泥かぶら

先日、引野中学校時代の友人4人が集まった。
その中のひとりKくんは、半世紀ぶりだったので、顔と名前と思い出の共通点はなかったけど、
同じスパルタの塾生であったので、ビンタされた思い出話をすると、一瞬にして中学時代にもどった。
北九州市立引野中学昭和47年卒業。一年下にソフトバンクの孫さんがいた。

残りの3人は、毎年必ず集まって飲む。中学2年のときに、「天平の甍」という演劇をやった仲間たちだ。
主役は「すえくん」。今は立憲民主党の代議士「末松義規」くん。
ぼくとまっちゃん(松下くん)は「悪代官」みたいな役で、セリフがお互いに「一言」しかないのに、上演前は徹夜で
練習した記憶がある。もうひとりの「まったい(松崎くん)」は、その前の年の演劇の主役で、ぼくたちに演技指導をしてくれた。

すえくんが、先月あった同窓会に出席して、名簿とその当時のアルバム写真をもってきてくれた。
今住んでいる住所も書かれている。天国に住所を移した人は「死亡」と書かれている。さすがに今年68歳組なので、
「住所変更」がけっこうめだってきた。

その「死亡」のひとりに「大坪」くんがいた。彼もこの演劇に途中参加して、ぼくとまっちゃんと、もうひとりで「悪の代官」
になった。ぼくとまっちゃんは、演技しなくても「悪人顔」だったけど、大坪くんは、公家のような顔していた。
だからか、セリフは、一言もなかった。立っているだけで、存在感があったように記憶している。まさに名優だった。

もうひとり、演劇にかかわる人に「死亡」があった。
阿南伸男くん。40歳ちょいで、召された。ぼくと一緒に「北九州予備校 小倉」に通った。
その夏、小倉の演劇で「泥かぶら」があって、阿南くんと観にいった。
昭和25年にうぶ声をあげた八王子の劇団「新制作座」の十八番だ。
ふたりで、感動して、座長の眞山美保さんに会いに楽屋までいった。彼女も今は鬼籍の人だ。
とても目がキラキラと輝いて、「炎の人」だった。あとにも先にも、見たことのない美人やった。
「ふたりとも、大学なんていかずに、うちで俳優やらない」と誘ってくれた。
半分冗談だと思ったけど、阿南くんは、そのことばが人生をかえて、新制作座に入団して俳優になった。
ぼくは、京都で大学生を演ずることになった。ほとんど休みもなく、珈琲屋をやっていたようなもんだけど・・

「泥かぶら」がうまれた場所は、愛知県一宮。戦後、戦地から帰国する息子のために、母親たちは
着物を用意した。だから、繊維の街だった一宮は「ガチャマン」(機械がガチャと音すりゃ、渋沢栄一になった)
といわれ、賑わった。そんな渦中に「泥かぶら」がうまれた。久保さんの器をふんだんに使ってくれた料理屋「金豊舘」も、一宮の尾西にあった。金豊舘の玄関には、尾西出身の「炎の芸術家」、三岸節子さんの作品が飾られていた。「三岸の赤」といわれるくらい赤がすごかった。

今日、大阪のこいさん、が蕎麦を手繰りにくる。
今年大阪に転勤になった。生まれは、奇しくも一宮だ。
「たこやきおごるけん、いっしょに観にいかへん?」と秋の「泥かぶら」(大阪)に誘ってみよう。

時代がかわっても、人間の本質(天真)は、かわらない。泥だらけの大根のような人生が素晴らしい。
汗をかいて働いて、元気に笑って暮らせれば、功成り名遂げずとも、人生の成功者だ。感謝。

▼ 開催日
● 令和6年10月17日(木)
・午後の部 開場12:45 開演13:30
・夜の部  開場17:15 開演18:00
会場 東文化会館文化ホール
(大阪府堺市東区北野田 1084-136)