究極の味噌汁カレーの作り方。

月曜の朝は「玉子かけごはん」。
土曜日日曜日と、殺人的な忙しさで、朝5時からバンバン打ったそばが
2時間ちょいで売り切れた。日曜日は、そば打ち教室にふたりの「そばもん」がきて、
6時からは「ゆるゆるヨガ」もあったので、しかたなく自分は「カレーライス」を食べた。
二階でヨガっている女子たちにはバレバレで「そばがなくなった時は、カレーでもいいです」
と声があがった。

そういえば、「おコンそば」も、ヨガ女子たちが「なぜこれメニューにいらないんですか?」
から、正規メニューになって、人気商品になった。そばを中心にしているので、基本的には「ごはん」
はメニューにしていない。月曜の朝だけ例外で「玉子がけごはん」にしてから14年。
味噌汁は、手前味噌を使って、季節季節の野菜の「具だくさん」を旨としている。
昨日の具のメインは「筍」・・・・まさに「旬」かもなんばん。

10時に「玉子かけごはん」が終わり、その「味噌汁」を隠し味というより、「味噌汁カレー」
といった様相で、カレーの鍋にいれ、スパイスや、トキワソースの「生ソース」などをいれ、ブレンダーで
ガガガッーとまぜ、味をきめる。
天真庵では、それに牛すじをいれて、「牛すじカレー」を、つけ麺にしてメニューにしている。
お酒を飲む人には、「牛すじ煮込み」というメニューもある。
まかない(なぜだか、まかないのほうが、みな贅沢?)に、牛すじの煮込みにプラス、焼き豆腐、こんにゃく
を加えて、「牛すじ丼」にして食べることがある。大手の牛丼チェーンでは、ぜったいにマネのできないレベルの🍚。

来週の月曜日は「旗日」だけど、「玉子かけごはん」は、やっておりまする。
今日も「旗日」だ。
飲食店など「小商い」をやっていると、土日も旗日も、ゴールデンウィークもなく、働きづくめだ。
明日はお休みなので、今夜は近くの居酒屋を梯子しようかしらん。「押上ゴールデン梯子」といいます。感謝。

置かれた場所で咲きなさい!

「置かれた場所で咲きなさい」・・・・そんな本がベストセラーになった時代がある。
ノートルダム清心学園理事長・渡辺和子さん著。シスターさん。
古本屋で見かけると、買っては、「置かれた場所で咲けない人」にプレゼントした。

京都にも「ノートルダム女学院」(ダム女)がある。ぼくが大学の一回生の時、松ヶ崎という8月の送り火で
「妙」が灯される場所の下の幽霊屋敷のような一軒家に住んでいて、ダム女がすぐ近くにあった。
今どきの言葉ではないけど、「お嬢様学校」で、全寮制ではなかったけど、学校の中に寄宿舎があって、
シスターと、大きな番犬みたいなのがうろうろしていた。(寄宿舎に侵入しようと思ったりしなかったけど、毎日校門
の前を通って、御所の横にある立命館に通っていたので、ちょっとクロい(詳しい)。

その「ダム女」が廃校になるらしい。少子化で全国の大学が定員割れにあえいでいるが、御多分にもれず、
京都を代表するような女子大が、消えていく憂き目にさらされている。

一回生の秋から、下鴨神社の近くにあった「からふねや本店」の店長になった。アルバイトは、ほぼぶらじる、
もとい、ほぼダム女の女子大生やった。
店長のぼくの自給が250円。ダム女さんらの自給が280円だった。
「なんでやねん?」と社長に問い詰めたら、「彼女たちのおかげで店が繁盛している」とのこと。
カウンター5席、二人掛けテーブルがふたつで、満席で9人。休みはなくセブンイレブン(7-23時)
で、月商が120万くらいあった。その後の快進撃の基礎になったお店。サラリーマンの初任給が9万円の時代。
怪物のような繁盛店で、いろんな人が全国からきていた。
比叡山から水を汲んできて、深煎りドリップで、砂糖とフレッシュ入り珈琲が280円の時代だ。感謝。

今日も12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」「ゆるゆるヨガ」
明日の朝は「玉子かけごはん。(8-10)

「私が見た未来」・・・が中国でも読まれているらしい。

今朝の新聞に「香港からの訪日客が激減・・・」という記事があった。
どうやら、その本の中国版ができて、そのために、マンガに描かれてある「7月に東京に地震?」
みたいなことを信じて7月の予約が、例年の半分にも満たない、とのこと。

