黒崎に長崎の味が・・・

たぶん、九州では、博多・小倉・黒崎、の順で、賑わいのランクベスト3になっている。
昔「黒崎城」があり、城下町として、また長崎からの砂糖街道の宿場町として栄えた街。
来月は、「山笠」がある。博多ほど人気はないが、ぼくらが幼いころは、パンチパーマに
サングラス姿の「標準的な黒崎スタイル」の人たちが集い、ケンカか祭りか区別がつかないくらいヒートアップした。
♪チャングリン チャングリン・・・と子供たちは、祭り囃子を口ずさみ、
放課後は校庭にSの字を書いて闘う「S肉弾」という遊戯をしながらケンカの技を磨いた街。

そんな駅前のアーケード商店街もシャッター通りになって久しい。昔は、本屋も小鳥やも梯子するほど
あったけど、今は昔だ。
そんな中、「6月に新規オープン」と書いてあるお店を発見。「おむすび YO-KA-YO (よかよ)」
「本日はキッチンカーで営業のため、お店はお休みします」とあった。残念に思い、黒崎駅に向かって
商店街を歩いていたら、緑のキッチンカーを見つけた。
「YO-KA-YO 」だ。店主の女将さんの故郷・長崎の塩や食材を使ったおにぎりは、「おむすび」という言霊がぴったりなくらい
慈悲深く、うまい。夜食のつもりで買ったおむすび3つを、食べ歩きしながら黒崎を徘徊。

キッチンカーの横には、こんな大弾幕が・・・

『よかよ』私のふるさと長崎の方言です。長崎で人が集まると飛び交う言葉。人が集まると飛び交うこの言葉のように、人が集まり、助け合えるような場所がこのキッチンカーでありますように···そして、懐かしさを感じるこの言葉のように家庭的な【おむすび】と【本日のスープ】を提供していきたいと思います。

今月末は、能登で梅仕事が始まる。昨年までは、輪島の揚げ浜式の塩を使って梅干しを作ったが、中前さんが
正月の地震で亡くなり、再開するまでのピンチヒッターとして、長崎の塩を買った。
海女さんの文化、漁師の技、祭り・・・九州と能登のつながりを、おむすびで味わった。

今日明日は12時から16時まで営業。それから「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」

最近、新しいお客さんが多くなって、そばが売り切れになることが多い。ありがたいことです。
また「天真庵ルール」の「写真は禁止」というのと、「一時間たったら追加オーダー」「そばやのながっちりは一時間半まで」
というのを説明することが多くなってきた。どれも、当たり前だのクラッカーだと思っているので、よろしく
お願いいたします。感謝。

小倉を徘徊散歩・・・博多より断然おもしろい!

火曜日はお店を臨時休業にして、ひさしぶりに九州に行ってきた。
施設に入っている92歳の母が、少しヘンになってきたから。
67歳の自分も、少しどころか、だいぶヘンになってきたけど、お互いに「元気なうちに」ということで、
東京発限りなく7時に近い6時の新幹線にのった。
オーバーツーリズム現象は、平日の新幹線にも浸透していて、指定席を頼むと、「3列並びの真ん中」
しか空いてなかった。けっこう外人がいっぱい。なんやろね。山口や北九州まで、いっぱい!

窓側は中国系?の女子が、弁当を食べている。食べ方でそうとわかるわけではないけど・・
通路側も「なぞの東洋人女性」。弁当を食べる用の座席のテーブルを倒して化粧品を並べて化粧を
しはじめた。「してもかわらんばい」と、のどまででかかったばってん、リュックから本を取り出し、
平常心をとりもどそうとした。

今回の旅のお供の一冊は、同じ北九州出身の藤原新也さんの「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」。
いろんな出会いや別れがあるけど、「ちょっとしたこと」で、人生が変わってしまう物語の短編が集めれれていて、
すごくおもしろい。カメラマンでもある著者の鋭い目線が、いろいろな人の人生の潮目を捉えていて「演出」と「やらせ」
のギリギリのところを綴っているような文章。

読み終わったころ「小倉」についた。新幹線口から在来の九州線にいく途中に、「うどんや」がある。いつも通過するだけ。
新幹線が昭和50年に開通される前から、在来線の7番ホームにある「うどんや」までいって、かしわうどんを食べる。
これを食べる瞬間に「小倉へ帰ってきた」という気持ちが五臓六腑に染みわたる。
駅をでてから、ひさしぶりに「小倉の徘徊散歩」。小倉城やその近くにある「松本清張記念館」「旦過市場」(たんがいちば)にいく。

