昨日、志賀町の「まちのでんきや」さんが、家の漏電のチェックと、照明器具の
交換にきてくれた。11部屋ある家の、9部屋が昨年の正月の地震で、水浸しになった。
二階の5部屋の畳は、ボランティアさんの力を借りて、ぜんぶ処分した。そこは、畳の御座を
敷いた。以来、本を読むとき、筆子さんがミシンで「こし布」(珈琲用)を造る時、月見酒をしたり、UFOを
待つ時以外は、一階で生活している。でも、全部の部屋に照明器具をつけた。2025年問題ではないけど、
いついかなる時に、「非常時」になるやもしれないので、そうした。
一階の照明も、みな蛍光灯だったので、近い将来LEDに変わる運命なので、ぜんぶLED照明に変えた。古色蒼然の古民家に
LEDの照明をつけると、「なんやらリゾート」のような高級感になった(雨漏りで染みた障子のシミや、土壁の
シミが目立つけど)。神棚を置いてある部屋は、梅林ガールズたちが来た時に泊まる部屋。ここは特注の照明家具を頼んだ(来月できる)。
その隣、置き囲炉裏のある部屋は、ときどき「珈琲塾」をやったり、「お茶会」をやったりする部屋。和室なのに、
豪華なシャンデリアがぶら下がっている。七つの海を航海しながら仕事をしたおじいさんの自慢の逸品。それをはずしてもらって、
「オフグリッド」、つまりそこに自在鉤をぶらさげて、「電気を使わない部屋」にすることにした。自在鉤は、これからどこかの骨董屋で
時代モノを調達したいと思う。月がきれいな夜は、月明りの下で、茶や酒を楽しむ、茶飯釜遊び・・・そんな趣向の中で、遊び心を醸す場所にしたい。
東京のお店の照明は、2007年の開店の時にほぼ「LED」にした。「エコリカ製」。エコリカの宗広社長が、お店ができたころ、風呂敷に自社製品をかかえて、お祝いにもってきてくれた。彼は白井晟一さんと同じ京都繊維大学出身。学生時代は、今出川の「マクド」でアルバイトをしていた。ぼくは下鴨のからふねやの店長をやっていたころからの縁。インクカートリッジの純正が「高い」ので、互換性のあるリーズナブルな
ものを販売して、全国区になり、テレビなどでもCMをし、大阪に立派な自社ビルが建った。ぼくがITの会社をやっていたころ、
彼の会社を通して、大阪日本橋のパソコンショップなどに自社製品を卸していた。ぼくも大阪で彼以外の接待するような時、梅田のクラブ
や京都の料理屋などを使うこともあったけど、宗広くんとは、うらぶれた法善寺横丁の居酒屋や、道頓堀あたりの安い居酒屋を梯子して
飲んだ。ぼう業界団体の理事長をやっていたころ、彼も理事として尽力してくれた。先日「能登の家に遊びにいきたい」
とのメールがきた。
「土産は、LEDではなく、たこやきにしてな」と返事しよう。感謝。