先日書いたように、川口葉子さんの「東京古民家カフェ」も、中国版ができて、それを見た人が
わざわざ飛行機にのって、押上のうらぶれたカフェを訪れる・・・・そんな時代でもある。
トランプの発言で、株価や為替が乱高下したり、どこどこで、蚊が一匹発生すると、その裏側では
ハリケーンがおきる?・・・・昔から日本では、「因果応報」といったが、この星の生きとし、生けるものは
みな、なんらかの縁で結ばれている。「自分だけよければ」という発想は「おろかなものだ」と悟る人が増えて
いけば、もっと「わたしたちが見る未来」が明るくなるような気がする。

昨日は、「アラ古希」の3姉妹と友達4人が元気にやってこられ、全員が「そばの倍セット(通常150gを300g)」
を所望され、みんなペロリと完食されていかれた。
今は女時(めどき)といわれて久しいけど、どこを見回しても、女子、もとい、元女子で「アラ古希(70歳まわり)」
の御婦人たちは、元気な人が多い。
しかも帰り際に「元気シール」まで買っていかれた。うちのお店も、彼女たちの「元気」を後押ししている?感謝。

今日・明日は12時から16時。それから「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」

銅のミルクパンが、抹茶茶わんみたくなってきた。

今年になって、「UFO焙煎塾」に、新人の女子ふたりが入門した。
UFOを買ったお客さんは、だいたい天真庵のHPの中の動画で自習している人が多い。
ギタリストの赤須翔くんが、ぼくが焙煎する動画に音楽をつけてくれた。
その翔くんも、岡山のほうに軸足を変えて、山の中で生活していて、けっこう頻繁に
「生豆」の注文がくる。彼は「UFO焙煎 友の会 会長」だ。

HPの「自宅でほぼぶらじるを飲む」・・・そんな部屋に、銅のミルクパンで
ほぼぶらじるを淹れる動画をのせている。そのミルクパンは、「はらみか」が
30年近く前に、銅をたたいてつくってくれたものだ。
今は、アメリカのカメラマンと結婚して四国の古民家で田舎暮らしをしておられる。
取っ手は、般若くんにつくってもらった。30年も毎日使っている。映像でもそうだけど、だいぶ「古色」
がついてきて、出口王仁三郎の耀盌(ようわん)みたいになってきた。

一昨年に、新潟の三条の職人さんに、新しい銅のミルクパンをつくってもらった。注文して出来上がるまで
一年を要したけど、めちゃくちゃ、使いやすいものが届いた。今はUFO焙煎塾で生徒専用の道具になっている。
小さな珪藻土七輪に炭火をいれ、その上にのせると、煎茶の涼炉(りょうろ)みたいになって、
すごく茶的な感じになる。口が細くなっている今どきの珈琲ポットとは、一味違う風合いである。
自分の体の一部になるころには、えもいわれぬ「味」がでてくる。
どの道も、「自分の味」がでてくるまでの武者修行。

昨日筆子さんに頼んでもうひとつ「銅のミルクパン」を注文してもらった。
「え、まだやるの?」といつもの調子だが、しぶしぶ新潟の職人さんに連絡してくれたようだ。
これから、いつまでできるかまったくわからないけど、道具というのは、「道に具わっている」ものだから
とても大切なものだ。
陶芸家の久保さんも忙しくしておられるけど、ときどき無理いって、「新しい珈琲カップ」をお願いしたりしている。
彼も「え、まだやるの?」とまわりから言われているようだけど、馬耳東風だ。
ぼくもときどき馬刺しと豆腐をつまみに、酒を飲みながら風流を楽しんでいる。感謝。

今日も、東京 古民家カフェ日和 新たな時間の旅42軒

川口葉子さんの人気シリーズの東京版が5年ぶりに改訂されて上梓された。「京都版」「金沢版」なども、たいへんおもしろい。
これからカフェをやりたい人、やっているけど、「何か違う?」と思っている人には、とても参考になると思う。
5年前は「長屋茶房天真庵」で紹介された。今回は「UFO珈琲天真庵」として紹介された。

2007年の4月1日に天真庵は押上に結ばれた。それまでは池袋でギャラリーみたいなことを
やりながら、ITの会社を経営していた。
開店してすぐに、川口葉子さんから電話があって、「取材したい」とのこと。
「カフェと器の旅」・・・そんな本に紹介された。次に「喫茶人かく語りき 言葉で旅する喫茶店」・・そんな本でも紹介された。
先日玉子かけごはんにきた「ともちゃん」が、「これ貸してください」といって、もっていった。

