月曜の朝は玉子かけごはん!※についてひとこと。

今日も、能登の珪藻土七輪に、炭火をいれて、土鍋で
ごはんを炊く。それを、秋田杉のお櫃(ひつ)にいれ、藁(わら)いずみという、
藁で編んだ入れ物で保温。昔からの日本人の知恵がはいりまくりの「朝ごはん」

お米は、福岡の妹が農家兼畳屋(100年続く畳屋)に嫁いだので、いつもおくってもらっている。
「元気つくし」というめちゃくちゃ美味い福岡のお米。
能登では、近くの棚田でお米をつくっている方に、「よろしく」と電話してもってきてもらう。
昨年の地震で、田んぼも彼の家も被害が多きかったけど、ライフワークよろしく、元気に米をつくられている。
ぼくらも、地震の前年まで、3年ほど、能登町の「梅茶翁」の田んぼで米つくりを体験した。

天真庵を改装中に、「ぶんかん」の話がでて、2008年に「ぶんかん」という不思議なシェアカフェができた。
昼の店長が「なつきくん」で、夜の店長が「UFOくん」。
なつきくんは、熊本の天草に移り住み、「なんやらぼうし岳?」いう珈琲屋を営んでいる。UFO君は、天草が見えるところへ
移り住み、無農薬のお米をつくっていて、ときどきお米を注文する。

そんなわけで、農家さんと直接つながっているので、今のところ「米よこせ」とおらぶことなく、
無事になんとか、おまんまを食べられている。まことにありがたいことである。

うちの「玉子かけごはん」は、香のもの、具だくさん手前味噌汁、平飼い玉子がついて、550円。
この日は、デミタス(といっても、隕石器でけっこう大きい?)の珈琲が100円。
ほぼ100%の人が珈琲を飲むので、「650円」やね。
名古屋のモーニングではないばってん、珈琲一杯の値段が高騰しているので、珈琲代で、朝飯が食べれる・・・そんな価格帯になってきた。
もちろん、自家焙煎、ネルを縄文ドリポットにのせてハンドドリップばい。感謝。

車の話 あのねのね

トランプが、車に25%の関税をかけると宣言。
トヨタをはじめ、輸出でなんとか命脈をたもっている自動車屋さんに
とっては、存亡の危機に瀕する、といっても大げさではない話。

東京にきて、はじめて買った車が、中古のギャランだった。会社を創立した昭和58年。
友達の紹介で、世田谷の中古車やから、50万くらいで買った。
値段のわりには、エンジンや内装がしっかりしていて、九州東京間を、年に何度も往復した。

すこし会社が軌道にのって、トヨタのマーク2に変えた。「9割中流」(今は、9割貧困?)の時代の
「ニューリッチ」(これって、今思えば、小さな成金みたいなもんやな)がよくのっていて、始めたばかりの
ゴルフで、駐車場に同じような車がいっぱいあるのがイヤになって、サーフに変えた。
荷物を置くスペースは増えたけど、サーフにゴルフ道具というのは、少し違和感があって、フライフィッシングを
始めた。ときどき、自分が持っている栃木のゴルフ場の近くの川で釣るために、ゴルフ場の食堂で飯を食べたりする時、
まわりのゴルファーたちが「あいつ、なにもの?」みたいな顔をしていた。確かに、ゴルフ場に、長靴はいて、釣り用のベスト、
サングラス・・・は、異様だったかもなんばん。

ギャラリーをはじめた平成7年ころ、ゴルフやフライフィシングより、ボクシングのほうがおもしろくなって、
目白のヨネクラボクシングジムに通うようになる。
ゴルフ代に、毎月10万くらい使っていたのが、ボクシングになると、月1万になったので、へそくりがたまって、
ある日、恵比寿の飲み屋で出会ったボルボの社員と仲良くなり、ボルボに買い替えた。
「キャッで、払えた」ので、その当時は、やはり「小さな成金」だったかもなんばん。

今は、東京と能登を往復しながら、北前船よろしく、水や野菜や魚・・・などを運んだりしているので、日産のセレナ
にのっている。車中泊もらくらくにできて、快適な車。
能登で暮らしている間は、近所のおじいちゃんおばあちゃんがのっている「軽トラ」が気になる。
震災後、「軽トラ」の需要が急上昇していて、能登の中古車やにも、ほとんど姿が見えなくなった。
田舎で生活するには、ベンツやテスラでもなく、「軽トラ」が一番だと思う。

追伸
17年前、押上界隈の駐車場はだいたい15000円だった。最近は3万円。
車も、ナビだの、なんだの・・・倍近くなったような気がする。感謝。

今日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」二階では「ゆるゆるヨガ」
明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)

釣りバカがすごいのを釣った?

