昨日、93歳で近所でひとりくらしをしている常連様がそばを手繰りにきた。
少し耳は遠くなって、入れ歯の調子が少し悪いくらいで、矍鑠(かくしゃく)としていて、
天気のいい日はひとりで散歩している。その散歩の途中に寄ってくれる。
富山県の翡翠(ひすい)がとれる村の出身で、自分のことを「おれ」という。
開口一番、「おれんちに、昨日どろぼうが入った」。
驚いて、「被害は?」と聞くと、
「おれんちは、なにもとるものんがないよ」といったら、
「ぼくたちは、どろぼうじゃないので、警察にいわないで」と3人の若者どろぼうが答えたらしい。
「仏壇の抽斗をあけて、じいさんの形見のネクタイピンを盗もうとしてるのに、どろぼうじゃない、って
そんなバカな話はないだろう」と、しかったら・・・
「これ、気に入ったので、買わせてください」と言って、1000円置いていったらしい。
「思わず、おれんちにまた遊びにこいや、と言った」と言って、笑っておられる。のんきなもんだ。
最近ニュースになっている「闇バイト」で、やむを得ず強盗をさせられている若者たちの検挙された写真
などを見ても、「悪人顔」ではなく、普通の青年みたいな人相が多い。昨日まで貼られていた選挙のポスター
の顔のほうが、立派な悪人顔がそろっているように思うのは、ぼくだけかいな?
悪いことが発覚すると、「秘書のせい」にして、平気の平左みたいな輩は、闇バイトの首謀者と同じような悪人顔になるのだろう。
国民もすこし覚醒したのか、自民党が過半数割れした。
でも、裏金議員や、統一教会ずぶずぶ議員が、選挙にでる、その厚顔無恥さが、まだまだ予断を許さないし、
何かすっきりしない気分だ。いろいろな意味で、日本はぎりぎりのところを彷徨っている気がする。
今朝は「玉子かけごはん」
いつものように、貧乏という名の「のし棒」を使い、そばを打ち、珪藻土の竈でごはんを炊き、残った炭で焙煎。
味噌汁は、先週いただいた長野の川上村の、白菜、にんじん、かぼちゃ、ごぼうを実にした。
今日は、そばと味噌汁があまったら、それで「ほうとう」と「投じそば」をあわせたような夕飯ができる。
「放蕩児そば」という名にして、新しいメニューにしようかしらん・・・
囲炉裏端で、気のおけない友と、膝を突き合わせながら、囲炉裏端ばなし・・・酒がますます美味くなる。感謝。