今朝の朝日新聞のテレビ欄のところに、「出光美術館」のCMがあった。
創業者の出光佐三さんは、福岡県の宗像出身で、出光興産の発祥地の門司にも
美術館があった(まだある?)。
昭和49年に宗像高校の修学旅行で上京した時、まだ存命の「店主」(本人は、会社
が大きくなっても、社長ではなく「店主」という肩書にこだわった)に、栄太郎飴をもらう、
というのが、わが母校の「ならわし」だった。
普通の県立高校だったけど、出光翁の「陰徳」で、美術品とか、設備などが、普通でない私立とかの高校
よりも、充実していた。ぼくの「骨董病」もそのころ罹病した?。
今朝の広告には、出光翁の蒐集で有名な江戸の奇僧「仙厓(せんがい)和尚」の「指月布袋画賛」がのっていた。
。お腹がぽってりした布袋様と子どもの構図。布袋様が月を指さして、子供が見ている。そこに『お月様 幾つ 十三、七つ』と贊が
揮毫されている。
翁はこの絵が気にいっていて、複製して、各営業所に飾り、この絵を通して社員(店員?)と禅問答みたいなことをやっていたらしい。
「自噴の水」という社内報みたいな本の中に、そのようなことが書いてあったことを思い出した。
その本は、同じ郷土出身で、銀座で「隕石直売所」をやっている王子に譲った(笑)ので、手元にないばってん、
こんなことが書いてあった。
・・・布袋様は、月を指して、「あれが月だよ」と教えている。でも子供は、親の手元を見ている。
親子でも夫婦でも、友達、仕事仲間の関係も、同じようなことがままある。「伝えよう」と思うのが、
往々にして「伝わらない」のが、人間関係の常。「伝える」よりも「伝わる」ことが大事なのだ。
政治家の答弁や、問題を起こし謝罪する会社のトップ、テレビのコメンテータやお笑い芸人・・・みんな自分の立場を守る「ポジショントーク」にあけくれて、「本心」が見えない世界をみんなで浮遊している。ましていわんや、メールで他人と会話していると、
「伝える」「伝わる」どころか、「デジタルタトゥー」みたいな「壊れもの」になる危険をはらんでいるのが我々の日常だ。
出光興産の社是は「人間尊重」。
少し時代おくれの感がある言葉だけど、時代が忘れてしまった言葉なのかもしれない。「日本人にもどれ」
という著書もあったけど、在日日本人の我々に対するメッセージも色あせていない。
ゴールデンウィークは、皇居の横にある「出光美術館」にいくと、ゴールデンな「邂逅」があるかもなんばん。感謝。