中国の故事に「一時間幸せになりたかったら酒を飲みなさい。一生幸せになりたかったら釣りを覚えなさい」
というのがある。
三日幸せ・・・・結婚   一年幸せ・・・家を建てる   とか、いろいろあるけど、酒と釣りは、関係性も
深いし、「なるほど」と思う。

最近、能登にいく時は、和倉温泉の「総湯」にはいり、近くを徘徊散歩する。営業を再開した温泉宿には、車がとまっていたり、
人の気配がもどってきた。「もうすぐ再開」の湯宿も、工事が活発になってきた。お店も被害がすくなかったところは、再開しはじめ、
被害がはげしかったところは、仮設店舗で元気に営業が始まったり・・・・悲喜こもごも。
昨年あたりまでは、ボランティアや、復興工事の人たちで、びぎわっていたけど、今年になって、だいぶ落ち着いてきた感がある。
大きな宿泊施設の近くの海岸を散歩していると、タコや小魚が泳いでいる姿をよく見る。「ここに竿いれると、入れ食いかもなんばん」
と、トラタヌ独り言をブツブツとなえながら、顔見知りになった「あうん」というお店などにいって、「がすえび」のから揚げをつまみに
ビールなど飲みながら、お店の人と談論風発。志賀町の「はしもと食堂」の魚を商うご夫婦がやっていて、魚がめちゃくちゃ美味い。

「あうん」のはす向かいに、トレーラハウスカフェの「リトルピクニック」がある。アメリカ通の店主と話ていると、世界が見えてくる?
今月は、このふたつ+仮設店舗のお店を
三軒梯子した。さすがに昼間から3件で酒を飲むと、酩酊した(笑)

先日、「釣りキチ」の友人からメールで「アカメがつれた」との知らせ。
本人とかわらないくらいの、150cm強のアカメを抱いた写真が添付されていた。
東京から車で四万十川までいき、河口で夜釣りでの釣果。
体形はスズキ(シーバス)に似ているが、尾鰭の後縁が丸みをおびている。成魚は沿岸域から河口域に、仔稚魚は河口域のコアマモ群落に生息する。肉食性で魚類や甲殻類を捕食する。彼はルアーで釣った。

後日談だけど、アカメの前に「サメ」がかかったらしい。地球の温暖化で、魚の生態がだいぶ変化してきている。
日本のあちこちの河口で、「ジョーズ」が出没するようになると、釣りをすることで、幸せなはずの一生が短くなる、という危険もはらんでいる。
でも、普通に生活していても、ある日突然、地震や災難にあうかわからないのが人生。無常なものだ。
せっかく生まれてきたのだから、楽しく自分らしく生き抜いてみたいものだとつくづく思う今日このごろ。感謝。

メードインジャパンの宝物!

秋田から、囲炉裏の自在鉤が届いた。
ヤフオクで先週落としたものだ。さすがに、競合相手が少なく、
思ったよりも、すんなり買えた。欅(けやき)でできていて、秋田の古民家で使われてきたものだ。

お店には、亀戸の骨董屋から買った囲炉裏と自在鉤をぶらさげている。置き囲炉裏は、真鍮でできていて、
荻窪の茶を教えていたおばあさんが、生涯使っておられたもので、自在鉤は、鉄でできている。
かなり長年使われてきたものだが、まったく疲弊していない。その当時の「メードインジャパン」の気骨を
感じられる。炭火で焼くものは、餅、野菜、魚、肉・・・・なんでも美味い!

