やさしいボランティアさんたちがやってくる!

昨日連絡があって「明日の午前中に、濡れた畳、壊れた洗濯機、箪笥・・を取りにうかがいます」。
前回は、畳がぬれたまんまだったので、ひとつが40kくらいになって、雨の日でもあり、大変な作業だった。
今回は、濡れた畳は、乾いたし、2トントラックでくるらしく、慣れたせいもあり、時間待ちに珈琲を焙煎し、
新しい「ほぼぶらじる」(実は昨日の夜に、銀座のカフェから『ホボブラジルがほぼ空になりました』とメールがあり、
急遽、今朝5時に起きて焙煎)を飲みながら、ブログを書いている。音楽はサティーのGymnopedies。

昨日電話で久保さんと「魯山人の器」について、あれこれ一時間ほどしゃべった。
久しぶりに家にあった魯山人の本を探した。美術関係の本は、一階の畑に面した廊下の書棚に
入ってある。二冊あって、同じ場所に太田垣連月の図録を見つけた。2013年に京都の野村美術館で
あった展覧会の時のもの。お茶のお弟子様を連れて上洛して美術館を見たあと、近くの「好日居」
で、煎茶を飲む、を楽しんだ。好日居は、中国茶を中心としたカフェなので、煎茶道具は東京からおくった。
その中に、連月作の急須と、煎茶椀、盃を忍ばせた。あまり形式や作法にこだわらない「小さな茶会」
は、ことのほか楽しくて「これからは、こんな茶会をやろう」なんて自分に誓いながら、10年がたった。

今は「ひとり茶」よろしく、ときどき愛用の急須に茶を淹れて、飲んだりはするけど。
天真庵の二階の廊下には、連月の和歌の短冊を17年飾ってある。ほとんど誰も気づかないけど。
魯山人、連月尼・・・ふたりに共通するのは「家族愛」に恵まれなかった寂しさ、みたいなものを
感じる。孤高な世界に到達するには、必要不可欠な要素ではあるけど。

今、ボランティアさんたちが到着。ブログはここで中断します。感謝。

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