親死ね 子死ね 孫死ね

博多の仙厓和尚が、檀家さんに「孫が生まれたので、何かおめでたい言葉を書いてください」と頼まれた。
「よっしゃ」と、筆をとり「親死ね 子死ね 孫死ね」と揮毫した。
檀家さんが怒った。「じゃ こうするばい」といって、「孫死ね 子死ね 親死ね」と書き直した。
その瞬間に、「ああ 順番に逝くのがいいのですね」と悟ったというお話。
人は「自分は死なない」と思っているけど、孫もひ孫も含めて、みんな「生まれてきたから いつか死ぬのだ」。

昨日は、天真庵で何度か演奏をしてくれたクラリネットのHちゃんが、生まれたばかりの「はなちゃん」をつれて、
そばを手繰りにきてくれた。おなかの中にいたころ、天真庵デビューをしたので、「はじめてじゃなか」
みたいな懐かしそうな顔して笑っている。ぼくらにとっては、孫のようなものだ。
Hさんの師匠のN響の山根さんがやってきて、彼にとっても孫のような「はなちゃん」と麦茶で「はじめまして」の乾杯。

その後、押上小学校の卒業式を終えた「6年前ピカピカだった一年生」の家族4組が、そばを手繰りにきた。
この6年の間に、「味噌つくり」や「梅干しつくり」や、自由研究で「そば打ち」「焙煎」をした子たち。
みんなそれぞれ「なつかしい」とおらんでいた。やっぱりみんな「孫」みたいなもんだ。
ぼくらの時代よりも、厳しい未来が待っているような気がするけど、それぞれ、自分の好きな道を歩いていってもらいたいものだ。感謝。