今朝もどんより曇っている。
昨日は焙煎をし、辛み大根を秋に植える畑の雑草取り。
6年前に東京からもってきた椿の木も大きく成長してきた。
椿の花が咲いたら、震災の後、床の間の床柱に飾っていた久保さんの「掛け花」(壁につるす花器)
を、玄関の壁に移したので、そこに生けようと思っている。
*今回の震災で雨漏りをして、土壁に染みがついた。見ようによっては、茶室の壁みたいに
「わびさび感」がでたので、そこに掛け花を避難。今は庭に咲いた桔梗の花を投げ入れてある。
昨日は、焙煎したての珈琲を、飲みながら、花を愛でた。「珈琲道」かもなんばん。
さっそく、久保さんに電話して「珈琲のホウヒンを作ってください!」とお願いした。
これで、UFO焙煎機、ホウヒン、珈琲茶わん、輪島塗の茶托、ドリッパー・・・
茶道具みたいな珈琲道具が、久保さんの作品で揃う。般若くんの茶櫃(ちゃびつ)に
いれたら「珈琲櫃」になる。
今朝は、「ちょいなげ」をしに海岸まで散歩。
昨年までは、タコ釣り専門だったけど、タコが避難所くらしをしているみたいで、「キス釣り」
に切り替えた。「あおむし」(ゴカイ)をつけて投げると、ウソみたいにいっぱい釣れる。
ゴカイはワンコインでいっぱい買える。ケチってるわけではないけど、「いつでも、どこでも、釣れる」に
したいので、タコと同様に「疑似餌」をつけて釣っている(計算すると、疑似餌のほうが高い・笑)
キスの仕掛けは針を3本くらいつけるのが普通。餌を3こつけるのが面倒なのと、よくもつれる。
「目があがった?」ので、もつれた糸をもとにもどす手間が億劫なので、「せいご10号」(万能の釣り針?)
をひとつつけて、ちょい投げしてキスをつっている。アタリがきても、無為自然のまんま(と、いいながら、それを
ひらめが喰いついてくれないかな~、なんて欲が根源にある)。
コツンと小さなあたりがきた。しばらく待ってひきあげたら、小さな「ひらめ」だった。
親ひらめがそれを喰うわけがない。「大きくなってかえってきてね」とリリースした。
慈悲深い話に聞こえるが、「大きいのを、刺身にして食べたい」、との欲が奥底にある。
椿ははやく成長してほしいけど、まわりの雑草ははやく刈りたい。
野菜や果物みたいな成果物は、大切に育てるけど、名もなく人間が勝手に
「雑草」と名付けた植物たちは、鎌で刈ったり、危うい薬で排除したりするのが人間。
ぼくたちも、小さなころから、塾だソロバンだ・・・で競争世界でもまれ、いい大学、いい会社
に・・・と、ちょうはん賭博みたいなところで生き暮らしてきた。
あげくのはてが、「ぬれ落ち葉」とか言われるようじゃ、雑草のことを笑ってる場合じゃない。
人間らしく、自分らしく生きていく・・・・掛け声だけで到達できる次元ではない。
でも、「一歩」自分から行動しないと、あっという間に人生が終わってしまう。「知行合一」!
新宿のGという日本酒バーで、ときどき同じカウンターで飲んだ林田明大さんの「真説『陽明学』入門」(三五館)
を読み直しながら、そんなことを思った。林田さんは、天真庵で25年続いた「順受の会」という東洋思想の勉強会
の幹事を務められた清水さんの旧友でもある。ふたりとも長崎のうまれ。またみんなで飲みたいものだ。感謝。