月曜の朝は玉子かけごはん

今年は、正月から能登の地震があったり、「南海トラフがいよいよくるよ」
みたいなフンイキもただよって、お米をキープしなくちゃ気分が高まり、
どこのスーパーの棚からもお米が品薄になっているらしい。
うちは、妹が農家だし、能登でお米をつくったり、近くの農家さんと
親しくしているので、お米は玄米のままいただき、必要な分を精米機で精米して、
珪藻土の竈で炊いている。月曜日の朝だけ、それを提供している。

縄文時代までは、狩猟や漁業の「幸せなその日くらし」だったので、みんなで
収穫があった時は、分け合い、ない場合は、みんなで腹をすかし、縄文土器を祭器
にして「明日は魚がとれますように」と、みんなで祈った。器は女性がつくっていた。
ある意味、神さまや自然によろそって生活していたみたい。貝塚、というのは、食べ物の捨て場であり、実りを祈る御簾の場でもあった。
一万年も戦争もなく、平和という言葉もいらないくらい平和な時代。

弥生(縄文の後期から)になって、稲作が始まった。お米は「貯蓄」ができるので、そこから貧富の差や、
食べ物や土地をめぐて、戦争がおきるようになった。縄文土器のような祭器が、のぺっとした土器にかわった。
世界中で紛争が絶えず、世界中の人が、のぺっとした服装をするようになった今の時代につながり、
普通は輸入物の麦でつくったパンやパスタを食べていながら、マスコミが「米がなくなる」といえば、
スーパーでお米を買って、その足で、フィレオフィッシュを食べながら、ボリボリしている。

先日、うまれてはじめて、スカイツリーの中の「すしざんまい」にいった。聞きしにまさるオーバーツーリズムで、
言葉の通じない外国人が、すしを喰らいながらボリボリしていた。
寿司は、ある意味、縄文と弥生の中道みたいなものかもなんばん。

あ、開店の時間がきたので、今日はこれにて失礼。感謝。

柳の下にいつも泥鰌はいない・・・の諺をやぶった石破さん

民主党が「野田さん」、自民党が「石破さん」が党首になった。
どちらも「どじょうタイプ」で、庶民に寄り添い、いっしょに宴会で
安来節を踊っても違和感がないような似たタイプだ。
そのぶん、野党としては、対立点をアピールすることが容易ではなさそうだけど・・

石破さんの最後の5分の演説が大逆転の結果となったみたいだ。
石破さんは、まず、被災地で暮らす人たちにこころを寄せ、自分のこれまでの言動で傷つけたことをわびた。
反対の高市さんは、「日本初の女性総理」の座を手にしたような勇み足スピーチ。
「裏金」「統一教会」で、信頼を失った党を刷新するには、党首として足らない人格を吐露させた感がある。
どちらのどじょうさんも、悠々と川の中で生きていくような平和な世情ではないけど、がんばって
もらいたいと思う。
♪知らぬ同士が小皿たたいてチャンチキおけさ~
あちこちで、三味の音が流れ、かっぽれ、安来節でみんなが陽気暮らしできる日本をとりもどしたいものだ。

9月3日に、ボクシングの世界戦があった。井上尚也が圧倒的な強さで防衛した。これまでにないタイプの
ボクサーだ。野球の大谷選手もそうだけど、ファイトマネーや年収が、記録的なものになったけど、
彼らは「お金や名誉のため」に闘っているのではない。こころから、ボクシングと野球が好きで、結果(通過点?)としてそれぞれ
の「今」がある。

セミファイナルが、K1からボクサーに転向して世界王者になった武居由樹が元WBC世界フライ級王者の比嘉大吾
の挑戦をうけた。判定で武居が防衛した。
試合前のインタビューで、挑戦者の比嘉が「けっきょく、お金がほしくて
またリングにもどってきた」というような話をした。その時点で、「武居が勝つ」と直感した。
政治もスポーツも、経済も「お金や名誉」よりも、大切なものがある。そんな時代を迎えているのだと思う。
「老後に必要な2000万を貯める」を目標にするよりも「二度とない人生を楽しく生きるために生きたお金を使う」
ほうが、圧倒的にいいよね。感謝。

今日は12時から16時まで。
それから「そば打ち教室」「ゆるゆるヨガ」だ。
明日の朝は「玉子かけごはん」

今日から青山でおもろい個展が始まる!

