ホームレスになっていたダイチャン

ときどき、ユーチューブを見る。
能登と東京を往復するようになって「タコ釣り」を始めた。
能登人たちは、伝統的な「タコすかし」という漁法でタコを獲る。
漁業権の問題もあるし、小さいころから伝統的な方法でタコをとる人たちには
かなわいなから、「ユーチューブ先生」(いわゆる独学)で、疑似餌を使ったタコの
釣り方を学んだ。一匹釣れるまで、場所選びとか、疑似餌の「ずるびき」のスピード
など、いろいろ試行錯誤したので、一年以上かかった。

一匹ゲットしてからは、「二日に一匹」のペースでタコが釣れるようになった。
「釣りキチ三平」のモデルになる日も近い?とか思っていたら、昨年はシーズンに
一匹だけの釣果。「チョウ か ハンカ」どころの確率ではなかった。
タコすかしの名人たちも「タコがおらんようになった」といった矢先に、今年の正月の
大地震。宇宙からきた生物そのもののタコは、きっと地震を予知していたのだろう。
今年は、同じ海で、キスを釣ったり、ヒラメを釣ったりすることにチェンジした。

ユーチューブでは、ときどき「ボクシング」も見る。2007年の4月押上に天真庵を
結ぶまで、池袋に住んでいた。40を超えたころ、縁あって、目白の「ヨネクラボクシングジム」に
通い始めた。不純な動機だけど・・・(池袋西武の背広売り場に「ポールスミス」の紺の背広が飾ってあった。
当時は、すこしデブで76kくらいあった。ウェストも90を超えていたと思う。
背広は、ほとんどオーダーしていた。一着30万くらいしていたと思う。でも、6万くらいの値段が
ついたポールスミスの背広がかっこいいと思った。店員さんにきくと、「ウェストが80cm以下」(正確な数値はわすれた)
しかないことを告げられ、それなりにショックを受けた。よし、やせるぞ!)

そんな不純な気持ちからヨネクラボクシングジムに入門。
若いボクサーたちと、同じメニューのトレーニングをしたら、一年で体重が63kになった。
ウェストも80以下になり、腹筋も割れた。
そのころのヨネクラボクシングジムには、保住とかクレージーキムとか、重量級の東洋チャンピオン
が活躍していた。そんな中にあって、いつも静かで、めちゃくちゃやさしい「ダイチャン」(九州男児)
がいた。ただサンドバックをたたき始めると、保住やキム以上の「音」がし、それを吊るす鉄がきしむような
バキャッみたいな音がしていた。

はじめて、日本チャンピオンに挑戦する前のスパーリングを見た元世界チャンプのSさんが、
「だいちゃんのボクシングは、前戯がなく、いきなり本番だね」と言った。それを聴いたダイチャンが、
マウスピースを店ながらハハハと大笑いした。
数日後の後楽園ホール、元世界チャンプのSの言葉さながら、1ラウンド40秒で、前戯なき本番で湯場忠志を倒し日本チャンピオンになった。二度めの新井 恵 との防衛戦も後楽園ホールで観たけど、すごい大逆転。

ユーチューブでダイチャンを久しぶりに見た。「元ボクサーが池袋でホームレス」というタイトルだった。
チャンピオンになって、何度か防衛したけど、目が悪くなって引退した。
「ウエルター級チャンピオンだった大曲輝斎(おおまがり てるよし)
その後の取材で、足立区のボクシングジムで子供たちにボクシングを教える映像があった。
ボクシングの後遺症とかアルコール依存で蝕まれた体を元にもどすのは大変だろうけど、子供たちと
せっする目に「やさしいボクサー時代」のそれが重なって見えた。がんばれダイチャン。

みんな、裸ひとつで生まれ 裸のまま土にもどる  

今日は16時まで営業。それから「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」
明日は旗日だけど「月曜の朝は玉子かけごはん」(8-10)営業は16時まで。
火曜日からしばらく「能登休み」