一件だけ、仕事の打ち合わせをした後、小腹が減ったので鍛冶町の寿司屋へいって、寿司をつまむ。
この店が博多にあったら、予約が取れない、どころか、たいへんなことになるだろうと思うレベルのお店だ。
寿司屋の近くには、かつて森鴎外が小倉に軍医として赴任していたころの住まいが今でも残っている。
彼の短編「鶏」を読むと、その時代の小倉の人たちの息遣いが聞こえてくる。
「寒山拾得」と同じくらい、繰り返し読んだ森鴎外ワールドだ。
松本清張の「ゼロの焦点」の最終舞台から600mの志賀町で、「寒山拾得美術館」をつくったのは、「小倉」で生まれたからに違いない。

翌日、博多行の電車にのり、香椎で乗り換えて、長者原(ちょうじゃばる)で降りて徒歩10分のところに、母が
お世話になっている施設がある。
そこから徒歩1分の妹が嫁いだ家にいき、2時間ほど食事をしながら談論風発。かぐやひめの「妹よ」よりできた妹。
それからすぐに踵をかえして、電車で10分の博多までいって、新幹線の人になる。
母の施設から、空港までは徒歩25分くらい。飛行機を使うと、かなり便利なところだけど、いつも
新幹線で帰るか、横須賀からのフェリーで帰る。旅はゆっくり遠回りをするほうが断然おもしろい。感謝。

今日から通常営業。

月曜の朝は玉子かけごはん

今日は朝から雨が降っている。カーペンターズの「雨の日と月曜日は」を口ずさみながら(英語がわからないので、スキャット風)、
炭火を火起こしでおこし、珪藻土の七輪に移し、羽釜に先週と同様、「五郎兵衛米」をいれて・・・
♪はじめちゃろちょろなかぱっぱ・・よろしく、古典的なお米を炊き上げる。

7時のニュースが「月曜日が雨というのが、7週連続」と伝えてくれた。
米が炊き終わると、炭火を珪藻土の竈から、珪藻土の七輪に移し、手回しの焙煎機で
ガラガラと焙煎する。同じ焙煎機をつかって、浅草で珈琲やをやっていったくんが、島根に
移住して珈琲やを続けている。店名が「珈琲のがらがら」。そんな名前だった。
お店が繫盛しなくて、がらがらでも、天命を知る彼は、がらがらと毎日焙煎機を廻しているに違いない。

「伊那谷の老子」の故・加島祥造さんが、「北国で雪の降る日は、ベートーベンの交響曲第3番「エロイカ」(英雄)がいい」
と何かの本に書いてあった。さっそく天真庵にあった一枚を能登の家にもっていって、雪の日に聴いた。
都会で聴いた時とは、まったく違った感動があった。これも「二股暮らし」の成果物のひとつだ。
彼の「求めない」という不思議な詩集は、トイレの中に置いて読む一冊、におすすめ。

「求めない・・・すると・・・本当の自分(天真)に出会う・・・」
自分流に、そんな詩を書いて、カウンターの珈琲カウンターに落書きしている。
「求めない」「無心になる」「欲を捨てる」・・・言葉でいうほど、やさしいことではないな~。

ぼくは、雨の日は、カザルスが演奏するバッハの「無伴奏チェロ組曲」がいい。
だから7週続けてカザルスを聴きながら、そばを打ち、ごはんを炊き、ガラガラと焙煎機を廻している雨の月曜日だ。

明日は「臨時休業」。今月は「梅仕事」のため、能登休みは月の後半だ。感謝。

仕事も恋愛も、「パッション」がなくっちゃね~

パッション・・・情熱大陸ではないばってん、ほとばしるような熱量がないと、仕事も恋愛も成就しないよね。

昨日の昼過ぎ、クロネコさんが、不思議な箱を運んできた。
「小笠原パッションフルーツ」とトロピカルな花の絵を印刷した箱に書いてあった。
差出人は、けいちゃん。
近くのシャアハウスに住んでいて、ときどきそばを手繰りにきていた。3月に決断をして、
小笠原の母島に移住。たいしてお世話をしたわけではないけど、「おとうさん」(仕込んだ記憶も、産んだ記憶もないばってん)
と呼ばれていたので、「父の日、みたいなもんやな」と思ってうれしくいただいた。今日の朝ごはんの時に食べる予定で冷蔵庫に
いれた。