ここのところ天真庵のHPのリンク集の話が多い。
そのリンク集の最後に「長崎剛志 N-Tree」くんのHPが紹介されている。

今日から「N-tree 28周年記念庭園美術展『原始庭苑』」が、青山のギャラリーで
始まる。え、もう28年か・・光陰矢の如しだ。

長崎くんとの出会いは、まことに不思議な縁。ぼくが池袋でギャラリーを始めたのが、
平成7年39歳の時。来年で30周年になる。最初は、南條正一さんの「寒山拾得」を中心
にやっていた。ある日、新宿を歩いていたら、芸大の版画をやっていた長崎くんが「卒業記念展」
みたいなことをやっていた。「おもろい版画やな」と思って、そこにいた女性に、「この版画の作者はいつくるの?」
と聞いたら、「しばらくイギリスにいってます」とのこと。その彼女が実の妹だと自己紹介してくれたので、
「にいちゃんが帰ってきたら連絡くれるようにお願いします」といって、名刺を渡した。

そして、帰国してすぐに池袋で会って、「今のもの」という展覧会を、陶芸家の久保さん
とコラボでやった。その時は、版画だった。翌年の正月に、「根っこから考える庭師になります」
という挨拶文が印象的な賀状がきて、池袋のギャラリーの玄関に庭をつくってもらった。
隣の3階建ての家に移った時、屋上に池袋の夜景を借景にする庭をつくってもらった。この庭は
海外をふくめ、いろんな雑誌に取り上げられた。
しばらく、長崎くんはイギリスに移住しながら庭をつくっていたが、4年くらい前の正月に
に「長崎の庭をつくります」という賀状がきた。「自分らしい庭?」と思っていたら、長崎くんが長崎
の諫早の神社の庭をつくる、ということだと知った。それが完成し、作庭28年を記念して、
今回の展覧会を、東京・奈良・マドリッドで開催する予定らしい。

天真庵のHPの「能登に寒山拾得美術館があります」のところにに、金沢テレビで紹介された映像がアップされている。家の玄関に入るとき、右手に大きな版画がある。彼が卒業記念につくったものだ。「助けあう手たち」、そんなタイトルだった。
正月の大地震で、玄関も水浸しになった。そこにあった石仏が、身代わりのように落下していたけど、
この版画や他の絵は無事で、その後、ボランティアの人たちの手をかりて、濡れた畳などが、その版画の前を
行き来した。まさに「助けあう手たち」。
「寒山拾得美術館」に遊びにくる人は、まずこの版画と対面することから、根っこがつながっていく。そんなシカケだ。感謝。

風立ちぬ・・・から、TQ元気シールのマンガ

2013年に公開されたジブリ映画。
宮崎駿監督が『モデルグラフィックス』誌上にて発表した連載漫画『風立ちぬ』を原作。航空技術者・堀越二郎の半生と、作家・堀辰雄の小説の内容が、主な題材となった。映画のポスターには両名の名を挙げており、「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」と記されている。
映画の中で、堀越が祝言をあげるシーンがあった。戦時中で食べるものも不自由な中で、あるものでお祝いの席をつくる中に、ちゃんと
「燗鍋」(お燗をする徳利に蓋がついている。レンチンで燗をする現在の生活からは、消えた)で、お酒を飲むシーンが印象的で、映画館をでた後、すぐに久保さんに電話をして、「志野で燗鍋をつくってください」とお願いした。能登の冬は、この志野の燗鍋が大活躍している。

