが、近いけど、すこしブー! ギブミー・・・は『砂糖』、脱脂粉乳は『乳製品』」
「マックもコーラもそうだけど・・・・・『植物油』と『小麦』の四つが「四毒(よんどく)」
ぼく「じゃ 大好きなビールもやめたの?」
M「ぼくはビールおたくなので、それは無理。発酵させるといいみたい。味噌も醤油も日本人には、毒どころか薬ですよね」

そういって、スマホをいじり、「吉野敏明」先生のことを、教えてもらった。
M「こんどゆっくり、吉野先生のサイトを見てみて」といいながら、Mはさっそうとお店をでて、ライブ会場に歩いていった。
ぼく「今晩、読んどく」

そんなやりとりを聞いていた筆子さん「ずっと、わたしたちは、四毒を抜いているじゃん」という。
確かに、そうだ、と思って、まだ読んでいない。関心がある人はどうぞ「四毒抜き 吉野敏明」で検索してください。感謝。

宮古島病

昨日は「なんもく村病」のことを語った。
ヨガの教室の時に、「娘が宮古島に移住する」という女子あり。
間髪をおかず、「来年の1月か2月に宮古島でヨガをやりましょう」と盛り上がった。
男が酒に酔った勢いで話す「大風呂敷」と違い、実現に向けて一直線のところが、
女子、しかもいっしょにヨガっている人たちの、意識の共有力みたいなものがすごい。

今日は「玉子かけごはん」
「8時の男」みたいに、雨の日も風の日も、必ずきてくれる男の子あり。
「自分もそうありたい」と思いながら、「現役時代は毎日午前様」だった体たらくな人生を反省。

「イス」ががらっという音。
8時半の男、女・・・が来店されたみたいだ。
珈琲を淹れに下に降りるとしよう。感謝。

なんもく村病?

沖縄にいくと、しばらく周りの家族や友人に「沖縄のこと」を話すようになるような病を「沖縄病」
という。昨日は、ひさしぶりの営業初日。開店と同時にたくさんの常連さまたちが、カウンターに座る。
昨日は、酒好き、旅好き、ひと好き・・・そんな人たちがたくさんきた。
ゆっくりお話しできないけど「なんぼく村知っとうや?『なんぼく村 ちょっとしたcafe』と検索してみて」
というとみなが、食い入るように見ていた。

そのうちのひとりが「もうひとつ、近くに、女将さんが人生相談にのる古民家民宿、みたいなものがありますね。
こっちも気になるけど、2027年まで予約でいっぱいみたいです」という。

Mattyの古民家|女将に人生相談できる宿

という宿らしい。ぼくはスマホをもっていないので、見れなかったけど、見ている人たちが
「いってみたい」とおらんでいた。

今日も12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」二階では「ゆるゆるヨガ」

明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)      感謝。

大の里が、道の駅にいた?

能登から、東京にくる途中に「雷電 くるみの里」という道の駅がある。天下無双の大力士・雷電為右衛門は、ここ、信濃国小県郡大石村(現東御市滋野乙)に生まれた。生家は道の駅から徒歩10分のところにある。
190を超えていた大きな実物大の銅像があり、「大の里みたい」とおらんだ。生涯の勝率が9割6分?とか。勝負師なんかがきて、この銅像をさするらしい。さながら「勝負師たちの原宿?」
石川出身の「大の里」も昨日優勝をきめ、横綱に昇進することにあいなった。おめでとう。能登人もたいへん喜んでおられる。

「雷電資料館」も併設してあり、キャンピングカーや他府県から旅する車で賑わっている。お茶をやる人は、みんな知っているけど、
山陰の松江藩の殿様に「不昧公」(ふまいこう)という風流な茶人がいて、この人がおかかえで「雷電」を育てたらしい。さすがだ。
不昧公とは、禅の「無門関」から命名された。彼のおかげで、今でも松江はお茶が盛んなところ。えらい人がでると、ながいこと
その街は、栄える。