先日、元気な外国人親子がお店の閉店ぎわにやってこられた。インバウント効果で、押上も観光地と化して、外国人を
みない日はない。スカイツリーまわりは、外国人のほうが多いくらいだ。
スマホで翻訳ができるので、対応も楽になった。
テーブル席のほうに案内。お水をだしたら、お母さんのほうが突然カバンから本をだして、「この本を見てきました」
と英語でのたまう。見ると、中国語版の「今日も、東京 古民家カフェ日和 新たな時間の旅42軒」だ。
「どうして、中国語の本をもっているあなたが、英語をしゃべるのですか?」と英語で尋ねると、
「マレーシアに住んでいる中国人です」と返事が返ってきた。「なるほど ざ ワールド」、まだまだ
知らない世界がいっぱいある。

そばと珈琲を平らげ、〆に「バナナジャムガレット」を所望された。3日前にできた新メニュー。
「この本にでているお店を、いろいろ回ってみるけど、バナナジャムガレットは、はじめて」
とのこと。せっかく遠くからやってきたのに、写真も撮れないのも、かわいそうなので、
能登の海で、ネコ(一輪車)の上に珪藻土七輪をのせて、焙煎している写真をのせた「サンクスカード」
をプレゼントしたら・・・「これどこ?」「これはあなた?」と食いつくように質問してきた。

帰りしなに、「とても楽しかった」といって、ずっと被ったままの帽子をぬいで挨拶。
「私は65歳になったので、髪の毛がずっかり薄くなった」と英語でのたまわれて、笑っている。
マレーシアにも「ヨシモト」みたいな会社があり、そこの芸人さん?とおぼしきようなご婦人だった。感謝。

月曜の朝は玉子かけごはん!黒藻の入った味噌汁つき!

月曜の朝8時から10時は玉子かけごはん。
冬の寒い時期は、炭のいいのがなかなか手に入らない。
少し暖かくなったので、ネットでいい炭をゲット。
昨日は、それを火起こしで着火させ、能登の珪藻土七輪の上で焙煎。
残った炭を、囲炉裏の灰の中に埋めていた。

上手に灰の手入れをすると、翌日の朝まで火種が灰の中で残っていて、
それを掘り出し、新しい炭を足すと、着火剤もマッチやライターを使わなく
ても火がおきる。「炭の力」を感じる瞬間。

今朝は、同じ手順で、火をおこし、焙煎機のかわりに、土鍋を置いて、ごはんを炊く。
「炊きあがり」は、土鍋から吹き上げる湯気の匂いできめる。「すこし焦げたばい」
という声が聞こえたら、土鍋を鍋敷きの上に移し、少し蒸らして、秋田杉のお櫃(ひつ)にうつし、
藁(わら)いずみという、昔の保温籠にいれる。こうやってお米を食べると、「日本人にうまれてよかった」
と思う。この米を転売して儲けよう、みたいな邪悪なことを考える余地もない。

今日も具だくさんの味噌汁に、能登の海女さんからもらった「黒藻(くろも)」をいれて、供した。
「花巻」と同じように、能登の磯の香がする。「能登の風」が吹くのだ。

これから、どこでいつ被災するかわからないような「大変な時代」を迎えている。
「家で炭をつかう」は、前近代的なことのように、うっちゃられているけど、もちろん集合住宅では
「禁止」されているけど、非常時には、こんなに役に立つ道具はない。

昨日も近所の大学生が「地震がきた時のために、新しいマンションに引っ越した」といって、そばを
手繰りにきた。
「何階なの?」とぼく。
学生「5階です」
ぼく「南海トラフや東京直下型で火事になったら、飛び降りられんね」
学生「???」
ぼく「ライフラインがとまったら、どうやって暖をとるの?煮炊きも」
学生「オール電化ですけど・・・」
ぼく「非常時にはなんの役にもたたんばい」

押し売りしたわかでもないけど、帰りに「小さな七輪」を買ってかえられた。
能登の切り出し珪藻土七輪。
「ころばぬ先の杖」のような「七輪」。
でも、マッチの擦り方も、教えたほうがいいかもなんばん。こんど伝授しよう。感謝。

お米か麦か?