小説の「風立ちぬ」は、堀辰雄の代表作。

天真庵のHPの「リンク集」の一番上に「湖月館」がある。筆子さんのおばあちゃんが生まれたところから徒歩5分
くらいの場所にある旅館。今回の地震で大きな被害を受け、再建を模索されている。明治の創業で、そのころ近くに金山もあって、
「富来」(とぎ・・富が来る)という縁起のいい街で、代表的な料理旅館として栄え、創業者が俳人だったこともあり、
多くの文人墨客に愛されてきた。とくに福永武彦が何度も訪れ、能登が小説の題材や詩になった。
玄関脇には、彼が旅館で詠んだ「夜もすがら 春のしるべの風ふけど 増穂の小貝 くだけずにあれ」
が、石碑になって飾ってある。増穂とは、旅館の近くの増穂海岸で、旅館の思い出として、そこでとった「桜貝」を
土産にするのが、ならわしになっている。3年ほど前に、かっぽれ女子4人と、この旅館に泊まり、朝みんなで海岸に
いって、貝をひろったことがある。

話は前後するが、先日板橋の歯医者にいった。板橋(正確には上池袋)に住んでいたころから通っている古本屋が、旧中山道の脇にある。
そこで、福永武彦の「内的独白」を見つけ、駅前の喫茶店で読んだ。
彼が尊敬していた「堀辰雄」のことが書かれてある。あまり知られていないが、堀辰雄は、生まれてすぐに、母親が離婚して、
彫金屋と再婚し、向島で育った。押上文庫ちゃんが「そんなことを、このへんの人は誰も知らないんです」
と、酔うと(酔わなくても)怪気炎をあげる(笑)

今は、ネットで検索すると、なんでもすぐに「履歴」がわかる。
でも「内的独白」には、その中にない行間に潜む、その人の「人生」のことが描かれている。
最近、「令和版のTQ元気シール」やそれを貼った「UFOコースター」ができ、TQの発明者の「山田敏郎」さん
の顔と履歴を渡すことが多い。ふと、「これで彼の人生が伝わっているか?」と思った。
そこで、最近よくきてくれる美人の漫画家さんに「これを、マンガにしてください」と頼んだ。

山田敏郎さんは、口癖のように「TQ技術は、21世紀に花開く」と言っておられた。
20世紀は「グローバルな時代」で、インターネットやIT企業などが、国境を越えて
活躍した時代。そして、この21世紀は、宇宙と地球の境界線がなくなる「ユニバーサル時代」。
そこに「TQ」(おじさんギャグやないけど、21世紀の地球はTQ(てぃきゅう)が、
「元気」とか「やさしさ」といっしょに、広がっていくのかもなんばん。感謝。

能登の大雨で畑に土砂が・・

能登の大雨で、心配メールや電話をたくさんちょうだいする。
近所の人たちにも「大丈夫でした?」と心配される。今年は春から
立て続けに、被災者側にたっている。

反対に、知り合いの安否が気になり、こちらからもメールや電話をいっぱいかけた。
能登にいくきっかけをつくってくれた「梅茶翁」は、能登町の瑞穂(みずほ)
という場所にある。天真庵のHPにリンクしてある。とても素敵なHP。
リンクのところに「このほし」も加わった。ともに、天真庵のお客さんで「移住組」の人たち。
正月の震災の後、ユンボを購入して、近所の被災地などの救援などをやっておられた。
今回の大雨も、事前に自宅近くの里山からの水脈をユンボで、じょうずに整えていた結果、
水がスムーズにぬけていって、大丈夫でした、とのこと。

安心して胸をなでおろしていたら、能登の自宅がある集落の区長さんから電話があって、
「おたくの家の横の畑が土砂崩れ」とのこと。自然には抗えないものだ。
昨日は気分を変換すべく、筆子さんとスカイツリーの中の「すしざんまい」で、緊急会議。
ふたりで会社を秋葉原で興して40年近くになる。なにかが起きると、「いつもいかない場所」
にいって(なぜだか、いつもいかないホテルなどの上の方のレストランやバーにいく傾向がある・笑)会議を
してきた。
中国や東南アジア系の人たちが、ワイワイいいながら寿司を食べているカウンターにすわり、
日本酒の燗を飲んでいるうちに、「ひとつ畑がなくなったけど、もうひとつあるからいいや。
家がだめになったら、ノマド生活で全国を巡ろう」の結論になった。