そこの道の駅に、軽をキャンピングカーにして、旅する若いカップルがいた。札幌ナンバー。
「どこからきたの?」と聞くと、「サッポロです」と、男の子が返事。「オクニ、ウマレタトコハ、ドコデスカ?」
と聞くと、「イギリスです」とかえってきた。
学生時代の旅にしては、豪勢だけど、学生らしく、インバウンドで高くなったホテル代をうかせるために、北海道の友達から
その車を借りて、旅をしているらしい。浅草やスカイツリーあたりで、ワイワイいいなながらボリボリしている輩とは、一味違う
、不昧公みたいな風流な旅に見えた。ぼくは、道の駅の食堂で、サバ焼き定食(850円)を朝食にした。彼らは、
車からフライパンをだして、目玉焼きをつくり、パンを食べていた。

今日から営業(12時から16時)。その後、「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」
明日も同じ。明日の二階は、「ゆるゆるヨガ」

夏になると「くるみそば」がよくでる。今回は「雷電 くるみの里」で、くるみをいっぱい買ってきた。
先月の能登が天気がよくなかったので、大人気の「若芽」が干せなかった。一ケ月おくれたけど、
「若芽」も積んできた。能登の大谷塩も、天気の関係で在庫ぎれだったけど、今日から店頭に並んでいる。
この塩が入ったので、来月の「梅仕事」も楽しみだ。暑い夏もだいじょうぶ!感謝。

下町ぶらぶら徘徊散歩

東京にくると、慣らし運転のように、ぶらぶらと徘徊したくなる。
昨日は、錦糸町界隈まで・・・・
最近また自殺する人が多く、しかもビルの上から投身自殺して、見知らぬ人を
まきこむような事故が多くなっている。自分も昨年、秋葉原で歩いていて3mくらい後ろに、
見知らぬ人が落ちてきたことがある。それからこっち、なるべく、ビル街を歩かないようにしている。
錦糸町には、錦糸公園があり、そこまでビルを避けて裏道をテクテク歩くことが多い。

ロッテビルの3階に「ブックオフ」があり、毎週そこで一冊の本を買い、天気のいい日は公園で読んだり、
「すみだ珈琲」にいって珈琲を飲みながら読んだりする。
昨日は暑かったので、ロッテビルの地下のバーで、バーボンを飲みながら、買ってきた本を読む。

立命館の先生をやっていた故・梅原猛先生の「地獄の思想」を買った。
先生によると、日本人の「地獄の思想は」、「 南無阿弥陀仏」という念仏を唱える浄土宗の影響があり、
その後、紫式部や近松門左衛門、太宰治にいたるまで、文学の根底には「地獄」が内包されているらしい。
日蓮、親鸞・・・新しい宗教家がでる時は、今のような「混とんとした時代」だ。

二杯目のバーボンをおかわりして、窓の外を見ると、エレベーターを待つ「団塊世代のカップル」がいた。
このビルの上は、ホテル。たぶんそこのお客らしい。でも一見して「夫婦じゃない」と思って、見ていたら、
人目(ぼくしか見ていないけど)をはばからず、イチャイチャしている。手をにぎる、とか、肩をだく・・・ではない!
さすが「失楽園世代」だ。一見、平和のようで、間違うと「地獄」が待っている。
「エレベーターがきたら、もうお部屋なんだから、それからにしたら・・」など余計なことを頭にうかべながら、
続きを読む。

ぼくしかいない静かなバーに、中年のおばちゃんと、若い男子のカップルが入ってきた。
別に「家政婦は見た」みたいな旺盛な好奇心はないけど、親子ほど離れた女が、若い男をくどいている。
もろ放送コードにひっかかりそうな語彙を武器に・・・(どうも、テレビの過大広告とか、SNSの影響か、
まわりの目や耳を無視して、「自分らの世界」に浸っている輩が多い)笑いながら手を大きくたたいたり・・・バカまるだし!

