昨日、若いカップルが蕎麦を手繰りにこられた。
男の子「来年、二十歳になったら、ここでお酒を飲みたい」という。
「え、お里はでこですか?」(このことばは、若者には通じない)ので、
「どこで生まれの?」と聞き直すと、「福岡です」とのこと。
昔は、「福岡で、ひとつでも年が上だと王様で、相手が奴隷」になった。
でも今は、パワハラとかいわれるので、言葉を選んで、
「ぼくは小倉生まれやけど、そのころの福岡は、小学校の6年くらいから酒を飲んでいたばい」
と答えたら、「うちの父も、同じようなことを言ってました」とのこと。どうも条例が変わったらしい?
「元気シールをほしい」と、言いんしゃったので、「よかよ」といって、ワンシート渡し、
おまけに、新しい「UFOコースター」を渡したら、「この犬かわいいですね」という。
「そのコースターのORコードから、天真庵のホームページに飛ぶけん、そこに『元気のアルバム』という部屋が
あるけん、みちゃってんない」というと、すかさずスマホを操作し、「めちゃくちゃ、いい写真ですね」と笑った。
「藤本さんという、知り合いのプロの写真家が撮ったと」と答えると、「ぼくのじいちゃんは、長崎で写真館をやってました」
と返ってきた。
池袋で天真庵を始めた30代の後半から5年くらい、「藤本さんの写真クラブ」に所属し、カメラに凝ったことがある。
ある時、使っていないアップルのPCを先生にあげた。「何かお礼させて」というので、練馬の大きな公園で、元気の写真を
撮ることになった。「元気のアルバム」の1・2は、その時に撮影されたものだ。
ぼくが助手になって、レフ版とか、おもちゃや、水のペットボトルをもって、元気に声をかけると、こちらに喜んでかけてくる。
その横に藤本さんが、カメラをもって腹ばいになったりして、半日かけて撮影した。
ギャラリーがいっぱい集まってきて「あの犬、有名な犬ですか?」などと質問する。「犬といってはいけません。ゲンキサマ、といいなさい」
なんて返しながら(笑)
2007年の春に押上に天真庵を結び、元気は2年ほど副店長をして、2009年のお祭りの後に旅立った。
だから、大半のお客様は、元気の存命だった姿を知らないのだ。
旅立った日に、足形を写真に撮って、トレースしてもらい、「元気ののれん」ができ、その後に、
山田くんに頼んで「元気シール」ができた。
そして、かろうじて、生きている姿を知っている「なつきくん」が、「UFOコースター」をデザインしてくれた。感謝。