そんなことを言っている間に、南海トラフや首都直下地震がきても、おかしくない「今」。
良寛さんの悟りの境地には至りませんが、近づくきっかけをいただいたことに・・感謝。
もうすぐ、新潟の三条の銅作家さんに頼んでいる珈琲用のポットができあがり取りにいく予定。
良寛さんのゆかりの出雲崎の旅館に泊まって、この言葉をかみしめたいと思う。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候      良寛

オカルト喫茶店のモーニング。

昨日は「玉子かけごはん」だった。週一のモーニング。
最近、近所に住む女性マンガ家さんが、玉子かけごはんによくこられる。
話が宇宙的で、ついつい話こんでしまう。昨日は夫くんと、素敵なおそろいのTシャツ(彼女が描いた)のペアルック。
違う作家だが、「わたし、視えるんです」とか「私が見た未来」・・・など
不思議な世界を描く漫画家さんの作品など、文壇の人たちとは異次元の世界を描く
作品も多くなってきた。

ぼくのそばのお弟子さまは「そばもん」というマンガ本を教科書に使っている。
そのかたわらに「将太の寿司」のマンガ本が人揃えあった。
天真庵で出会って結婚し、小学校6年と3年の男の子の4人家族のIさん一家が
そばを手繰りにこられた時に、全巻を貸した。
この一か月で、ふたりの小学生がそれを読破し、自宅の台所に「寿司〇〇〇〇」と、ふたりの名前を冠した
手ぬぐいの元で、魚を捌き、寿司をにぎる写真がおくられてきた。

ぼくは、ユーチューブを見ながら「タコ釣り」をマスターした。きっとこれからの子供たちは、
それに+して、マンガ本で、「そばや」や「すしや」になる人がでてくるに違いない。
サラ金みたいな高金利の借金をしながら大学にいくよりも、個性的でわくわくするような人生が
歩めるかもなんばん。
能登ではよくタコが釣れる。今年は地震と大雨で、たいへんなことになっていが・・。海辺の古民家を
改装して、「タコガレット」のお店をやったらどうだろう?と、移住希望者によく話をする。

朝まずめに タコをつる。朝ごはんがおわって、タコをさばき、そば粉を水に溶かす。
午前中に、余暇のような釣りと、仕込みが完了。地産地消で、エコで、限りなく自給自足な
生活ができるに違いない。お店の名前は「あこがれのタコガレ」
能登だけじゃなく、海に囲まれたこの国の津々浦々に、そんなお店ができたらいい。感謝。

月曜の朝は玉子かけごはんで、すいぜん・・

今日は振替休日やけど、これから「玉子かけごはん」(8ー10)。

玉子かけごはんは、カウンターだけで営業。2011年から、毎週月曜日のみ
営業している。
先日のブログに夏目漱石の「草枕」のまくらの文章を紹介した。その後の文章を
読むと、天真庵のカウンターの由来がわかるので、さっき昨日のブログに追加した。

木場に近い押上界隈は、川もあり、木材を運ぶのに便利で、「銘木屋」と呼ばれるお店もたくさんあったみたい。

話がかわるけど、昨日元気なおじちゃん、というか、80歳を過ぎたくらいのおじいちゃんが、
やってきて、「玉露ください」と注文された。神田からチャリンコでやってきたらしい。
帰り際に「ひさしぶりに、うまい玉露を堪能した」と、褒め殺しのような言葉をいただいた。

「草枕」に、主人公が玉露を飲むところがある。飲むのではなく、舌の上でころがす、という表現と、
その後の、文章が名文で、煎茶道を学ぶ人たちにとって、「草枕」は、昔からバイブルでもある。

「一しずくずつ 落として味わって見るのは閑人適意(かんじんてきい)の韻事(いんじ)である。 」(夏目漱石の草枕から)

かの名ピアニスト・「グレングールド」さんは、バイブルのかわりに、「草枕」の英訳本を毎日読んでいた、
というのも有名な逸話だ。ときどき、彼の演奏するバッハのゴールドベルク変奏曲などを聴いていると、無性に熊本の「草枕温泉」
にいきたくなる。パブロフあらため「グールドの犬?」。「垂涎(すいぜん)ものだ」  感謝。

