昨日の能登は、朝から冷たい雨が降っていた。
梅茶翁に、梅の木の剪定にいく。地味な作業だけど、いつも寒い冬に
時々は雪の中、「切り上げ剪定」というやり方で、梅の枝を切る。7回目。8回目?
桜切るバカ 梅切らぬバカ
昔からの格言だ。動物たちも冬眠するような冬に、気合を入れて志賀町を出発。
まだまだ正月と秋の豪雨の爪痕が残る奥能登へ、穴水経由でいく。解体がすすんできたので、
解体されたゴミを運ぶ大きなトラックが、狭い能登路を行き来している。道路もところどころが、
片側通行で、渋滞する道を一時間ちょい、梅茶翁のある能登町へ。
温度は2度。梅茶翁のペチカも、正月の地震で全壊し、新しいペチカを作っている最中で、暖は
珪藻土竈に炭をいれていた。室内でも、みんなの息が白い。
前日、志賀の家で焙煎した「ほぼぶらじる」を飲みながら、準備。
*余談だけど、今年は「竈(かまど)を返す」飲食店が多い。=「廃業する」
夏の梅の収穫以来の梅林にいくと、空気が凛としている。2年間、梅は不作だったけど、つぼみが「来年は咲くよ」
と笑っているようだ。
三輪福さんが「昨日の夜、ナウシカさんがきて、少し気を入れていただいた」とのこと。
なるほど、梅林の雑草が、風の通り道をつくるように刈られていたり、土のあちこちに、水と気の流れを
施すような跡がついている。「昨日が満月のような(昨日が今年最後の満月)明かりがあったので、その下で
整えてもらったの」とこと。言葉では、尽くせないけど、凛とした空気がいつもより研ぎ澄まされていた。
ナウシカさん・・・映画「杜人(もりびと)」の矢野智徳さん。震災の後、なんどか梅茶翁にきていただいた。
前田せつ子監督が、この映画をつくった理由が、ネットにあがっていたので紹介する。いろんなところで「自主上映」
をやっているので、ぜひ!ぼくも朝飯前(そんなに簡単ではないけど)、上の畑のまわりの「風の剪定」。これから朝ごはん。
ナウシカのような人に 出逢った
〜私がこの映画を撮った理由〜
矢野智徳さんに初めて会ったときの衝撃を忘れません。
「虫たちは葉っぱを食べて空気の通りをよくしてくれている」
「草は根こそぎ刈ると反発していっそう暴れる」
「大地も人間と同じように呼吸しているから、空気を通してやることが大事」
人間目線から遥か遠く、植物や虫、大地、生きとし生けるものの声を代弁するかのような言葉は、まるでナウシカのようでした。風のように枝を払い、穴を掘る様子はイノシシのよう。一日の作業を終えたとき、その場にはスッと息が整うような、なんとも言えない清涼感が漂っていました。
こんなふうに自然と関われたらどれほど豊かに生きられるだろう、いや、人間であることの罪悪感が少しは軽くなるかもしれないと思いました。
それから4年。技術も、知識も、経験も、プロ用のカメラもない中で、2018年5月、矢野さんの本拠地である山梨県上野原市を訪れました。想い一つからスタートした撮影の旅は、屋久島、福島、安曇野、気仙沼へと続いていきました。
2018年7月、気仙沼での撮影中に、西日本一帯を記録的な豪雨が襲いました。初めて会ったとき、矢野さんが警告していたことが起こったのです。被災地支援を申し出た矢野さんたちを追いかけて、岡山県倉敷市真備町、広島県呉市に向かいました。
そこで見たのは、コンクリートの砂防堤や道路、U字側溝を突き破って流れ下った土砂や流木と、大切なものを失いながらも必死で立ち上がろうとしている人々の姿でした。
「土砂崩れは 大地の深呼吸なんです。息を塞がれるから、それを取り戻そうとしている」
2019年5月には屋久島豪雨で巨岩が崩落、10月には台風19号で全国21もの河川が氾濫。被災地に駆けつけた矢野さんは、これらが単なる天災ではなく、人の開発がもたらしたことであること、自然が人に求めていることを伝えていきます。
「息をしている限り、あきらめない」
学生時代、日本一周で九死に一生を得た経験から生まれた言葉を胸に奔走する矢野さんと、矢野さんにならって渦流のように全国を廻り、寝る間も惜しんで傷めた自然の再生に全力を注ぐスタッフや「大地の再生講座」の参加者を3年間追いかけて感じたのは、人にはまだ希望がある、ということです。
泥だらけになって土を掘り、汗だくで草を刈り、一日作業をした最後に「楽しかった」と満面の笑顔を浮かべる人がたくさんいる。人間らしい充足感、幸福感というのは、かつての「結(ゆい)」……人と人、人と自然の共同作業があってはじめてもたらされるものではないだろうか。
ナウシカにはなれなくても、かつての人々が皆そうしたように、移植ゴテ一本、ノコ鎌一本でもっと自然と仲良くなれることを、人間という動物の遺伝子はきっとまだ憶えている。
「この場所を 傷めず 穢さず 大事に使わせてください」と、人が森の神に誓って 紐を張った場=「杜(もり)」。
忘れ去られたこの言葉が、その記憶の小箱を開く鍵となることを願って。
監督 前田せつ子