小笠原から能登島に移住してきたTくんが、4月に能登の家の被災してずぶぬれになった畳を捨てる手伝いにきてくれた。
天真庵でよくライブをしてくれた赤須翔くんと、国貞雅子さんのことを知っていた。
ふたりとも、小笠原でライブをやったことがある。その時にTくんが、聴きにいったらしい。まるで、東京の人口が200人、
小笠原や能登が50人みたいな話だけど、実話のお話。縁とは、実に奇妙キテレツなものだと思う。

もう17年近く前の夏、つまり天真庵が押上に結ばれた夏。もの干しに使うオープンエアーなところで、別のけいちゃんと
あいちゃんが、「かき氷」の出店みたいなイベントをやったことがある。
その時に一番人気だったのが「パッションフルーツまるごと入りのかき氷」だった。
小笠原ではなく沖縄産だったけど、すごい人気で開催する土日は、長蛇の列だった。
その後けいちゃんは、天真庵を改装してくれた芸大出のはやしくんと結婚して、和歌山に移住し、
古い劇場を改装して「田並劇場」(天真庵のHPにリンクしている)。

今日は日曜なので12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
今日は、ピカピカの新人女子の「そばもん」がふたりやってくる。ひとりは、田舎へ移住をもくろんでいる。

明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)
火曜日は、臨時休業。

この星の代表的な日本人がやってきた。

相変わらず、毎日不思議な人たちがやってくる。
人呼んで「奇人変人の会員制カフェ?」。

銀座に「隕石直売所」という不思議なお店がある。松屋の駐車場近くで、そこを目標にしなくても「銀ブラ」を
していると目にするような場所だ。そこの主人は「王子」と呼ばれている。「星の王子」が所以。
なんやらいうカフェも併設していて、エスプレッソマシンで、ぼくが焙煎する「ほぼブラジルスペシャル」(少しエスプレッソ用にブレンド)
を供している。「銀ブラ」とは、「銀座をブラブラする」ではなく、「銀座でブラジルを飲む」が原点。そうゆう意味では「令和の銀ブラ」
かもなんばん、と思って、ぼくもときどき納品の時に、自腹で770円のエスプレッソを飲む(笑)
そこで使っている器も、天真庵と同じく久保さんにお願いしている。隕石粉入りの珈琲カップが一個55000円くらいで販売されて
いる。さすが腐っても鯛、腐らない銀座・・・よく売れている。隕石玉(メテミック)は、銀座のお土産の定番になりそうなくらい大人気。

先日、ハワイかミクロネシア?の原住民みたいに日焼けした青年がのれんをくぐって入ってきた。
笑うと歯医者で「ホワイトニング」をした人みたいに、対照的な白い歯が光る。
「わかりますか?」と青年。「おかえりやす」とぼく。
関西出身で、天真庵の近くに住んでいて大手IT企業に籍をおいていた「おばらくん」(彼はぼくのことを、『おとうさん』と呼ぶ)
だ。何年か前に「秋田に古民家を買って移住します」と挨拶にきた。
都会のIT企業なんかに住む(ぼくも若いころはそうやった)「もやしもん」みたいな青年が、田舎暮らしをして
たくましくなってもどってきた。名刺が大手IT企業から「株 このほし 代表取締役」になった。
上場はしていないけど、この星を代表するようなインパクトがある。

「秋田 このほし」で検索すると、彼らがそこでやろうとしていることが、よくわかる。

彼らの拠点・秋田の五城目町(ごじょうめまち)というのは、「一白水星」
という名酒のふるさとでもあり、山紫水明ところだ。興味ある人は・・

「秋田美酒福禄寿酒造株式会社」で検索するとでてくる。それを読むだけでは、「始まらない」。
「一白水星」を飲んでみたまえ。「!」ときたなら、酒蔵見学と「このほし」を訪ねてみよう。
人生感がかわるはずだ。感謝。

UFO焙煎塾にて

昨日は、「UFO焙煎塾」だった。
もうかれこれ4年通ってくるベテラン女子が、毎月第一週の木曜日にやってくる。
去年くらいから「もうこなくていいよ」と言っているのに、「勝手にきますので、よろしく」
みたいなチンプンカンプンのこといいながら、通ってくる。

