能登半島地震から5か月・・・

なかなか復興がすすまない。ひょっとして、政府は「見捨てた?」と思うくらい。
地理的な問題、高齢者は多い場所、である・・・などいろいろな問題があるけど、
やはり「政府がバカだから・・」が一番の問題のような気がする。
彼らが推進したように、珠洲に原発が立っていたら、今ごろ能登には、人がひとりもいない半島
になっていただろう。各地の止まっていた原発も、再稼働の方向に舵が向けられているようだが、大丈夫?
それよりも、「今だけ 自分だけ 金だけ」の貧しい哲学を捨てるべきだと思う。
もうそんな時代ではないし、裏金のトリセツを議論しているような場合ではない。

能登の我が家も、「一部損壊」(目視だけで判断される。不服申し立て制度はあるけど、そのまま受け入れた)とレッテルがはられ、自費で壊れた屋根や畳などを修復をすることになった。慈悲もなにもないけど、非常時とは、いつもそんなものだろう。
最初にどしゃぶりの家に入った瞬間に、「この家捨てよう」とふたりで発した。11部屋ある家の、9部屋が
雨漏りでびしょびしょ、しかもその日は雨が降っていたので、応急処置として家の中にあるバケツをあちこちに
並べたけど、夜中まで、それが楽器よろしく、ドレミファドンドン、ピチャピチャと、音を奏でていた。
各地からボランティアさんたちがきてくれ、濡れた畳や家具を廃棄し、瓦もウルトラマンみたいな若い職人さんがブルーシート
を貼ってくれたので、なんとか雨露にぬれずに生活できるようになった。「足って半畳 寝て一畳 どんなに飲んでも2合半」だ。
玄関には、避難所に届いたミネラルウォータが20本くらい入ったダンボー箱の上に、煎茶のお稽古に使う「ちゃぶ台」
をのせ、そこで毎朝珈琲やお茶を飲むようにした。「いつでも、どこでも、罹災しても・・・一杯のお茶(珈琲)を大切に・・」
みたいで、気にいっている。「方丈庵」があちこちにできると、幸せの和が広がる。

今朝の朝日新聞の一面に、「奥能登で、自宅が全壊になり元旦から車庫を改装して住んでいる老夫婦(後期高齢者)」が写真つきで公開されていた。
「大変だなあ」と憐憫(れんびん)の情をかける人がほとんどだろうけど、ぼくは「かっこいいなあ、たくましいなあ、いい顔しているな」と思った。
車庫に断熱材を自分ではり、床には「ホンマ製作所の時計型薪ストーブ」(能登のホームセンターにいくとだいたい売っている 知らない
人は「ホンマ・・・時計型薪ストーブ」で検索すると、参考になる。水がなくても、「コンポストトイレ」を設置すれば、
自分の排泄物が枯れ葉や菌で堆肥化されて、土にもどすことができる。ストーブか七輪があれば、煮炊きはできるし、
ソーラパネルと蓄電池があれば、電気も自分でつくれる。水は、各地に「名水百選」クラスの湧き水がこんこんとわいているはずだ。
最近は銀座の無印でも「小屋」が売っている時代になった。不動産屋やゼネコンに洗脳され、一生かけて「いどころ」を手に
するような時代になって久しいけど、「ほんとうにこれで幸せ?」と疑問に思う人が増えてきたのだろう。
そして、「いつどこで 自分たちも被災するか」という時代をみんなが共有しはじめたのだと思う。

そんな意味でも、「とにかく能登の人たちの暮らし」を見に、そして「何かお手伝いできるコト」を届けてほしいと思う。
モノの物々交換とはまた違った意味の「気づき」をそれぞれが手にすると思う。
そして、リュックには鴨長明の「方丈記」をもってね・・・

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

今日も12時から16時まで営業。そらから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
・・・・・都会で田舎暮らしの準備をするなら「そば打ち」と「UFO焙煎」は、必須科目かもなんばん、と鴨長明先生もおっしゃった?

明日の朝(8ー10)は「玉子かけごはん」
土鍋とか文化鍋とか羽釜で、ごはんを炊けますか?     感謝。