門前のそばのそばや

昨日の話の続きみたいやけど、總持寺の門前に「手仕事屋」というそばやがある。
豆腐屋もやっていて、昼の豆腐御膳みたいなメニュでは、冷奴やがんものたいたんがでてくる。
京都や奈良もそうだけど、禅寺があるところは、精進料理が伝わるので、うまい豆腐屋が多い。
ここのそばは、輪島塗の平皿にアテ(能登ヒバ)の葉を敷いた上に、主人が毎朝打つそばがのせられて
でてくる。被災して、しばらくはガレットのテイクアウト営業をやっておられるけど、また復活したら、
イの一番に食べたくなる能登のそば。「手仕事屋」という屋号にスピリッツが籠っている。

今日は、ぼくもそばを打った。ラジオからロッド・ステュアートが流れてきた。
いつもは「びん棒」と呼んでいるのし棒を、エレキギターに見立てて、踊ってみたくなるほど、
ノリノリのロックンロール。傍らで掃除している筆子さんが「能登と東京の両方のリズムにすぐに対応できて
すごいね」と呆れた顔して笑っていた。

さすがに、能登から東京にもどってきた日は、「思考」も「体」も、時間差攻撃にさらされる。
昨日は、朝はやくおきて、香取神社まで徘徊散歩。少し時差がとれる。
仕込みの途中に、亀戸の骨董屋が2週間入院して
やっと退院との電話をいただき、煎茶をもって元気になった顔を見にいく。
いつもは、主人が抹茶をたててくださるのだが、昨日はぼくが煎茶を淹れた。
「急須借りますよ」というと、「いい急須が手に入ったからそれ使って」といって、小ぶりの朱泥の急須を貸してもらった。
「冗談だじゃない、これ、じょうざんやね・・」というと、「さすが」とニコリ顔。

「京島の取り壊される長屋に買い取りにいったら、娘さんが『じいちゃんが死ぬまで愛用していたんです』って」
京島の長屋も、不動産バブルの泡にまみれ、絶滅危惧種になりつつある。仕事場と職場を兼ねた狭い部屋に、
手あぶりで暖をとり、五徳の上に薬缶をのせ、手仕事の合間に句読点を打つように、愛用の急須で茶を淹れ一服。
そんな日本人のものつくりの小さな拠点が壊され、マンションなどが立ち、街の景気が上塗りされる。
界隈の新築のマンションも、億超えや、それに近い価格になってきた。じいちゃんの「清貧」と、
億ション生活・・・どちらが「ゆたか」なんやろ・・・?

そんなこと考えながら、到来ものの煎茶をすすっていたら、「この急須いる?」と骨董屋の主人のビットがたった。
骨董屋が「いる?」と問うと、「買うか?」という意味だ。
「ぼくも、このじいちゃんの魂を受け継ぎ、清貧な暮らしの中で、お茶を楽しむことにした」と、丁寧にお断りした。
常滑焼の急須で、人間国宝になった山田常山先生の逸品の京島急須物語。感謝。

今日明日は12時から16時。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
今日明日は新人の女子の「そばもん」がそば打ちにやってくる。明日は二階で「ゆるゆるヨガ」
明後日の朝(8-10)は玉子かけごはん。