お米が高騰し、コンビニのパン一枚よりも、茶わん一杯の値段のほうが、
高くなった・・・・・ラジオがそんなニュースを伝えていた。
続いて、街の人に聞くと「困った・・明日からパンかパスタにしなくっちゃ・・・ボリボリ」という声。

なんかおかしくない?洗脳されている?輸出する前に消毒をかけた小麦を喰った後遺症?
ここ何年も、日本人はお米よりも、小麦(パンとかパスタ・・・)のほうを多く食べている。
デパートの閉店セールに人が群がるように、普段は食べない米が店頭から消えると、われ先にと
お店にいって、米を買い占め、近くのハンバーガやで、フィレオフィシュなんかをボリボリほおばっている。

トランプが、ババ抜きみたいなカードを切って、3か月。
これまで、なんの対策もしてこなかった政府が、右往左往している。
「平和ボケ」というか「植民地ボケ」しているのを露呈している。
昔、えらい歴史学者が
「国家といわず、団体、会社、個人といわず、『誇りと自信をなくした時』に、滅びに至るものである。」
みたいな名言をはいた。まさに、国家存亡の危機みたいな昨今。

今日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
明日の朝は「玉子かけごはん」(月曜の朝8-10)
珪藻土七輪に炭火をいれ、土鍋でごはんを炊きます。平飼いの玉子、香のもの、手前味噌の味噌汁で550円也。

今日から営業。押上の「レレレのおじさん」のこと・・・

つい、こないだ十日町で、0度で雪を体験。
東京にもどると、20度を超えている。古希近い老体にはきついが、
今日から営業。いつものように、5時に起き、元気にばんばんそばを打ち、
珪藻土七輪で、ガラガラと珈琲豆を焙煎し、石臼でゆっくり豆を挽いて、
縄文ドリポットで、ネルドリップする。
水出し珈琲は、モカを中心に、UFO焙煎機で焙煎し、能登から汲んできた能登の藤瀬霊水で
ポトポト落とす。

6時半くらいになると、隣のおじさん(ぼくより二つ下)が、店の前を掃いてくれ、プランターや
鉢の植物たちに、水をあげてくれる。能登休みの時も、そうしてくれているので、うちの植物たちは元気に
命脈を保っている。先日近くのカレーやのお母さんが「あんたんちの植物、半分東京にいないのに、うちのより元気」
と笑っていた。実は、下町には「レレレのおじさん」みたいな奇特な人がまだいるのだ。
「寒山拾得(かんざんじゅっとく)」の拾得は、典座(てんぞ)で、寺の掃除をやったり、台所仕事をやった。
だから、禅林や日本画家が、箒をもつ構図で、拾得を描いた。
いわば、「レレレのおじさん」も、きっと寒山拾得をモデルにしたのだろう。さすが赤塚不二夫先生。天才バカモンだ!

お礼に、昨日しかけた水出し珈琲をふたりで飲みながら談論風発。
レレレのおじさん「お店の玄関の灯篭(とうろう)がいいね。」
ぼく「駐車場の大家さんにもらった。もう7年くらい前に天国にいかれたけど・・」
レレレのおじさん「天国からおくられてきたの?」
ぼく「ま、そんな感じ・・・UFOにのって・・・」
レレレのおじさん、笑いながら「留守の間も、ショールームのUFOの説明文を、立ち止まってみてる人が多いよ。UFO売ってる店は他にないからね」
ぼく「これから宇宙にチェーン展開していきます(笑)」

いつも、そんな不埒な雑談を、レレレのおじさんとしている。
そんなささやかな日常のことを「しあわせ」というのかもしれない。
どこを見渡しても、レレレのおじさんや、「これでいいのだ!」が見当たらない時代になった。
それでも「これでいいのだ!」なのかもなんばん。がんばろう!感謝。

濡れ落ち葉 レレレのレー で掃き清め

今日明日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

御利益いっぱいの十日町の王子さま。

能登の家で、梅原猛先生の「隠された十字架 法隆寺論」を読んでいたら、玉虫厨子(たまむしのずし)の
「捨身飼虎(しゃしんしこ)図」の写真が掲載されていた。
王子が旅先で、飢えた虎の親子と遭遇して、自分の体を施し(身を投げて)、飢えた虎の親子を
助けた、という仏教の有名なお話。

昨年の正月の大地震で震度7だった志賀町に、我が家はある。
昨年の2月の味噌つくりが終わって、3月にはじめて被災状況を見に行ったとき、家の屋根瓦がずれて、
家の中がびしょ濡れだった。畳は半分捨てたけど、奇跡的に、家の柱、戸、掛け軸、絵、陶器、家具、書籍(100冊くらいは捨てた)に被害がなかった。
「?」と思っていたら、玄関の靴箱の上にあった「石仏」が床に落ちていた。
中越地震の一か月前に、新潟の十日町の骨董屋で買い求めたもの。2018年に能登の家を買い、「里帰り」
のようなかたちで、能登の家の玄関を「居場所」にした。