今日明日は18時まで営業。

たまな創生館にいき、近くの温泉で「・・とかく人の世は住みにくい」とおらぶ。

能登の大雨はまだまだ予断を許さない様子。たくさんのかたから、心配メールをいただきました。感謝。
能登のやさしい人たちの無事を、こころから祈っています。

天真庵のHPにリンクしている「財団法人 たまな創生館」が、来月9周年を迎える、という
手紙をいただいた。
熊本は、IT時代から縁が深く、HPをつくってもらっているのも友人やし、今話題の
映画「骨なし灯篭」の木庭夫妻も、昔からいっしょに旅をしたりの付き合いだし、天草の
ぼうし岳珈琲ラボのなつきくんも、ぼくのそばのお弟子さまだ。ほかにも蕎麦弟子が複数(笑)

たまな創生館の館長は、橋本太郎さん。ぼくが理事長を務めさせてもろうた「ネット21」を支えてくれた恩人でもある。
天真庵で、お茶とお花の修行をされた。ネットで検索すると、いろいろなお勉強会が開催されていて、
とても楽しそうだ。館内にあるカフェが「茶色の小びん」。名前からわかるように、ジャズ好きおやじで、同郷で58で逝った
ワカ、ことBCNの吉若徹専務といっしょに、よく天真庵のジャズライブを盛り上げてもらった。

お父さまの故・橋本次郎さんは、初代の玉名市長であり、衆議院議員としても尽力された。寅さんの映画では
欠かせない俳優・笠智衆さんは親友であられた。政界の同志は故・三木武夫先生。そのことだけで人柄と政治哲学がにじみでている。
あまり知られていないが、すぐ近くに「草枕温泉」がある。夏目漱石の草枕の舞台になった温泉。「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。」・・・有明海を見下ろしながら、これを唱えると、人生が明るくなるかもなんばん。
その後・・・「何百尺の檜に・・・」という文がある。天真庵のカウンターの檜の一枚板は、夏目漱石が大好きだった居酒屋のおやじさん
が、銘木屋から檜の一枚板を買って設え、店の名を「百尺」とつけた。それを半世紀後に譲り受けた。

今は、自民党や立憲民主党のボスをきめる選挙中。声高に「地方創生」を訴える議員が多いが、二世三世で、選挙区は地方だが、
都会育ちの政治家に、その具体策を推し進めるだけの行動力があるとは思えない。一度「たまな創生館」にいかれることをおすすめいたす。
「わたくしは日本をかえます」「わたくしが地方を元気にします」もいいが、まずはその「わたくし」から変えていってほしいものだ。

今日は12時から16時まで営業。それから「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」
明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)

やわやわ と 豆焼く・・

まるで煎餅屋のじいちゃん生活?
「やわやわ」というのは、能登弁で「ゆっくり」とか「じわじわ」みたいな意味だ。
正月に被災して、二月いっぱいは味噌つくりをやっていたので、3月のはじめに
能登にいった。海の近くのひとり暮らしのおばあちゃんが、手押し車にダンボール箱を
のせて、家からゴミ捨て場に運んでおられたので、「もちますよ」というと、
「やわやわ と 片づけんといかんわ」といって、ニコっと笑った。
それ以来、ぼくのこころに「やわやわ」が染み揉んだ。

今月もほぼ毎日近くの海で、タコやイカや雑魚を釣った。帰りは、30分くらいかけて、やわやわと
家に帰る。家が全壊して、公費解体もおわり、仮設住宅に入っているおばあちゃんがいる。
いつもぼくを見つけたら、女学生のように大きく手を振ってくれる。仮設住宅の生活には「土」がないので、
更地になった自宅の横の畑に毎日車できて、ナスやキュウリやゴーヤをつくっておられる。
こないだは、「もう最後になるけど」といって、ゴーヤをいただいたので、梅林ガールズたちと、「アオリイカゴーヤチャンプル」
にして飲んだ。「もう最後」は、今年最後、もう夏も終わり、の意味だけど、なんとなく「一期一会」になりそうで、
お互いに笑顔で会話しているけど、一抹のさみしさ、人生の無常みたいなものが隠せない。
東京へ出発する木曜日の朝7時、彼女の家の前を通ると、やはり女学生のように大きく手を振って、見送ってくれた。
「能登はやさしや土までも」を、体いっぱいに感じた。