すこし、というか、かなりマイペースで、「夏は暑いので、焙煎しなくて結構です」
みたいなことをいう。だから6月から9月までは、ぼくが焙煎して、水出し珈琲の作り方や
サイフォン珈琲の淹れ方などを伝授している。

だから昨日もすっかり焙煎はしないだろうと思っていたら、「新しいUFOで焙煎させてください」
と目を丸くして笑った。まことに、天然記念物女子だ。

これまでの「UFO」は、生豆を60gいれて焙煎した。新しいUFOは、
これまでの容量の3倍、200gを焙煎できる。
さっそく200gのガテマラを焙煎してもらった。
カセットコンロの上で、ガラガラ左右に振って、10分ほどでニハゼが終わり、シティーローストの
珈琲豆ができあがる。できあがった珈琲豆を25g、石臼で挽いて、ネルドリップして飲んだ。

「こないだの太陽フレアの影響で、能登でオーロラが見えたんですって?」と天子(天然な女の子)。
「うん、酔っていたけど、小林旭の『熱き心に』を歌っていたら、オーロラに見えた」とぼく。
「でも、太陽フレアがもっと活発になると、電気系統の支障がおきて、大変になるらしいですよ、師匠」と天子。
「グラッと大地が揺れただけで、水道も電気もガスも止まる・・・そんな環境で生きているんだから、しかたないよね」とボク。

大阪府と同じ面積に、19万人が暮らす能登。正月に大地が揺れて、ライフラインが崩壊し、多くの人が
避難所暮らしを余技なくされた。みんなが口をそろえて「トイレが大変だった」という。
でも家が「ポットン便所」の人は、トイレは家にもどって、不通に排泄できたという。戦争を生き抜いた先輩たちは
「ひさしぶりに野糞をした」とすました顔で語る。能登の我が家は、「コンポストトイレ」を設置している。
ポットン便所を改装して200万くらいかけて作ったけど、このトイレはいいことづくめで、これからの時代にあって
いると思う。ただし、排泄物を、枯れ葉や菌で堆肥にするトイレだけど、堆肥を土にもどす「土地」がいるので、
都会では用をたせるけど、完璧に用をなさない。さきのバブルよりも、土地が高騰しているけど、クソの役にも立たない。

ボタンひとつで、空調もテレビや家電、お風呂、トイレ・・・・なんでも快適に暮らせるような時代になったけど、
「停電」した瞬間から、すべてが機能しなくなることを、覚悟している在日日本人は、さほどいないような気がする。
今朝も携帯型ソーラパネルを屋根に設置しながら太陽に向かって、「あまり熱量をあげんとってください」と祈った。感謝。

五月の名を冠したビールによくあう煎餅

福井に里帰りしていた「お世話しあうハウス」の女将さんが「ただいま」
といって、そばを手繰りにこられた。
いつも、福井で昭和50年から愛されつづける「五月ヶ瀬」(さつきがせ)という、
ピーナツたっぷりの煎餅をもってきてくれる。そして必ずひとこと「歯に気をつけてね」。
少し固めの煎餅だから、最初はそうろうと噛むのだが、ビールなどと合わせると、つい
調子にのって、すわりの悪い歯で噛んだりして、危ないことしきり。84歳で総入れ歯の先輩
に歯の心配させるのだから世話ない。

「ところでマスターは、なぜスマホにしないの?」と、カウンターの中に鎮座したガレケー型の携帯
を見てポツリ。「お店をやめたら、ガラケーもなしでいこうと思ってます」
と答えたら、「そんなんじゃ、老後を生きていけないわよ。新幹線のチケットの予約、美術館や映画のチケットの予約でしょ。
いろいろ便利よ」といって、新しくした「らくらくスマホ?」をかばんから出して笑う。
「え・・・いつスマホにしたの?」とぼく。「福井に帰る三日前。でも手続きに3時間かかったし、使い方の説明
はないのね。なにが『らくらく』なのよね。まったく・・・奥さんいる?」と女将。

二階にいた筆子さんが「おかえりなさい」と降りてきた。
「スマホにしたんだけど、毎日くるメールをぜーんぶ削除する方法を教えてもらえないかしら?」と女将。
「わかりました。簡単だけど、全部消すの?」と筆子さん。
「いつ死ぬかわからないでしょ。だからきたメール、だしたメールはその場で全部消したいの」
「死んだ後に、男の人からきた恋文みたいなんが残っているって素敵じゃない」と、ちょっかいをいれたら・・
「携帯は旧式だし、女ごころを解せないし、車の運転もしないマスターみたいな旦那をもつと苦労するわね」と、話が妙なところに向かいはじめた。