「これはきっと、この石仏の王子さまが身を投げて、家を守ってくれたんだ」と悟った。以来、居場所を一階の居間の置き床の
上に引っ越して、水と酒をお供えするようにしている。酒をお供えする時、指に酒をつけて、仏さまの口につけると、
頬がぽっと赤くなるような「気」がする。「おれをおもちゃにするな」と言っているかもなんばん。

うちの常連さんで新潟出身のほなみちゃんが「十日町にいい温泉がある」というので、今回は十日町の温泉経由で
東京にもどることにした。4月だというのに、十日町は雪が降っていて、街中が雪を除雪したかたまりが残っていた。
こんな豪雪地帯で、あの石仏さまは、風雪に負けず、生きてきたんだ、と思うと、涙腺がゆるむ。
高いビルがあるでなし、全国チェーンのお店もなく、近代化を街全体が拒絶しているようで、とてもいい気の流れがある。
一般的には「過疎」といわれる街だけど、貴重な日本の原風景にふれられるところだ。
湯治場のような温泉に入り、「信玄」という地酒を飲んでいたら、「王子」から電話。
捨身飼虎の王子ではなく、「銀座の隕石カフェの主人」の「星の王子」・・・ややこしい?
「珈琲豆がなくなりそう」とのSOS。

予定より、一日はやく東京にもどって、焙煎して銀座に・・・・・・
「ここはニッポン?」というくらい外国人ばかりだ。すでに今年は1000万人の外国人がきたらしい。これって、まとも?
3丁目の松屋の駐車場のところに、「隕石カフェ」(正確な名前は知らない)
がある。玄関をあけると、最新のエスプレッソマシーンがあり、その前に久保さんの「黄瀬戸の徳利」に、野花を
じょうずに生けている。ぼくのお弟子さまで、すっかり銀座のママさんの風格になったKさんが「このマシーンで、『ほぼぶらじる』をアメリカーナにすると、美味しいですよ」とすすめれれ、一杯御馳走になる。同じく久保さんがつくった隕石カップで、噂のアメリカーナを飲む。
自分で焙煎してるとは思えないような、エスプレッソーな珈琲を堪能。

今朝、犬を散歩している近所の奥方に「火曜日、銀座をぶらぶらしていたら、『隕石屋さん』を偶然見つけた」とのこと。
銀座をぶらぶらする、も、銀座でほぼぶらじるを飲むのも、「銀ぶら」といいます。感謝。

炭火焙煎・・・・で、一踊(ひとおど)り

昨日は、雨だったけど、注文の炭火焙煎をする。
珪藻土七輪に炭火をいれ、その上に手回し焙煎機をのせて、
ガラガラと音たてながらする。般若心経をとなえながらするといい。
やはり、炭火でやると、肉、魚、野菜を、炭火で焼くと同じように、中まで焼ける。

そして「無」になれる。禅の世界では「無」というのは、大事みたいだけど、
誰でも夢中になると、時間も空間も超越した「無の境地」になる。

今みたいに、世界中が行き詰った時代に天岩戸神話ができた。
須佐之男命(すさのうのみこと)が、いたずらが過ぎて、天照大神(あまてらすおおかみ)が
岩戸に籠ったので、世の中が真っ暗な闇になった。その時に天宇受売尊(あめのうずめのみこと)が、陰(ほと・・・女性器のこと。変換しない(笑))をあらわにする、つまりストリップをした。八百万(やおろず)の神々は、みんな喜んで大笑いした。これが「笑う」の始まり。「なんの騒ぎ?」
とアマテラスさまが岩戸をあけた瞬間に、世の中が明るくなった。そんな神話で、後世に世阿弥(ぜあみ)が能の題材にした。
今も、そんな時代じゃない?トランプやプーチンの裸踊りは見たくないけど、なにかをきっかけに、世界が一瞬にして
明るい弥勒の世界になるんじゃなかろうかしらん。きっとそうなる。

「無」と、「笑う」、「舞う」(ストリップ)というのは、もともとは同じ象形文字を原点にするらしい。
暗いニュースの多い昨今だけど、「好きなことをする」「大いに笑う」「ストリップじゃなくてもいいけど、踊る」・・
そんなことが大事かもなんばん。酒場でも盛り場でも、「バカになれる」ようなことが少ないよね。
西村賢太の小説に「どうぜ死ぬ身の一踊り」というのがある。「苦役列車」で芥川賞をとったけど、この小説も
芥川賞の候補にあがった。みんなあっという間に、この世からあの世にかけぬける。どうせなら「ひと踊り」したいものだ。感謝。