昨日は、麹町の病院のカフェから豆の注文が入ったので、朝から30度超えの東京のお店で、炭をおこし、
能登の珪藻土でガラガラと焙煎。
「いいにおい。かえってきはったん」と舞妓さんみたいな声がする。陶芸家の渡辺愛子さん。滋賀の伊賀に窯があって、
東京と「二股暮らし」をしている。伊賀にも寄せてもらったし、奈良にも旅したり、もう30年近いつきあいになる。
いつか「彼女が20歳のころからのつきあいだ」とブログに書いたら、熱烈な彼女のファンがお店にきて
「どうしてですか・・?」など聞くので、「無粋なやっちゃな」と説教して帰ってもらったことがある。
本人の見た目も、美しいけど、彼女がつくるうずくまる(信楽の花器)や、大壺も同じくらいべっぴんで、ヨーロッパなどでも人気が高い。
お店のショールームに、勾玉をくわえたワンコが飾ってある。一昨年、銀座の黒田陶苑の個展で買ったもの。
能登の「寒山拾得美術館」には、うずくまる、や、大壺が飾ってある。
「これから、伊賀にもどるんで、珈琲豆を買いにきました」といって、アツアツの豆を買っていかれた。「気をつけて」
といってハグ・・・・今日もひとり「なんでハグやねん」とお客さんがきはるかもなんばん?

焙煎が終わって、香取神社にお詣りして、オリンピックで買い物をして、そばつゆなど、「そばの仕込み」をしていたら、
陽が暮れた。

今朝は5時に起きて「そば打ち」・・・・いつも、そんな「やわやわな時間」が過ぎていく。
今日明日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」。
月曜日は振替休日ですが、「月曜の朝は玉子かけごはん」(8-10)

能登の名月

能登に、「池月」という地酒がある。昨日は中秋の名月。

輪島のカフェから注文が入ったので、昨日は焙煎して、配達。
その後、いつものように「酒ブティック奥田」で、お店用の酒を
買う。被害の激しかった奥能登の「千枚田」などを購入。

「酒ブティック奥田」の近くに白藤酒造がある。やはり甚大な被害があり、仕込み中の酒を、
白山にある吉田酒造さんが瓶詰してくれた話が、新聞やテレビで紹介された。その酒「奥能登の白菊」
が一本残っていたので、「これは自宅用」にしてもって帰った。朝市通りの焼け跡や、倒れたビル、
倒壊した家屋は、まだ正月のままだ。前を通るだけで頭痛がおきて、目をつむって、合掌するだけ。

能登くらしもあと二日。冷蔵庫にのこったものを調理して、酒を飲んでいたら、近所のばあちゃんが
「今蒸した」といって、ベニズワイガニを二杯もってきてくれた。清貧な能登暮らしが、一気に王様レベル
になった。李朝の膳を縁側にだし、久保さんのキセトの徳利に白菊をいれ、同じく能登の珪藻土で焼いたキセトの盃
で月見酒。虫のすだく声、昼間に刈った草の香りに、能登地酒・・・なんともいえない風情だ。

軒下では、5月に生まれた子猫3匹が、母親のくーちゃんの乳房をくわえながら、仲良く寝ている。
「花より団子。月よりお乳」である。
寒山拾得(かんざんじっとく)のふたりに、虎、豊干禅師が仲良く寄せ合って寝ている構図の禅画を
よく禅林や絵描きが描いた。四睡図、という。「この世で一番幸せな姿」を表現したものだ。

芥川龍之介が「東洋の秋」で、「寒山拾得はまだいる。東洋の秋はまだ滅びない」といった。

「寒山拾得+2匹がまだいる。能登の秋はまだ滅びない」と念じながら、白菊を飲み干す。感謝。

中秋の がれきの能登を 照らす月   (南九)