女将さんのスマホの「全部消し」の方法を伝授され、ご機嫌の女将は「お礼にお酒もってくるわね」といって、
十間橋通りを闊歩していかれた。
元気で長生きの女性たちは、人生の後半に「おひとりさま」になることが多い。もともとの生命力も強いうえに、
生活力か順応力も、男よりすぐれているように思う今日このごろ。
スマホはいらないが、そろそろ、軽トラを買って、ひさしぶりに能登路を運転してみようかしらん。

シルバー川柳 ふたつ 

・LED 使い切るまで ない寿命
・三時間 待って病名 「加齢です」

月曜の朝は玉子かけごはん

月曜の朝は「玉子かけごはん」

炭火をおこして、珪藻土の竈にいれ、羽釜を上にのせ
♪はじめちょろちょろ・・・
あたりで、ラジオが「石川県で地震」と教えてくれた。
竈の位置を少し壁から距離をおくように移動し、近くに水をいれた薬缶を
おいて「イザ」に備えた。しばらく、お味噌汁をつくる作業も中断。

東京のお店も、ランプシェードが少し揺れた。
被害が少ないことを、神棚に向かってお祈りする。

今朝は、長野の「五郎兵衛米」を炊いた。もち麦を少しいれて炊いたので、
最強の「銀シャリ」ができたのではなかろうか?(今、蒸している)
玉子は、先日深谷の道の駅で調達した「平飼いの玉子」。
なにも足していない自然な感じ。黄身(九州では、「きなみ」という。)の色が薄い。
濃い、を売りものにする玉子が多いけど、あれは餌に着色料が入っている。

さて、そろそろ今朝焙煎した珈琲豆を石臼で挽いて、8時の開店の準備。

能登半島地震から5か月・・・

なかなか復興がすすまない。ひょっとして、政府は「見捨てた?」と思うくらい。
地理的な問題、高齢者は多い場所、である・・・などいろいろな問題があるけど、
やはり「政府がバカだから・・」が一番の問題のような気がする。
彼らが推進したように、珠洲に原発が立っていたら、今ごろ能登には、人がひとりもいない半島
になっていただろう。各地の止まっていた原発も、再稼働の方向に舵が向けられているようだが、大丈夫?
それよりも、「今だけ 自分だけ 金だけ」の貧しい哲学を捨てるべきだと思う。
もうそんな時代ではないし、裏金のトリセツを議論しているような場合ではない。

能登の我が家も、「一部損壊」(目視だけで判断される。不服申し立て制度はあるけど、そのまま受け入れた)とレッテルがはられ、自費で壊れた屋根や畳などを修復をすることになった。慈悲もなにもないけど、非常時とは、いつもそんなものだろう。
最初にどしゃぶりの家に入った瞬間に、「この家捨てよう」とふたりで発した。11部屋ある家の、9部屋が
雨漏りでびしょびしょ、しかもその日は雨が降っていたので、応急処置として家の中にあるバケツをあちこちに
並べたけど、夜中まで、それが楽器よろしく、ドレミファドンドン、ピチャピチャと、音を奏でていた。
各地からボランティアさんたちがきてくれ、濡れた畳や家具を廃棄し、瓦もウルトラマンみたいな若い職人さんがブルーシート
を貼ってくれたので、なんとか雨露にぬれずに生活できるようになった。「足って半畳 寝て一畳 どんなに飲んでも2合半」だ。
玄関には、避難所に届いたミネラルウォータが20本くらい入ったダンボー箱の上に、煎茶のお稽古に使う「ちゃぶ台」
をのせ、そこで毎朝珈琲やお茶を飲むようにした。「いつでも、どこでも、罹災しても・・・一杯のお茶(珈琲)を大切に・・」
みたいで、気にいっている。「方丈庵」があちこちにできると、幸せの和が広がる。