昨日まで能登や、信州や群馬の自然にふれていたモードから、温度差がありすぎる「猥褻で猥雑な東京」。
本の最後の方は、太宰と近松門左衛門の文学の中の「地獄」が書かれていた。さすが、梅原先生。

とどのつまり「地獄の思想」は、男と女は「おかね(財)」と「肉体(セックス)」と「こころ」の三つにいきつき
、その中で一番始末がわるいのが「こ・こ・ろ」である、ということかもなんばん。
本を読んでいる最中に、ふたつのカップルと遭遇した影響もあるけど、そんな風に思えた。南無阿弥陀仏だ。
近松門左衛門の「曽根崎心中」を観たくなった。

店をでるころ、「銀座の隕石直売所」から、珈琲豆の注文がきた。そこでは、隕石カップで珈琲が飲める。
新しい「銀ぶら」(銀座で、隕石カップでほぼぶらじる)
今日は、炭火をおこして、ガラガラと豆を焼くことにしよう。感謝!

明日の12時から営業。

こんな場所にカフェ?なんもく村の不思議カフェにであった。

火曜日の朝から、能登を出発。糸魚川の寿司屋にいって、それから姫川をのぼって、
長野によって、醤油・酒・野菜などを調達して東京へ、というコース。
普段はPCやスマホを使って、情報を収集したり音楽を聴いたり、サイフのような決済をしたり、
便利もここまでくるとどうなの?みたいな毎日。

思い切って、能登から東京にくる時は、「きわめて昔風のあなろぐ生活」にしようと、なるべく国道を通らず、
地図を頼りに、県道や農道や鹿注意の林道などを通って、東京にもどるようにしている。
新緑の中のこもれびの中で、アカゲラやオオルリなど、なかなか見られない鳥たちと出会ったり、不思議の森体験をした。
デジタルな日常をカットするのは、容易ではなけけど、自然の中に無理やり身をおくと、体も動物に限りなく近くもどり、
「直観力」みたいなものが、するどくなってくるように思う。

長野の醤油やさん、酒蔵さんは、もうかれこれ20年近いつきあいで、これまでは「東京から」、でかけていたが、
反対に能登から、獣道みたいなところを通っていくと、であうモノや景色や感動がまったく「ベツモノ」になる。

佐久の酒蔵「黒沢酒造」に、カフェが併設され、そこでイチゴのスムージーを飲み、群馬の「南牧村」を目指した。
先月、そこの生まれの素敵な女性が「元気シール」を買いにこられた。話をしているうちに、はじめて聞く「なんぼくむら」
にいきたくなって、「道の駅」を目指して走っていた。
すると、車道の左に、古色蒼然とした古民家があった。直感的に「ここには、縁ある人がいます」という声がしたので、
運転している筆子さんに、「もどって、あそこにいこう」と声かけた。

「なんやらカフェ」?・・・・正確にいうと「なんもく村のちょっとしたcafe」かな・・・
お互いにはじめてだったけど、やっぱり「知っていた」という不思議な体験をした。
都会ではぜったいにできっこないカフェ・・・でも一度都会で経験しないとできないカフェ。
自然以外なにもないところで、「そこでしかできないカフェ」を10年続けている。すばらしい、の一言。感謝。

焙煎にも四季がある?

港区にあるカフェから珈琲豆の注文があったので、昨日は
朝から炭をおこし、珪藻土七輪にいれ、ガラガラ手回ししながら、炭火焙煎をした。
玄関を網戸にして、その中で焙煎をする。天気のいい日は、近くの海辺や、里山でガラガラやる。
昨日は雨模様だったので、玄関でやった。
野良ネコたちが、「はらへった」みたいな感じで網戸の外をうろうろしている。
前日いただいたハチメ(めばる)が11尾あり、アラを炊いたんを、筆子さんが野良ネコにだす。

その「あさごはん」を、トンビがねらってくる。近くでみると、やっぱり鷲のような顔をしている。
さすがの野良ネコたちも、「ネコパンチが利くかな?」と不安げな顔しているので、おっぱらってあげた。
二ハゼが終わった珈琲豆を木桶にいれ、外でチャフをとる。そこで網戸をあけっぱにしておくと、こんどは
燕が家に入ってくる。里山では、ウグイスやホオジロが、本番の囀りを鳴らし、棚田ではカエルの唄が聴こえて
くるようになった。五月は「命の季節」だ。今年はへび年なので、鳥も虫も魚ももちろんヘビも、人間も一皮むけて
違う段階をめざして生きていかなければならない年である。