秋田といえば、昨年青森に旅する途中に立ち寄った酒蔵がある。由利本荘の「齋彌酒造」。
偶然にも、そこの酒「美酒の設計」を著した藤田千恵子さんが、昨年暮れにそばを手繰りにこられた。
先週、近くの「酔香」のすがちゃんが、「これ飲んでください」と、美酒の設計をもってきてくれた。
縁を感じて、酒を飲みながら、「美酒の設計」を読み返した。
酒造りに人生を賭している杜氏さんたちの、魂の物語。やはり「メードインジャパン」だ。
前に読んだ時に、赤鉛筆で、囲んだ文章があった。

「今、私たちが手のひらの盃に受けて飲んでいる酒は、いにしえの人たちによって始められた酒造りが、
物心ともに途切れずに手渡され、さらにまた手渡され、という連なりによってもたらされたものだ」

縄文後期からつくりはじめた「お米」と「お酒」・・・・メードインジャパンの最高峰にあると思う。
「ものつくり」とは縁遠い、よその国の「テンバイヤー」や、金儲けの手段としてしか考えていないヤカラには、
わからない「物語」が、連綿と綴られてきた歴がある。
お米を大事にしようね。日本酒を大事に飲もうね。感謝。

親死ね 子死ね 孫死ね

博多の仙厓和尚が、檀家さんに「孫が生まれたので、何かおめでたい言葉を書いてください」と頼まれた。
「よっしゃ」と、筆をとり「親死ね 子死ね 孫死ね」と揮毫した。
檀家さんが怒った。「じゃ こうするばい」といって、「孫死ね 子死ね 親死ね」と書き直した。
その瞬間に、「ああ 順番に逝くのがいいのですね」と悟ったというお話。
人は「自分は死なない」と思っているけど、孫もひ孫も含めて、みんな「生まれてきたから いつか死ぬのだ」。

昨日は、天真庵で何度か演奏をしてくれたクラリネットのHちゃんが、生まれたばかりの「はなちゃん」をつれて、
そばを手繰りにきてくれた。おなかの中にいたころ、天真庵デビューをしたので、「はじめてじゃなか」
みたいな懐かしそうな顔して笑っている。ぼくらにとっては、孫のようなものだ。
Hさんの師匠のN響の山根さんがやってきて、彼にとっても孫のような「はなちゃん」と麦茶で「はじめまして」の乾杯。

その後、押上小学校の卒業式を終えた「6年前ピカピカだった一年生」の家族4組が、そばを手繰りにきた。
この6年の間に、「味噌つくり」や「梅干しつくり」や、自由研究で「そば打ち」「焙煎」をした子たち。
みんなそれぞれ「なつかしい」とおらんでいた。やっぱりみんな「孫」みたいなもんだ。
ぼくらの時代よりも、厳しい未来が待っているような気がするけど、それぞれ、自分の好きな道を歩いていってもらいたいものだ。感謝。

月曜の朝は玉子かけごはん

令和の米騒動がかしましい。日本人が「米」じゃなく「小麦」
、しかも外国からの遺伝仕組みかえ小麦を好んで食べるようになって久しい。
米が少なくなって、テンバイヤーたちも「今だ」みたいにでしゃばっているので、
たいへんな騒動になっている。何か変じゃない・・・ちゃちゃニッポン?

日本人の「ありよう」の原点は、記紀に書かれた「瓊瓊杵尊 斉庭稲穂の神勅」
だ。天孫降臨の時、アマエラスさまが、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)に稲穂と、
「斎庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅(しんちょく)」を渡した。

「これから「瑞穂(みずほ)の国」(日本のこと)を栄えさせなさい」、という母の気持ちが伝わってくる。

記紀を読まなくなり、米を食べなくなり、稲作(ものつくり)をないがしろにして、
「株でもうけた・・・ボリボリ」とか「土地を売ってもうけた・・・ボリボリ」とか
「米やチケットを転売してもうけた・・ボリボリ」・・・みたいなもんが跋扈した結果が「今」じゃない。
それを、政治家たちまでが「今だけ 金だけ 自分だけ」の「三だけ主義」でやっているから、
財務省がダッチロールをはじめて、ニッポンが滅ぼうとしている。

日本流の最高のおもてなしである『茶事』は、 お客様を招いて、お食事とお茶を供すること。 今では「幻の茶事」になってしまったけど『茶飯釜の茶事』とういうのが、「茶の原点」だと思う。
迷った時は、原点に立ち返り、「お米のことをもう一度考える」のが、いいかもなんばん。
これから「玉子かけごはん」。炭火で炊いた「ごはん」が美味い月曜日。感謝。