今朝の朝日新聞の一面に、「奥能登で、自宅が全壊になり元旦から車庫を改装して住んでいる老夫婦(後期高齢者)」が写真つきで公開されていた。
「大変だなあ」と憐憫(れんびん)の情をかける人がほとんどだろうけど、ぼくは「かっこいいなあ、たくましいなあ、いい顔しているな」と思った。
車庫に断熱材を自分ではり、床には「ホンマ製作所の時計型薪ストーブ」(能登のホームセンターにいくとだいたい売っている 知らない
人は「ホンマ・・・時計型薪ストーブ」で検索すると、参考になる。水がなくても、「コンポストトイレ」を設置すれば、
自分の排泄物が枯れ葉や菌で堆肥化されて、土にもどすことができる。ストーブか七輪があれば、煮炊きはできるし、
ソーラパネルと蓄電池があれば、電気も自分でつくれる。水は、各地に「名水百選」クラスの湧き水がこんこんとわいているはずだ。
最近は銀座の無印でも「小屋」が売っている時代になった。不動産屋やゼネコンに洗脳され、一生かけて「いどころ」を手に
するような時代になって久しいけど、「ほんとうにこれで幸せ?」と疑問に思う人が増えてきたのだろう。
そして、「いつどこで 自分たちも被災するか」という時代をみんなが共有しはじめたのだと思う。

そんな意味でも、「とにかく能登の人たちの暮らし」を見に、そして「何かお手伝いできるコト」を届けてほしいと思う。
モノの物々交換とはまた違った意味の「気づき」をそれぞれが手にすると思う。
そして、リュックには鴨長明の「方丈記」をもってね・・・

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

今日も12時から16時まで営業。そらから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
・・・・・都会で田舎暮らしの準備をするなら「そば打ち」と「UFO焙煎」は、必須科目かもなんばん、と鴨長明先生もおっしゃった?

明日の朝(8ー10)は「玉子かけごはん」
土鍋とか文化鍋とか羽釜で、ごはんを炊けますか?     感謝。

とろろ飯を食べると、中島みゆきを思い出す?

昨日は、北海道からわざわざUFOを買いにきてくださったお客さまあり。

今朝何を食べたか、を忘れるような年まわりになったけど、
昨日の「とろろ汁」は、最高においしかった。
マツモトキヨシさまに「山芋おいしかった」とメールをしたら、
「大和芋です」とのこと。冷蔵庫の中にあった「長いも」とまぜて、ブレンダーにてブレンド
。ぼくの「とろろ汁」は、いつもそんな風に、長芋と大和芋を半々にすることが多い。

静岡に「芹沢圭介美術館」がある。白井晟一氏が設計したものだ。
彼が現地に足を運ぶ時、丸子(まりこ)にある「丁子屋」(ちょうじや 静岡の自然薯でとろろ汁を供する店)
で、必ず「とろろ飯」を食べたらしい。
ぼくも大好物なので、美術館にいく時は、必ず立ち寄ってからにする。
そして、テンションがあがると、自然に中島みゆきの「悪女」が鼻歌としてでてくる?

♪まりこ(丸子)の 部屋に 電話をかけたら 留守だった・・(留守だった、は、捏造)

芹沢圭介美術館は、建築もさることながら、芹沢さんの作品もおもしろい。
とろろ飯との、三つ巴で楽しむと、人生が「ゆたか」になる。

HPから引用して、お知らせ!

 静岡市立芹沢銈介美術館は、わが国染色界の重鎮、芹沢銈介(せりざわけいすけ・1895~1984)より、郷里の静岡市に作品とコレクションが寄贈されたのを機に建設の運びとなりました。昭和56(1981)年の開館以来、様々な企画展示、作品の保存収集、調査研究を通して、芹沢の芸術を広く紹介し、その偉業を後世に伝えるべく活動を続けています。わが国では珍しい染色作家の美術館として、日本内外から多くの染色ファンを集めています。

 また、建築家白井晟一(1905~1983)の設計による建物も訪れる人々の注目する所です。弥生時代の遺跡として名高い登呂公園の一隅に位置し、その遺跡の雰囲気に自然に融け込むように、石、木、水という天然素材を選んで構成されたこの建物は、白井晟一の個性が遺憾なく発揮された代表作です。石を積み上げた量感ある外壁。ゆるやかな銅板葺きの屋根。そして手斧の跡も温かい白木の楢材の組天井を持つ展示室が池を巡るように配されて、鑑賞の場にふさわしい、ゆったりとした空間を演出しています。

天真庵の一階には、白井晟一作の「生」という書が飾ってある。召されたから40年たったけど、生涯愛用されていた柱時計
も、チクタクと時を刻んでいる。感謝。