クリスマスイブは落語かい?

クリスマスイブに、橘家竹蔵師匠が「芝浜」をやってくれるようになった。
昨日のお昼、前売り券を、師匠自ら作って、もってきてくれた。
「だんな(ぼくのこと)びっくりしたよ。一日で完売したんだって・・ありがとうございます」と笑う。
根っからの落語家で、のべつ幕無しで、機関銃トーク。いつものように、ざるそばを「時そば」よろしく
ズズズと手繰り、バイクにのって帰っていかれた。

今週(もう先週かな?)の「女性セブン」の「最初の晩餐」というところに、鶴太郎さんが
若かりし日に、竹蔵師匠と稽古場であって、そのまま「おれんちに遊びにこいよ」といって、阿佐ヶ谷まで
いき、奥様の「角煮」を御馳走になった話がのっていた。一宿一飯の恩を、売れっ子になっても、忘れないところが、
「さすが」だと思った。売れる、売れないは、才能や運におうところが多い世界だと思うが、そんな「こころがまえ」
をもつ「人間性」が大事だと思う。どの世界もそうだ。

昭和58年に秋葉原で、ITの会社を創業した。その年に、毒蝮三太夫さんの「ミュージックプレゼント」で紹介されたことがある。
1969年10月6日から放送されている公開生放送のラジオ番組である。2019年10月11日の放送で50周年を迎えた長寿番組。
その前はウルトラマンの嵐隊員で当時の子供たちに人気だった。その後、談志さんが司会をやっていた「笑点」の座布団番になり、
こころあたたまる毒舌で今も各地で活躍されている。毒蝮三太夫というのも談志さんが命名。そんな縁があって、毒蝮さんの
竹馬の友がやっていた吉原の寿司屋で、毒蝮さん、談志さんと飲んだことも、懐かしい。
ふたりとも、素はとってもやさしい人だということが、わかった。

池袋に会社を移したころ、借りていたビルのオーナーが、「まるまど会」の後援会長をやっていた。
まるまど・・・・三遊亭圓窓さん。「笑点」を卒業されて、「圓窓五百噺を聴く会」をやっておられる最中で、
(2001年3月9日、含笑寺で「圓窓五百噺を聴く会」500席達成。)その中のいくつかは生で聞かせてもらった。
2年前にもっと高い高座に居場所を移されたけど、ときどきメールを
やりとりさせていただいた。高坂カントリークラブで、よくゴルフもしたな~。落語ほどうまくなかった(笑)

そんなことを思いながら、夕方のお客さまと談論風発していたら、バイクの音がして、竹蔵師匠が、
「ちょっと、二階を貸してちょだい。満席になったので、練習しなくっちゃ」といって、折詰をカウンターに
置いて、階段をのぼり、厠で用足しの後、降りてきた。
「毎日そばばかりじゃ、体に悪いから、寿司買ってきたので、食べな」といって折詰をくれて、またバイクの人になる。
落語は上手だけど、普段は上手が言えないシャイな一面ももっておられる。
芸というのは、縁から縁が紡がれ、自分の本来の人間性(天真)というものが、引き出されていくもんだなあ。感謝。

今日明日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
明日の営業が終わったら、しばらく「能登休み」。