地震の後の「いしかわ型復興住宅」モデルプラン

新しい「能登」という季刊誌がきた。今回は、そんな今後の住宅が44プラン紹介されていた。
近所の人の話によると、「今新しい家を建てると、坪単価が170万くらい」という。
そのプランを見ると、別に談合したわけではないだろうが、「15坪前後で、2000万」
という設定になっているようだ。

「老後の資金に2000万」とオウム返しみたいにいわれていたけど、不意な災害にあうと、
家だけで老後の2000万円が吹っ飛ぶ計算だ。
我が家も被災して、瓦がずれ、畳の半分以上を廃棄した。ずれた瓦は、ピアスをしたウルトラマンみたいな
若い瓦職人さんがシュワッと屋根にのぼってすぐに応急手当のブルーシートを貼ってくれたおかげで、以来
雨はもらなくなった。

今回の「能登」にも紹介されていたけど、能登の真脇(まわき)遺跡に建っている縄文時代の家は
無事だった。天真庵のHPに「縄文人は、美味しい珈琲を飲んでいた?」
という部屋がある。そこに石斧をもって、獣皮に身をつつんだ「令和の縄文人」の写真がある。
彼が、有名な「縄文大工の雨宮国広」さん。たまたま、6年くらい前に真脇遺跡にいったら、その家の
土台の穴を石斧を使って掘っているところで、「よかったら、いっしょにやりませんか?」と雨宮さん
に声かけられ、いっしょに「穴掘り」をした。終わった後、みんなで柳田温泉にいって、裸で縄文談議を
したことが懐かしい。

「縄文人は・・・・」のHPに、その後、完成した家の中で、茶会をやらせてもらった写真がある。
真ん中に「囲炉裏」があって、それで暖をとり、料理をつくる。単純だけど、「ホンモノ」の神髄
があるように思う。
昨日、ヤフオクで囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)を落とした。一階の和室を一室を「縄文の部屋」に改装中。
囲炉裏があり、そこに欅(けやき)の自在鉤をぶらさげ、鉄瓶でお湯をわかして、茶を淹れたり、
縄文ドリポットで珈琲を淹れたり、人がきていっしょに蛸を釣ったら、蛸シャブを囲み、茶飯釜でもてなし・・・
来月、電気工事が終わる。その部屋は、「オフギリッド」、つまり電気を使わない部屋にする予定だ。
電気がなくても、月あかりがあるし、炭火の灯りがあるし、毛なくなった友がくると、明かりになるかもなんばん?感謝。

今日は12時から16時まで。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)

夏日になる?今日は「縄文ドリポット」が大活躍!

今月のはじめ、新しい「縄文ドリポット」が久保さんからおくられてきた。
能登の土を使って、黄瀬戸をつくると、桃山時代の味がでて、いろんなところから
注文がいっぱいきて、大変忙しそうだ。

天真庵は、夏のアイスコーヒーを、ハンドドリップした珈琲と、水出し珈琲を、
ブレンドして出している。器は、開店したころから黄瀬戸。
つまり黄金の器と言われてきた「黄瀬戸」で、ドリポット、珈琲カップが、ぜんぶ揃ったことになる。
漆器と同じく、日本のやきもの、特に黄瀬戸は、自然光の中で見ると、一段と黄金色が光る。
能登の家では、囲炉裏端で珈琲を淹れるけど、古色蒼然とした日本家屋や、長屋のちゃぶ台で珈琲を
淹れても「絵」になると思う。

今回の縄文ドリポットは、そのままネルがおけるタイプ。
水出し珈琲も、ネルを使って淹れたほうが、だんぜん美味い珈琲ができるので、自作の「和っち珈琲」
の器具に、縄文ドリポットをしかけて、水出し珈琲を淹れるようにしている。
今日は、3つ仕掛けた。なーに、「あたり前だのクラッカーだ!」・・・昭和の時代にあったCM?感謝。

今日明日は12時から16時。それから「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」

今日は「お仕覆(しふく)」の日

今日は大阪から女子がきて「お仕覆」の会。煎茶の「旅茶わん」を入れる茶入れを包むお仕覆を
つくっておられる。
HPなどには紹介していないけど、「お仕覆」と「金継ぎ」を
不定期に筆子さんが教えている。
「大事に包みたいモノ」「壊れたけど、金を使って継ぎたいモノ」を
もっている人がある時代に「ちゃねって?」できたんやろね。
「ものを大切にする」「いいものを大事に育てる」ような日本人の大切な
文化だと思う。大量生産・大量消費・使い捨て文化は終わったね。