先々月にチョンボをして、財布をなくした。
その中に、免許証、マイナンバーカード、クレジットカード(法人)、保険証・・・など
大切なものがぜんぶ入っていた。すぐにいろいろ手続きをして、事なきをえた。
「玉子は同じ籠にもらない」という諺がある。やはりリスクは分担したほうがいい。
今日、志賀町の役所に、新しいマイナンバーカードをとりにいく予定だった。
「愛子さまが、志賀町をご訪問される」と朝のニュース。役所の前の道の駅にこられるらしい。
床の間の、もうひとりの「渡辺愛子さん」の「信楽焼きのうずくまる」をながめ、うずくまりたくなった。

生けとし生けるものに命があり仏性があり、またそれぞれの四季がある。天恩感謝。

田芹をアテに宇宙のダンス!

東京を出発する朝、散歩していると、ガラス職人のTにあった。
どちらともなく「ちわっす」と挨拶。テレビは見ないので知らないけど、
「福山雅治がテレビでやっているお茶の宣伝で使っているガラスの急須は、おれが作った」
が自慢で、しばらく忙しくしていた。
夏の玉露を淹れるガラスの急須は、彼に作ってもらった。茶こしまで、ガラスでつくるのは
難しいのだが、涼しい顔して、要望どおりに作ってくれた。

水出し珈琲のガラスの器具も、15年くらい前に彼につくってもらった。お店にふたつ置いてある。
「すりし」という、コックの仕上げをやってくれるおじいちゃんの技もさえて、今も現役で、夏の水出し珈琲を
楽しませてくれている。最近は、久保さんの「縄文ドリポット」を、自作の「和っち珈琲器具」でいれることも多い。
能登の家では、居間に置いてあって、毎日かかさず、水出し珈琲を淹れる。UFOで、「ほぼぶらじる」をイチハゼさせ、深煎りにするのがコツ。

昨日の夕方、そのTから電話。「社長・・・・」
彼が「社長」から始まる時は、営業モードの時・・・・・
すこしめんどくさそうに「はい。なにかあった?」と応答。
「あのガラスの急須の特許がとれたよ。お店に少し置いて、売ってみたらどう?」
やっぱり営業だ。
「いっぱい売れて、忙しいんじゃないの?」と聞くと「落ち着いてきた」とのこと。
「買わないと思うけど、月末に一度アトリエに見にいくわ」と言って電話を切った。

5年おきくらいに、彼には「なにか」を頼む。隣の喫茶店の常連で、うちにはこないけど(笑)、
そろそろ5年たつので、「なにか」を作ってもらおうか?人生は、なんとなく、そんなスパイラルな「くりかえし事」
が起きる。

・・・など、考えながら、三輪福さんがもってきてくれた「田芹」をアテに、ビールを飲んだ。
グラスは「へちかんだグラス」、安土忠久さん作。水出し珈琲のサーバーにしているものもそうだ。

天然の田芹は香りが命なので、丁寧に洗って、手でちぎって、同じく安土さんのサラダボールに入れる。
その上に、タコとか、なまこを入れ、かえしに酢を加えてドレッシングにする。
タコもなまこも前日食べてしまったので、昨日は「のり」をちぎってのせた。
前の海でとれたのりを、近所の「海女さん」が干して作ったもの。海の香りが食卓に香る。
田芹の茎の部分は、鶏の砂肝といっしょに、ごま油でいためた。酒がとまらなくなる。

洒落ではないばってん、気がつけば、石川セリの唄が鼻歌に・・・
♪ダンスは、うまく踊れない・・・・

でも、酒もアテもうまく、体が上機嫌に揺れていた!宇宙のダンスかもなんばん?感謝。