能登から帰る日の朝、藤瀬の霊水を汲み、和倉の総湯に入り、近くの仮設店舗で
「醸す」をテーマにカフェを営んでいるお店にいって、チキンカレーを食べた。
チキンカレー・キーマカレー・ハンバーグの3種のワンプレートで営業されている。
近所に住む老夫婦が、入ってこられた。
おばあちゃん「私たちうどんが好きなんですけど、ありますか?」
そんなトンチンカンなお客さんにも「うどんなら、近くの『なんやら』(店の名前が聞き取れなかった)にいかれたらどうですか?」
と丁寧に接客している。能登はやさしや土までも、みたいな女将さんだ。

足を少し痛めてるのに、ひとりで笑顔でテキパキと仕事をし、「これ被災したわたしを応援、という意味で長野
のりんご農家さんがおくってくれたものを、白ワインと蜂蜜で煮たものです」といって、サービスしてくれた。
お会計の時、「おまけのお返し」と言って、「元気シール」を一枚あげた。
いきなり、TQ元気シールの説明すると「へんなおっちゃんがきた」と思われるかもなんばん、と思って、
黙っていた。「こんどまた能登にこられる時があったら、またきてください」といって、満面の笑顔。
まだ語尾を~と微妙にのばず能登弁がしゃべれないので、観光客だと思われた。お店も家も被災した人たちが、
能登のあちこちの「仮店舗」で、営業を始めておられる。カレーも美味かったけど、なんか不思議な元気をいただいた。感謝。

「厨oryzae(くりやおりぜ)」というお店。コンセプトと店主の人生感・哲学にブレのないお店。

所さんお届けモノです!に紹介された動画をHPにアップ!

そんな人気番組に、一昨年天真庵が紹介され、スタジオまで
いって、「花巻そば」をつくった。収録が終わったその日に能登にいく、というハードスケジュールやった。
「テレビを見たら、会いたくなったっちゃ」といって、幼稚園からの親友「のうじ」くんが北九州の「くろがね堅パン」土産に、
お店にきてくれたのもうれしかった。
大地震の前の年だったので、毎月のように、輪島や珠洲にいって、「あご」「干し椎茸」「揚げ浜塩」「岩ノリ」
を買いにいっていたころだ。「丸和工業」という、珪藻土七輪やさんにも毎月通っていた。
切り出し珪藻土七輪は、野菜・魚・肉・・何を焼いても、次元が違う味になる。ましていわんや「珈琲豆」も!

昨年の春、ゆみちゃんが、岐阜から車を運転して、被災した家の掃除の手伝いにきてくれた。
畳の部屋ひとつ残して、ぜんぶ雨漏りをしていたので、いっしょに雑魚寝をした。
能登全体が避難所みたいになって、右往左往していたころ。
先月、ゆみちゃんから「岐阜で昨日『所さんお届けモノです』を見てたら、天真庵がでていたので
動画をおくります」といって、筆子さんのスマホにおくられてきた。
「いつまでも続く」と思っていた日常が、ある日、非日常になったりすることを思い、
古いネタではあるけど、「天真庵のHP」に動画をアップした。ぼくも、所さんも、2年ほど若い映像(笑)
「珪藻土七輪で炭火焙煎」の映像もあるけど、これも絶滅危惧種よろしく貴重なものになるかもなんばん。

押上文庫くんが「能登の風」と、めずらしく余計なことを言わず紹介してくれたのが印象的だった。
前世から生きているような文庫くんの顔も2年若い。

今日の能登は、朝から冷たい風が吹き、ここ志賀町もうっすら雪が積もっていた。
朝日を拝みながら深呼吸していると、やわやわと(ゆっくりと・・・という能登弁)、「能登の風」が香ってきそうな朝。
縄文の文化が残る能登の風景の中で瞑想していると、「この世の終わり」みたいな「今」を、どうやって今の地球人が
乗り越えていくんだろうか?とふと思った。
明日の朝、東京に向かう。土曜日から営業。感謝。